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2019年08月25日

悪名高き『アメリカの禁酒法』 何故こんな法律が施行されたのか? 悪名高き『アメリカの禁酒法』何故こんな法律が施行されたのか?







          

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 アメリカの暗黒史の中で一際際立つのは「禁酒法」の時代です。何故この様な理不尽な法律が文明国で罷り通ったのでしょうか。人が酒を飲もうが飲む無いが国家権力が勝手に決めるのって・・・しかし、イスラムの世界はアルコールはご法度でした。
 詰まり、その時代のアメリカは、イスラム社会と似た様な宗教国家だったのでしょう。何故アメリカは当時、そんなに宗教色が強かったのか・・・次の文章をご参照ください。



 

 悪名高き『アメリカの禁酒法』 何故こんな法律が施行されたのか?


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 1920(大正九年)の1月16日は、アメリカで禁酒法が施行された日です。天下の悪法として有名ですが、そもそも何でこんな法律を作ったのでしょうか。

 酒は悪魔が齎した最低な飲み物!

 元々アメリカ合衆国とは、ピューリタンが作ったと言っても過言ではありません。ここにアメリカの歴史の始まり・・・


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 メイフラワー号の艱難辛苦終わる!?

 「行きはヨイヨイ帰りは怖い」は某神様へのお参りですが、お参りに限らず旅や遠出と云うもの葉大体そうではないでしょうか。登山ナンかはマサに行きより帰りの方が危無いですしね。現代でもそうですから、もっと昔は旅そのものが危険なものでした。
 それで居て未知の領域や遥か遠い国に憧れや欲望を抱いて、人々は道を着け船を漕ぎ出し、地図の空白が埋められ世界の姿が明らかに為って行ったのです。時代が下るに従ってロマンよりも欲望の割合が増して行くのが人間の業を感じさせる処ですけども、当然全てが上手く行った訳では無く、無事に済んだ例の方が珍しいでしょう。今回はその一例のお話です。

 深刻なビタミン不足 狭い船室で病気が蔓延

 1620年(日本では江戸時代の元和六年、秀忠の時代)の9月16日、イギリスの植民船メイフラワー号がプリマス港からアメリカへ向けて出航しました。
 プリマスは昔から軍港だった所で、エリザベス女王の時代にはアルマダの海戦で勝利を齎したフランシス・ドレークが市長を務めた事もあります。それだけに船の整備や船員の質は高かったと思われますが、それだけで航海が上手く行くとは限りません。沈没事故で有名なタイタニック号だって、船長の評判は可なり高かった様ですからね。

 しかも17世紀は地球全体が小氷期レベルの寒冷な時代でしたから、新鮮な食料を供給出来ず多くの人間が狭い船室で生活する船旅と云うのは、病気が蔓延するのに絶好の条件を備えてしまって居ました。
 特に深刻だったのは、各種のビタミン欠乏症だったと言われて居ます。ビタミンC不足は壊血病、ビタミンB1不足は脚気と云った重篤な病気を引き起こしますが、そもそもビタミンと云う存在が知られて居なかった時代です。又、肺炎や結核等の感染症が流行る事もママあり、メイフラワー号に限らず船旅ではこう云った病気による死者が絶えませんでした。


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 ここからアメリカの歴史が始まった!?

 同年11月に要約アメリカへ上陸しても、そこは厳寒の荒野。二ヶ月以上の航海を終え疲弊し切った乗員乗客が楽に過ごせる場所ではありません。しかも原住民とのトラブルを起こしてしまった為に陸で生活することが出来ず、船内の不衛生な環境で一冬越さざるを得ませんでした。この為、130人程居た乗員乗客の半分近くの人が亡く為ったそうです。
 当初は二隻で行く予定だったのが一隻に為ってしまった為、充分な荷物を積み込め無かったと云うのも栄養不足を加速させたと思われます。それでも生存者達は春にはナンとか上陸して生活基盤を築く事が出来、イギリスからの最初の永久移民と為りました。ここからアメリカの歴史が始まったと見る事も出来るでしょう。

 何故彼等はこんな旅に? because清教徒だったから!

 しかし彼等は何故、こんな文字通り命懸けの旅に出たのでしょうか?気候や病気のリスクは船旅に着きものですから、当然その事は知って居た筈です。そこには、当時のイギリスにおける宗教事情も絡んで居ました。
乗客102人の内約1/3、詰まり30人程はどうしてもアメリカに渡ら無くてはいけ無い理由がありました。イギリス国教会が迫害して居た清教徒(ピューリタン)だったからです。

 又キリスト教のヤヤコシイ話に為るのですが、物凄くテキトーに言うと・・・イギリス国教会「ウチの王様は宗教的にも偉いんだぞ!王様バンザイ!」、ピューリタン「嫌々それ可笑しいでしょ。チャンと遣ら無いと罰当たるから何とかしないと」と云う感じです。
 そしてピューリタンの中にも「俺等は頑張って出世して、内側から教会を変えて行こう」とする人々(長老派)と「アイツ等もうダメだから、何処か居心地の好い処に引っ越そう」と見限った人々(分離派)が居ました。メイフラワー号に乗って居たのは後者で、だからコソ危険な航海にも耐える心積もりで居たのです。ピューリタン(Puritan)と云う言葉がソモソモ「糞真面目な人」と云う意味ですので、その意思は頑強だった事でしょう。

 
 




 マゼランも自身は世界一周して居りませんし

 結果は上記の通りですが、一方で航海中に出産した人も二人居り(ピューリタンだったかは不明)、母は強しと云うか生命の神秘を感じさせて呉れます。植民地へ行く事は、欧米列強が武器を振り翳して乱暴を働く様なイメージが強いですが、行く側も行く側で命懸けだったんですね。
 もう少し前の大航海時代では色々な人が「ドコソコを発見しました」と云う話が好く出て来ますが、本人は兎も角船員の多くが亡く為ったらしき記録は珍しくありませんし。世界一周した事で有名なマゼランナンて、本人はフィリピンに上陸した際原住民との戦いでブッコロされて居ます。正確に言えば、世界一周したのは彼の船と船員達であって、マゼラン自身では無いんですね。

 これは後世から見て居るからこそ言える事ですけども、この位の時代が或る意味ヨーロッパとその他の国が一番公平だった時期なのかも知れません。


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 此処にアメリカの歴史始まり メイフラワー号の艱難辛苦終わる!?

 ピューリタンとは、物凄く大雑把に言うと、プロテスタントの中でもとても潔癖な人々です。更に後の時代に為ってメソジストと呼ばれ、より潔癖と云うか几帳面と云うか、心底マジメな人々が現れます。どちらも大元は英国国教会なので、カテゴリの大きい順にまとめるとこんな感じですかね。キリスト教⇒カトリック⇒プロテスタント⇒英国国教会⇒ピューリタン・メソジスト。テキストだけでまとめ様とすると無理がありますね(´・ω・`)

 マアそれは兎も角、メソジストは「規則正しい」事をとても重要視する為、お酒に酔った状態の人が見苦し過ぎると考えて居ました。そしてその中には「酒は悪魔が齎した最低な飲み物!この世に存在するべきでは無い!!」と考える人が居たのです。今も居るかも知れませんが、当時どの位の人数が居て、どの程度世の中に影響力があるのか迄はスイマセン調べ切れませんでした。

 鉞(まさかり)担いで夜のバーで酒瓶壊しまくる(尾崎豊かいな)

 兎も角20世紀の前半にはこう云う人々が無視出来無い程の勢力を持って居り、遂に法的に動いたと云う訳です。最も強烈なエピソードを持って居るのはキャリー・ネイションと云う女性で、まさかり(斧)を持ってバーに押し入り、酒瓶を粉砕した事があったとか……アレ、赤ワインってキリストが「これは私の血」って言ってませんでしたっけ?
 まあキャリーはキャリーで、旦那さんが重度のアル中だったので酒を毛嫌いするのも判ら無くはありませんが。にしても鉞(まさかり)ってアンタ金太郎かよ。

 当然、これは大多数の酒好きな人々に取っては大迷惑な法律でした。それだけで無く、お酒を出す飲食店に取っても死活問題です。食が進みますし、お摘みやら口直しと思いながらショッパイものと甘いものを交互に食べて、お会計がドンドン嵩んで行ったりしますから……何にせよ、只の酒好きだけでは無くお酒の関係する業種全てで売り上げが落ちる事は確実ですよね。


 




 製造・販売は禁止  サレド手元にある分はOK

 画して導入された禁酒法は、その内容からしてナカナカ徹底されませんでした。と云うのも【製造・販売・輸送はNG】但し【既に手元に有るお酒を飲むのはおk】と云うザルにも程があるものだったのです。何故、誰も予測し無かった。
 これは施行前に知られて居り、1月16日間際にはアラユル酒を買い込む人々が沢山居たそうです。飲ま無い方や苦手な方からするとバカバカしいと思われるかも知れませんが、嗜好品ですからネエ。偶に無性に「今日はアレが飲みたい!」って為るものなんですよ(´・ω・`)

 「どうしても甘いものが欲しい!」とか「今日はトンカツ食べたい!!」って云うのと殆ど感覚的には同じだと思います。個人的な印象ですが。マアそれはさて置き、結局この法律はその後幾つかの緩和を経てから、13年後の1933年に廃止されました。
 酒の密造や密輸入が絶えず、寧ろ治安が悪化するわ、テキトーに作られた酒を飲んで健康を害する人が増えるわ、と散々な状態に為ってしまったからです。中には酒を違法に取り扱うギャングと警察で銃撃戦が起き、市民を含めて数百人〜数千人も死者が出たナンて話もあります。

 同時代のマフィアを描いた映画『アンタッチャブル』でも、物騒なシーンが続いて居りました(飽く迄演出だったようですが…)こう為ると、アル中の方が迷惑掛ける人数が少無い分未だマシじゃ無いでしょうか。直接の原因を取り除いて上手く行くのはアレルギーだけって事ですかね。


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 酒好きには喜ばしい副産物も生まれた

 しかし、この流れの中で唯一良かった……かも知れない事もありました。現在シャレオツな飲み物として何千種類も存在すると言われている、カクテルの原型がこの時生まれたと云う説があるのです。(他にもカクテルの起源は色々な説があります)と云うのも、密造酒の多くはアルコール度数を上げる事に気を取られ、味がサイテーだったからです。それを何とかして飲もうとジュース等を混ぜて飲める様にしたのがカクテルの始まり、と云う話ですね。
 禁酒法以前に考えられたカクテルもあるので、全てがそうと云う訳では無いのですが、何種類かのカクテルはそんな経緯で生まれたと言われて居ます。稀に「カクテルナンて拙い酒の味を誤魔化してるんだろwww」ナンて言う人が居ますが、現在はキチンと製造されたお酒で作って居るのでそんな事はありません。銘柄によって味の良し悪しと云うか合う合わ無いはありますけども。

 時代は違いますが、老若男女問わず大っピラに酒合戦(関連記事:かたや薩摩ではチェストー!の時代に、江戸では酒の飲み比べ大会)がおkだった日本は呑気ですねえ。呑み助の一人としては、心の底からこの時代のアメリカに生まれ無くて良かったと思います。お酒を飲む方も止める方もホドホドに。


                  以上


 



 






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