新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2021年11月14日
江戸時代 実はメチャメチャ「格差社会」だった…!
「長閑(のどか)」に見える江戸時代ですが
実はメチャメチャ「格差社会」だった…!
11/13(土) 9:11配信 11-13-20
作者 俳人・大谷弘至氏 11-14-5
小林一茶の鋭い社会批評
Photo by iStock 11-13-21
1813年(文化10年)10月13日の夜、小林一茶は滞在先の信濃の善光寺宿で打ち壊しに遭遇します。一茶の日記です。11-14-4
・・・ 十三日 晴 午刻雨 於善光寺夜盗三百人計蜂起シテ、破富民二十三家 ・・・
善光寺の貧しい町民達が米価の値下げを求めて決起したのです。当時、日本各地で打ち壊しが頻発して居ました。米仲買が不当に米価を釣り上げる事が屡々在り、打ち壊しが起きる原因に為りました。因みに打ち壊しは一揆とは異なり、対象と為る富商の家屋を破壊するのみで、人を殺めたり火を放ったり金品を略奪したりする事は在りませんでした。飽く迄も窮状を訴える為の行為でした。
一茶と云えば、次の様な俳句で知られて居ます。それは童話や民話に通じる、温かみの在る俳句です。11-14-1
我と来て遊べや親の無い雀
雪とけて村一ぱいの子ども哉
瘦蛙負けるな一茶是にあり
雀の子そこのけそこのけ御馬が通る
こうした句も、口馴染みが好く確かに素晴らしいのですが、その一方で、当時の社会に付いて鋭い批評性を持った句も沢山作って居ます。特にお金や経済をテーマに詠んで居るのですが、それに依って一茶は俳句の世界を広げる事に成功しました。
一茶が生きていた「超絶格差社会・ちょうぜつかくさしゃかい」
トヨタ自動車の豊田章男社長[Photo by gettyimages]11-13-22
一茶が生きた文化文政時代(1804〜1830)は江戸の後期に当たり、一茶没後、凡そ40年で明治維新を迎えます。既に近代化の基盤は整って居り、社会全体としては決して貧しい時代では在りませんでした。
江戸開幕以来、泰平の世が続いた事で、一般庶民に迄貨幣経済が浸透し、都市部ではインフラが整備され、地方でも市中にはモノが溢れ、庶民向けの観光や娯楽が産業として成立します。
経済界では、後に財閥と為る鴻池・三井・住友が既に重きを為し、十八大通(とはちおおどおり)と呼ばれる富裕層(主に札差)が、派手にお金を使って遊ぶ事で名を馳せて居ました。富める者は大いに富む、そんな時代だったのです。
しかし、その一方で、打ち壊しが全国で頻発して居ます。富裕層の影には多くの搾取される人々の存在が在りました。搾取された人びとの怒りが頂点に達した結果、各地で打ち壊しが起きたのです。
一茶の時代も又、富める者が富を占有し、貧しい庶民は一方的に搾取され続ける超絶格差社会だったのです。先日、2021年9月の中間決算でトヨタが史上最高利益を上げた事が報道されました・・・純利益2兆円。
円安が追い風に為ったとは云え、コロナ不況が長引き、若者のクルマ離れが云われる昨今に在って、俄かに信じ難い成果です。
そのカラクリは下請け企業からの搾取(さくしゅ)に在る様で、下請けには利益が還元されず賃金が上がら無い、それ処か赤字続きに為る。トヨタの史上最高利益はそうした下請け企業の犠牲の上に達成されたものと観られて居ます。
その為、トヨタの記事を掲載したヤフーのコメント欄には数多の怨嗟(えんさ)の声が上がって居ます。現代ではトヨタに限らず、一部の大企業(近年では殊にGAFAに代表されるIT大企業)に富が集中し、その影で低賃金に苦しむ労働者が増えて居ますが、既に述べた様に一茶の時代も又格差が大きい社会でした。11-14-2
「世のさまが悪い」のが原因
長野県に在る信州善光寺[Photo by gettyimages]11-13-23
一茶の時代、善光寺は北国街道の要衝(ようしょう)で在り物流の中心地と云う機能も果たし、近隣随一の商業圏でした。その上門前町と云う事も在り、参詣客で賑わいその繁華(はんか)が人を呼び集め、一説には人口1万人を越えて居たとも云われます。同じ北国街道の上田宿が2,000人程でしたので、当時としては可成りの人口だったと思われます。
しかし、ソコで働く人の多くは近隣の寒村から遣って来た貧しい人々でした。彼等は仕事を求めて善光寺に遣って来た訳ですが、地元民や観光客相手に物を売ったり商家に日雇いで雇われたりする事で、辛うじてその日暮らしの生計を立てて居ました。そうした人々が懸命に生きる姿を一茶は詠んでいます。
麦秋や子を負ひながらいわし売 一茶
この句には「越後女旅駆・えちごおんなたびかけて・商ひする哀れさを」と前書きが在ります。遠く越後から幼い子供を背負って遣って来た女性の行商人を哀れんで詠んだのです。信濃には海が在りませんので魚は貴重でしたが、何せ鰯(いわし)は下品(げぼん)とされた魚です。高くは売れません。
朝霜やしかも子どものお花売 一茶
貧しい家に在っては、子供も大事な労働力でした。季語・朝霜(冬)に依って、深々と冷えた朝の空気が感じられ一層哀切な姿に映ります。善光寺の打ち壊しに付いて一茶は日記に次の様に記して居ます。
「これ単に宝を奪う盗人にも非ず、又遺恨を含み手人を害するにも非ず。 掛かる災の起こりたるは、世のさまの悪しければ、魔王のたぐひの、殊更世をみだらんとて、かくは起こりつらん。よくよく心すべきことになん」
11-14-3
・・・小林一茶終焉の場所である土蔵 北国街道柏原宿の生まれだった一茶は、50歳の時に故郷に戻った。柏宿で2度の結婚をし子供にも恵まれたが、1827(文政10)年・一茶65歳の時に起こった柏宿の大火により家の母屋を失ってしまう。
その後、一茶は焼け残った土蔵(現・小林一茶旧宅)に移り住みその年の冬に生涯を閉じた。小林一茶旧宅は昭和32(1957)年に国史跡として指定された。その後、2度の解体保存工事が進められ、現在、一茶が住んで居た当時の姿が復元されて居る・・・
この打ち壊しは単に金品を奪う為でも無く、恨みに依る殺人でも無い。この様な災いが起きたのは、世のさまが悪い、詰まり社会情勢が悪いからだと一茶は言って居ます。そしてその思いを句にします。
とく暮よことしのやうな悪どしは 一茶
今年の様な悪い歳はサッサと暮れて欲しい。そして、新しい歳を迎えると共に、社会が生き易いものに為って欲しい。そんな切実な願いが込められた一句です。
ネオリベ的だった「大御所時代」
徳川家斉像(徳川記念財団蔵)[Photo by gettyimages]11-13-24
「世のさまが悪い」と一茶は言って居ますが、時は第十一代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)の治世、所謂大御所時代を迎えて居ました。家斉は豪奢な生活を好み経済政策もそれを反映した放漫なものでした。
お上がその様な状態でしたので、富家は勿論、下々迄風紀は乱れ、万事、お金がものを云う今日のネオリベ的な所得格差上等の世相が現出しました。
それ以前、天明年間には浅間山・岩木山の噴火を原因とした大飢饉が起きて居ました。人災も重為って全国で90万人もの死者を出すと云う未曾有の大惨事を経験して居ながら、家斉は反省も無く只管贅沢の限りを尽くし、徳川幕府歴代最長と為る50年もの間将軍職に居座ります。その間、53人もの子供を作ると云うオマケも着きました。無論、幕府の財政は既に破綻を来して居ました。
それに対して家斉は悪手を打ちます。8度に渉る貨幣の改鋳(かいちゅう) 大量発行のバラマキ政策です。歴史を顧みても古代ローマ帝国や元王朝と云った強大な国家が衰退した原因のひとつは、貨幣の価値(信用)の下落で在ったと云われます。改鋳する度に貨幣の質が悪化し、ソレが大量にバラ撒かれる事に依って、貨幣の信用が失われたのです。
江戸幕府は財政難を上辺だけで乗り切ろうと、苦し紛れに貨幣の改鋳を乱発しました。改鋳の度に市場は混乱を来します。
日の本や金も子をうむ御代の春 一茶
一茶は金が金を生む世で在ると皮肉を込めて詠んで居ます。江戸での貧困生活や異母弟との遺産相続争いでお金に苦労した一茶はお金が魔物だと云う事を好く知って居ました。幕府の浅はかさは当時の庶民にも見透かされて居たのでは無いでしょうか。
日銀が抱えて居る「爆弾」
日銀の黒田東彦総裁[Photo by gettyimages]11-13-25
翻(ひるがえ)って現代では如何でしょう。 銀の金融政策は素人目にも危険なものに映ります。中央銀行で在る日銀がETFの買い入れを続けて居り、今や日本株の最大の株主は日銀だと迄言われて居ます。ETFを買う事で日銀は間接的に日本企業の株を買って居り株価を引き上げて来ました。コレは家斉が行った麻薬的なバラマキに似た処が在ります。
日銀の株の買い入れに依って株価は安定します。海外投資家の日本株売りに依って下落する株価を引き上げる事が出来ます。しかし、株価は大きく変動するものです。仮にリーマンショックの様な大幅な下落が起きれば、中央銀行で在る日銀が債務超過に陥り、発行する通貨迄もが大暴落する恐れが在ります。又、日銀が株を手放す時、株式市場は大きな混乱を来す事が予測されます。
こうした金融政策は株高を重視するアベノミクスの主要政策の一つだった訳ですが「新しい資本主義」を標榜する岸田政権もその実態は変わら無い様に見えます。
安倍政権時には、政権の長期化から起こる首相への忖度(そんたく)と云った弊害が指摘されて居ましたが、現政権も実質的には安倍政権の延長線上に在ると見られ、同じ事が繰り返されるのではないかと危ぶむ声が聞こえます。
家斉の長期政権に依る放漫政策は江戸幕府崩壊・明治維新の遠因に為りました。現代の私達の「悪歳」が明けるのは果たして何時の事でしょう。
本稿の著者で在る俳人・大谷弘至氏の新刊『楽しい孤独 小林一茶はなぜ辞世の句を詠まなかったのか』は、全国の書店・ネット書店にて好評発売中!
大谷 弘至(俳人)
〜管理人のひとこと〜
俳人と云う人達は、日常の裏表・酸いも甘いも敏感に感じる心の繊細さが身上なのでしよう。世の中の仕組みや動きを実に正確に的確に把握して居るからコソ、人に訴える句が浮かぶのでしょう。江戸時代の文化文政時代と現代を見比べ、余りにも社会情勢が近似して居ると指摘します。
悪夢の様な安倍長期政権が終わっても、次の政権もその次の政権も安倍亜流の政治が続き、国民の声を聴くべき選挙でも相変わらずの政治を選択してしまう・・・全ての責任は彼等を選んだ国民に帰するのですが、何ら進歩も無く上辺の平穏さのみを追うだけです。
その間に我が国は一つの進歩も無く、世界から取り残された・・・見捨てられた国へと没落してしまいます。政治・経済・文化度でも既に韓国に追い越されてしまいました。夫婦別姓・女性議員・女性指導者・ジェンダー問題・環境政策・・・何一つ世界に誇れる民度では無いのです。果たしてこのママで好いのでしょうか?