午前中、国道沿いの歩道を走る。
ときどき後ろを振り返って妻の姿を確認する。
帽子も被らず、髪を乱し、赤い顔をした妻は自転車を漕いでいる。
万世は駅から徒歩で40分くらいのところにある。
それなら自転車で行こうということになった。
本屋を過ぎると、牛の絵が描かれた看板が見えた。
「あそこに止めよう」
僕は駐車場の隅を指さす。
自転車を並べていると、ふいにカラスのなき声がした。
見上げると、電線にとまった黒くて大きいカラスがこちらを窺っている。
不吉な。
カラスの声を聞くたび、誰か亡くなったのかと僕は思う。
店のドアを押して中に入ると、暖かい空気が体をつつむ。
「お二人様でしょうか?」
はい、と答える。
「おタバコはお吸いになりますでしょうか?」
「吸わないです」
妻と視線を合わせながら言う。
「では、こちらにどうぞ」
窓際に案内される。
窓の外は国道が見え、道路を挟んだ向こうにトンカツ屋がある。
そちらの駐車場は満車状態だった。
もうすぐ昼になるのに、こちらの客は数人しかいない。
「何にしよーか」
嬉しそうに妻が訊く。
「んー、やっぱり、鉄板焼きかな」と僕。
「でも、他のメニューも見てみようか」
妻は横に置いてあるメニューを広げる。
どれもこれも、うまそうなステーキの写真。
「へえー、ステーキ、五千円とかするんだ」
妻は儚げにつぶやく。
「やっぱ、鉄板焼きランチ」
妻のきっぱりした声がして、僕は顔を上げる。
「よし、それにしよう」と同意。
メニューを閉じて、呼び鈴を押す。
すぐに店の人が来る。
鉄板焼きランチを二つ注文する。
「ご飯はおかわり自由です」と店員。
ほのかな湯気とともに、香ばしい匂いが立ち昇る。
たれを焼肉にかけると、鉄板がぐつぐつと音を立てる。
やはり、肉は熱くなけりゃうまくないよな。
箸を動かし、僕は切り落としの牛肉を口に入れる。
唇に触れた牛肉が熱くて驚く。
「それがさー、きいてよ」
僕は涙目になって、妻の顔を見る。
妻の友人がガスコンロを買った。
それはセンサーとかマイコンとか機能満載で、使いこなすための講習会を催された。
魚、肉、野菜などの食材を使って料理を作り、その料理の食事会も兼ねている。
友人に誘われて、妻も参加したそうだ。
「食べるのを楽しみで行ったのに、参加者が大勢で、ちょっとしか食べれなかったよ」と妻は頬を膨らます。
「でも、全部美味しかったよ。特にアスパラと魚が」
魚を焼いた後に、トーストを焼いても美味しく焼けたと感激している。
僕はうんうんと相づちを打って、氷の入ったコップを変な角度から当てて、痛みのある唇を冷す。
妻の声がしなくなったので、そっと顔を上げる。
妻はずっと僕の妙な行動を見ていたようだ。
しばらくして、「油の温度なんか----」と僕については何も言わず、ガスコンロの話は続く。
油を揚げる温度が、いつも一定の温度に設定できるのは凄い。
優れた道具を使えば、誰でも簡単にフランス料理を作ることは夢ではない気がする。
まあ、プロの料理人なら、道具を選ばなくても旨い料理が作れるだろうけれど。