2023年05月17日
私が病院へ行くまで(3)
どうもpotamiaです。
今回も前回からの続きから書いていきたいと思います。
高校でのお話が終わったということで今回は大学でのお話を書いていきます。
私は高校時代、総合学科ということもあり、興味のあった美術を専攻していました。なので、当初は美大へ行こうかと考えていましたが、持ち前の劣等感に悩み、自分なんかが美術を学んだところで、周りとの才能の差に落ち込むだけだと思い、美大への進学は断念してしまいました。
挑戦する前から諦めていたのです。言わば、挑戦への恐怖とでもいいましょうか。
そういう訳で、興味の全くない文学科の大学へ進むことにしました。
なぜなら、元より興味のない分野ならば気楽に学べるかと考えたからです。
当時の私は、大学をとりあえず卒業してどこかへ就職しようと考えていました。
しかし、これで分かる通りそんな考えで通える程、甘い場所ではありませんでした。
その後、大学への入学はしたものの、漠然とした目標すらなく惰性に満ち溢れた毎日を過ごしていました。
友人はおらず、作れず、辛うじてサークルに入ったことでできた同期と仲良くはしていたものの、高校時代の件もあり、若干ながら人間不信になってしまい、どうしても相手に対して壁をつくっていました。そのせいで、相手が心優しく接していても、どこか信用できない、どうせ裏切る、と考えてしまっていました。
人と接する度に、心の中では私のことを笑っているんじゃないだろうか、いつか利用されるだけされて裏切られるんじゃないだろうか、と被害妄想に苦しめられていました。
そんな中でも、大学へ通い講義を受け生活できていました。それは、まだ心が丈夫だったからだと思います。
続きは次回で。
今回も前回からの続きから書いていきたいと思います。
高校でのお話が終わったということで今回は大学でのお話を書いていきます。
1・挑戦しないという惰性
私は高校時代、総合学科ということもあり、興味のあった美術を専攻していました。なので、当初は美大へ行こうかと考えていましたが、持ち前の劣等感に悩み、自分なんかが美術を学んだところで、周りとの才能の差に落ち込むだけだと思い、美大への進学は断念してしまいました。
挑戦する前から諦めていたのです。言わば、挑戦への恐怖とでもいいましょうか。
そういう訳で、興味の全くない文学科の大学へ進むことにしました。
なぜなら、元より興味のない分野ならば気楽に学べるかと考えたからです。
当時の私は、大学をとりあえず卒業してどこかへ就職しようと考えていました。
しかし、これで分かる通りそんな考えで通える程、甘い場所ではありませんでした。
その後、大学への入学はしたものの、漠然とした目標すらなく惰性に満ち溢れた毎日を過ごしていました。
2・被害妄想と恐怖
友人はおらず、作れず、辛うじてサークルに入ったことでできた同期と仲良くはしていたものの、高校時代の件もあり、若干ながら人間不信になってしまい、どうしても相手に対して壁をつくっていました。そのせいで、相手が心優しく接していても、どこか信用できない、どうせ裏切る、と考えてしまっていました。
人と接する度に、心の中では私のことを笑っているんじゃないだろうか、いつか利用されるだけされて裏切られるんじゃないだろうか、と被害妄想に苦しめられていました。
そんな中でも、大学へ通い講義を受け生活できていました。それは、まだ心が丈夫だったからだと思います。
続きは次回で。
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