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2020年04月11日

日中戦争 従軍奇談 編集 真道重明氏  その5




 日中戦争 従軍奇談 編集 真道重明氏 2002年3月

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 北から南下して来た中国軍と広東語 北京語の1は広東語の2) 

 前項で市場での買い物の話が出たので思い出した逸話を述べよう。広大な中国には多くの方言がある。知ったか振りをして専門家に怒られそうだが、私の乏しい知識でも、特に長江(揚子江)以南は代表的な言葉だけでも、福建省南部のミンナン語(台湾人の多くもこの言葉を話す)・潮州(汕頭語)・広東語(香港人もこの言葉を話す)などがある。漢字で書けば同じ語句でも発音が全く違う。戦前の中国では北京人と広東人は英語で話し合うことが普通だったそうである。

 私が60年前に東京外語の専修科で習ったのは北京官話で、広東語は数回の概要説明を受講しただけである。後は現地の広州で耳から憶えた片言だけ。ミンナン語や潮州語は度々耳にする経験はあったが何のことだかサッパリ分からない。
 中国軍司令部で勤務中、面白かったのは数詞である。日本敗戦後に広州に入ってきた中国軍の多くは雲南省から南下してきた軍隊で中国北方の各省出身者が多かった。彼等は軍隊内では北京語を使う。北京語の1、2、3、・・・はご承知のように、イー・アル・サン、・・・である。
 広東語では、ヤッ、イー、サン、・・・である。問題はイーで、北京語では1を意味するが、広東語では2を意味する。厳密には広東語のイーは低く平らな声調であるが、実際の現場の会話ではそんなことはどうでも良い。少し訛っていようがいまいが「通じるかどうか」である。

 南下してきた兵隊が広州の店で「一つ呉れ」と「イーゴ」と言うと、店では二つと思って2個出す。「おい、一つだ」と「イーゴ」を繰り返す。店では「はい。2個」と言って出した二つを指差す。「解らんヤツだな」と言い争いになる。この言い争いの場面にはしばしば出会ったのでよく憶えている。
 北京語で2個の場合は「両個、リャンゴ」と言うし、広東語でも「リョンコ」と言うので、何となく分かる。1個の場合に揉めるのである。

 中華人民共和国が1949年末に成立してからは、普通話(プートンホワ、普く通ずる、言葉、すなわち共通語、北京語を基準に各方言を話す人々にも発音し易くした標準語)が普及したから英語で話す必要は無くなった。しかし、その前に日中戦争や引き続く内乱により他省の兵隊が各地を大移動したことも大きく言葉を統一するのに役だったのではないかと思っている。 

 私が目撃した銃殺刑と鞭打ちの刑(中国軍により処刑された便衣隊の末路)

 日本軍が戦闘を停止した時点では中国軍正規部隊はまだ雲南省から南下して広州に向かっている最中で、広州市には正規軍は居らず無政府状態であった。警察は機能せず、真っ先に乗りこんで来たのは、いわゆる、「便衣隊」(日中戦争時、平服を着て敵の占領地に潜入し、後方攪乱を行った中国人のグループ)である。便衣隊にはさまざまあって、中国軍の指示統制下に在る本物から、戦乱のどさくさに紛れて火事場泥棒的な「ごろつき」集団も多かった。

 広州市内に入ってきていきなり橋の袂に立て札を立て「渡橋税」を徴集する。四つ辻で「通行税」を取る。竹竿の天秤棒で野菜を市場に運んでいる農民で銭のない者からは野菜の「南瓜を3箇置いて行け」と命じる・・・と言った具合である。武器を持っているから逆らえない。日本兵に対しては丸腰で居るにも拘わらず、むしろ避けるように何もしない。戦勝に一時喜んだ市民もこれには困惑して居た。
 中国の正規軍が未だ到着しない間の無政府状態は私がこの眼で見た限りは略奪や暴行と言った事態はそれ程起こらなかった。もっとも私が知らないところでは何があったかは分からない。在留邦人などが暴行や略奪を受けたと言う噂は聞いたが、その現場を私が眼にしたことは無かった。ただし、ごろつき的な便衣隊の眼に余る行動はしばしばこの眼で見た。

 中国正規軍が入ってきてからは、民衆の告訴があったのであろう。これらの「ごろつき的便衣隊」の一斉捜索が行われ、数名が拘束され軍法会議で銃殺刑が宣告されたことを司令部で聞いた。「明日処刑される。見に行かないか?」と誘われた。
 野原に数本の身長よりやや高い杭が立てられ、黒い便衣の被告が目隠しをされて後ろ手を縛られ、十字架ではなくただ一本の杭に括り付けられていた。覚悟を決めているのか泣き叫ぶ様子など全く無かった。我々は200 m ぐらい離れた位置で中国軍司令部の同僚?達と眺めていた。見せしめの意図もあったのだろう、民衆多数も遠巻きに眺めていた。投石する者も居たが遠くて届かない。

 14名ばかりの中国軍の兵士が6〜7名の処刑者の前20 m ばかりの位置に「立ち撃ち」の構えで立っていた。「撃て」の命令一下、銃声が轟いた途端、処刑者は崩れ落ちると言うよりも、杭に括った紐が切れたのか、一斉に棒が倒れるように地面に横倒しになった。杭だけがその侭残って居た。総ては呆気なく終わった。

 鞭打ちの刑罰 日本軍には外出時の帰営時間に遅れるなど規則に違反した者には営倉や重営倉などの処罰規定があったが、「鞭打ちの刑」と言うのは無かった。鞭打ち刑は日本の江戸時代以前にはあったし、世界各国に今でも数多く存在する。人権を守る国際救援機構(Amnesty International)などではこの身体刑に強く反対しているのはご承知の通り。また、先年シンガポールの法廷で麻薬密売の罪で告発された米人の事件で、鞭打ち刑が言い渡され、「野蛮だ」と米国は反対したが同政府は無視し実行されたニュースは世界を駆け巡った。

 今はどうだか知らないが、英国の小学校の教室の背後の壁にはお尻を叩くための鞭がもっともらしく懸けてあったと聞くし、タイ国の田舎の民家には淡水エイのギザギザのある尻尾の鞭が飾ってあるのを見た。言うことを聞かない子供は親が「これで叩くぞ」という脅しである。実際に使われるところは見たことは無いと友人は笑っていた。

 話を本題に戻す。私は二階の部屋の窓から処刑現場を見下ろして居た。一枚の筵が拡げられ受刑者の兵は上半身裸で俯きに横たわるように命じられた。傍らには回数を数える役目の兵、鞭を持って叩く役目の兵が横たわった兵の足元に立った。
 始まると、勘定係が大声でゆっくりと回数を叫ぶ。立て続けに叩くのではなく時間間隔はかなり充分に間合いを取って行われる。叩かれる側の受刑者は一回毎にこれ亦大声で「ああー」と叫ぶ。苦痛に耐えきれず呻くようでもあり、逆に芝居か一種の儀式のようでもある。時間が無かったので私は最後まで見届けることは出来ず、窓辺から立ち去ったが、私以外に数名の司令部の将兵が見て居たが、その他には誰も見る者は居なかったように記憶している。 

 日本の軍服を着た中国兵 (日本人と中国人とは外見での区別は全く不可能)

 多くの日本人のなかには中国(韓国)人の写真や映像を見て「この手の顔つきは確かに中国(韓国)人だ」と言う人達が居る。これはその人が勝手にイメージを作り上げて居るのであって、私は中国(韓国)人と日本人を風貌から判別することは出来ないと常々思っていた。
 子供の頃、親戚の夫妻が当時日本の植民地だった朝鮮に旅行し、半ば冗談で記念として朝鮮の民族衣装を着て撮った写真が1枚自宅のアルバムに貼ってあった。夫妻を知らない他人に「誰かこの人を知っているか?」と尋ねると、勿論「知らない」と言う。「誰誰だ」と説明すると「その夫妻は揃って半島人(朝鮮人のことを指す)に似た顔つきだなー」と言う。写真を見る迄にそんなことを言う人は一人も居なかった。子供心に「馬子にも衣装」の一種だと思った。

 日本の敗戦により雲南省などから広東省の広州にやって来た時の中国軍兵士の服装は継ぎ剥ぎだらけ、中には軍靴の無い者も居たらしい。補給も侭ならぬ長途の徒歩行軍であり無理もない。日本軍の倉庫に未だ数年は戦える武器弾薬・被服など充分の備蓄があり、私達司令部での通訳勤務要員が立ち会った引き渡し交渉で余分な新品の大量の被服は中国軍に渡された。中国軍の兵士は早速この新品の日本兵の軍装に着替えた。此処からが問題である。
 戦闘を停止した日本軍のキャンプと移動して来た中国軍のキャンプとは、場所によっては簡単な柵を隔てて区切られている処も多かった。双方の出入り口には弾を込めた銃を持つ衛兵が立っている。日本軍の出入り口にも治安維持と自衛用の弾丸を装填した99式歩兵銃を持つ複哨が立っている。

 一夜にして日本軍のキャンプが幾つも増えた感じである。日本の軍服に着替えた中国軍の兵士は日本軍兵士とそっくりである。ただ異なる点は軍帽に付けた徽章だけ。これは小さいから遠目には分からない。言葉が通じないから柵を隔てて身振り手振りで話し合う光景は余り無かったが、用件があって柵を出てすれ違う場面はある。夜間は尚更区別が付かない。兵士同士が争うような事態は全くといってよい程なかったが、どちらだか区別できないのは双方とも困惑する。
 話し合いの末、色違いの腕章を着けて識別することになった。私が中国軍の兵士に尋ねたところでは、「話せば直ぐ分かるが、ただ見ただけではさっぱり区別できない」と言う。

北方の中国人は背が高く、南方の人は背が低く短気で、日本人により似ているとよく言われる。私もそんな気がしないでも無い。しかし、北方人にもせが低い人もあり、南方人にも背が高く短気で無い人もある。最近のDNA鑑定ではいざ知らず、個人を識別することは先ず絶対に不可能で有ることをまざまざと知らされた。


 最終回につづく














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