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2021年03月15日
判り易く面白い日本史 その2 縄文時代の生活・食べ物・遺跡を解説
2 縄文時代の生活・食べ物・遺跡を解説
縄文時代(1万2千年前〜)
動画 https://youtu.be/1vItdjDH2gk
約1万2千年前に為ると、気温が暖かく為り氷河が溶け海水面が上がり日本は島国に為りました。その結果、マンモス等の大型動物が大陸から来無くなり、シカ・イノシシ・うさぎ等の小型の動物を狩って生活する様に為ります。又、木の実なども捕れる様に為り、食が豊かに為ります。
旧石器時代は大型の動物を追い掛けて生活して居ましたが、食が豊かに為ったことで家を作って同じ所で暮らす様に為ります。竪穴式住居と云う簡単な家が一つの集落に4〜6軒、一つの家に4〜5人。縄文時代は食料を保存することが出来無かった為、貧富の差が少なく皆で食料を分け合って居たと考えられています。
縄文時代の道具
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<出典:wikipedia>
【縄文土器】 縄文時代最大の特徴は土器を使うこと。発見された土器には、縄目の模様が着いて居たことから縄文土器と呼ばれる様に為り、この時期を縄文時代と呼ぶ様に為りました。縄文土器は低温で焼かれた厚手の土器で、食料を保存したり煮たりするのに使いました。
【石器】 小型の素早い動物が増えたことから、弓矢が使われる様に為ります。又、動物の骨や角を加工して釣り針やモリなども作られる様に為りました。
縄文時代の生活
【竪穴式住居】 地面を深さ50〜60cm程掘って、周りを木や草で囲った建物。中央の炉を囲んで食事したり寝起きしたりして居ました。
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<出典:wikipedia>
【宗教】 女性を象(かたど)った土の人形「土偶」を作ったり、成人に為ると歯を抜いたり、死者を丁寧に折り曲げて葬ったりする習慣がありました。自然環境に大きく左右される生活だったので、自然現象に霊威を感じて恐れ、呪術によって災いを避けようとした為生まれた行為だと考えられます。
縄文時代の食事
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地方によって若干の違いはありますが、多くは栗やクルミ、ドングリなどを主食としていました。これら木の実をスリ潰して水で練ってクッキーの様に焼いて食べて居た様です。また、木の実の多くはアクが強かった為、熱湯でアクを取る等の調理もされていました。
動物も狩って食べており、シカやイノシシ、ツキノワグマ、オカミ,タヌキ,ノウサギ,ムササビなど現代以上に様々なお肉を食べていました。他にも魚や貝、きのこ、果物など、現代食べているものの多くが当時から食べられて居た様です。
縄文時代の遺跡
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<出典:wikipedia> 青森 三内丸山遺跡(復元)
縄文時代の遺跡は全国に200以上も見付かっています。(遺跡一覧へ)遺跡には当時のゴミ捨て場だった貝塚だけの小さなものから、集落を形成している大きなものまであります。特に、1992年から始まった三内丸山遺跡の発掘は従来の縄文時代のイメージを大きく変えました。
縄文時代中期の三内丸山遺跡は、巨大な集落で大きな建造物も建っていました。
ヒスイを加工したり漆器を作ったりする技術もあり、お酒も作って飲んで居た形跡もあります。
次は 3 弥生時代の暮らし・遺跡・食事を解説へつづく
判り易く面白い日本史 本日より毎日掲載 その1 旧石器時代の遺跡・食べ物・暮らしを解説!
判り易く面白い日本史 本日より毎日掲載 その1
まえがき
本当は歴史が好きなのに、何故か日本史にだけ全くと言って興味を持て無かった・・・その理由は色々と在るが、結論を云うと全体的に面白味が無いからだろう。日本の歴史が劇的に変化するのは、戦国時代と幕末から明治時代に限られてしまう様に感じてしまう。それ以外は・・・神話の話や天皇を巡る争いに終始してしまう感がしてしまう。
それに比較すると世界史は、エジプトの古代史・アレキサンダーの長征、そしてローマ時代に中央アジアの大モンゴル帝国から、イスラム教国の隆盛と衰退・・・ナポレオンの活躍とヨーロッパの抗争・・・その他数限り無いストーリーに溢れ返るのだ。
しかし、我が国の歴史をどうしても孫にも伝えたい、とすると「判り易く面白い日本史」を自ら探して学ばなければ為らないと考えた。そこで次の「日本の歴史を分かり易く解説!」を参照にさせて頂く事にした。非常に好く出来た文献ですので広く皆様と共に学んで行きたいと思います。本日より、毎日一度の掲載で継続してお届けしたいと思います。もう一度日本史を・・・
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今から1万5000年以上も昔、私達日本人の祖先は移動しながら獲物を狩って生活して居ました。時代は移り、弥生時代には稲作の普及により、飢えの心配が格段に減りました。又、定住が可能に為った為、家を建てて安心して眠れる様に為りました。
その後も、先代の文化や技術を受け継ぎ発展させ、それを後世に残す事で私達の生活は進歩して来ました。
1939年からの第2次世界大戦・・・日本を守る為に多くの人が犠牲と為り、積み重ねた文化や資産が破壊されてしまいました。それでも、その後必死に働いて来た先代達によって経済は大きく成長し、様々な権利が保障される様に為り、現在は大分豊かな生活を送る事が出来る様に為りました。
これからを生きる私達は、日本の文化や技術を受け継ぎ、改善し発展させ、次の世代に残すよう努めて行けたら良いのではないでしょうか?先代、先々代とそうして来た様に…
便宜上の時代区分 これに沿って話を進めて行きます
1 旧石器時代(〜紀元前1万4千年)
2 縄文時代(紀元前1万4千年〜紀元前300年頃)
3 弥生時代(紀元前300年〜250年頃)
4 古墳時代(250年〜600年頃)
5 飛鳥時代(592年〜710年)
6 奈良時代(710年〜794年)
7 平安時代(794年〜1185年)
8 鎌倉時代(1185年〜1333年)
9 室町時代(1336年〜1573年)
10 戦国時代(1467年〜1603年)
11 江戸時代(1603年〜1868年)
12 明治時代(1868年〜1912年)
13 大正時代(1912年〜1926年)
14 昭和時代(1926年〜1989年)
第1回 旧石器時代の遺跡・食べ物・暮らしを解説!
旧石器時代 (〜1万2千年前)
地球上に人間が現れたのは、今から約500万年前でした。それから氷河時代が訪れ、寒冷な氷期と少し暖かい間氷期が繰り返され、その度に海面が上下しました。地殻変動や火山活動も激しく、地形も大きく変化しました。
当時、日本列島はアジア大陸と陸続きで、現在の様に大陸から切り離されたのは約1万年前の氷河期終わりの頃と云われています。氷河期の日本列島にはナウマンゾウ・マンモス・オオツノジカ等の大型の動物が遣って来ましたが、人間もこれを追って日本列島に移り住みました。
打製石器の発見
動画 https://youtu.be/pseZz_-qIOI
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<出典:日本旧石器学会>
1949年 群馬県岩宿で打製石器が発見されました。地層からおよそ3万年前のものと考えられ、この時期を旧石器時代と呼びます。旧石器時代の石器は初め石を割ったり削ったりして打撃用として使って居ましたが、次第に先端を磨いて切断機能を持つナイフ形石器や、動物を突き刺す槍先の様な尖頭器、黒曜石等を材料にした石刃等が作られるように為りました。
これ等の石器は見晴らしの良い丘の上から発見される事が多く、小さな集団でマンモス等を追って移動しながら住んで居た事を想像出来ます。
岩宿遺跡
先土器文化
1949年の岩宿遺跡の調査の結果、日本に「旧石器文化」が在ったことが確認されました。これを機に、日本各地で旧石器時代の石器が相次いで発見されました。石器と一緒に土器が現れ無い事から「先土器文化」と呼ばれました。1990年代に為ると、アジアにおける旧石器文化の研究が進んで「旧石器文化」と呼ばれる様に為りました。
旧石器時代の食事と暮らし
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旧石器時代の遺跡からは、野牛・ナウマンゾウ等の大型動物の骨。ニホンシカ・イノシシ・ノウサギ等の中小型動物の骨が発見されています。又、大型動物を解体する作業場も発見されています。このことから、当時の人々は大型動物を狩って生活して居たと考えられます。
竪穴式住居の遺跡が殆ど無い事や、植物加工用の石器よりも狩猟に使う石器の発見が多いこともそれを裏付けて居ます。大型の動物を追い賭けて狩猟生活をして居た為、ひとつの場所に定住することが無く、洞穴や岩陰等で生活して居たと考えられます。只、中にははさみ山遺跡の様に竪穴住居で暮らして居た跡もあります。
第一回 おわり 第2回 縄文時代(紀元前1万4千年〜紀元前300年頃)へつづく