2017年11月18日
北朝鮮に「イラク戦争前夜」のにおい 国に危険が及ぶと判断すれば米は攻撃を躊躇しない
「われわれの乗る車両のタイヤが1つパンクしていたとしても構わない。だが、全部なら査察妨害だ」。2002年秋、イラクに向かう国連査察団トップはこんな説明をした。
直近の国連安全保障理事会決議は、この査察は、イラクが大量破壊兵器を秘匿していないと証明する「最後の機会」であり、妨害すれば、「イラクは深刻な結果に直面する」と警告していた。説明は、妨害かどうかの判断は「常識的に行いたい」というたとえだったが、パンクしたタイヤの数次第でイラク攻撃があるというのも怖い話だった。
いま、北朝鮮が安保理決議を無視して、核実験、弾道ミサイル発射を繰り返し、トランプ米政権は非核化を要求して、武力行使も辞さない厳しい態度を維持している。イラク戦争前夜とよく似た状況だ。
イラクはクウェート侵攻と湾岸戦争(1990〜91年)後の安保理決議で、国際監視下での生物、化学兵器、弾道ミサイルの廃棄を義務づけられたが、これを無視し、査察妨害を繰り返していた。当時のブッシュ米大統領は国連総会演説などで、人権侵害などを含めてイラクのフセイン政権を口を極めて非難し、国際社会に結束して対処するよう訴えるとともに、米国単独でも行動する決意を表明していた。
国連査察団は現地入りして、「イラクは協力的でない」との報告をまとめ、最後の査察も不調に終わった。武力行使を容認する新たな安保理決議は得られなかったが、米国は2003年3月、有志国によるイラク攻撃に踏み切った。
開戦の理由の一つが、大量破壊兵器の秘匿だった。だが、フセイン政権崩壊後、イラク国内で生物、化学兵器は見つからなかった。イラクが査察妨害を続けたのは、大量破壊兵器の「保有」でなく、「保有していない」事実を隠すためだったのである。クウェート侵攻前、フセイン政権は8年にわたり、イラン・イラク戦争を戦った。国内では、実際に化学兵器を使用し、クルド人の独立運動を弾圧した。敵に「丸腰」を悟られてはならなかった。
イラクは北朝鮮のように、核兵器で米本土を攻撃する能力を獲得しようとしていたわけではない。だが、米国は、国際テロ組織アルカーイダが乗っ取り機を使い、ニューヨークの高層ビルなどを攻撃した米中枢同時テロ(2001年9月)に直面したばかりで、フセイン政権がアルカーイダと関係しているとみていた。イラクは直接の脅威とみなされたのだ。
自国に危険が及ぶと判断すれば、米国は攻撃を躊躇(ちゅうちょ)しない。いまの金正恩朝鮮労働党委員長には、非核化の要求に応じる以外、取るべき道はないはずだ。
北朝鮮が、米国と結んだ1994年の核合意に反し、核開発を進めていることが明らかになったのも、イラク戦争前夜の2002年秋である。北朝鮮はその後、公然と核・ミサイル開発に突き進み、最近は弾道ミサイルが何発も日本方向に発射され、核実験は余震をも伴うに至った。非道で危険極まりない状況は、今度こそ終わりにしなければならない。(論説委員)
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