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2019年06月25日

新シリーズ 部落問題を精査する その7 同和運動について 



 新シリーズ 部落問題を精査する 

 その7 同和運動について(最終回) 



 戦後、部落解放運動は「同和問題」として立ち現れて来て居る。戦後の憲法秩序に沿う形で特殊部落の一般市民化が要請される事に為り、これを「同和」と称した。その後、大衆社会の出現と共に「同和」は可なり進んで居るが、その認識を廻って、部落差別問題は日共系の「急速に解消論」と解放同盟系の「根強く残存論」の二派の見解が対立して居る。

 日共系は次の様に述べて居る。

 「部落解放の課題とは、封建的身分差別からの解放と云う本来的にはブルジョア民主主義の課題であり、資本主義的な搾取・収奪からの解放ではありません。従って、独占資本の横暴な専制的支配に対し、自由と民主主義を守り発展させる運動を拡大・強化させて行く為らば、部落問題の解決は資本主義の枠内でも実現させる事が出来ます」 

 内閣同和対策審議会答申は次の様に述べて居る。

 「所謂同和問題とは、日本社会の歴史的発展の過程に於いて形成された身分階層構造に基づく差別により、日本国民の一部の集団が経済的・社会的・文化的に低位の状態に置かれ、現代社会に於いても、尚著しく基本的人権を侵害され、特に、近代社会の原理として何人にも保障されて居る市民的権利と自由とを完全に保障されて居ないと云う、最も深刻にして重大な社会問題である」


 又、答申の前文では次の様に、部落問題解決の責任が国にあり、国民的課題である事が高らかに歌われて居ます。

 「云う迄も無く同和問題は人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権に関わる課題である。従って、審議会はこれを未解決に放置する事は断じて許され無い事であり、その早急な解決こそ国の責務であるとの認識に立って対策の探求に努力した」

 更に、答申第3部の「同和対策の具体案」の中では、同和行政は、部落問題が解決される迄総合的・抜本的に実施され無ければ為ら無い事を、以下の様に明確に指摘して居ます。

 「けれども現時点における同和対策は、日本国憲法に基づいて行なわれるものであって、より積極的な意義を持つものである。その点では、同和行政は、基本的には国の責任に於いて当然行うべき行政であって、過渡的な特殊行政でも無ければ、行政外の行政でも無い。部落差別が現存する限りこの行政は積極的に推進されなければ為ら無い。
 従って、同和対策は、生活環境の改善、社会福祉の充実、産業職業の安定、教育文化の向上及び基本的人権の擁護等を内容とする総合対策出なければ為らないのである」



 特殊部落の現況  

 特殊部落の現況は次の通り。「被差別部落(未解放部落)」「同和地区」「対象地域」或は単に「部落」と言われる事もある。総務庁の1993(平成6)年調査によると、全国に6000地区が確認され、その内法的施策の対象である同和地区数は4603、世帯数・人口を把握しえた部落の数は4443地区で、同和関係世帯数は約30万世帯(地区全体は約74万世帯)、同和関係人口は約89万人(地区全体は約216万人)と為って居る。
 部落の数は特に近畿、中国等の西日本に多く、内訳は、中国23.1% 近畿21.9% 四国14.8% 関東13.7%中部7.5%。関西では大都市の中の大型部落。関東では少数散在型。現在は混在が進みつつある。

 部落の居住環境や生活実態は、旧身分の残りものとも関わって極めて劣悪な状態に置かれて居たが、1969(昭和44)年以来、同和対策事業特別措置法、地域改善対策特別措置法及び地域改善財特法に基づいて行政上の特別措置が執られ、同和行政が以前とは比較に為ら無い程前進して居る。


  
             以上 シリーズおわり




 【管理人のひとこと】


 長い間お付き合い頂きありがとうございます。何の知識も経験も無いのに、この問題に触れるのは誠に失礼なのですが、触れずには置かれ無い「目に見えぬ」何かか存在する事は、過去10年以上の大阪での生活で深く実感したことでした。
 北海道の山奥に育ち旭川市へ転居し高校時代迄を過ごした管理人は、大阪の学校へ入った頃より「何?どうしてこんな事が」と未知識のこの問題に触れたのです。

 大阪では普通に「エタみたい汚いヤッチャ!」「アイツは四つや!」「チョン公!」等、誰かを汚く罵る時に使う言葉なので、何の意味か全く理解出来無かったのです。学校を卒業し社会人として働く中で、その疑問は「未知の問題」として益々心に引っ掛かり、或る知識人との何度もの問答で、これは、人間が意図的に作り出した「歴史」的な問題だと理解したのです。
 それは、感情的にも経済的にも社会政治的にも必要とされた、物凄く意図的に作り出されたものだった・・・との理解です。

 その知識人とは、教育大を卒業した人で30歳前後の方で、ボーイスカウト運動や他の社会奉仕活動を熱心に行う中小企業の跡取りで、朗らかで円満な人格を持つ方でした。管理人はその人の温厚な人格が好きで尊敬し、何でも相談したり判らぬ事を質問したり・・・奥様も加わり一緒に為って考えて呉れたりしたものでした。私の疑問に、何でも一緒に考え調べ、何かの回答を得られる為に努力しても呉れたのです。
 その人には、仕事の上でも何かと世話を受けたのですが、管理人は少しの暇があるとその人の元に出掛け「暖かい雑談」に時間を潰しました。

 差別は、人間の生まれながら持つ業(ごう)である・・・と彼は結論したのですが、恐らく差別・階級は男女の性別を初めにして、自然発生的に必要とされ作られて来た歴史なのだと。恐らく文明の進歩とは無縁な、時空を超えて存在する人間の本性であり性(さが)でもあるだろう。差別する心は、自然発生的に存在する一種の自己防衛本能の一つでは無かろうか。
 これは、苛(いじ)めにも何処かで共通する。虐める側に建つ事で自分を守り、虐められ無い様な立場に身に置く事で自己防衛するのです。その為には、為るべく目立たぬ様に皆から嫌われ無い様に心掛けるのが優先される・・・今流行りの忖度(そんたく)ですね。何とも情け無いのですが、恐らく多くの人がそうでしょう。だから幾ら社会問題と為っても差別と苛めはこの世から無く為ら無いのです。

 部落の発生には色々な学説が混在します。古来からの原住民や部族間の闘争・戦争の敗北者や経済的難民、渡来民族に戦争捕虜・・・そして、平安時代からは宗教による「ケガレ」の思想が差別の影響を強くさせます。宗教とは鼻から万民を救済する思想では無かったのですね。
 我が国では為政者が社会を統治する道具として用いたのですが、それが鎌倉時代に大きな改革を生み沢山の宗教家を生み出したものと考えらるのです。でも又直ぐに政治的に利用され、為政者の保護と監視を受け乍ら今まで生き永らえた「不思議な」社会現象なのです。









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