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2021年09月18日

162cmの町田瑠唯が 4年間の〔控え生活〕から大逆転

 

 「町田は代表で干されてますね・・・」

 162cmの町田瑠唯が 4年間の〔控え生活〕から大逆転

 五輪ベスト5に選ばれる迄《女子バスケ》


 posted 2021・08・20 11:05


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      東京五輪6試合で75アシスト 大会ベスト5にも選ばれた町田瑠唯(28歳)9-17-10


 text by 生島淳 Jun Ikushima


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                スポーツライター 生島淳氏


 町田瑠唯は、何時も日本代表で〔3番手〕の選手だった。しかし、オリンピックで全てが変わった。これ迄〔RUI〕と云えば八村塁の事を指して居たが今や町田の事を思い浮かべる人も多いだろう。
 評価はウナギ上り、アメリカのバスケットボール関係者のSNS上では、WNBAでのプレーを期待する声も在る。


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 東京五輪準決勝のフランス戦 オリンピック記録と為る18のアシストをマークした町田瑠唯 コピーライトマークGetty Images 9-17-11


 ポイントガード(PG)は、オフェンスのリズム流れを作る指揮者だ。ドンなタイプの選手がボールを扱うかでチームのスタイルは変わって来る。2017年にトム・ホーバス氏が日本代表のヘッドコーチに就任したが、彼が好むタイプは自分からスコア出来る選手だった。
 町田は抜きん出たスピードで必ず代表には選ばれるのだが、点取り屋では無く〔パッサー〕で在る。その為、代表では3番手に甘んじる事が多かった。

 前回のリオデジャネイロ大会が終わってから「東京で司令塔に為るのは彼女だろう」と衆目が一致して居たのは藤岡麻菜美だった。藤岡は2016年に筑波大学を卒業しJX-ENEOSに入ったが、身長が169cm在り日本のPGとしては大型なのが魅力だった。自分から仕掛けられフィジカルで負け無い。しかも、真面目でフロアリーダーの風格が在った。


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    東京五輪で司令塔として期待されて居た藤岡麻菜美 コピーライトマークGetty Images 9-17-13


 藤岡は2017年のアジアカップで台頭する。この大会では長年、日本を引っ張って来た吉田亜沙美が準々決勝の台湾戦で負傷し戦線を離脱。すると、藤岡が先発に入り準決勝の中国戦で19点・14アシスト・8リバウンドのトリプルダブル級の活躍を見せる。これは正に世代交代を象徴する試合で藤岡の信頼度が高まった。
 しかしコレで〔面が割れて〕しまった藤岡は決勝のオーストラリア戦で徹底マークに遭い、この危機を救ったのが3番手に甘んじて居た町田だった。ベンチスタートから30分以上プレーし9アシスト。1点差での優勝に大きく貢献した。
 藤岡と町田ではタイプが違い、手詰まりに為った時にお互いがカバーし合える。その意味で、町田は欠かせ無い選手だったが、先発に起用される機会は無かった。

 3年前「町田は代表で干されてますね」
 
 そして2018年のワールドカップ・イヤーに意外な選手が台頭して来る。東京羽田でプレーして居た本橋菜子だ。東京羽田は、Wリーグでもプレーオフに進めるか如何か微妙なラインのチームだ。そのチームのPGを代表に呼んだのは、ホーバスHCの最良の判断の一つに数えられる。
 
 私は2014年、本橋が早稲田大学3年の時のプレーを殆ど見て居るが、日本代表での彼女のプレー振りに度肝を抜かれた。特にW杯の8強入りを賭けたプレーオフの中国戦、本橋は26分の出場で25点を挙げ日本のトップスコアラーに為った。切れ込んでのフィニッシュ力・3ポイントシュートの成功率も申し分無い。
 度肝を抜かれた理由は、大学時代は点取り屋では無かったからだ。基礎体力・脚力は大学ナンバーワンと言って好かったが、どちらかと云えばスコアを〔お膳立て〕する方が得意な選手だった。それが、ホーバスHCの望む自分から得点が出来るPGへと進化して居た。


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    東京五輪決勝 アメリカ戦で16得点と活躍した本橋菜子 コピーライトマークGetty Images 9-17-14


 この大会では、藤岡もグループステージのベルギー戦で大活躍して居り〔本橋・藤岡〕の2人が両輪としてオフェンスを組み立てて居た。一方の町田は、4試合で合計26分56秒しかプレー時間が与えられ無かった。
 2018年W杯の時点での序列は、本橋・藤岡・町田だった。この時期、或る関係者が耳打ちして来た。「町田は代表で干されてますね」 
 スピードが在る町田はユニークな存在で在り、代表のメンバーには絶対に名を連ねる。しかし、PGの得点力を重んじるシステムでは序列下位に甘んじる他無かった。


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  写真は2015年のニュージーランド戦 町田は2014年に若手中心で構成された日本代表に初選出アジア大会に出場した コピーライトマークGetty Images 9-17-15

 藤岡がケガで引退してしまう
 
 2019年は情勢が大きく動いた年だった。5月から6月に掛けて行われたベルギーとの試合で、本橋・藤岡・町田がタイムシェアして居たが、この時期は町田の評価が一時的に上がった。
 ホーバスHCは「町田は視野が広く、渡嘉敷(来夢)との合わせのタイミングが上手い」とアシスト力を評価し、一方の本橋に関しては「昨年のW杯では3Pシュートやドライブ、パスと色んなプレーを出して居たのに、今年に入って消極的に為って居る」と評価が逆転して居た。

 一方で藤岡はケガに悩まされる。大学時代から故障が多かったのは事実だが、調子が整わず代表から漏れただけで無く、2019〜2020年のWリーグの出場も1試合に留まりそのママ引退してしまう・・・指導者を志しつつ 2021年からシャンソン化粧品にて現役復帰して居るが。
 この流れの中で、9月にインドで開催されたアジアカップで先発を任されたのは〔町田〕だったが、大会を通じて存在感を示したのは〔本橋〕だった。

 準決勝のオーストラリア戦で22点・決勝の中国戦では24点を取って優勝に大きく貢献しMVP迄獲得した。オリンピック迄1年を切り、此処で本橋の評価が定まり町田はバックアップに回る。そしてコロナ禍のニュースが徐々に増えて来た2020年2月、日本はオリンピックの最終予選(OQT)に参加して居る。
 日本は既に参加枠は獲得して居たが、国際バスケットボール連盟・FIBAの規定に依り、開催国も参加が義務付けられて居た大会だった。この大会に参加したPGは本橋・町田に加え吉田が復帰して居た。

 吉田は2019年3月に一度は引退を表明して居たが、東京オリンピックを目指して9月に復帰。OQTには「トライアウトの積りで臨んで居る」と意欲を見せて居たが、オリンピックの延期と云う不運が在り2021年1月に現役から退いた。


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      富士通レッドウェーブに所属する町田(2019年撮影) コピーライトマークGetty Images 9-17-16


 本橋の大ケガ「諦め無くちゃいけ無いのか」

 延期に依って準備期間が長く為り、選手の成長が促される一方で、2020年11月の合宿では衝撃が走った。〔本橋〕〔右膝の前十字靭帯損傷の大ケガ〕を負った。本人も「諦め無くちゃいけ無いのかと思いました」と云う程の重大事で、ホーバス体制の司令塔はこの時点で白紙と為った。
 HC自身も、正か〔藤岡・本橋〕を欠く事に為ろうとは想像して居無かっただろう。こう為ると、実績的にも1番手に繰り上がるのは〔町田〕で在る。
 
 ホーバスHCは2021年4月に行われた二次合宿の最中、勝利への条件として〔80点以上、3ポイントシュートの成功確率は40%以上〕と云う事を挙げて居た。そしてPGの役割として、次の様にコメントして居る。
 「パッシングだけでは無く、スペースを使ってドライブからキックアウトをしたり、得点を取る事が必要です」未だ、PGに得点力を求めて居る事が判るが、この合宿での町田のコメントはヤヤニュアンスが違う。

 「3ポイントに付いては・・・これ迄もシュートの事は言われて居るので積極的に狙って行きたいです。しかしそれ程多く打つ事は無いですし、ガードでも在るので流れを見ながら打つべき時に確り打って、それを決められる様にしたいです。シュートの確率が高い選手も多いので、自分がクリエイトしてシューターに打たせる機会を増やしたいです」

 町田「スモールラインナップで敢えて小さく・・・」

 そしてもう一つ注目すべき発言が在る「今回はスモールラインナップで敢えて小さくし、スピードを更に生かして攻めるスタイルにも挑戦して居ます」
 町田の二つの発言を総合すると、オリンピックが3カ月後に迫ったコノ時点で、ホーバスHCは1番手と為った町田には得点力を期待するのでは無く、彼女の〔クリエイター〕としての役割を尊重して居る事が見えて来る。恐らく、コノ時点でホーバスHCは「町田で行く」と腹を括るしか無かった。

 重要なのは、システムに町田を寄せるのでは無く、町田のスピードとアシスト力を生かすプランを戦術に積極的に取り入れた事だろう。その流れで、町田が云う〔スモールラインナップ〕が重視されるのは必然だった。
 2020年12月、皇后杯の準々決勝で日本代表の屋台骨を支えて来た身長193cmの渡嘉敷来夢が右膝前十字靭帯断裂の大ケガを負いオリンピックが絶望的と為った。

 渡嘉敷はディフェンスリバウンドの要だったが、リバウンダーは直ぐに養成出来るものでも無くチームで乗り切るしか無い。更なる失点を覚悟し無ければ為ら無いが、それ為らば、時にはスモールラインナップを組んでスピードを生かし、シュートの確率を高める戦術に積極的に取り組んで行こう・・・と云う姿勢が見える。最終合宿を経て残ったPGは〔町田・本橋〕そしてスピードを買われた〔宮崎早織〕の3人だった。


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       東京五輪メンバーに選ばれた宮崎早織 コピーライトマークGetty Images 9-17-17


 そして迎えたオリンピック本番。押し出される様にして1番手と為った町田だったが、大舞台でクリエイターとしての能力を遺憾無く発揮した。それが可能に為ったのも、ケガで出遅れて居た宮澤夕貴林咲希のスリーポイントシューターがギリギリでオリンピックに間に合い、高田真希・赤穂ひまわり等のレギュラー陣も3ポイントの確率を高めて居たからだ。

 正に薄氷の上を踏む様なチーム編成だった。これ以上誰か一人でも欠けたら、チームは違った集団に為って居ただろう。そして、4月の時点でホーバスHCが掲げて居た〔80点以上、3ポイント40%以上〕はホボ実現した。
 日本の6試合での〔平均得点は82.1〕〔3ポイントの確率は190本打って73本の成功で38.4%〕を記録した。因みにアメリカとの2試合の3ポイントの確率は27.9%と極端に低く(18/69)それ以外の4試合では45.5%の高確率(55/121)を記録して居る。アメリカ以外の国には、日本のオフェンスは大きな戦果を挙げたのだ。

 TVディレクターも町田に〔魅了された〕
 
 それにしても、町田瑠唯で在る。アレだけのパフォーマンスを見せると誰が予想しただろうか。オリンピックの6試合で挙げたアシストは実に75、グループステージ最終戦のナイジェリア戦で15、準々決勝のベルギー戦で14、準決勝のフランス戦ではオリンピック記録と為る18をマークし世界に町田の名前をアピールした。
 準決勝の中継ディレクターは、何かと云うと町田を映して居て、スッカリ町田に魅了されてしまって居た筈だ。しかも、町田自身がゴール下でアクロバティックな動きを見せてのレイアップ、スペースが在れば3ポイントを沈める。これは正にホーバスHCが望んで居たPGではないか。


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                コピーライトマークGetty Images 9-17-18


 実は、町田の長所は日本人相手には発揮され難い処が在る。最終合宿に参加して居た宮崎・安間志織(トヨタ自動車)は同じく小柄でスピードが在り町田のスピードに対応出来る。しかし、オリンピックで明らかに為ったのは、町田よりも大柄なPGは「逃がすものか」と追い掛けるのに精一杯で、可成り消耗すると云う事だ。
 同型のPGが多い日本よりも、海外勢に対する方が162cmの町田の威力が発揮出来た。又、トーナメントを通して30分以上プレーする事は無く、消耗が抑えられたのも大きい。それは控えの〔本橋・宮崎〕が自分達の役割を果たしたからだ。
 
 〔本橋は奇跡の復活〕と言って好かった。苦しいリハビリに耐えチーム入りを果たした。2018年以降、ホーバスHCは本橋で勝って来た。万全の状態で無いとしても本橋を信じて居たのだろう。
 実際、オリンピックでの本橋はオフェンスが重たく為る時間帯の打開策として効果的で、決勝でも投入されると行き成り3ポイントシュートを立て続けに決める等、度胸タップリだった。又〔宮崎〕は高校時代から圧倒的なスピードが武器だったが、世界でも通用する事を示し、次回のパリ大会へと繋がる経験が出来た筈だ。

 こうして2017年以降の〔日本代表PG略史〕を綴って来たが、3番手だった町田が先発の座を掴み銀メダル獲得に貢献したのは、選手のケガ、或いはホーバスHCが最終局面で見せた柔軟性等、偶然と偶然が齎した〔必然〕だった様に思う。
 町田瑠唯はバスケットボールだけで無く、オリンピックを見渡しても、エキサイティングな選手の一人だったとシミジミ思う。兎に角、好いものを見せて貰った。



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   トム・ホーバスHC就任以降 町田は基本的に控えPGだった(単位は分・黄色は先発)東京五輪前に大逆転し銀メダル獲得に 大きく貢献した コピーライトマークJMPA 9-18-9



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 生島淳 1996年のアトランタ大会から始まったオリンピックの取材・黒田博樹・青木宣親を初めとした日本人メジャーリーガーへの取材を基盤として 執筆だけで無くキャスターとしても活躍中 
 経済・経営的な視点からスポーツを語るアメリカ的な分析を得意とし それを日本のマラソンや駅伝の分析に応用し独自の視点を切り開いている 東北大学非常勤講師
 経歴 1967年 宮城県気仙沼市に生まれる 1989年早稲田大学社会科学部社会科学科卒業 株式会社博報堂に入社 博報堂での勤務と並行してライターとして活動 1999年 スポーツライターとして独立 現在はNHK BS1「ワールドスポーツMLB」土日23:00〜 キャスターを担当 ラジオでは「堀尾正明+PLUS!」(TBSラジオ 土曜午前7時)TBCラジオ(宮城)RKBラジオ(福岡)NBCラジオ(長崎)等でレギュラーを持つ
 「Number」(文藝春秋)で「人を動かす名将の言葉」「Number Web」では〔スポーツ・インテリジェンス原論〕「en-taxi」で歌舞伎花形役者評も連載 



 〜管理人のひとこと〜

 名アナウンサー生島ひろし氏の弟である生島淳氏のスポーツ解説は独特なニュアンスが濃厚です。それは、他の解説者と切り口が異なり、スポーツを哲学的に捉えて居る様に感じるからです。読んで聞いて行く内に胸が熱く為り最後は幸せな感覚が身に染みて来るのです。
 彼の口から〔女子バスケ界の人気者〕町田選手の失意と苦労と努力の過去を具(つぶさ)に解説頂きました。単なる〔ミーハー的〕な褒め言葉では無い愛情の籠もった解説でした。それは、決して町田個人を取り上げるのでは無く、HC初めチーム全員の事にも触れて記事を進めている姿勢にも伺われます。
 町田選手は、次の国際大会の日本代表から外れた様な噂が・・・もしそうで在ればそれは神様が、心身共にリフレッシュする様にと貴重な休暇を彼女に与えて呉れたと考え・・・故郷の旭川へ帰りお婆ちゃんや懐かしい人々と語らって幸せな時間を持って貰いたい。そして更に大きく成長して帰って来て欲しいと思います。末尾ながら生島氏の今後のご健闘も祈ってます。













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