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潜在意識、夢、感情を手放す方法、ストレス、自然界
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2015年05月06日

本当の夢

こんばんは。
いつも本当にありがとうございます。



優しいあなたの心へ、



今がどんなにか辛くても大丈夫です。
あなたの魂は、あなたが感じている以上に、実はとても元気なんですよ。



でもね、


今は少し傷が深くて痛いけど。



大丈夫ですよ。




あなたが痛みを、感じれることは、それだけで合格だからです。
神様の数々の、試験資格を、手にしていることになるのですから。




そして人のせいに絶対にしないことが出来るのだから。
されても、しないのが、あなたなら、大丈夫です!



この先、あなたは、あなたの心の望む夢を、叶える人になります。
でも今日、明日ではありませんね。




簡単ではないですが、たのしいです。
なぜなら、あなたがどんどん綺麗になってゆくことを、
あなたが見れるからです。




お金を出して買える高価な物たちは、
いつかは手を離れる物たちです。




あれば便利でしょうし、
いい気分でしょうし、
安心感も、出るでしょうし、




いい物ですが、





心は、物を、望んではいません。
心は、人に何かを、望んではいません。
心は、人から、何かを、されることは一切望んでいません。




じゃあ、何を望んでいるんでしょうかね?

心は一番楽しい事を、望んでいます。


なんでしょうね?




あなたの中に全部あります。
すでに、あなたが、持ってます。




あなたが、目指す夢を、自然に沿った物に、
設定するだけです。




最高の中の、最高を、目指してください。
今までの人生で、見て来た本物だと思う人を、



想像してみてください。
本当に本物ですか?



あなたが一生かけて、この人だと思える魂ですか?
一点の曇りもありませんか?



その人は、美しく健康的ですか?
自然に沿っていますか?



大事な人ならなお、見てみましょう。



毎瞬、心が笑っていますか?
作り笑顔ではありませんか?




その魂は愛に溢れていますか?
その魂は何かを、あなたから奪っていませんか?





飾りに気を、とられてはいませんか?
本当の魂を、見れるあなたですか?













お時間があればいかがですか?






ブッタの教えから、


第3章  仏の姿と仏の徳


第一節  3つのすがた





1、姿や形だけで仏を求めてはならない。姿、形はまことの

仏ではない。まことの仏はさとりそのものである。

だから、さとりを見る者がまことに仏を見る。





世に優れた仏の相(すがた)を見て、仏を見たというならば、

それは無知の眼の過ちである。仏のまことの相(すがた)は、

世の人には見ることもできない。どんなに優れた描写によっても、

仏を知ることはできないし、どんな言葉によっても仏の相は、

言い尽くすことはできない。







まことの相とはいっても、実は、相あるものは仏ではない。

仏には相がない。しかも、また、思いのままにすばらしい相を示す。

だから、明らかに見て、しかもその相にとらわれないなら、

この人は自在の力を得て仏を見たのである。







2・仏の身はさとりであるから、永遠の存在であってこわれることがない。

食物によって保たれる肉体ではなく、智慧(ちえ)より成る堅固な身であるから、

恐れもなく、病もなく、永遠不滅不変である。






だから、仏は永遠に滅びない。さとりが滅びない限り、滅びること

はない。このさとりが智慧(ちえ)の光となって現れ、この光が人を

さとらせ、仏の国に生まれさせる。







この道理さとった者は仏の子となり、仏の教えを受持し、仏の教えを守って後の世に

伝える。まことに、仏の力ほど不思議なものはない。









3・仏には三つの身(からだ)がそなわっている。一つには法身(ほっしん)、

二つには報身(ほうじん)、三つには応人(おうじん)である。




法人とは、法そのものを身とするものである。

この世のありのままの道理と、それをさとる智慧とが

一つになった法そのものである。

法そのものが仏であるから、この仏には色もなく形もない。

色も形もないから、来るところもなく、去るところもない。

来るところも去るところもないから充満しないところがなく

大空のようにすべてのものの上にあまねくゆきわたっている。

人が思うから有るのではなく、人が忘れるから無いのでもなく、

人の喜ぶときに来るのでもなく、人の怠る(おこたる)ときに

去るのでもない。仏そのものは、人の心のさまざまな動きを超えて

存在する。


仏の身は、あらゆる世界に満ち、すべてのところにゆきわたり、

人びとがふつう持っている仏に関する考えにかかわらず永遠に

住する。











4.報人(ほうじん)というのは、形のない法身の仏が、人びとの

苦しみを救うために形を現し、願を起こし、行を積み、名を示して、

導き救う仏である。


この仏は大悲をもととし、いろんな手段によって限りなき人びとを救い、

すべてのものを焼き払う火のように、人びとの煩悩(ぼんのう)の薪(たきぎ)

を焼き、また、ちりを吹き払う風のように、人びとの悩みのちりを払う。








応身(おうじん)の仏は、仏の救いを全う(まっとう)するために、

人びとの性質に応じてこの世に姿を現し、誕生し、出家し、成道(じょうどう)し、

さまざまの手段をめぐらして人びとを導き、病と死を示して人々を警める(いましめる)

仏である。







仏の身は三つに分かれるが、それはただ一つのことをなしとげるためである。

一つのこととは、いうまでもなく人びとを助け救うことである。





限りのないすぐれた身をもって、あらゆる境界に現れても、

その身は仏ではない。仏は肉体ではないからである。

たださとりを身としてすべてのものに満ちみち、

真実を見る人の前に仏は常に現れる。










仏教聖典・The Teaching of Buddha より。
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まつもとしあこ (本名・松本幸子) 少し前までは、極悪非道人が、 変っちゃったから大変。
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