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2021年11月13日
映画『村八分』で描かれる閉鎖性は 日本社会の縮図で在り原点
映画『村八分』で描かれる閉鎖性は
日本社会の縮図で在り原点
11/12(金) 17:55配信 11-13-1
《法よりも道徳が大切? 村ぐるみの替え玉投票を告発した女子高生とその家族に向けられる怒り・・・テーマは正しく同調圧力だ!》
ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN 11-13-2
決め付けて申し訳無いけれど、この映画を観た人はとても少ないと思う。僕は存在すら知ら無かった。再来年公開予定の僕の劇映画のプロデューサーで在る井上淳一から「作りは兎も角内容は参考に為るかも」と渡されたDVDで視聴した。
森達也(映画監督・作家)『村八分』の公開は1953年。製作は近代映画協会と現代ぷろだくしょん。脚本は新藤兼人で、監督はコレがデビュー作と為る今泉善珠(よしたま)。
殆ど期待せずにソファに寝転がって観始めた。でも始まって20分を過ぎた頃、僕は居ずまいを正して居た。この映画は凄い。1952年に静岡県富士郡上野村(現・富士宮市)で起きた人権侵害事件を題材にしたこの映画は、静岡県の参院補欠選挙の発表の日から始まる。
朝陽新聞(実際には勿論朝日新聞)静岡支局の本多記者(山村聡)は、野田村で大規模な替え玉投票が行われて居た事を訴える投書を入手した。投書の主は野田村在住の女子高生・吉川満江(中原早苗)。村を取材した本多は、役場が主導する形で不正投票が行われて居た事を突き止める。その記事が朝陽新聞に掲載され、司法当局と警察が捜査を始める。
村の有力者の言うママにして居た村人達はパニックだ。その怒りは投書を書いた満江とその家族に向けられる。 詰まり村八分だ。映画の中盤迄は、その村八分の様子が克明に描かれる。
丁度、種撒きの時期なのに、村で共有して居る牛や馬を吉川家は貸して貰え無い。満江が通う高校の校長は、法よりも道徳が大切だと遠回しに満江を戒める。でも社会科担当教師の香山(乙羽信子)は、貴女は間違って居ないと満江を励まし続ける。
状況を知った本多記者は、この村八分に付いても記事にする。多くの新聞や雑誌、そしてラジオの取材が村に押し掛ける。但しメディアは、吉川家を救わ無かった。本多のキャラクターも可成り好い加減だ。意図したか如何か分から無いが、70年近く前の映画なのに今と変わら無いメディアの問題が提起されて居る。
特筆すべきは村の閉鎖性と普遍性だ。幾ら記事を書いても状況は変わら無い事に苛立った本多が「泥沼に杭を打ち込んで居るみたいだ」と妻に言って「日本中が泥沼さ」と続けるシーンが在る。
ラジオの取材でマイクを向けられた村人は「吉川満江さんをどう思うか」と問われ「何も考えて無い」と即答する。満江の高校で〔生徒大会〕が行われ「純朴な村人達だ」との意見に「だから悪い人に利用されるんだ」と反論の声が上がる。安易に善悪を対置させる事を敢然と拒否して居る。
《テーマは同調圧力》
こうした映画が今は撮り辛い理由は、吉川家以外の村人(詰まり一般の人)達を加害者として描く事に為るからだ。善意のママの加害。だからコソ暴走する。そんな事例は幾らでも在る。映画はそれを提示する。社会に喧嘩を売って居る。
テーマは正(まさ)しく同調圧力。悩む村人も居るが、自分が村八分に為るので声を上げる事が出来ない。所謂村落共同体的メンタリティー。 正しく日本社会の縮図で在り原点で在る事を実感した。そして昔の邦画が、これ程果敢に現実に切り込んで居た事も。
『村八分』(1953年) 監督・今泉善珠 出演・中原早苗・藤原釜足・英百合子・乙羽信子・山村聰《本誌2021年11月16日号掲載》
〜管理人のひとこと〜
戦争が終わって8年後の我が国の話で、管理人が小学校の2年生の時の日本の状況だ。内容を観ると今でも幾らでも在る様な話だ。悪魔の様な独裁者? 安倍前首相当時に行われたアラユル不正・・・例えば「桜を観る会」に招待された人達が内心は「コレは国の税金を使った不正な接待だ!」と認識しつつ「安倍後援会に入って居れば何かと利益に為るから・・・」と皆と同調しつつ利用される・・・この話と全く根は同じなのだ。
政権が2度も変わったのに「森友・加計には触ら無い」との約束に囚われて法を司る関係者は身動きも取れず、新たに任ぜられた党の役職者も自ら「その問題には触ら無い」と公言せずには居られ無い状況下に在る。皆で法を破れば怖く無い・・・今と全く同じなのだ。
2021年11月12日
子役から60年芸能界を生き抜いて来た秘訣 岡本信人が語る
「渡る世間は鬼ばかり」周平役の岡本信人が語る
子役から60年 芸能界を生き抜いて来た秘訣
11/12(金) 8:30配信 11-12-1
「渡鬼」の新作のスペシャル制作が予定されて居た
「渡鬼」では役の為に髪を染めて居た岡本信人さん【写真 山口比佐夫】11-12-2
「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)の脚本家・橋田壽賀子さんがこの4月に95歳で逝去。本作のプロデューサーの石井ふく子さん(95)は健在だが「渡鬼」ファンは「もう見られ無いのか・・・」とショックを受けた。
多くの石井作品を初め「渡鬼」でもレギュラー出演して来た俳優・岡本信人さん(73)も同じだったろう。〔草を食べる人〕としても知られる岡本さんに弊社事務所で今の思いを聞いた。(取材・構成 中野裕子)
2020年の5月に、石井先生から「今年も鬼渡のスペシャルを遣りますので」と云うお電話を頂いて居ました。でも、それから新型コロナウイルス感染症がドンドン拡大して行き、その後の連絡が無かったので「こりゃあダメかナア」と思って居ました。そうしたら、橋田先生がこの4月に亡く為られて・・・具合が悪いとは聞いて居無かったので驚きました。
橋田先生の遺志で葬儀もお別れの会も執り行われず、予定のスペシャルも無く為り「渡鬼」は終わってしまいました。本当に残念。寂しいですネ。
橋田先生とは「渡鬼」の他、もう10年以上前ですが「橋田さん家のティータイム」と云うTBSのCS番組でナレーションをさせて頂いて居ました。特番のゲストに呼んで頂いた事も在り、熱海の野草を先生と一緒に摘んで先生のご自宅で料理をして食べて頂いたんです。
4月でしたからタンポポ・ヨモギ・ハコベ・ナズナ・・・先生が「トテモ楽しかった。ハコベのバター炒めが一番美味しかった」と仰ったので驚きました。結構青臭いのでお嫌いかと思ったので。ヨモギは先生のお宅のお手伝いさんがヨモギ餅にして下さって、新鮮で香り高く美味しかったですね。楽しい思い出です。
泉ピン子とえなりかずきの本当の仲は・・・?
橋田先生は、本を書かれたら後は役者にお任せで何にも要望を出されませんでした。でも、ラジオドラマの様にキチっと台詞(せりふ)を書かれて居るので、アドリブを入れたりしたら辻褄が合わ無く為ったりして後々大変。だから、先生の書かれた通りに喋って居ました。
私ナンかの台詞は短いのですが、長いセリフの間に丁度好い具合に入れる・・・と云うのは案外プレッシャーナンですよ。トチッたら、長いせりふを喋って居る方達にもう一度初めから喋らせる事に為る訳だから。長台詞を喋ってる方が楽だナ・・・と云うのは、台詞が短い者の負け惜しみなんですけど(笑)
親子役だった泉ピン子さん(74)とえなりかずきさん(36)が話題に為って居る件に付いては、何で?と思って居ます。私は、えなりさんが役の上で結婚してからは、撮影現場で一緒に為らず、リハーサル室でも会わ無いので、会うと言ったら打ち上げの時位。
だから、2人の間に何が在ったか全く分から無いんですよ。でも、ワザワザ「如何為ってるの?」と電話で聞く事も出来無いしね。視聴者は「渡鬼」と云うホームドラマのイメージで見て居る訳ですから、楽屋の事は表に出さ無い方が好いんじゃないかと思いますネェ。
ナンと! 役者を辞め様とした事も在った
「運が90%以上」と謙虚な岡本さん【写真 山口比佐夫】 11-12-3
私は12歳の時、建築家だった父の仕事の関係で山口・萩から横浜・東京と転居して来て、大人しく為った私を心配した父に「劇団ひまわり」を勧められてコノ世界に入りました。子役でデビューし、最初は周りに言われるがママでしたが、日活の撮影所の食堂で故・石原裕次郎さんにお会いして「ウワアッ!」と驚いて、華やかなこの世界に魅力を感じる様に為りました。
お陰で、中3の通知表は〔アヒル(2)の行進〕(笑) 高校生に為ると、父が自分でコノ世界を勧めて置きながら「劇団を辞めて建築の勉強をしなさい」と私を理系に進ませたんです。
大学時代に石井先生の「肝っ玉かあさん」(TBS系)がスタートしたので「『肝っ玉かあさん』が終わったら辞めるから」と言って居たら「肝っ玉かあさん」に重なって「ありがとう」(TBS系)が始まり長く続いたので父も諦めましたけどネ。
〔子役は大成しない〕と言われ苦労する子役出身俳優は少なく在りませんが、私は恵まれて居ました。「肝っ玉かあさん」「ありがとう」で石井先生に使って頂き、その後「渡鬼」ですから。ホームドラマのイメージでズッと遣って来られました。
自分で特段、アア為りたいコウ為りたいと藻掻(もが)いたと云うより、小川に流された笹舟みたいに流れに任せ、沈ま無い様その場その場で最善を尽くして来たと云うだけです。運が90%以上。
子役は、大きく為った姿を突然皆さんに見せたら違和感が在るかも知れませんが、例えばえなりさんの様な場合も、幼い時から作品の役と共に成長しその姿を視聴者に見守って頂けたのは、俳優としては幸せな事ではないかと思います。
橋田先生も優しかったですが、石井先生も優しい方ですよ。初めてお会いしたのは「肝っ玉かあさん」のオーディションの時。当時の所属事務所から「TBSのプロデューサーに会って来て」と言われてお会いしたのが石井先生だったんです。
先生は私を見て「イヤホン付けてトランジスタラジオ聞こうか」ってそれだけ。何だったんだろうと思って居たら、そう云う役・・・〔出前の健ちゃん〕だったんですネ(笑)今振り返ると運命的な出会いでした。ホンと感謝しか無いですネ。
その後、先生が担当されて居たドラマ枠・東芝日曜劇場にも呼んで下さったのですが、そのスタジオでトライリハーサルをして、終わって化粧室に戻ったら、台本をスタジオに忘れて来た事を思い出し取りに戻ったんです。
そうしたら、石井先生が「信人は叱るとダメだから叱ら無いで」とディレクターに話して居るのが耳に入って来ました。細かい事迄見抜かれて居るんだなと有難く恐縮しました。でも、その後に先生の舞台に出させて頂いたら「バカ! 何遣ってんだ!」って叱られましたけどね(笑)
ソロソロ終活を・・・と思って居たら大河出演のオファーが!
緊急事態宣言下では野草を堪能して居た【写真 山口比佐夫】11-12-4
カミさんとは29歳で結婚し娘と息子が居ます。子供は2人共芸能界には入りませんでした。私がスターでは無いから、興味が沸か無かったのかな(笑)カミさんは見た目も中身も「渡鬼」の(役の上で妻だった)聖子ちゃんの様な女性じゃ無いですよ(笑)孫は2人。
コロナ前は毎年皆で年2回旅行をして居たのですが、コロナの間は殆ど会えず、お誕生日の時等だけ玄関先で会ってプレゼントを渡すダケでした。でも、孫は受験を控えたりもして居ますから、勉強に忙しくもうお爺ちゃん処じゃ無いんです。
私自身はコロナ禍で緊急事態宣言が出て居た間はズッと家に居て、毎日グルグルと近所を散歩して野草を観察して居ました。春から秋に為り、年が明けたら七草を採りに行っておかゆを炊いて。3月半ばに為ったら土筆(つくし)で卵とじ。土筆は旬が10日間位しか楽しめ無いから絶対外せません。ソンな生活を2回転して、四季の季節感をユックリ楽しんで居ました。
私も73歳に為り年が明けたら74歳。ソロソロ終活を考える年齢です。「押し入れのものを片付け様かな」なんて思って居ました。処が、この3月にNHKから電話が来て2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」への出演を打診されました。
脚本家の三谷幸喜さんのご指名でしょうか、10年振りの大河です。この歳で呼んで頂けるナンて嬉しくてご期待に応えたいですね。
7月に撮影が始まりました。私は源頼朝の御家人・千葉常胤(ちばつねたね)と云う勇猛な板東武者の役。鎧を着けて演じて居ます。鎧が結構重くて、胡坐(あぐら)から立ち上がろうとすると、スッと立つのが大変で(笑)元気で体力が無いと行けません。
毎日5,000歩以上散歩を兼ねたウォーキングを続け、食事に気を付けお酒も程々にしてコンディションを整えて居たので頑張れて居ます。お陰で考えて居た終活は、暫く出来そうにありませんね。
岡本信人(おかもと・のぶと) 1948年1月2日 山口県岩国市生まれ 山口市・萩市育ち 東海大学第二工学部建築学科卒 中学2年の時「劇団ひまわり」入団 62年12月、子供向け連続ドラマ「明日を告げる鐘 少年福沢諭吉」(NHK)で子役デビュー 石井ふく子プロデュースの大ヒット家族ドラマ「肝っ玉かあさん」「ありがとう」「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)にレギュラー出演した他 人気ドラマ「ふぞろいの林檎たちU」「アリよさらば」(TBS系)等にも出演し名脇役として活躍 又〔雑草を食べる〕と云う個性的なキャラでバラエティー番組でも活躍 私生活では77年に結婚し娘1人孫2人 2022年1月スタートの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(NHK)に出演予定
中野裕子
〜管理人のひとこと〜
私もTBSドラマ「渡鬼」を楽しみにして来たファンの一人である。妻は「理屈ポク・台詞が長く聞いてられ無い」と嫌うが、私はソコが面白いのである。この役者はどの様に努力してコノ長い台詞を覚えたのだろうか・・・難儀な役だな・・・と、同情しながら「途中で詰まら無いだろうか?」と意地悪な目線で見て居た。
ドラマは次々と難儀な事件が起こり、それを色々な人が努力して切り抜けるのだが、常に時の話題を取り入れた斬新な設定の筋書きだった。これも、作者が猛勉強されて居たのだ。予算と時間と「人情」の三拍子が揃わ無いと不可能な企画なので、今後は期待出来ない作品だろう。コレはTVドラマ界の古き良き時代の産物だったのだ。
江戸時代の遊廓で女性達が体現して居た「色好み」
「床上手」とは如何云う意味か・・・
江戸時代の遊廓で女性達が体現して居た「色好み」
1/11(木) 15:16配信
豊国『浮絵新吉原夜遊之図』に見える吉原入り口の面番所 出典『遊廓と日本人』11-11-20
過つて日本には「遊廓・ゆうかく」と云う場所が在った。ソコでは「遊女」と云う女性達が客を取り金銭を稼いだ。
法政大学名誉教授の田中優子さんは「遊女達は、日本文化の核心で在る『色好み』の体現者として、豪商や富裕な商人・大名・高位の武士達と教養の共有を果たして居た」と云う・・・
※本稿は、田中優子『遊廓と日本人』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです。
法政大学 名誉教授 田中 優子 11-11-21
■京都の文化人で豪商の正妻に為った吉野太夫
一体、遊廓に暮らす遊女とはドンな人達だったのでしょうか? 江戸時代の遊廓は平安時代以来の日本文化の一つの表現でした。それは遊女の在り方に最も現れて居ました。一例を挙げます。
江戸時代の京都の島原遊廓に吉野太夫と云う人が居ました。太夫(たゆう・・・後に〔花魁・おいらん〕〔呼び出し〕とも言う)とは、遊廓で最高位の遊女の事です。吉野太夫は或る豪商から結婚を申し込まれました。しかしその豪商の親族に反対されましたので、諦めて郷里に帰る事にしました。そして最後だから、とその親族の女性達を集めて持て成したのです。
前掛けをして自ら立ち働き、女性達が集まると琴を弾き・笙(しょう)を吹き・和歌を詠み・茶を点(たて)て・花を生け・時計の調整をし・碁の相手をし・娘さん達の髪を結い・面白い話で人を引き込みました。
因みに「時計の調整」とは、江戸時代の大名家や大店にだけ在った和時計の歯車の調整の事です。和時計は太陽の動きに時計を合わせるので常に調整が必要でした。この技術を持つと云う事は、大名家や大店の夫人並みの見識が在ると云う事でした。
その様な吉野を見て遊女に偏見を持って居た親族の奥方達は、吉野の面白さ・優しさ・品格・教養にスッカリ引き込まれ、寧ろ結婚を勧める様に為りました。この吉野は実在の人物で、京都の文化人で豪商で在った佐野紹益(さのしょうえき)の正妻に為った人です。
■教養が在り人柄も好い「何もかも揃った人」
実際、多くの太夫は和歌を詠み、手紙を見事な筆跡で書きます。俳諧、狂歌も出来、漢詩を作る事も在りました。平安時代の貴族の様に髪や着物に伽羅(きゃら)(輸入された香木)を焚きしめ、着物のセンスが在り着(き)熟(こな)しが上手く人前で食事をしません。
後に芸能は芸者達に任せられますが、それ迄は琴や三味線を弾き・唄を唄い・踊りや能の舞も披露して居ました。
太夫(たゆう)と云う呼称は、初期の遊女達が能の舞を見せる芸能者で或る「能太夫・のうだゆう」だったので、ソコに由来すると言われて居ます。太夫達の人柄も後世に伝えられて行きます。人に物を強請らず・欲張らず・鷹揚でユッタリして居るのが太夫の特徴でした。
それ程何もかも揃った人が本当に居たのだろうか?と思うかも知れませんネ。確かに、これは一種の理想像だと思われますが、実在の太夫に付いて語り伝えられ、それ等が集合した像で在る事は確かです。
■「色好み」の日本文化
此処に並べた遊女の能力や人柄は、和歌や文章や筆等平安時代の文学に関わる事、琴や舞等音曲や芸能に関わる事、中世の能や茶の湯や生け花・漢詩・俳諧等武家の教養に関わる事、着物や伽羅や立ち居振る舞い等生活に関わる事等、殆どが日本文化の真髄(しんずい)に関係して居ます。
そしてこれ等の、特に和歌や琴や舞等の風流・風雅を好む人を平安時代以来「色好み」と呼んで居ました。「色」には恋愛や性愛の意味も在りますが、元々は恋愛と文化的美意識が組み合わさったもので、その表現としての和歌や琴の音曲を含むものだったのです。
遊女が貴族や大名の娘の様に多くの教養を積んで居たのは、日本文化の核心で在る〔色好みの体現者〕と為り、豪商や富裕な商人・大名・高位の武士達と教養の共有・・・詰まり色好みの共有を果たす事が求められて居たからでしょう。これ等の伝統的文化に遊ぶ事コソが、彼等に取っての〔遊び〕だったのです。
しかし遊廓にはもう一つの側面が在ります。それが売色です。色を好み趣味を共有する、その「色」の中には恋愛・性愛が含まれました。
性愛そのものは、人類の存続を支えるもので人の愛情の根幹を為すものです。恋愛は人間の精神に取って大切な感情です。だからコソ人権に価値を置く時代に為れば、恋愛や性愛は力の不均衡・不平等の基では成り立た無いのです。独立した人格を認め合い、尊敬し合う関係の中で初めて価値を持つのです。
遊女の物語の中には、客との間に正に友情と言えるものを作り上げる話も在ります。しかし遊廓の制度そのものは既に述べた様に、女性を、借金の抵当や担保として位置付ける制度でした。
借金をするのは大抵の場合家族で、遊女達の多くは家族の為に借金を返し終わる迄、又は最初に交わした契約の中に在る年季の終わる迄遊廓で客を取り続けます。稀に女性が芸能を楽しむ為に客として来る例外も在りますが、殆どは男性で、茶屋を介して遊女の抱え主に金銭を支払います。
遊女の抱え主は、借金のカタが逃げ無い様管理を怠りません。そしてコノ制度は、幕府に公式に認定されて居た「公娼制度・こうしょうせいど」でした。
■女性が遊女に為るのはドンな時か
これは女性の人生に取っては、一時的な拘束ですので決して奴隷制度では在りません。大いに稼げば早く辞める事が出来ますし、誰かが借金を全額払って呉れれば直ぐにでも遊廓を出られます。その後、吉野太夫の様に結婚する人も居ます。しかし一時的にせよ、自由を拘束されます。
では、そう云う遊女達を抱える遊廓は何故存在出来たのか? その根本を考えると、女性が単独で働く場所が限られて居る事に気付きます。
江戸時代の農漁山村では、家族全員で働きましたし商家でも夫婦で働きました。都会でも殆どの女性が何等かの仕事を持って居ました。専業主婦と云う存在は在りませんでした。質素でもコツコツと生活の為に働く道は女性にも開かれて居たのです。
それでも遊女に為る選択をし無ければ為ら無い場合が在るとしたら、それは一度に大きなお金が必要な時です。そう云う時、自分が遊女に為る事で両親や兄弟が安心して暮らせるとしたら、情と思い遣りが在る程、その道を選ぶ女性は居たでしょう。
例え結婚したとしても、経済的貧困で家庭生活が成り立た無く為る事も在り、そう云う時は既婚者でも遊女に為りました。
身分に関わり無くそう云う事態は起こり得て、江戸時代の初期の遊女には、お家取り潰し等で職を失った武家の娘が多かったと言われます。
今は家を購入したり家族が病気に為る等、手元に在るお金で足り無い時、正規の会社員で在れば女性で在っても銀行はお金を貸して呉れます。借りたお金は給与から返して行けば好い訳です。ソコには企業の給与に対する「信用」が在ります。
しかし江戸時代では、女性が大きなお金を借りる時、最も信用が在るのが遊廓での働きだったのかも知れません。ソコでは毎日大きなお金が動くからです。貧困に立ち向かう時、女性は如何生きたら好いのか?どの様な道が在るのか?
江戸時代だけで無く、その多くが非正規雇用者で在る現代日本の女性達も依然として同じ問題を抱えて居るのは驚くべき事です。
■井原西鶴は女性を如何見て居たか
処で『世間胸算用』で井原西鶴は、遊女では無い普通の女性(地女・ちおんな)を辛辣に書いて居ます。気持ちが鈍感で物言いがクドクて、卑しい所が在って文章が可笑しく、酒の飲み方が下手で唄も唄え無くて、着物の着方が野暮で立ち居振る舞いが不安定で歩けばフラフラして、一緒に寝ると味噌や塩の話をして、ケチで鼻紙を一枚ずつ使うし、伽羅は飲み薬だと思い込んで居る、と。詰まりこれをヒックリ返したのが遊女でした。
香水の無かった当時、髪や着物に伽羅を焚き締めた遊女はとても良い香りがして、それだけで天女の様な存在だったのですが、それだけで無く、人の気持ちに敏感で物欲が無く、余計な事を言わずにサッパリとした物言いをし、酒を適度に飲み、唄が上手く、着物のセンスが抜群で、素晴らしい手紙を書き、腰が座って背筋の伸びた美しい歩き方をしたのです。実際に遊女は客の前でものを食べる事と、金銭に触れる事、又金銭の話をする事等を禁じられて居ました。
■「遊廓言葉」の一部は後に上流階級の山の手言葉に
初期の遊女は三味線、唄、踊りも得意でしたが、既に述べた様に、次第に芸能の分野は芸者に任せる様に為りました。その結果、吉原芸者は他の何処の芸者より優れた芸人に為ったのです。
しかし芸能を行わ無く為った後も、遊女は和歌、俳諧、漢文等の文学的な能力が在り、文人達とそう云う話も出来ましたし、着物の上に武家の女性の様な打ち掛けを着けました。詰まり正装をして居たのです。又独特の語尾を持つ人工の遊廓言葉を話しましたが、その中で「ざんす」「ざいます」等は後に上流階級の山の手言葉に為ります。教養高く優れた人柄の遊女が沢山居て文学にも書かれました。
■「床上手」が意味して居た事
〔床上手〕と云う事も遊女の大事な要素でした。此処では、井原西鶴『好色一代男』と『諸艶大鑑・しょつやたいかん・好色二代男』に登場する遊女を何人か見てみましょう。
野秋と云う遊女に付いては「一緒に床に入ら無ければ判ら無い処が在る」と書いて居ます。肌が麗(うるわ)しく暖かく、その最中は鼻息高く、髪が乱れても構わ無い位夢中に為るので、枕が何時の間にか外れてしまう程で、目は青み掛かり脇の下は汗ばみ、腰が畳を離れて宙に浮き足の指は屈(かが)み、それが決してワザとらしく無い、と。
もう一つは、度々声を挙げ乍ら、男が達しようとする処を九度も押さえ着け、ドンな精力強靱な男でも乱れに乱れてしまう処だ、と。更に、その後で灯を灯して見るその美しさ。別れる時に「さらばや」と言うその落ち着いた優しい声。これが遊女の〔床上手〕の意味でした。
初音と云う遊女は、席がしめやかに為ると笑わせ、通ぶった客は丸め込み、初心な客は涙を流さんばかりに喜んだそうです。床に入る前には、丁寧に何度もうがいをしてユックリ髪を解かし香炉で袖や裾を焚き締め、横顔迄鏡に映して気を付けました。
世之介(『好色一代男』の主人公です)が眠って居ると「アレ蜘蛛が、蜘蛛が」と言ったので世之介は起きてしまいました。すると「女郎蜘蛛が取り付きます」と抱き着いて来て肌を合わせ背中をさすり、ふんどしの所迄手を遣って「今迄は何処の女がこの辺りを触ったのかしら」と言います。西鶴は、駆引きが類まれな床振りだと書いて居ます。
■被差別民の客が来れば、衣装に「非人の印」を縫い着けた
「床上手にして名誉の好きにて」と言われた夕霧は、化粧もせず素顔で素足、肉付きは好いのにホッソリと淑(しと)やかに見え、眼差しに抜かりが無く、声が好く、肌が雪の様だったそうです。
実は初期の遊女は髪に簪(かんざし)も殆ど着けず多くの人が化粧もしませんでした。飾りが一切要ら無い位の本来の美しさを目指して居たのです。夕霧は更に琴、三味線の名手で、座の捌(さば)きに卒(そつ)が無く、手紙文が素晴らしく、人に物を強請らず、自分の物を惜しみ無く人に遣り、情が深かったそうです。
また三笠と云う名の遊女は、情が在って大気(大らかで小さな事に拘ら無い事)、衣装を素晴らしく着熟し、座は賑やかにしたかと思うと床ではシメヤカナ雰囲気を作ります。誰にでも思いを残させ、又会いたいと思わせる人でした。
名妓達の良さとして特に強調されるのは、下の者に対する優しさでした。夕霧は八百屋や魚屋が遣って来ても決して馬鹿にする事無く喜ばせました。
三笠は、客の召し使いや駕籠掻きに迄気を遣い、禿(遊廓で修行中の少女達)が居眠りをすると庇って遣りました。金山と云う遊女は、或る被差別民の客が身分を隠して遣って来てそれが噂に為ると、衣装に敢えて欠け碗(わん)、めんつう(器)、竹(たけ)箸(はし)、と云う非人の印を縫い着け「世間晴れて我が恋人を知らすべし。人間に何れか違い在るべし」と言い放ったと云うから見事です。
人権派の遊女、と云う処です。吉野の話は既に冒頭で紹介しましたネ。遊女の魅力は第一に人間的魅力だったのです。
■客と別れる為の作戦
遊女は、馬鹿にされたら引っ込ま無いと云う強さも必要でした。客が他の遊女に惹かれた時は、チャンと理由を言って遊女の名誉を傷着ける事無く綺麗に別れる必要が在りました。しかし時にはその遊女の欠点を探し(ナカナカ見付かりませんが) それを理由に別れる客が居ます。それを〔口舌・こうぜつ〕と言い卑怯な遣り方です。遊女は自力で自分の名誉を守ら無くては為りません。
吉田と云う遊女は、或る客が口舌で別れようとして居る事を見抜き方法を考えました。吉田が座敷を出た処でオナラの音がしたので「これぞ好い機会!」と客は喜びます。別れる理由にしようとしたのです。しかし彼女が同じ廊下を歩いて帰って来た時、フト立ち止まって迂回して座敷を回りました。客は「アレ?」と思います。サッキのは廊下の軋みだったのだろうか?
吉田は判断に困って居る客に「今日限り愛想が尽きました」と自分から別れ話を切り出します。その噂は遊廓中に広まって客の方が面目を失ったのです。決着が着いた後、吉田は「いかにも(おならの)扱き手はこの太夫じゃ」と言い放ったのでした。
遊女は、誰にでも惚れて居る振りをする訳では在りません。小太夫と云う遊女は客から「惚れて居ると云う誓紙を書け」と言われましたが言う通りにしませんでした。
「貴方は大変良くして下さるのですが、どう云う訳か私は左程に思え無いのです。噓を着く訳に行きません。惚れて居無いと云う誓紙なら書きましょう」と言ったそうです。その後も二人はとても好い関係が続きました。
やがてその客が遊廓通いはもう辞めにすると云う時、小太夫はその男性の紋を付けた着物を10枚作らせて贈り、遊女に為った時から今日迄の事を書き綴った「我が身の上」と云う文章を彼に捧げたのです。
男として好きに為れ無くとも、噓を着かず世話に為った恩は忘れず、長い間別れの時の準備を怠ら無かったのです。遊女と客の関係でも男女の友情は可能だったのです。
法政大学 名誉教授 田中 優子 11-11-22
田中 優子(たなか・ゆうこ) 法政大学 名誉教授 1952年神奈川県横浜市生まれ 法政大学社会学部教授 社会学部長 法政大学総長等を歴任 専門は日本近世文学 江戸文化 アジア比較文化 2005年紫綬褒章受章 著書に『江戸の想像力』(ちくま学芸文庫/芸術選奨文部大臣新人賞受賞) 『江戸百夢 近世図像学の楽しみ』(ちくま文庫/芸術選奨文部科学大臣賞 サントリー学芸賞受賞)等多数 近著に『日本問答』『江戸問答』(岩波新書/松岡正剛との対談)など
〜管理人のひとこと〜
若い女学生に、遊郭の遊女の嗜(たしな)みを教える・・・人に褒められ尊敬され愛される女性に為って欲しいとの思いで、男性に愛され尊敬される素晴らしい遊女の話をしたのでしょう。心を込めて相手に接する事で、相手からそれ以上の愛情を込めた気持ちを貰えるのです。
何か、非近代的な道徳観に溢れた物語の様に思いますが、敢えて不遇な遊女の中にも考え方一つで素晴らしい人格と愛嬌を備えた女性に為れるのだよと。そして、その様な女性こそが男性心から愛される幸せを掴めるのだよと・・・教えたいのでしょう。それはそのまま、田中教授が考える望ましい「女性の鏡」なのでしょう。
2021年11月11日
〔出女〕だけで無く〔入り女〕もダメ 江戸時代の関所が女性には異様に厳しかった本当の理由
〔出女〕だけで無く〔入り女〕もダメ
江戸時代の関所が女性には異様に厳しかった本当の理由
11/11(木) 12:16配信 11-11-10
※写真はイメージです 写真=iStock.com RichLegg 11-11-11
江戸時代、日本各地には「関所」が在った。関所には、江戸に居る大名の妻子や母が逃亡するのを防ぐと云う機能が在ったが、実はそうした「出女」だけで無く、江戸に向かう「入り女」も厳しく調べられて居た。歴史作家の河合敦さんは「ソコには幕府の意外な思惑があった」と云う・・・
※本稿は、河合敦『関所で読み解く日本史』(KAWADE夢新書)の一部を再編集したものです。
■男性に「関所手形」は必須では無かった
江戸時代、関所に入った旅人達はどの様に通過して行ったのだろうか。女性は特殊なので、先ずは男性の場合に付いて述べて行こう。
関所内は結構混雑して居て、入ってからも暫く待たされる事が多かった。イヨイヨ呼び出しを受けると、取り調べの場で在る面番所の前へ向かう。関所の役人達が縁側奥の部屋にズラリと並んで居るのがハッキリ見えて来ると、笠や被りものを脱ぎ手前で下座する。
サテ、関所を通過する時には「関所手形」を見せる必要が在ると思って居る方も少なく無いと思うが、実は、男性には関所手形(証文・切手とも)は必須では無かった。とは云え、江戸時代の人々が旅行や出張する場合「往来手形」の方は原則必要だった。
■必ず持って居る必要が在った「往来手形」
そう、関所手形と往来手形は違うものなのである。往来手形の方は、今で言う免許証や保険証・パスポート等、所謂身分証明書に当たるものと云える。往来手形には、名前と住所と年齢・檀那寺・旅行の目的・「横死した場合、何処に連絡し、ドンな葬り方をするか」と云った事が記載されて居た。
往来手形の発行元は、農民や町人の場合、村の名主(庄屋)や町の家主・檀那寺・或いは奉公先や勤め先の主だった。藩士は藩庁から発行して貰った。
往来手形は身分証で在ると共に、旅の途中に万一の事が起こった時保護を受ける為のもので在ったのだ。何れにせよ、関所手形と往来手形は別物なのである。
■幕府が暗に関所近くの旅籠屋に〔特権〕を付与
この関所手形に付いて、研究者の渡辺和敏氏は次の様な指摘して居る。
男性は、制度的には関所手形は不要で在った。しかし通過する際に関所役人から厳しく取り調べられる事も在るので、居住地の名主や旦那寺、時には関所近くの旅籠屋等で関所手形を書いて貰ったり、自分で書いたりする事も在った。(『東海道交通施設と幕藩制社会』愛知大学綜合郷土研究所) 何と、関所手形を関所近くの旅籠屋に作成して貰ったり、時には自分で勝手に書いたりしたと云うのだ。
特に、関所近くの旅籠屋や茶屋が関所手形を発行して居た事に関して、渡辺氏は「関所では男性の通行に関所手形が不要で在るが、関所近在の旅籠屋等が故意に誤った情報を流して旅行者から金銭を集めて居たのかも知れ無いし、実際に購入した関所手形を見せる事に依り関所の取調べが簡単に済んだ可能性が在る」(前掲書)と記して居る。
コレも凄い話で在る。捉え方に依っては、関所の役人が近隣住民と結託して行った詐欺紛(まが)いの商法ではないか。 コレに付いて渡辺氏は「関所側が既に慣例化しつつ在った近在の人々に依る旅人への関所破りの斡旋を止めさせる為、暗に関所手形の販売と云う特権を付与して居た可能性も否定し切れ無い」(前掲書)と推測して居る。
■女性には「女手形」が必要だった
一方女性が関所を通過する場合はそう簡単では無かった。江戸方面から関所を通って西へ向かう女性の事を「出女」と呼ぶが、江戸幕府は出女を非常に厳しく臨検した。謀反を企む大名の妻子等が密かに逃亡して来る可能性が在るからだ。
その為女性の場合は、往来手形の他に関所手形が必要だった。この女性の関所手形を「女手形」と呼ぶ。女手形は、江戸時代の元和期(1615〜24年)には既に存在して居た事が判って居る。
■日本最古の「女手形」に書かれて居た事
渡辺和敏氏に依れば、元和元(1615)年9月のものが最古だとする。以下、それを紹介しよう。
女六人、厩橋(うまやばし)より三州迄参候、是ハ西尾丹波御理候間(にしおたんばおりこうあいだ)、無相違可通候、以上 彦九兵衛 印 (『東海道交通施設と幕藩制社会』)
この女手形は、六人の女性が上野国厩橋から三河国へ向かう際、幕府の代官で在る彦坂九兵衛光正が、新居関所に対して発行した女手形で在る。
渡辺氏は、上野国群馬郡(うえのこくぐんまぐん)に知行地を持って居た西尾丹波守忠永(にしおたんばのかみただなが)が、自らの出生地で在る三河国西尾(みかわこくにしお)に女達を赴かせる為、幕府に依頼したのではないかと推察して居る。
只、この時期には未だ女手形の形式が確り定まって居ない。後に女手形には、通過する人数・乗物の有無・出発地と目的地に加え「禅尼・尼・比丘尼・小女・髪切の区別を明記し無ければ為ら無い (『館蔵図録T 関所手形』新居関所史料館 と云う事に為った。と云っても、今述べた女性の区別が判り難いので簡単に捕捉説明しよう。
先ず禅尼(ぜんあま)だが、これは夫を亡くした後家や姉妹等で髪を剃り落とした女性を云う。尼(あま)は、普通に剃髪した女性の事。比丘尼(びくに)とは、伊勢上人(いせしょうにん・伊勢国宇治山田の尼寺の慶光院の住職)や長野善光寺の弟子、或いは身分の高い人物の後家の使用人、その他熊野比丘尼等の女僧。
髪切とは、髪の長短に依らず髪の先を切り揃えて居る女性。小女とは15・6歳迄の振袖を着て居る女子を指す。
只、当初は女性の個人的な事を書き込む事は少なく、もし書き入れたとしても、怪しい者では無いとか人身売買の対象では無いと云った程度で在った。しかし、寛政八(1796)年からは、貴賤関係無く全ての女手形に、通過する者の身分を書き入れる事に為ったのである。
■「出女」のみ為らず「入り女」にも厳しいチェックをするワケ
では、地方から江戸へ向かう女性(入り女)に付いてはどの様に対処したのだろうか。女性の通行を許して居る関所は、この「入り女」に付いても女手形の提示を求め、確り検閲する事が多かった。だが、ここで疑問が生じる。江戸に居る大名の妻子や母が逃亡するのを防ぐ為「出女」を厳しくチェックしたのは好く理解出来る。が、大名の統制策とは無縁なのに、如何して「入り女」の通過まで幕府は規制したのだろうか?
更に言えば、新居関所では「関所周辺の女性が一旦関所以東へ旅立ち、期限内に再び帰って居る事が明らかな場合に限って、関所奉行が手形を発行して居た。こうした手形を『通手形』と云った」(『館蔵図録T 関所手形』) と在る様に、関所の近隣に住む女性に付いても関所を越えるには女手形を必要とした。素姓や身元はハッキリ判って居るのに、だ。
この為「関所所在地の新居宿では、関所を隔てた浜名湖(今切渡船路・いまきりとせんろ) 対岸の村々との縁組は殆ど皆無で在った」(『東海道箱根関所と箱根宿』岩田書店) 事が判明して居る。
■何故幕府は、女性の移動に目を光らせたのか
この様に江戸幕府は、江戸から出て行く女を関所に監視させるだけで無く、女性一般の移動を関所に依って強く制限して居た訳だ。一体何故か。その理由の一つは、各地域の人口を維持する為で在った。地域の女性が他所へ移動してしまえば如何為るか。子供を生むのは女性故、当然、結果として人口は減ってしまう。
それが農村で在れば、農業生産力にも影響を及ぼすだろう。だから幕府や諸藩は、女性を土地に縛り付け様としたのである。
これに加えて渡辺和敏氏は、幕府が元和年間に人身売買を禁止したにも関わらず、17世紀後半迄の借金証文に、借主が貸主に対して自分の女子を取られ売っても構わ無いと云う「人身売買に関連する様な文言が書かれた」ものが「各地に多く残って居る」こと、更に女手形の文中に「売買もの」では無いと云う記述が散見される事から「逆に社会的に『売買もの』も存在して居た可能性」を指摘し、関所が大名の妻子(人質)の逃亡の防止や人口減少の防止に加え〔女性の人身売買を検閲する機能が在った〕のでは無いかと論じて居る。
女手形には、発行者の印を押す事に為って居た。だから各関所には、幕府の留守居役や京都所司代等の発行者の印影(判鑑)が全て保管されて在り、通過時に女手形の印形との照らし合わせが確り為された。印の擦れ等も含めて入念なチェックだったと云う。
「敵の侵入を防ぎ、怪しい者を通さ無い」
これが関所の第一の役割だが、時代に依って、又為政者の思惑に依って、関所は多様な役目・機能を持たされて居たのである。
歴史家 河合 敦(かわい・あつし) 1965年東京都生まれ 早稲田大学大学院卒業 高校教師として27年間教壇に立つ 著書に『もうすぐ変わる日本史の教科書』『逆転した日本史』など
〜管理人のひとこと〜
この文章を読み管理人は、江戸幕府の政治・行政のキメの細やかな政策を思い知らされた。詰まり行政が行う社会情勢のサンプリング・統計的な数値の適切な管理で在る。旧安倍政権下で日常的に行われた〔公文書の偽造〕とは異なり、実直な武士が管理する統計的数字は、これ以上も無く正確に計上された事で在ろう。
この数字に依り行政官は、最小限必要で適切な政策を立案し上司に言上した事だろう。幕府の金庫は空っぽで原資は無かったかも知れ無いが、裕福な商人から税をフンダクリ困窮する庶民への救済に励んだ事だろう。女性の移動から現在・将来の社会情勢を読み解く・・・実に堅実なものである。
余り歓迎され無いバラマキ エコノミストが猛批判
自公の出来レース「18歳以下の子供に10万円」が如何にマヤカシか!
6人のエコノミストが猛批判する理由
11/10(水) 20:20配信 11-11-1
コロナ禍の経済対策の為の18歳以下の子供への10万円相当の給付が2021年11月10日、岸田文雄首相と公明党の山口那津男代表のトップ会談で決まった。11-11-2
「バラマキ」批判を受け、焦点だった「所得制限」を設けるか如何かに付いては「年収960万円」で決着した。しかし「これはマヤカシだ。何の経済効果も生まれ無い」と多くのエコノミストは激しく批判する。一体如何云う事か。
「年収960万円」制限が「1800万円」でも貰えるカラクリ
11月10日昼前、首相官邸で行われた岸田文雄首相と山口那津男・公明党代表の会談は40分で終わった。18歳以下を対象とする10万円相当の給付の実施に当たって、年収960万円の「所得制限」を設ける事で合意したのだった。
「親の収入で子供が分断される事が在っては為ら無い」と、アレ程所得制限に反対して居た山口代表が、アッサリ主張を撤回した。一方、公明党の主張の「丸飲み」に依る「バラマキ批判」だけは避けたかった岸田文雄首相は面目を保った形だ。
主要メディアの報道をまとめると、会談は40分だったが、実質10数分で終わり、後は雑談に終始し「着地点在りきの出来レース」だった様だ。合意内容は、18歳以下を対象に現金5万円と、子育て関連の支出等に使い道を限定したクーポン5万円相当の、合わせて10万円相当の給付を実施すると云うもの。
ポイントは、自民党が持ち掛けた「年収960万円の所得制限」だが、実質的に殆どの子育て世帯をカバーする内容だ。
国税庁の「民間給与実態統計調査」(2019年)に依れば、平均年収は436万円(男性540万円・女性236万円)で、1,000万円を超える給与所得者は全体の4.8%と極一部に過ぎ無い。所得制限が年収960万円以下で在れば、事実上、0〜18歳の子供が居る世帯の殆ど給付金を受け取れる事に為る。しかも「年収960万円」と云う条件は「世帯」の収入では無く「世帯主」の収入だ。
仮に共働き世帯で夫(世帯主)が年収950万円・妻が900万円と合計1,850万円の収入が在る世帯でも受け取る事が出来るのだ。だから、山口代表が記者会見で「所得制限を設けても、対象の殆どをカバー出来、目的を達成出来ると判断しました」と豪語したのも無理は無かった。
こうした自民党と公明党が合意した「現金給付」に、エコノミス達からは「まやかしだ」と云う批判が巻き起こって居る。
「子育て世帯とそれ以外の世帯を明確に分断して居る」
「親を分断させ無い」と言いながら「国民を分断した」と批判される山口那津男・公明党代表(公式サイトより)11-11-3
ヤフーニュースのヤフコメ欄では、エコノミストで経済評論家の門倉貴史氏が、こう批判した。
「所得制限が960万円以下で在れば0〜18歳の子供が居る殆どの世帯が給付金を受け取れるので、子供の居る世帯への一律給付とホボ同じだ。結局、今回の給付金制度では、困窮度合いは考慮せず子育て世帯には現金やクーポンを給付して、それ以外の世帯や独身者には給付はし無い事に為り(公明党の山口代表が)『親の収入に依って子供を分断するのは好く無い』と言いながら、子育て世帯とそれ以外の世帯を明確に分断して居る事に為る。
又、現金とクーポンに分けて支給するのも給付手続きを煩雑にするだけで非効率だ。クーポンは全額使うから消費喚起効果が大きく、現金は貯蓄にも回るので消費喚起効果は小さいと思われ勝ちだが、実際にはクーポンを使った分、元々使う予定だったお金が貯蓄に回る事に為るので、現金給付でもクーポン配布でも消費喚起効果に大きな違いは無い。現金とクーポンに分けても政策効果は18歳に一律現金10万円を支給するのと同じだ」
明治大学公共政策大学院専任教授で社会福祉研究者の岡部卓氏も、こう指摘した。
「今回の合意は、名目上『所得制限』を課して居るが、殆どの有子世帯に給付が行き渡る事に為る為事実上一律給付と云って好い(但し、18歳以上の者・子供の居ない者・一定所得以上と云われて居る者は排除して居る)
結果的に、殆ど全ての所得階層に18歳以下の子供を持つ有子世帯に薄く一時的給付と為って居る。しかし、十分な給付水準とは云えず、コロナ対策としての経済対策として(福祉対策としても)制度設計上(目的・対象・水準・政策効果等)からしてその体(てい)を為さ無い不十分なものと為って居る」
経済対策を11月中旬にまとめる予定の岸田文雄首相に取って、公明党に所得制限を飲ませるか如何かは「今後の指導力を見せ着ける上で正念場だった」と指摘するのは、第一生命経済研究所首席エコノミストの熊野英生氏だ。
その意味では「形づくり」に成功した訳だ。熊野英生氏は「18歳以下10万円給付への所得制限〜年内経済対策で問われる岸田政権の矜持〜」(11月8日付)で、先ずこう述べて居る。
「岸田首相に取っては、この問題は因縁が在る。2020年春に岸田首相が自民党政調会長だった時、(現金給付は)当初所得制限を設けて1世帯30万円にすると決定して居たのに、土壇場で公明党が国民全員に1人10万円を唱えて、決定がヒックリ返った事件で在る。
現在は、経済環境は大幅に改善して居る。今、所得制限を付け無いで、18歳以下の子供が居る世帯全てに給付金を配る必然性は無い。経済対策として考えると、給付金が消費支出に回ってコソ景気刺激に為るが、子育て世帯は貯蓄率が高い。
2020年の家計調査(勤労者世帯)では、未婚の子供が居る夫婦世帯の貯蓄率は41.2%で在る。子供の居ない夫婦世帯の貯蓄率34.9%よりも6.3%も高い=図表参照。何故、18歳以下の子供が居る世帯を選んで、優先的に給付金を配るのか。子育て世帯の中でも経済的に苦しい世帯に絞る事が、何故正しく無いのかは好く理由が判ら無い」
図表 子育て世代は貯蓄率が高い(第一生命経済研究所作成)11-11-4
そして、熊野英生氏は「岸田政権は正念場を迎えた。首相のリーダーシップを発揮して、責任を持って必要度の高い政策を取捨選択して欲しい」として、子育て世代の問題なら母子家庭を救う事に全力を傾けるべきだと、こう結んだ。
「気に為るのは、母子家庭への対応だ。2019年の厚生労働省の調査では、18歳未満の児童が居る世帯の6.5%は一人親で在る。特に、母子家庭は貧困世帯が多い。母子家庭に対しては、給付金のみ為らず、様々な形での貧困を抜け出す支援を追加しても好い。全ての子育て世帯を一様に支援するのでは無く、母子家庭にはより手厚いバックアップが検討されても好い」
「子育て世代は将来の増税に備えて貯蓄する」
実質的に18歳以下の子供のホボ全員に「10万円の給付」が決まったが、経済効果は在るのだろうか。「又バラマキに終わり、貯蓄に吸収されそうだ」と指摘するのは、野村総合研究所エグゼクティブ・エコノミストの木内登英氏だ。
「子供への給付金の経済効果とその課題」(11月8日付)では、先ず「個人消費を7,680億円押し上げる経済効果が在る」としながら、こう指摘して居る。
「総務省統計局に依ると、0歳から18歳迄の人口は1,923万人程度と推定される。仮に18歳以下の子供に1人10万円を支給する場合、予算は1兆9,200億円と為り、個人消費を7,692億円押し上げる計算と為る。これは、年間のGDPを0.36%、個人消費を0.67%押し上げる効果を持つ」
処が、給付方法に問題が在り「試算」通りには行か無いと云うのだ。
「給付金はコロナ対策の一環との位置付けであるが、子供が居る世帯は、コロナ禍で所得が減少した世帯ばかりでは無い。新型コロナウイルスが追い風と為り、寧ろ所得が増えて居る世帯も少なく無い。(バラマキの給付では)大きな打撃を受けて居る世帯を集中的に救済する事には為らず、又、新型コロナで拡大した所得格差を縮小させる事にも為ら無い。
子供が居る世帯は概して生活弱者で在るとの認識が在るのかも知れ無いが、それはコロナ対策では無く、既存の社会保障制度で対応すべき問題だ。そして、セーフティーネットで十分に対応出来ない分に付いてのみ、一時的なコロナ対策として給付制度の導入を検討する、と云うのが本来の在り方ではないか」
と、木内氏は指摘するのだった。こうした事から、給付金が実際の消費に回る割合は低く、貯蓄に回る可能性が高いと云う。
「給付金の経済効果も、期待した程大きくは為ら無い可能性が考えられる。給付金の様に一時的な所得は、月例給の様に経常的な所得と比べて貯蓄に回る比率が高く為る。給付金は、新型コロナで所得が大きく減った個人・世帯に対象を絞ったものとするのが適切だ」
と、矢張り「バラマキ」を批判するのだった。
「子供を持つ世帯の多くは将来の増税を心配して、給付金は貯蓄に吸収されるから、何ら経済効果は無い」と厳しく批判するのは、三井住友DSアセットマネジメントのチーフマーケットストラテジスト市川雅浩氏だ。
「岸田首相の経済対策とリカードの中立命題」(11月8日付)で、英国の経済学者、デビッド・リカード(編集部注:1772年〜1823年、自由貿易を擁護する理論を唱えた)の「学説」を引用し、こう述べて居る。
「リカードは、財政政策に付いて、次の様な考え方を提唱しました。政府が景気刺激の為に減税し、減税分を国債発行で賄うとした場合、家計が将来の国債償還時の増税を予想すれば、家計は現在の減税分を消費に回す事無く将来の増税に備えて貯蓄するので、減税は何ら景気を刺激する効果を持た無いと云うものです。
これは一般に『リカードの中立命題』と云われて居ます。今回は、減税では無く現金給付ですが、岸田首相は今の非常時には政策の財源として国債を思い切って使うべきだと述べて居ます。
一方、財政赤字に付いて、10年程度は消費税率を引き上げる事は無いが、財政再建の旗は降ろしてはいけ無いとの立場です。従って、10年後以降の増税を予想する家計が多い程現金給付の政策効果は低下する恐れが在ります」
詰まり、岸田首相の姿勢を見る限り、10年後以降の増税を予想する人が多く「リカード理論」に依って給付金が貯蓄に回る可能性は高く為るから、政策効果は期待出来無いと云う訳だ。市川雅浩氏は、こう結んで居る。
「(2020年の全国民一律10万円の支給も)少なくとも7割が貯蓄に回ったとの調査も観られました。現金給付は、飽く迄一時的な生活支援で在り、景気全体を持続的に強く押し上げる政策では在りません。
衆院選では与党が勝利しましたが、日経平均株価は依然3万円台を回復して居らず、岸田首相の経済対策に就いて海外投資家等市場の評価は、現時点で余り高く無いと考えられます。評価を高めるには、中長期的に日本の経済や企業業績を展望した際、十分な成長と拡大が期待出来る様な、具体的で分かり易い構造改革や規制緩和の提示が必要と思われます」
「一時金の10万円」より「毎月の1万円」を
本当の子育て支援に為って居るか(写真はイメージ) 11-11-5
一方「一時金のバラマキ」より「毎月コンスタントに1万円ずつ」の給付をした方が効果的ではないか、と提言するのは、経済評論家で楽天証券経済研究所客員研究員の山崎元氏だ。経済ニュースサイト「ダイヤモンド・オンライン」(11月10日付)の「18歳以下に10万円相当給付、所得制限もクーポンも頭が悪過ぎる理由」の中で、自民党と公明党の「妥協」をこう厳しく批判して居る。
「『18歳以下に一律で10万円の現金を給付』するとされて居た政策案が、自民・公明両党の幹事長会談を経て変容した。5万円分は教育関連に使途を限定したクーポンに姿を変えてしまったのだ。この『クーポン』と、自民党が主張して居る『所得制限』の導入が、如何に不公平で非効率で頭が悪過ぎるかをお伝えしたい。
お金持ちにも現金を給付するのは可笑しいと云う議論は、その部分だけを見ると正しい様に思える。しかし再分配の効果は『給付』と『負担』の『差額』で見るべきだ。手続きを考えると、給付を一定にして迅速に行い負担面で在る税制を変化させて『差額』をコントロールする方が圧倒的に効率的だ。
両方を調整するのは制度が複雑に為るし、時間とお金の両面で非効率的だ。所得ないし資産の面で富裕な国民に追加的な負担を求めたら好い。負担が増えた国民と、差額で使えるお金が増えた国民とが居て『再分配』が実現する」
そして、山崎元氏は「18歳以下に一律現金10万円」のバラマキ案のダメなところ」をこう説明する。
(1)『18歳以下の子供』と云う支給対象選定が公平で無い事
(2) 継続的な効果が無い一時金で在る事
・・・例えば『大学生の子供が居る母子家庭』の様な家には支援が無い。ソモソモ非正規で働いて低所得で在ると云った理由で、子供を持つ余裕が無い人も居る筈だ。そこで、こう提案するのだった。
「『1回だけの10万円』の様な給付は、受給者に取って安心感が乏しいし、従って前回(編集部注 安倍政権時の全国民一律10万円給付)と同様に支出を促す効果も乏しい筈だ。『子供の未来』等と言うなら、継続的な支援を考えるべきだ。対案としては『毎月1万円』の様な給付が考えられる。
例えば国民年金の保険料を全額一般会計負担(税負担)にすると、低所得な現役世代には苦しい毎月1万6610円の支払いが無く為って『手取り収入』が将来に渉って増える事が予想出来る」
福田和郎
〜管理人のひとこと〜
政府が国民に現金を給付する・・・これは全く一時的なので在り臨時ボーナスの様な感覚で受け取る。そして、コレが全て消費されれば全てに社会の還元された形と為りその分の所得が向上する。しかし、多くの人達が将来不安を感じ貯蓄に回すとすると、社会的な波及効果は無く為ってしまう。政府が国民の貯蓄を増やすだけで終わってしまう。
が、将来的には貯蓄から何らかの消費が生まれるかも知れ無い。詰まり、今現在の景気浮上には何ら影響され無い事に為る。これが、単なるバラマキと云われるものだ。
生活困窮者に焦点を絞って現金給付する・・・その全てが消費に回るかどうかは判らぬが、何れ有難く使われる事は間違い無い・・・何も子供が居なくても生活困窮者の生活支援に使われる事にこそ意義が在るのでは無かろうか・・・
2021年11月10日
江戸中期「中国離れ」が現代日本人の基礎を作った
江戸中期「中国離れ」が現代日本人の基礎を作った
アイデンティティを左右した「中国との距離感」
11/10(水) 7:31配信 11-10-1
江戸元禄に終わりを迎えた日本経済の拡大期 以降、日本の産業・社会、日本人の精神・文化面に変化が起こり、現代の日本人の基礎を造ったと云う。その背景には何が在ったのか(写真 NicolasMcComber/iStock)11-10-2
文章 岡本 隆司 京都府立大学文学部教授 11-10-4
戦国時代に始まった日本経済の拡大期は、江戸の元禄の頃には終わりを迎えた。しかしこれ以降、日本の産業・社会、更には日本人の精神・文化面に大きな変化が起こり、現代の日本人の基礎を造ったと云う。その背景には何が在ったのか。
『中国史とつなげて学ぶ日本全史』を上梓した京都府立大学・岡本隆司氏が、江戸中期に生じた「中国離れ」と日本のアイデンティティ形成に与えた影響に付いて解説する。
■16世紀のグローバル化で一新した日本
現代に繋がる世界史は、16世紀・ヨーロッパの大航海時代に始まります。それ迄ユーラシアの世界史に関わりの稀薄だったアメリカ大陸が繋がって、地球の一体化が促されたからです。その動きは直接には、環大西洋革命・産業革命・世界経済の形成に為り、又その西洋・欧米がホボ全世界を制覇した訳ですので、今も進行中の「グローバリゼーション」の幕開けとも云えるかも知れません。
そうした世界史上の大航海時代は東アジアにも及んで来ました。否な、当時の中国の経済発展と国家体制コソその大きな牽引力の1つと見える程です。
シルク・茶・木綿等の特産品を供給し、閉鎖的な通商統制の権力意思を突き破って、海外から商人達を惹き着け銀を吸収し続けました。前回に観た、所謂シナ海の「倭寇的状況 わこうてきじょうきょう」です。これが東アジアの変貌をも齎(もたら)しました。
何と云っても「倭寇わこう」ですから、勿論日本も例外では在りません。列島に及んだ影響は、日本史上の「中世」から「近世」への転換、内藤湖南の所謂「身代の入れ替わり」でした。戦国乱世・南蛮渡来・天下統一と云う16世紀以降の政治史にそれは顕著です。
戦国から統一と云う政治過程は、同時に経済上の大開発の時代でした。その余波は江戸時代の初期、大概(おおむね)元禄辺り迄続きます。耕地は倍・人口は3倍に為り、都市と農村が勃興し日本は全く面目を一新したのです。
しかし列島も永遠に開発拡大一筋だった筈は在りません。17世紀も末に為ると、長く続いた開発と景気の拡大が飽和状態を迎え、経済が下降線を辿る時期でも在りました。18世紀はその対応を迫られます。これも対外関係とパラレルな動きでした。
17世紀半ば頃迄堅調だった日中間の貿易関係は、列島の埋蔵金銀の枯渇に依って先細ります。それは同時に、シルクや綿花・茶等、それ迄中国からの輸入に頼って居た産物の供給が不足する事を意味しました。
そこで輸入品を国内生産に転化する、所謂輸入代替(ゆにゅうだいたい)が起こり国内経済自体が構造変化を来します。千利休等の茶の湯でも判る様に、過つて贅沢品だった茶も普及して来ましたから、その輸入が途絶えると国内で生産するしか在りません。
京都の宇治で抹茶・煎茶の本格的な生産が始まり、ヤガテ需要を賄え無く為って駿河等でも生産される事に為ります。
同様に、絹・生糸も輸入品の代替として信州や上州で生産され、砂糖も琉球や奄美群島で生産が進み薩摩藩の特産品に為りました。この様に他の地方も、挙(こぞ)って環境条件に合った特産品の発見と生産に努めます。
こうした輸入代替に依り、地域毎に産業の分業化が進展しました。国産化出来るなら輸入の必要も無く為ります。金銀の枯渇とも相まって必然的に「鎖国」化して行った訳ですが、それは同時に、中国に対する経済依存からの脱却を意味しました。
■人口動態と「鎖国」化のパラレルな関係
そんな江戸時代の人口動態はとても明快です。経済成長と大開発が続いた17世紀末迄は一本調子で増加し続け約3,000万人に達します。しかし元禄バブルが崩壊し、18世紀に停滞し、その3,000万人のママ幕末を迎える事に為ります。これは当時の開発・貿易の動向「鎖国」化とパラレルな動きです。
恐らくこの水準が、当時の開発・技術で抱えられる人口規模の上限だったのでしょう。だから災害や天候不順等で農作物の生産量が落ちると、忽ち飢饉が発生して多くの人が亡く為りました。江戸時代の中期から所謂間引きが流行したのは好く知られた事実ですが、これは表裏一体の事象で、自発的且つ残酷な人口調節で在り、それだけ生産力のギリギリで人は生まれ育って居た訳です。
しかも18世紀以降は、海外との貿易も殆ど途絶えて本格的な「鎖国」状態に入ります。海外からの産物移入も見込めません。兎に角適地適産で出来るだけ自給し、その一部を外部に出して必要なものを調達する形で、国内経済が回って居たと云う事です。自給に切り替えた茶やシルク等も、勿論このシステムに加わりました。
この様な、云わば「中国離れ」は、貿易・物産のモノばかりでは在りません。物心両面と云いますが「心」・文化的な側面でも、一層中国と距離を置く様に為ります。
3代将軍家光から5代将軍綱吉辺り迄の100年弱の間に、幕府は文治政治を志向しました。文治政治は以前の武断政治と対に為る言葉で、儒学に基づいた徳治主義の政治手法を指します。戦争・軍政は終わったので、道徳・学問・典礼を基軸に統治を進め様としたのでしょう。
当時は学問・道徳と云えばホボ儒学のみ、武士・為政者達の儒学・漢学へのリスペクトが土台に為りました。この時代に建てられた湯島聖堂がその間の事情を象徴して居ます。それに伴い、漢籍も中国から大量に流入し続けました。
処が18世紀に入るとその流れが変わります。急先鋒が8代将軍吉宗です。その「享保の改革」は余りにも有名で、ドンな教科書にも載って居ますが、中国・儒学に着眼して考えると、そこに又違う意義が見い出せるのでは無いでしょうか。
■文治政治を嫌い、武断政治を復活
武人肌の吉宗は文治政治を嫌い、武断政治を復活させ様としました。儒学は繁文縟礼・文飾(はんぶんじょくれいぶんしょく)に流れるからです。文飾は虚飾に繋がり実態から遊離した政治に為り勝ちです。吉宗は儒学・道徳に寧ろ対立する法律を重視し、現実に即した法規制に依る統治を志向しました。調査と法治、これが一連の改革の根幹に為ります。
「享保の改革」でも「公事方御定書」と云う法制整備は有名ですし、又全国各地の民治に対する実地調査も励行しました。それは同時に、国政が中国モデルに傾く事を警戒した統治をも意味します。吉宗の政策と云えば、財政を潤す為の新田開発が思い浮かびますが、これもこうした調査による政策実施と関わりの深いものです。加えて、上に述べた適地適産への方向付けも、政治的には同じ文脈で実施に至って居ます。
又吉宗は蘭学を奨励した事でも知られて居ます。これも人文・倫理に傾く漢学よりも、理工・科学を好んだ吉宗らしい態度ですが、矢張り「中国離れ」の一環とも云えます。それでは、リスペクトを受けて居た儒学・漢学は如何為って行くのでしょうか。
文化や学問は都市で栄えますが、室町時代迄、日本で都市と呼べるのは京都だけでした。それが戦国時代に為ると、地域開発と経済成長が相まって各地に都市が出現します。とは云え、小京都の異称が残って居る様に、未だ京都をコピーするのが精一杯でした。
江戸時代には地方都市も独自の発展を遂げますが、初期は未だ京都と隣接する大坂、詰まり上方が文化のトップランナーで在り続け「倭寇的状況(わこうてきじょうきょう)」の継続で入って来た中国文化が盛んに為ります。漢学の普及に先鞭を着けたのも上方です。
その流れが変わるのは18世紀から。1つは空間的な変化で、19世紀初頭の文化・文政時代迄丸々1世紀を掛けて、文化の中心は上方から江戸へ移ります。これを契機として、日本の文化は要約上方独尊体制から日本全体へ拡散して行くのです。
同時に階層的な変化も起こり、漢学の担い手は下級武士層に広く普及します。又17世紀末辺りから上方では武士の漢学ばかりでは無く、町民にアピールする文藝も出来て来ます。有名な井原西鶴や近松門左衛門等の作品や、中国の小説の舞台や人物を日本に置き換えた「翻案本」等が出回り、それが文化・文政時代辺りには、一層幅広い層に迄浸透しました。庶民が書物・文化に親しむ様に為ったのです。
■日本の自立と「中国離れ」
こうした読み書きのリテラシーは漢学で身に着けました。仏教のお経も漢字を使いますが、その使い道は既に葬式に特化して居ました。それに対して儒学は、倫理道徳の教えでしたので、学問以前の人間修養の面で、先ず庶民も触れるものだったのです。
元々歴史の浅い日本は、ホボ全員が農民のフラットな社会でした。農民から職業的に分離した武士が、戦国時代から江戸時代に掛けて為政者と為り、漢学も先ず武士層が従事しますが、秩序が安定し平和が持続しますと、庶民も漢学を通じて読み書きのリテラシーを身に着けました。
これに依り、皆が共通の書物を読んで、文化・道徳のレベルが空間的にも階層的にも均質一様に為り、日本は再びフラットな社会に戻った様に思います。これが現在の日本人に直接繋がって居ます。一方漢学に対する学問的な信頼は、蘭学が流行するに連れて揺らぎます。
漢学が全て正しい訳では無い、それなら中国は決して世界随一の大国では無いし、文明的に最先端でも無いと気付きました。
漢学は勿論、その蘭学も日本固有の学問では無いとして、ヤガテ「国学」が編み出されます。ソコで問われたのは、現政権・幕府の存在理由と共に、ソモソモ日本とは如何云う国なのか・日本人とは何者なのかと云う事です。その象徴的な存在が、例えば本居宣長の『古事記伝』でしょう。
国学のもう1つの特徴は、漢学普及の反動で在るかの様に中国批判を含んで居る事で、矢張り「中国離れ」の所産です。代表的な国学者・平田篤胤(ひらたあつたね)は「中国の偉人は孔子と諸葛孔明の2人だけ」と迄述べて居ます。今日でも嫌中論は喧(やかま)しいですが、その原点はこの辺りに在るでしょうか。
見方を変えれば、日本のアイデンティティは善くも悪しくも、中国が隣国だったからコソ生まれたと云えます。「倭寇的状況」で中国との繋がりが深まった16世紀から、江戸時代を経て19世紀に入ると、政治・経済のみ為らず文化や思想的にも「中国離れ」を成し遂げ、西洋に近づきつつ、日本独自のものが出来上がって行ったのです。
岡本 隆司 京都府立大学文学部教授 11-10-3
Takashi Okamoto 京都府立大学文学部教授 1965年生まれ 京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学 博士(文学) 『近代中国と海関』(名古屋大学出版会) 『世界史とつなげて学ぶ中国全史』『中国史とつなげて学ぶ日本全史』(共に東洋経済新報社)など著書多数
〜管理人のひとこと〜
江戸時代の中・後期から我が国は「中国離れ」したとの事。お茶も絹も中国から輸入し高額な銀で支払って居たが、銀の生産力が落ち在庫が減少し中国から輸入出来無く為った。そこで日本各地で代替えに生産を始める・・・中国との遣り取りが無く為り、必然として「鎖国」状態に為る。
この中国離れは、哲学・文化・芸術面にも及び、明治以降も引き続いて中国とは疎遠に為って居た訳だ・・・改めて聞くと「成程・・・」と大いに頷けられる。科学的にも新たに蘭学が勃興し西洋の文化が流入する。中国・朝鮮から大陸文化を受け入れ、島国日本に適応させ独自な日本文化を生み出した。それには、中国・朝鮮との適度な距離感が必要だったのだろう。
2021年11月08日
明治維新の身分制解体後も 「遊郭」が残り続けた理由
明治維新の身分制解体後も
「遊郭」が残り続けた理由
1/7(日) 21:34配信 11-8-2
解放令後も残った遊女と遊郭
遊女のイメージ(画像 写真AC) 11-8-1
明治維新に依って江戸時代の身分制は解体され、四民平等の世の中と為りました。現在からすれば当たり前の変化かも知れませんが、身分在りきの社会で生きて居た当時の人に取って、コレは劇的な変化で在った筈です。
今回紹介する横山百合子『江戸東京の明治維新』(岩波書店)は、江戸が東京に変化して行く中で、その劇的な変化を生き抜いた市井(しせい)の人々の姿を紹介した本に為ります。
⊡ 仕事を失った旧幕臣の不動産を巡るサバイバル
⊡ 地主の代理人として土地や家屋を管理しつつ、捨て子や行き倒れの世話・道普請(みちぶしん 道路を直したり建設したりする事)等様々な公的役割も担って居た家守(やもり)達の地位の行方
⊡ 廃止令に依って賤民身分から解放された人々のその後
など、本書は様々な人々の動きを追って居ますが、その中で1章を割いて取り上げられて居るのが、遊郭とそこで働く遊女達です。明治維新後、1872(明治5)年の芸娼妓(しょうぎ)解放令に依って遊女の人身売買は禁止されましたが、遊郭は結局残る事と為ります。
人気漫画『鬼滅の刃』では大正時代の遊郭が描かれて居ましたが、芸娼妓解放令が在ったにも関わらず、遊郭と云うシステムは残り続けて居たのです。何故それが可能だったのか? 遊女達は芸娼妓解放令をどう受け止め、どの様に行動したのか? そう云った事を本書は教えて呉れます。
人足役を負って居た遊郭
現在の吉原大門交差点(台東区千束) 右に「見返り柳」(画像 写真AC)11-8-3
「身分」と云うと、私達は如何しても上下関係を考えてしまい勝ちですが、近年の近世史研究では 「同じ職分の人々の集団が、何等かの公的役割を担う事に依って社会的に認められ身分が成立する」(50ページ) と云う県方が生まれて居ます。
例えば、農民達が集団で水利や入会地を管理しつつ年貢等の役を負う事で「百姓」と云う身分が形成されるのです。又江戸時代は、江戸の街に武家地と町人地が在った様に、身分毎に住む場所が決められて居たのです。
実は吉原の遊郭もこうした身分集団に近いものが在りました。五つの町から為って居た新吉原遊郭は、幕府から遊女の公認を得る事と引き換えに、
⊡ 江戸城の畳替え
⊡ すす払いの人足
⊡ 山王・神田両祭礼の傘鉾(かさぼこ)等の作り物
と云った町人足役を負って居ました。更に吉原五町は、吉原以外での非合法売春の摘発の役目を担って居ました。
こうした非合法の娼婦は「売女」と呼ばれて居り、17世紀にはこの摘発の中で武器を持ち出して戦ったと云う記録も残って居ます。この摘発で捉えた売女は各町が籤引(くじび)きで引き取り、町内の遊女屋が預かって使役する事が許されて居ました。遊女屋に取っては身代金無しで遊女を獲得出来るチャンスでも在ったのです。
借金の担保にされた遊女
現在と明治初期の吉原周辺の地図(画像 時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕)11-8-4
しかし、その遊郭も18世紀後半から衰退して行きます。大名や豪商の遊興が減少し、大尽(だいじん)遊びの対象だった太夫(たゆう)・格子(こうし)と云った高級遊女は姿を消して行きます。遊女もその客も全体的に中・下層化して行くのです。
そんな中、19世紀の新吉原で続出したのが遊女達に依る放火でした。厳しい待遇に耐え兼ねた遊女達が抗議の放火を行ったのです。
遊女屋が遊女を調達するには30両程のお金が必要で、遊女屋の経営にはそれ為りの資金が必要でした。多くの遊女屋はその為に資金を借り入れたのですが、その担保と為ったのが遊女達でした。遊女達は財として扱われ時に換金・転売されました。
近世社会一般では人身売買は禁止されて居ましたが、遊女を扱う身分集団の中ではソレが黙認されて居たのです。
遊女の自由を奪った抱え主
吉原遊郭で亡く為った遊女の遺体が捨てられた荒川区南千住の浄閑寺の新吉原総霊塔 「生まれては苦海、死しては浄閑寺」の文字が在る(画像 写真AC)11-8-6
この状況は明治維新後も暫く続きますが、それが一変するのが前述の芸娼妓解放令です。この命令では人身売買を禁止して居り、本人の「真意」に依る売春以外は出来無く為りました。政府は芸娼妓に身代金等の返済等を求める事は出来無いとの指示も出して居り、遊郭の仕組みは大きく揺さぶられる事に為ります。
本書では7歳の時に売られ、芸娼妓解放令の時には新吉原の最下層の遊女屋で働いて居た「かしく」と云う女性が取り上げられて居ます。かしくは解放令に依って遊女屋から解放され、前の抱え主の政五郎の元に戻る事と為ったのですが、ソコで再び奉公に出よと迫られます。
これに対して、竹次郎と云う奉公人と結婚する事を考えて居たかしくは、遊女を辞めたいと云う嘆願書を竹次郎と共に東京府に提出しました。
「どのよニ相成候共(どのように為っても)、遊女嫌だ申候」 と云う一節を含む嘆願書が本書の121〜122ページに掛けて紹介されて居ますが、稚拙な文章が返ってかしくの強い意志を感じさせます。
しかし政五郎はかしくを養女とした上で借金の証文を作成し、かしくを遊女屋に送り込みました。政五郎はかしくを戸主権に依って囲い込み、更に解放令以降の新たな借金は帳消しに為ら無いと云う条項を利用する事でかしくの自由を奪ったのです。
その後も、かしくは別の男性(髪結渡世の菊次郎)との結婚を願い出ますが、コレも戸主権と新たに出来た借財の壁に依って阻まれてしまいました。
明治以降に醸成された遊女への偏見
横山百合子『江戸東京の明治維新』(画像 岩波書店)11-8-7
この様にかしくの願いは敵わ無かった訳ですが(但し、菊次郎との1件以後は史料が無いので、その後に遊女を辞める事が出来た可能性は在る)著者はこのかしくを巡る騒動を追いながら、ソコに遊女や遊女の仕事に対する偏見が無い事にも注意を向けて居ます。
竹次郎や菊次郎、或いは菊次郎の結婚の為に力を尽くした菊次郎の親方には遊女への偏見と云ったものは在りませんでしたし、かしくも遊女の仕事に強い嫌悪感も持ちつつも、それを他人に語る事の出来無い恥ずべき経験とは思って居ません。
しかし、明治以降、遊女への共感や同情・或いは憧れと云ったものは消えて行き、蔑視の眼差しが前面に出て来る事に為ります。売春が本人の「真意」に依るものとされた事で、遊女への偏見は強く為って行くのです。
此処では遊郭と遊女の話を中心に紹介しましたが、最初にも述べた様に、本書にはこれ以外にも、旧幕臣や賤民身分の人々など、維新の大きな変化を経験し、その変化の波を乗り切ろうとした人々の姿が描かれて居ます。
そして、そうした個人の奮闘を通じて、改めて明治維新と云う社会変革がどの様なものだったのかを教えて呉れる内容に為って居ます。
山下ゆ ブログ「山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期」管理人
〜管理人のひとこと〜
都内の顧客を担当して居た事も在り、過去には東京の繁華街を毎日の様に車で回って居ました。浅草もその一つですが、地図や住所表示には昔由来の懐かしい文字が特徴でした。池袋・新宿・渋谷・銀座・・・とは一味異なって浅草は昔の匂いがしたものです。
当時の法律は全てに抜け道が在り、それを利用する事で利益を捻り出す・・・それは誰もが認める「お上への反逆・ズル賢さ」だったのでしょう。明治に為ってもその習慣は抜けきら無い庶民の抵抗でも在ったのでしよう。何ん何と無くホッコリした温かいレポートでした。管理人はこの様なお話が大好きです。
2021年11月06日
政府が奨励する『 #マイナンバーカード 』対策!
国民1人当たり3万円 子供一人10万円給付の
61.6%の駆け込み『 #マイナンバーカード 』対策!
神田敏晶 ITジャーナリスト・ソーシャルメディアコンサルタント 11-6-3
今日のお勧め記事 11/5(金) 13:01
出典 マイナンバーカード普及状況ダッシュボード 11-6-1
KNNポール神田です。政府与党の『現金給付』の選挙公約が実施される方向で動いて居る。
□ 政府・与党は(2021年11月)4日、新型コロナウイルスの感染拡大を受けた支援策として、18歳以下の子供や若者に現金10万円を一律支給する方針を固めた。
□ 現金給付の対象は0歳から高校3年生迄とし、高校に進学して居ない若者も含める。対象は約2,000万人に上る見通しで、予算額は約2兆円を見込む。
□ マイナンバーカードを保有する全国民を対象に、1人3万円相当のポイントを付与する方向
□ マイナンバーカード保有者にポイントを付与する事業は、カードの普及と消費喚起を図り、政府のデジタル化を推進する狙いが在る。予算額は約3兆円を見込み、経済対策に盛り込む
https://news.yahoo.co.jp/articles/857a6d2e817d18224efd05da50683ae1d39641dd
昨年の政府の『特別定額給付金』の10万円の一律給付を想起させる政策だ。当然『郵送』による申請よりも『マイナポータル』からのオンライン申請の方がスムーズの様に思えるが、実際にログインする為には『マイナンバーカード』の実物と、事前登録をした『利用者証明用電子証明書』の数字4桁のパスコードが必要だ。
又、このパスコードは手書きで事前に自治体に申請したものと為る。しかも、3回間違えると完全に失効と為り、自治体で新たに申請し直さなければ為ら無い。
1度ハネられたら2回目は更に慎重に確認する必要が在る。3回目はトライする前に頭をクールにしてからで無ければ為ら無い。筆者は3回間違えてしまいパスコードを失効してしまい、再度、自治体に出向いて手書きでパスコードを申請した事が在る。
・・・一体何の為のデジタル化なんだろう?と首を傾げる。顔認証・指紋認証・メールやSMS等他要素認証方法は幾らでも在る。そう『マイナンバーカード』の発行業務だけでも地方自治体は悲鳴を挙げて居た。
■ 日本で最大61.6%(7,749万人)がマイナンバーカードを申請する?
現在、マイナンバーカードの普及率は国民の『38.4%』(2021年10月01日)と為って居る。日本国民1億2,580万人の4,830万人に値する。飽く迄も日本全体の平均で在り、マイナンバーカード交付率ナンバー1は宮崎県で49.8 % 、ワーストは沖縄県で30.3%と20ポイント近く開きが在る。
今回、マイナンバーを元に3万円のポイントを給付すると云う。残りの『平均61.6%』の国民は『マイナンバーカード』を保有して居ないので、この3万円分のポイントが給付され無い事と為る。
総務省 https://www.soumu.go.jp/kojinbango_card/マイナンバーダッシュボード
https://mynumbercard.code4japan.org/
現在、事業展開中の2021年12月迄延長中の2万円をチャージ・消費すれば上限5,000円(ポイント還元率25%)の『マイナポイント』が付与されると言うキャンペーンとは意味が全く違う。マイナンバーカードを保有して申請すれば、一律3万円が給付されるからだ。
■『マイナンバー』と『マイナンバーカード』の違い
国民全員『マイナンバー』の番号は付与されて居るが、それは13桁の番号の通知のみ。その番号と本人確認・4桁の『暗証番号』等でスマートフォンやスキャナーで読み取れる『ICカード』化されて居るのが『マイナンバーカード』だ。
コレを保有して居る事に依り、保険証との紐付け(2021絵年10月01日より)や、マイナポイントの付与や各種オンライン申請等に便利と謳われて居る。マイナンバーカードのメリットは色々在るが、デメリットは如何だろうか?
■ マイナンバーカード提出が義務付けられる金融機関の口座
銀行では、預金口座と個人番号(マイナンバー)とを紐付けて管理する義務が課せられて居ります。『預金』は任意ですが『投資信託』や『債権』『証券口座』等は必須と為って居る。詰まり、金融口座と税金関連等の情報が全て『マイナンバーカード』と紐付けされるのだ。これはコレで気持ちが悪い・・・
■ マイナンバーカードで判る自分にガサ入れして居る人達
一律3万円をバラ撒いてでも、マイナンバーカードを此処迄して普及させ様とすると余計に警戒する人も居るだろう。しかし『マイナンバーカード』では、自分にガサ入れして居る人の情報も、此方側からもチェック出来判るので、コレは非常に便利な機能とも言える・・・『やりとり履歴』で判るのだ。
『マイナポータル』にログインし、https://myna.go.jp/ メインメニュー>やりとり履歴>提供要求状況の確認で請求する。
出典 筆者にガサ入れしている日本年金機構 11-6-2
筆者のマイナンバーカードの基には年金事務所が何度もガサ入れをして居る事が判った。これは筆者が、年金申請の相談手続きを取って居るからだろう。そう、これは自分にガサ入れして居る相手の動きが読めると云うのもマイナンバーカードのメリットの一つでも在る。
エストニアの『e-Redidency』を参考にした良い事例の一つだ。何処の誰が自分の個人情報に興味を持って居るのかが、開示されて居るのは紐付けされて、監視されるのでは無く、自らが管理が出来ると云うメリットで在る。
■ ワクチン摂取するしないの選択と一緒のマイナンバーカード申請
既に、宮崎県では2人に1人に迄普及して居るマイナンバーカード。一人当たり、3万円を配布して迄取らせようとして居る。ワクチン接種と同様に、今後如何為るか判ら無いワクチンを摂取するかし無いかは自分で決めたいと云う人も居るだろう。
しかし、マイナンバーカードを取得し無い人やワクチン接種し無い人の自由は、トレードオフとしての不自由も同時に課せられてそうとも云えそうだ。
筆者は、基本的に合理的な意思決定出来る方向で在れば、出来る限り不自由を無くしたいと考えて居る。それ等の便益を享受しながらも、間違った方向へは常に異議を唱えて行きたいと感じて居る。飽く迄もマイナンバーカード取得の選択肢は、貴方に在り貴女の自由である。
マイナンバーカードの申請方法 https://www.kojinbango-card.go.jp/kofushinse/
神田敏晶 11-6-4
ITジャーナリスト・ソーシャルメディアコンサルタント 1961年神戸市生まれ ワインの企画・調査・販売などのマーケティング業を経て、コンピュータ雑誌の編集とDTP普及に携わる。1995年よりビデオストリーミングによる個人放送局「KandaNewsNetwork」を運営開始。
早稲田大学大学院、関西大学総合情報学部、サイバー大学で非常勤講師を兼任後、ソーシャルメディア全般の事業計画立案、コンサルティング、教育、講演、執筆、政治、ライブストリーム、活動などをおこなう。2020年より沖縄県北部へ移住。メディア出演、コンサル、取材、執筆依頼 等は 070 5589 3604 迄
〜管理人のひとこと〜
管理人が属している区役所の窓口には、以前はマイナンバーカードの申請者が屯して居た。恐らく給付金を早く欲しいと考えた人達だと考えられる。しかし、それが済むと一気にガランと為ってしまった。しかし、今回の3万円支給で又や人が集るのだろうか。
しかし、政府が行う種々のデジタル化・・・オリンピック関係やコロナ禍救済の色々な申請を含め、使い勝手が悪いとの風潮が溢れて居る。何故こうも下手糞なシステムしか考えられ無いのだろう。前の平井大臣の様な可笑しな人間が頸に為り、新たに女性大臣が任命されたが如何為るだろうか・・・世の中には便利なシステムがワンさと出回って居るのに。
2021年11月05日
立憲民主党は 何故若者の支持を得られ無かったのか?
立憲民主党は 何故若者の支持を得られ無かったのか?
室橋祐貴 日本若者協議会代表理事 11/4(木) 13:57
写真 Motoo Naka/アフロ 11-5-1
若者からの支持を集められ無い立憲民主党
衆院選での惨敗を受けて、立憲民主党の枝野幸男代表が辞任する事が決まった。この4年間、改めて振り返ってみると、若者からの支持は一向に得られ無かった。一方、2014年の衆院選以降、若者は自民党を支持する様に為って居り、安定して勝ち続けて居る一因にも為って居る。
諸外国のどの国を見ても、野党の方が若者から支持を得るのが一般的だが、何故立憲民主党は若者からの支持を得られ無かったのか。細かい理由を挙げればキリが無いが、大きくは下記の点が挙げられる。
・若者の政策ニーズとのズレ
・怒りっポイ人を嫌う風潮
・旧民主党と変わら無い布陣
・コア支持者ばかりを見て居る
夫々詳細を見て行こう。
若者の政策ニーズとのズレ
先ず此方が決定的では在るが、若者が求めて居る政策を掲げて居ない(一部方向性は合致して居ても実現性が低い)初期から立憲民主党を支えて居る60代以上の高齢者に目を配って居り、ソモソモ本気で若者からの支持を得る気が在るのかさえ不明ではあるが、基本的には高齢者向きの政策が多い。
これ迄の国会活動を見ても、将来的な持続可能性を高める年金制度改革・現役世代の負担を軽減する後期高齢者の医療費負担増に反対したのが典型例で在るが、一方で、労働組合の要求をそのママ飲み、国家公務員の定年年齢の引き上げを推進して居る。
しかし、国家公務員の平均年齢は年々上がって居り、人事制度改革無しに定年年齢の引き上げノミを実施すれば、若手への負担は重く為る一方で在り更なる官僚離れを引き起こす可能性が高い。
勿論、ジェンダー等、若者が期待する政策を推進して居ない訳では無い。が、多くの有権者が求めて居るのは経済政策であり、飽く迄ソコがセンターピンに来るべきだ。
後述する様に、小選挙区制に於いては、自民党を消極的に支持して居る〔中道右派〕も含めて支持を獲得し無ければ為ら無いが、特に近年の立憲民主党は全体的に〔左に寄り過ぎ〕て居り、中道左派でサエ支持出来無い状況に為って居る。
一方の自民党は、中道左派の支持を集める為に寧ろウイングを広げて居り、企業経営者が嫌がる様なリベラル政策も実施して居る(最低賃金の引き上げ・長時間労働への規制強化・厚生年金の適用拡大等)若者が如何云う政策を重視して居るかは、今回の衆院選の出口調査を見ても判る。
出典 日テレNEWS 11-5-2
10代を筆頭に若い世代程「ジェンダー平等の推進」を求める傾向に在るが、それでも「外交・安全保障」より低い。
「成長」か「分配」か
そして肝心の経済政策が余りに酷い。今回の衆院選に於いて立憲民主党は「所得を再分配し『1億総中流社会』を取り戻す」(枝野代表)として、その財源を法人税の累進税率の導入・金融所得課税の引き上げを求める一方、年収1000万円程度迄の個人の所得税を時限的に実質免除・低所得者に年額12万円の現金給付・時限的に消費税率5%の引き下げを掲げて居た。
経済に悪影響を与える社会主義政策を掲げる一方、保守的な減税も掲げる。全方面に好い顔をしようとして、一貫性の無い余りにも安直な政策に為って居る。
これ等の政策を見て、社民党・日本共産党と見分けが着く人が何処迄居るのだろうか。それ位左に寄って居る。コア支持者は、自分達が「正しい」と考え、何故伝わら無かったのか、有権者は「愚か」と考えて居る風潮が強いが、先ずは自分達が支持されて居ない純然たる事実を重く受け止め、本当に正しい政策を掲げて居たのか自省すべきで在る。
また「成長」か「分配」かと云うのが一つ争点と為って居たが、日本経済新聞の世論調査に依ると、世代間に依って意見は分かれて居り、若年層程「成長」を優先して欲しいと考えて居る。世代別に観ると18〜39歳は「成長」が59%で「分配」の31%より多かった。年齢が上がる程「分配」支持が増え60歳以上では逆転した。
出典 日本経済新聞「優先すべきは成長47%、分配は38% 岸田政権の経済政策」
60代以上は「分配」支持と云う正に立憲民主党の支持層と重なるが、若者からすれば、日本が持続的に成長する事が重要で在り、ソモソモ此処20〜30年間 日本は低成長が続いて居る。しかも、高齢世代の医療費負担を支える為に現役世代の社会保険料は増え続けて居り、既に現役世代から高齢世代への再分配は進み、可処分所得は下がる一方と為って居る。
勿論、格差が大きく米国の様に富裕層が多くの資産を占めて居る国で在れば(米国では上位1%世帯の資産が全体の40%を占める、日本はドイツ、フランス等よりも少なく12%)再分配強化に依って消費が増え成長も実現する可能性は在るが、日本の問題は、全体的に収入が減り中間層が没落して居る事であり、全体の底上げ・パイの拡大が求められる。
そして所得格差(再分配所得後のジニ係数)自体も2010年代から縮小傾向に在り、特に高齢世代で大きく改善して居る。
出典 独立行政法人経済産業研究所(RIETI)上席研究員 井上 誠一郎 11-5-3
こうした実態を踏まえれば、重要なのは全体を底上げする為の成長施策で在り、再分配をするにしても、職業訓練等の投資性の高いものにすべきである。又「子供・子育て予算倍増」と云うものも掲げて居たが、予算を増やす事自体は必要で在り重要だが、実現性は非常に乏しい。
確かに、日本政府の家族関係政府支出(対GDP比)が、欧州に比べると半分程度で在り、将来的に欧州と同じ水準にする事を目指すべきだが、予算額で考えると令和元年度で9.6兆円程度で在る。(「家族」項目 児童手当・児童扶養手当・施設等給付・育児・介護休業給付等)
倍増と云う事は、同額の予算を増やす事に為るが、恒常的に如何確保する積りなのか。こうした「詰めの甘さ」が山の様に在り、掲げて居る公約に期待する事さえ難しい。
比例代表制で在れば、ジェンダー等個別テーマに重点を置くのもアリであるが、日本は現行、小選挙区制を軸にした制度で在る。改めて、国民の大多数で在る労働者の為の政党で在る事を再認識した方が良いのではないだろうか。現状は、現役世代から支持を得られて居ないのを見ても、労働者の為の政党には為れて居ない。
怒りっポイ人を嫌う風潮
こうした公約の弱さに加え、日々の国会活動に於いても若者の共感を得て居ない。近年「皆仲良し」で意見の対立を避ける事が好い事だと云う考えが若年層に於いて広がって居り、その考えが政治的な意見の対立を忌避する考えに繋がって居る、と云う指摘が一部専門家からされて居るが(玉川透 2020「強権に『いいね!』を押す若者たち」)対立自体と云うより、生産性の低い不毛な遣り取りに対して忌避感が強い様に感じる。
また、ハラスメントの様に、高圧的な態度を取る人への苦手意識も強いのでは無いだろうか。それは、若年層程高い「政治家・国会に対する不信感」と云う調査結果とも合致するし、何より、今回その象徴的な存在で在った立憲民主党の辻元清美氏や一部公開パワハラと批判されて居た「野党合同ヒアリング」の中心メンバーの黒岩宇洋氏や今井雅人氏等が落選し「対立よりも解決」を掲げた国民民主党が議席を伸ばしたのもその証左では無いだろうか。
実態は兎も角「野党の野は野次の野」こう云う風に見られて居る時点で、支持を集めるのは難しい。「野党の野って、野次の野じゃないんですか? 野次を飛ばす事に自分達の命を賭けて居ると云うか、全うしてる? 野次を飛ばす事が仕事みたいなんやから言ってるんかな?」出典 渋谷凪咲「野党の野は野次の野」「野次を飛ばすことが仕事」と独自解説
又立憲民主党は「抵抗勢力」と見られて居り「自民党こそリベラルで革新的」と云う見方が若い世代では広がって居る。関連記事:「自民党こそリベラルで革新的」 20代の「保守・リベラル」観はコンなに変わって来ている(室橋祐貴)
立憲民主党は、日本共産党・社民党と一緒に、憲法論議にさえ反対して居るが、若者は議論を求めて居る。改憲国民投票に賛成、18〜29歳は7割 若年層ほど高く(日経世論調査)その憲法審査会長を務めて居た立憲民主党・山花郁夫氏も今回落選して居る。
旧民主党と変わら無い布陣
そして、特に30代を中心に、民主党政権時代に経験した就職氷河期や不景気、外交の混乱等のマイナスイメージが根強く残って居り、二度と期待したく無いと云う思いは強い。 その執行部(官房長官)で在った枝野代表を初め、未だに幹部に民主党政権を想起させるメンバーが数多くおり、それ以降に当選した若手が登用されて居ない。
寧ろ、小泉進次郎氏・小林史明氏・村井英樹氏等、自民党の若手メンバーの方が活躍して居り、最近では牧島かれん氏・小林鷹之氏が閣僚入りする等、若手の登用は自民党の方が進んでいる印象すら在る。
コア支持者ばかりを見て居る
最後に、上記全ての根底に在るのが、見て居る対象で在る。一言で言うと、高齢者含め、ツイッター上に居るコア支持者を見過ぎだ。小選挙区制に於いては、有権者の過半数を取ら無ければ為ら無い為、本来は自分達のコア支持者を横目に見ながらも、中道の位置に居無ければ為ら無い。
ソモソモ国会議員は、支持者の代表では無く国民の代表で在る・・・と云う前提も在るが、選挙戦略的にも、前回対立候補に投票した層からも支持を得無ければ勝て無い。しかし上述した様に、近年の立憲民主党はコア支持者を中心に見据えて居り、余りに左に寄り過ぎて居る。それでは、自民党を支持して居る中道右派は愚か中道左派からも支持され無い。
本来は、支持母体の労働組合も嫌がる様な中道右派的な政策(解雇規制の緩和等)も実現し無ければ為ら無いが、最早連合にさえ左に寄り過ぎと言われる始末で在る。その原因は、ツイッターが大きいのではないかと考えて居る。
ツイッターでハッシュタグデモと云うのが一時期流行った様に(今も?)、ネット上で盛り上がって居るのを見ると、有権者全体がそうかの様に勘違いして仕舞い易い。しかし、フィルターバブルと云う言葉も在る様に、SNS上は「絶対に」バイアスが懸かって居る。そして、そのツイッター上に居るコア支持者の支持を集め様とすればする程、国民全体からは離れて行く。
ツイッター上では「野党共闘」の継続を求める声が一部支持者から上がって居るが、国民全体への世論調査では「見直した方が好い」が61.5%、「続けた方が好い」は32.2%で在る。
国民全体を見る為には、ツイッターやオンライン上で「動員」ばかりを期待するのでは無く、各地域で様々な階層を集めて「タウンミーティング」を行う、戸別訪問を行う、そうした草の根の活動をモッと展開すべきである。
もっと言えば、2015年から始まった安保法制への反対運動、SEALDs的な表面ばかりの新しさ(本質は1960年安保闘争と変わら無い)に目を向けるのでは無く、学術的な知見の活用、新しい市民運動の展開(「コミュニティ・オーガナイジング」「リーダフルな運動」)等、本質的に政治活動をアップデートすべきである。
で無ければ、今後も若者の支持は集められず、新・55年体制の様に為って行く流れは止められ無い。只それでは、労働者を代表する政党の存在感が下がるばかりであり、若者が最も重視する働く環境の大きな改善が見込め無い。今回の代表選を通して、新しく生まれ変わることを期待したい。
室橋祐貴 日本若者協議会代表理事
988年 神奈川県生まれ 若者の声を政策に反映させる「日本若者協議会」代表理事 専門・関心領域は政策決定過程、社会保障、財政、労働政策、若者の政治参画など yukimurohashi0@gmail.com
〜管理人のひとこと〜
保守・若者に近い年代の人達から見れば、この室橋祐貴氏のご意見は最もなものかも知れ 無い。現実に立民は議席を減らし保守に近い維新や国民は伸ばした結果と為った。立民のコア層が支持してもそれより右側の中道層には受け入れられ無かったのだ。
若者の動向に敏感でその志向を研究されて居る室橋祐貴氏の解説は正しいのだろう。確かに大衆生活者・労働者を代表する立民としては、多くの支持層を食い止め伸ばす事が出来なかった。特に20代から40代の人達は保守陣営へと離れて行った様だ。
恐らく、立民の代表選挙を受けてのレポートで在ろうし、或る意味立民の再起を願うエールなのだろうが、関係者はこのレポートを吟味し解党的な新たな執行部を選択出来るか・・・大いに期待したいのだが・・・最後で最大のチャンスを逃した執行部の責任は余りにも大きかった。
2021年11月04日
「立憲民主党」枝野代表辞意 新たに代表選へ
「立憲民主党」代表選へ!!
「党名を変えた方が好い」「参院選では共産と闘わざるを得無い」の声
11/4(木) 6:00配信 11-4-1
ゴタゴタが続いた野党共闘
辞任を表明した枝野代表 11-4-2
立憲民主党の枝野幸男代表は、11月2日の党役員会で代表を辞任する意向を表明した。立憲は10月31日に投票が行われた衆院選で、多くの選挙区で共産党等と候補を一本化して臨んだが、選挙前の109議席を下回り96議席に留まった。今後の代表選を巡る動き等に付いてレポートする。
政治部デスクによると 「選挙前に政策集をまとめた著書『枝野ビジョン』を出版し、共産党等との野党共闘に踏み出した枝野氏は夫々に手応えを感じて居た様ですが、蓋を開けると選挙前勢力から議席を10%以上失うと云う惨敗。党内からその責任を問う声が挙がって居ました」
朝日新聞は《立憲、共闘に一定の効果》と見出しを付けて居たが・・・
小沢一郎氏 11-4-3
「そう云う声が無い訳では無いですが、ゴタゴタの方が目立ちましたよネ。共産との候補者調整が進んで居ない中、9月末に為って、立憲の平野博文選挙対策委員長が同じ立憲の小沢一郎氏に交渉・仲介役を依頼したんですが、兼ねて小沢氏と橇(そり)が合わ無い枝野氏は〔聞いて居ない〕と突っパネたそうです」
山本太郎氏 11-4-4
その他、自民党の石原伸晃元幹事長が破れた事で話題と為った東京8区でも事件は起こって居た。れいわの山本太郎氏が10月8日に立候補を表明したものの僅か3日で断念に追い込まれた一件だ。
拉致被害者に関する発言や性犯罪関連ツイート
手塚仁雄衆院議員 11-4-5
先のデスクが続ける 「候補者調整を進めて居た立憲と共産の執行部に取っては寝耳に水でした。実は都連の幹事長を務める手塚仁雄衆院議員が〔枝野代表等幹部は同意して居る〕等と山本氏に空手形を切ってしまったのがコトの真相の様です。
その後に出馬した立憲の統一候補が当選したから結果オーライとは云え、小沢氏と手塚氏は選挙区落選、平野氏は比例で復活出来ず・・・と、後味の悪さが残りましたネ」
生方幸男前衆院議員 11-4-6
最大の支持母体だった筈の連合側も、共産との共闘に付いて「連合の組合員の票が行き場を失った。受け入れられ無い」と表明して居る。
立憲を巡っては、解散直前に生方幸男前衆院議員(千葉6区)が「拉致被害者は生きて居ない」と発言したり、愛媛4区で立候補予定だった新人が女子高生や幼女に対する好奇心を募らせ、性犯罪に繋がり兼ね無いツイートをして居たりした結果、出馬取り辞めに至る等、野党共闘以外でも世間の耳目を集めて居た。
古本伸一郎氏 11-4-7
「少しマジメな方面の話をすると、愛知11区で6期連続して当選中の古本伸一郎氏が解散当日に出馬見送りを表明した件は衝撃が走りました。古本氏は全トヨタ労働組合連合会が推す組織内候補で、去年9月の立憲結成時には参加し無かったものの立憲の会派入りをして居ました」
名が挙がる3人の候補者
古本氏は表向き《愛知11区は自動車産業が直面する課題に取り組んで来た重要な選挙区だから地域を二分する争いはもう終わりにしたい》と発言したが、字義通りに捉える者は居ないと云う。
「古本氏の代わりに組合側が候補を立てる事も無く、結局ライバルの自民党候補が選挙で圧勝しました。このゴタゴタの背景には、トヨタ自動車本体が組合側に〔選挙活動は程々に・・・〕と加えたプレッシャーが在るとされて居ます」(先のデスク)
何れにせよ、選挙に関わる支持団体や関連団体の勢力図が塗り替えられそうなインパクトが在った様だ。今後に付いての党担当記者に聞くと、
泉健太政調会長 11-4-8
「首班指名迄に新代表を決めるべきだと云う声も在った様ですが、それは回避し、党員も含めたフルスペックの代表選を行うことに為りました。現時点で立候補に意欲を見せて居るのは、前回の代表選で枝野氏と争った泉健太政調会長・元国交相の馬淵澄夫氏・そして映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』に出演した小川淳也氏です」
馬淵澄夫氏 11-4-9
旧民主・旧民進党時代から「顔と名前が全然変わら無い」と指摘されて来た事を踏まえれば、少しは新しさを出すチャンスと云えるだろうか。
小川淳也氏 11-4-10
「そうですネェ、大臣経験者は馬淵氏のみで自民は勿論維新と比べても知名度では劣る印象です。それに馬淵氏と小川氏は推薦人20名を集めるのは難しいと言われて居ます。
更に小川氏は野党共闘路線ですが、来年の参院選の2人区で共産は候補を確実に立てて来る訳で、その対応を如何するのか疑問ですよネ。挙句には解党的出直しの為、党名を変えるべきだと云う声さえ挙がって居ます」(同)
ナカナカ次の「ビジョン」は見え無い様なのだ。昨年の代表選でもトップと同時に党名を決めたばかりだった筈なのだが・・・
デイリー新潮取材班 2021年11月4日 掲載 新潮社
〜管理人のひとこと〜
産みの親・創業者の枝野氏と云えど、活動資金を税金で賄う公党としては、或る意味の国民に対する〔責任〕を示さねば為るまい。その意味で残念であるが敗軍の将である枝野氏は後輩に道を譲る〔詰めバラ〕を切らざるを得まい。
顔が知られて居ないと云う事は、後継者を育て無かった枝野氏の責任にも為るので差し控えたいが、枝野氏以外のタレントが居ないだけで無く、立民は公的な政党では無く枝野氏の個人商店的な扱いの雰囲気だった訳だ。強力な自公に対する〔頑強な野党〕としては未成熟だったのだ。
出来れば旧指導層は全面的に一旦下がり、解党的出直しと観られる様に顔ブレを一新した方が効果的だろう。その上では顔が売れて居ない清新な印象が望ましい。山本太郎氏の様な勉強をされた一本筋の通った〔政治的信念〕を持った方に出て来て貰いたいものだが・・・