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2012年02月27日

輪舞 ―Rondo of Lives―(3)(半分の月がのぼる空・二次創作作品)







 月曜日。ライトノベル・半分の月がのぼる空の日です。詳しく知りたい方は例の如くリンクのWikiへ


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                            −5−

 「ほら。」
 そう言って、僕は当たり前のように手を差し出す。
 その手を、里香がやっぱり当たり前の様に取る。
 手の中にすっぽりと納まる、小さな、けれど大きな存在。
 しっかりと、握り締める。
 「手、離すなよ。」
 僕が言う。
 「うん。」
 返る、声。
 「土手上がるの、結構キツイぞ。」
 「うん。」
 「足元、暗いし。」
 「分かってる。」
 「転ぶと、危ない。」
 「分かってるってば。」
 「嘘つけ。さっき、さっさと一人で降りちまったの、誰だよ?」
 「うるさいなぁ。裕一のクセに。」
 ギャアギャア言いながらも、繋いだ手は離れない。

 「行こう。」
 「うん。」
 手を引いて、歩き出す。
 歩きながら、里香がちらりと後ろを振り返った。
 そこに立つ小さな桜に、別れを告げようとでもするかの様に。

 その、瞬間――

 不意に世界が、色を変えた。
 モノクロの闇が薄らぎ、全ての光景に淡い色彩が戻る。
 見上げると、いつのまにか空を覆っていた雲が流され、隠れていた半月が再びその顔を出していた。

 「・・・あ・・・!!」
 横から聞こえる、里香の声。何事かと振り返る。
 振り返ったその先で、あの桜がその姿を変えていた。
 いや、姿そのものが変わったわけじゃない。
 幹に開いた空洞も、所々突き出した白骨の様な枝も、まばらにしかついてない花も、そのままだ。
 けど、違う。
 その身に、逃れ様の無い死を穿たれた桜。未来も無ければ、明日もない。ただ今をも知れない時間を漂うだけの、脆く儚い存在。
 だけど今、淡い光の中で見るそれは、そんなか細い存在ではなくなっていた。

 骸骨の様に痩せた枝。その所々に、まばらについた花の群。
 さっきまで、か細さを強調するだけだった筈のそれらが、今は落ちる月明かりを受けて、燦然と輝いていた。
 数の少なさなんてまるで問題にしない、むしろ、周りの桜達の方が色褪せて見えてしまう程の、強い輝き。
 そこに咲く花は、深い夜闇の中でこそ分からなかったけれど、一輪一輪が他の桜達とは一線を駕する程、鮮やかで深い色を湛えていた。
 それはまるで、数を引き換えに持てる力の全てを凝縮したのではと思わせる様な、鮮烈で凄絶な麗彩だった。

 「―すごい・・・。」
 里香が、呟く。
 「綺麗・・・!!」
 「きれい」ではなく、「綺麗」。
 感嘆の思いをその言葉に込めながら、里香は桜を見つめていた。
 まるでその姿を、輝きを、余す事無く自分の内に焼き付け様とでもするかの様に。
 ただ一心に、見つめていた。

 と、その視線が止まる。
 一瞬の間。そして、その手が僕の手からスルリと離れた。
 逃げてしまった温もり。それを切なく感じる僕を残して、里香は再び桜へと歩み寄る。
 さっきと同じ様に間近から桜の幹を見つめ、そして、
 「・・・あれ?」
 そう言って、首を傾げた。
 「・・・これ、何・・・?」
 「・・・?」
 里香の声に、僕も近寄ってそれを見る。
 僕らの視線が注がれるのは、桜の幹に開いたあの空洞。
 注ぐ月明かりに洗われて、ほんの少しだけ薄らいだその闇の中に、何かの影が見えた。
 ついさっき、暗闇の中で手を入れた時には気付かなかった。いや、そもそもこの空間の中に、何かが“在る”という可能性自体に思い至らなかった。
 そう。それは何もない筈の、何も在り得ない筈の、虚ろの空間。絶対の無である筈の、死という名の虚無。
 なのに、そこに影があった。
 闇に潜む様に。けれど、決して呑まれる事なく。
 確かに何かの影が、何かの存在があった。
 淡い月明かりを頼りに、目を凝らす。

 ―“それ”は、唐突に突き出していた。
 ポッカリと開いた空洞の、丁度天井の部分。まだ、かろうじて侵食を逃れているそのわずかな部分から、本当に唐突に、突き出す様に伸びていた。
 突き出して、そのまま真っ直ぐ、真下の地面に突き刺さっていた。
 そう。まるでそこに巣食う空虚を、闇を、死を、刺し貫く様にして――

 一瞬、“それ”が何か分からずに佇む僕の横で、里香が言う。

 「・・・“根”だ。」
                            

                          ―6― 

 そう。それは、“根”だった。
 太くもなければ、細くもない。
 真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに伸びた、それは、一本の“根”だった。
 「根っ子・・・?こんなとこから?」
 僕は手を伸ばし、それに触れてみた。
 硬く、ざらついた感触。その身が纏う儚さとは相反する様な、荒々しい触感。その下から、ヒャッとした冷感が伝わる。それは辺りに流れる夜気とは違う、柔らかな温もりをはらんだ冷たさ。人間や動物とは違う、生きた木の体温だ。
 手に力を込め、揺さ振ってみる。
 ・・・ビクともしない。
 本体の方は、ちょっとした風で軋みを上げる有様だというのに。
 それだけ深く強く、それは地面を穿っていた。
 まるで朽ちかけの幹の代わりに、その身体を、命を、大地に縫い止め、繋げ、支えようとするかの様に。

 視界の隅から、白いものがそっと伸びてくる。それが、僕の手に半ば重なる様にして根に触れた。
 里香の手だった。
 温かい彼女の体温と、冷たい桜の体温。
 違う形の、二つの命。それらの熱が、僕の肌へと染みていく。
 「戦ってる・・・。」
 根の肌を撫でながら、里香がポツリと呟いた。
 「戦って、るんだ・・・。」

 ・・・そう。
 桜は、戦っていた。
 それは、抗うとか、しがみつくといった受けの姿勢ではなく。
 牙をむき、爪を突き立て、真っ向から挑みかかっていた。
 自分に巣食う闇。それを突き刺し、貫き、磔るために。
 自分を蝕む死。それを抉り、引き裂き、噛み砕くために。

 ギシギシと、朽ちかけの幹が軋む音が響く。
 さっきまで悲鳴にしか聞こえなかったそれが、今は別の意味を持って耳に届く。
 それは、鍔競りの音。
 貫かれ、縫い止められて、それでも食い尽くそうとうめく死と。
 蝕まれ、食われながら、それでもねじ伏せようと吠える生と。
 二つの力が、攻めぎ合う。
 ギシギシ、ギシギシと軋みを上げて。

 僕は根から手を離すと、もう一度桜を見上げた。
 天頂に浮かんだ半月から降り注ぐ、澄んだ煌。満月の様に強くはない。闇を薄めこそすれ、打ち消すには及ばない。淡く、儚い煌。
 けれど、それで充分だと言わんばかりに、壮麗の華は輝きを放つ。その様はまるで、その身に燃え盛る焔を纏っている様で。
 ―いや、それは正しく、炎だった。
 淡い。儚い。けれど、気高く眩い、命という名の炎。
 それが、燃えていた。
 煌々と。
 炎々と。

 風が吹く。
 輝く花弁が、無数の燐光となって宙に舞う。
 瞬く煌の風が、闇に満たされた夜の世界を可憐に彩る。
 まるで、世界を満たす闇を、その傲慢を、せせら笑う様に。

 僕は、ただ黙ってその光景を見つめていた。
 死にかけの桜が放つ、その輝きの強さ。眩さ。
 それに圧倒されていた。
 いや。
 魅せられていたんだ。

 ふと、視界を黒い帯が泳いだ。
 風に乗って流れるそれに導かれる様に、僕は視線を横に泳がせる。
 その先には、その黒髪の主である里香がいた。

 その姿を視界の中心に収めた途端、僕は心臓が止まるかと思った。

 舞い踊る、桜色の煌。
 その中で、彼女はその光景に見入っていた。声をかけるのも躊躇われる程に。
 長い髪を、花弁と共に躍らせながら。黒い瞳を、桜の煌に染め上げながら。
 まるで、今の光景を、この桜の姿を、自分の内に焼き付け様とするかの様に。
 とても、とても真剣な眼差しで。

 その姿は、綺麗だった。
 目の前の桜に負けない位に。
 本当に、本当に綺麗だった。
 桜色の風に舞う髪も。注ぐ月明かりに浮かぶ肌も。その世界を映す瞳も。
 その全てが、この光景の中に溶けていた。
 まるで、ここに在ることが当然のことみたいに。
 まるで、里香自身が、この桜の化身であるみたいに。
 この光景の中に、溶けて、交ざって、綺麗に、可憐に。
 輝いていた。

 そうさ。
 本当に。
 本当に。
 輝いて、いたんだ。

 僕は自分の迂闊さを呪った。
 ああ、何で僕はこの場にカメラを持って来なかったんだろう。文字通り、至高のシャッターチャンスだってのに。
 カメラは今、土手上に止めてある自転車のカゴの中だ。慌てて里香を追ってきたせいで、つい置いてきてしまった。
 僕の馬鹿。
 どうしようか。急いで取りに行こうか。
 僕は少しの間悩み、躊躇した後、結局それをあきらめた。
 この光景は多分、世界が起こした、ちょっとした気紛れ。
 諸々の、危うい均衡と調和の上に生まれたほんの束の間の、淡く美しい幻想。
 きっと、少しでも目を離せば、その間に消えてしまう。
 いや。
 それどころか、もし今ここで僕がカメラを取りに行くために動いたりすれば、それだけで全てを崩して、台無しにしてしまう気さえする。

 それはきっと、酷くもったいなくて、罪深い事に違いない。

 だったら、せめて。
 僕は息を殺すと、里香の気を引かない様に、ちょっとだけ後ろに下がった。
 この場の空気を、均衡を乱さない様に、極力の注意を払って立ち位置を調節する。
 ・・・よし。
 狙い通り、少しだけ下がったその場所からは、件の桜とそれを見つめる里香とを、絶妙のバランスで視界に収める事が出来た。今のこの光景を一望する、ベストアングル。

 そう。僕も焼き付ける事にしたのだ。
 今、里香がしている様に。
 記憶に、網膜に、僕の内に、焼き付けよう。
 今のこの光景を、彼女の姿を、輝きを。
 決して。決して、消えない様に。
 見つめよう。
 時が、この刹那の夢の存続を許すまで。
 世界が、この泡沫の幻想に飽きるまで。

 無事に陣取りを終えた僕は、改めて目の前の光景に目をやった。
 そこでは里香が、相変わらずその瞳を輝かせて桜に見入っている。桜の方も、まるでそれに気を良くしたかの様に、キラキラと煌く花吹雪の大盤振る舞いだ。
 歴代あらゆるジャンルの芸術家達が、そろって裸足で逃げ出しそうな、究極の幻想美。
 僕はそれを傍らから、ただ黙って見つめ続けた。
 この光景を、一人占めに出来る事。
 そんな幸福を、しっかりと噛み締めながら――

 ふと空を見ると、そこには半分の月が浮いていた。
 まるで、今己の下に流れるこの時が、せめて少しでも長く続くを願う様に。
 満ちる闇を淡く、それでも確かに照らして。
 それは優しく、とても優しく、輝いていた。

 ―風が歌う。
 煌が舞う。
 焔が踊る。

 燃える。
 燃える。
 命が、燃える―


                                            続く
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