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2018年04月15日

血液のがん 他人事ではない気になるニュース 西日本

誰にでも  死  が訪れる。 終活 なんてコトバもうまれる時代。

生きても働くか、死ぬとわかればリタイヤするかは、あなた自身の選択。まずは読んでくれたらありがとう!

西日本新聞


20歳で白血病に…病気になったからこそ出合った仕事 人気番組のディレクターが伝えたいこと


情報番組のディレクターとして現場を仕切る蒔田真弓さん=3月21日、福岡市城南区
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 「アサデス。」は18年続くKBC九州朝日放送の人気情報番組だ。そのディレクターとして、蒔田真弓さん(27)=福岡市博多区=は日夜、飛び回る。コーナーの企画を立て、ロケ地を探し、取材を段取る。昨年7月の九州豪雨では現地に泊まり込んで中継した。

⇒【画像】過酷な治療に耐える中、20歳の誕生日を病室で迎え、両親と祝った蒔田真弓さん

 こんな充実した日々をかつては想像できなかった。病院の無菌室で吐き気と高熱、死の恐怖に苦しんでいた20歳のころには−。

 九州大2年だった2010年夏、自転車で転び、血が止まらなくなった。診断は急性骨髄性白血病。正常に造血できない「血液のがん」だった。水泳で鍛えた体は痩せ、血小板不足による内出血であざだらけになった。成人式に向けて伸ばしていた髪は抜け落ちた。


闘病体験を自ら封印

 「意識を失うほどの過酷な治療でした」。危機を救ったのは「自家移植」だった。あらかじめ自分の造血幹細胞を保存しておき、抗がん剤でがん細胞を減少させた体に注入する。入院から1年後、血中にがん細胞が確認できない「寛解状態」にまで回復した。

 ただ、将来はまだ見えなかった。1年遅れた就職活動で苦戦した。「採用に響く」と周囲から忠告され、面接では病気を明かさなかった。「価値観が変わるほどだった」という闘病体験を自ら封印してしまい、本当の自分で勝負できなかった。10社を受けて全て不採用となり、何も決まらないまま卒業式を迎えた。

 心配した教授が地元の番組制作会社を紹介してくれた。白血病と知った上で採用を検討するという。「私なんかを雇うくらい人手不足なのかな」。とはいえ、急に訪れたチャンス。考える間もなく飛び込んだ。
.

恋愛にも臆病に

 入社の翌日に派遣されたのが地元民放の看板番組だった。当初は月に1回、がん細胞の再増殖がないか確認する血液検査で通院しなければならなかった。仕事への影響を考え、KBCのプロデューサーには事前に説明した。「遠慮せずに休んでいいよ」と言ってくれた。

 40人ほどいる番組のスタッフには明かさなかった。「新人なのに変に気を使われたくなくて」。それに医療界では「働き方とがんの再発リスクに因果関係はない」との定説がある。その通り、不規則が当たり前の仕事を一人前にこなした。

 それでも時々、不安が頭をもたげた。風邪気味かなと思えば、すぐ医者にかかった。抗がん剤の後遺症で不妊になる可能性もあり、恋愛にも臆病になった。学生時代の友人から結婚や出産の知らせが届くと「このままでいいのかな」と思う。

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