2021年01月13日
高千穂ノ峯の傳説地 その2
霧島山説
霧島山は日向の諸縣郡と、大隅の囎唹郡とに跨れる高山にして、其の峯東西の二つに分る。
其の位置と形勢と、實に襲の高千穂の二上峯といふに相當る。
高千穂峯は一に槵觸峯(くしぶるのみね)、又槵日峯(くしびのみね)ともあり。
解するもの曰く、クシブル又クシビは奇異(くし)の轉なりと。
或は曰く奇火(くしび)の義なりと。
此の解孰れを取るとするも、霧島山が一の大火山にして、噴火の狀態の奇異なるに適當す。
更に續日本紀には、霧島山を囎唹郡會之峯となす。
是れ亦襲の高千穂峯なることの徴證とすべきに似たり。
殊に鎌倉時代編纂の塵袋所引日向風土記といふものに、
長門本平家物語の俊寛成經等鬼界島に移る事」の條にも、
霧島山は日向の諸縣郡と、大隅の囎唹郡とに跨れる高山にして、其の峯東西の二つに分る。
其の位置と形勢と、實に襲の高千穂の二上峯といふに相當る。
高千穂峯は一に槵觸峯(くしぶるのみね)、又槵日峯(くしびのみね)ともあり。
解するもの曰く、クシブル又クシビは奇異(くし)の轉なりと。
或は曰く奇火(くしび)の義なりと。
此の解孰れを取るとするも、霧島山が一の大火山にして、噴火の狀態の奇異なるに適當す。
更に續日本紀には、霧島山を囎唹郡會之峯となす。
是れ亦襲の高千穂峯なることの徴證とすべきに似たり。
殊に鎌倉時代編纂の塵袋所引日向風土記といふものに、
皇祖裒能忍耆命(ほのににぎのみこと)、日向國囎唹郡高千穂槵生(たかちほのくしふの)峯にあまくだりまして、是より薩摩國閼馳(あた)郡竹尾村にうつり玉ひて、土人竹尾守が女をめして、其の腹に二人の男子をまうけ玉ひけるときに、かの所の竹を刀に作りて、臍緒を切り玉ひたりけり。とあるは、明かに囎唹郡なる霧島山を指せるものならざるべからず。
其の竹は今もありと云へり。
長門本平家物語の俊寛成經等鬼界島に移る事」の條にも、
室野、船引、大山と云ひて、月影日影もささぬ深山の蛾々たる石巖を越して、日向國西方島津庄に著き給ふ。
彼の庄内に朝倉野と云ふ所に、一つの峯高く聳えて、煙絶えせぬ所あり。
日本最初の峯霧島の嶽と號す。
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