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道東観光 7



札幌には初夏の風物詩ともいえるポプラの綿毛が盛んに飛んでいます。ひとつひとつは小さくて目立ちませんが、路肩の縁石などには布団の綿の様な塊が溜まっているところもあります。
もうそろそろ盛夏を迎える時期になってきたようです。

それでは道東の旅を急ぎましょう。トマムリゾートを過ぎると道道136号はトマムの集落で左折します。あとは道なりに15km程で南富良野町落合の集落でR38に突き当ります。
左折すると富良野方面です。途中の南富良野町幾寅は高倉健主演映画「ぽっぽや」の舞台となった場所です。
R38を右折すると狩勝峠、十勝です。
JR石勝線が開通する前はここを通る根室本線が道央から道東方面に向かう主要路線でした。この先の狩勝峠がかなり急勾配の難所のため、ここ落合で先頭の機関車に加え最後尾にも機関車を連結し、次の新得駅まではW機動車で運航していました。今は機動車の性能が上がったためそのような必要は無くなりました。

国道38 号は、滝川市R12交点を起点に、富良野市帯広市を経て釧路市に至る297kmの長い国道 で、釧路市・幣舞町〜鳥取大通. [幣舞町], 幣舞町のロータリー交差点が終点です。R274と共に道央と道東を繋ぐ北海道を東西に横断する大動脈です。
狩勝峠(HBCライブカメラ)は、国道38号線の南富良野町と新得町の町境にあり、標高644m。上川と十勝を 隔てる地点で、観光・流通の要所 にもなっています。展望台からは広大な十勝平野が見渡せます。狩勝峠を下ると間もなく左手にサホロリゾートが広がります。ここはクラブメッド(地中海クラブ)が手がける日本初のバカンス村として開業した。トマムと並ぶ滞在型リゾート施設です。
サホロリゾートがある新得町は面積は東京都の約半分の広さですが、人口は6,590人(平成23年3月末)しかし牛はなんと33,000頭以上で、酪農王国道東としては典型的な人の数より牛の数のほうが多い町です。道に迷ったら人を探すより牛に聞いたほうが早いです。乳製品のほか蕎麦の産地として有名で、町の特産品です。新得には私の好きなトムラウシ温泉があります。市街地から約60km山に入った大雪山系トムラウシ山の登山道入口に一軒宿トムラウシ温泉国民宿舎東大雪荘があります。道路も突き当りでこの先には登山道しかありません。ドライブついでに立ち寄るような場所ではありませんがわざわざ行ってみる価値はあると思います。
料理はエゾシカ肉料理が名物の様ですが、途中の道端や野山で散々エゾシカを見てきたせいか、あまり食欲は沸きませんでした。
R38を清水町へと進みます。一般的には十勝清水と呼ばれます。
新得から清水そしてその先の芽室町は小麦・小豆・長いも・ジャガイモ・甜菜の畑が続きます。特に長いもは海外からの需要が多く、食の本場、台湾や香港などの料理人たちが直接買い付けに来るほどです。
小麦、小豆といえば何を思い浮かべますか?私はタイ焼きを想像します。そう!タイヤ焼こそ十勝名物と言えるのではないでしょうか?タイ焼きに限らず十勝の小豆はあんこを使う和菓子屋さんの業界では最高品質として知られています。タイ焼きを北海道名物に推奨する協議会を立ち上げて私が会長に就任しようかな?
雪解けの耕作前の頃に通ると十勝清水から芽室にかけての畑の土が見事なくらい真黒く輝いているのがわかります。ひと目で良い土だなと惚れ惚れします。依田勉三をはじめとする先人たちの涙ぐましい苦労と命懸けの努力が荒地を肥沃な大地に蘇生させたのだと思うと、ついつい先人たちに最敬礼せずにはいられなくなります。
芽室町はゲートボール発祥の地としても知られ、新しいものを開拓する心意気が受け継がれています。
芽室市街地から十勝川を渡ると川北温泉があります。温泉効能はアトピー性皮膚炎等に効果があるため地元客を中心に人気の温泉です。露天風呂には桜の木が有り、花の季節ともなるとついつい長湯をしてしまいます。
また、甜菜(ビート)の収穫が盛んなこの町には、日本甜菜製糖(通称:ニッテン)の巨大工場が有り、「すずらん印」のブランドでお馴染のグラニュー糖の製造と、パンやビールの製造に必要なイーストが生成されています。我々の生活には無くてはならない工場です。
芽室と隣接する工業団地はもう帯広市です。この辺りは警察がよくネズミを捕りに来るので気を付けてください。
帯広は十勝の農産物や乳製品などが集結するグルメの町です。
バターやチーズなどの乳製品、農産物、ぶた丼、焼肉、等様々ありますが、私の一押しはクランベリーのスイートポテトです。駅やデパート等でも買えますが、ネットでお取り寄せもできるので、ぜひご賞味ください。
その他帯広はばんえい競馬の町です。スピードのみを競う普通の競馬とは違い、重たい荷物を引いて障害物を越える競馬です。重たい荷物を農耕馬に引かせて力自慢を競ったのが起源とされています。人気の衰退から全国で唯一帯広競馬場のみで開催されています。

ここでえりも岬ルートと合流して釧路方面に向かいたいと思います。


世界遺産



富士山が正式に世界遺産に認定された話題に沸く日本ですが、富士山より早く次のニュースが伝わってきました。
世界記憶遺産に、日本とスペインが共同推薦した「慶長遣欧使節関係資料」と、日本が推薦した、藤原道長の自筆日記が登録されたと、ユネスコが18日(日本時間19日未明)、発表した。 「慶長遣欧使節関係資料」は、仙台藩主伊達政宗が江戸時代初期、ローマに派遣した家臣の支倉常長(1571〜1622年)が持ち帰った品で、鎖国前に、日本人がスペイン国王やローマ教皇と謁見したことを示す貴重な資料。日本側からは国宝の「ローマ市公民権証書」「支倉常長像」など3件、
スペイン側から94件の計97件で構成されている。
富士山に比べると地味な話題なのであまりニュースで取り上げられませんでしたが、日本人としておおいに誇りに思うべきだと思います。
ところで、私の友人で温泉仲間が支倉常長の子孫の支倉裕允氏です。
我が北海道にも知床が世界自然遺産になって久しいですが、他にもたくさん世界遺産に値する資源があります。特別天然記念物丹頂が生息する釧路湿原、天然記念物えぞナキウサギが生息する大雪山系などなど・・・。
しかし私が一番相応しいと思うのは昭和新山とその形成の全貌を記録した三松正夫のミマツダイアグラムです。
昭和新山に異変が起きたのは太平洋戦争真只中の昭和18年12月28日で、軍部は不吉の前兆ととらえ、国民に動揺を与えるとの理由で一切の報道は伏せられていました。いつの世も政府は真実を隠蔽する体質なんですね。
この世界でも稀な地殻変動の一部始終を観察していたのが当地の持ち主で郵便局長の三松正夫氏でした。
昭和新山は洞爺湖・有珠山とともにジオパークに登録されています。
2009年8月22日、洞爺湖有珠山ジオパークは、糸魚川ジオパーク、島原半島ジオパークとともに、日本で初めて「世界ジオパーク」として登録されました。
ジオパークとは、ジオ(地球)を学び楽しむ大地の公園です。「洞爺湖有珠山ジオパーク」には、火山活動で形成された雄大で美しい自然や貴重な地質、さらには、周辺の豊かな自然に育まれた縄文文化の遺跡群など、多くの見どころがあります。
また釧路市では釧路湿原の他に、やはり特別天然記念物まりもの生息地と観察記録を含めて阿寒湖を世界自然遺産に申請する準備を具体的に進めています。



アグリツーリズム

最近アグリツーリズムなる観光形態が注目されています。
いわゆる農業体験を取り入れた観光スタイルのことですが、それを最初に実践したのはたぶん私だと思います。
以前エピソードで紹介した新婚旅行のカップルがトマムで宿泊したあと知床まで行く行程でした。旦那さんは日高で馬と触れあって大満足でしたが、奥さんはいまいちつまらなさそうでした。ただ車窓に広がる畑の農作物や放牧中の牛達には目を細めて見入っている様子だったので、知床に近い清里町で農家を営んでいる父の生家に立ち寄ることにしました。ちょうどジャガイモの収穫期だったのでイモ掘り体験をさせたいと思ったのです。実家の叔父も快く受けてくれたので二人の同意を求め、行くことにしました。着いたらまず牛舎に行って牛の乳搾り体験をしました。最初は牛舎の強い匂いに気が進まない様子でしたが、乳搾りが始まると二人とも無邪気にはしゃいでいました。自分たちが搾った牛乳を鍋で温めて飲むと「美味しい!美味しい!すごく濃いね!!」と大喜びでした。次にジャガイモ畑に行ってイモ掘り体験です。用意してもらった長靴に履き替えて畑の中を走り回っていました。自分たちで掘ったジャガイモを今度は茹でてもらって味わいました。叔父がジャガイモについて色々説明してくれました。「ここらのイモは紅丸といって見ての通り赤いイモなんだよ。澱粉を取るためのイモなので食べてもほくほくして美味しいよ!収穫後はまっすぐでんぷん工場に行くから市場に出回ることは無いけどとても美味しいよ、さあ食べてごらん」
ちょうど昼時だったので皆でパクパク食べました。茹でイモ、焼イモ、すり鉢ですり下ろしたイモ団子、デザートはいもからとった澱粉の澱粉ガキ。ご夫婦は農業体験と採れたてを味わって大満足でした。
叔父はいもを送ってあげるからとご夫婦の住所を聞いて後日いもやとうきびなどたくさんの野菜を宅急便で送ってくれたそうです。ご夫婦から後から聞いた話ですが、ジャガイモの収穫時期になると毎年叔父からいもが届いたそうです。すでに叔父は他界しているためもう途絶えているでしょうが、御夫婦にはとても印象に残る体験をしてもらえたと思っています。



北海道は白夜?

夏至の頃の北海道は本当に日が長いです。
札幌泊だったあるグループのエピソードです。
札幌市内のホテルに送り届けた際に「運転手さん!ススキノも案内して下さい」と言われました。
私は久しぶりの帰宅なので丁重にお断りしましたが「費用は出すから風俗に連れて行って欲しい!!」と心揺れる誘いでしたが、明日の行程もきついし心を鬼にして振りきって帰宅しました。
翌朝ホテルに迎えに行くと「北海道には夜が無いんですね!!」と言われびっくりしました。
よくよく話を聞くと、夜7時頃ススキノに行って3件飲み歩き朝3時半に帰ってきたそうです。
その間同じ飲食店ビルの中にいて帰るまで一度も外には出なかったそうです。
今頃の北海道は夜7時半か8時頃まで明るく、朝3時頃には明るくなります。つまり暗い時間帯はビルの中にずっと籠っていたので、夜が無いと勘違いしたようです。
お客さんがあまりにも興奮していたので私はイタズラ心で「そうですよ!今は白夜の時期ですから」と言いました。お客さんは妙に納得したように感激していました。「白夜か!噂には聞いてたけど初めて体験した!!」とたいへん嬉しそうでした。
冗談だとも知らずにこのお客さんは帰ったらきっと白夜の自慢話をするのだろうなと考えると笑いが止まりませんでした。
日本最東端の地、根室ならもっと日の出が早いので白夜体験も容易にできるでしょう。
白夜は別にしても、明るくなるまで飲み歩いていると焦りますよ!罪悪感にさいなまれて悔みます。
ヤンチャだった若いころは夏に限らず何度も白夜体験をしましたが、今は品行方正な生活なので懐かしい想い出です・・・。
今では歳のせいか目が覚めるのが早く朝5時には活動を始める自称「5時から男」です!!




道東観光 6

身体は夏の暑さに馴れようとしているのに、ここ2・3日は気温が上がらず朝晩はストーブが恋しい日が続いています。我が家はすでにストーブをしまったので、エアコンで暖を取っています。

えりも岬ルートと分岐した、日高町門別まで戻り、R237を進み峠越えルートで十勝に向かってまいります。
ここから日高町までは約60km、約1時間のドライブです。
富川の交差点から500m程で日高自動車道の終点ICです。沼ノ端東ICまでは社会実験の無料区間です。日高自動車道は北海道縦貫自動車道苫小牧東ICから分岐し浦河に至る延長約 120kmの一般国道の自動車専用道路です。 現在では日高自動車道のうち苫小牧東 ICから日高門別ICまで開通しております。日高道は高 規格幹線道路(一般国道の自動車専用道路)(一般国道235号)であるため、この先浦河までは現在も工事中です。
10kmほど進むと平取町の市街です。平取はアイヌ語「ピラウトル」(ガケの間にある所)から出たもの。もう季節は終わりましたがすずらんの群生地として知られています。また、義経神社がある義経公園はつつじの花の名所です。道内有数のブランド牛、平取和牛が町の特産品です。町内の食堂や焼き肉店、平取温泉の食事処等で味わうことができます。
市街地を抜けて沙流川を渡ると二風谷(ニブタニ)です。二風谷アイヌ文化博物館をはじめ、アイヌ人として初めて国会議員になった萱野茂氏のニ風谷アイヌ資料館、アイヌ生活風俗研究のために二風谷に移住し、研究のかたわら医者としての奉仕活動に生涯を捧げた英国人考古学・人類学者のニール・ゴードン・マンロー博士の記念館があります。
R237は二風谷を過ぎて沙流川を右に左に見ながらやがて岩知志ダムを過ぎて竜門橋を渡ると日高町に入ります。竜門橋の下は沙流川がごう音をたてて激しく流れる轟渓谷を形成しており、秋は紅葉スポットで、日高竜門岩内園地としてドライブインがありましたが、札幌方面からの主要国道が樹海ロード(R274)に切り替わって以降は交通量がめっきり減ったため今は閉園しています。
直進すると間もなくR274との交差点があり、右折すると日高町市街、日勝峠を越えて十勝に入ります。この交差点角のガソリンスタンドを逃すとこの先しばらくGSは無いので要注意です。

このコースではR237を直進し、占冠村、トマム、狩勝峠から十勝に向かいます。日高の交差点を過ぎるとなだらかな上り坂が続きます。15km程で道東自動車道占冠IC、更に進むと占冠市街です。看板通り右折して約30km先のトマムに向かいます。途中南富良野方面との分岐を右折し、道道136号を進みます。この先トマムまでは、なかなかのワインディングロードが続くのでバイクが猛スピードで対向してくることがあります。また、並行して流れる川の渓流美についつい目が行ってしまうので交通事故には十分お気を付け下さい。やがて左手に視界が開けトマムリゾートのランドマーク、4本の高層タワーホテルが見えてきます。1987年の開業時はホテルオークラ系のアルファリゾートトマムでしたが、現在は星野リゾートが営業を引き継ぎました。厳冬期にはマイナス20度にも下がる寒冷地のため、道内屈指のパウダースノーのスキー場としてスキーヤー・スノーボーダーに人気のゲレンデです。夏はゴルフ場もあり、また、通年利用できる温水プールは全長80m、横30mの日本最大級の超大型スケールの造波プールがある滞在型の大型リゾート施設です。
1981年に開通したJR石勝線にはこのリゾートのためにトマム駅が設けられ、次の新得駅近くに有るサホロリゾートと札幌とを結ぶトマムサホロエクスプレスというリゾート列車が運行されていました。ちなみにトマム駅と次の新得駅までの間隔が33.8kmあり、JRの駅として最も間隔が長い区間です。
また、道東自動車道も開通しトマムICの完成により、札幌方面からも道東方面からもアクセスが良くなり至便なリゾート地として改めて注目されています。
我々ドライバーはお客さんとのトラブルを避けるため、近くに他の宿が無い場合を除いて客と同じ宿に宿泊することは有りません。殆どの観光地にはドライバー専用の宿が有るのですが、トマムには民間の宿泊施設はペンションが一軒あるのみなので他社や観光バスの運転手と同室相部屋になることがしばしばありました。(残念ながらバスガイドさんと相部屋になることはありません)
相部屋にならなくてもガイドさんと仲良くなって道を踏み外す運転手仲間もいましたが、幸か不幸か私にはそんなチャンスは巡ってきませんでした。

今日はここまでにします。皆さんも星野リゾートトマムでリゾート気分を味わって下さい!!



ドライブはカーナビ派?地図派?私は勘ナビ派!!




近頃はカーナビの発達でドライブがたいへん楽になりましたよね。皆様はカーナビ派ですか?それとも昔ながらの地図派でしょうか?
私は北海道なら殆ど経験だけで走れます。
運送屋時代に千葉県市川市まで引越しで行ったことが有ります。出発前に下調べして道順を頭に叩き込んで地図を持たずに行きました。もちろん営業用の軽トラックにはカーナビなど付いてません。フェリーで大洗に上陸後、勘を頼りにひたすら走って無事に到着しました。
引越し終了後、用事があったので東京日本橋に行くことにしました。もちろん車で東京に行くのは初めてです。日本橋が日本の道路原票だと聞いたことがあるので、「すべての道は日本橋に繋がっている」と勝手に解釈して、勘ナビを駆使してどうにか日本橋に辿り着きました。
帰りは国道4号線を水戸まで走り大洗に無難に到着しました。我ながら勘ナビ恐るべしと思った瞬間でした。しかし今は内地で運転する時は地理がわからないのでもっぱらカーナビが頼りです。マイカーで時々性能を試すためカーナビを使うことがありますが、遠回りの道に誘導されることがたまにあるので「お前より俺のほうが詳しいんだぞ!」とイライラすることがよくあります。だから私はカーナビは必要ありません。でも最新のカーナビは渋滞情報や速度違反の取締情報、オービスやNシステムの場所も教えてくれます。しかし犯罪者ではないのでNシステムの情報は必要ないですね。それでも上手く使いこなすとそれなりに便利です。

タクシーの場合営業区域内の地図を携行しなければ違反になるので車にはいつも地図は積んでいました。地図通りに走って失敗したことも何度かあります。某証券会社の依頼で社員とお客さんを乗せて苫小牧西IC近くのゴルフ場に行った時、帰りも使うのでゴルフ場で待機してました。待ち時間が暇なので何気なく地図を見ていると苫小牧西IC近くから樽前山を迂回して支笏湖に抜けられる近道を見つけました。まだ通ったことのない道だという興味と、昼ご飯に支笏湖名物のチップ(ヒメマス)料理が無性に食べたくなり、その道を走って支笏湖に向かいました。しかし舗装道路は途中で途絶え、林道の様なとんでもない未舗装の道路が現れました。とても客を乗せて走れる道ではないことがわかったことが収穫でした。当然冬期間は通行止めになります。
他にもプライベートでドライブ中に同じような経験をしました。家族旅行でトマムに行った帰り、地図で占冠村からニニウを通って穂別町に抜ける近道を見つけたので走ってみました。ここはもちろん未舗装ですが、ラリーファンが喜びそうな砂利道のダートコースでした。ここもやはり客を乗せては通れません。しかもこの一帯はヒグマが出没する地帯です。
同じく芦別市野花南から美瑛町美馬牛までの道も同じようなダートコースでした。ここは富良野市や中富良野町、上富良野町をショートカットして一気に美瑛町まで行ける魅力的な近道に見えます。実際ラベンダーシーズンの6・7・8月には富良野周辺は大渋滞で身動きが取れなくなることがあるので、この道に逃げ込む車がかなりいます。
もう1カ所のダートコースはなかなかお勧めです。足寄町オンネトーから足寄町螺湾(ラワン)に抜ける道があります。6・7月のふきの季節になるとこの沿線にラワンブキという巨大な蕗(北海道新聞より) が自生します。茎の太さが6〜8cm、高さは人間の背丈を越えて2mを越えるものもあります。
ラワンブキは北海道足寄町と北方領土の国後島、択捉島などロシアの一部にしか自生しない世界的にもたいへん希少なものです。また、足寄町特産の農産物なのでたとえ道端で採ったとしても収穫すると怒られるので鑑賞に留めておいて下さい。
地図派の皆さん、地図上では道幅や舗装状態まで判断できません。特に山間部は生活圏ではないので携帯電話も圏外だと思って下さい。途中、交通事故や土砂崩れや雪崩に巻き込まれても連絡方法は無いと考えたほうが良いでしょう。つまり遭難です。特に知床や大雪山系、道南の大千軒岳周辺はヒグマの生息地です。「♪ある〜日、森の中、♪クマさんにであ〜った♪」なんてことにもなりかねません。
くれぐれも地図を過信せず、むやみに近道を探さないほうが良いでしょう。人生と同じです!!



道東観光 5




札幌まつりも今日が最終日ですが、昨日までの二日間の雨で畑も多少潤った様です。
我が家の畑の夏野菜たちも元気に天に向かって枝を伸ばし始めました。やはりとまとやきゅうりも水道水より自然の雨のほうが元気になるのでしょうか?北海道はいよいよ夏に向かってまっしぐらです!!

春のみならず初夏も何も無いえりも岬を後にして十勝方面に向かって行きましょう。

◆黄金道路◆R336襟裳町庶野(しょや)から隣町・広尾町への約30キロメートルの国道は、急峻な大地が連続して海に迫る壮観な風景です。海岸まで切立った断崖絶壁の難所の開削には長い月日と黄金(こがね)を敷き詰めるほどの巨額の費用が投じられてきました。黄金(おうごん)道路の由来です。今でも強風やしけの日には波が防波堤を越えて道路まで達するため危険なので通行止めんなることがしばしばあります。

◆豊似湖◆日高管内で唯一の自然湖です。形が馬の蹄に似ていることから「馬蹄湖」とも呼ばれ、また、ハートの形から「ハートレイク」とも愛称されています。周囲1キロメートル、水深は最深部18メートル、森の中の静寂な湖です。近年CM等で紹介されたことからカップルの間で人気スポットとなっています。湖の周辺には、氷河期の生き残りといわれる「ナキウサギ」の生息が確認されています。えりも岬からR336を帯広方面に向かい20kmほど進むと左手に「豊似湖」と書かれた小さな看板が見えてきます。他に大きな看板は無いので見落とさないように気を付けてください。国道から湖まではほとんど未舗装のためスピードの出しすぎには注意してください。意外と交通量は多いですよ!!

R336を更に進むと十勝管内に入ります。最初の町が広尾町です。広尾町にはかつて音調津(おしらべつ)鉱山があり、金が採掘されてゴールドラッシュに沸いた時期がありました。また広尾は日本で唯一、本場ノルウェーが直々に認めた正式なサンタランドがあり、一年中クリスマスムードに包まれています。
また、広尾には十勝最大の十勝港があり、日本の食糧生産基地十勝を背後圏にしている十勝港は、昭和45年に重要港湾の指定を受け、長年の悲願であった関税法に基づく開港が平成11年に実現しました。また、植物検疫法の指定港にもなり、十勝の特性を生かした農畜産物の低コスト化・高品質化に欠かせない飼料用原料をはじめ、農業関連資材などを直接十勝港に荷揚げし、安定供給を目指し、農業王国・十勝に必要不可欠な『アグリポート』の役割を果たしています。

広尾市街を過ぎると浦河から分岐したR236と合流します。1km程は重複して走りますがR336は右に折れて旧忠類村(現幕別町)を経由して、十勝川を渡り、豊頃町でR38と合流して釧路方面に向かいます。

一方R236は左方向に道なりに進み、更別村を過ぎて中札内村に入ります。中札内に入るとすぐに「花畑牧場」の大きな看板が見えてきます。ご存じタレントの田中義剛の観光牧場です。生キャラメルが人気となり大ブレークしましたが、店舗展開を急ぎすぎたせいかあっという間にブームは去ってしまいました。新千歳空港では買い求める観光客が連日大行列を作っていましたが、並ばなくても容易に手に入るようになってからはブランド価値が希薄になってしまったのでしょうか?生キャラメルも美味しいですが、私のお進めはカチョカバロチーズとホエー豚の豚丼が絶品でした。
田中義剛は北海道酪農学園大学の学生時代から芸能活動をしていましたが、大学ではしっかり勉強をして念願だった酪農の道に進んだのですね。タレント活動はそのための手段だったと自身も語っていました。

中札内の次は十勝の中心都市帯広市です。「♪幸福行きを 二枚下さい 今度の汽車で 出発します♪」旧国鉄広尾線の愛国駅・幸福駅はR236の沿線に程近いところにあります。70年代、幸福駅は2駅隣の愛国駅とともに、「愛の国から幸福へ」のキャッチフレーズで一大ブームとなり、今でも観光客が絶えません。帯広市議会では、廃線後もこの区間だけ列車運行することを協議しましたが、全経費を市が負担しなければならないことから見送られました。木造の古い駅舎には、人々が幸せの願いを込めて貼った写真や切符、名刺がびっしり貼られています。

更別村から帯広市大正地区にかけてのR236沿線には多くのクワの木が生い茂っています。ここでアイヌ人と和人との交易に関する逸話が有るので紹介します。

アイヌ人は狩猟で得たシカ肉や鮭などで和人(日本人)と物々交換の交易を行っていました。しかし、数の数え方がよくわからなかったアイヌ人に対して和人は卑怯な取引を平気で行っていました。たとえば鮭の数を10匹数える時に「最初の一匹」「最後の一匹」などと水増しして10匹のところを12匹供出させてかすめ取ったりしていました。こうした不正に対する不平がやがて前述したような『シャクシャインの戦い』などの戦争へと発展したのですが、この辺りのアイヌ人は実に痛快に逆に和人を騙して?仕返しをしたのでした。
あるときアイヌの長老が和人に借金を頼みました。返済期限はクワの葉が全て枯れ落ちる頃までと決めました。しかし秋が来て他の木々の葉は全て枯れ落ち、雪の季節になっても長老は一向に返済しませんでした。
実はクワの葉は茶色く枯れても枝から落ちないのです。風雪で枯れ落ちるものは有っても全てが枯れ落ちること無く殆どの葉は枝に留まっているのです。だから長老が「全てのクワの葉が落ちる頃までに返済する」と言ったのは無期限、つまり返さないということだったのです。
毎年の自然の摂理を熟知した長老ならではの痛快な逸話です。

帯広の中心部は札幌同様碁盤の目に区画整理されたわかり易い街並みです。
R236はR38と合流します。直進すると音更町、士幌町、上士幌町、足寄町を経由して阿寒湖方面に向かいます。このルートはいずれ案内します。
この旅は後発ルートと合流してR38を幕別町、池田町、豊頃町、浦幌町、釧路市へと進んで行くので今しばらくお待ちください。えりも岬ルートの旅はこれにて終りになります。次は日高門別からトマム〜狩勝峠〜十勝へとご案内するのでお楽しみに!!


十勝の魅力



今日から札幌では北海道神宮例大祭(さっぽろ祭り)です。昔から北海道神宮祭は大きな節目の時になります。道内の企業では、お祭りを前に夏のボーナスが支給され、学校や企業の制服がお祭りを境に夏服に変わる季節です。
そもそも北海道神宮は開拓神社として北海道の開拓当時樺太・千島に進出を進めていたロシアに対する守りということで、大鳥居が北東(鬼門の方角)を向いている珍しい神社です。
主祭神として、大国魂神(おおくにたまのかみ)、 大那牟遅神(おおなむちのかみ) 、少彦名神(すくなひこなのかみ) 、明治天皇(めいじてんのう) 、のほか北海道開拓の功労者である間宮林蔵・依田勉三らが合祀されています。

●ジンクス●
札幌市中央区にある三吉神社の例祭(5/15)が晴れると神宮祭は雨、三吉さんが雨なら神宮祭は晴れるというジンクスが有ります。今年の三吉さんは晴れだったので、ジンクスが見事に的中して今日の札幌は朝から弱い雨が降っています。


十勝地方に入る前に予め十勝について予習しておきましょう。

「十勝」という地名は、管内を流れる十勝川をさすアイヌ語「トカプチ」からといわれています。それは「乳」を意味し、川口が二つ乳房のように並んでいることに由来しています。

 十勝川が日高山脈を背景として悠々と流れる姿は十勝の象徴でもあり、延長156km、 北海道第3位の長さを誇り(石狩川268km・天塩川256km)、十勝川水系には平野を潤す大小200あまりの河川が流れ込む、まさに十勝の母なる川です。

北海道の開拓が、食料確保と北の守りという目的のもと官主導で進められる中で、十勝の開拓は、明治16(1883)年に静岡県から入植した晩成社をはじめとして、 富山、岐阜など本州からの民間の開拓移民により進められました。先人たちは、山深い自然や大雨で氾濫する十勝川と立ち向かい、不屈のチャレンジ精神で幾多の困難を乗り越え、少しずつ畑を開いていったのです。
以来130年余り、十勝は寒冷な気象条件にありながらも、恵まれた土地資源を活かし、近代技術の導入や土地基盤整備を進めながら、農業を主要産業として栄えてきました。

十勝管内は、1市16町2村で構成され、 日本最大の食料基地としての役割が期待されています。

畑作や酪農を中心とした農業が非常に盛んで、北海道一の畑作地帯である。広い耕地に機械を活用した大規模農業が発達している。大豆、小豆、甜菜、じゃがいもなどの有数な産地である。カロリーベースの食料自給率は 1100 %(約400万人分)に達する。まさに日本の食糧庫と言っても過言ではありません。
乳製品や食肉、小豆製品などは「十勝産」を売り文句や商品名に盛り込んでいるものが多く、世界の十勝ブランドとなっていて、海外にも多く輸出されています。また、菓子の材料となる砂糖(甜菜)や小豆の産地であるため製菓業も盛んであり、六花亭、柳月など全国的にも有名な菓子メーカーを多数擁しています。
十勝開拓の礎を築いたのが依田勉三です。
北海道の開拓は明治新政府の官主導によるところが大部分ですが、ここ十勝地方は依田勉三が民間会社晩成社を立ち上げ、明治16年にはじめて民間として入植しました。あまりにも過酷な環境の中で失敗を重ねながらも常に新たな挑戦を続け、十勝の大地にフロンティア精神を残しました。
北海道の人々には今尚、官依存型ともいえる文化・風習が根付いてますが、ここ十勝にだけは誰にも頼らない独立した民間文化が定着しています。それが多くの十勝ブランドを輩出した原動力と言えましょう。


十勝には火山や大きな湖など北海道を代表するような際立った観光地が有るわけではありませんが、先人達が苦労して開墾した畑地が立派な観光資源になっています。肥沃で真っ黒な畑の土、黄金色に輝く麦畑、白く可憐な花を咲かす蕎麦やジャガイモ畑等々、季節によって移り変わる魅力満点の風景が楽しめます。

そしてもうひとつ、この肥沃な大地から生まれた農産物等のいわゆる十勝グルメが大きな魅力です。



ゼニガタアザラシ



道東観光もようやくえりも岬まで辿り着きましたが、昨日このようなニュースが報道されていました。
【毎日新聞 2013年05月15日 00時23分】
北海道えりも地域で深刻な漁業被害をもたらしている絶滅危惧種のゼニガタアザラシについて、環境省は調査捕獲(殺処分)による個体数管理の中止を決め、14日、地元の漁業関係者などに伝えた。捕獲による被害軽減を狙っていたが、効果を示す科学的データが不足しているなどとして方針転換した。漁師らは「被害があるのだから捕獲すべきだ」と反発している。
 えりも地域では現在約600頭が生息し観光資源となる一方、サケ定置漁業の被害額(11年度)は襟裳岬周辺だけで約3000万円に上る。環境省は地元からの要請を受けて12年4月、保護管理計画を策定する検討会を設置。今年度までに、40頭を上限に刺し網と銃による調査捕獲や音波による追い払い実験などを決めていた。
 えりも町で開かれた説明会では、環境省の担当者が「絶滅危惧種として保護してきたものを減らすには慎重を期す必要があり、捕獲の効果を明らかにしなければならない」と説明。漁師らからは「我々の事は誰が考えてくれるのか」と憤りの声が上がった。
また石原環境大臣は「絶滅危惧種を保護するのは環境大臣としての責務である」とコメントしている。

種の保存か、漁業者の保護か、難しい議論ですが、この海域がゼニガタアザラシの南限の生息地であるということから、世界中がこの判断に注目していることは間違いありません。



道東観光 5



一般的に「北海道には梅雨が無い」と言われています。実際この時期は日本海側の積丹沖辺りに高気圧が停滞することが多いため、梅雨前線が津軽海峡を越えられないため梅雨の影響はうけにくくなるのです。しかし津軽海峡に近い道南の函館などは「エゾ梅雨」と言って梅雨によく似た天気が続きます。ところがここ数年はこの高気圧がオホーツク海側まで押し出されるようになって、道南のみならず札幌を含めた道央も梅雨の影響の様な天気がしばしばみられます。以前の札幌の6、7月の平均降雨量は70mm程度しか有りませんでしたが、ここ最近は多少多くなっている様です。これも地球温暖化の影響なのでしょうか?


新冠町の観光名所は町のHPでご確認ください。市街地に入ると右手に道の駅「レ・コード館」が有ります。ここで一息入れて再びえりも方面に進み市街地が切れてすぐ左手に新冠温泉レ・コードの湯 の看板が見えてきます。左折して丘を登ると広々とした駐車場とログハウス風の建物が有ります。



この温泉の露天風呂から望む太平洋が絶景で、夕日が大きなスクリーンに映し出されたような大迫力です!!日本中探しても太平洋に
沈む夕日を眺められる温泉は、西伊豆辺りとこの日高辺りしかないでしょう!貴重な体験が出来る希少なスポットです。ホテルの食事も地の食材をふんだんに使って、十分満足できる内容でした。
支配人は札幌の老舗ホテルに勤務されていたので、そのつてで腕の良い料理人を連れて来たのでしょうか?

新冠町を過ぎるとすぐ隣が旧静内町(三石町と合併し、現新ひだか町) です。
静内の入口にあたる東静内海岸は日高沿岸では数少ない海水浴場です。日高海岸は大部分が砂浜ですが、波が荒く遠浅が少ないため海水浴には向いていません。
静内には二十間道路と呼ばれる桜の名所が有名です。美しい桜が直線で7kmにもわたって咲き誇る一本道、二十間道路。そのスケールは、日本屈指で、左右の並木の幅がちょうど二十間(約36m)あることから、二十間道路と呼ばれるこの通りは、日本を代表する桜の名所として「日本の道百選」、「桜の名所百選」などにも選ばれています。そもそもは、かつてこの地にあった宮内省の御料牧場を視察する皇族の行啓道路として造成されたのがはじまり。1916(大正5)年から3年をかけて近隣の山々の桜が移植されました。5月にはこの美しい桜をひとめ見ようと、全国各地から毎年20万人もの花見客が詰めかけます。
また静内町は新冠と並んでサラブレットの生産牧場が多く馬主やジョッキー達がたくさん訪れるため、人口に対する飲み屋の数が日本一多いため、昼間はのどかな街も夜ともなると賑やかな街に変貌します。

静内にはアイヌと和人との悲しい戦いの歴史も存在します。
静内町真歌のシャクシャイン記念館ではその悲しい歴史に触れることができます。

★シャクシャインの戦い★
全道のアイヌを率い、和人と戦ったアイヌ民族の英雄シャクシャイン。銅像の建つ真歌公園は、そのシャクシャインが1669(寛文9)年、「寛文九年蝦夷の戦い」で最後の砦とした場所です。蝦夷の戦いとは、交易時の不平等に怒りを募らせたアイヌの長シャクシャインが、全道のアイヌに呼びかけ一斉に蜂起した争い。一時は道南地方(現・長万部町国縫)まで攻め寄ったものの、松前藩の鉄砲隊に徐々に後退。最期は和議の申し出という口実のもとに謀殺され、砦も焼き払われたと伝えられています。

静内市街を過ぎて三石町に入る手前の春立海岸は砂浜の多い日高沿岸では珍しい干潟になっており、潮干狩りが盛んな海岸です。

三石町は日高昆布(三石昆布)のお膝元と言っても良いでしょう。


三石町の次の浦河町は日高管内(日高振興局)の行政の中心地です。中心部はしっかりとした都市計画によって生まれ変わった新しい綺麗な街並みが続きます。
またこの先のえりも岬から広尾町に通じる海岸線(通称:黄金道路)は海岸線ぎりぎりを切り開いて造った道路のため、嵐で海がしけると波しぶきをもろにかぶり危険なため、しばしば通行止めになってしまいます。そのため物流トラックなどはえりも岬を避けて、浦河から山越えで広尾町に抜ける天馬海道(国道236号線)を通行します。

浦河町の次は様似町です。様似町には「北海道の背骨」と呼ばれる日高山脈の東端の名峰アポイ岳(811m)が観光名所です。「アポイ岳高山植物群落」として国の特別天然記念物に指定され、1981年には日高山脈襟裳国定公園の特別保護区となりました。標高が低いわりに、特殊な岩体のため森林が発達せず、「蛇紋岩植物」が生育する高山植物の宝庫として有名で、花の百名山に数えられる名峰です。

様似町を過ぎるといよいよえりも町です。

北の街ではもう 悲しみを暖炉で
燃やしはじめてるらしい
理由のわからないことで 悩んでいるうち
老いぼれてしまうから
黙りとおした歳月を
ひろい集めて 暖めあおう
襟裳の春は 何もない春です
(襟裳岬:吉田卓郎作詞・作曲、歌:森進一)

もの悲しい歌詞に裏打ちされるかのように、えりも町の市街地はあっけなく通り過ぎてしまいます。
国道は大きく左に旋回してゆきますが、岬へは直進です。
岬に近づくにつれて背の高い樹木が少なくなっているのに気がつくはずです。この辺りは一年中強風が吹き付けるため樹木が大きく育たないのだそうです。
えりも岬はゼニガタアザラシの南限の生息地で、岬の先の岩礁でほぼ一年中観察することができます。

なにはともあれ無事えりも岬に到着しました。次は十勝地方に入ります。


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