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2019年06月25日

新シリーズ 部落問題を精査する その1


  新シリーズ 部落問題を精査する 

 その1 外国人が見た日本の部落問題




 ネトウヨやヘイト、その他差別主義者達が常用する「部落」「在日」に付いて私達は何処まで理解して居るのだろう。そこで、何回かに渉りこの「部落問題」に付いて、発生の歴史から振り返り、為るべく学問的に精査してみようと思います。
 この部落問題とは、具体的にどの様なことなのか・・・先ずは第一回目として、外国人が見たレポートを紹介します。




 【視点】日本の被差別民・・・隠れた階級制度



       6-25-1.jpg

       右が署者の マイク・スンダ氏 芝浦の食肉市場にて


 署 マイク・スンダ カルチャーライター 東京 2015年11月27日より引用します    


 日本は均質で概ね調和的な社会と云う定評がある。外国人は少ないし言語の違いも余り無く、表面上は階級の区別も殆ど見られ無い。だがそんな日本にも一つだけ例外がある。普段は目に着く事の無い被差別民を取材した。
 東京・芝浦の食肉市場の一角にある飾り気の無い部屋。片隅のテーブルに手紙が積んである。露骨な文章を書き連ねた嫌がらせの手紙だ。そこに示された偏見の源は中世の時代まで遡(さかのぼ)る。食肉処理・葬儀・皮革加工や汚物処理等「不浄」とされた職業に従事する人々は長年、日本社会の隅へ追い遣られて来た。偏見は今も残り、芝浦の食肉処理業者達はその標的と為って居る。

 この市場で働く人々は世界でも最高級の貴重な食肉を切り分けて居るのだが、そんな事実は関係が無い様だ。霜降りの上等なステーキで知られ、目が飛び出る程の値が付く事もある牛肉。日本が世界に誇る和牛は、ここで処理される。
 作業には非常に高度な技術と訓練・精神力が必要とされる為、熟達するには10年も掛かる事がある。それ程の技が継ぎ込まれる仕事なのに、ここの人々は決して自分の職業を大っピラに語ったりしない。


 「私達は人からどんな仕事をして居るのか聞かれると、どう答え様かと躊躇(ためら)ってしまう」食肉処理業者の一人、宮崎勇気さんはそう語る。「その裏には大抵、家族を傷つけたく無いと云う気持ちがある。差別を受けるのが自分達なら戦う事も出来る。だが子供達は差別されても反撃する力が無いから、守って挙げ無ければ為ら無い」

 封建時代の名残

 食肉処理の仕事に携わる多くの同業者と同様、宮崎さんも「部落民」と呼ばれた日本の被差別階級と関わりがある。部落民の歴史は封建時代に遡る。元々は死刑執行人や肉屋・葬儀屋等不浄とされる仕事や生き物の死に関わる仕事に携わる人々が隔離されて住む集落を指して居た。

 「穢(けが)れ」が「多い」と書いて「穢多(えた)」と云う呼び名もあった。罪を犯した場合は、武士が殺して好い事に為って居た。19世紀も半ばに為って、或る奉行が「穢多の命は平民の7分の1に相当する」との判断を下して居たと云う記録も残って居る。
 現在では一般に侮辱的な呼び名と認識されて居るが、それでも未だ穢多と云う言葉を使う人が居る。食肉処理業者に対する嫌がらせの手紙には「穢多に殺される動物は可哀想」と書かれて居た。

 この身分制度は1871年に封建制と共に廃止された。しかし差別撤廃の妨げと為る壁は依然として残った。社会から取り残された被差別部落は日本各地に散在して居た。就職先からは出生地が記載された戸籍の提出を求められる事が多く、そこに特定の住所が載って居る為に差別されるケースも後を絶た無かった。
 1960年代にはこうした状況を是正する為、住環境や生活水準の向上を図る同和対策事業に予算が注がれたものの、差別は無く為ら無かった。


 手書きのリスト

 1970年代半ば、部落解放を訴える団体の調べによって、被差別部落の地名や所在地を一覧にした手書きのリストが存在し、通信販売で企業にコッソリ売られて居る事が発覚した。国内大企業の多くがこのリストを基に、就職希望者を篩(ふるい)に掛けて居たのだ。
 最近では2009年、米グーグルの地図サービス「グーグルアース」が東京と大阪の古地図を表示出来る様にした事を切っ掛けに、偏見や身元調査を巡る論争が再燃した。元々一般向けに公開されて居た古地図だが、そこには江戸時代以前の被差別部落の場所がハッキリと記されて居た。

 被差別部落に現在どれ位の人々が住んで居るのか、正確な人数を把握することは難しい。1993年の政府統計によれば、全国4000カ所余りの地区に計約100万人。部落解放同盟は約6000地区に300万人近くが住むと推定して居る。
 同同盟の近藤登志一氏は、今でもこうしたリストに出食わす事があると話す。但し、リストは以前と違う目的で使われて居ると云う。


 「1970年代に企業が就職希望者の身元調査に使って居ると発覚した時は、これを禁止する法的規制が導入された」と、同氏は語る。 「だがその情報を今も買って居る人が居るのは周知の事実。企業では無く、結婚前に家族が相手を調べ様として購入するケースが多い。我々が絶えず直面する、最大の差別のひとつだ」

 暴力団に誘われ

 東京都が昨年実施した調査では、子供の結婚相手が同和地区出身者だと分かった場合、気に為ら無いと答えた人が半数近く居る一方で、賛成し兼ねると答えた人が全体の約1割を占めた。
 被差別部落への偏見がナカナカ消え無い理由の一つに暴力団との関わりがある。20年程前から日本の暴力団を取材して来た米国人ジャーナリストのジェイク・エーデルスタイン氏の推計によると、暴力団組員の約3分の1は被差別部落の出身者だ。他の世界への扉を閉ざされた末に誘い込まれて行くと云う。

 或る暴力団組長は同氏とのインタビューで、自分の組織は差別を受けて来た者達に家族と躾(しつけ)を授けて居ると語り正義を主張した。「確かに、暴力団は実力社会だ。非情な荒くれ者に為る気があれば、そして親分に忠誠を誓えば受け入れて貰える」と、同氏は指摘する。
 偏見を受ける恐れがあるのは、部落民の子孫だけに留まら無い。被差別部落は歴史的に見て特定の職業との繋がりが非常に強い。だから食肉処理場で働く人々は、家系がどうあれ差別の対象に為り得る。


 酒を注がれず

 芝浦の食肉市場で労働組合委員長を務める栃木裕さん(58)は、過つてコンピューター・プログラマーだった。子供達と過ごす時間を増やす為に転職したが、直ぐ様家族の反対に遭った。
 「父からは汚物の汲み取り業者みたいなものだと言われた。部落民の仕事だと言いたいのが分かった」と云う。「夫婦で義父側の親類との席に出た時の事を思い出す。仕事を言ったら私にビールを注ぐ人は居なく為った」と、栃木さんは振り返る。

 しかし栃木さんも、そして部落解放同盟の近藤氏も、状況は良い方へ変化して居るとの見方を示す。 「差別的な発言を見掛ける事は以前より少なく為ったし、そんな発言をした者は裁判で損害賠償を命じられて居る」と、近藤氏は指摘する。同氏によれば「職場での差別や部落出身者を中傷する落書きの報告はあるものの、そう云う事が起きた時に通報して呉れる人が過つて無い程に増えて居る」と云う。嫌がらせの手紙を並べたテーブルがある小さな部屋は、食肉市場の情報センターの一部だ。同センターは意識変革に向けた啓発活動に取り組んで居る。

 テーブルの横の壁には、又別の手紙が張ってある。食肉市場の見学に訪れ、働く人々の素晴らしい技や直向さを学んだ子供達からの感謝状だ。古い差別的な風習は何れ過去のものと為るかも知れ無い。壁の手紙には、そんな希望が表れて居る様だ。
 

 (寄稿筆者のマイク・スンダ氏は、東京をベースに音楽や日本の若者・都市文化について発信するライター 追加取材:レベッカ・ミルナー)(英語記事 Japan's hidden caste of untouchables)


 その1 おわり 次回は歴史から見た差別問題・・・

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