中村家は「勝坂大尽」と呼ばれる素封家であるが、詳しい文書が残っておらず由緒は明らかではない。
2001年当時の当主、中村正衛氏によると幕末の生糸の商いで財をなしたとのことである
一階の外観は和風の要素でまとまっているが、二階は外壁を海鼠壁とし、洋風の要素として軒を曲線の白漆喰で塗り込めて正面に縦長の窓を配している
建物
二,三階は大壁構造の海鼠壁に縦長のガラス窓を穿ち、屋根は軒蛇腹は白漆喰で固められていた。
現在は青い瓦に改められているが、当初は 赤みがかったオレンジ色だった。
慶応3年に主屋を建てるため、良質なケヤキ材を確保製材するには時間がかかり、洋風建築の要素といえる海鼠壁が多用された時期を考えると、主屋の建築が数年早ければ、上質な従来の民家建築に、遅ければ擬洋風ではなく、より洋式建築に近い建物になっていた可能性もある
長屋門
桁行63尺と長く、現存する貴重な建築物である。
この門は五寸角を用い、冠木も太く、創建時は豪壮な趣を呈していたと推測される
邸内稲荷社
形状は軒唐破風付きの入母屋造りで、現在は銅板葺きだが当初は瓦葺きだった。
正面は側面には花頭窓風の連子窓があり、天井は格天井で屋内後半部を見世棚風にし、中に小さな祠を三基安置している。
このように中村家の稲荷社は、邸内の社殿としては破格の建築である
中村家と勝坂遺跡
1926年の夏、中村家当主であった中村忠亮氏の所有する畑から出土した土器片二つを、学生・清水二郎氏が考古学者の大山柏氏に提供した。
このことが勝坂遺跡発見のきっかけとなった
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