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2018年04月17日
明治維新から150年・・・だそうです
今年2018年は、明治維新から150年(1868〜2018)に当たるそうです。故にNHK大河ドラマで「西郷(せご)どん」を取り上げた訳でしよう。これも、明治時代を回顧し絶賛する誰かさんの入れ知恵でもあるのでしようか・・・
私は、当時、貧しいが平和で呑気な庶民生活だった状況を投げ捨てて、何故あの様な過激で過酷な政治改革が行われたのか・・・それを庶民が何故受け入れたのか。増税・規制強化の上の富国強兵・・・そしてヤガテ軍国主義へと突き進み欧米に惨敗した経緯の全ては、明治維新の或る意味狂気に似た一時の嵐の様な機運の何かを今、改めて見直す時期へ来たのだと考えて居ます。
明治維新を改めてどの様に評価するか?そこで、先ずは作家・半藤 一利氏の文章を引用させて頂きます。東洋経済オンラインから引用させて頂きます。
半藤一利「明治維新150周年、何が目出度い」
「賊軍地域」出身作家が祝賀ムードにモノ申す 半藤一利・ 作家 2018年01月27日
半藤一利・・・(はんどう かずとし)/作家。昭和5(1930)年東京生まれ。東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。『週刊文春』『文藝春秋』編集長、専務取締役等を経て作家。「歴史探偵」を自称。
『漱石先生ぞな、もし』(正・続、新田次郎文学賞)、『ノモンハンの夏』(山本七平賞)、『日本の一番長い日』、『昭和史1926−1945』『昭和史戦後篇』(毎日出版文化賞特別賞)、『幕末史』、『山本五十六』、『日露戦争史』(全3巻)、『「昭和天皇実録」の謎を解く』(共著)等著書多数。保阪正康との共著に『そして、メディアは日本を戦争に導いた』(対談)等がある(撮影:風間 仁一郎)本来は官軍も賊軍も無いのです(撮影:風間 仁一郎)
1月1日 安倍晋三首相は年頭所感で「本年は、明治維新から150年目の年です」と切り出し明治維新を賞賛した。政府は「明治維新150年」記念事業に積極的で、菅義偉官房長官は「大きな節目で、明治の精神に学び日本の強みを再認識する事は重要だ」と述べて居る。明治維新を主導した薩摩(鹿児島)・長州(山口)等では既に記念イベントが始まって居るが、今年は国家レベルでも様々な祝賀事業が行われる見通しだ。
だが、こうした動きに対し、異議を申し立てる論者も多い。『日本の一番長い日』『昭和史』等の名著で知られ、幕末維新史にも詳しい半藤一利氏もその1人である。『賊軍の昭和史』(保阪正康と共著)の著者でもある半藤氏に話を聞いた。(聞き手:加納則章)
「明治維新」と云う言葉は使われて居なかった
――そもそも「明治維新」と云う言葉が使われたのは、明治時代が始まってから随分後の様ですね?
私は、夏目漱石や永井荷風が好きで、2人に関する本も出して居ます。彼等の作品を読むと、面白い事に著作の中で「維新」と云う言葉は使って居ません。特に永井荷風は全く使って居ないのです。
漱石や荷風等江戸の人達は、明治維新では無く「瓦解(がかい)」と云う言葉を使って居ます。徳川幕府や江戸文化が瓦解したと云う意味でしょう。「御一新(ごいっしん)」と云う言葉も好く使って居ます。明治初期の詔勅(しょうちょく)や太政官布告(だじょうかんふこく)等を見ても大概は「御一新」で、維新と云う言葉は用いられて居ません。少なくても明治10年代迄殆ど見当たりません。
そんな事から、「当時の人達は御一新と呼んで居たのか。そもそも維新と云う言葉なんか無かったんじゃないか」と思った事から、明治維新に疑問を持つ様に為りました。調べてみると、確かに「明治維新」と云う言葉が使われ出したのは、明治13(1880)年か14年でした。明治14年と云うのは、「明治14年の政変」があり、薩長(薩摩・長州)政府と云うよりは長州政府が、肥前(佐賀)の大隈重信等を追い出し政権を奪取した年です。この辺りから「明治維新」を使い出した事が判りました。
薩長が革命を起こし、徳川政府を瓦解させ権力を握った訳ですが、それが歴史的にも正当性がある事を主張する為に使った“上手い言葉”が「明治維新」である事が判ったのです。
確かに「維新」と「一新」は、「いしん」と「いっしん」で語呂は似て居ますが、意味は異なります。「維新」は中国最古の詩集『詩経』に出て来る言葉だそうで、そう聞けば何やら重々しい感じがします。
薩長政府は、自分達を正当化する爲にも、権謀術数と暴力で勝ち取った政権を「維新」の美名で飾りたかったのでは無いでしょうか。自分達の遣った革命が間違ったものでは無かったとする、薩長政府のプロパガンダの1つだと言って好いでしょう。
歴史と云うのは、勝った側が自分達の事を正当化する爲に改ざんすると云う事を、取材等を通して随分見て来ました。その後、色々調べて、明治維新と云う名称だけでは無く、歴史的な事実も自分達に都合の好い様に解釈して、所謂「薩長史観」と云うものを作り上げて来た事が判りました。
「薩長史観」は何故国民に広まったのか
――どの様にして薩長史観が広まったのでしょうか?
そもそも幕末維新の史料、それも活字に為った文献として残って居るものの多くは、明治政府側のもの、詰まり薩長史観に拠るものです。勝者側が史料を取捨選択して居ます。そして、その「勝った側の歴史」を全国民は教え込まれて来ました。
困った事に、明治以降の日本人は活字に為ったものしか読めません。殆どの人が古い文書を読み熟せません。昔の人が筆を使い崩し字や草書体で書いた日記や手紙を、専門家では無い私達は読めません。読め無いですから、敗者側に好い史料があったとしても、ナカナカ広まりません。如何しても薩長側の活字史料に頼るしか無いのです。
そこでは、薩長が正義の改革者であり、江戸幕府は頑迷固陋(ころう)な圧制者として描かれて居ます。学校では、「薩長土肥の若き勤皇の志士達が天皇を推戴して、守旧派の幕府を打ち倒し新しい国を作った」「幕末から明治に掛けての大革命は、素晴らしい人格に拠ってリードされた正義の戦いである」と云う薩長史観が教えられる訳です。流石に最近は、こうした事に異議を申し立てる反「薩長史観」的な本が随分出ている様ですが……。
――子供の頃、半藤さんのルーツである長岡で「薩長史観」の誤りを感じられたそうですね?
私の父の郷里である新潟県の長岡の在に行くと、祖母から教科書とは全く逆の歴史を聞かされました。学校で薩長史観を仕込まれて居た私が、明治維新とか志士とか薩長とかを褒める様な事を言うと、祖母は「ウソなんだぞ」と言って居ました。
「明治新政府だの、勲一等だのと威張って居るヤツが東京に沢山居るけど、あんなのはドロボウだ。7万4000石の長岡藩に無理やりケンカを仕掛けて、5万石を奪い取ってしまった。連中の言う尊皇だなんて、ドロボウの理屈さ」
今では司馬遼太郎さんの『峠』の影響もあり、河井継之助が率いる長岡藩が新政府軍相手に徹底抗戦した話は有名ですが、当時は全く知りませんでした。明治維新とは素晴らしいものだったと教えられて居た私は、「へー、そんな事があるのか」と驚いたものです。
又祖母は、薩長等新政府軍の事を「官軍」と呼ばず「西軍」と言って居ました。長岡藩初め奥羽越列藩同盟軍側を「東軍」と言う訳です。今でも長岡ではそうだと思います。これは、会津初め他の同盟軍側の地域でも同様ではないでしょうか。そもそも「賊軍」は、謂れの無い差別的な言葉です。「官軍」も「勝てば官軍、負ければ賊軍」程度のものでしかありません。正直言って私も、使うのに抵抗があります。
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「明治維新」の美化は如何なものか
――幼少期の長岡でのご経験もあり、「明治維新150年」記念事業には違和感があるのでしょうか?
「明治維新150年」を我が日本国が国を挙げてお祝いすると云う事に対しては、「何を抜かすか」と云う気持ちがあります。「東北や北越の人達の苦労と云うものを、この150年間の苦労と云うものをお前達は知って居るのか」と言いたく為ります。
司馬遼太郎さんの言葉を借りれば、戊辰戦争は、幕府側から見れば「売られたケンカ」なんです。「あの時の薩長は暴力集団」に他なら無い。これも司馬さんの言葉です。本来は官軍も賊軍も無いのです。兎に角薩長が無理無体に会津藩と庄内藩に戦争を仕掛けた訳です。今の言葉で言えば侵略戦争です。
そして、他の東北諸藩は、何も悪い事をして居ない会津と庄内を裏切って両藩を攻めろ、法外なカネを支払えと高圧的に要求されました。詰まり薩長に隷属しろと言われたのです。これでは武士の面目が立た無いでしょうし、各藩の色んな事情があり、薩長に抵抗する事にしたのが奥羽越列藩同盟だった訳です。
私は、戊辰戦争はしなくても好い戦争だったと考えて居ます。西軍の側が手を差し伸べて居れば、遣ら無くて好い戦争ではないかと。にも関わらず、会津初め東軍の側は「賊軍」とされ戊辰戦争の後も様々に差別されて来ました。
そうした暴力的な政権簒奪(さんだつ)や差別で苦しめられた側に配慮せず、単に明治維新を厳(おごそ)かな美名で飾り立て様と云う動きに対しては何をか況(いわん)やです。
――賊軍と為った側は、具体的にはどの様な差別を受けたのでしょうか?
宮武外骨の『府藩県制史』を見ると、「賊軍」差別の様子がハッキリ判ります。これに拠ると、県名と県庁所在地名の違う県が17あるのですが、その内賊軍とされた藩が14もあり、残りの3つは小藩連合県です。
詰まり、廃藩置県で県が出来る時、県庁所在地を旧藩の中心都市から別にされたり、ワザワザ県名を変えさせられたりして賊軍ばかりが差別を受けたと、宮武外骨は言って居る訳です。
例えば、埼玉県は岩槻藩が中心ですが、此処は官軍・賊軍の区別が曖昧な藩だった。「さいたま」と云う名前が何処から出たのかと調べると、「埼玉(さきたま)」と云う場所があった。こんな世間で好く知られて居無い地名を県の名にするなんて恣意的な悪意が感じられます。新潟県は県庁所在地が新潟市なので名は一致して居ますが、長岡が中心にありますし、戊辰戦争が無ければ長岡県に為って居たのではないでしょうか。
県名や県庁所在地だけ見ても、明治政府は賊軍と云うものを規定して、出来るだけ粗末に扱おうとして居る事が判ります。又、公共投資で差別された面もあります。だから、賊軍と呼ばれ朝敵藩に為った県は、何処も開発が遅れたのだと思います。今も原子力発電所が賊軍地域だけに集中して居る等と言われますが、関係あるかも知れません。
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立身出世を閉ざされた「賊軍」藩出身者
――中央での人材登用でも、賊軍の出身者は可成り厳しく制限された様ですね?
賊軍藩の出身だと官僚として出世出来無いんですよ。歴史事実を見れば判りますが、官途に就いて名を成した人は殆ど居ません。歴代の一覧を見れば明らかですが、総理大臣なんて岩手県の原敬が出る迄、賊軍出身者は1人も居ない。殆ど長州と薩摩出身者で占められて居ます。
因みに明治維新150年目の今年は長州出身の安倍氏が総理ですが、彼が誇る様に明治維新50年も(寺内正毅)100年も(佐藤栄作)も総理は長州出身者でした。又、明治年間に爵位が与えられて華族に為ったのも、公家や殿様を除けば薩長出身者が突出して多いのです。特に最も高い位の公爵と侯爵を見ると、全部が長州と薩摩なんです。
政官界では昭和の戦争が終わる迄、賊軍出身の人は差別されて居たと思われるのです。明治以降、賊軍の出身者は出世出来無いから苦労したのです。
――2013年放映のNHK大河ドラマ「八重の桜」では会津藩出身者の苦労が描かれて居ましたが、それ以外の負けた側の藩の出身者も差別された訳ですね?
例を1つ挙げれば、神田の古本屋は殆どが長岡の人が創業して居ます。長岡出身で博文館を創業した大橋佐平と云う人が一番初めに古本屋を開いて成功したのですが、当時、一番大きい店でした。その後、大橋が中心と為って、長岡の困って居る人達をドンドンと呼んで神田に古本屋が沢山出来て行ったんです。こんな具合に、賊軍藩の出身者達は、自分達の力で生きるしか無かったのです。
――『賊軍の昭和史』でも仰って居ますが、軍人に為った人も多かった様ですね?
前途がナカナカ開け無い賊軍の士族達の多くは軍人に為りました。一番典型的なのは松山藩です。司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』で有名な秋山兄弟の出身地です。松山藩と云うのは四国ですが賊軍藩です。只、弱い賊軍で、僅か200人足らずの土佐藩兵にアッと云う間に負けて降伏しました。
その松山藩の旧士族の子弟は苦労したんです。秋山兄弟の兄の好古(よしふる)さんは家にカネが無いから陸軍士官学校へ行った。士官学校はタダですからね。あの頃、タダだった教育機関は軍学校と師範学校に鉄道教習所の3つでした。
弟の真之(さねゆき)さんは、お兄さんから言われて海軍兵学校へ入り直して居ますが兵学校も勿論タダでした。
この兄弟の生き方を見ると、出世面でも賊軍出身の苦労が好く判ります。好古さんは大将迄上り詰めますが、物凄く苦労して居るんです。真之さんも苦労して居て、途中で宗教に走り少将で終わって居ます。
賊軍藩は、明治に為ってから経済的に貧窮して居た。だから、旧士族の子弟の多くは学費の要ら無い軍学校や師範学校へ行った。その軍学校を出て軍人に為ってからも、秋山兄弟と同様に賊軍出身者は、立身出世の面で非常に苦労しなければ為りませんでした。
『賊軍の昭和史』で詳しく触れましたが、日本を終戦に導いた鈴木貫太郎首相も賊軍出身であった爲、海軍時代は薩摩出身者と出世で差を着けられ海軍を辞めようとした事もありました。
敗者は簡単には水に流せ無い
――負けた側の地域は、差別された意識をナカナカ忘れられ無いでしょうね?
私は、昭和5(1930)年に東京向島に生まれましたが、疎開で昭和20(1965)年から旧制長岡中学校(現長岡高校)に通いました。有名な『米百俵』の逸話とも関係する長岡藩ゆかりの学校です。
長岡中では、薩長と戦った家老・河井継之助を是とするか、恭順して戦争を避けるべきであったのかを友人達と盛んに議論しました。先程も言いました様に、明治に入っても官僚に為った長岡人は殆ど居らず、学者や軍人に為って自身で道を切り開いて行くしか無かった現実があり、私の世代にも影響して居ました。私より可成り先輩に為りますが、真珠湾攻撃を指揮した山本五十六海軍大将も海軍で大変苦労して居るのです。
「賊軍」地域は、戊辰戦争の敗者と云うだけでは済ま無かったと云う事です。賊軍派として規定されてしまった長岡に取っては「恨み骨髄に徹す」と云う心情が横たわる訳です。今も長岡高校で歌い継がれて居る様ですが、長岡中学校の応援歌の1つ『出塞賦(しゅっさいふ)』に次の様な一節がありました。
「かの蒼竜(そうりゅう:河井継之助の号)が志(し)を受けて忍苦まさに幾星霜〜」
勝者は歴史を水に流せるが、敗者は啼かなかそうは行か無いと云う事でしょう。 以上
私の父は宮崎県の出で、祖先は所謂薩摩藩の出先の下級武士だった様です。それゆえNHK大河ドラマ「西郷ドン」も毎回楽しみに観ていますが、親族には地方の名士や大蔵省の高級官僚等が多く居て、彼等の話では、本省の課長以上の出世競争には必ず郷土の先輩の引きが必要だったと述べて居ました。
母方(岩手県)の従弟も大蔵省に在籍しましたが、出身が東京外語であった為当初から出世を諦めて地方の財務局の局長で終えました。その後金融機関へ天下りして先年亡くなりましたが・・・
最近は「明治は素晴らしかった」とする一辺倒な意見の他に、色々な見方が現れて来て「明治維新の見直し」が為されているようで、私は大変結構な事だと喜んでいます。色々な視点から物事を見直すことは未来において必ず必要なことだと思います。
歴史は勝者側の後付けの説明である・・・これは、世界での常識ですから・・・敗者側が何かを言う機会も資格も無かったのが真実でしょう。しかし、知恵のある後世の知識人は、その表に残された文章から憶測し推測して敗者側の存在を研究し、何故の争いでどの様に為ったのかの真実を後世の教訓として残したいと考える訳です。
既成歴史の訂正・・・これは実に興味ある物語です。最近は「聖徳太子は架空の人物」等とする記事を目にしましたが、誰かの意図で何かの目的をもって為されたのかを考えると、歴史は人が作り上げたものとしか思われません・・・それが、歴史を研究する人達の更なる励みに為ることでしょう。
サテ、為政者は政権の維持と自分の保身の爲にはどのような言い訳でも行うのは世の常ですが、今も昔もそれは変わらない様です。世に色々な疑獄事件や不正な政治運営が為されましたが、それを新たな視点で問い直す事も必要です。
例えば、有名な「田中角栄とロッキード事件」ですが、あれなぞはアメリカのCIAの策略だった・・・との見方もある様です。角栄氏は、電撃的な米中関係の進展に危機を感じて日本独自の日中外交へと積極的に動いた結果、米国の怒りに触れ田中氏追い落としの計画に嵌まった・・・との見方です。
氏は、エネルギー(石油)確保の意味からも米国の縛りから離れたかったのでしよう。独自の外交でもってエネルギー確保のフリーハンドを得たかったのです。が、それは米国の意思に反する事でした。飽く迄も日本は米国の支配の中でしか動けなかった・・・それは、現在でも変わら無いようです。ですから、安倍氏の米国ベッタリも何時まで効果があるか判りませんね。今回、北朝鮮関係と鉄鋼・アルミの関税問題で急遽訪米しましたが、何処まで日本の主張が通るものか判りません。
国内で失態を犯し、それから逃げる様に米国へ行かれたのですが、日本から逃げた人間を米国は如何にして迎えるのかに世界の注視を浴びる事でしよう。この外交に失敗したら、安倍氏は如何に考えるか・・・それも、問題の奥さんを同行して。
さて、煩わしい問題は置いて、意外に寒かった季節を乗り越えヤット暖かな春を感じるこの頃ですが、気分一新で旅行しませんか?私がお勧めのものを幾つかご紹介します・・・
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