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2014年11月08日
鯉の泳ぐまち 湧水庭園「四明荘」
鯉の泳ぐまち 湧水庭園「四明荘」 (夏の家族旅行 その4)
島原は古くから「水の都」といわれており、中でも新町一帯は特に湧き水が豊富で、地面を50センチメートルも掘ると湧き水が出てくるそうです。
地域の町内会が中心となって、町内の清流に紅白、三色、黄金等の錦鯉が放流され、地域住民の方々によって美しくたもたれています。
鯉の泳ぐまちには、豊かな湧水を利用して造られた独特の景観の近代の住宅庭園があります。
庭内には、沸々と湧き出る大小の池が3つあります。
この建物は、四方の眺望に優れることから、四明荘と呼ばれ、水屋敷として市民に親しまれてきた庭園の一つです。
主屋は明治後期に建築され、庭園は禅僧を招いて作庭したものだそうです。
屋敷は、正面と左側面の二方に池に張り出す形で縁を廻しており、一段高い座敷から庭園を見下ろすような形は、座敷と庭園が一体となった景観を形成しています。
また、居室棟裏手に位置する四角形の池には、四つの中島があり、表の池水庭園とは趣が異なります。
池底はいずれも砂敷き、水は透明で護岸はごく低い石積で造られ、池の中には、沢飛石が配置されています。
大変暑い日でしたが、冷たいお茶をサービスしていただき、縁から足をたらして錦鯉を眺めていると、暑さも忘れ動きたくなくなってしまいました。
島原は古くから「水の都」といわれており、中でも新町一帯は特に湧き水が豊富で、地面を50センチメートルも掘ると湧き水が出てくるそうです。
地域の町内会が中心となって、町内の清流に紅白、三色、黄金等の錦鯉が放流され、地域住民の方々によって美しくたもたれています。
鯉の泳ぐまちには、豊かな湧水を利用して造られた独特の景観の近代の住宅庭園があります。
庭内には、沸々と湧き出る大小の池が3つあります。
この建物は、四方の眺望に優れることから、四明荘と呼ばれ、水屋敷として市民に親しまれてきた庭園の一つです。
主屋は明治後期に建築され、庭園は禅僧を招いて作庭したものだそうです。
屋敷は、正面と左側面の二方に池に張り出す形で縁を廻しており、一段高い座敷から庭園を見下ろすような形は、座敷と庭園が一体となった景観を形成しています。
また、居室棟裏手に位置する四角形の池には、四つの中島があり、表の池水庭園とは趣が異なります。
池底はいずれも砂敷き、水は透明で護岸はごく低い石積で造られ、池の中には、沢飛石が配置されています。
大変暑い日でしたが、冷たいお茶をサービスしていただき、縁から足をたらして錦鯉を眺めていると、暑さも忘れ動きたくなくなってしまいました。
2014年10月30日
高尾山 そば 嵐
朝、テレビを見ていたら、今年は紅葉が綺麗だと特集していました。
ふと、子供が去年高尾山に行って紅葉が綺麗だったと話していたのを思いだしたので、天気もよかったので、急遽、高尾山に聞くことに。
高尾山に行くのは生まれて初めてでしたので、電車にするか、車で行くか調べていたところ、圏央道に高尾山ICがあったので車で行くことにしてみました。
11時30分過ぎの出発でしたが、我家からは、なんと渋滞がなければ1時間弱で行くことができちょっと驚きました。
意外と早く高尾山駅周辺に到着しましたが、駐車場が少なく、平日にも係わらず駐車するのに少々手間取りました。
土日は車で行くのは止めた方がいいかもしれません。
まずは腹ごしらえ。
高尾山駅周辺は蕎麦屋さん多いと電車の中刷りでは見た記憶がありましたが、お薦めのお店を調べずに出かけたので商店街をしばらく散策。
「自然薯蕎麦」の看板が目に入ったので、「栄茶屋」に入ってみることにしました。
「自然薯蕎麦」と「季節の野菜天ぷら」と「椎茸フライ」を注文。
お酒を飲んでいる人も結構いましたが我慢。お酒は帰ってからの楽しみにとっておいて、早速ケーブルカーで山頂に向かうことにしました。
日本一勾配のきついケーブルカーで、座っていても勾配のきついところでは手摺に摑まりたくなります。
高尾山のもみじ祭りは、11/1〜11/30だそうで、山頂まで行きましたが、まだ時期が早かったようです。
ケーブルカーを降りて、樹令450年のたこ杉の前を通り、女坂登って行くといい臭いがしてきました。
いい臭いをさせていたのは「ごま団子」。
ゴマ団子を堪能して、そこからしばらく行くと「薬王院」に到着。
「薬王院」はお寺だと思いつつも、神社の御札が賽銭箱の前に納められた場所があったので、「二礼二拍手一礼」でお参りしてちょっと恥ずかしい思いをしてしまいました。
さりながら、それぞれのお堂で都合のいいお願いをたくさんして帰ってきました。
珍しいと思ったのは、「かなうわ」と「おくとぱす」
「おくとぱす」は、お堂の前に三方に乗った蛸が置かれています。
蛸を持ち上げて、三方に置くと、「置くとパス」で合格祈願だそうで、鈍いのかわかるまでしばらく時間がかかってしまいました。
山頂には鮮やかなもみじが一本。とりあえず紅葉を楽しむことができました。
11月の終わりにもう一度行ってみようと思っています。
ふと、子供が去年高尾山に行って紅葉が綺麗だったと話していたのを思いだしたので、天気もよかったので、急遽、高尾山に聞くことに。
高尾山に行くのは生まれて初めてでしたので、電車にするか、車で行くか調べていたところ、圏央道に高尾山ICがあったので車で行くことにしてみました。
11時30分過ぎの出発でしたが、我家からは、なんと渋滞がなければ1時間弱で行くことができちょっと驚きました。
意外と早く高尾山駅周辺に到着しましたが、駐車場が少なく、平日にも係わらず駐車するのに少々手間取りました。
土日は車で行くのは止めた方がいいかもしれません。
まずは腹ごしらえ。
高尾山駅周辺は蕎麦屋さん多いと電車の中刷りでは見た記憶がありましたが、お薦めのお店を調べずに出かけたので商店街をしばらく散策。
「自然薯蕎麦」の看板が目に入ったので、「栄茶屋」に入ってみることにしました。
「自然薯蕎麦」と「季節の野菜天ぷら」と「椎茸フライ」を注文。
お酒を飲んでいる人も結構いましたが我慢。お酒は帰ってからの楽しみにとっておいて、早速ケーブルカーで山頂に向かうことにしました。
日本一勾配のきついケーブルカーで、座っていても勾配のきついところでは手摺に摑まりたくなります。
高尾山のもみじ祭りは、11/1〜11/30だそうで、山頂まで行きましたが、まだ時期が早かったようです。
ケーブルカーを降りて、樹令450年のたこ杉の前を通り、女坂登って行くといい臭いがしてきました。
いい臭いをさせていたのは「ごま団子」。
ゴマ団子を堪能して、そこからしばらく行くと「薬王院」に到着。
「薬王院」はお寺だと思いつつも、神社の御札が賽銭箱の前に納められた場所があったので、「二礼二拍手一礼」でお参りしてちょっと恥ずかしい思いをしてしまいました。
さりながら、それぞれのお堂で都合のいいお願いをたくさんして帰ってきました。
珍しいと思ったのは、「かなうわ」と「おくとぱす」
「おくとぱす」は、お堂の前に三方に乗った蛸が置かれています。
蛸を持ち上げて、三方に置くと、「置くとパス」で合格祈願だそうで、鈍いのかわかるまでしばらく時間がかかってしまいました。
山頂には鮮やかなもみじが一本。とりあえず紅葉を楽しむことができました。
11月の終わりにもう一度行ってみようと思っています。
2014年10月27日
島原武家屋敷
島原武家屋敷 (夏の家族旅行 その3)
島原城の西に続く一帯は、鉄砲町と呼ばれています。
鉄砲町は島原城の築城とともに形成され、鉄砲町の名は鉄砲組の住居地帯であったことと、造成当時隣家との間に塀がなく、まるで鉄砲の筒の中を覗くように武家屋敷街が見通せたので、その名がつけられたと言われているそうです。
町筋の中央に流れる清水は、北西の「熊野神社」を水源とし、飲料水として使われ、水奉行を置き、厳重に管理されていたそうです。
昔は、碁盤の目のような7つの町筋に、扶持取り70石以下の徒士屋敷が690戸あったということですが、今保存されているのは、下の丁の武家屋敷で、延長406.8メートル、幅長5.6メートルの町並みで、山本邸、篠塚邸、鳥田邸の3軒が一般に無料開放されていました。
武家屋敷休憩所で、「かんざらし」ののぼり?
どんな食べ物か試しに食べてみました。
白玉粉で作った小さな団子を「島原の湧水」で冷やし、蜂蜜、砂糖等で作った特製の蜜をかけたデザートです。
暑い時期、ちょっと疲れを取るのにはいい感じです。
島原城の西に続く一帯は、鉄砲町と呼ばれています。
鉄砲町は島原城の築城とともに形成され、鉄砲町の名は鉄砲組の住居地帯であったことと、造成当時隣家との間に塀がなく、まるで鉄砲の筒の中を覗くように武家屋敷街が見通せたので、その名がつけられたと言われているそうです。
町筋の中央に流れる清水は、北西の「熊野神社」を水源とし、飲料水として使われ、水奉行を置き、厳重に管理されていたそうです。
昔は、碁盤の目のような7つの町筋に、扶持取り70石以下の徒士屋敷が690戸あったということですが、今保存されているのは、下の丁の武家屋敷で、延長406.8メートル、幅長5.6メートルの町並みで、山本邸、篠塚邸、鳥田邸の3軒が一般に無料開放されていました。
武家屋敷休憩所で、「かんざらし」ののぼり?
どんな食べ物か試しに食べてみました。
白玉粉で作った小さな団子を「島原の湧水」で冷やし、蜂蜜、砂糖等で作った特製の蜜をかけたデザートです。
暑い時期、ちょっと疲れを取るのにはいい感じです。
2014年10月24日
島原城 雲仙普賢岳 平成新山
島原城 雲仙普賢岳 平成新山 (夏の家族旅行 その2)
島原城は、「森岳」と呼ばれた小高い丘を利用して築かれたので別名を森岳城とも言います。
南北に連なる連郭式平城で、外郭は周囲約4kmの長方形で塀をめぐらし、城門が7か所、平櫓が33か所、内郭には堀にかこまれた本丸・二の丸を設け、その北に松倉重政の居館である三の丸という造りだったそうです。
本丸には安土桃山式建築の粋を集めた総塗り込めの五層の天守閣をはじめ、3か所に三層櫓がそびえ立つ豪壮堅固な城構えだったそうです。
子の勝家は島原の乱の責任を問われて所領没収・断罪となりました。
昭和39年に,天守閣、巽の櫓、丑寅の櫓が復元され,現在はキリシタン史料館(天守閣)、北村西望記念館(巽の櫓)、民具資料館(丑寅の櫓)などに利用されています。
なかでもキリシタン史料館には、有名なキリシタン大名有馬晴信(ドン・プロタシオ)時代に盛んであった南蛮貿易時代から、宣教時代・禁教時代・弾圧時代と続き、島原の乱関連の資料が展示されていました。
訪れた時、着物や鎧や刀等を身に着けて写真を撮ってもらうイベントを行っていました。
また、くの一に扮した女性が、とても親切に、写真撮影をしてくれたり、お勧めの観光コースやお食事処を紹介してくれました。
天守閣からは平成新山を望むことができます。
平成新山は、1991年5月20日から5年間ほど続いた溶岩の噴出により成長した山で、日本で 一番新しい溶岩ドームです。
この溶岩ドームは粘性の高いデイサイト質の溶岩で,わき出し場所を変えては斜面上に張り出し,先端が崩落を起こし、その結果,火砕流が繰り返し発生し、尊い人命がたくさん奪われたそうです。
雲仙普賢岳火砕流の発生状況(平成3年)
https://www.youtube.com/watch?v=r0gFFJUsIrE
島原城は、「森岳」と呼ばれた小高い丘を利用して築かれたので別名を森岳城とも言います。
南北に連なる連郭式平城で、外郭は周囲約4kmの長方形で塀をめぐらし、城門が7か所、平櫓が33か所、内郭には堀にかこまれた本丸・二の丸を設け、その北に松倉重政の居館である三の丸という造りだったそうです。
本丸には安土桃山式建築の粋を集めた総塗り込めの五層の天守閣をはじめ、3か所に三層櫓がそびえ立つ豪壮堅固な城構えだったそうです。
子の勝家は島原の乱の責任を問われて所領没収・断罪となりました。
昭和39年に,天守閣、巽の櫓、丑寅の櫓が復元され,現在はキリシタン史料館(天守閣)、北村西望記念館(巽の櫓)、民具資料館(丑寅の櫓)などに利用されています。
なかでもキリシタン史料館には、有名なキリシタン大名有馬晴信(ドン・プロタシオ)時代に盛んであった南蛮貿易時代から、宣教時代・禁教時代・弾圧時代と続き、島原の乱関連の資料が展示されていました。
訪れた時、着物や鎧や刀等を身に着けて写真を撮ってもらうイベントを行っていました。
また、くの一に扮した女性が、とても親切に、写真撮影をしてくれたり、お勧めの観光コースやお食事処を紹介してくれました。
天守閣からは平成新山を望むことができます。
平成新山は、1991年5月20日から5年間ほど続いた溶岩の噴出により成長した山で、日本で 一番新しい溶岩ドームです。
この溶岩ドームは粘性の高いデイサイト質の溶岩で,わき出し場所を変えては斜面上に張り出し,先端が崩落を起こし、その結果,火砕流が繰り返し発生し、尊い人命がたくさん奪われたそうです。
雲仙普賢岳火砕流の発生状況(平成3年)
https://www.youtube.com/watch?v=r0gFFJUsIrE
2014年10月22日
島原 竜馬
島原 竜馬 (夏の家族旅行 その1)
夏バテで写真の整理が億劫になり、纏めるのが遅くなりましたが、
誰も期待してないか!
夏の家族旅行記です。(私の備忘録と言うのが正解かも!)
それでは、はじまり〜はじまり〜
昨年、子供が就職して、すぐに福岡、佐賀へと赴任していましたので、
陣中見舞いを兼ね、今年も九州へ家族旅行をすることにしました。
昨年はお盆の頃に出かけていったのですがハイ・シーズンということもあり、
懐に痛い旅行になってしまったので、今年は時期をづらして、
8月の下旬に行くことにしました。
ところが、タイミングの悪いことに、子供に東京転勤の辞令が出てしまい、
旅行の出発日には、東京着任の日となってしまいました。
転勤前の家族旅行にできればと思っていたのですが、
スケジュール調整がうまくいかず残念な結果となってしまいました。
とは言え、楽しみにしていた旅行ですので、いざ出発!
昨年は、福岡を基点にして長崎のハウステンボスまで足を伸ばしましたが、
移動に思った以上に時間がかかったので、今年は長崎から観光し、
福岡から帰るコースを設定してみました。
空港でレンタカーを借り、初日は、島原、雲仙方面に向かうことにしました。
お昼には島原につく予定でしたが、思いのほか時間がかかったので、
朝早かったこともありみんなお腹が空いていたところに
「揚げたて天ぷらあります。」の看板。
看板に引き寄せられ入ってみたところ、島原の「天ぷら」と言うのは、
「さつま揚げ」のこと。
種類が豊富で、試食しているうちにお腹がかなりふくれてしまいましたが、
まだ島原城下まで距離があるということでしたので、
揚げたて天ぷらの盛合せを買って車の中で摘んで行くことに。
夏バテで写真の整理が億劫になり、纏めるのが遅くなりましたが、
誰も期待してないか!
夏の家族旅行記です。(私の備忘録と言うのが正解かも!)
それでは、はじまり〜はじまり〜
昨年、子供が就職して、すぐに福岡、佐賀へと赴任していましたので、
陣中見舞いを兼ね、今年も九州へ家族旅行をすることにしました。
昨年はお盆の頃に出かけていったのですがハイ・シーズンということもあり、
懐に痛い旅行になってしまったので、今年は時期をづらして、
8月の下旬に行くことにしました。
ところが、タイミングの悪いことに、子供に東京転勤の辞令が出てしまい、
旅行の出発日には、東京着任の日となってしまいました。
転勤前の家族旅行にできればと思っていたのですが、
スケジュール調整がうまくいかず残念な結果となってしまいました。
とは言え、楽しみにしていた旅行ですので、いざ出発!
昨年は、福岡を基点にして長崎のハウステンボスまで足を伸ばしましたが、
移動に思った以上に時間がかかったので、今年は長崎から観光し、
福岡から帰るコースを設定してみました。
空港でレンタカーを借り、初日は、島原、雲仙方面に向かうことにしました。
お昼には島原につく予定でしたが、思いのほか時間がかかったので、
朝早かったこともありみんなお腹が空いていたところに
「揚げたて天ぷらあります。」の看板。
看板に引き寄せられ入ってみたところ、島原の「天ぷら」と言うのは、
「さつま揚げ」のこと。
種類が豊富で、試食しているうちにお腹がかなりふくれてしまいましたが、
まだ島原城下まで距離があるということでしたので、
揚げたて天ぷらの盛合せを買って車の中で摘んで行くことに。
2014年05月20日
草津温泉
2014年05月14日
那須の最終日
2014年03月31日
明日明後日軽井沢に家族を連れて行きます。
明日明後日軽井沢に子どもたちとおばあちゃんを連れて行きます。去年は小田原でさくらを楽しみ三島でさくらを楽しみ桜三昧でした。でも移動時間が我が家からではかかるので今年は移動時間の短いところへ行くことにしました。さくらも温泉も去年のように期待できませんが女性陣はアウトレットで盛り上がっています。明日また実況報告をします。