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ハーレム旅行



観光ドライバーも観光オフシーズンの冬には流しの運転手で市内を走っていました。
1月中旬のある夜の出来事でした。札幌駅タクシー乗り場で客待ちをしていて、もうすぐ先頭というところで大きな荷物を持った4人の女性客が先頭のタクシーの運転手ともめていました。どうやら行き先が近くて乗車拒否されたようです。
正義感の強い私は普段なら乗車拒否した運転手に抗議するところですが、その時ばかりは寒さに震えているお客さんが可哀そうだったので、「僕が乗せてあげるからこっちにおいで!」と乗せてあげました。
行き先はニューオータニホテル、歩いて5分ほどなので確かに近い。30分以上客待ちしている運転手が断りたくなるのも良くわかります。
しかし私は親切な運転手さん!!あっという間にホテルに着きましたが、途中の会話で旧正月の休暇に台湾から初めて北海道に観光に来た4人だということがわかりました。降り際に「運転手さんは親切なのでお願いしたいのですが、明日層雲峡まで行くので乗せて言って下さい」と頼まれました。明日は明番で休みでしたが、どういう事なのかわからないのでロビーで話を聞きました。
台湾の旅行会社からもらったという旅程表を見せてもらいびっくりしました。飛行機とホテルの手配をしているだけで移動の交通手段が全くありませんでした。現地に着いたらタクシーを頼みなさいと言われたそうです。何とも不親切な旅行会社なんでしょうか?
私は明日休みなので別の車を手配してあげるから安心して下さいというと「ダメ!貴方でなきゃ絶対ダメ!!」と言われたので、いよいよモテ期到来!!とばかりにすぐに会社に連絡して、「明日から1週間俺に車を預けてくれ!!」と頼みました。その頃の私はもうベテランの域に達していたので、上司に状況を話し行程も貸切料金も全て私に任せてくれると了解してくれました。
この日はとりあえず帰って、明日からは層雲峡温泉〜阿寒湖温泉2泊〜洞爺湖温泉〜函館、その後飛行機で東京へ向かうという、貸し切り料金5万円×6日+私の宿泊料金+私の食事代の条件で納得してくれました。これで5泊6日の北海道旅行の契約成立です!こんな展開になるとは、乗車拒否してくれた先頭の運転手さんに大感謝です!!

さて気になる4人組の内訳ですが、学生時代に日本に留学していたという唯一日本語が話せる大学講師の李さん、台北市内でクラブを経営しているBさん、台湾国内で十数件の飲食店を経営するCさん、そしてモデルで女優のDさん、とにかく美人でリッチな4人でした。
その頃の日本はまだ中国や台湾からの旅行客に規制を掛けていて、ゴールドカード以上のクレジットカードを所持している富裕層の人にしか観光ビザを発給していませんでした。そのためお金持ちしか日本に遊びに来ることが出来なかったのです。その4人はアメックスのゴールドカードをそれぞれ持っている美人の富裕層でした。
彼女たちのリクエストは通り一遍の観光は特にしなくてもよい。雪を初めて見るので、「とにかく雪遊びがしたい」という事でした。
デパートでしっかりとした防寒着と手袋・帽子・ブーツとホームセンターでソリとミニスキーを買い込んで出発しました。雪合戦をしたり、雪山に押倒したりもしました。理不尽な酔客を雪山に叩き込んだことはこれまでも何度かありましたが、こんなに楽しくお客さんを雪山に押倒す事はもちろん初めてです。

先日のエピソードでもお伝えした通り、観光地の宿泊先で運転手はお客さんと同じ宿に泊まることはほとんどありませんが、この時ばかりは急な事だったので仕方なくお客さんの宿にそれぞれ私の分もう1部屋追加してもらいました。
夕食は部屋食だったので私の分も一緒に用意してもらい、皆なかなかの酒豪揃いのため毎晩大宴会でした!
台湾では皆で一斉に乾杯するのではなく、一人ひとりと乾杯するらしいのです。しかもグラスに注がれた酒は一気に飲み干すのが礼儀だというので、私は4人を相手にそれぞれ乾杯+一気飲みをしなくてはならないのでたいへんでした。何より一番たいへんだったのは美人達相手に理性を保ち続けることでした。

そんな楽しい1週間があっという間に過ぎていよいよ函館空港でお別れの日です。その前に飲食店経営のCさんが書店に寄って欲しいと言うので大きめな書店に寄りました。Cさんは中国語講座のテキスト本を一冊買って私に渡してくれました。「今度会う時には通訳なしで直接話をしたいので中国語を勉強して下さい」と涙ながらに話していました。「私も台湾に帰ったら日本語を勉強します!」と・・・。
折角の告白でしたが既婚の私は受け入れないので勉強はしませんでしたが、Cさんはきっと勉強したと思います。
色々な観光客を案内してきましたが、涙の別れは初めてでした。
その後李さんとは何度か手紙のやり取りをしましたが、やがて返事も来なくなり、いつしか音信不通になってしまいました。
日台交流は途絶えてしまいましたが、この時の楽しい思い出は何時までも我々5人の心に深く刻まれていると確信しています。
それぞれの旅にはもちろん想い出が有りますが、こんなに楽しく悲しい旅は後にも先にもこの時だけでした。




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