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2016年04月04日

川島芳子は生きていた(35)阿尾博政の証言

https://fanblogs.jp/kawasimayoshiko/よりの転載

阿尾博政著『自衛隊秘密諜報機関ー青桐の戦士と呼ばれて』には阿尾氏が戦後に古谷多津夫氏の自宅で白髪の老婦人を見かけ、それが誰か尋ねると川島芳子だと告げられたという証言が載せられている。

古谷多津夫とは、戦時中、上海におけるスパイ組織である「南城機関」の機関長をしていた人物である。古谷は三十歳にならずして同機関の機関長となり、日本人、フランス人、インド人、ロシア人、中国人など約八百四十名のスパイを自らの指揮下に置いていた。そして、彼らを上海から広東省までの華南一帯に展開し、国民党、共産党への熾烈な特務戦をおこなってきた人物である。南城機関は日本海軍第三艦隊司令部付兼上海在勤海軍武官府付の特務機関であった。

この当時の上海は〈東洋の魔都〉と呼ばれ、世界四十八カ国および中国国内の各勢力が、生死を賭した諜報戦を展開していた。当然のことながら、諜報の一手段としてテロが横行した。古谷は戦後も内閣調査室の顧問として、日本の各諜報機関の現場において神様≠ニ評価されていた。古谷は、アメリカの安全保障に緊要な地域である極東の日韓台の情報網の中で、優れて信用された人物だった。

 戦後に川島芳子が日本に潜入していたのは某財団関係者によれば1955年前後であるから、阿尾博政氏が古谷多津夫の自宅で川島芳子を目撃したのもこのころになろう。戦時中に上海で海軍のスパイをしていた児玉誉士夫や、児玉を海軍に紹介した笹川良一などとも関係があったことは想像に難くない。

阿尾博政氏と川島芳子のつながりはもう一つある。それは阿尾氏が佐郷屋留雄の書生をしていたことだ。佐郷屋留雄は1930年に首相の浜口雄幸を東京駅で銃撃して暗殺した右翼のテロリストである。佐郷屋が犯行に使用したピストルはもともとは川島芳子が所蔵していたピストルであった。

元はというと、このピストルは張作霖の部下であった張宗昌という男が川島芳子の弟である愛新覚羅・憲開の殺害に使用したピストルであった。川島芳子は死んだ弟の形見の品としてピストルを譲り受けたのだった。

川島家に出入りしていた右翼活動家の岩田愛之助は川島芳子に結婚を迫り、川島芳子はそれを拒否してこのピストルで自分の胸を打ち自殺未遂を引き起こしている。そしてこのピストルはなぜかこの岩田愛之助の手に渡る。そして岩田愛之助が子分の佐郷屋留雄にピストルを渡して浜口雄幸首相を襲撃させたのであった。しかも佐郷屋は小学校までの幼少時代を中国の吉林省で過ごしているから、その当時の中国東北地方の軍閥だった張作霖のことは知っていただろうし中国語も話せた可能性が高い。

佐郷屋の家で書生をしていた阿尾博政氏が川島芳子に出会うというのは、こうして見ると決して偶然ではないことがわかるだろう。阿尾氏が古谷や佐郷屋といった極めて川島芳子に関係の深い人脈と状況に身を置いていたことが読み取れるのである。阿尾氏は佐郷屋のタンスにはいつも多額の現金が収められていたのを目撃している。つまり佐郷屋は自分の意志で浜口首相を暗殺したのではなく、誰かの指示と出獄後の生活の保障を受けて浜口首相を暗殺したのであろう。彼ら玄洋社系の右翼には香港のユダヤ系財閥の金銭的援助があったという黒い噂もある。

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