ご紹介
タオルケース DX 壁掛け (タオルストッカー タオル収納)
●使いたい場所で収納!すぐ使えるタオルストッカー
●使いたい時にサッと取り出せる、タオル収納ケース。
●お使いのフェイスタオルを約8枚収納。
●洗面・バス廻りなどタオルを使いたい場所に。
●前面が大きく開きタオルが入れやすい。
●中が見えるおしゃれなスモークドア。
●サイズ:幅26.8×奥行14.5×高さ31.7cm
●材質:スチロール樹脂
●日本製
2018年01月21日
2018年01月16日
「西洋漢方」という発想のアロマ
「西洋漢方」という発想のアロマ
ハーブティーの香りでほっとする。
ハーブを使うといつものお料理がもっと美味しく感じる。
そんな経験はありませんか?
人が持つ五感の中でも特に香りは心と深く関係しています。
香りによってくつろいだり、元気な気分になったり。
肌のコンディションは心の影響を受けることが多いのです。
肌はその人の心の内面やライフスタイルを映し出す鏡。
心やからだの疲れが肌トラブルの原因となっている現代の女性には、
心身のリラックスが何よりも効果的なのです。
人に備わっている生命力を引き出し、健康へ導くといわれている「東洋」の思想。
心と体に調和をもたらすためにハーブの生命力をいかす「西洋」の伝統。
この2つの考え方,いわば「西洋漢方」。
「西洋漢方」という発想のもと、現代人に必要な植物成分を、
それぞれの特性が高め合うようにブレンド。
その天然の豊かな香りが奏でるフィトアロマに、肌も心もほぐれることでしょう。
魅力はナチュラルハーブのここちよい香り。
多くの方に愛されている理由のひとつです。
関連アロマ
ハーブティーの香りでほっとする。
ハーブを使うといつものお料理がもっと美味しく感じる。
そんな経験はありませんか?
人が持つ五感の中でも特に香りは心と深く関係しています。
香りによってくつろいだり、元気な気分になったり。
肌のコンディションは心の影響を受けることが多いのです。
肌はその人の心の内面やライフスタイルを映し出す鏡。
心やからだの疲れが肌トラブルの原因となっている現代の女性には、
心身のリラックスが何よりも効果的なのです。
人に備わっている生命力を引き出し、健康へ導くといわれている「東洋」の思想。
心と体に調和をもたらすためにハーブの生命力をいかす「西洋」の伝統。
この2つの考え方,いわば「西洋漢方」。
「西洋漢方」という発想のもと、現代人に必要な植物成分を、
それぞれの特性が高め合うようにブレンド。
その天然の豊かな香りが奏でるフィトアロマに、肌も心もほぐれることでしょう。
魅力はナチュラルハーブのここちよい香り。
多くの方に愛されている理由のひとつです。
関連アロマ
2018年01月15日
永遠の至福を享受しなさい。(インドの聖者)
ようこそ
わたしの愛読書から紹介します。
あるがままに―ラマナ・マハルシの教え
■質問者 (あるがままにp−31)
どういう意味で、
私たちの真の本性が幸福あるいは至福だと言われるのでしょうか?
マハルシ:完全な至福がブラフマンなのだ。
完全な平和は真我に由来している。
唯一存在するもの、それが意識なのである。
幸福と呼ばれるもの、それが
真我の唯一の本性である。
真我とは完全な幸福以外の何ものでもない。
幸福と呼ばれるそれだけが存在している。
その事実を知って真我の境地にとどまり、
永遠の至福を享受しなさい。
もし外面的な原因や自分の所有するものが
幸福の原因だと考えるなら、
所有するものが増えれば幸福も大きくなり、
所有するものが減るにしたがって
幸福も少なくなると
結論づけることは理にかなっていると言えるだろう。
そうすると、
もし所有するものが無ければ、
幸福はありえないはずである。
実際の体験ではどうだろう?
それはこの考えと一致しているだろうか?
深い眠りのなかで、
人は自分の身体も含めて何も所有していない。
それにもかかわらず、不幸であるどころか、
まったく幸せだ。
誰もがぐっすりと眠ることを望んでいる。
つまり幸福は本来、人に備わったものであり、
外的な原因によるものではないということである。
人に生来、備わった純粋な幸福の扉を開くためには、
真我を実現しなければならない。
*ブラフマン:ヒンドゥー教の非人格的絶対神
*アートマン:真我
(引用 福間 巌訳 「あるがままに」ラマナ・マハルシの教え)
わたしの愛読書から紹介します。
あるがままに―ラマナ・マハルシの教え
■質問者 (あるがままにp−31)
どういう意味で、
私たちの真の本性が幸福あるいは至福だと言われるのでしょうか?
マハルシ:完全な至福がブラフマンなのだ。
完全な平和は真我に由来している。
唯一存在するもの、それが意識なのである。
幸福と呼ばれるもの、それが
真我の唯一の本性である。
真我とは完全な幸福以外の何ものでもない。
幸福と呼ばれるそれだけが存在している。
その事実を知って真我の境地にとどまり、
永遠の至福を享受しなさい。
もし外面的な原因や自分の所有するものが
幸福の原因だと考えるなら、
所有するものが増えれば幸福も大きくなり、
所有するものが減るにしたがって
幸福も少なくなると
結論づけることは理にかなっていると言えるだろう。
そうすると、
もし所有するものが無ければ、
幸福はありえないはずである。
実際の体験ではどうだろう?
それはこの考えと一致しているだろうか?
深い眠りのなかで、
人は自分の身体も含めて何も所有していない。
それにもかかわらず、不幸であるどころか、
まったく幸せだ。
誰もがぐっすりと眠ることを望んでいる。
つまり幸福は本来、人に備わったものであり、
外的な原因によるものではないということである。
人に生来、備わった純粋な幸福の扉を開くためには、
真我を実現しなければならない。
*ブラフマン:ヒンドゥー教の非人格的絶対神
*アートマン:真我
(引用 福間 巌訳 「あるがままに」ラマナ・マハルシの教え)