激闘を物語るかのように、一帯からは、刀や槍、鉄砲の弾などが出土し、たくさんの史跡や伝説も残っています。
三増合戦の戦死者は、北条方3,269人、武田方900人とも言われています。
かつての戦場には大きな石碑が立ち、毎年10月にはここで、「三増合戦まつり」が開催されています。
いったん半原台地に退き、態勢を整えようとした北条方の隙をついて、武田信玄が陣を敷き、旗を立てたという言い伝えが残っています。
当時の老松が枯れたことを惜しんで、昭和3年(1928年)に石碑が建てられました。
戦死した武田方の侍大将、浅利信種が祀られ、墓所に埋められた遺骨は信種のものといわれています。
戦前までは参詣客も多く、立願成就のときは木の太刀を納めるならわしでした。
宝永3年に立てた傍らの碑には、この周辺に戦死者の幽霊が出没するので、供養したと刻んであります。
この地にあった田代城は北条方の家臣内藤氏の居城で、三増合戦のとき焼け落ち、再建されることはなかったといわれ、内藤氏の守護神の八幡社が昔を今に伝えています。
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