2013年03月20日
埼玉県 三峯神社へ行く計画
以前、GWにどこ行こうかなーって記事を書きましたが
今回は我が地元である、
埼玉県の最深部、埼玉最大のパワースポット 三峯神社へ行ってみます!
三峯神社
まずは、行く前にWikipediaで知識の下調べから!
秩父神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社。
拝殿の手前には珍しい三ツ鳥居がある。
三ツ鳥居は、明神型鳥居を三つ組み合わせた鳥居である。境内入り口に立つ。
主祭神は (複数の神を祀っている神社において、主として祀られる神のこと)
伊弉諾尊 (いざなぎのみこと) 古事記、日本神話に登場する皇祖神
伊弉册尊 (いざなみのみこと) 伊弉諾神の妻
配祀神(はいししん=主神以外のもの)
造化三神 - 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
高御産巣日神(たかみむすひのかみ)
神産巣日神(かみむすひのかみ)
天照大神 (あまてらすおおかみ)
わぉ・・・日本人なら絶対知ってる神様たちですね@@
歴史
景行天皇の時(71年-130年)、日本武尊が東征中、
碓氷峠に向かう途中に現在の三峯神社のある山に登って
伊弉諾尊・伊弉册尊の国造りを偲んで創建
この国が永遠に平和であることを祈られました
伊豆国に流罪になった役小角が三峰山で修業
空海が観音像を安置したと縁起には伝えられる
中世以降、日光系の修験道場となって、関東各地の武将の崇敬を受けた。
しかし正平7年(1352年)、足利氏を討つために挙兵し敗れた新田義興・義宗らが
当山に身を潜めたことより、足利氏により社領が奪われて衰退
衰えた時代が140年も続きました
文亀年間(1501年-1504年)に修験者の月観道満により堂舍が再興され、
以後は聖護院派天台修験の関東総本山とされて隆盛した。
本堂を「観音院高雲寺」と称し、「三峯大権現」と呼ばれた
観音院第七世の山主が京都花山院宮家の養子となり、
以後当山の山主は、十万石の格式をもって遇れた
社紋として用いている「菖蒲菱(あやめびし)」は花山院宮家の紋
神乃山水
三峰山の上に「龍洞」という深い井戸がある。
竜神が住むと言い伝えられ、水分神がまつられている。
小教院という茶房にてジュースやコーヒーなどに使用しているそうです
もちろん、神社内で有料にて飲めるそうです。
山犬信仰
三峰信仰の中心をなしているものに、御眷属(山犬)信仰がある
享保12年9月13日の夜、日光法印が山上の庵室に静座していると、
山中どことも知れず狼が群がり来て境内に充ちた。
法印は、これを神託と感じて猪鹿・火盗除けとして山犬の神札を貸し出したところ
霊験があったとされる
「お犬様」と呼ばれる御眷属(ごけんぞく)信仰が
遠い地方まで広まったのもこの時代
以来隆盛を極め信者も全国に広まり、三峯講を組織し三峯山の名は全国に知られる
明治の神佛分離により寺院を廃して、三峯神社と号し現在に至る
ご祈祷
家内安全
商売繁盛
家運・厄除け
御眷属拝借
お使い(神様の霊力を受け、神様と同じ働きをするとして仰がれる動物)はオオカミ
日本武尊の道案内をし、その勇猛、忠実さから、三峯神社の使い神に定められた
秩父宮記念 三峯山博物館
三峯講の人たちの登拝、参籠に関する資料を展示
宝蔵に収められていた宝物類、主として修験の山として栄えた観音院時代の資料を展示
秩父宮家御下賜の品を中心に、秩父宮家ゆかりの資料が展示
一般:300円、中学生まで:100円
午前9時〜午後4時
休館日 毎週火曜日・年末年始を含む冬期間(12月〜3月)
周辺観光
二瀬ダムと秩父湖
三峯神社に向かう道は狭い片側交後通行のトンネルを抜けると
ダムの堰堤の上を走ります。
二瀬ダムは多目的ダムとして作られ秩父湖はその時に生まれた人造湖です。
不動滝
秩父湖沿いの道路に車を置き、吊り橋を対岸に渡りわずかに山道を歩くと、
豪快な水音が聞こえてきます。
すぐ近くでは飛沫が降り掛かってくるほどの激しい流れです。
修行場でもありました。
落差約50m。徒歩15分。
道の駅「大滝温泉・遊湯館」
湯質の良いことで知られる「遊湯館」は
日帰りの温泉施設として男女それぞれ檜風呂と岩風呂2つの浴槽があります。
敷地内には歴史民俗資料館や農作物販売所などもあります
ずらずと書いてしまいましたが
なんかとても霊験新たかな神社のようです。
私はずっと埼玉に住んでいますが、三峯神社に行ったことはないけど
名前は何度も聞いたことがありました。
学生時代、若気の至りで心霊スポット巡りとかもしたことがありましたが
その頃の友人いわく、
三峯神社はそういう次元じゃない・ヤバイ・空気が違う・
遊びで行くようなとこじゃないなどといっていましたが
今から考えると、国を守護する神社としての格が、
心霊スポット巡りをする邪な若者を戒めていたのでしょうねぇ
今回は我が地元である、
埼玉県の最深部、埼玉最大のパワースポット 三峯神社へ行ってみます!
三峯神社
まずは、行く前にWikipediaで知識の下調べから!
秩父神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社。
拝殿の手前には珍しい三ツ鳥居がある。
三ツ鳥居は、明神型鳥居を三つ組み合わせた鳥居である。境内入り口に立つ。
主祭神は (複数の神を祀っている神社において、主として祀られる神のこと)
伊弉諾尊 (いざなぎのみこと) 古事記、日本神話に登場する皇祖神
伊弉册尊 (いざなみのみこと) 伊弉諾神の妻
配祀神(はいししん=主神以外のもの)
造化三神 - 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
高御産巣日神(たかみむすひのかみ)
神産巣日神(かみむすひのかみ)
天照大神 (あまてらすおおかみ)
わぉ・・・日本人なら絶対知ってる神様たちですね@@
歴史
景行天皇の時(71年-130年)、日本武尊が東征中、
碓氷峠に向かう途中に現在の三峯神社のある山に登って
伊弉諾尊・伊弉册尊の国造りを偲んで創建
この国が永遠に平和であることを祈られました
伊豆国に流罪になった役小角が三峰山で修業
空海が観音像を安置したと縁起には伝えられる
中世以降、日光系の修験道場となって、関東各地の武将の崇敬を受けた。
しかし正平7年(1352年)、足利氏を討つために挙兵し敗れた新田義興・義宗らが
当山に身を潜めたことより、足利氏により社領が奪われて衰退
衰えた時代が140年も続きました
文亀年間(1501年-1504年)に修験者の月観道満により堂舍が再興され、
以後は聖護院派天台修験の関東総本山とされて隆盛した。
本堂を「観音院高雲寺」と称し、「三峯大権現」と呼ばれた
観音院第七世の山主が京都花山院宮家の養子となり、
以後当山の山主は、十万石の格式をもって遇れた
社紋として用いている「菖蒲菱(あやめびし)」は花山院宮家の紋
神乃山水
三峰山の上に「龍洞」という深い井戸がある。
竜神が住むと言い伝えられ、水分神がまつられている。
小教院という茶房にてジュースやコーヒーなどに使用しているそうです
もちろん、神社内で有料にて飲めるそうです。
山犬信仰
三峰信仰の中心をなしているものに、御眷属(山犬)信仰がある
享保12年9月13日の夜、日光法印が山上の庵室に静座していると、
山中どことも知れず狼が群がり来て境内に充ちた。
法印は、これを神託と感じて猪鹿・火盗除けとして山犬の神札を貸し出したところ
霊験があったとされる
「お犬様」と呼ばれる御眷属(ごけんぞく)信仰が
遠い地方まで広まったのもこの時代
以来隆盛を極め信者も全国に広まり、三峯講を組織し三峯山の名は全国に知られる
明治の神佛分離により寺院を廃して、三峯神社と号し現在に至る
ご祈祷
家内安全
商売繁盛
家運・厄除け
御眷属拝借
お使い(神様の霊力を受け、神様と同じ働きをするとして仰がれる動物)はオオカミ
日本武尊の道案内をし、その勇猛、忠実さから、三峯神社の使い神に定められた
秩父宮記念 三峯山博物館
三峯講の人たちの登拝、参籠に関する資料を展示
宝蔵に収められていた宝物類、主として修験の山として栄えた観音院時代の資料を展示
秩父宮家御下賜の品を中心に、秩父宮家ゆかりの資料が展示
一般:300円、中学生まで:100円
午前9時〜午後4時
休館日 毎週火曜日・年末年始を含む冬期間(12月〜3月)
周辺観光
二瀬ダムと秩父湖
三峯神社に向かう道は狭い片側交後通行のトンネルを抜けると
ダムの堰堤の上を走ります。
二瀬ダムは多目的ダムとして作られ秩父湖はその時に生まれた人造湖です。
不動滝
秩父湖沿いの道路に車を置き、吊り橋を対岸に渡りわずかに山道を歩くと、
豪快な水音が聞こえてきます。
すぐ近くでは飛沫が降り掛かってくるほどの激しい流れです。
修行場でもありました。
落差約50m。徒歩15分。
道の駅「大滝温泉・遊湯館」
湯質の良いことで知られる「遊湯館」は
日帰りの温泉施設として男女それぞれ檜風呂と岩風呂2つの浴槽があります。
敷地内には歴史民俗資料館や農作物販売所などもあります
ずらずと書いてしまいましたが
なんかとても霊験新たかな神社のようです。
私はずっと埼玉に住んでいますが、三峯神社に行ったことはないけど
名前は何度も聞いたことがありました。
学生時代、若気の至りで心霊スポット巡りとかもしたことがありましたが
その頃の友人いわく、
三峯神社はそういう次元じゃない・ヤバイ・空気が違う・
遊びで行くようなとこじゃないなどといっていましたが
今から考えると、国を守護する神社としての格が、
心霊スポット巡りをする邪な若者を戒めていたのでしょうねぇ
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