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2021年11月22日
「日本は貧乏が似合って居る」 立川談志
「日本は貧乏が似合って居る」
立川談志が生前にコノ言葉を繰り返して居た真意
11/21(日) 12:16配信 11-22-20
談志と筆者 筆者の真打昇進披露パーティーにて 撮影 ムトー清次 11-22-21
立川流真打・落語家 立川 談慶
■談志の言葉の数々は 予言だったのではないか?
今年の11月21日で、我が師匠談志がこの世を去って丸10年です。思えば、今から10年前の2011年は、談志・ビンラディン・カダフィ大佐・金正日と、独裁者4人が消えた年でありました(笑)
ま、冗談は兎も角、私ことコノ度不肖の弟子として、没後10年の晩秋に合わせて『不器用なママ、踊り切れ。超訳 立川談志』(サンマーク出版) 『天才論 立川談志の凄み』(PHP新書)を出版させて頂きました。前者は「過去の談志の発言集をデータベースに、もし談志が今も健在だったら、コンな事を言って居た筈だ」と云う観点から談志の言葉を思い切り「超訳」してみました。
後者は「前座修業クリアに他団体の3倍近く要しながらも、その後回復運転し、トータル14年で真打ちに昇進した自分のドキュメンタリーから浮かび上がって来た談志の天才性に付いての論考」です。
2冊に共通するのは「談志の言葉の数々は予言だったのでは無いか」と云う観点です。日本は、先進国で唯一給料の上がって居ない国に為りました。平均賃金では韓国に既に抜かれて居ます。
平成元年は世界4位だった国民1人当たりGDPは18年には26位迄転落し、アジアでも香港やシンガポールに大きく引き離されても居ます。
「日本は貧乏が似合って居る」
生前談志がサイン色紙に頻繁に記して居た言葉ですが、正に似合うと云う形に収まったと云う感じがします。
■「栄華を極めて国は滅びる」
此処で談志の少年期を想像して観ましょう。育ち盛りのアノ忌まわしい戦争体験が後の談志の人生にも多大なる影響を及ぼす事にも為りました。今年で入門が丁度30年に為る私ですが、今振り返ると未だバブルの余波と云うか、景気の良さが残って居る入門当初の時期に「日本は貧乏が似合って居る」「アノ頃は国中が貧乏だった」と頻繁に呟いて居たものです。
「日本は貧乏が似合って居る」ナンて、一見「皆で貧乏に為って廃れてしまえば好い」等と云う過激で厭世的な主張なのかと誤読され勝ちですが、決してそうではありません。これも好く言って居た「貧乏で国は滅び無い。栄華を極めて国は滅びるんだ。ローマ帝国を見よ」と云うセリフを補助線に「超訳」すると、好景気で浮足立って居る人達に対する冷ややかな目線が光って来る感じがします。
「バブルが残したものは何か?金持ちに為って何をした?海外へ女遊びに行った位だろ」
とも落語会のマクラでも揶揄(やゆ)して居ました。「俺達は戦後の焼け野原からアソコ迄立ち直ったんだ」とキラキラした眼差しで、悲惨な環境から復興して行くこの国の底力を見届けた談志からして観れば、裕福な場所からでは無く「貧乏と云うマイナスなスタート地点から出発すべきだ」と云う現代人への叱咤(しった)激励にも聞こえて来ませんでしょうか。
「俺がお前にして遣れる親切は情けを掛け無い事だ。欲しけりゃ取りに来い」
と云う言葉も前座の後半期に好く云われたものでした。
■「自作の持ち帰り容器を持ち歩く」談志ドケチ伝説
そして、戦後の貧しい時代に生まれた談志は非常にケチでした。前座の入門当初、談志が舐め掛けて居たのど飴を、もう舐め終えたものだと思って捨ててしまった事で怒鳴られた事が在りました。
「バカ野郎、何て事するんだ。未だ舐められたのに!」
と、のど飴を喉から手が出る程に惜しんで居たものです。私の真打ち昇進パーティーの会場で出されて居たピラフは「談志パック(談志の絵と「食べ物は大切に」等と書かれたオリジナル容器)」に入れて持ち返り、炒め直しては食べ続けて居ましたッけ。
滞在先のホテルに置かれて居た小さな石鹸を「ミカンを入れるオレンジ色の網」に詰めて大事に使って居たものです。正に「ネット(網)」を当時から駆使して居たのです(笑) もう此処迄来ると、ケチと云うマイナス評価を通り越して、談志のキャラに迄昇華しても居ました。
■不快感を自分の力で解決するのが「文化」
「しわい屋」と云うケチを自慢する落語があります。あるケチな男が「1本の扇子を10年持たせる方法が在る」と言って「半分だけ広げて5年仰ぎ、次の5年でそれを畳んで残りの半分を広げて使う」と主張します。言われたケチな男も負けては居ません「俺はソンな事しない。扇子はそのママ動かさ無い状態で顔を方を動かす」
談志は「此奴は見事だ。不快感を自分の力で解決して居る。文化そのものだ」と絶賛して居ました。談志は、文明と文化を次の様に定義し、生涯を通してアンチ文明の立場でした。
「不快感の解消を自分の手で遣るのが文化で、お金で他人や機械に遣って貰うのが文明だ」と。 詰まり、江戸時代とはソモソモ文明が未発達で、文化に頼らざるを得無かった時代でも在ったのです。
そんな環境だからコソ、落語の様な大衆娯楽が生まれたのだと考えて居ました。だから、貧乏に戻る事は、現代人が文化を取り戻す良い切っ掛けに為ると云える訳です。
勿論談志とて現代人です。多少の文明の恩恵は享受しつつも「何とかして文明の思い上がりを食い止めよう」と文化人としての気概を、落語を通じて訴え続けて居た様な感じでした。
芸人故の茶目っ気が溢れて居ましたから、徹底して文明批判を貫く様な活動家的なポジションでは決して在りませんでした。
■文明社会の成れの果て
処で、このママ文明がアクセル状態を続けて行けば如何為るのでしょう? 今や地球環境が悲鳴を上げて居ます。 富と成功の象徴としての億万長者が利用するプライベートジェットのCO2 排出量は、長距離バスの10倍、高速列車の150倍と迄言われて居ます。
そう考えて見詰めてみると「SDGs」が叫ばれる遥か以前から談志はこの現況を笑いと共に訴え続けて居たのかも知れません。マルクスが再評価されピケティが注目され、斉藤幸平さんの『人新世の資本論』がベストセラーに為ったりと、コウ云う時代を談志は想像して居たのかも知れません。天才にはキット見えて居た筈です。
■フェミニストだった談志
「男が勝手に作ってダメにした社会を、直して行くのは女だろう」
これも談志を代表する名言の一つでした。談志は可成りのフェミニストでした。20年以上前ですが、当時前座の分際で結婚した私でした。前座と云うのは修行期間の身分故、云わば結婚するのはご法度に近い事です。
私はコッソリ結婚して、ほとぼりが冷めたら談志にカミさんを紹介しよう等と姑息(こそく)な事を考えて居たのですが、カミさんはとても気丈でした。
「後で師匠に『ナンでアノ時に言わ無かったんだ!』と言われるのは嫌だから、ドンなに怒られても好いから挨拶に行きたい」
と云う彼女の声に押される格好で根津のマンションへ向かいました。夏場の事でした。談志はランニングと短パンで寛いで居たのですが、カミさんの姿を見掛けると直ぐ奥の部屋に戻り、ポロシャツを上に着て応対して呉れたものです。
無論、結婚に関しては「身分をわきまえろ!馬鹿野郎」と激怒されましたが、 その後も、カミさんのお礼状への返信には、直筆で「何か在ったら力に為ります」と墨痕鮮やかに印して呉れました。
二人のお子さんや御内儀さんからは「パパ」と呼ばれて居ました。家父長制の延長線上に位置すべき徒弟制度を前提とする落語家としてはとても異例の事だった筈です。
「男に出来て女に出来無い事は無い。運転は男の方が旨いナンてウソコケで、女には経験が無いだけだ。大概何処の家も亭主がだらしなくて、カミさんが確りして居るものだ」
とも言って居ました。正に「LGBT」と云う言葉の先駆けの様な思考を持って居たのです。女性蔑視発言等で窮地に追い遣られた森元首相と同世代の人の考え方とはとても思えませんよね。矢張り革新的な思考だったのです。
だからコソ「落語は人間の業の肯定だ」と云う落語への歴史的な定義を施したばかりでは無く、それ迄の落語のスタイルや存在意義迄も変える様な革命を遣って退けたのでしょう。
■地球と女性を大切に
そんなバランス感覚と先見性が在ったからコソ、談志からして観れば、男性が「勝手に作ってダメに為った社会」をキチンと立て直して行くのは女性だろうと云うのは予言では無く「未来への提言」にすら思えて来ます。
以上、まとめて「超訳」すると、もし談志が此処に居たの為らば
「地球環境を大切にしろよ。人間さえいなけりゃこんな好い星は無い。そして、モッともッと女性を大事にしろよ。それから談慶のバカの書いた本、買って遣って呉れよな」
と、優しい言葉を残して呉れて居た筈です。天才の言葉、今コソ噛みしめましょう。 「落日」の後は「朝日」です!
立川 談慶(たてかわ・だんけい) 立川流真打・落語家 1965年 長野県生まれ 慶應義塾大学経済学部卒業 ワコール勤務を経て91年立川談志に入門 2000年二つ目昇進 05年真打昇進 著書に『大事なことはすべて立川談志に教わった』等
〜管理人のひとこと〜
世間を斜めから読み解く・・・噺家とはソンな批判的心情が無いと存在感が問われてしまう・・・と考えてしまうが、逆に噺家迄が政治に口を出す・・・との批判めいた言葉も在りましょう。しかし、公務員でも会社員でも無いフリーの立場で何事かを呟くのは個人の勝手であり自由です。
噺家程自由にものを言える職業も無いのです・・・現在は余り、テレビのニュースショーに出る噺家も少ない様ですから。社会から縛られる事も少ないのです。管理人も談志氏の落語の大ファンです。矢張りある種の天才と云って間違いありません。アノ口調がとても好きですね、優しさが話の中に溢れ出て居ます。
しかし、この時代の落語家生活は大変でしょう・・・政府から補助金は無いのでしょうか、そんな気の利く政府では無い様ですね。何れにしても世知辛い世の中な事は変わりません。
立民・共産の共闘は間違いだったか? 自社提携の歴史を遡れ
<2050年のメディア>第86回
立民・共産の共闘は間違いだったか?
自社提携の歴史を遡れ 下山進
〈サンデー毎日〉11/22(月) 10:05配信
村山富市氏 1994年に就任した自社連立政権の首相 社会党最後の委員長と為った
Susumu Shimoyama〔MEDIA in 2050〕しもやま・すすむ ノンフィクション作家 11-22-1
英国の週刊誌『エコノミスト』のエグゼクティブ・エディター、ダニエル・フランクリンがこんな事を言った事が在る。
「歴史を知ると云う事は、未来を予測する上で重要なツールキットです。歴史がそのママ繰り返される事は在りませんが、歴史を観る事に依って、新しいものが起きた時にどの様な反応が起きるか、或る程度予測出来ると云う事です」
「私達『エコノミスト』の使命は、非常に複雑で変化の多いこの世界に於いて、何が起きて居るのかを読者に説明する事です。その際に歴史的文脈で説明する事は極めて有効だと考えて居ます」
その言葉を思い出したのは、立憲民主党と日本共産党の先の衆議院選挙に於ける共闘を殆どのメディアが「失敗」と報道して居るのに、モッと他の角度の分析は無いかと思ったからだ。
例えば読売新聞・・・先ず投票日前日の10月30日 一面で特別編集委員の橋本五郎は、両党の「限定的な閣外協力」に付いて〈共産党は「日米安保条約廃棄」の方針は変わらず、内閣提出の法案に反対する事も在ると云うのです。それなら選挙の為だけの協力では無いかとの批判が出るのは避けられません〉と書いた、此処迄は好いだろう。
しかし、結果が出た後の11月2日のストレート記事で「連携が裏目に出た」3日の社説でその原因は、日米安保条約の廃棄を掲げて居る共産と〈日米同盟を軸とする立民との基本理念の違い〉が惨敗を招いたのだとし、4日の一面の政治部記者の署名原稿でも〈日米同盟を基軸とする立民と、日米安保条約の廃棄を主張する共産が、限定的とは云え閣外協力で合意した事に、多くの有権者が納得出来無かった〉と同じ歌を繰り返して居るのを読むと、もっと他に書く事が無いのかと思ってしまう。
ジャア、94年から98年迄の自社連立は如何なんだと云う疑問が湧く。社会党が自民党と連立を組んで政権に入った時、日本社会党の綱領的位置付けの文書は「新宣言」と云う文書だった。
基本政策目標の第一番目に掲げられたのが〈平和、協調を基にした国際体制と非同盟・中立・非武装の実現〉と云う外交政策だった。コレは、日米安保条約廃棄と同じ、しかも「閣外協力」処では無い文字通り政権に入ったのだ。
自民党は今回「立憲共産党」と云う言葉を使いながら、立民と共産の共闘を「安全保障は如何するのか」と攻撃したが、四半世紀前には自分も同じ事を遣って居た。だから好く無いと云う事を言いたいのでは無い。
立民と共産の共闘を、日米安保条約を巡る不整合から自民党が攻撃して居るので在れば、では四半世紀前は如何だったのかと云う事をメディアは取材分析し無ければ為ら無い。総選挙の直前の月刊『Hanada』に慶應の教授で元民主党議員の松井孝治がすこぶる面白い原稿を書いて居た。
松井は、通産官僚時代、この自社連立政権の官邸に入った時の体験を書いて居たのだ。この原稿で、1995年8月に時の首相の村山富市が出した「戦後五十年談話」所謂「村山談話」の原案を松井が書いた事を明かして居る。
そして穏当な表現だった筈の原案が、村山の執念で「植民地支配」「侵略」「戦争責任」全てに於いて踏み込んだものに変わって行った事、それを当時の自民党は、黙って通した事が綴られて在る。
「コレだけは村山の思いを通して遣って呉れ」と云う官房長官の野坂浩賢の説得に依って、亀井静香・橋本龍太郎と云った自民党の政治家達は引き下がった。これを松井は「恩義を返す為に自分を捨てる」日本人の気質を当時の自民党は持って居たと書いて居る。
何せ、自衛隊にしても消費税にしても、社会党は自民党との連立政権で党是を全部ヒックリ返したのだ。ここだけは村山の気持ちを判って呉れと云う浪花節を了とした。
では、現在の自民党にそうした気質は在るか? そして共産党が、仮に政権に入ったとしたらば、過っての社会党の様に為って行くのか?
こうした疑問を、同じ95年に左翼民主党(旧イタリア共産党)が母体と為って生まれた「オリーブの木」の左派中道政権の辿った道や、自社政権時の中国と今の中国の国力と体質の違い等を調査しながら、今回の立民と共産の関係を見て行くと、全く違う発見の在る記事に為ると思う。
英エコノミスト誌は2016年に「基軸通貨が交替する時」と云う記事を出して居る。これは、中国の元がドルに代わる基軸通貨に為り得るかと云う事を、過つてポンドからドルに基軸通貨が移行した1920年〜45年と比較して考察したものだ。
過つてとの決定的な違いは、ポンドからドルに基軸通貨が移行した時は、英国と米国は同盟国だったが今の米中は敵対する国家同士だと云う事だ。そうした体制に在って、現在の世界経済は、危機に陥った時、国家や金融機関を破綻から救う「最後の貸し手」が居ない、その事を基軸通貨の問題を考えながら指摘する優れた記事だった。
そのひそみに倣えば、国民民主が立民・共産に共闘からの離脱を通告した今、例えば1970年代の社共共闘から、80年代の社公民路線への転換と比較しながらの考察等・・・新聞は、モッともッと脳味噌を洗う様にして知恵を絞れ。現場の記者はそうした歴史を常に勉強しながら、今の政治を絵解きして呉れ。
◇しもやま・すすむ 11-22-2 ノンフィクション作家 著書に『アルツハイマー征服』等 上智大新聞学科で調査型の講座「2050年のメディア」を開く 5冊目の著作『2050年のジャーナリスト』が発売中
〜管理人のひとこと〜
4野党共闘・・・この中には、4党で過半数を獲得したら共同で総理を担ぎ上げ、共に内閣で大臣を出し合い政治に邁進しよう・・・との同意が在っての事だと想像するのが当たり前。だから管理人は、れいわの山本太郎氏が総理に指名されるか、又や経済政策の要の特任大臣にでも為り彼独自の経済政策を束ねるのも在りと想像して居た。しかし枝野氏の言葉には「共産は閣外協力」と云う意味不明なものだった。立民の中の非共産系の意思を汲んだのだろうと思うが、 ソンな生半可な意思で政権が手に入る筈も無い。
無論、非共産・反共産も夫々の心情も在り結構なのだが、ソンな壊れ物でも扱う様なビクビクとした中途半端な提携話に、多くの支援者は〔匙を〕投げたのだ。多くの人達は、反共産派の彼等と今後の関係を充分に熟慮し説得した上で〔4党合意〕が為されたと誤解して居た。だから「選挙目当ての提携」と枝野氏の真意を見破られただけだ。
票だけを貰い後は閣外で・・・との不公平で不正義で可笑しな話が世間に通る筈も無い・・・それを枝野氏は「説明不足」と表現したが「単に甘い考えで墓穴を掘った」だけなのだ。自民が説明した通り顔を洗って「立民共産党」として出直した方がよっぽど増しだろう。
衆院選を今更振り返る 千葉商科大学 国際教養学部准教授 常見陽平
衆院選を今更振り返る
「若者の政治離れ」と云う傲慢(ごうまん)な声と〔維新〕の躍進
11/20(土) 8:46配信
文章 千葉商科大学 国際教養学部准教授 常見陽平 11-22-3
2021年10月31日に投開票が行われた「第49回衆議院議員選挙」 コロナ禍初の総選挙では、自民・公明の連立政権が与党としての絶対安定多数を確保した。日本維新の会が躍進し、大物政治家が相次いで落選する大きな変化も。少し時間が経ったが衆議院選を基に時代の空気を読む。徒然為るママに語る。
写真は吉村氏の公式ツイッターより 11-20-8
果たして「若者の政治離れ」は本当か?
今回の選挙では、18〜19歳の投票率が43.01%と為り、前回の2017年の衆議院選に於ける41.51%を僅かに上回った。とは云え、必ずしも高いとは云え無い。只、この手の話で語られる「若者の政治離れ」では無く、寧ろ「政治の若者離れ」が本来の姿ではないか。
若者が新聞初め伝統的なメディアと触れる機会が減って居るのは事実だ。実際、彼等は有象無象の情報が並ぶスマホを情報源として居る。
好くSNSが若者の情報源と言うが、それも上の世代とは異なって居る。Facebookは今や「ネット老人会」と揶揄されて居て若者は使わ無い。Instagram、嫌今やTikTokが情報源だ。只、政党・政治家の発信方法や掲げる政策のドレもが10代に寄り添って居る訳でも無く、自分事として捉えられ無いので在れば離れて行くのは必然だ。
「何故選挙に行か無いのか」は議論するべき
bizSPA!フレッシュ 11-20-9
筆者自身、大学教員として学生に政治に付いて尋ねる機会が在る。ヨクヨク話を聞いてみると学生達は関心が無い訳では無い。個別に「選択的夫婦別姓に興味は在るか?」と聞けば、夫々意思表示をするし、給付金の様に学生をサポートして呉れるものに付いて聞けば「関心在ります」と答えて呉れる。
1年生6人と会話して居て「ソレ、選挙で解決出来るかもよ」と伝えた処、6人中5人が選挙に行った。行か無かった1人は不在者投票の遣り方が好く判らず断念した。皆、選挙に行く事を楽しんで居た。調べてみると面白いと。
若者向けの政策と、それを届ける努力が必要
bizSPA!フレッシュ 11-20-10
若者の政治離れと大上段から言って居るばかりでは本質を見誤る。彼等が「何故選挙に行か無いのか」は上の世代も含めて議論するべきだ。先ずは自分達の世代の事が気に為るのだが、夫々の世代の課題に応え無くては社会は壊れて行くし、その問題は自分達に振り返って来る。
学生達は忙しい。今の大学は講義の宿題も多いし出席管理も厳しい。学生生活を続ける為にアルバイトはマストだし通学時間が長い学生も居る。 「若者が政治離れして居るぞ」と言うのはエゴだ。そして、若者向けの政策とそれを届ける努力が必要で在る。
コロナ禍で問われた「◯◯で無いもの」
今回の選挙のトピックの一つは野党共闘だった。立憲民主党・共産党・れいわ新選組・社民党等野党が289の小選挙区の内約75%の217の選挙区で候補者を一本化。結果は如何だったか。自民党も、立憲民主党も議席を減らした。
最も、自公の連立与党は絶対安定多数を保った。議席数の減少数は自民党も立憲民主党もホボ同数だったが、減少率に於いては、言う迄も無く立憲民主党の方がダメージが大きい。
「敗北」の責任を取って枝野幸男氏が代表を辞任した。ここ迄は既に何度も報道されて居り論じられて居る処だ。如何にも野党共闘が失敗したかの様な報道が散見されるが、結果として議席は減らしたものの〔接戦の選挙区が多かった〕のも又事実では在る。
衆議院選は政権選択選挙で在る。特に今回はその色が強かった。(少なくとも、共闘した野党はそうアピールして居た)「国民が自分達の未来を委ねる為の選挙」だった。結果として自公は絶対安定多数の議席を確保した。議席自体は減らしたのではあるが。
関西の友人に「維新の強さ」を聞いてみよう
bizSPA!フレッシュ 11-20-11
(大阪と云えば、通天閣・お好み焼き屋・心斎橋・道頓堀・なんぱ橋の風景しか無い様だ・・・)
大きく議席を増やしたのは〔日本維新の会〕だった。前回との比較で、議席数は11議席から41議席と約4倍に増え第三党への躍進を遂げた。関西発の政党で在りながら、全国的な存在感をみせた。
日本維新の会の躍進は、関西、特に大阪と他のエリアで分けて議論し無くては為ら無い。大阪では地元の政党として、大阪府・大阪市等の首長を務める他、地元に根付いた活動をして居た。
この辺りが、全国区には伝わり切って居らず「何故、維新は強いのか?」と云う声が何度も上がった。実際、大阪府等のコロナ対応は十分だと言えるのか疑問にも思った。この辺り、もしフランクに政治の話を出来る友人が関西に居たのなら「何故、維新は強いのか?」と質問してみると、温度差・肌感覚が判るだろう。
自民党・東京以外の何かを求める気持ち
私が関西在住の友人達に聞いた処「逆に、何で維新以外を選ぶの?」と言われた。前述した通り、地元に根付き確実に改革を進めて居ると支持者は評価して居る。吉村洋文大阪府知事がコロナ対策で外野から観て居ると、明らかに失策だと思える部分や、例のイソジン発言等謎の言動も在ったが「吉村さんは頑張って居る」と評価されるのだと云う。最も、関西、特に大阪では圧勝と云う状態だったが、地方への広がりはマダマダこれからだ。
東京でも比例復活で2議席を獲得したし、投票結果で2位に食い込んだ選挙区も在ったが小選挙区では勝って居ない。地方への広がりもコレからだ。とは云え第三党に躍進し、来年の参議院選等、今後の広がりを感じる結果と為った。
この躍進を支えて居たのは、人々の間に在った「自民党では無い何か」「東京では無い何か」へと期待する気持ちだったのではないか。メディアを通して吉村大阪府知事がコロナ対応に奮闘する姿等を見て、国の中心地・東京の政治家達の不祥事に嫌気がさした人々の票が集まった可能性も在る。
「唯一の改革政党」が響いた?
又、今回名乗りを上げて居た政党の中で「唯一の改革政党」と唄って居たのも支持者に響いたのではないか。隠れファンが増えつつ在った印象で、筆者の周囲でもfacebookでの投稿で、維新支持を表明する人は、関西在住者と経営者やコンサルタント等を中心に散見された。
「自民党では無い為らばどの政党を信じるか?」と考えた人達の選択肢と為ったのが今回の結果に繋がったと云える。とは云え「自民党では無い何か」だけで躍進したと断じるのも雑だろう。
実際「自民党では無い何か」を主張して居たのは共闘した野党で在る。「利権か人権か」と云うキャッチフレーズや「モリカケ」「桜」の問題、更にはコロナ対応が十分か如何か等をアピールした。しかし、必ずしも「自民党では無い何か」に選ばれ無かった。
その自民党も「共産党と組む様な政党」では無い何かをアピールして居た様に見える。勿論、選挙前に総裁選が行われ新しい顔で望んだ選挙では在った。しかし、実績をアピールしつつも、寧ろ共闘バッシングに見えてしまった。
ベテラン議員の落選が相次ぐ
この様に「00では無い何か」選挙だったとも言え無いか。結果「自民党では無い何か」として議席を増やしたのは日本維新の会だった。
立憲民主党の辻元清美や小沢一郎等、ベテラン議員の落選が相次いで目立ったのも、今回の衆議院選挙では大きなトピックだった。世代交代を象徴して居たが、明らかなのは「国民はキチンと見て居た」と云う事だ。
自民党の幹事長を辞任した甘利明議員も比例での復活を遂げたものの「落選運動」が行われたと自らテレビ番組等で訴えて居た。幹事長と云う役職を得ながらも最後は地元に張り付くと云う展開だった。
先述した辻本元議員はより逼迫して居た。個人的には、国政での答弁は評価出来る印象も在った。しかし、日本維新の会が支持を獲得して居る大阪で戦って居たのも災いして、現実として当選には至ら無かった。
本音はDMでしか話せ無い
bizSPA!フレッシュ 11-20-13
個人的に反省したのは「声無き声に敏感に為る」「Twitterを見過ぎ無い」と云う事である。最近「Twitterを見無く為った」と云う声を好く周りで聞く。
余りにも殺伐として居たり、逆に内輪受けに為って居ないか、何か発言すると叩かれるのでは無いか・・・と。私は空気読まず投稿して居る方だが、それでもこの1年は寧ろDMの遣り取りが増えた。本音は、信頼出来る友人・知人とのDMでしか話せ無いのである。
一見すると、支持を集めて居そうな発言は、皆の本音とは限ら無い。逆に本音は益々心の中に閉じ込められる。Twitterでの盛り上がりを見て居ると、人々の本音とズレてしまう。勿論、主張する事を否定して居る訳では無いのだが。
改めて、国民は何に困って居るのか。様々な人達が居るが、ネット上の盛り上がりに流されず、冷静に観る事が必要だ。
11-22-4
TEXT 千葉商科大学国際教養学部准教授 常見陽平 bizSPA!フレッシュ 編集部
〜管理人のひとこと〜
経済政策が劣化して居る我が国での学生生活は何かと大変だ。政治の無策による困窮した日常しか知ら無い多くの若者は、この不自由な生活を、コレが普通だと達観してしまい不満や不平を堪えて居る。だから表面的な反対の意思表示もせず全てを胸の中に抑えて居る。
首相が友達の為に、国民の税金を垂れ流し利益を生み出す事に邁進し官僚が公文書を偽造しても「そんなものだ!」と諦める。好きな芸人や広告代理店を贔屓しても「そんなものだ!」と。昔は、実家からそれ相当な仕送りを貰って居た人が多かったのだが、今はバイトで生活を賄うのが当然と為って居る。そんな彼等・彼女等を政治が何の援助もせず、高い金利付きの奨学金で卒業後も返済に喘ぐ生活が続く。
こんな政治に誰が興味を示しバイトを休んで投票ナンかする筈も無いだろう。半分も投票したとするなら大出来だろう・・・全ては、政治で解決出来る問題なのだが真に残念である。学生達を政治から遮断・カモフラージするのが上手なのが政権の力なのだろうか・・・