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2018年03月11日

東日本大震災から七年・・・

月日の流れは速いと感じる。

東日本大震災から七年。震災の年に生まれた子供たちは小学校で学んでいる・・・。この七年間で被災地の学校は統廃合が進み、その長い歴史に幕を閉じた学校も少なくない。

震災当日、奇しくも卒業式だった学校もあった。

その日、小学校を卒業した子供たちは高校を終え、社会に出る者、大学へ進む者、それぞれの道を歩んでいるのだろう・・・。

我が子を失った多くの方々にはつらく長い年月であったろうと思う。そのつらさは私には到底わからない。

震災の残した傷跡は今もまだそこにあるという事を改めて思い出す日・・・



2018年03月06日

非常持出品のチェックを・・・

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間もなく東日本大震災から7年。非常持出品などのチェックを・・・。

東日本大震災後に非常持出セット等を購入された方は5年以上経過しているものもあるかと思います。保存水、非常食などいまいちどチェックされてはいかがでしょうか?

非常持出品は市販の物でも良いのですが、どういった考え方で中身を選択するかでだいぶ変わってくると思います。あれもこれもと詰め込んでも重くなるだけですし・・・。

【2月度月間優良ショップ受賞 】防災セット ハザードリュック 福島県の被災者考案の「非常用持ち出し袋36点セット」 避難リュック/避難グッズ/避難セット/防災グッズ/防災用品/非常持ち出し袋/女性用(男性にも対応)/家族/一人用

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感想(1130件)




所在地が福島のお店が考えた防災セット。ここのお店は何が興味深いかというと防災セットの中身をどういった考え方で選択肢に入れたのかということが書かれています。私はこういった防災セットは必ずしも購入しなくても良いと考えています。もちろんあれば助かることこの上ないですが・・・。

でも持ち出せなかった時や出先など・・・。そういった事態になった時の事を踏まえれば、私の考え方としては日常生活に非常時にも役立つものを落とし込んでいくことが大事かと・・・。その点こちらのお店のセット内容を選んだ際の経験則なんかはとても参考になります。

最後に一つ気が付いたこと・・・。

市販の災害セットの場合、避難所などで他の人と被る場合もあるかと思います。何かしら目印を付けておくのも大事かもしれませんね・・・。


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2018年03月04日

当時の記事を掘り起こして、改めて震災の当時を思い出してみる その04

東日本大震災は年度末に発生した。私の会社は一年ごとの入札で次年度の仕事が決まる。幸い(?)震災の前日に次年度も変わらずに決まっていた。そんな中での震災対応でした。現場によっては別な会社に引き継ぐなんて事もありました。そんな現場は混乱したでしょうね・・・。

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題:すこしづつ回復(2011年3月28日)

  先日は疲れからブログをさぼってしまったが・・・。

  仙台市内もまだまだ都市ガスが復旧していないが、幸い私の所はLPガス。水道も復旧し、ブレーカーを落として仕   事に走り回っている間にヒーターが切れていたために凍結で破裂していた給湯器も直り、久々の我が家での風呂に  入れるようになりました。まだまだお風呂に入れない人に申し訳ないと思いつつ、近くに住む両親とその近所の方に  おすそ分けをすることになっている。仕事仕事で、近所が大変な時に何も手伝えなかったのだから、せめてお風呂に  入ってもらえれば・・・。

  とりあえずは我が家はライフラインは復旧したので帰宅時はしっかり休養をして明日からまた頑張らねば

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震災発生から3週間たってもなかなかライフラインは復旧していなかった。三月という事もあり、我が家はLPガスではありましたが、水道が復帰したもののブレーカーを落としていたためにヒーターが作動せず水道漏れという事態になり、同じ状況での故障が多く、さらに復旧までの時間、そして何より作業する方の手を煩わせてしまいました。

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題:被災地(2011年3月29日)

  最近になってようやく、今、仙台市やその近隣がどうなっているのかを調べ始めた。ほんの数キロ先の事がわからな  い。以前は頻繁に行っていたところでさえ行けないという状況が続いている。気になってもガソリンが無いのと、そこ   においそれと足を踏み入れていいものかどうか・・・。多分、感じていないだけで恐ろしいのだと思う。仕事で足を踏み  入れるという事は、そこに理由付けがある。だから行けるのである。

  先日、仕事で閖上に行ったのだが、やはり行けば深い関わりではないが、仕事で関わったことのあった人を思い出   す。今となっては安否の知りようもない。手つかずの所に運転席が隠れた状態で半ば埋もれている車を見る。思わ   ず頭を下げずにはいられない。

  見ておくべき光景か?

  これは非常に難しい問題だと思う。

  「行きたい」という同僚を止めはしない。ただ、「行ってこい」とは勧めない。まして同乗者がいるのに、近くに行ったか  らとそこに向かうことも私には出来ない。

  私は今、会社の事情で掛け持ちをしている。そのどちらも被災地に行く仕事が出てくる。その地に踏み入る事はドラ   イバーという仕事上、自分の命だけではないという事も強く自覚している。正直、待っている時間はピリピリしてしま   う。海岸沿いなら尚更だ。初めて入る人に「ラジオをかけっぱなしで持って行け」と言う。これは片方の職場で学んだ  事。それと飲むこともできる真水とマスクは最低、持参すること。

  結局、片方の仕事場の一部の方々とは温度差が出てきている。どうやら機嫌が悪いという事で通っているようだが   (笑)。私にはついていけない話が出るのは正直つらい。気持ちに差がある以上仕方のないことだから普段は黙って  いるのだが、自分に振られた時ははっきりと「その話には乗れません」と応えることにしている。

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津波による被災地域と地震だけによる被災地域。あるラインを挟んで状況はまるで違っていた。震災後、ここで二つに分かれた被災地のギャップというものを感じ始めていた時期でもありました・・・。

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題:職場の方もそろそろ問題が・・・(2011年3月31日)

  職場の方も疲労の度合いが目立ってきたようです。

  もともと慢性的な人員不足がこういう時にどっと出てくるというか・・・。しかも年度末。入札と重なり、しかもとある省庁  の仕事など、一年契約ときているから働いている人間も契約更新か解除の時期。なんにしても時期が悪い。

  某報道会社の方の仕事は連日の激務が祟ってきているようだ。そもそも被災した方々も働き詰。家が流されたり、浸  水したりという人もいる。私などは部屋の片づけはもともとごちゃごちゃした部屋だから気にしないことにしているし、  ライフラインも戻っているので構わないが、そうでない人たちは疲労とストレスがピークだと思う。

  そんなわけで休みの日は他の現場の手伝いをしているわけだがそろそろ一か月、休みがない状態。我ながらよく持  つなぁと思う。

  明日から新年度。

  こんな時に限って、職場の上司が入れ替わるという。

  同僚が会社と契約で交渉中・・・。決裂したら今の現場は契約解除という事もあり得るが、それはまあ彼の人生だし、  私はそれでクビという事もないのでなるようになれといった所か・・・。いまだ連絡がないのだから、どうなったことや   ら・・・。ただ一つ困るのはこの状態にプラス、毎朝5時起きなるとさすがに少しキツイかな・・・。もうこうなると大概の   事ではびっくりしなくなってしまった。
  
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新年度を明日に控え、それぞれに生活がかかっている。その中で震災という大きな問題にも直面している。この変わり目というタイミングは日を跨いでしまえば、また動き出すのですが、その一瞬が来るまではヤキモキする気持ちはどうしようもなかったですね。

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題:ギャップは本当に大きい(2011年4月1日)

  今、いろいろと努力して普通のペースに戻そうと思うが、それはなかなか難しい。自分の中で、区切りをつけたくない  のかもしれない。所詮、こんな近くに居たって、その場に行き、何かをするなんてことはできない。目の前の仕事をこ  なす事。それが、最善だと思っている。

  私の職場のお偉いさんも言っていた言葉だが「津波は天罰」。この発想と発言には怒りを覚える。見ていないのだ。   あなた方は。遠方でテレビの画面を通してしか見ていないのだ。

  私は、あの虚脱感、空しさ、悲しさ、自分の無力感、それさえも無意味に消えてなくなってしまったあの光景を忘れる  ことはないだろう。町の人が夕暮れに、自分たちの暮らしていた町をただ眺める、あの背中を忘れることはないだろ   う。その人たちになんの非があるというんだ。

  今日見た南三陸町の電信柱。ここから復興は始まる。今でも見つからない安否不明の方々。そういう現実を抱えた   まま、同時に復興に向かっていく。

  あれは決して天罰などではない。 そんな綺麗事で被災者の心を踏みにじるものではない。
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なんか大きな災害があった際など、多分気の利いたことを言おうと無意識に考えてしまうのか?

「津波は天罰」。

この一言に無性に腹が立ちました。他にも「神様は越えられない試練は与えない」なんて言葉も・・・。

じゃぁ亡くなった方には非があったのか?亡くなった方はどうやって試練を超えるんだ?

後日、この上司を被災地の近くに行った際に、見ておくべきだといって半ば強引に被災地へといざなった。流石に無言であった。当時は彼に相当の怒りを覚えたものすが、今にして思えば、ただ、気の利いたことをいって場を作りたかっただけなんでしょうね・・・。私も被災地の光景に相当なショックを受け、抱え込んでいたのだと思います。

震災当時の事を今でも正確に思い出せるか?と問われれば、それは無理というほかない。多分必死に思いだし、何とか伝えようと大げさになってしまうかもしれない。

震災から七年。

被災を受けた方々は必死に生活を取り戻そうとしている。肉親や知人を失った悲しみや、変わり果てた故郷を必死に立て直そうとしている事を忘れてはいけない。

しかし、大きな被害を受けることなく生活を取り戻している私たちは・・・。残念ながら東日本大震災は過去の災害となったと言わざるをえない。リアリティが消えてきている・・・。

ただ、やはり経験したことは次へと生かさねばと感じる。

そんな思いがあり、また自分なりにあの少しでも震災を忘れないように、こんなブログを立ち上げてみたりしているのかもしれない・・・。

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2018年02月28日

当時の記事を掘り起こして、改めて震災の当時を思い出してみる その03

東日本大震災当時、震災から2週間が経過しても一向にガソリンの供給が安定していなかった・・・。そんななか東北自動車道が全線開通し、被災地への人の流入も増え始め、ボランティアなども現地入りし始めたのもこの頃からだったか?

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題:ガソリン(2011年3月24日)

  今日から東北自動車道が全線開通したようです。ご家族、知人を心配されていた方々がこの地に来ることが出来る  ようになったのは良いことです。

  ただ、来る場合は帰りの事まで想定することをお勧めします。逸る気持ちはわかりますが、ガソリンの確保は容易で  はありません。

  いまだ仙台市内でもガソリンを手に入れるには数時間を要しますし、そこまでしても必ず手に入るわけではありませ  ん。しかも満タンなんて無理です。仙台でも高速のサービスエリアなら給油できるのではと、試みた人多かったようで  すが、良くても上限二千円まで。給油できなかった人もいたとか。

  私は緊急車両を動かしていますが、それでもガソリンの残量を気にしながらの運転です。

  くれぐれもガス欠にはお気を付けください。

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本当にガソリンが喉から手が出るほど欲しかった。冗談のようですが、あの寒い時期に車の暖房は付けずにひたすらエコ運転をして初期型のVitzでリッター18kmなんて数値を叩きだしたりも・・・。ガソリンが入荷したと思って長い時間並んだら灯油だけの入荷でただガソリンを無駄にしてしまった話とか・・・。

それとこの辺りから被災地に物見遊山で来る方々の話題を聞くようになりました。被災地でピースをしながら記念撮影をする方の話を聞いたりすると気持ちが酷く落ち込んだものです。

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題:後方支援(2011年3月25日)

  今回、私には一つの安心材料がある。

  沿岸部に比べれば被害は無いとはいえ、仙台市内の中心部もまだまだ長丁場。

  仕事柄両親を手伝うこともままならないが、物資的にも何とかなっている。とはいえ、やはり最大の安心は兄が後方  に控えてくれていることだ。

  仙台市内はまだまだガソリンが気軽に手に入る状況では無いが、この先、状況が変わっても兄がピックアップしてく   れるというのは心強い。

  沿岸部の被災地に仕事で行くという事もあるのですが、その際、ドライバーとしては緊急地震速報がなったりもする   状況を考えると背筋が寒くなる。

  今回の津波も一日ずれていたら・・・。

  前日の津波注意報の時、まさに沿岸部に向かっていたのだから。

  地震の怖いところは一度起きたから、もうないだろうという事が通じない所。それは今回の地震でも新潟の地震でも   証明されていると思う。未だに余震も絶えない。

  10m強の津波とはいかないまでも今、沿岸部にいる際、津波警報など出たらと神経を使うのは致し方のない所。ま  してそこまで人を連れて行っているのだから、カラで逃げるわけにはいかない。後方でいつでも逃げれるように神経   を使っている。

  決して安全な仕事ではない以上、後方に兄がいる事は本当に心強い。

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この記事、実は被災地に両親がいる事を心配した兄が居ても立っても居られない感じでしたので、いやいや後方に控えてくれている事こそが安心であり、何かあった時に両親を兄のところに避難させることだってできるんだからと・・・。なにせこの時は福島第一原発事故の状況も良くわからないまま、じりじりとした時間を過ごしていた時期だったこともあり、仙台も避難対象(実際に100km圏が避難対象になる可能性だってあったわけなので。)になった場合など、後方の支援体制が必要だった時期でもあります。

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題:とりあえず、書く・・・(2011年3月26日)

  後で読み返したらどう思うのだろう?でもとりあえず、仕事から帰ってきたらなんとなくブログを書いている。



  別に被災地がどうとか、こんな事があったとかそんな事はニュースに任せようと思う。
  今日、兄の妻から「自分も被災者だよ」と言われた。

  これ、実はずっと自分でも考えている事。

  実際にライフラインも止まったし、今もまだ水は出ていない。ガソリンの入手は困難。でも家があって、仕事があって。  多少の不便はあっても私はちゃんと日常生活を送れている。

  仕事が忙しいのは仕方がない。こんな時だし、周りの助けてくださる方々も不眠不休で頑張ってくれている方々もたく  さんいる。

  実際、自分が被災者だとは思えないというか、実感がない。

  思いたくないだけなのかもしれないが・・・。

  実際、その場に行くと、今ある仕事を放り投げてその地に留まり、「何か手助けをしたい」なんて思ったりもする。近所  にも何もできないでいるというジレンマを感じたりもする。ボランティアで駆けつけてくれる方々がいる。そういったもの  を見ると自分はこれでいいのか?と思うのだが、でもやっぱり今出来ることは自分の仕事をちゃんとやる事なんだと  思う。地元で頑張れるのだから、そういったボランティアの方々に託して、今は自分の周りの事を一つづつこなしてい  けばいいのだろう。

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東日本大震災は本当に大きな災害ではあった。しかし特に沿岸地域の以上稀に見る大津波がその全てを掻き消すかのように重くのしかかっていたのだと思う。冷静に考えれば私たちも被災者だった。宮城県沖地震とは比べ物にならない地震だったのだから。とはいっても沿岸地域の実情を見れば見るほど、その凄まじさと、それに比べたら自は被害はないと言っても過言では無く、そんな状況に後ろめたささえも感じていた。まさにジレンマと不安を動くことで誤魔化していたのかもしれない。また自分の仕事を続けるという事こそがわずかではあるが被災地の為にあるのだろうと無理やり信じ込ませていた。まあそんな時の兄の妻からの「あなたも被災者だよ」の一言は、今考えてみればターニングポイントだったのだろうと思う。

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2018年02月23日

当時の記事を掘り起こして、改めて震災の当時を思い出してみる その02

さてどこまで振り返ろうかなと思いつつ、少しづつ区切りながら3月分までは振り返ろうかなと・・・。

実際、自分で読み返してみても結構記憶が薄れているなと感じますし・・・。

震災を語り継ぐという事はとても難しい事だと思います。私は震災後ブログにとにかくいろいろ書いていましたが、途中から素直に書けなくなりました。変な言い方ではありますが下心が出てきたというか・・・。なにかいい事を書いてやろうと思い始めたり、何かネタは無いかと探し始めたり・・・。まあその時点で東日本大震災についての書き込みは何かふっと思ついたりでもしない限りは書くのをやめようと・・・。

やはりあの未曾有の経験は、だんだんと日が経つにつれ、いかに凄かったか、いかに大変だったかを伝えようとするあまり、良くも悪くも表現が大きくなってくるなぁと、自分の文章に思い至ったといった感じでしょうか・・・。

では以下、当時の記事を・・・・

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題:寝たら少し頭がすっきりした(2011年3月22日)

  昨日はいろいろ書いてしまったが、こちからわからないものの一つに福島県の屋内退避を出されている出されている  地区のことがありますね。

  ダブルで動きを封じられてしまった方々へ無事に支援が届いているのであろうか?

  報道を見る限り、あまり届いていないように見えるのですが・・・。

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題:自宅でのネット環境が戻りました。(2011年3月22日)

  私はたいした被害もなかったのですが、12日ぶりの我が家でパソコンもつないでやっとひと段落。職場に泊まったり  出張だったり、昼間は帰ってこれないので我が家は放置状態で実家に泊まっていたりで、12日ぶりの我が家での夜  です。

  自宅に戻れるだけ本当に幸せだと思います。

  軽い興奮状態と、軽いショック状態が続いているのは自覚しているのですが・・・。

  ということで読み流していただいて構いません。つらつらと何がしか書きたいなと・・・。

  先日、出張でシングル部屋であったこともあり、他者の目のないところで過ごす時間が持てました。こういった時は一  人よりも多人数の方が安心も出来るのですが少しづつ時間が経つにつれ、少し整理する時間もやはり必要になって  くるのでしょう。一人がほっとするのもまた事実です。

  ガソリンが落ち着くまで、給油を控えていたりと独り者の身ですから何分、多少の融通が利かせられますし、両親が   近くに居ますので、まあこういった私は少しでも動こうと思います。そうすれば会社でも誰かが休めますし。などと考   えてみたり。

  最近、電話で「ありがとう」と言い合うことも多いです。食事も全部食べたら悪いなとか。

  「気を付けてね」なんて言葉も多いかな?

  最近、テレビではインフルエンザやO157あたりが話題になっていますが、予防の一番は手洗いだそうです。とはい  え、仙台市内の我が家も水道の復旧は10日先・・・。わかっちゃいるんですがねぇ。水が出ないことには・・・。アル   コールでの消毒などで済ませれても、仙台市内でさえ地震後、未だに風呂に入れていない人は大勢です。

  とにかく日々の仕事を一つづつやるしかないって感じでしょうか?

  こうやってブログを書いたり、他の方々の普段通りのブログを見たりすると少しほっとしたりしています。

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題:被災地から被災地へ(2011年3月22日)

  今日のニュースでちらっと見たが東北で同じ被災にあったのだが自分たちの所よりも被害の大きかったところへ、先  方の必要な物資を確認したうえで救援物資を届けたというようなニュースを見ました。個人としてではなく町として。

  私はニュースをじっくり見ているわけではないのですが、今回、行政も頑張っていると思います。正直、国のことはわ  かりません、というかそういったことを考えている余裕はないのですが、少なくとも地方行政は頑張ってくれていると   思います。

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題:少し、気分を和らげないと(2011年3月23日)

  少し、空回りし始めているようです。

  丁度疲れも増してきていて、毎日の入浴ができない事がちょっときついところです。それでも二日湯船に浸かれただ  け良い方です。寝ても疲れ、なかなか抜けません。

  なかなか会社も総動員といったところですから、動きながら疲れを抜いていく方向でしょうか。

  ここ数日は愚痴というかつぶやきというか。

  先日、温度差を少し書きましたが、そういったものを感じているのは私だけではないでしょうし、実際、私の感じる温   度差に?を思う方もいるかと思います。実際、自分でも少々勇み足というか暴走気味なのが自覚出来てもいます    し・・・。

  まだまだ続くわけですから、少しづつ、ギアを落とすことも必要なんでしょうね。忙しいのとトップギアは必ずしもイコー  ルではないわけですからね。

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題:我が家に明かりを灯す(2011年3月23日)

  職場の体制やガソリンの心配等、また実家に一時、身を寄せたことからから一週間以上、我が家は真っ暗なまま    だった。

  昨日から我が家に戻りました。これからはガソリンの残量を気にしつつも出張でもない限り、毎日戻るようにしようと   思う。

  先日、実家の前で子供の頃からお世話になっている人にばったり会った。笑顔になって挨拶してくれた。顔を見るっ   てことはやっぱりほっとするものなんだ。

  たいした付き合いもないのだが、私なりに近所の方々とは挨拶などしてはしている。きっと真っ暗な部屋に心配をして  くれたりしていただろう。休みでもなければなかなか会うこともないのですが、まさか遅い時間に挨拶に行くわけにも  いかない。

  夜に電気が灯り、がたがた音がすれば、「ああ、無事だったんだ」と安心してもらえると思う。

  家を失った方や、避難所暮らしを余儀なくされている方々もいる現状、私のような人間はせめてそうやって町に灯り   を灯す一助を出来ればと思う。

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震災から10日以上たった辺りで初めて、休まなきゃ!みたいな感じだったんでしょうね。寝れてないというか頭がスイッチはいりっぱなしというか・・・。文章内にもありますが空回りし始めていました。何をどうしたらよいのやら、今思えばとにかく動き回って不安を晴らしていたのかもしれませんね。最後の灯りを灯すという部分ですが、今思い出しても最初の一週間、全くの不在にしていた事はご近所に心配をおかけしたなと反省するところであります。早朝に出勤し夜中に戻ってくる、または出張や職場に泊まるなどして不在にしていたわけですから・・・。実際隣部屋の方はとても心配してくれていたようで、その後やっと挨拶に出向いた時には本当に喜んでいただきました。その後、その方が部屋を退去するまで割と頻繁に挨拶をしたり、地震があれば声をかけたりと良い関係を築かせていただきました。

それ以外にもやはり夜間に部屋の灯りが灯るという事は防犯上も良い事だと思います。残念なことではありますが震災後、被災家屋に空き巣に入られたなどという話は実際にありましたし・・・。

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2018年02月22日

当時の記事を掘り起こして、改めて震災の当時を思い出してみる その01

7年前の東日本大震災。7年前の今の時期は当然、そのような災害に遭遇するとは夢にも思っていなかった。

私が働いている職場は毎年入札によってどの会社がそこの仕事を取るのかが決まる。そんなわけで来年度はここで働けるのだろうか?という心配を抱えつつ仕事をしている時期でもあった。

そんな状態が解消し、次年度も同じ職場で働けると決まったのが3月10日だったと記憶している。会社から説明に3月11日の午前中に上司たちが挨拶に来ていた。そして14時46分を迎えたわけですが・・・。

当然、初動から混乱の最中に突き落とされたわけです。幸い自家発電があり、最初の情報はラジオで入手しつつもその後のテレビ報道を見る事が出来たのですが・・・。ショッキングな映像に何が何やら頭の中は軽く派にくっていたのでしょうね。

そんなこんなでバタバタした数日が続き、やっとブログを更新できたのが3月18日。実に一週間、私のブログを訪れている方々にご心配をおかけしてしまいました。そちらのブログは現在でも続けていますが、少しのあいだ、そちらのブログの当時の記事を紹介しつつ、気持ちを新たにしたいと思います。


以下、当時のブログの記事

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題:ご心配、おかけしております。(2011年3月18日)

  近況報告

  地震発生時は職場にいました。山よりですので津波の被害は免れました。

  自宅のほうもいまだ手付かずですが、荷物の崩れ程度で済みました。電気とガスは復旧していますが水はまだ出な  い状況ですが私と両親は無事に過ごしております。

  ガソリンが不足しているため、職場に泊まることが多く、なかなかブログ更新とも行かず、大変、遅い報告で多大なご  心配をおかけしました事をお詫びします。

  一息、つけましたら再度、ブログも復活します。

  それでは、皆様もお体にお気をつけてお過ごしください。

  ご心配、ありがとうございました。

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題:温度差(2011年3月21日)

  南三陸町に仕事で行く機会がありました。

  結局三日は足手まといでしかなかったと感じています。

  それ相応の覚悟はしていましたが、津波の被害を受けた光景を目にした瞬間、全ての感覚が吹っ飛びました。理解  の範疇を超えていたとしかいえません。

  ふと手が空くと呆然と街を眺めてしまいます。その土地に住んでいなかった私でさえそんな感じでした。

  街全体が水没していた後は判ります。でもそこに水が入っていた光景は想像できません。辛うじて以前、あの辺りを  走った事があったなぁとか思い出すのがやっとでした。

  その街に暮らしていた人たちの気持ちは私にはわからない。わかりようがない。わかった気になってはいけないのだ  と思いました。

  やっと帰る間際になって支援物資が届くと運び込む所に自然と手伝いにいきました。

  この三日間の前と後では全然、世界観が変わってしまいました。

  ガソリンがあれば、通って手伝いをしたい。何でもいいから。そういう気持ちがあります。ただ、それでも絶対に温度   差が埋まることは無いでしょう。

  ただ願うことは、ガソリン、軽油が欲しい。救出活動をしている重機の燃料さえ不足しているとはどういうことか。

  せめて暖かい物を食べてもらいたい。それだって燃料が欲しい。とにかく物資を運んであげて欲しい。

  多分、私だって緊張の糸が切れたら泣き出してしまうでしょう。それ程に理解を超えていました。

  まだまだ緊張を切るわけにはいきません。とにかく、今は踏ん張るしかない。

  いま仙台だってガソリンが無い。今日、帰りに家まで歩いて帰る途上、ガソリンスタンドで「どのくらい待てば入れられ  ますか?」と聞いたら、整理券は400枚出したそうです。とにかくガソリンスタンドで車が並んでいます。1キロ以上並  んでいるところはざらです。

  なんだって、被災地に燃料が入ってこないのでしょう?

  陸地で繋がっているというのに仙台市内でさえ、コンビニも満足に開店していない。

  仙台でさえ近くの人の安否も確認に行けない位にガソリンが無い。

  ガソリンの残量を気にしつつ、職場に泊めてもらったりしています。家に帰ることもままならない。こんなんで、私たち  に何をどうしろというのでしょう?

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題:少しメモ(2011年3月21日)

  燃料事情も好転しそうな報道があって、本当なら少し余裕が出そうです。

  私は仙台市内に住んでいますが、水は後、十日くらいかかるそうです。ガスは復旧の目処がまだたちません。明日   から順次回復というニュースが今日、流れていたようです。とはいえ時間はまだまだかかりそうです。私の住居はLP  ガスなので水が出れば両親も含め一息つけそうなのですが・・・。

  とはいえ、状況としては良い方で、ここ一週間から十日、踏ん張れば何とかなりそうです。

  ただ、全国ニュースで流れない部分では、津波の被害を受けた箇所ではいまだテレビも見れていないし、仙台市内   では上水はともかく、下水処理が出来なくなってきたりとまだまだいろんなことが追いついていないといった事もあり   ます。

  いろんな事が起きすぎた結果、より大きいニュースに偏るのは仕方が無いのですが県内でも情報がほとんど入って  こない部分もあったり・・・。

  携帯電話が未だに繋がりにくいところがあったり・・・。

  今、被災者の生の声をお伝えするといった趣旨の番組をやっているのですが、これって全国向けなんだろうか?そ   れともローカルなんだろうか?

  きっと阪神淡路大震災でも同じ思いをしていたのだろうと思う。今よりも携帯電話も普及していなかった時代。私も、   当時はそういったことに無関心だったと、今思う。

  最近では一人、一台の電話を持っていてもこんな感じなのだから・・・。

  携帯電話各社に要望。

  移動局車が被災地に入っても一社しか通じない。避難所に例えばドコモが入ればドコモだけ、ソフトバンクが入れば  ソフトバンクだけ。auが入ればauだけ。移動もままならないところ。これでは・・・。

  せめて災害時だけでも全社が同時に入る移動局車を用意できないものだろうか?

  頭がうまく回転していないですね。文章がまとめきれなくてすみません。

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この三回分の記事は仕事で被災後の南三陸町に行く前と行ったと後の記事になります。震災から一週間たった後の南三陸町の姿に言葉を失ったのを覚えています。私も当時、この時点で一回目の疲労のピークが来ていた事もあり、「なんなんだ、これは!何が起きているんだ?」っていう状態で突っ走っていた時でもありました。


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2018年02月11日

もう一度、冬対策の確認を・・・

車内装備も季節ごとの対策が必要です。

先日の数日にわたる交通障害。最後に救出された方は60時間を過ぎていたと聞きます。

当然、燃料を満タンにしていても60時間もアイドリングはキツイ。マフラーが積雪で埋まって一酸化中毒になる危険性もある。

大容量モバイルバッテリーで数時間は使える電熱ブランケットや防寒具、毛布、使い捨てカイロ位は鞄に一つにまとめて装備していても邪魔にはならないだろう。

少量の雪が降ってもノーマルタイヤでは怖い。そして何より怖いのは路面凍結。目に見える雪にばかり目が行くけれどもアイスバーンでのスリップはよほど注意でもしていない限りは未経験の方ならパニックになると思う。

毎年痛ましい事故も発生している。正直、一晩で1m以上も積もる雪は経験していないので自分でも適切な対処がとれるかは自信はない。通行止めになったとして、解消の見込みが立たない限り渋滞で前と後ろが車でで詰まって身動きが取れなくなった場合の判断は難しいだろう。また雪につっ込んで車が埋まってしまった場合も・・・。一人で対処できるのかは未知数だ。車を放棄するかどうかの判断も難しい。

行政もあれだけ大規模の交通障害に対応していれば、他は手薄になる。マンパワーにも限界があるだろう。

先日、ひさびさに運転中にホワイトアウトを経験しましたが、これも初めて経験したならパニックになります。路面は滑りやすい、瞬間、目の前が真っ白、後続車もいるとなるとブレーキをかけるのだって躊躇します。

冬道、雪道は危険、いろんな未体験の現象に遭遇する可能性があるといった認識を改めて確認したいと思います。



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2018年01月30日

宮城県の川崎町にて避難勧告発令中・・・

宮城の川崎町で仕事をしているのですが、今日、エリアメールが鳴り、噴火警戒レベルが2に引き上げられ避難勧告情報が入ってきました。

幸い、想定火口域から半径1.2キロmの範囲内という事でそのエリアから外れていましたが、気持ちがピリッと引き締まりました。住居は川崎町ではないのですが、川崎町や蔵王町あたりの方は一応警戒しておいた方が良いかもしれませんね。

寝る時は懐中電灯とヘルメット等を準備し、歩きやすい靴を用意しておくとよいかもしれません。まだまだ雪も残っています。暗くなってからの移動はいつも以上に気を付けた方が良いですね。また気温も低くなっています。防寒着、カイロなどの防寒対策も忘れずに・・・。



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2018年01月25日

東京でも冬道対策を・・・

私の住んでいる仙台もここ数日の雪。通勤時なども雪道なので時間調整やらルート調整やらいろいろと気を使う。

ここ数年、東京が雪に見舞われて交通が乱れるというニュースがおなじみになっている。

「ノーマルタイヤです」なんてセリフが平気で飛び出す・・・。

雪道運転が普通にある私たちには考えられない(笑)。夏は夏タイヤ、冬はスタッドレスに履き替えるのが普通だ。毎年履き替えのタイミングになるとカーショップなどは大忙しになる。オールシーズンタイヤなんてのもあるようだが、「タイヤ代ケチって、事故ったら何にもならない」というのが、私の経験上でも正しいと思う。冬はスタッドレスに変えるべきだ。それとチェーンは備えておくべきだろう。

保管場所、費用、まあいろいろ問題はあるだろう。それは解るが、ここ数年、毎年の交通渋滞、および事故のニュース・・・。昨年は事故らなかったといったところで、冬道をなめてはいけない。スタッドレスだって万全ではないのだし。

阪神淡路大震災も東日本大震災も冬に起きた地震災害でした。東日本大震災の時は地震の後に冷え込み、路面凍結など、状況は決してよくなかった記憶があります。

想像してみてください。冬の東京。天候は雪。そんな時に大きな地震が発生したら・・・。そうでなくても交通網は混乱するのに加え、雪道での事故など多発した場合は・・・?

避難活動、救助活動に多大な影響が出る事は間違いないでしょう。

最近の天候を見るに、東京でもせめて仙台あたりと同じくらいの冬道対策を徹底していかなくてはいけないのではないでしょうか?

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2018年01月22日

防災書籍紹介

防災関連の書籍を紹介しておきます。特にお子様連れに重点を置いてみました。

親子のための地震イツモノート キモチの防災マニュアル [ 地震イツモプロジェクト ]

価格:1,296円
(2018/1/22 02:21時点)
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おかあさんとこどものための防災&非常時ごはんブック 4コマでわかる! [ 草野 かおる ]

価格:1,404円
(2018/1/22 01:45時点)
感想(2件)




子連れ防災手帖 被災ママ812人が作った [ つながる.com ]

価格:1,080円
(2018/1/22 02:17時点)
感想(3件)




4コマですぐわかるみんなの防災ハンドブック [ 草野 かおる ]

価格:1,296円
(2018/1/22 01:47時点)
感想(11件)




【新品】【本】子連れ防災実践ノート 被災ママ812人が作った MAMA−PLUG/編

価格:822円
(2018/1/22 01:53時点)
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防災ピクニックが子どもを守る! 災害時に役立つサバイバル術を楽しく学ぶ [ MAMA-PLUG ]

価格:1,080円
(2018/1/22 01:55時点)
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アンアン特別編集 最新版 女性のための防災BOOK

価格:709円
(2018/1/22 02:00時点)
感想(1件)





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