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2020年05月04日

経済と命の比較が全てを狂わせる




 経済と命の比較が 全てを狂わせる

          〜ニューズウィーク日本版 小幡績 5/4(月) 14:53配信〜


     050401.jpg

  ゴールデンウィーク中にも関わらず人毛が無い東京駅前(4月27日)Issei Kato-REUTERS

 〜新型コロナウイルス対策で、日本だけが世界で迷走を続けて居るのは、経済より命が優先と思考停止に陥って中途半端な自粛要請と腰の引けた経済対策ばかり繰り返して居るからだ〜

        050402.jpg

          文 慶應ビジネススクール准教授 小幡績氏

 日本のコロナ対応の政策が間違ってしまう理由は、経済と命を比較して居る事に尽きる。そして、その比較の結論が逆に為って居る事が致命的に日本を滅ぼす。 今回の緊急事態宣言の延長が本来で有れば不必要であったにも関わらず実行された理由が此処に有る。
 延長決定の経緯に付いての報道を読むと、1年延長の強硬論も有ってこれに比べれば5月末と云うのは、比較的最小限に見えてしまったと云う失敗も有る様だが・・・そう云う意味で、専門家会議のメンバーの、恐怖を煽って自己主張を通すと云う戦略は成功したのであるが・・・どうも最大の理由は、専門家メンバーでも穏当なグループも、延長し無かった場合に人々に「緩み」が出てしまう事を一番恐れて延長が望ましいと主張し、これが大勢を占めて決定されたようだ。
 愚かだ。詰り、緩ま無ければ必要が無かった訳で、それなら延長せずに「緩むな!」と伝えれば好いだけの事だ。それなのに人々は、どうせ緩むと云う不信感に依る不安で延長と云う手段に出た。

 自粛を「お願い」する矛盾

 世界で日本だけがコロナ対策で迷走して居るのは「自粛要請」と云う論理的に破綻した手段に拠って居る事に尽きる。緊急事態宣言と云うのは、戦時動員体制・戒厳令に近いものであるから強制力が無ければ意味が無い。導入の時の野党の反対・世論の圧力に依り、中途半端な緊急事態法制に為ってしまったのが直接の敗因だ。
 失業や倒産への対策・救援策は必要だが、それは補償では無い、有り得無い。普通の法制なら命令だから、補償する必要は無い。ソモソモ補償する必要は無い。国民の為・社会の為・国の為に行って居るのだから、補償は悪い事をする代償で有るから、国の為に緊急事態宣言をして居るのだから補償は有り得無い。

 しかし、個人商店も有権者も自粛の代償を求めた。その慰謝料が休業お礼見舞金であり、10万円のお見舞金である。これは何度も述べた事だ。今回の問題の一番目は、緩むと云う不信感を強く持って居る人々に対して、その人々を信頼し無い事には成立しない「自粛要請」と云う手段でお願いして居る事だ。
 論理的に上手く行く筈が無い。そして、もう1つ重要なのは、経済と命と云う2つの目的に対する手段の割り当ては180度逆に行って居る事だ。今回、何が何でも延長すると云う結論を出した理由は、命を救う為と云う事だ。少なくともそのポーズを執る事を最大限優先すると云う事だ。

 経済は好いのか?

 経済が死ぬのはコロナの所為?好いのだ。それは政策の所為では無い、コロナの所為だ。経済が滅茶苦茶に為っても、アア・・・コロナだったから仕方ないね。しかし、命がひとつでも失われると、特に有名人の命が失われると、命には代えられ無いと云う論理が台頭し全ての事が許される。
 非合理で有っても矛盾が有っても妥当で無くとも、そして、命を救う為に実際には逆効果で有っても、命を守る為に行って居る事は全て許されるのだ。

 しかし、政府に出来る事は逆である。政府が何をしようとコロナに直接働き掛ける事は出来無い。それは科学であり医学でありそして人々自身の行動・対策である。政府はそれを促す事しか出来無い。そして、それを促す手段としては、日本政府は最弱の手段しか持って居ない。
 強制力の全く無い緊急事態宣言・・・刀の入って居ない鞘だけしか持って居ない。鞘で十分国民を脅せると思って居るらしいが、万が一、1回目は脅しを信じても、経験すれば鞘の中に刀は納まって居ない事を誰もが知ってしまう。

 感染症が来る度日本は衰退する

 一方、経済に対しては、政府は直接働き掛ける事が出来る。経済活動を活発にしたりカネを直接出したり、命に直接関わら無いから、合理的に判断出来、効率的な経済対策は本来は議論出来、実施出来る可能性が有る。論理的には有る。
 処が、命優先である。命は何ものにも代え難い。そこで思考停止である。そして、全てはコロナの所為に出来る。しかし、政治が命を一つでも犠牲にして経済を優先すると、政治は徹底的に非難される。役人は非難される。こんな詰まら無いコラムを書いて居る人間にも非難が殺到する。

 そして、結果がどう為ろうと、命を守ろうとして頑張ったんだからしょうが無い。そして、失われた命に対しては涙を流して後は忘れるのである。政府の政策では、命は直接は救え無い。科学と医学を側面的に支援する事しか出来無い。
 経済には直接働来掛ける事が出来る。しかし、国民は、前者に全力を尽くし、後者は諦める事を政治的には許容する。政府に出来無い事を要求し、出来る事はさせ無い・・・それが日本だ。

 その結果が、現在の混乱である。感染症は、21世紀、嫌次の10年間に限っても何度も来る。その度に、日本は衰退して行くだろう。


 *この記事は「小幡績PhDの行動ファイナンス投資日記」からの転載です

 小幡績 慶應ビジネススクール准教授       以上









 【管理人のひとこと】

 この文章を3度読み返した・・・私には何度読んでも意味が通じ無かった。何を言いたいのか・・・その結果が、現在の混乱である。感染症は、21世紀、嫌次の10年間に限っても何度も来る。その度に、日本は衰退して行くだろう・・・文末のこの数行に凝縮されて居るのだろうが、この様な悲観的意見を発表して、国民に向けて警告を発して居るのだろうか?
 コロナ対策の政府の役割とは命に関しては無力である。・・・それは科学で有り医学で有りそして人々自身の行動・対策で有る。政府はそれを促す事しか出来無い・・・だから政府は国民に自制・自粛を促す事しか出来無いと云う。
 先ず果たしてそうなのか・・・先ずは初期から政府が全面的に主導権を握ってそれを指導し指揮して居たでは無いか、医学・化学・科学全てを集め、そしてPCR検査を意図的に抑制し全体的把握を遅らせ・・・と全て「命」に関わる事に口と手を出し続け・・・現在に至るではないか。
 政府の命令だから保障は不要だ・個人商店も有権者も自粛の代償を求めた・・・自粛の代償を求めてはいけ無かったのか? 国民が間違って居たのか? 自粛命令と保障をセットにしろと云ってはいけなかったのだろうか?
 恐らく御用学者として、政府の失敗を誰かの所為にする言わば「云い訳・誤魔化しキャンペーン」の一つだろうが、論理が初めから最後まで破滅している。依って、筆者の云わんとするものが読者には一つも理解できずに終わって、日本は衰退して行くだろうとの捨て台詞で終わって居る。




















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