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2021年11月30日
日本のお家業が〔韓国企業〕に取って代わられる!
日本の〔お家芸〕が「韓国企業」に取って代わられる!
世界で通用し無く為ったコレだけの理由
11/29(月) 15:16配信
※写真はイメージです iStock.com Oleksii Liskonih 11-29-6
文章 法政大学大学院 教授 真壁 昭夫 11-29-7
サムスン電子の姿勢に学ぶべき事は多い
今、我が国は、国を挙げて新しい産業を育成する必要が在る。我が国の経済は、世界経済の速い流れに十分に対応出来て居ないからだ。特に、我が国産業の依存度が高い〔自動車のEVシフトへの遅れ〕は深刻だ。
韓国では、サムスン電子が米国で大規模な半導体工場の建設を発表した。同社は、加速化する世界経済の環境変化に迅速に対応し、最先端分野での成長実現により強く取り組もうとして居る。又、サムスンSDIは車載バッテリーの生産能力を世界各国で引き上げる。
その姿勢に我が国企業が虚心坦懐に学ぶべき事は多い。サムスングループ(サムスン)は、事業ポートフォリオに占める〔脱炭素〕と〔デジタル化〕と云う2つの集合の共通集合を極大化し、世界経済の〔メガチェンジ〕を成長加速に繋げ様として居る。
我が国に必要な事は〔今在る強みに磨きを掛けて脱炭素やデジタル化分野で新しい需要(モノやサービス)を創出する企業を増やす事〕だ。その為には、民間企業の取り組みに加えて、政府が最先端分野での個人や組織の取り組みを依り積極的にサポートする事が欠かせ無い。
それが〔自動車一本足打法〕と揶揄(やゆ)される程、自動車への依存度が高まった我が国経済の先行きに決定的な影響を与える。
再エネ利用の遅れも自動車産業に打撃を与える
1990年代初めに資産バブルが崩壊して以降、我が国経済は自動車、特にハイブリッド車(HV)の生産に依存して景気を持ち直して来た。しかし、それは徐々に難しく為り始めて居る。
先ず、世界経済全体で脱炭素が加速し、エンジンを搭載した自動車の利用を減らしてEVへと移行する国が増えて居る。EV生産は、デジタル家電の様な〔ユニット組み立て型〕に移行し、我が国企業の強みで在る〔擦り合わせ技術〕の重要性は低下する。
それに伴って、我が国が裾野の広い自動車産業の構造を維持する事は難しく為り、所得・雇用環境は不安定化する恐れが在る。自動車依存の我が国に取って再生可能エネルギー(再エネ)利用の遅れも深刻だ。
欧州では洋上風力発電の増設等に依って、カーボンニュートラルなバッテリーやEVの生産体制が強化され、ライフ・サイクル・アセスメントや炭素の国境調整の導入も目指される。しかし、2030年度時点で我が国の電源構成の19%が石炭火力と見積もられて居る。それは国内での自動車生産にマイナスの影響を与えるだろう。
日本が環境変化に対応出来ない深刻な理由
デジタル化の遅れも深刻だ。我が国には、米中の様な大手ITプラットフォーマーが見当たら無い。それは、昨年の特別定額給付金の手続き混乱に加えて、ワクチン接種証明アプリの開発が遅れた主たる要因だ。デジタル化の遅れは自動運転やネットとの接続性等自動車のイノベーションにもマイナスだ。
何故、これ程迄に我が国経済全体で環境変化への対応の遅れが深刻化したか。一つの要因として、1990年代初頭の資産バブル崩壊後に我が国全体で過度なリスク回避の心理が強まった影響は大きい。
リスクを恐れる余り、我が国の政府も企業も個人も、競争原理の発揮に依る成長期待の高い分野での取り組みを強化する事よりも、その時々の雇用を守ろうとするマインドが強まった。その状況が長く続いた結果として、我が国全体が世界経済の環境変化に取り残された様に見える。
既存事業⇒成長産業へ資源を配分して来たサムスン
我が国企業とは対照的に韓国では、脱炭素とデジタル化への対応を強化して更為る成長を目指そうとする企業が多い。我が国企業に取って韓国企業から学ぶべき事は多い。 特に、韓国最大の財閥で在るサムスンの組織運営力は示唆(しさ)に富む。
サムスンは、世界経済の環境変化を機敏に捉えて、既存事業から成長期待の高い最先端分野へダイナミックに経営資源の再配分を行う経営体制を構築して来た。
ポイントは、過去の成功体験に浸る事無く、常に貪欲に成長の実現に取り組む〔アニマルスピリット〕だ。脱炭素分野ではサムスンSDIが、スマートフォン等民生用のバッテリーや蓄電用バッテリーに加え、車載バッテリーの生産能力を世界規模で急速に強化して居る。
具体的にはハンガリーでEVバッテリーを生産し、米国ではイリノイ州で工場建設が検討されて居る。米フォード・新規株式公開を果たしたEVスタートアップのリヴィアン・更にはステランティス等が同社から車載バッテリーを調達する。
個々人に徹底した成果主義と実力向上を求める
デジタル化に関する分野では、サムスン電子がファウンドリ(半導体の受託製造事業)を強化する。11月24日にはテキサス州での半導体工場の建設が発表された。特に重要なのが、次世代の回路線幅3ナノメートル(ナノは10億分の1)のロジック半導体の生産が目指される事だ。
より微細な半導体生産技術の確立と、その歩留(ぶど)まり向上で台湾積体電路製造(TSMC)に後れを取る同社としては、半導体サプライチェーンの強靭化を目指す米国政府の支援を取り込んで最先端の半導体生産ラインを確立し、台湾積体電路製造・TSMCとのシェア格差を縮めたい。
サムスンは既存分野での事業運営体制の維持よりも、より成長期待の高い分野に迅速・且つ競合他社に引けを取ら無い規模で投資を実行する事を重視して居る。中長期的な展開を考えると、その事業戦略は相応の成果をもたらす可能性が高い。
成果の実現の為に、サムスンは徹底した〔成果主義〕を貫き〔個々人に実力向上〕を求める。我が国企業に取って、そうした組織運営力に見習うべき点は多い。
比較優位性の在る内に新しいモノ・サービス創出を
我が国は自力で経済成長を目指す最後のチャンスを迎えて居る。現時点で、我が国企業が強みを維持して居る分野は在る。但し、残された時間は余り長く無い。我が国の物流企業は近距離利用を目的に中国企業が生産するEV導入を発表し、自動車メーカーは国内の需要を取り溢(こぼ)し始めた。
HV技術を磨いた自動車産業に次ぐ新しい産業育成は喫緊の課題だ。本邦企業に必要な発想は、素直に世界経済のメガチェンジに対応する事だ。
例えば、バッテリー分野で我が国企業は比較優位性を維持して居る。その一方で欧州では再エネ由来の電力供給が落ち込んだ。中長期的に世界全体で脱炭素は加速する。再エネと蓄電池を組み合わせた電力システムの供給に依って、我が国企業は脱炭素を成長に繋げる事が出来るだろう。
この様に、企業は強みを活かして世界の課題を解決する新しいモノやサービス創出を目指すべきだ。その上で、単独での海外進出等が難しい場合には、積極的に国内外の企業との提携が模索されると好い。成長の実現は、人々に新しい取り組みを促し、より効率的な事業運営を支える。
日本に取って最後のチャンスかも知れ無い
新しい産業育成の為に、政府は〔規制改革〕や先端分野での〔民間企業への支援〕を急が無ければ為ら無い。海外に目を向けると、米国政府等が半導体等の先端分野で補助金を依り重視し、世界経済のゲームチェンジが加速して居る。
我が国政府は主要国に見劣りし無い規模で規制改革や最先端分野での研究開発支援等を進め、民間企業の新しい取り組みをサポートし無ければ為ら無い。
そうした取り組みが加速するか否かが、中長期的な我が国経済の展開に決定的な影響を与える。自動車に依存した経済構造が続けば、我が国経済はコレ迄以上のスピードで縮小均衡に向かう恐れが在る。
その場合、過つての本邦半導体産業が経験した様に、我が国のバッテリー等の専門家が好待遇で海外企業に引き抜かれ、技術が海外に流出する恐れが在る。そうした展開を防ぐ為にも、我が国は総力を挙げて新しい産業育成に取り組ま無ければ為ら無い。
真壁 昭夫(まかべ・あきお) 法政大学大学院・教授 1953年神奈川県生まれ 一橋大学商学部卒業後第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行 ロンドン大学経営学部大学院卒業後メリル・リンチ社ニューヨーク本社出向 みずほ総研主席研究員 信州大学経済学部教授等を経て、2017年4月から現職 11-29-8
【管理人のひとこと】
我が国は韓国に対して、歴史的に謂れの無い可笑しな優越感を持って居る。自分でも恥ずかしく思って居るから決して表には出さずに控えて居るのだが、例えば韓国の個人所得が日本を追い抜いた・・・との話を聞くと露骨に嫌な顔をするし、この文章の様に〔サムスンに学べ〕との有難い忠告にも素直な気持ちで頷く人は多くは無いだろう。
コロナのワクチン接種率は韓国が多少高いのだが、彼の国は現在は異常な勢いで感染が拡大して居る。日本の減少も韓国の拡大も何れも科学的な解析・説明は付か無いと云う。だから何れ我が国も異常拡大の恐れを覚悟する必要は在る。
我が国が今の様な経済的ジリ貧の状況に置かれたのは、理由はハッキリして居る。それは、政府の長期的経済政策の失敗だ。25年も続くデフレに対する政策が何も無されず、高所得者や富裕層への配慮に追われ、困窮する国民には自助を求める冷たい政策が続く。アベノミクスと浮かれた言葉は掛け声だけの、一つの実績も得られ無い完全な失政で終わった。
アベノミクスで得られたのは、労働環境の激悪化と円安による輸入材の高騰・日銀による株高の維持だけで、為政者の友達・仲間企業や富裕層・高所得者の利益の為の、住み好いルール変更・規制改革等の国造りに励んだだけ。その間に韓国を初め諸外国は、着実に一歩一歩努力し国民の個人所得の向上に努める。
それは為政者が国民の声を聴き努力した結果だった。が、我が国は夫婦別姓も出来ず男女雇用平等もママ為らず、女性衆院議員の比率は1割を切る・・・何等進歩無い25年を徒に無駄に費やしただけだった。
それを変革する為に、何か形在る目標を持てと真壁昭夫氏は助言する。硬直した政府やエリート官僚での上から目線の目標を作る時代は既に終わった。政府が陥る、無数の諮問会議や研究組織では無く、民間と国際感覚の優れた有識者で〔日本再出発〕のシンクタンクを創設し、若い年代を中心に新たな価値観で物事を成し得る時代へと変貌して欲しい・・・と。それには韓国企業にも学ぶ様に謙虚な心で、多くの国民が目覚め無ければ何事も為さ無いのだと。
TVドラマ〔日本沈没〕が示す様に、アラユル難題が降り掛かるのだが、国民一丸と為れば何とか生き残れる時代は作れる。そう遣って我が国は再生した経験が過去に在るのだと。
「与党が仕掛けたトロイの木馬?」反共発言を繰り返す 芳野友子・連合会長
反共発言を繰り返す芳野友子・連合会長は
「与党が仕掛けたトロイの木馬」 ネットに呆れる声!
11/29(月) 16:32配信
連合の芳野友子会長(C)日刊ゲンダイ 11-30-1
<有権者と党員に支えられた公党を連合の私物と勘違いして居るのではないか?>
<立憲を内部崩壊させる為に与党が仕掛けたトロイの木馬!>
ネット上でコンナ声が出て居るのが「連合」(日本労働組合総連合会)の芳野友子会長だ。芳野会長は会長就任直後から、衆院選で立憲民主党と日本共産党が共闘した事を激しく批判。
28日に出演したBSテレ東の番組でも「連合と共産党の考えが違う。立民と共産党の共闘は在り得無いと言い続ける」と言い、更に来夏の参院選に向けた連合の活動方針では野党共闘に一定の理解を示しながらも「考え方の違う共産党が入るのはチョット考え無ければいけ無い」と、改めて共産党に対して強いアレルギー反応を示して居た。
立憲が共産党等と一緒に作り上げた〔野党共闘〕に依って、自民党の現職幹事長等を小選挙区で落選に追い込んだのは紛れも無い事実で在り実績だ。
芳野会長はそうした功績も否定して居る訳で「連合と共産党の考えが違う」ので在れば、先ずは連合組織内で共通認識を得る手続きを踏んだ上で、何がどう異なって居るのかをキチンと説明し、違うので在れば両者で刷り合わせる努力をするべき。
それコソが熟成された民主主義と云うものだろう。自公政権誕生後、労働者の権利が今程脅かされて居る時代は無い。今コソ、労組連合体の代表として「労働者の為に戦いたい」と云うメッセージを真っ先に打ち出すべき時なのに、我儘一杯に育てられた駄々っ子の様に「兎に角、嫌なものは嫌なの」とばかり、感情を露にして個人的な反共発言を繰り返して居る事が果たして労働者全体の為に為るのか。ネット上でも
<ハイハイ。もう好いから、連合は労働組合としての役割に集中して!>
<政治活動に付いてアレコレ言う前に労働環境の改善に対して取り組んで下さい>
<貴女の共産党嫌いと云う私憤に労働者を巻き込むな!>
との書き込みが目立つのも当然ではないか。「会長とは考えが違うから協力し無い」今後、連合傘下の労組で組合員からコンナ声が上がるのも時間の問題だ。
【管理人のひとこと】
管理人も昔中小企業の労働組合の執行委員を5〜6年程務めた経験が在る。その企業は、経営者の御用組合と云われる程会社側が〔組合活動〕を応援し協力的だった。執行委員長を経た者を組合員として中央単産の役員へしたり村長・町長・市議・県議等に為るべく企業毎応援したりした。
過去に単産の役員から連合の役員と為った人が居たか如何かは知ら無いが、会社側が組合活動を最優先する組織と為って居て、経営者は地域の名士で在り〔組合活動に理解ある経営者〕として何度か勲章を授与された。
当時の連合は〔悪夢の民主党政権〕を誕生させた最大の組織だった。旧民社系の流れを汲む非共産組織で在ったが反共産では無かった筈だ。この頃は既に組合活動の組織率は低迷して居たが、社員に為ると同時に組合員に為る決まりが在り、組合役員が経営会議にも参加する・・・その点は近代的な組合組織だった。
連合の前の委員長時代から極端に組織としての力が減少し、時には経団連の下部組織の様な発言が続く。労働者の立場や現状から目を背けた組織・・・これは労働界の役員の或る種の貴族的な行為で在り、労働者に対する敵対的行動だろう。組織が崩壊するのは、全国の組織の組合費を収める組合員の意思から離れる行動・・・この様なトンチンカンな発言を繰り返す役員が存在する・・・今正に腐敗が始まったのだろう。
何故これ程不必要に〔反共!〕と叫ぶのか? 連合から追われ、自民党から参院選に出る事前運動なのかも知れ無い。そう疑われても可笑しく無い余りにも不自然な言動だ。
2021年11月29日
清水寺も法隆寺も 実は「マイナー仏教教団」の寺院である事をご存じか?
清水寺も法隆寺も 実は「マイナー仏教教団」の寺院である事をご存じか?
11/26(金) 11:16配信
※写真はイメージです 写真 iStock.com SeanPavonePhoto 11-2610
現在、日本国内の仏教には156もの宗派(包括宗教法人・仏教系新宗教を含む)が存在する。仏教教団(宗派)が淘汰の時代を迎えて居る。日本の仏教は曹洞宗や浄土宗・日蓮宗と云った宗派毎に分かれて居るが、小規模な宗派や一部の仏教系新宗教は消滅の危機に瀕して居る。
ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳さんは「小規模な宗派や一部の仏教系新宗教は、消滅の危機に瀕して居る。特に、地方都市に末寺が多く分布する宗派は将来的に存続が危ぶまれ、他の宗派等に〔合併・吸収〕される可能性も在る」と云う。日本の仏教宗派の現状と未来予測をして観たい・・・
浄土宗僧侶 ジャーナリスト 鵜飼 秀徳
少子化社会で確実に到来する「仏教宗派の淘汰」
日本の仏教は1,500年の歴史の中で、多数のセクトに分かれて来た。仏教教団勢力の流れを説明すると、可成りヤヤコシイ事に為るので此処では極簡単に説明する。
宗派の始まりは、鎮護国家を目的とした〔南都六宗・・・三論(みろん)・成実(なみ)・倶舎(くしゃ)・法相(ほうしょう)・華厳(けごん)・律(りつ)〕と云われて居る。南都六宗は、学問研究が主で在り衆生救済が目的では無かった。その為次第に衰退して行った。現在では法相宗・律宗・華厳宗の3宗しか残って居ない。
平安時代には遣唐使を務めた〔最澄が天台宗〕を〔空海が真言宗〕を開き現在の宗派の基盤を造った。奈良時代に登場した役行者(えんのぎょうじゃ)が始めた修験道が各地で信仰される様に為ったのもコノ頃で在る。
鎌倉時代に為って比叡山で学んだ〔法然が浄土宗〕を、その弟子の〔親鸞が浄土真宗〕〔日蓮が日蓮宗〕を開宗し、入宋した〔栄西が臨済宗〕〔道元が曹洞宗〕を伝えた。教科書にも載って居る所謂〔鎌倉新仏教〕で在る。
これ等の伝統仏教教団は、江戸時代に入るとホボ分派の動きが止まる。明治時代に入って信教の自由が発せられると宗派再編が活発化する。1939(昭和14)年に〔宗教団体法〕が発足する迄〔13宗56派〕が存在した。
例えば臨済宗は天龍寺派や相国寺派・建仁寺派等14派に分かれて居た。だが、戦時下での宗教統制を目的とした宗教団体法が施行されると、基本的には「1宗祖1宗派」と為り、浄土真宗等一部例外の教団は在ったが〔計28宗派〕に統合される。
戦後は憲法の定める「信教の自由」に依って、再び多くの包括宗教法人が誕生して行く。戦後間も無い頃の新宗教教団の乱立の様子は「神々のラッシュアワー」と呼ばれた。現在〔156〕もの仏教宗派(包括宗教法人・仏教系新宗教を含む)が存在して居る。
因みに「新宗教」とは、幕末以降に成立した宗教勢力を指す。仏教系では、宗教団体法以前の〔13宗56派〕を〔伝統仏教教団〕とし、それ以外の新興勢力を〔新宗教〕と位置付ける事が多い。
敢えて教団名を挙げ無いが、一見、伝統仏教教団風の宗派名を掲げて社会的な信用が在る様に見せつつ、強引な入信勧誘や霊感商法を行って居る仏教系新宗教も在るので注意して貰いたい。
奈良の法隆寺も京都の清水寺も 実はマイナーな宗派だった
伝統仏教教団の内、最大の宗派が〔曹洞宗〕だ。末寺1万4,593カ寺を抱える。次いで〔浄土真宗・本願寺派〕が1万250カ寺。更に〔真宗大谷派〕が8,624カ寺〔浄土宗〕7,008カ寺〔日蓮宗〕5,138カ寺と続く。多くの教団を生み「日本仏教の母山」として知られる〔天台宗〕は3,323カ寺に留まって居る。
因みに著名な寺院で云えば、聖徳太子が拓いた奈良の〔法隆寺〕は〔聖徳宗〕と云うマイナーな宗派だ。戦後の「神々のラッシュアワー」の時代に〔法相宗〕から独立した。聖徳宗傘下の寺院は24カ寺しか無い。
京都の観光名所〔清水寺〕も戦後〔法相宗〕から1965(昭和40)年に独立し〔北法相宗〕を名乗った。包括する寺院は僅か8カ寺だ。清水寺は日本でも最も古い宗派の一群〔南都六宗〕を起源に持つとは云え、実は新しい包括宗教法人傘下なのだ。
更に大仏で知られる〔東大寺〕 は南都六宗の一つ〔華厳宗〕を受け継いで居る。同宗は108カ寺で在る。鑑真が拓いた〔唐招提寺〕を総本山に持つ〔律宗〕は現在28カ寺に過ぎ無い。唐招提寺の知名度は高いが教団の規模は可成り小規模で在る。
こうした小規模教団の内、地方都市に末寺が多く分布して居る教団は将来的に存続が危ぶまれる。何故なら、過疎化に依って寺院が護持出来無く為り、空き寺が増える事が予想されるからだ。
数千カ寺もの末寺を抱える大教団傘下の寺院で在れば、仮に無住(住職不在)化したとしても近隣の同門寺院の住職が兼務し護持する事は可能に為る。だが、空き寺を兼務する同門寺院が近隣に無い小規模教団の場合、空き寺=廃寺」と為る可能性が在る。
地方の人口減少が加速すれば、無住寺院(空き寺)が増えるのは必然。私は2040年には現在の全国7万7,000カ寺が5万カ寺程に減少する可能性が在ると指摘し続けて居る。こうして小規模教団は勢力をドンドン失って行く。
或る時点で、浄土系なら大手の浄土宗や浄土真宗本願寺派等、密教系なら真言宗等に、臨済系なら最大派閥の臨済宗妙心寺派などに「合併・吸収」されて行くであろう。
伝統仏教教団で将来的にも安泰なのは〔曹洞宗〕〔浄土宗本願寺派〕〔真宗大谷派〕〔浄土宗〕〔日蓮宗〕〔高野山真言宗〕〔臨済宗妙心寺派〕〔天台宗〕〔真言宗智山派〕〔真言宗豊山派〕の10宗派位だろうか。とは云え、特に曹洞宗や高野山真言宗は、過疎地に多くの末寺を抱えて居り勢力の減退は否め無い。
例えば同じ臨済宗でも「〇〇派」に細かく枝分かれして居る
又、浄土真宗や臨済宗・真言宗・日蓮宗はセクトが細かく分かれて居る。参考迄に臨済系に例を取れば、以下の様に細かい派に分かれて居る。
【臨済宗】妙心寺派3,341カ寺、建長寺派407カ寺、円覚寺派210カ寺、南禅寺派424カ寺、方広寺派168カ寺、永源寺派129カ寺、佛通寺派51カ寺、東福寺派366カ寺、相国寺派111カ寺、建仁寺派69カ寺、天龍寺派102カ寺、向嶽寺派61カ寺、大徳寺派199カ寺、國泰寺派34カ寺、興聖寺派9カ寺
尚、近年、末寺(布教所・教会等を含む教団施設)の数を急激に減らして居るのが、次に挙げる仏教系宗教団体で或る。此処25年間の経年変化を文化庁が発行している「宗教年鑑 1995(平成7)年版」と「2020(令和2)年版」を基に比べて観た。
この中には伝統仏教教団の真言宗醍醐派や天台宗から独立した妙見宗等が含まれるが、多くが近代に為って発足した新宗教である。カリスマ性を持った教祖が昭和初期に独自の新宗教団体を設立させた。その最大の新宗教が、法華経信仰から生まれた霊友会だ。更に霊友会から独立したのが立正佼成会等である。
【天台系】石土宗 53⇒38カ寺、妙見宗 116⇒51カ寺、鞍馬弘宗 41⇒19カ寺
【真言系】真言宗醍醐派 1085⇒902カ寺、真言宗犬鳴派 311⇒80カ寺、真言宗鳳閣寺派 138⇒7カ寺、真言宗花山院派 6⇒2カ寺、光明念佛身語聖宗 236⇒59カ寺、真如苑 184⇒15カ寺、卍教団 485⇒86カ寺
【日蓮系】法華日蓮宗 39⇒19カ寺、在家日蓮宗浄風会 45⇒19カ寺、霊友会 3942⇒2801カ寺、妙道会教団 382⇒12カ寺、立正佼成会 690⇒605カ寺、思親会 190⇒69カ寺
【奈良仏教系】不動宗 11⇒5カ寺
宗教施設数の減少傾向を見る限り、新宗教も厳しい運営を迫られて居る様だ。新宗教の場合、戦後の高度成長期に於いて、菩提寺を持た無い分家筋や都会に出て来た核家族をターゲットにして勢力を拡大して来た。だが、近年の少子高齢化傾向に依って教団運営に赤信号が灯って居る。宗教再編の時代は、直ぐソコに迄迫って来て居る。
鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり) 浄土宗僧侶 ジャーナリスト 1974年生まれ 成城大学卒業 新聞記者・経済誌記者等を経て独立 「現代社会と宗教」をテーマに取材 発信を続ける 著書に『寺院消滅』(日経BP) 『仏教抹殺』(文春新書)近著に『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書) 浄土宗正覚寺住職 大正大学招聘教授 佛教大学・東京農業大学非常勤講師 (一社)良いお寺研究会代表理事 (公財)全日本仏教会広報委員など
【管理人のひとこと】
市井の人間は、普段の生活では宗教からは距離を置いて暮らして居る。しかし、特に熱心な信者は、宗教と共に生活して居る方々も居られよう。我が国では特に意識し無くとも寺社仏閣と関連した、暦と風習や行事も知らぬ間に日常に組み入れられて居る。
何か不幸な出来事があり、通夜や葬儀に参加した時に〔〇〇宗〇〇派〕と改めて自覚させられる事も在るが、直ぐに忘れてしまう・・・罰当たりだがソンな関係が多いだろう。日本の宗教を改めて教えられると「凄い歴史だな・・・」と感心はする。
この業界の内輪話は余り世間に公開されないが、何れも少子高齢化・過疎化から逃れるものでは無い。改めて我が国の政治的・経済的劣化が全ての縮小傾向を生み出し、日本の全国を覆う様に為ってしまった。25年の不実な政治の所為で在ろう。今後心して行動しなければ為らぬだろう。
2021年11月27日
居酒屋店主が見て来た 新橋サラリーマンの或る変化 「昭和には根拠の無い希望があった」
「昭和には根拠の無い希望が在った」
居酒屋店主が見て来た 新橋サラリーマンの或る変化
11/27(土) 12:16配信
※写真はイメージです 写真 iStock.com Peeter Viisimaa 11-27-3
2020年3月、東京・新橋で75年続いた居酒屋が閉店した。『蛇の新』2代目店主・山田幸一さんは「失われた30年でこの街は大きく変わった」と云う。街にドンな変化が在ったのか。ノンフィクションライターの石戸諭さんが描く・・・
※本稿は、石戸諭『東京ルポルタージュ 疫病とオリンピックの街で』(毎日新聞出版)の一部を再編集したものです。11-27-6
【写真】東京・新橋の居酒屋「蛇の新」界隈 11-27-4
■75年の歴史に幕を降ろした新橋の居酒屋
此処はJR新橋駅で在る。周辺も含めてビジネスパーソン達の憩いの場としても知られた街だ。私達が新橋と呼んで居る駅は、開業当初は「烏森駅・からすもりえき」と呼ばれて居た。誰が何時、そう命名したかと云うのはハッキリと判って居無いらしい。
新橋の一角にヒッソリと佇(たたず)む烏森神社に依れば、過つての江戸湾の砂浜で一帯には松林が広がり「枯州(かれす)の森」或いは「空州(からす)の森」と言われて居た。この松林には、烏が多く集まって巣を掛けて居た為、後には「烏の森」とも呼ばれる様に為ったと云う。
今は「森」の代わりにビルが林立し「烏」の代わりに働く人々が街を闊歩し、夜に為れば軒を連ねる飲み屋に足を運ぶ。1946年から彼(か)の地に75年続いた店が、その歴史に幕を閉じた。名前を「蛇(じゃ)の新(しん)」と云う。2020年3月27日・・・暖簾(のれん)を掲げる最後の日も、店主・山田幸一は何時もと変わらぬ仕込みを始めて居た。
カウンターの一角に目を遣るとザルが在る。アジに強めの塩を振りザルに並べて余分な水分を抜く。塩を水で洗い流し酢で締める。コウして刺身の盛り合わせに並ぶ一品が出来上がる。寿司屋では在るが、居酒屋としても利用出来るメニューが並ぶ店でも在り、会社帰りの客で賑わう。
■「失われた30年」で起きた変化
彼は東京に生まれ東京で育った。コノ街の変化も見続けて来た。会社員の街・新橋は平成で大きく変化したと云う。
「失われた平成の30年ですかネ。一番大きかったのは・・・先輩が後輩を連れて来て、後輩が又来て呉れるって云うサイクルが無く為ったヨ。此処の暖簾を守るだけで精一杯に為ってしまってね。元気な内に、常連の皆さんにサヨウナラが言いたかったんですよ。ズッと可愛がって貰って、有難うって」
生来、職人気質で在る幸一は、時々、へへへッと照れ隠しの様な笑いを挟みながらポツリ、又ポツリと語った。彼が体感から語った平成の変化は恐らくその通りで在る。
今からホンの30余年前・平成が始まったばかりの頃、会社員の所得は増えるのが当たり前だった。1990年、会社員の平均給与は425万円⇒翌91年は446万円⇒92年は455万円(民間給与実態統計調査)と信じられ無い幅で伸びて行く。
バブルが弾(はじ)け長期不況が始まった時でも、直ぐに下がる事は無かった。処が最新、2020年は433万円で止まって居る。幸一の言葉を聞きながら、私は或る大学教授から教えて貰ったエピソードを思い出していた。彼が教鞭を執るのは東京の名門私立大学で在る。平成も終わろうと云う時、就職活動を終えたゼミ生が言った。
「来年からサラリーマンです。新橋とかで酔っ払う事に為るんだろうナ」
恐らくゼミ生の頭に在ったのは、週末の情報番組でカメラに向かって管を巻くサラリーマンの姿だ。それを聞いた彼は冷たく言い放った。
「今の時代、新橋で飲めるだけで結構な勝ち組だよ!」
外から見れば勝ち組の街でも冷たい風が吹く。私も又、この停滞する時代しか知ら無い。私が知って居るリアルは、所得が伸び無ければ人に構う余裕は生まれ無いと云う事だ。
■戦後の新橋は闇市から始まった
戦後の新橋は未来を担う若者達が集う街でも在った。「蛇の新」は、新橋に立ち並んだ戦後の闇市から始まった。先代鐘幸は愛知・一宮市出身で、戦前に両親と死に別れ単身で東京に出て来た。彼も又未来を夢見た少年の一人だった。先代は八丁堀に在った魚屋「蛇の新」で自立の一歩を踏み出した。
この魚屋は、簡単な寿司も出して居たらしく鐘幸はソコで修業を積み、今の日本橋島屋の周辺で屋台の寿司屋を開く。仕入れは「蛇の新」で、魚に付加価値を着けるべく寿司を握った。商売の才覚も在った先代は、結婚をして八丁堀に家も構えた。ソコに生まれたのが幸一だった。
1945年3月10日の東京大空襲で家は焼けてしまったが、徴兵から帰って来た鐘幸は又商売を始める。新橋で露店を開いたのだ。転んでも只では起き無い男である。
終戦から間も無く、今も駅前に在るニュー新橋ビルを経営する新橋商事がバラックを建てると宣言し新橋周辺の整備計画に乗り出した。抽選で当たった露天商達を集めて、商店が並ぶエリアを作ると云う。鐘幸も申し込んだが外れてしまった。
処が、隣に居た露天商が本業に戻るからと言って入居の権利を譲って呉れた。1946年、新生「蛇の新」が誕生する。
「3坪位の小さな店でしたよ。親父(おやじ)は何でも作って居ましたネ。寿司屋って言っても、お米が手に入ら無かった時代ですからネ」
■夢を語り合う希望の場
当時、NHKが内幸町に在り近隣には東京新聞も在った。失明の危険性が在るメチルアルコールを平然と出す店もある中「蛇の新」では真面な酒が飲めると云う口コミが広がった。インフルエンサーに為ったのは、東京新聞で当時の人気小説家・富田常雄(代表作『姿三四郎』)を担当して居た記者だった。
富田が遣って来ると、評判を聞き着けた太宰治や坂口安吾が遣って来た。新聞小説で挿絵を担当する画家達も遣って来た。当時の活況をエッセイストの矢口純が記した文章を幸一が見せて呉れた。何かの雑誌に書いたものらしい。
1948年、婦人画報社に入社したばかりの回想・・・
「粗末な酒場に行くと、駆け出し記者の私にも一目で判る著名な作家・画家・写真家・音楽家・ジャーナリストが、それコソ目白押しに為って酒を飲んで居た。誠に壮観で在った!」
コノ「粗末な酒場」コソが「蛇の新」で、写真家の土門拳・江戸川乱歩に吉行淳之介と云った作家達が何故か同じ時間帯に居た夜を矢口は懐かしそうに書いて居る。画家達のネットワークに連為って若き日の岡本太郎も遣って来た。
鐘幸は若い表現者達に優しく、色紙を書いて貰う代わりに酒を一杯ご馳走した。店内に1952年11月6日に撮影したと云う写真と「TARO」のサインが入った絵画が並んで飾られて居る。
常連達と一緒に納まって居る岡本太郎と、彼がチョット紙を貸してと言ってササっと書いた「作品」だ。彼等に取って「蛇の新」は、夢を語り合う希望の場だった。
■右肩上がりの時代、人は大いに飲んだ
新橋駅前開発で駅前にビルが建つ事に為り、仮店舗として現在の烏森神社沿いの店がオープンする。1968年、幸一が店の従業員として働いて居た清子と結婚した年だ。清子は大阪・河内の商人の子供で、今の羽曳野市で育った。
「商売は嫌じゃ無かったネ。カウンターでお客さんの話を聞くのも、私は好きだったよ」
清子は、最後の一日も何時もと同じ様に、幸一とは対照的に大きな声で笑いながらカウンター越しにセイロで鶏シューマイを蒸し、フライパンで炒め物を仕上げて居た。続々と訪れる客の応対も手馴れて居る。
「昔の思い出?丁度結婚したばかりの頃かナ、三島由紀夫が来てたね。私が『アノ人、三島さんに似て居るね』って言ってたら本人だったの。お店に『三島先生はいらっしゃいますか?』って電話来てビックリしちゃったよ!」
店の並びには三島が常連だった料亭「末(すえ)げん」が在る。そこに行く前に立ち寄ったのだろうか。店の歴史が昭和史とリンクする。
「好く僕が思うのは」と、仕込み中の幸一が口を開く。「新橋は或る時迄、霞が関の城下町だったんです。国鉄と銀座線が通って居て、官庁が在る虎ノ門から新橋迄来易かったんですよ。官庁が在れば、営業だ何だでソコに民間の人達も通う様に為る」
人が集えば、オフィスが出来飲みに出る人々も増える。時代は右肩上がりで在る。彼等は大いに飲んだ。1980年代に入り、女性の社会進出が本格化すると女性をターゲットに「酎ハイ」が売り出され「蛇の新」にも女性が遣って来る様に為った。
■過つての新橋に存在した「無根拠な希望」
閉店が近付いて来た3月の或る日、隣に居た常連客がコンな話をして呉れた。2016年に勤めて居た印刷会社で60歳の定年を迎え、リタイア生活を謳歌して居ると云う男性で在る。新橋の思い出を聞くと、良くぞ聞いて呉れたとばかりに滔々と語って呉れた。
「バブルの時代は、此処でお腹を満たしてから別の店に行ったんですよ。ソコは旧大蔵省の官僚と銀行の担当者が来る店です。彼等の言葉に耳を済ますと景気動向が判る。此処で先を見極めて僕は株を買いましたネ。新橋で景気良く飲んで居る会社の株は当たり株。結構、儲(もう)けさせて貰ったナ。アノ感じ判ら無いでしょう?」
私はその話を苦笑交じりに聞く事しか出来無かった。2011年の東日本大震災と福島第一原発事故、そして2020年を直撃したコロナ禍でも痛感したが、人が財布の紐を緩める時は、未来への希望が何と無くでも在る時だ。ソコに確かな根拠は必要無い。
前の時代より、今の方が良くて、未来は更に良く為る・・・無根拠な希望がソコに在る時、人は大いに飲み、街に出て語り合う。1995年の阪神大震災とオウム真理教事件、2008年のリーマン・ショック、2011年そして2020年・・・賃金は上がらず数年毎に「歴史的な危機」が訪れる。その度に希望が見え無く為る時代には沈黙が蔓延(はびこ)って行く。
「誇りは『蛇の新』の暖簾を守ったと云う事です。三代目に継がせる事は出来無かったけど、僕は守りました。後は女房に感謝です。2人で喜びも悲しみも共有出来た」
幸一がシミジミとそんな話をして居た、と清子に告げると、彼女はクルリと幸一の方を向き「モッと感謝しろ!」と腰に手を当てて胸を張った。
■もうこんな日々は戻って来ない
最後の日、親子2代で常連だったと云う客は、父親の遺影と共に遣って来た。或る人は花束を持参し或る人は夫婦と記念写真を撮った。店が終わる午後11時を過ぎても、リタイア世代中心の常連達は別れを惜しむ様に残って居た。ソコに存在して居たのは、タイムスリップしたかの様な「昭和」だったのかも知れ無い。
彼等の笑い声を聞きながら思う。停滞の中で「昭和」への憧憬(しょうけい)だけが強まる時代を自分は生きて居たなと。会計を済ませて店を後にした。モウこんな日々は戻って来ない。
外は2020年・・・本来なら令和に元号が変わり華々しく1964年以来のオリンピックが開催される予定だった年・・・コロナ禍の新橋の夜で在る。マスク姿の人々が家路を急ぐ。人通りは普段の半分も無く、会話も無い。
SL広場には客引きの声だけが響き、酔客のコメントを取ろうとして居たテレビクルーはスマートフォンを眺めながら暇を持て余して居た。
石戸 諭(いしど・さとる) 記者・ノンフィクションライター 1984年東京都生まれ 立命館大学卒業後毎日新聞社に入社 2016年BuzzFeed Japanに移籍 2018年に独立しフリーランスのノンフィクションライターとして雑誌・ウェブ媒体に寄稿 11-27-5
2020年「ニューズウィーク日本版」の特集「百田尚樹現象」にて第26回「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞した 2021年「『自粛警察』の正体」(「文藝春秋」)で、第1回PEP ジャーナリズム大賞を受賞 著書に『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房) 『ルポ 百田尚樹現象』(小学館)『ニュースの未来』(光文社)『視えない線を歩く』(講談社)がある
記者・ノンフィクションライター 石戸 諭
〜管理人のひとこと〜
管理人が東京時代、新橋には数店の得意先が在った。夜が更けるのを待つ迄も無く、駅周辺の縄暖簾街は煌々と灯りが灯り人々が連れ立って暖簾を潜る。新橋は山手線と銀座線の駅が在る便利な盛り場だった。得意先から、偶には飲もうと車を置いて出掛けると、焼き鳥にホッピーと鍋物で腹を満たせ、次に綺麗な女性の居るバーへと勤しむ。筆者の石戸 諭(いしど・さとる)氏が表現した通りの昔の新橋の日常が繰り拡がる。
初任給が3万円の時代から始まり、5万・10万・20万・・・と直ぐに30万を超えるのが昭和の時代・・・世界第2位の経済大国と為って久しい。仕事が終わると近くの酒場で飲むのが当たり前で、確かに、確実な夢や希望が在った訳では無かったが、何と無く将来への不安は皆無だっから仲間と共に飲む酒は楽しかった。
もうソンな時代は来ないと多くの人は云うのだが、次の世代の夢や希望を作ら無いで何の〔政治〕が成り立つのだろうか。真面に飯の食え無い時代を作るとは・・・令和の時代は、そんな政治が許されて居るのだろう。
被害者視点で展開される韓国の歴史教育 石井 友加里
子供の授業を見て驚いた
被害者視点で展開される 韓国の歴史教育
石井 友加里 日韓翻訳家 11/27(土) 6:01配信
韓国が実効支配する竹島(写真 ロイター アフロ)11-27-1
日本人と韓国人の間に生まれた子供を持つ親で在れば、一度は悩んだ事が有るで在ろうテーマが韓国での歴史教育では無いだろうか。小学校高学年の子供を公立の学校に通わせて居る筆者は、何度か韓国式の歴史教育に違和感を持つ機会が在った。韓国では幼少期から「独島(竹島)は我が領土」と教え込む。
写真は、学校に設置された独島守護サークルに参加する子供した子供が「独島の領土主権を守護する」と云う主旨の先生をして居る様子(写真 YONHAP NEWS アフロ)11-27-2
韓国での歴史教育には、民族の自尊心を育てる意図が強く感じられる。特に、二度に渉る日本に依る侵攻の歴史が詳細迄教えられて居る。又、史実を時代背景や状況から広角的且つ客観的に教育するのでは無く、被害者視点で展開されて居る点が特徴だ。
歴史認識は、国民のイデオロギーを形成し現在の国政や外交にも影響を与える。韓国では、日本に依る侵略の歴史を授業の研究課題として扱う事も在り、感性豊かな子供達が虐げられた歴史をより自分事として捉え易い。韓国在住の筆者が身近に感じた違和感に付いて、子供の教育視点から解説しよう。
1. 幼少期から「独島は我が領土」
韓国の知識人や市民団体・政治家は、日本は侵略の歴史を歪曲して居ると批判する場面が好く見られる。しかし、第二次世界大戦に敗戦した日本では「戦争の悲劇を二度と起こすまい」と云う決意の基、平和主義が刷り込まれて居る。筆者に取って驚きだったのは、韓国に依る竹島の領有権主張とその方法だ。
竹島は、戦後処理が行われたサンフランシスコ平和条約で日本の領土とされたが、韓国では幼稚園児も「独島は我が領土」と主張し国際社会の判断を無視して居る。極めて複雑な問題で在るのに、韓国は警備隊を配置して竹島を占拠し、国民は幼い内から楽曲「独島は我が領土」を習う。お遊戯会の定番でも在るこの曲に合わせて幼児は楽しそうに踊るのである。
2021年11月12日、SNSやネットを通じて海外に韓国の広報活動を行う誠信女子大教授は、島根県庁の竹島資料室に日本の大学生の解説者を置いた事に言及し「島根県は純粋な大学生に間違った洗脳教育を行い、解説者に動員すると云う愚かな事をして居る」と批判した。「開いた口が塞がら無い」と言えばそれ迄だが、韓国ではこの様な独自の歴史観が正義とされて居る。
因みに、日本はこれ迄3回、領土問題に関して国際司法裁判所に付託する事を提案して居るが、韓国側に依って拒否され竹島問題の解決の見込みは立って居ない。それとは関係無く韓国著名人の島上陸や光復節のイベント等が行われ、韓国人の自尊心を象徴するシンボル的存在と為って居る。
2. 韓国の小学校社会科教科書の実態
1980年代から、日本の歴史教科書の歪曲に付いて中韓から指摘される様に為った。只、スタンフォード大学が実施した日本・韓国・中国・台湾・米国の高校の歴史教科書の比較研究(2012)に依ると、日本の教科書は他のどの国の教科書よりも、戦争を美化したり愛国心を強調したりする事無く抑制された論調で書かれて居ると云う。
一方で、韓国の教科書では日本の支配下での民族の辛い経験と抵抗・独立の歴史を中心に描かれて居り、当時の世界情勢や背景に付いての言及は見当たら無いそうだ。
周辺国への配慮と二度と戦争を繰り返さ無い決意・平和主義を教える為に慎重に編纂されたのが日本の教科書なら、その真逆を行くのが韓国の教科書と言えるだろう。歴史が被害者視点で綴られて居る事はそれを如実に表して居る。
■ 竹島ポスターに登場した安重根のビックリ顔
筆者の手元に在る小学5年生の社会科教科書を例にしても、矢張り日本による統治時代に行われた抵抗運動の様子や、独立思想等に焦点が当てられて居る。豊臣秀吉の朝鮮出兵に際しては、朝鮮の英雄・李舜臣(イ・スンシン)将軍をテーマに数ページに渉って記載されて居る。
ドンな人物で在ったのか、又どの様にして日本軍に勝利したかと云う話が、戦法や武器等絵と共に解説されて居る。 「李舜臣将軍に付いての考えを友達と交わそう」と云う課題も提示されて居た。
敢えて深く掘り下げる事はしないが、児童の間では日本の蛮行を非難し、抗日の偉大な英雄を称える会話が繰り広げられるだろう。 朝鮮総督府の前身で在る韓国統監府の初代統監・伊藤博文に関しても同様だ。民族運動が過激化する中で暗殺を成功させた独立運動家の安重根(アン・ジョングン)が英雄視されて居る。 教科書には「安重根義士が正しい事をしたのに死刑にされた理由は何でしょう?」と問い掛けが在った。
韓国のサイバー外交使節団・VANK(バンク)は、独島の日に向けたキャンペーンポスターに、安重根を初めとした活動家達の写真を加工したポスターを作成した。活動家達が驚いた表情でスマートフォンを眺めるポスターで「竹島?日本?」と文字が入って居る。
広告制作者に依ると、過去の活動家の様に、国を守る意味合いを込めて独島は韓国の領土だと具体的に提示したそうだ。安重根と竹島問題は全く因果関係が無いが、韓国のナショナリズムで一括りにすれば腑に落ちる訳だ。
■ 慰安婦問題の解決を妨げたと言われるアノ団体
元従軍慰安婦問題に関する記述にはこの様に在った。「日本は、1993年に日本軍に依る慰安婦の事実を一部認め、謝罪したが、コレを撤回する言動が続いて居る」
コレは韓国の一般人や言論からも度々指摘される意見で在るが疑問が残る。補足説明が無いからである。幾ら小学生向けの教科書でも、何を以て日本が謝罪を撤回する言動が行われたのかを記載すべきだろう。子供が歴史に付いて何も分から無いまま受け入れ「日本を謝ら無い国」と認識する危険性を秘めて居る。
1993年と云えば、日本政府が河野洋平官房長官に依る談話で元従軍慰安婦被害者に対して謝罪した年である。その2年後には「女性の為のアジア平和国民基金」が設立されて居る。韓国を始め、台湾・インドネシア・フィリピン等の日本軍に依る元慰安婦被害者に対し謝罪と基金が渡される事に為った。
しかし、韓国側の対応は日本の期待とは相反した。基金に反対した市民団体に依って償い金を受け取った慰安婦は批判されたのだ。
この時の慰安婦支援団体の挺対協(後の「正義連」正義記憶連帯)は、2015年に結ばれた「慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決」で在る日韓合意にも反対して居る。文政権も、2018年にこの慰安婦合意を反故にした。
日本が約10憶ウォン(約1億円)を拠出し、慰安婦1人に付き1億ウォン(約1,000万円)を支給しようとした「和解・癒し財団」は解散され、拠出金は返却されて居ない。 処が、後に慰安婦支援団体の汚職が明るみに出た事で流れが変わって来た。
ソウルの日本大使館の前で、長らく日本政府に抗議する水曜集会を独占的に実施して来た正義連の代表は、慰安婦達を守る立場で在りながら、寄付金や補助金を横領した罪で元慰安婦から告発された。以上の事情から、元慰安婦問題に関して日本政府が出来る限界は既に超え、韓国国内の問題と捉える事が出来る。
実際、韓国国内には「正義連が慰安婦問題の解決への道を妨げて来た」と云う批判も在り、一部の市民団体が団体の解体を主張するデモ活動を行って居る。最も、事情や背景を省略する傾向の在る韓国の歴史教育では「慰安婦問題が解決し無いのは日本がキチンと謝罪を行って居ないから」が通説と為って居る。
■ 歴史教育の狭間で苦しむ日韓両国の血を引く子供達
3. 傷つく日韓両国の血を引く子供達
韓国の歴史教育の被害を受ける子供も居る。日韓両国のアイデンティティを持つ子供達だ。民族の自尊心と抗日イデオロギーを教える韓国の教科書を読むと、自然と韓国視点の歴史を学ぶ事に為り、事実を広い視点で考察する機会が失われる。
その結果、韓国の小学生が日本人に嫌悪を抱くのは当然の事で、残酷な子供は身近に日本出身者や日本にルーツを持つ同級生に矛先を向ける。筆者の子供も、何度か学校で言掛かりを着けられ困った事が在った。友人の日韓ハーフの子供は、歴史の授業で号泣した事も在ったそうだ。コンな事も在った。
筆者の子供が「読書論述」(※読書と感想文の書き方を習う課外授業)教室に参加した時に、課題図書を見て血の気が引いた記憶が在る。児童向けの図書として居たが、日本の統治下で日本人に迫害された朝鮮人の話で、生々しい描写が多く子供に相応しい内容とは思え無かった。
歴史は教えるべきでは在るが、何も知ら無い子供にその図書を読ませる意図は何だろうか。嫌悪感から受講を辞めさせたが、その様な教育が現在進行形で在る事が非常に残念だった。
4. 韓国人の間で日本ブームが再来
その様な愛国主義的な韓国の歴史教育と、韓国の市民生活は無関係で在る。それはそうで在る。70年以上前の歴史と、今を生きる人々に関係は無い。韓国の子供達は日本のアニメやゲームを日常的に楽しみ、若者は寿司屋やカウンター式の懐石店の前で行列するのが最近のトレンドだ。
学校の授業の際に冗談紛れで日本の悪口を言いながら、日本のアニメキャラクターや任天堂スイッチに夢中で在る。最近日本ブームが再来し、2019年の反日不買運動で売り上げが半減したユニクロが黒字に転じて居る。
デザイナーコラボアイテム「+J」の発売日には若者が店舗前に行列を作って居た。又、コロナ禍で日本旅行が出来無く為った韓国では、日本風の旅館が密かに日本好きの間で流行って居る。
他にもドラマの撮影セットだった京畿道東豆川市には、日本の京都を彷彿させる雰囲気が若者を中心に人気を博して居る。
■ 韓国式ナショナリズムの限界
一方で、共に民主党の次期大統領候補は反日的な意見を展開して居る。
「侵略国家、日本が分断されるべきだった」
「日本を超える」
「日本は常に信用出来る完全な友好国か」
等の発言を繰り返して居る。筆者は、抗日姿勢の政治家や知識人の主張と、一般市民の肌感覚には広い乖離を感じずに居られ無い。2022年3月に選出される大統領に依っては、歴史問題を材料に今よりも日韓関係が悪化するかも知れ無い。
その代償は日本や韓国の富裕層では無く、韓国の一般市民が払う事に為るだろう。歴史教育に依って韓国式ナショナリズムが形成されて居ても、反日に辟易した国民が使い古された手段で再び盛り上がるだろうか。先を予測する事は難しいが、筆者は時代錯誤の様な気がして為ら無い。
ライター 石井 友加里
石井 友加里のプロフィール ライター兼韓日・日韓翻訳家 神田外語大学卒 比較文化専攻 韓国人と結婚後 韓国企業の東京支社に勤務する 2011年からは韓国在住 多文化共生等幅広いテーマで執筆活動を行って居る
〜管理人のひとこと〜
日本の、悪夢の安倍長期政権の経済停滞に依って、既に個人所得では韓国に抜かれ、発展途上国・貧困国と為った我が国が、最早韓国を下に観る事は失礼に当たる。今迄の政府は、根本的なデフレ対策を行えず国民を疲弊させ困窮へと追い込んで平然として居る。
コノ日韓関係の問題を続けて取り上げてしまったが、何の意図も無く単に興味に任せたものだ。世相が悪化し青少年の突飛な犯罪が増えた気がする。「この国に住んで何の夢も希望も無い・・・」そんな日常に若者は何の未練も抱け無いのだろう。そして、国民の日常と乖離した政府の遣る事は、誰からも何の同調も得られ無い政策を続けるだけ。
私達国民は大いに反省せずには居られ無い。何故20年以上もこの様な政治を続けたのかを。何故、自公政権を支持し続けたのかを。それに依ってこの様な悪夢に満ちた現状を招いてしまった。もう遅いかも知れないが、最後に残された機会は少しは残ってる筈で在る。多くの国民の目が覚めれば・・・
2021年11月26日
「中華」に対する屈従と 日本に対する病的な「反日」の共通点
「中華」に対する屈従と
日本に対する病的な「反日」の共通点
11/25(木) 6:01配信
韓国警察庁長官の竹島上陸の背景に在る「小中華思想」の呪縛
自国に失望した韓国人が問う 何故韓国は反日を辞められ無いのか? ファンドビルダー 2021.11.25(木)
韓国の警察庁長官が上陸した竹島 韓国が実効支配している(写真 Topic Images アフロ)
(ファンドビルダー 韓国コラムニスト)11-25-1
韓国は、地球上で唯一と言える反日共和国で在る。反日が日常化して居る上、愛国行為としても認定されて居る。「慰安婦・徴用工・独島(竹島)問題等が存在する為に韓国が反日に為る」と云う考えは大きな錯覚だ。韓国は、「反日」そのものを目的とする国家で在る。慰安婦・徴用工・独島(竹島)問題等は、「反日」の為の手段にしか過ぎ無い。
何時の日か慰安婦と徴用工問題が解決したとしても、韓国は次の手として、関東大震災朝鮮人虐殺事件・朝鮮人被爆者・サハリン残留韓国人・閔妃暗殺事件等新しい問題を浮上させ、如何にかしてでも反日を続けるだろう。
韓国は20世紀に日本と戦争をした事が無い。日韓併合に関しても、当時の朝鮮の総人口の99.9%以上が順応して居た。今日の韓国は、朝鮮人が独立運動を積極的に展開した様に宣伝して居るが、これは誇張で在り歪曲で在る。独立運動家の比率は、当時の朝鮮の総人口の0.1%にも満た無かった。
2021年8月15日現在、独立運動に貢献したと云う韓国の〔独立有功者数〕は1万6932人だ。〔独立有功者数〕とは、1895年の日清戦争終了時点から1945年8月14日迄の期間中活動した人。
この中から外国人72人を除外すれば1万6860人と為る。韓国は2005年に〔独立有功者発掘団〕と云う専門組織を創設し、独立有功者を毎年数百人ずつ血眼に為って「発掘」して居るが、その中には、反日独立運動で在る「三・一独立運動」・学生運動・文化運動・啓蒙活動の参加者等が全て含まれて居る。
韓半島の人口は1910年代に1,300万人程度だったが、1945年にはホボ倍増し2,500万人程に為った。この事から、日韓併合時代(1910〜1945)の当時の平均人口を約2,000万人と見積もるのは無難で在ろう。
と為ると、当時の国内及び海外で独立運動に勤しんだ朝鮮人1万6860人と云うのは、総人口の0.084%でしか無い。当時の朝鮮人全体の99.916%は、独立運動とは何の関係も無く生きて居たと云う事だ。
両班(やんばん)等の支配層から虐げられて居た大多数の朝鮮人は、日韓併合のお陰で初めて人間らしく生きて行ける様に為った。独立運動を先導したのは、日韓併合に依って特権を受けられ無く為った両班階層と社会主義信奉者で在り、日韓併合で損害を受けたのは少数の両班階層と500年間権力を維持して来た李王家だ。だが李王家は、日韓併合以後も特別待遇を受け気楽に過ごした。
日韓併合時代の朝鮮の小学校 支配層に虐げられて居た大多数の朝鮮人は日韓併合後、人間らしく生きられる様に為ったと韓国人の著者は言う(写真 Alamy アフロ)11-25-2
韓国人の潜在意識に深く根付く「小中華思想」
日韓併合のお陰で韓半島は近代化し、朝鮮人の生活水準は高まった。日本・米国・欧州・オーストラリア・中国・ロシア等・・・地球上の主要国の国民が戦争に動員され、死んだり怪我をしたり空襲等で国土が廃虚に為った時も、韓半島と朝鮮人は相対的に見れば安全であった。
日韓併合時代の35年(1910〜1945)は、それ以前の35年(1874〜1909)と以後の35年(1946〜1981)とを比較して観ても、遥かに安全で平穏な時代で在った。
日韓併合以前の朝鮮は、政府の無能と腐敗に依って民衆の反乱と政変が絶え無かったし、解放以後は朝鮮戦争・・・後の大統領と為る朴正煕が主導した5・16軍事クーデター・光州事件等の激変が続いた。従って、今日の韓国人が反日を採ら無ければ為ら無い特別な理由は無い。
それでも、韓国は事実上〔反日共和国〕と云う非常識国家として存在して居る。この様な韓国の非常識は、台湾と比較しても際立って居る。
韓国の反日は、ドンな薬も効か無い病気・或いは精神疾患の一種と言っても過言では無いだろう。病気の症状には原因が在る。肥満の場合過度の飲食が原因に為る。肺疾患の場合は喫煙が原因に為るだろう。それなら、韓国の反日の原因は何だろうか。それは正に、韓国人の潜在意識に深く根付いて居る〔小中華思想〕だと言える。
〔小中華思想〕とは「中国の臣下を自認し、中国を崇拝する思想」を意味する。中国が世界の中心で在り、中国から遠く離れた所は辺境の野蛮人だと信じる事だ。中国事大主義、或いは中国を慕う「慕華思想」で在る。
韓半島では、1,000年前に小中華思想が生まれた。李氏朝鮮(1392〜1910)以前の王朝としては高麗(こうらい・918〜1392)が在る。
高麗の11世紀後半の人物・朴寅亮(ぼくとらりょう・?〜1096)は、高麗の王・文宗(1019〜1083)に付いて「(文宗は)野蛮な風俗を中華の風俗に変え・・・(中略)・・・隆盛な文化資産が中国に比べられる程在り(高麗を)小中華と称した」と書き記して居る。小中華思想は李氏朝鮮に為ると、本格的に韓半島に根を降ろした。
高麗を倒して政権を取った李成桂(りせいけい・1335〜1408)は、中国(明)から建国の許可を得る為に、首都を移し首都名を「中国に属する小さい村(城)」と云う意味の「漢城」と決めた。自ら中国の一部で在ると中国に取り入ったのだ。
合わせて、東京・西京・南京・開京と云う地名を廃止し、夫々、慶州・平壌・漢城・開城に変えた。朝鮮には「京」と云うものが決して存在し無い事を中国にアピールする為で在った。
「朝鮮」と云う国名すら 自分で決められ無かった歴史
「朝鮮」と云う国名さえ自ら決めたものでは無かった。中国(明)から「新しい王朝名を何にするのか、案を報告しろ」と云う命令を受け「朝鮮」と「和寧・かずねい」と云う二つの名称候補を中国に提出した。この中から、中国が「朝鮮」と云う名称を選択したのだった。
この様にして、中国から「臣下の地位」をどうにか得たのが正に朝鮮だった。以後朝鮮は、露骨に「小中華」を自認し、返って自主独立国で在る日本に向かって根拠の無い優越感を持つ様に為る。「朝鮮は、難しい中国から『臣下席』を得たが、日本は未だ得て居ないので、お前等は野蛮だ」と云う錯覚と妄想は、その時から始まったと思われる。
日本に向けた朝鮮に依る根拠の無い優越感と虚勢の代表的な例は、1876年の朝鮮修信使一行の行動だろう。1876年(高宗13年)2月、日本と朝鮮は日朝修好条規条約(江華島条約)を締結したが、朝鮮国内では相変らず衛正斥邪(えいせいせきじゃ・小中華及び宋明理学崇拝勢力)に足を捕られて、ソコから少しも抜け出せ無いで居た。
条約締結で、朝鮮が少しでも変わる事と期待した日本は失望した。困った日本は、朝鮮の指導層が日本の近代化した姿を直接目で見れば、近代化に対する重要性を知る様に為るだろうと思い、アイディアを出した。それが朝鮮通信使(1607〜1811の間12回実施)の復活で在る。
名称は、日本と朝鮮間の信義を新しく修めると云う意味から「修信使・しゅうしんし」にした。以前の朝鮮通信使の場合と同じ様に、朝鮮修信使の招聘費用は日本が全額負担する事にした。第1次修信使は76人に決まった。
処が、この76人中約30人が風楽隊(ふうがくたい)(伝統音楽の楽団)と旗手団で構成された。朝鮮修信使一行は、文明国から遣って来たと云う事を日本人に広く誇示し自慢する為に、風楽隊と旗手団に固執したのだ。
当時の朝鮮の指導層は性理学と朱子学を信奉しつつ、朝鮮の小中華文明が日本よりも遥かに優秀な文明だと信じて居た。当時の朝鮮にはチャンとした船舶が無かったので、日本は朝鮮修信使一行の為に日本内務省専用蒸気船「黄龍丸」を送った。
朝鮮修信使一行は、1876年5月29日に釜山を出発して下関を経て横浜に到着した。そして、横浜で蒸気機関車に乗る事に為ったのだが、朝鮮修信使一行はこの蒸気機関車に大きな衝撃を受ける事に為る。朝鮮修信使代表の金綺秀は『日東記遊』に、日本の蒸気機関車に付いてコノ様に記して居る。
「雷や稲妻の様に走り、嵐の様に暴れ、一時間に300〜400里を走るのだが、車体は穏やかで振動は少ない。左右には、山川・草木・家屋・人物が見えるのだが、目の前を電光の如く過ぎ行くので、落ち着いて眺める事は出来無い。タバコ一本吸う間に、既に東京の新橋に到着して居た」
朝鮮修信使を「化石の一行」と称した英国人
朝鮮修信使一行は、朝鮮が文明国で在る事を広く知らしめる為に、日本の市街を風楽を鳴らして行進した。近代化した日本の大通りを、古風な服装の旗手を前面に立たせ、風楽を鳴らして過ぎ行く光景は、日本人に取っては、普段滅多に見る事の無い珍妙な姿だった。
これは面白い見世物だと、人々は大挙して集まり警察が動員され、鎮静させる程で在った。朝鮮修信使の行列は、只の大きな見世物でしか無く、その人波は歓迎の為では無く、滅多に見る事の出来無い見世物を楽しもうと集まった人々だった。
日本の歴史学者・佐々木克は、この様な朝鮮修信使の事を「朝鮮が派遣した修信使は、鎖国状態の朝鮮の無知が齎した、時代錯誤的なハプニング」と評した。又、当時の日本駐在の英国の新聞記者はこの様に書いた。「伝統的な服装に身を包み、最高の威厳を示しながら行進する朝鮮修信使の行列は、マルで化石の一行だ」
朝鮮が中国の属国で在ったと云う事実は、朝鮮王の年号を見ても判る。朝鮮を建国した李成桂は、明の太祖の年号「洪武」を使用した。例えば朝鮮は、建国年度(1392年)を「洪武25年」と云う形で記録した。高宗(1852〜1919)の場合、清の同治帝の年号「同治」を使用した。
韓国与党の大統領候補に選出された李在明氏 「反日」で知られる(写真AP アフロ)11-25-3
韓国・ソウルの景福宮 2021年11月 韓国政府は景福宮に在る香遠池・香遠亭・酔香橋の復元作業が完了したと発表した(写真) 11-25-4
ソウルの西大門付近に、慕華楼(1407〜1429)と云うものが在った。中国からの使節が来る時、朝鮮の皇太子を初めとする高位層が中国からの使節を恭しく出迎える場所で在った。中国を懐かしがると云う意味の「慕華」と云う言葉を名前にした場所で在る。以後、慕華楼は増築され慕華館(1429〜1896)と為った。
そして、慕華館の前には、迎恩門(1539〜1896)と云うものが建てられた。中国の使節を迎える門だった。中国からの恩恵を嬉しく受け入れると云う意味の「迎恩」と云う言葉が名前に使われて居る。
この様に、徹底して中国の属国だった朝鮮は、日本のお陰で、初めて中国の支配から抜け出す事に為った。日清戦争(1894〜1895)に伴う下関条約の第1条は、以下の様に書かれている。
第1条 清国は、朝鮮国が完全無欠為る独立自主の国で在る事を確認し、独立自主を損害する様な朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は、永遠に廃止する。
ウンザリする中国の支配から抜け出したのを記念して、徐載弼(1864〜1951)等の開化派は恥辱的な場所で在る迎恩門を撤去しその場に「独立門」を建てた。同時に、慕華館を廃止し独立館と云う名前に変更した。そして「漢城」と云う恥辱的な首都名称も、1910年から「京城」に変わる事に為った。
英国は、インドを植民地支配しながらインド人数十万人を虐殺した。英国はインドを略奪の対象とし、インドの近代化に寄与した事は殆ど無い。それでも、今日のインド人の大部分は親英的態度を示す。
米国は日本と戦争をした。互いに殺し合う敵同士だったが、今日の米国は日本と非常に親しくして居る。過去に日本と戦争をした中国でサエ、韓国の様な病的な反日はしない。韓国と同じ経験をした台湾が、親日的な態度を見せて居ると云う点も考えると、如何見ても今日の韓国の反日は非常識で在る。
小中華思想は、中国に仕える者で在る事を自認し、中国が世界の中心で在り、中国から遠く離れた所は野蛮だと信じる事だ。従って、小中華思想に陥れば、中国に仕える者と云う自負心と共に、中国からその資格を得る事が出来無い他国に対して、蔑視的な態度を示す様に為る。今日の韓国が見せる日本に対する根拠の無い優越感は、この様な〔小中華思想〕為に発生するものだ。
■韓国が「反日共和国」の道を歩む切っ掛けに為った 李承晩の出自
日韓併合時代の終了後、韓国はインドが英国と良い関係を維持した様に、日本と良い関係を維持する事が出来た筈で在る。だが、韓国の李承晩元大統領(1875〜1965)には、その様な考えが全く無かった。それには理由が在る。
李承晩元大統領は、朝鮮の譲寧大君(1394〜1462)から数えて16代目の子孫だ。譲寧大君(じょうねいたいくん)は朝鮮4代王として知られる世宗(1397〜1450)の兄だ。則ち、李承晩大統領は小中華思想に染まった朝鮮王家の末裔で在る。
韓国が反日共和国と云う誤った道を歩き始めたのは、この様な李承晩大統領の出身に纏わる背景が作用したと考えられる。21世紀の今も、韓国の小中華思想は健在で在る。
2017年12月、中国を訪問した文在寅大統領は、北京大学での演説で「(中国は)高い峰(韓国は)小さい国」と云う発言を何度も反復した。更に「中国の夢が中国だけの夢では無く、アジアを越え、全人類と共に見る夢に為る様に願う。韓国も中国の夢と共に歩むだろう」と云う発言もして居る。
中国側の韓国に対する態度も、矢張り属国に対するものと変わら無い。2017年4月、米トランプ大統領は、ウォール・ストリート・ジャーナルとのインタビューで「(米中頂上会談で)習近平主席が『歴史的に韓国は中国の一部だった』と話した」と明らかにした。
又2021年9月、韓国の外交部長官は米国の外交安全保障シンクタンク・外交問題評議会(CFR)の懇談会に参席してこの様に言及した。
「私達は、中国が主張する事を聞く様に努力し無ければ為ら無い。中国は新しい技術関連の様々な分野で、益々近付く重要なパートナーである」
今日の韓国が小中華思想に囚われて居ると云う事が好く判る代表的な事例は「朝鮮を懐かしがる事」だ。 韓国政府(文化財庁)は、2021年11月5日、3年に渉って復元作業が続けられて居た、朝鮮時代の王と王妃が休息した場所で在る景福宮の香遠池・香遠亭・酔香橋の復元作業が完了したと発表した。
「香遠」と云う名称は中国の学者・周敦頤(しゅうとんい・1017〜1073)が詠んだ『愛蓮説・あいれんせつ』に出て来る「香気が遠く行く」と云う部分を引用したものだ。王宮に該当する景福宮(けいふくぐう)は1395年に建立されたが、火災や戦乱等で可成りの部分を焼失した。1991年に始まった景福宮再建事業は、2045年に完了予定だ。
2021年6月23日、ソウル市は光化門広場造成事業の一環として、月台を光化門広場に復元すると発表した。月台は、朝鮮時代当時の宮中の行事を執り行う基壇(きだん)で在る。近代的建物(中央庁・旧朝鮮総督府)は撤去され、他国(中国)の属国だった朝鮮時代の過去を懐かしがって、当時の王宮を復元する仕事に莫大なお金を注ぎ込む国家は、地球上で韓国位だろう。
小中華思想に対する愛着が強く為れば成程、反日はより一層強く為る。小中華思想を拠り所とし、中国に仕える者に為ったと云う自負心がギッシリ埋まった今日の韓国は、中国を背に、虎の威を借る狐の如く、未だに中国の臣下に為れ無い日本を野蛮と見做し、絶えず日本を蔑視し貶める事に血眼に為って居る。
■中国に対する屈従と反日の共通点
小中華思想は、理性的な判断力を鈍らせる。2021年11月16日、韓国の警察庁長官が独島(竹島)を訪問した。2012年には李明博大統領が訪問した。
領有権紛争に於いて、領土を実効支配して居る側は相手方の攻勢に出来るだけ無反応で対処する事が常識だ。正面対抗すれば、問題が大きく為って損害を被る事に為るからだ。尖角列島に対する中国の攻勢に対し、日本が可能な限り無対応なのは、この様な理性的な判断の為である。
処が韓国は、独島(竹島)を実効支配して居るにも関わらず返って先に騒動を起こすのだ。中国に仕える者に為ったと云う優越感に浸り、中国の臣下に為れ無い野蛮人を、蔑視し嘲笑すると云う、低次元の騒動で在ると理解するのが正しい。
韓国は、慰安婦や徴用工等の反日問題が、少しの間でも小康状態に為る事に耐えられ無い。日本を絶えず蔑視し嘲笑してコソ気が済むのであり、小康状態に為れば、反日感情を噴出する機会が減り我慢が出来無いのだ。一種の禁断症状で在る。
この様な側面から、独島(竹島)問題は、日韓間の葛藤が小康状態に為る時に現れる、禁断症状を解消する非常用の噴出口として適切に活用されて居るのだ。日本と領有権で紛争を抱える中国・ロシア・韓国の中で、韓国だけが非理性的で感情的に対応して来るのは、この様な背景為だ。
小中華思想が、韓国に根を下ろした期間は1,000年に上る。日韓併合時代は35年だった。1,000年間に渉って受け継がれ韓国人のDNAにも刻み込まれた小中華思想が、35年と云う短い期間で解消される事を願うのは無理な話だ。
今日の韓国が、中国に向かって屈従的な姿を見せるのと日本に向かって病的な反日の姿を見せるのは、夫々別々に存在する現象では無い。ドチラも全て、韓国の小中華思想から始まった、コインの裏表の様なもので在る。
結局、韓国の対中国低姿勢と対日本強硬姿勢(病的な反日)と云う極端な両面性は、外部的な要因に依るのでは無く、韓国内部の前近代的で在り時代錯誤的な小中華思想に依るものだ。
今日の韓国の病的な反日の根本的原因が、小中華思想で在ると云う点を理解すれば、韓国の反日は日本の謝罪や補償の有無とは何の関係も無いと云う事が判るだろう。韓国の反日を解消するのに必要な事は、日本の謝罪や補償では無い。
韓国の反日を解消するには、今日の日本が中国の臣下と為り、服従隷属する事以外には無い。韓国の内心は、日本が一日も早く中国の臣下に為り、中国(中華)と韓国(小中華)に仕える姿を見せる事を願って居るのだ。
だからコソ、韓国の小中華思想が解消され無い限り、韓国の反日が無く為る事は決して無いだろう。
■聖徳太子にも及ば無い今の韓国
今日の韓国人の全てが、小中華思想に陥った状態だとは思わ無い。だが、少なくとも、小中華思想に陥った韓国の指導層等の親中勢力が、教養と均衡感覚が不足して居る大多数の韓国国民を煽動し、反日共和国に導いて居ると云う事だけは確かで在る。
韓国の病的な反日が解消される為には、韓国の指導層が、前近代的で在り時代錯誤的で在る小中華思想から、抜け出さ無ければ為ら無い。同時に、簡単に煽動されてしまう一般の韓国人も又、基本的な教養と均衡感覚を備える事が必要だ。
だが、残念な事に現在、韓国にはそう云う自浄能力が全く見られ無い。韓国が小中華思想と云う迷夢から自ら脱皮する可能性は、現在殆ど無いと云う話だ。日本の聖徳太子(574〜622)は、中国の隋煬帝(569〜618)に送った国書にコノ様に記して居る。
「日が昇るところの天子が、日が沈むところの天子に、手紙を送ります(日出処天子 書日没処天子致)」
韓国は、日本と米国の支援お陰で経済的に成長したが、今日の韓国人の精神世界は、1400年前の古代日本人より遥かに劣った水準を彷徨(さまよ)って居る。21世紀に為ったと云うのに、相変らず前近代的で時代錯誤的な小中華思想に囚われ、返って正常な国家で在る日本を絶えず貶め様とする韓国の姿は実に残念だ。
今日の韓国の病的な反日の姿は、古風な服装の朝鮮修信使一行が、恰(あたか)も優秀な文明国から来た様に錯覚し、意気揚々と風楽を鳴らして、近代化した日本の市街を行進するコメディの再演だ。
幾ら経済的に成長しても、精神世界が何時迄も迷夢(めいむ)を彷徨うので在れば、その国家と国民が見せる姿は非正常で非常識に為らざるを得無い。その事実を、今日の韓国がハッキリと証明して居る。膨脹主義路線を疾走する中国と、小中華思想に囚われて迷夢を彷徨う韓国が隣国で在る日本は、地政学的に全く運が悪い国と云え様。
ファンドビルダー 韓国コラムニスト
〜管理人のひとこと〜
こう迄云われると逆に、朝鮮系の人達を余りにも一方的に攻め過ぎると感じてしまう。我等に愛国精神が在るのと同じく彼等朝鮮人にも同等かそれ以上のものを持って居る筈だ。我等にも、天皇の存在や建国の古さを他国と比べて区別・差別し優越感に浸る人達も存在する。
これ等は何の証も無い単なる時の為政者が作った神話に過ぎ無いのに、恰も特別な国家で在り世界一優れた民族だと、他国や他民族を侮蔑的感情で差別する。ユダヤ教・ユダヤ人が世界から嫌われるのは、我々は神に選ばれた特別な民族だとする「選民思想」が在るからと云われる。
殆どの国が、自分達の国が特別な国で在り優れた幸せな民族で在る・・・と考えたいのは当たり前の事だ。しかしその考えは自由だが、それを以て他国・他民族を差別し区別し蔑視しては為ら無いのは当たり前の事。
陸続きに他国が無い特殊な我が国の、余りにも近い国が朝鮮で在り中国だったのだ。隣同士は仲が悪いのが普通、台所の模様や冷蔵庫の中まで目に入る。夫婦喧嘩も手に取る様に知ってしまう仲なのだ。互いに一歩下がって礼節を重んじる事から始めねば為るまい。
2021年11月24日
立憲と共産の選挙協力の是非 フジテレビ 解説委員 平井文夫
立憲が共産との閣外協力を辞めると言っても
選挙協力を続けるなら 同じ事なんだけどナ
FNNプライムオンライン 11/24(水) 11:51配信
立憲代表選の討論にイラッ!
日本記者クラブで22日に行われた立憲民主党代表選の候補者討論会を聞いて居てイラっとしたので何故なのか考えてみた。 代表選の最大の争点は衆院選惨敗の原因と為った共産党との「おつきあいの仕方」をどう総括するかだと思うのだが、先ず「共産党との共闘は間違って居たか」と云う司会者の質問に「はい」と答えた人は一人も居なかった。
詰まり誰が代表に為っても立憲と共産との選挙協力は続く。 次に共産と結んだ「限定的な閣外協力」等の合意に付いては、逢坂誠二氏が「国民感覚から相当ズレて居た」と発言した他、小川淳也・泉健太・西村智奈美の3氏も見直しが必要との考えを示した。
僕はコレを聞いて、誰が代表に為っても如何やら共産との閣外協力に付いては取り下げるのだなと思った。 共産との閣外協力は枝野前代表が衆院選の前に初めて明言したのだが、世間では「共産の圧力に屈服した」との批判が出ていた。自民は「あちらさんは立憲共産党」(BY麻生太郎)等と揶揄し、結局立憲はこの「共産との閣外協力」と云う一言で惨敗してしまったのだ。
枝野幸男は真面な政治家だ
僕は枝野さんが「閣外協力」と云う言葉を出した時「この人は真面な政治家だな」と、彼の事を少し見直した。選挙協力する以上そう言うのが筋だからだ。例え批判されようと筋を通す事は大事だ。だが同時に「大丈夫かな」とも思ったら案の定、選挙で負け、枝野さんは代表を辞めてしまった。
立憲の次期代表は来年の参院選でこの「共産との閣外協力」と云う言葉を取り下げるのだろうか。「衆院選は政権選択だから政権の形を示したが、参院選は政権選択では無いので形を示す必要は無無い」と云う理屈は「あり」かも知れない。
只普通の人が普通に考えたら、選挙を一緒に戦った政党は勝ったら政権に入るだろう。一緒に戦うが政権に入れて挙げません、と云うのは余りにも虫の好い話ではないか。そう云う肝心な部分を説明し無かったり、誤魔化誤魔化したりして居ては有権者の信頼は得られ無いと思うのだ。
代表選では相手に殴り掛かれ
一連の論戦でもう1つ気に為ったのは、経済も安保も4人の主張に大きな差が無い事だ。自民党総裁選では河野太郎氏が最低保障年金を打ち出して他の候補にボコボコにされ、結局「太郎は未だ早い」と云云う事で岸田文雄さんが勝った。
面白かったのは河野さんは格下げのポストを与えられ、冷や飯食いに為った癖に涼しい顔して選挙応援に飛び回って居た。これが自民の強さである。
立憲にこう云う強さは無いのか。例えば国民民主出身で最も保守的と見られる泉さんは「共産との選挙協力は辞め様」となぜ言わ無い。或いは泉さんよりは共産との連携に熱心な小川さんは「共産との閣外協力の何が悪い」と何故言わ無い。そして共産と組んでも大丈夫だと云う事を何故説明しない。
09年に発足した民主党政権は辺野古で社民党が離れ、消費税で旧自由党が離れ、最後に小池劇場で真っ二つに分裂した。彼等はそのトラウマで政策の違いによる対立や分裂を怖がって居る様に見える。 だが旧民主が本当に再生する為には、例え対立しても分裂せずに一緒に遣って行く方法を考える事だ。
で無いと何時迄も自民の対抗勢力には為り得無い。ボヤボヤして居ると維新が国民民主も抱き込んで立憲を上回る勢力に為る可能性が在る。この様なユルい代表選を遣って居てはダメだ。モッとガチで緊張感を以て、相手に殴り掛かる様な代表選を遣って欲しいと思うのだ。選挙戦後半に期待する。
執筆 フジテレビ 解説委員 平井文夫
〜管理人のひとこと〜
流石、公器・TVの解説委員の文章で在る。実に的確に全体の内実を解説して居る。管理人が云わんとした事が全て網羅されて居る。立憲は、リベラル野党として共産党との選挙協力は不可欠で在る・・・と大きな声で訴えれば好い。それで離れる支持者で在れば居無くとも好い、それが党としての存在の基本で在るからだ。
それを理解出来無い〔閣外協力〕と説明付けた枝野氏の失態は隠しようは無い辞任に値する行為だった。〔共産革命〕とは、自民が喜んで使う戦前からの反共思想で在り、現在の日本では起こり様も無い架空の絵空事を用居て難癖を付けるだけの戯言だ。相手にする必要も反論の必要も無い無視するだけで結構だ。麻生の威張り腐った顔を想像するだけで腹が立つ。落選して欲しい議員・・・第一位の麻生太郎を選択する国民が居る事が我が国の脅威で在る。
最早ジリ貧の立憲民主党・・・代表選候補4人の主張と 立ちはだかる課題
最早ジリ貧の立憲民主党・・・
代表選候補4人の主張と 立ちはだかる課題
11/24(水) 8:45配信 11-24-10
コロナ禍での代表選は11月30日の臨時党大会で投開票されて新代表が選出される見通し11-24-11
2021年10月31日に投開票された第49回衆議院議員選挙は、野党第一党である立憲民主党が野党一本化を進めて臨みました。しかし、思う様な結果を残せず、改選前から議席を減らして居ます。立憲民主党を率いて来た枝野幸男代表は、衆院選の結果を受けて辞任。新たな顔と為る代表を決める選挙が11月19日に告示されました。
代表選に立候補したのは、逢坂誠二議員・小川淳也議員・泉健太議員・西村智奈美議員(届出順)の4候補です。代表選は30日の臨時党大会で投開票され選出される予定です。
本記事では、首相官邸や政界の取材歴が10年超のフリーランスカメラマン小川裕夫(@ogawahiro)が、立憲民主党の代表選を解説します。
フリーランスカメラマン 小川裕夫
今回の代表選は接戦に為る見込み
先の衆院選により、立憲民主党に所属する国会議員は衆議院96名・参議院44名の140名に為って居ます。立憲民主党代表選に立候補するには、現職の国会議員20名以上の推薦人を集め無ければ為りません。今回の代表選に4名が立候補した事を踏まえると、早くも代表選が接戦に為って居る事が窺えます。
今回の代表選は、これ迄築いて来た立憲民主党カラーを刷新する事が求められて居ると云われます。2009年に誕生した民主党政権は、党内のゴタゴタも在って2012年には政権を奪還されました。以降、民主党は党勢を回復する策を模索。
一部の議員が民主党から離れ、再び合流すると云った事を繰り返して居ます。そうした混乱も、支持者の民主党離れを加速させました。民主党政権の中枢に居た議員が多くを占める立憲民主党にも同様の不信感が長らく付き纏って居ました。
代表を担う議員に必要な要素は
共同記者会見は、予定の終了時刻を過ぎても記者からの質問が絶え無かった 11-24-12
立憲民主党は衆院選で議席を減らしましたが、来夏には参議院選が迫って居ます。それだけに、此処で一致団結し無ければ党勢回復は見込めません。今回、代表選に出馬した4議員は全員が衆議院議員です。旧民主党色を感じさせ無いフレッシュな顔を選ぼうとする意図が見えますが、代表と云う重責を担う議員はそれ為りの期数、詰まり議員経験数が無ければ務まりません。国民的な人気の高い議員でも、それは一過性かも知れないからです。
議員を長く務めれば、順風の時だけでは無く必ず逆風も経験します。又、自分のミスで無くても同じ党の議員が不祥事を起こせば、代表は責任を問われます。期数を重ねた議員は、そうした苦渋・辛酸を経験して居ます。それだけに、逆境を跳ね退ける力が在ります。詰まり安定感と表現出来る力です。
新たな立憲民主党のイメージを生み出せるか
逢坂誠二候補は、ニセコ町長の経験も在るので地方の問題にも精通 11-24-13
立候補した4候補の経歴を見てみましょう。62歳で最高齢の逢坂候補が5期、小川候補が6期、47歳で最年少候補の泉候補が8期、西村候補が6期です。経歴から、中堅クラスの議員が立候補して代表の座を争って居る事が窺えます。
中堅クラスと云っても、4候補とも旧民主党政権で副大臣や政務官を務めた経験が在ります。その為、旧民主党カラーを完全に刷新して居ると迄は言え無いでしょう。当選したばかりの新人議員に、党の代表を任せる訳には好きません。だから、或る程度の議員経験を求められる事は仕方が無いのかも知れません。
旧民主党で多少の実績が或る4候補ですが、これ迄に前面に立って党や政権を引っ張って来た議員では在りません。そうした事情から、新たな立憲民主党のイメージを生み出せるのではないか? と云う期待が寄せられて居る事も事実です。
〔開かれた会見〕には多くの記者の姿が
とは云え、代表選の話題が埋没してしまうのではないか? と云った危惧も在りました。9月に実施された自民党総裁選は、実質的に次の首相を決める選挙でした。その為、国民的な関心が高まりました。
一方、野党第一党ながらも衆院選で議席を減らした立憲民主党からは熱気や関心が薄れて居ました。そうした事情も在り、11月19日の共同記者会見を取材に来る記者は少ないのではないか? 盛り上がりに欠けるのではないか?と考えられて居たのです。
自民党総裁選の記者会見が、コロナ対応を理由に平河クラブ(自由民主党の記者クラブ)の記者ノミの参加に制限したのに対して、立憲民主党の代表選は記者クラブのみ為らず雑誌・インターネット・フリーランスの記者も参加出来る、開かれた会見に為りました。そうした理由も重なり、4候補による論戦を間近に取材しようとする記者が多く現場へと駆け付けました。
立憲民主党代表選の共同記者会見は予定時間を延長する程の盛り上がりを見せました。集まった記者の関心事は来夏の参院選です。新代表は2022参院選を戦う顔にも為りますが、野党候補の一本化を進めるのか? それとも方針転換するのか? ソコに注目が集まりました。
4候補とも野党共闘に付いては前向き
泉健太候補は、候補者のなかで最年少ながら当選回数は最多 11-24-14
立憲民主党の支持者の間でも、野党共闘に付いての評価は分かれて居ます。野党候補を一本化した事に依り、小選挙区で接戦を制した候補者が居た事は事実です。その一方で、比例票は伸びを欠きました。それを、如何判断するのか・・・
程度の差は在りますが、4候補共に基本的に一人区は野党一本化に前向きな意思を示して居ます。只、4候補共に地域の個別な事情を見て行く事にも言及。一本化に伴うメリット・デメリットを考慮して居る様です。
野党一本化で、特に焦点に為りそうなのが京都府選挙区です。京都選挙区は2人区の為一本化調整をしない可能性は高いのですが、改選を迎える福山哲郎議員は2017年に民進党が希望の党へと合流する騒動の際に枝野幸男議員と共に立憲民主党を立ち上げた、云わば創立者でも在ります。
政策には大きな相違点は見られず
福山議員は、先の衆議院選挙でも立憲民主党の幹事長として全国を飛び回りました。既に当選4回と云う重鎮で在り、出馬させ無いと云う選択肢は考えられません。他方、前回の2019参院選では共産党の倉林明子議員が立憲民主党の候補者に競り勝って議席を獲得。京都は従来から共産党が強い地域です。
前回の参院選で議席を獲得した勢いに乗って、今回も共産党が候補者を立てたいと考える事は不自然な話では在りません。そうした政局的な話も重要ですが、モッと肝心な事は4候補者が掲げる政策です。
実は、4候補者が掲げる政策は濃淡在るものの大きな相違点は見られません。経済政策・外交・安全保障等の基本的な方向性は変わりません。しかし、どの政策を優先的に取り組むのか? どの政策を特に重点的と考えて居るのか? 等で党の方針は異為って来ます。
各候補は何に対して力を入れるのか
小川淳也候補は、ドキュメンタリー映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」で話題 11-24-15
逢坂候補は、人への投資を最重要政策として訴えて居ます。人への投資とは、詰まり教育に力を入れる事です。教育に力を入れても成果は直ぐに現れません。それは逢坂候補も口にして居ますが、教育を受ける選択肢を増やす事が将来的な成長に繋がる重要な政策で在り、教育への投資が結果的に経済への牽引力にも繋がって行くとして居ます。
小川候補は、リベラルの立ち位置を守るとして国家主義・権威主義に陥ら無い事を掲げて居ます。その上で、政治を古い昭和モデルから新しい時代に適したものへとアップデートする必要性を強調。その鍵と為るのは政治家への信頼・信用で在るとし、支持を取り戻す為の政策課題に取り組む意気込みを語ります。
泉候補は、普通の安心が得られる社会を掲げ、医療・介護・教育・保育と云ったベーシックサービスの体制作りや拡充に力を入れると宣言。泉候補は国民民主党に属して居ましたが、2020年に立憲民主党と国民民主党が合流したのを機に新・立憲民主党に属しました。
新・立憲民主党が発足した際の代表選にも出馬した過去が在り、そうした意味でも他候補より熟練な面も在りそうです。
立憲民主党代表は11月30日に
西村智奈美候補は、実家が米農家の為第一次産業への取り組みにも積極的 11-24-16
西村候補は国際NGO活動に従事して居た経験から、内と外から社会を見詰め続けて来た事を強調。コロナで疲弊した社会を克服する力として、地方の力・女性の力・草の根の力の3つが重要だとして居ます。又、多様な声を反映させる事の必要性も掲げて居ます。
立憲民主党は強い逆風下に在るので、代表に意欲を示す議員は居ないのではないか? 仮に代表選に出馬する議員が居ても、その数は少ないのではないか? との事前報道も在りました。
フタを開けてみれば、幅広い立候補者が出揃いました。それだけに1回目の投票で過半数を獲得する候補者が出無い事は十分に予想されます。その場合、上位2候補による決選投票に為ります。何れにしても、今月30日には新しい代表が決ります。誰が代表に就任しても、党勢の立て直しから始まります。それは決して容易な作業ではありません。
フリーランスカメラマン小川裕夫 11-24-17
取材・文・撮影 小川裕夫 bizSPA!フレッシュ 編集部
〜管理人のひとこと〜
社会とは、敗者を批判し挙句には人格迄を蔑(ないがし)ろに扱う・・・これが普通の人間の持つ本質です。表に出る新聞・TVでも、記者やコメンテイターと呼ばれる〔ガヤ〕の人達は押し並べてこの種類の人です。そして裏で暴れるSNS・ネットの住民達はモット激しく極端に掌を反すのです。
彼等にしたら、多くの人達の支持を得られ無い人間は〔クズ〕以外の何者でも無くゴミ以下に扱われる・・・これが普通の社会です。
戦後最悪の政治家と呼ばれる安倍晋三長期政権(彼は悪夢の民主党政権・・・が口癖)が成り立ったのは、この様な普通の人を上手く手懐けたに過ぎ無い。それは、次の新たな悪を生む迄に咲いた仇花に過ぎ無いのです。
が、コレに真摯に対抗しようと足掻くのが立憲民主党に共産党・れいわ新選組・民新党の4党合意で在った・・・筈で在ったのですが、敗北するとそれコソ人間以下に扱われてしまう。関が原で敗北し更に大坂の陣で敗走した豊臣側が、歴史上からも消されたのも致し方無いかも知れ無いですね。
しかし、コノ筆者は温かく立憲民主党を取材し記事にして居ます。この様な人が我が国に存在するとは・・・現実はそれ程捨てたものでも無いのです。
確かに創業者の枝野氏は勉強したし頑張った・・・しかし少し頑固だったのは致し方無い。立民の中の反共派を捨てる事も出来ず温存してしまった・・・これが敗因の大部分なのです。〔反共〕とは自民の喜ぶ旧時代の遺産に過ぎ無いのです。共産も含めて〔反自公・リベラル〕と一括りにして共闘するので好かったのです。
〔閣外協力〕等と訳の分からぬ言葉がダメだったのです。共産党外しでは多くの支持者の理解は得られ無かったのです。新たな指導者は、コレを鮮明に宣言し〔維新・国民民主〕を除いた「オール野党」で参院選に臨むべきでしよう。
「一歩間違えば廃墟と化す」 IR計画の亡霊
「一歩間違えば廃墟と化す」
カジノ含む日本のIR計画 が暗礁に乗り上げている理由
11/17(水) 9:16配信 11-17-1
カジノを含む統合型リゾート(IR)の事業者に付いて記者会見する大阪府の吉村洋文知事 2021年9月28日 大阪市中央区 写真 時事通信フォト 11-17-2
統合型リゾート施設(IR)誘致計画の申請が10月1日に始まった。現在誘致を公式に表明して居るのは、大阪府・市、和歌山県、長崎県だ。経済ジャーナリストの芳賀由明さんは「横浜市が撤退した影響が3つの地域に及び始めて居る。コロナで状況は変わった。一歩間違えると、ハコモノ行政の繰り返しに為る」と云う・・・
経済ジャーナリスト 芳賀 由明 11-17-3
■このママでは「歴史的失敗」に現実味
カジノを含む統合型リゾート施設(IR)誘致施策が岐路に立たされて居る。有力候補地と目されて居た横浜市が撤退した影響が残りの3地域にも及び始め、来年4月以降の政府の誘致先選定に暗雲が掛かり始めた。
又、世界で猛威を振るう新型コロナウイルスがIR環境を一変させた。コロナ以前に作られた大規模集客施設の建設計画や経済効果の皮算用を見直しせずに突き進めば、ラストリゾートと持て囃された日本のIR誘致が歴史的失敗に終わり兼ね無い。
国交省はIR誘致計画申請の受付を10月1日に始めた。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で当初予定より9カ月遅れてのスタートだが、コロナ禍がIR誘致に及ぼす影響は受付時期の遅れだけに留まりそうも無い。
現在、IR誘致を公式に表明し事業者の選定を終えたのは大阪府・市、和歌山県、長崎県の3地域。IRの旗振り役だった菅義偉前首相のお膝元で在り最有力候補と迄云われた横浜市が反対派市長の誕生で一転して撤退を決めた事で、政府方針の「最大3カ所迄」と云う枠に収まる3グループは安堵するかに観えた。
しかし事態は全く逆の様だ。横浜の方針撤回に勢い付いて反対運動も活発化、IR誘致を表明した自治体への風当たりが俄かに強まって来た。
■コロナ前後でIRを取り巻く環境が変わった
「コロナの前と後ではIRを取り巻く環境が全く変わった。〔ポストコロナ〕に適応した形に見直さ無ければ必ず失敗する」
吉崎達彦チーフエコノミスト
双日総合研究所の吉崎達彦チーフエコノミストは、コロナ感染拡大前に作られたIR政策や事業計画を早急に見直すべきだと警鐘を鳴らす。
IRの中核施設の開発要件は2018年に施行されたIR整備法とその後の施行令に定められて居り、宿泊施設は客室床面積の合計が10万平方メートル以上(客室換算2000〜2500室) 国際会議施設は概ね1,000人以上の収容能力 展示会施設は国際会議施設の広さに合わせて2万平方メートル・6万平方メートル・12万平方メートルから選択・・・等と為って居る。
又、カジノ施設はIR施設全体の床面積の3%以下に制限する。IR誘致を目指す3地域はこれ等の開発要件に基づいて国に提出する〔区域整備計画〕を策定する為、事業者から提出された計画案を審査して発注事業者を選定する。
詰まり〔区域整備計画〕は国が求めた巨大施設の建設と、それに見合う集客見通しや収益見通し・自治体が求める経済効果を全て盛り込んだものに為る訳だ。
■3地域は優先交渉権を持つ事業者を選定済み
IR誘致に名乗りを上げた3地域は今年9月末迄に優先交渉権を持つ民間事業者を選定済みだ。2025年に開催する万博会場と為る夢洲(ゆめしま)に誘致する大阪府・市は〔米カジノ大手MGMリゾーツ・インターナショナル〕と〔オリックス〕の共同グループを、和歌山市の人口島マリーナシティに誘致する和歌山県は〔カナダ企業の日本法人クレアベストニームベンチャーズ〕を、ハウステンボス隣接地への誘致を決めて居る長崎県は〔オーストリア国営企業の日本法人カジノ・オーストリア・インターナショナル(CAIJ)〕を夫々決めた。
〔MGMとオリックス〕が大阪に提案した事業計画案は、初期投資が1兆800億円で最大規模。2028年の開業を想定して居り、2,500人収容の宿泊施設や6,000人超が利用出来る国際会議場等巨大な施設を造る。雇用創出数は約1万5,000人、府と市は合計年1,100億円の増収が見込めると云う。
〔クレア〕が和歌山県に提案した案は、初期投資約4,700億円で県が当初想定して 2,800億円を大幅に上回る。開業4年で経済波及効果は約2,600億円を見込み、雇用創出効果は大阪並みの約1万4,000人だ。
長崎県に提案された〔CAIJ〕の事業計画も大風呂敷だ。総事業費3,500億円や九州域内への経済波及効果を年3,200億円としたのは、県が経済波及効果3,200億〜4,200億円、雇用創出効果2万8,000〜3万6,000人として 当初見込みに合わせた格好だ。
最大1万2,000人を収容出来るMICE(会議・展示場等)施設も建設する。更に雇用創出効果は大阪や和歌山を大きく引き離し3万人だ。
■「5,000人規模の会議なら、リモートで好い」
事業計画の策定や事業者選定時期は既に新型コロナウイルスの感染が世界的に拡大して居た。しかし国交省は〔中核施設の開発要件〕に沿って巨大施設の建設を既定路線のママ事業計画に盛り込む事を求めて居る。
開発要件の見直しを行わ無かった理由に付いて、観光庁の特定複合観光施設区域整備推進本部は「公的財源を投入しない原則に基づいて自治体が現行制度で施設を造りたい希望もあり、国としても他国に比べて見劣りして居たMICEの国際競争力を高めたい考えもある」(前川翔企画官)と説明する。
地域経済活性化の起爆剤にしたい自治体に取っては、カジノに加えて巨大施設や大規模イベントに依る内外からの集客能力コソが頼りだからだ。しかし、コロナ禍の中、学術やビジネス分野では会議やイベントの大部分がオンラインで行われる様に為り、MICE施設の利用ニーズは世界的に縮小した感が否め無い。
IR業界に詳しい国際カジノ研究所の木曽崇所長は「国交省は新型コロナ感染前に作った開発要件をコロナ後も全く変えて居ないが、今や5,000人も集めて会議を行うニーズは無い。リモート会議をすれば好い」とMICE市場の変貌を指摘する。
大型IRの必要性や開発要件を見直すには政府方針の転換が不可欠でIR整備法の改正も必要と為る為、観光庁が及び腰に為るのも仕方が無いかも知れ無い。
■和歌山では「二階王国」が揺らぎ始めた
自治体のIR誘致計画申請の受付が始まった10月1日。横浜市では、林文子前市長が2年前に設置した都市整備局内の「IR推進室」が廃止された。「ホボ当確」(自民党関係者)とさえ言われて居た有力候補の横浜市が撤退した事で、以前から手を挙げて居た3地域の誘致政策にも少なからず影響を及ぼし始めた。
10月31日の衆院選を機に市民運動にも新たな動きが出て来た。申請受付期限の2022年4月28日迄無風とは行かなそうだ。菅前首相と同様にIRを強力に推進して来た二階俊博前自民党幹事長の地盤・和歌山3区は衆院選で最多の4人が立候補した。
元総務省職員の本間奈々氏等二階氏を除く3人がIR誘致に反対だった。中でも本間氏は二階氏を中国寄りだと厳しく批判し、二階氏が進めて来たカジノ建設で治安が悪化すると力説。反二階派や市民団体等の票を集めた。
選挙では殆ど地元回りをし無かった二階氏だが、今回は幹事長退任に依る影響力低下の危機感からか山間の過疎地区迄入り「政治の原点はふるさとだ」等と熱心に街宣して回った。蓋を開けてみれば二階氏の圧勝だったが二階王国が揺れ始めた。
衆院選前の10月8日に開かれた県のIR対策特別委員会では、県からIR運営会社クレアベストニームベンチャーズ(カナダ)の日本法人を中心とする共同事業体を優先事業者に選び〔区域整備計画〕の原案作りに入るとの説明が在った後、自民党県議から事業の不安定さや不透明さを問題視する質問が相次いだ。
山下直也議員は「非公開だからと云って姿が見え無いのでは信用出来無い」と指摘。事業者との契約関係が曖昧な事の説明を求めた。党県議団の重鎮、冨安民浩議員は「資金調達や収益等、大事業を遣るのにコレでは心許無い。県が何が何でも進め様として居るのは問題ではないか」と疑問を呈した。
県の楠見直博IR推進室長は「未だ未確定な部分は残って居るが11月には『区域整備計画』の原案を作り上げる」と苦しい説明に終始。推進派で在る筈の自民党議員からの追及に当惑気味だった。
■市民団体は住民投票を求める署名活動を開始
横浜市長選の影響を問われた仁坂吉伸知事は報道陣に「ヤッパリIRは良く無いんだと云う人が増えそうだ」と心配して居たがそれが現実に為った格好だ。
県にはカジノに反対する3つの市民団体が在るが11月6日、これ等のグループが中心と為りIR誘致の是非を問う為の住民投票を求める署名活動を開始した。
「ストップ!カジノ和歌山の会」の豊田泰史共同代表は「新型コロナでIR事業者は何処も経営不振に為り、大きな会議場も要ら無く為った。強い業者は撤退したし選定された業者の経営状況も良く無い。建設しても更に環境が悪化すれば廃墟に為り兼ね無い」と危惧する。
豊田氏は横浜市と同じ方法で市民の問題意識を高めたいと考えて居る。「住民投票の請求は6,200人の署名で可能だが、2万人以上を集めて12月に市長に提出したい」と云う。署名が所定数に達すれば市長は住民投票条例案を市議会に諮ら無ければ為ら無い。
自民県議は選定事業者の経営状況を不安視して居る上、維新の会は県議・市議共IR誘致に反対して居り大阪とは温度差が在る。二階氏の神通力が弱まり始めた和歌山でIR誘致の是非が改めてクローズアップされそうだ。
■事業者選定プロセスの不透明さが指摘される長崎県
近畿圏の2地域に比べ地元政財界や県民の歓迎ムードが強い長崎県だが、運営事業者の選定を巡り不透明な手続きが問題視されて来た。事業者選定では、1次審査で〔CAIJ〕を大幅に上回る得点を取って居た2事業者が2次審査で落選した事で、2事業者が審査結果に疑義を申し立てて居る。
しかも県から事前に「信用性」や「廉潔」の問題等を理由に辞退を迫られたと云うのである。
9月16日の県議会で、自民党の溝口芙美雄県議は「(落選した)業者から選定過程に問題が在ったと云う意見が出た様だが公平・公正に行われたのか」と説明を求めた。中村法道知事は「選定は外部の専門家に依る審査委員会を設置して公平・公正・透明性を以て行われ内容は公表されて居る。社会的信用性と廉潔性は県が独自に行い、その結果は審査委員会にも開示して居ない」と答弁。
落選事業者が問題視して居る県の「独自調査」の判断基準は飽く迄公表し無い方針だ。カジノ・オーストリアが本国で政治家の汚職事件に関係が在るとの報道も在り、県の選定過程の不透明さは今後も尾を引く可能性がある。
「ストップ・カジノ!長崎県民ネットワーク」は6月末迄に1万人超のIR誘致反対署名を中村知事に手渡したが、その後も署名運動を継続中だ。新木幸次事務局長は「横浜の撤退やIRの実態も市民には好く知られて居ない様だ」とモドカシサを感じて居るが、11月末から始まる県議会に新しい署名を提出する準備を進めて居る。反対意見の盛り上がりに期待して居る。
■盤石の感が在る大阪にもサザ波が・・・
衆院選では維新の会が議席を41に伸ばして第3党に躍進。盤石の感が在る大阪も例外では無い。吉村洋文大阪府知事は8月の横浜市長選の翌日「横浜が大阪のIRに影響を与えるものでは無い。如何云うものが出来るかを丁寧に説明しながら進めて行く」と報道陣に述べ、横浜市撤退の影響を否定して見せた。
しかし〔カジノに反対する大阪連絡会〕等が11月中に横断的な反対活動に打って出る準備を進めて居る。同連絡会は2018年以降の署名運動で約10万人もの署名を府や市に提出した。有田洋明事務局長は「大阪には今カジノ反対を掲げるグループが8団体在る。衆院選が終わったのでコレから足並みを揃えて強力に運動を展開する」と意気込む。無風に見えた大阪にもサザ波が立ち始めた。
■無視出来ない住民の「総意」
3地域は今後、選定した事業者と共同で国に提出する「区域整備計画案」を策定し、県議会やパブリックコメントに依る意見募集等を経た上で、来年4月28日迄に国交省に提出する。
和歌山県の場合は、現在〔クレアベスト〕と共同で区域整備計画の原案を策定中で11月末に完成させる。その原案を公表してパブリックコメントを募集。来年2月に和歌山市と県公安委員会の承諾を得た上で、県議会に区域整備計画案を提示し決議して貰う。国交省への申請は4月中に為る見通しだ。他の2地域も概ね同様のスケジュールと為りそうだ。
審査に当たっては、計画そのものの内容やギャンブル依存症対策に加えて「キチンとしたプロセスを経て居るか、住民のコンセンサスが出来て居るか如何かを観て行く」(特定複合観光施設区域整備推進本部の前川企画官)方針だ。
自治体としての「総意」が認められ無ければ〔落選〕の憂き目に遭う能性も在る。その意味でも、反対派の活動を無視出来無い訳だ。
■IR計画の見直しには「ポスト菅」が不可欠
反対派の最大の理由はギャンブル依存症増加や治安悪化と云えるが、双日総研の吉崎氏は
「依存症に神経を尖らせるのは、パチンコや競馬等誰でも何時でも出来る賭け事が野放し状態だったから。IR整備法に関連して全てのギャンブルが対象の依存症対策が義務付けられた上、カジノは日本人の個人管理を徹底するので心配には及ば無いだろう」
と楽観視して居る。反対派の中には「コロナ禍で状況が変わったのに(和歌山県は)何も検証しないで突き進んで居る」(豊田氏)と県に見直しを求める意見も少なく無い。吉崎氏は、ポストコロナの時代に合わせて今からIR施策を見直すには、旗振り役を続けて来た菅前首相に代わる「ポスト菅」の存在が不可欠と云う。
施設の規模を見直す場合はIR整備法や施行令等制度改正を伴う事に為る為「時間的に絶対無理」(観光庁)と云われるが見直すべき部分は他にも多い。高率の税制や納付金・10年の権利期間も有力事業者が撤退した要因と見られて居る。
「コロナ後の世界経済の中で、完成後実質5年程度で投資回収を見込むのは厳しい。横浜のIRから早々に撤退した米ラスベガス・サンズの判断は極めて合理的だった」(吉崎氏)
■一歩間違えると「ハコモノ行政」を繰り返す事に為る
一方、木曽氏は自治体グループが公表した経済効果や集客予想に対し「事業者や自治体の事情も在ったのだろうが、盛り過ぎだ」と問題視する。予想数字と現実が余りに大きく乖離するとそれだけで「失敗」の烙印を押されかね無い。自治体側は区域整備計画で、ポストコロナを見据えた冷静な経済効果算出が不可欠と為りそうだ。
観光等の「遊民産業」の経済効果に期待する吉崎氏は「ポストコロナの観光業の答えは誰も判ら無いが、最も進んだIRを日本で実現出来れば良いツールに為る」と期待を寄せる。
2002年に発足した「カジノと国際観光産業を考える議員連盟」(現国際観光産業振興議員連盟・IR議連)の初代会長だった野田聖子氏はIR整備法案が党総務会で了承された時に「観光立国としての初めの1歩だ」と興奮気味に語った。
しかし、これから始まる本当の「1歩」を踏み間違えると、バブル経済期に日本各地で乱立し、解体されたり廃墟と為った「ハコモノ行政」の愚策を繰り返す事に為り兼ね無い。
経済ジャーナリスト 芳賀 由明 1981年早稲田大学法学部卒業 91年日本工業新聞社経済部および産経新聞社経済本部で電機・自動車・日銀・東証・経産省・総務省等の担当を経て次長 2013年経済本部編集委員 2017年NHK交響楽団総務部長 2021年6月独立 北海道出身
〜管理人のひとこと〜
昭和の時代の東映・ヤクザ映画を観て居る様だ。為政者とアラユル顔役が金儲けの為に不法な〔事業〕を法律で〔合法的な事業〕とし〔ドデカい利権〕に群がる色々な民間企業を巻き込んだ〔闘争劇〕と為る。堂々と事業の許認可を巡る札束が飛び交い、裏ではヤクザ同士の命の遣り取りが・・・主人公は、庶民に苦渋を与えるだけの〔合法的な事業〕に反対し庶民と共に立ち上がり戦う・・・この事業の為に新たな税金が作られ、更に官庁や地方自治体で新たな部署の為の増税が・・・全てのシワ寄せは庶民からの涙で在り税金で在る。
公的賭博だけか問題では無い。この「利権」に群がる企業群から〔何等かの利益〕を掠め取ろうと云うサモシイ気持ちが時代遅れのヤクザの思考なのだ。安倍長期政権がもたらした最後の置き土産、安倍晋三の亡霊の様な「IR構想」なのである。コロナの終焉と同時に自然消滅される事を祈る・・・
2021年11月22日
「日本は貧乏が似合って居る」 立川談志
「日本は貧乏が似合って居る」
立川談志が生前にコノ言葉を繰り返して居た真意
11/21(日) 12:16配信 11-22-20
談志と筆者 筆者の真打昇進披露パーティーにて 撮影 ムトー清次 11-22-21
立川流真打・落語家 立川 談慶
■談志の言葉の数々は 予言だったのではないか?
今年の11月21日で、我が師匠談志がこの世を去って丸10年です。思えば、今から10年前の2011年は、談志・ビンラディン・カダフィ大佐・金正日と、独裁者4人が消えた年でありました(笑)
ま、冗談は兎も角、私ことコノ度不肖の弟子として、没後10年の晩秋に合わせて『不器用なママ、踊り切れ。超訳 立川談志』(サンマーク出版) 『天才論 立川談志の凄み』(PHP新書)を出版させて頂きました。前者は「過去の談志の発言集をデータベースに、もし談志が今も健在だったら、コンな事を言って居た筈だ」と云う観点から談志の言葉を思い切り「超訳」してみました。
後者は「前座修業クリアに他団体の3倍近く要しながらも、その後回復運転し、トータル14年で真打ちに昇進した自分のドキュメンタリーから浮かび上がって来た談志の天才性に付いての論考」です。
2冊に共通するのは「談志の言葉の数々は予言だったのでは無いか」と云う観点です。日本は、先進国で唯一給料の上がって居ない国に為りました。平均賃金では韓国に既に抜かれて居ます。
平成元年は世界4位だった国民1人当たりGDPは18年には26位迄転落し、アジアでも香港やシンガポールに大きく引き離されても居ます。
「日本は貧乏が似合って居る」
生前談志がサイン色紙に頻繁に記して居た言葉ですが、正に似合うと云う形に収まったと云う感じがします。
■「栄華を極めて国は滅びる」
此処で談志の少年期を想像して観ましょう。育ち盛りのアノ忌まわしい戦争体験が後の談志の人生にも多大なる影響を及ぼす事にも為りました。今年で入門が丁度30年に為る私ですが、今振り返ると未だバブルの余波と云うか、景気の良さが残って居る入門当初の時期に「日本は貧乏が似合って居る」「アノ頃は国中が貧乏だった」と頻繁に呟いて居たものです。
「日本は貧乏が似合って居る」ナンて、一見「皆で貧乏に為って廃れてしまえば好い」等と云う過激で厭世的な主張なのかと誤読され勝ちですが、決してそうではありません。これも好く言って居た「貧乏で国は滅び無い。栄華を極めて国は滅びるんだ。ローマ帝国を見よ」と云うセリフを補助線に「超訳」すると、好景気で浮足立って居る人達に対する冷ややかな目線が光って来る感じがします。
「バブルが残したものは何か?金持ちに為って何をした?海外へ女遊びに行った位だろ」
とも落語会のマクラでも揶揄(やゆ)して居ました。「俺達は戦後の焼け野原からアソコ迄立ち直ったんだ」とキラキラした眼差しで、悲惨な環境から復興して行くこの国の底力を見届けた談志からして観れば、裕福な場所からでは無く「貧乏と云うマイナスなスタート地点から出発すべきだ」と云う現代人への叱咤(しった)激励にも聞こえて来ませんでしょうか。
「俺がお前にして遣れる親切は情けを掛け無い事だ。欲しけりゃ取りに来い」
と云う言葉も前座の後半期に好く云われたものでした。
■「自作の持ち帰り容器を持ち歩く」談志ドケチ伝説
そして、戦後の貧しい時代に生まれた談志は非常にケチでした。前座の入門当初、談志が舐め掛けて居たのど飴を、もう舐め終えたものだと思って捨ててしまった事で怒鳴られた事が在りました。
「バカ野郎、何て事するんだ。未だ舐められたのに!」
と、のど飴を喉から手が出る程に惜しんで居たものです。私の真打ち昇進パーティーの会場で出されて居たピラフは「談志パック(談志の絵と「食べ物は大切に」等と書かれたオリジナル容器)」に入れて持ち返り、炒め直しては食べ続けて居ましたッけ。
滞在先のホテルに置かれて居た小さな石鹸を「ミカンを入れるオレンジ色の網」に詰めて大事に使って居たものです。正に「ネット(網)」を当時から駆使して居たのです(笑) もう此処迄来ると、ケチと云うマイナス評価を通り越して、談志のキャラに迄昇華しても居ました。
■不快感を自分の力で解決するのが「文化」
「しわい屋」と云うケチを自慢する落語があります。あるケチな男が「1本の扇子を10年持たせる方法が在る」と言って「半分だけ広げて5年仰ぎ、次の5年でそれを畳んで残りの半分を広げて使う」と主張します。言われたケチな男も負けては居ません「俺はソンな事しない。扇子はそのママ動かさ無い状態で顔を方を動かす」
談志は「此奴は見事だ。不快感を自分の力で解決して居る。文化そのものだ」と絶賛して居ました。談志は、文明と文化を次の様に定義し、生涯を通してアンチ文明の立場でした。
「不快感の解消を自分の手で遣るのが文化で、お金で他人や機械に遣って貰うのが文明だ」と。 詰まり、江戸時代とはソモソモ文明が未発達で、文化に頼らざるを得無かった時代でも在ったのです。
そんな環境だからコソ、落語の様な大衆娯楽が生まれたのだと考えて居ました。だから、貧乏に戻る事は、現代人が文化を取り戻す良い切っ掛けに為ると云える訳です。
勿論談志とて現代人です。多少の文明の恩恵は享受しつつも「何とかして文明の思い上がりを食い止めよう」と文化人としての気概を、落語を通じて訴え続けて居た様な感じでした。
芸人故の茶目っ気が溢れて居ましたから、徹底して文明批判を貫く様な活動家的なポジションでは決して在りませんでした。
■文明社会の成れの果て
処で、このママ文明がアクセル状態を続けて行けば如何為るのでしょう? 今や地球環境が悲鳴を上げて居ます。 富と成功の象徴としての億万長者が利用するプライベートジェットのCO2 排出量は、長距離バスの10倍、高速列車の150倍と迄言われて居ます。
そう考えて見詰めてみると「SDGs」が叫ばれる遥か以前から談志はこの現況を笑いと共に訴え続けて居たのかも知れません。マルクスが再評価されピケティが注目され、斉藤幸平さんの『人新世の資本論』がベストセラーに為ったりと、コウ云う時代を談志は想像して居たのかも知れません。天才にはキット見えて居た筈です。
■フェミニストだった談志
「男が勝手に作ってダメにした社会を、直して行くのは女だろう」
これも談志を代表する名言の一つでした。談志は可成りのフェミニストでした。20年以上前ですが、当時前座の分際で結婚した私でした。前座と云うのは修行期間の身分故、云わば結婚するのはご法度に近い事です。
私はコッソリ結婚して、ほとぼりが冷めたら談志にカミさんを紹介しよう等と姑息(こそく)な事を考えて居たのですが、カミさんはとても気丈でした。
「後で師匠に『ナンでアノ時に言わ無かったんだ!』と言われるのは嫌だから、ドンなに怒られても好いから挨拶に行きたい」
と云う彼女の声に押される格好で根津のマンションへ向かいました。夏場の事でした。談志はランニングと短パンで寛いで居たのですが、カミさんの姿を見掛けると直ぐ奥の部屋に戻り、ポロシャツを上に着て応対して呉れたものです。
無論、結婚に関しては「身分をわきまえろ!馬鹿野郎」と激怒されましたが、 その後も、カミさんのお礼状への返信には、直筆で「何か在ったら力に為ります」と墨痕鮮やかに印して呉れました。
二人のお子さんや御内儀さんからは「パパ」と呼ばれて居ました。家父長制の延長線上に位置すべき徒弟制度を前提とする落語家としてはとても異例の事だった筈です。
「男に出来て女に出来無い事は無い。運転は男の方が旨いナンてウソコケで、女には経験が無いだけだ。大概何処の家も亭主がだらしなくて、カミさんが確りして居るものだ」
とも言って居ました。正に「LGBT」と云う言葉の先駆けの様な思考を持って居たのです。女性蔑視発言等で窮地に追い遣られた森元首相と同世代の人の考え方とはとても思えませんよね。矢張り革新的な思考だったのです。
だからコソ「落語は人間の業の肯定だ」と云う落語への歴史的な定義を施したばかりでは無く、それ迄の落語のスタイルや存在意義迄も変える様な革命を遣って退けたのでしょう。
■地球と女性を大切に
そんなバランス感覚と先見性が在ったからコソ、談志からして観れば、男性が「勝手に作ってダメに為った社会」をキチンと立て直して行くのは女性だろうと云うのは予言では無く「未来への提言」にすら思えて来ます。
以上、まとめて「超訳」すると、もし談志が此処に居たの為らば
「地球環境を大切にしろよ。人間さえいなけりゃこんな好い星は無い。そして、モッともッと女性を大事にしろよ。それから談慶のバカの書いた本、買って遣って呉れよな」
と、優しい言葉を残して呉れて居た筈です。天才の言葉、今コソ噛みしめましょう。 「落日」の後は「朝日」です!
立川 談慶(たてかわ・だんけい) 立川流真打・落語家 1965年 長野県生まれ 慶應義塾大学経済学部卒業 ワコール勤務を経て91年立川談志に入門 2000年二つ目昇進 05年真打昇進 著書に『大事なことはすべて立川談志に教わった』等
〜管理人のひとこと〜
世間を斜めから読み解く・・・噺家とはソンな批判的心情が無いと存在感が問われてしまう・・・と考えてしまうが、逆に噺家迄が政治に口を出す・・・との批判めいた言葉も在りましょう。しかし、公務員でも会社員でも無いフリーの立場で何事かを呟くのは個人の勝手であり自由です。
噺家程自由にものを言える職業も無いのです・・・現在は余り、テレビのニュースショーに出る噺家も少ない様ですから。社会から縛られる事も少ないのです。管理人も談志氏の落語の大ファンです。矢張りある種の天才と云って間違いありません。アノ口調がとても好きですね、優しさが話の中に溢れ出て居ます。
しかし、この時代の落語家生活は大変でしょう・・・政府から補助金は無いのでしょうか、そんな気の利く政府では無い様ですね。何れにしても世知辛い世の中な事は変わりません。