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2016年10月16日

びわ湖堅田・湖族の郷 大津市堅田

会社の近く、大津市堅田をぶらり散歩しました。

観光駐車場に車を停め、まずは「湖族の郷資料館」へ

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湖族の郷資料館(こぞくのさとしりょうかん)


歴史上特筆される堅田の歴史、文化を築いた堅田衆をはじめとする堅田ゆかりの先人の足跡をたどる資料等が展示されています。
展示されている資料のテーマは、「文学と堅田」「堅田の変遷」「豪族の民具」「芭蕉と堅田の門人たち」「志賀廼家淡海」です。

湖族の郷マスコットキャラクター こぞくのすけ
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堅田出身の明治、大正、昭和の三代にわたって笑いを創造し全国津々浦々に広げた
大芸人「志賀廼家淡海(しがのやたんかい)」
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漁具、農具をはじめ、昔の家具、器具、骨董品
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芭蕉の足跡
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「湖族」とは

 琵琶湖の北湖と南湖の間のくびれ、湖の最狭部に位置し、東西の岸を結ぶ琵琶湖大橋の西詰めに位置する大津市堅田。

 堅田のパンフレットには「湖族の郷」とある。
 瀬戸内海では、水軍・海賊といい、琵琶湖ではそれを「湖賊」と呼ぶ。後世の我々から見ると、彼らは不法行為をやる犯罪集団のように思えるがそれはかなりの誤解である。彼らの暮らしの糧は、水先案内人、運送、漁業権、造船などであった。たとえば水先案内では、米100俵につき1俵を取り、断ると襲った。しかし、この行為を現在の社会ルールで判断することはできないだろう。それにしても「湖賊」では肩身が狭いからだろうか「湖族」と書かれることが多い。

 中世には、その恵まれた地形を利用して琵琶湖の水運・漁業の権益を一手に掌握し、湖上に圧倒的な力を誇った。当時、彼らは「堅田衆」と呼ばれ、自らの手で郷づくりを行い、「堅田千軒」と言われる近江最大の自治都市を築いた。貿易で栄えた堺(大阪府)の町のように、政治権力から離れた自治都市を運営していたのである。
 近世になり、水運の勢いはしだいに大津へと移っていったが、漁業は隆盛をきわめ、江戸時代には「諸浦の親郷」と呼ばれるようになった。また、豊かで美しい風光に恵まれた郷には、芭蕉をはじめ多くの文人たちが訪れ、文化の華を咲かせた。

気ままにテクテク休日散歩さんのホームページより引用



一休和尚が青年時代ここで修行をしたことで有名な華叟宗曇が開祖の寺院
「祥瑞寺(しょうずいじ)」

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伊豆神社
境内には、なぜると幸せをもたらすと伝わる石があります。
ハート形をしているので縁結びの願い事がかなうと言われています。

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光徳寺「堅田源兵衛の首」
浄土真宗中興の祖である蓮如のために、自らの首を差し出すよう父源右兵衛を説得し、切らせて差し出したという漁師親子の殉教物語があります。

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本堂前には「堅田源兵衛父子殉教之像」があります。
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「御首級(みしるし)は本堂に安置」
拝観ご希望の方は、庫裡までお申し出下さい。??

源兵衛は、申し出すると見れるようです、、、
僕はみませんでしたが、見たい方はこちらをクリックしてください。

堅田源兵衛


浄土真宗中興の祖である蓮如は、比叡山延暦寺から迫害を受け、大津に滞在した時期がある。その間、蓮如は数年堅田に滞在し、堅田は町を挙げて延暦寺と戦って負けている(堅田大責)。比叡山に近い堅田の地を諦めた蓮如は越前に向かい、宗祖親鸞の木像を三井寺に預けた。

その後京都に戻った蓮如は、人の首を二つ差し出すなら木像を返そうと三井寺から言われる。それを聞いた堅田の漁師源兵衛は、父親を説得して、自分の首をはねてもらう。源兵衛の父親は、息子の首を三井寺に持って行き、自分の首もはねてくれと言った。

驚いた三井寺は親鸞の木像を返し、蓮如は「真宗復興の祖は源兵衛である」と涙したという。その後源兵衛の父親は巡礼の旅に出て、旅先の広島県福山市で亡くなっている。源兵衛の首は本堅田の光徳寺に祀られた。(というのが、光徳寺に伝わる話である。)

実は2011年の3月に、光徳寺のご住職から源兵衛さんの首を見せていただいた。
どくろ、それも小さな部類に入ると思われる、愛らしいものだった。

Katata/堅田さんのサイトから引用


最後は、大津市でも有名な「浮御堂」です。
近江八景「堅田の落雁」で名高い浮御堂は、寺名を海門山満月寺と言います。
浮御堂に関しては、以前ブログでアップしています。

松尾芭蕉も愛した琵琶湖の浮御堂!

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浮御堂から望むびわ湖・琵琶湖大橋

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堅田港と浮御堂周辺

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posted by 柳原 弘幸 at 20:41| 滋賀の魅力
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