はい。みなさん、こんばんは。
「天使のしっぽ」の二次創作掲載の日です。
例によってヤンデレ、厨二病、メアリー・スー注意。
イラスト提供=M/Y/D/S動物のイラスト集。転載不可。
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考えるより先に、身体が動いた。
百足の毒牙の切っ先がルルに向けられていると気付いた瞬間、ツバサは誰よりも早く飛び出していた。
無謀と言えば、無謀に過ぎた。
彼女が壁の様に立ち塞がる百足の身体を乗り越え、ルルの元に駆けつけた時、すでに百足の頭は目の前だった。
すくみ上がるルルを抱き抱え、必死で身を逸らそうとした時には、すでに両脇は百足の顎(あぎと)に塞がれていた。
次の瞬間、身体が凄まじい衝撃に襲われる。
グガガガガガガガガッ
「うわぁあああああっ!?」
為す術もなく翻弄される身体。
耳朶を覆う轟音の向うで、自分とルルの名を呼ぶランの声が微かに聞こえた。
―禍刻(まがつとき)―
―意識が飛んでいた。
3分?
1分?
いや、もっと短いかもしれない。
だって、ほら。
―自分はまだ、生きている―
気がついたツバサが真っ先に目をやったのは腕の中のルルだった。
自分の腕の中でピクリともしない彼女を見て、ツバサは青ざめる。
「ルル!!ルルってば!!」
その小さな身体を、必死で揺さぶる。
「う、うぅ〜ん・・・」
反応があった。
大きな緑色の瞳が、薄っすらと開く。
「ルル、大丈夫!?どっか痛くない!?気持ち悪かったりしない!?」
ボンヤリした顔でふるふると頭を振っているルルに、ツバサは呼びかける。
「う〜、だいじょうぶらぉ・・・」
答える声は、しっかりしている。
どうやら、彼女も自分同様、一瞬意識が飛んでいただけらしい。
「よ・・・よかったぁ・・・。」
ホッと、息をつく。
しかし、そこでふと思う。
何故自分達は生きているのだろう。
先刻、確実に百足の毒牙に捕らえられたと思ったのに。
そう思って目を上げた瞬間―
金濁の複眼と目があった。
「―――っ!?」
ドサンッ
反射的に後ずさろうとした背中が、何かに当たる。
振り返ると、とぐろを巻いた百足の胴体が背後を塞いでいた。
「・・・なっ!?」
百足の頭は直ぐ目の前。
ツバサ達を捕らえる筈だった顎(あぎと)。
それは、彼女らに達する寸前で動きを止めていた。
ツバサ達の身との距離、約数メートル。
「な・・・何、これ!!」
ツバサは自分達が置かれている状況を理解して、慄然とする。
前後左右、何処も渦巻く胴体に塞がれている。
彼女達は、百足が自らの身体で作った牢獄に完全に閉じ込められていた。
「こ、こいつ、どうゆう・・・!?」
ツバサが言いかけた時、
カシャリ・・・
背後から響く、乾いた音。
ビクリと振り返る、ツバサとルル。
瞬間―
ギシャアッ
渦巻く胴体から伸びた橙色の節足が、彼女達に襲いかかった。
「――ッ!!ルル!!」
咄嗟にルルを抱え込む。
ザシャアッ
「あうっ!?」
飛び散る端切と赤い飛沫。
弾き飛ばされたツバサの身体が、土埃と共に地に倒れ伏す。
百足の足は、その先端が鋭く尖っている。
それが鎌の様に振り下ろされ、ツバサの背を切り裂いていた。
「あ・・・くぅ・・・。」
「ツバサねえたん!!」
痛みに顔を歪めるツバサを見て、ルルが悲鳴を上げる。
「ケガしたぉ!!ちがでてるぉ!!」
「だ、大丈夫・・・。大した事、ないよ・・・」
半ば半狂乱になって喚くルル。
そんな彼女を落ち着かせる様に抱き締めながら、ツバサは気丈に言葉を吐く。
事実、背中に数筋刻まれた傷は、大きくとも深くはなかった。
おそらく、皮一枚とそのすぐ下を浅く裂いただけだろう。
それは、ツバサが咄嗟に身をかわした故か。
それとも別の理由か。
それは、すぐに分かった。
ゾクリ
再び襲う悪寒。
ギシュァアアアッ
再度響く、硬い甲殻が軋む音。
ザキュッ
「―――っ!!」
別方向から襲いかかった脚が、今度はツバサの二の腕を切り裂いた。
突き飛ばされた様に、地面に転がる。
腕の中のルルを、必死にその胸に抱き込みながら。
傷は、またしても浅い。
パックリと割れた、しかし致命傷には程遠い傷が、焼け付く様な痛みだけをツバサに与える。
「こ・・・こいつ・・・」
その痛みを歯を食いしばってこらえながら、ツバサは確信する。
与えられる傷が浅いのは、自分が身をかわしたからでも、まして百足の目算が甘いからでもない。
”わざと”なのだ。
ツバサは、全身が総毛立つのを感じる。
思えば、百足は先にもユキに対して同様の事をしていた。
手中にした獲物をすぐには喰らわず、玩具にして遊ぶ。
まるで、猫や鯱が捕らえた獲物をそうする様に。
それが、百足の捕食者としての本能によるものなのか。
それとも、魔性の存在としての思考によるものなのか。
それは分からない。
ただ、百足は遊んでいた。
それだけは、確かな事。
カシャカシャカシャ カシャカシャカシャ
おぞましく蠢く、幾百もの脚の群れ。
ズズ・・・ ズズ・・・
渦巻く身体が、その輪を小さくしていく。
それにつれて、狭まっていく逃げ場。
「・・・・・・!!」
ツバサは、傷の痛みに耐えながらルルを強く抱きしめる。
それが、彼女を少しでも守るためなのか。
それとも、自分の恐怖を押し殺すためなのか。
もう、自身にも分からない。
カシャカシャ カシャカシャ
冷たく乾いた音が、また響く。
前から。
右から。
左から。
後から。
ツバサを囲む、世界のあらゆる場所から。
カシャリカシャリと恐ろしく。
生血(なまち)に飢えた、音が鳴る。
そして閃く、橙色の軌跡。
裂ける肌。
飛び散る朱。
上がる、悲鳴。
繰り返される。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
キシィイイイイイ・・・
垂涎の様に滴る毒汁。
汚泥の様に澱んだそれが、地面に落ちてジュウジュウと穴を穿つ。
苛虐の愉悦に酔いしれながら、百足はその濁った双眼を輝かせた。
その頃、百足の身体の外では―
「ツバサちゃん!!ルルちゃん!!」
「この!!どきなさいよ!!キモ百足!!」
「クルミお姉ちゃん!!ユキお姉ちゃんの方は!?」
「駄目なのー!!百足の尻尾がブンブンいってて、近寄れないのー!!」
辺りに響く、悲痛な声。
皆、ツバサやルル、ユキを助けようと奔走していた。しかし、巨大な百足の身体が障害となってそれを許さない。
ある者は必死に呼びかけ、またある者は横たわる百足の身体を叩いたり蹴ったりしていたが、そんな事は何の意味もなさない。
そんな事をしている間にも、小山の様な身体の向こうからはツバサやルルの悲鳴が聞こえてくる。
蠢く尾の向こうに見えるユキは、倒れ伏したままピクリとも動かない。
まさか。
そんな。
最悪の時が迫る中、皆の焦燥は頂点に達しつつあった。
「・・・あの子、趣味悪いなぁ・・・。」
その様子を遠目に眺めながら、トウハはボソリとそんな事を呟いた。
「本当に、本当にどうにか出来ないのですか!?」
そんなトウハの呟きを、遮る様にかけられる声。
その声の主―アユミを、トウハは鬱陶しげに見る。
「答えなさい!!」
しかし、そんな視線には一切構わず、彼女は今にもすがりつかんばかりにトウハに迫る。
「しつっこいなぁ・・・さっきから言ってるじゃない・・・。」
食い下がってくるアユミに、トウハは煩わしげに答える。
「わたしの力じゃ、もうあの子は止められないって・・・ああ、もう!!あんまり喋らせないでよ・・・。しんどいんだから・・・。」
そう言って、荒い息をつくトウハ。
確かに、消耗の度合いは著しいらしい。
立ってはいるものの、足はフラフラと揺れ、今にも崩れ落ちそうだ。
手足からの出血は今も止まらず、地面の氷割れをジワリジワリと増やしていた。
その身体を支えるのは、もはや体力ではなく気力なのだろう。
それを示す様に、全てが色褪せた中でその瞳だけが相変わらず朱く輝いていた。
その瞳をアユミに向けながら、トウハは言う。
「・・・あんたも、こんな所でくっちゃべってないで、皆の方に行ったら?それで、さっさと喰われちゃえ。そうすれば、その五月蝿い口も黙るでしょう?」
「何もない筈はありません!!」
しかし、そんな彼女にアユミはなおも迫る。
「あなたは言ったでしょう!?あの化物は一度討伐されていると!!それなら何か・・・何か弱点がある筈です!!」
「弱点・・・?」
その言葉に、トウハがチロリとアユミを見上げる。
「あんた、思ったより馬鹿なんだねぇ・・・。」
呆れた様に呟く。
「敵にそんな事訊かれて、ペラペラ喋るヤツがいると思うの?」
「――っ!!」
グッと言葉に詰まるアユミ。
二人の間の空気が、強ばる様に固まる。
しかし、それはほんの一瞬。
「・・・貴女は・・・」
口を開いたのはアユミ。
震える唇が、震える言葉を紡ぐ。
「貴女は、本当にそれでいいんですか・・・?」
「・・・・・・?」
「あの娘達を犠牲にして・・・この町の人や動物達を犠牲にして・・・それでご主人様を手に入れて・・・それで、本当に満足なんですか・・・?」
「・・・何を言うかと思えば・・・。」
かけられた問いに、トウハは冷ややかな眼差しで応える。
「何度も言わせないでよ。わたしはご主人様さえ・・・」
「そんな事を訊いてるんじゃありません!!」
荒げた声が、トウハの言葉を遮る。
「忘れたんですか!?さっき、ご主人様が言った言葉を!!ご主人様は、信じているんですよ!?貴女の事を!!貴女の心を!!まだ、信じているんですよ!!」
血を吐く様な叫び。
それに、トウハの肩がピクリと揺れる。
「それを・・・貴女は・・・貴女は・・・」
声がかすれ、喉の奥がヒュウヒュウとなる。
怒り。
悲しみ。
焦燥。
絶望。
幾つもの感情が、その胸の中で嵐の様に荒ぶる。
それを抑え込む様に胸を掴むと、今にも途切れそうな声でアユミは言った。
「お願い・・・。もう・・・もうこれ以上、ご主人様の心を裏切らないで・・・。傷つけないで・・・!!」
せめてもの願いを込めた、言葉だった。
目の前で、涙を浮かべながら自分を見つめる少女。
それを見ていた朱い目が、一瞬何事かを考える様に泳ぐ。
そして、
「・・・あるって言ったら?」
ポツリと、言った。
「・・・え?」
唐突に紡がれたそれに、アユミは一瞬ポカンとする。
そんな彼女を見つめながら、トウハは続ける。
「あるって言ったら、どうするって訊いてる。」
「あ・・・」
一拍の間の後、その意味に気づいたアユミが思わず詰め寄る。
「あるんですか!?あるんですね!?」
「・・・あるよ。」
気色ばむアユミに向かって、トウハは気だるげに答える。
「でも、無理だけどね・・・。」
「やって見なければ、分かりません!!」
アユミの手が、トウハの肩を掴もうと伸びる。
「お願い!!教えて!!」
そんな彼女の手をスルリと抜けると、トウハはまたポソリと言った。
「・・・唾。」
「え・・・?」
「人間の、唾。」
思わぬ言葉に、アユミは呆気にとられた。
「人間の・・・唾?」
呆気にとられた様に呟くアユミに、トウハは続けて言う。
「そう、唾。大百足(あいつら)は人間の唾に弱いの。甲羅をぶち抜いて地肉に当てれば、毒みたいに効く。どういう了見かは知らないけどね。」
「そんな・・・そんな事でいいんですか・・・!?」
「そんな事・・・?」
一瞬、希望にほころびかけたアユミの顔を、冷ややかな視線が射抜く。
「そんな事って言うけどさ、それなら、どうするつもりなの?」
「どうって・・・」
そこまで言った時、アユミは凍りつく。
唾?
”人間”の?
血の気の戻りかけた顔が、再び青ざめていく。
”人間”?
そんな存在(もの)、何処にいるのだ?
今、公園(ここ)にいるのは天使(自分達)に悪魔(トウハ)。そしてあの化物。
肝心の人間が、いない。
公園の外に出て探せば見つかるだろうが、公園(ここ)以外の場所にはまだ停滞の魔法がかかっている。
全ての生き物は深い眠りの中にあり、協力を仰ぐ事など出来ない。
人間。
にんげん。
ニンゲン。
その言葉が、グルグルと脳内を回る。
混乱と焦燥に押しつぶされそうになったその時、
「!!」
不意に思考が行き当たる。
いる。
そう。
いるのだ。
この場に。
この場にたった、一人だけ。
人間という、存在が。
考えるより先に、視線が”彼”を探す。
しかし、
「・・・誰を、探してるの・・・?」
酷く冷淡な声が、アユミを打った。
ハッと戻した視線の先で、トウハが底冷えのする様な目でアユミを見ていた。
「・・・まさか、ご主人様を探してる訳じゃないよね・・・?」
「――!!」
自分の思考を読んだかの様なその言葉に、アユミは声を失う。
「・・・やっぱり・・・」
細く響く溜息。
「・・・そう来ると思ったんだ・・・」
能面の様な表情で、トウハは言う。
「何、馬鹿げた考えしてる訳・・・?」
冷たい、どこまでも冷たい、声音。
「ご主人様を、大百足(あの子)と戦わせるつもり・・・?」
その声が、過熱していた思考を急激に冷やしていく。
「止めてよ。余計な事して、ご主人様が食べられちゃったらどうするのさ。一応話はつけてあるけど、あの子の事だ。機嫌を損ねたら何をするか分からない。いくら人間の唾が大百足の毒になるって言っても、食べられちゃったら意味ないんだ。人間が毒蛇の毒を飲んでも平気なみたいにさ。それに・・・」
トウハの視線が、軽蔑のこもったものに変わる。
「・・・自分達がヤバイからご主人様に助けてもらおうとか、守護天使としてどうな訳?」
「――!!」
その一言が、アユミを打ち据えた。
痛く、深く、打ち据えた。
そう。自分は何を考えていたのだろう。
いくら仲間が窮地に立たされているからと言って、もっとも守るべき主人を敵の懐に送るなど、あまりにも論外な話ではないか。
「・・・大した事ないね。アンタのご主人様への想いってのも・・・。」
畳み掛ける様な言葉。
割れ鐘の様に揺れた意思が、揺さぶられる。
確かにそうだ。
守護天使にとって、主人は絶対。
何に代えても、守らなければならない存在。
そんな大事な事を、一瞬たりとはいえ忘れるとは。
今の事態に、冷静さを欠いていたのかもしれない。
皆の窮地に、我を忘れていたのかもしれない。
だけど、そんな事は何の言い訳にもならなくて―
自責と慙愧の念が心に起きる。
そんなアユミに、トウハはさらに言葉を投げかける。
「・・・さっきも言ったでしょう。”これ”は、本当に最後の手。ご主人様を手に入れるための・・・。」
無表情に、淡々と。
「それが、わたしにとっての全て。わたしの、存在意義。その為には、手段なんか選べない。選ばない・・・。」
言葉を紡ぐ。
「例え、それが何を傷つけても、何を犠牲にしても・・・」
そして、
「―わたしは、止まらない―」
突き放す様に、言い放った。
あまりにも、強固だった。
トウハの心は、どこまでも固く、凍てついていた。
ひたすらに。
ただひたすらに、悟郎だけを見ている。
もはや、返すべき言葉すらない。
それに比べて、自分は―
アユミが唇を噛んだその時―
「キャーッ!!」
誰のものかもしれない悲鳴が、その耳に届いた。
それが、アユミの身をビクリと震わせる。
途端、頭をもたげるもう一つの想い。
確かに、ご主人様は大事だ。
何に代えても、守らなければならない。
それは、絶対。
だけど。
だけど―
それなら、自分は“彼女達”を見捨てられるのか。
生活を共にした家族を。
苦楽を共にした友を。
自分は見捨てられるのか。
守護天使としての使命を全うするのなら、今すべき事は決まっている。
“逃げる”のだ。
百足の意識がユキに、皆に向けられているこの隙に。
目の前の悪魔が衰弱している、この隙に。
皆を囮にして、悟郎だけをつれて逃げるのだ。
それが今、非力な自分が悟郎を守れる、唯一無二の策。
確信があった。
たとえ自分がそれを実行したとしても、皆は自分を責める事はしない。
悟郎のため。ご主人様のためと、笑って百足の餌食になるだろう。
けど。
たとえそうだとしても―
出来る訳が、ない。
皆を生贄にする事など。
そんな事、出来る筈などありはしないのだ。
姉妹達の命。
悟郎の命。
天秤にかけられない自分に、今更の様に気付く。
皆を、失いたくない。
家族も、主人も、もろともに。
それは、酷く欲深い事なのかもしれない。
それは、守護天使としては許されない想いなのかもしれない。
でも、それが揺るぎない自分の想い。
それもまた、揺るぎない事実。
けど。
それなら。
それなら、どうすればいい?
考える。
必死で考える。
だけど、思考は空回り。
答えは出ない。
出は、しない。
また、誰かの悲鳴が響いた。
絶望が、アユミの心を苛む。
足から力が抜け、地面に座り込む。
両目から溢れ出す滴。
それを隠す様に、両手で顔を覆う。
と、その時―
「アユミ、泣かないで。」
優しい声とともに、柔らかな温もりがアユミの肩に置かれた。
かけられたその声に、アユミはハッと振り向く。
トウハも、目を丸くしてアユミの背後に立つ“彼”を見つめていた。
「「ご主人様!!」」
双方同時の驚きの声に微笑みで返すと、睦悟郎は身を屈めてアユミの涙をふき取った。
「アユミ、君の想いは間違っちゃいないよ。僕も、君達を失うのは嫌だ。」
そう言うと、悟郎は再び立ち上がりトウハに向き直る。
「・・・ご主人様・・・」
その厳しくも悲しげな眼差しに、当惑するトウハ。
「話は聞いてたよ。トウハ。いい事を教えてくれてありがとう。これで、皆を助けられるかもしれない。」
悟郎の言葉に、トウハとアユミはハッとする。
「ご主人様!?」
「まさか!?」
戸惑う彼女達の前で、悟郎は傍らに落ちていた鉄棒を拾う。
百足に破壊されたうんていから飛び散ったらしいそれは、千切れた先端が槍の穂先の様に尖っていた。
ペッ
悟郎はそれに唾を吐きかけると、クルリと踵を返そうとする。
その方向には―
「待って!!」
しかし、そんな彼を留める声。
振り返ると、トウハが肩をいからせて立っていた。
「・・・そんなんで、どうするつもりなの・・・?」
その言葉に、悟郎は「?」と言った顔をする。
「決まってるだろ?これであの百足を・・・」
「無理!!絶対に、無理!!」
トウハはそう叫んで、頭を振る。
「あの子にはそんなの効かないよ!!」
「!!」
その言葉に、悟郎は軽く眉をしかめる。
「千年前、あの子を討伐した武将の矢には、八幡神から神威が借りられていた!!」
必死に語りかけるトウハ。
それが、悟郎の表情をさらに険しくさせていく。
「ねぇ、分かるでしょう!?」
トウハは叫ぶ。
「あの子の甲殻を打ち抜くには、ただの武器じゃ駄目なの!!神威を、神の力を借りた武器でないと、あの子の甲殻は打ち抜けない!!」
そう。
神威を借りた武器。
つまりは神器。
真意のものであれ、簡易のものであれ、あの魔性の甲殻を打ち抜くには、それが必要なのだ。
しかし、そんなものここにはない。
そしてそれ以上に、問題なのは―
「大体、あの子と戦うなんて、ご主人様に出来るの!?」
「!!」
悟郎が自覚しつつ、あえて目を逸らしていた“それ”を、トウハは言い当てていた。
武器は、それを扱う者がいて初めて意味を成す。
それも、ただ武器が持てればいいというのではない。
千年前にかの魔性を討った武将。
彼と同等か、それ以上の強さを持つものでなければ、あの化物には太刀打ち出来ない。
そんな力量、悟郎にある筈もない。
「・・・・・・。」
黙りこくる悟郎に、トウハは迫る。
「ねえ!!ご主人様、お願いだから大人しくしてて!!そうすれば、あの子はご主人様には手を出さない。守護天使(こいつら)がいなくなるだけ!!そうなれば、後はわたしが・・・!?」
詰め寄るトウハに、悟郎は優しく、だけど悲しげに微笑んでいた。
「駄目なんだよ・・・。トウハ・・・。」
静かな口調で、悟郎はトウハに語りかける。
まるで、何かを教え諭すかの様に。
「みんなは、あの娘達は、僕の家族で、希望で、全てなんだ・・・。」
「!!」
その言葉に、トウハは思わず言葉を詰まらせる。
「君なら、知ってるんじゃないのかい?僕が、たった一人で行き場のない暗闇の中にいた時、光を与えてくれたのはあの娘達だったって事を・・・。」
そう言って、悟郎は真っ直ぐにトウハを見つめる。
「・・・・・・!!」
その視線を受けきれず、目を逸らすトウハ。
彼女とて、その事を知らない訳ではない。
守護天使がどの様な存在かは、よく知っている。
そしてそれ以上に、悟郎の事は何よりも深く知っている。
故に、その胸を巡る想いを、彼女は容易に知る事が出来た。
「だから・・・」
悟郎は何かを想う様に目を閉じる。
一拍の間。
そして―
「だから!!」
キッと目を開くと、悟郎は言った。
「僕は決めたんだ。あの娘達は、この身に代えても守って見せるって。」
「「――!!」」
息を飲むトウハ。
アユミは言葉を失い、ただ、その瞳を潤ませる。
「ご主人様・・・わたくしは・・・わたくしは・・・!!」
何かを言おうとするが、言葉に出来ない。
そんな彼女を見ながら、悟郎は言う。
「アユミ、大丈夫。僕は死なないよ。それと・・・」
それは優しい、何処までも優しい言葉。
「自分を責めないでね。これは、僕自身の望みなんだ。主人の望みを叶えるのも、守護天使(君達)の役目だろう?」
「・・・・・・!!」
「ね?」
そう言って微笑む悟郎。
アユミは胸元を握り締め、涙をこぼしながら、苦しげに頷いた。
アユミに向けていた視線。
それを、悟郎は佇むトウハに移す。
「待っててね。トウハ。全部済んだら、傷の手当て、してあげるから・・・。そうしたら、色々と、話そう。」
「・・・・・・。」
けれど、返事は返ってこない。
トウハは俯き、その唇を固く引き結んでいる。
「あはは、怒らせちゃったかな・・・?ごめんね・・・。」
悟郎はそう言って苦笑いすると、クルリと踵を返した。
その視線の先にあるのは、少女達を嬲る百足の姿。
「待ってて!!皆・・・!!」
そう言って、悟郎が走り出そうとしたその時、
ザァッ
冷たい風が、彼の脇を通り過ぎた。
「え!?」
驚く悟郎。
彼の目の前に、いつの間に移動したのか、トウハがとおせんぼする様に立っていた。
急な動きのせいだろう。その両手足からは、さっきよりも多量の血が噴き出し、その身体を濡らしていた。
「トウハ!!そんな傷で動いちゃ・・・」
「・・・“あの娘達は全て”・・・か・・・。」
慌てる悟郎の言葉を遮る様に、トウハが言う。
俯いた顔には前髪が垂れ、その表情は見えない。
ただ、その身から漂う冷気が、木枯らしの様に悟郎に吹き付けた。
「・・・そうだよね・・・。“今”のご主人様には、そうだよね・・・。」
小さく囁く様な声。
誰に言うでもなく、呟く。
「でも、許さない・・・。そんなの、許さない・・・。わたし以外の誰かを見るなんて、そんなの許さない・・・。」
その冷気に踊る様に、白い髪がザワザワと鳴る。
「まして・・・」
左腕を押さえる右手の爪がギリリと鳴って、蒼白な肌に新たに朱い跡を残す。
「そいつらの為に命をかけるなんて、絶対に許さない・・・!!」
ざわめく髪がバサリと鳴って、俯いていた顔が上がる。
「それなら・・・それなら、いっそこの場で・・・」
露になったトウハの瞳は、今までにないほど鮮やかな朱色に彩られていた。
その輝きに、悟郎は思わず息を呑む。
「ご主人様・・・」
トウハが、悟郎に向かって右手を上げる。
「・・・忘れさせてあげる・・・今すぐに、全部、忘れさせてあげる・・・!!」
上げた右手から、朱い滴がこぼれる。
シュウ・・・
彼女の血―『純潔の血漿(アートリス=シーラム)』が地面に落ちて、純白の霧を漂わせた。
パア・・・
紅い月の光の中で、黒い羽虫の羽が広がる。
最後の力を振り絞って編み上げられたのであろうそれは、今にも崩れ落ちそうに震えながら、キラキラと黒い燐光を夜風に散らした。
「はあ・・・」
その主である少女―トウハは大きく息をつくと、その瞳を目の前の人間―睦悟郎へと向ける。
「やっと・・・ここまで来た・・・。」
求める姿を朱く燈る灯火に映しながら、トウハは言う。
「永かった・・・。永かったんだよ・・・?ご主人様・・・。」
細い足が力なく、だけどしっかりと地を踏む。
サリサリと引きずる音を立てて、小さな身体が進む。
「本当に・・・本当に永かったんだ・・・。」
朱い瞳と紅い月光。そして血染めの身体。
真紅に染められた世界の中で、トウハはただ悟郎を求める。
まるで、小さな子供が無垢に母親を求める様に。
その身から溢れる冷気。妖気。そして狂気が、佇む悟郎の身体を縛る。
「・・・トウハ・・・」
無意識にこぼした言葉。
それに、トウハが相好を崩す。
「あはは・・・ご主人様が、呼んでくれる・・・。」
まるで、極上の蜜を口にした様に綻ぶ顔。
全ての至福がここにあると言わんばかりに、彼女は両手で胸を押さえる。
「もっと呼んで・・・」
血の気の失せた唇が、言葉を紡ぐ。
「もっと呼んでよ・・・」
甘美な菓子をせがむ様に、トウハは言う。
「そうしてくれても、いい筈だよ・・・?あなたは・・・あなたは・・・」
その言葉が、悟郎の胸をえぐる。
脳裏を過ぎる、“あの日”の記憶。
「あは・・・そんな顔しないで・・・。」
微笑むトウハ。
優しく。
無邪気に。
そして冷たく。
「“あの頃”の、記憶は嫌・・・?」
訊ねる。
「“あの時”の、想いは痛い・・・?」
問いかける。
「なら・・・」
差し出す手。
その掌に溜まった、朱い滴。
純潔の血漿、アートリス=シーラム。
全てを白に帰すそれが、ツウと滑って地面に滴る。
カサリ・・・
それを受けた小さな花が、乾いた音を立てて砂へと還った。
「なら、その記憶も、消してあげる・・・」
否定する。
かつて自分達が紡いだ時さえも、否定する。
そして。
「消してあげるから・・・」
そして、それを代価に。
「“こっち”に、来て・・・」
彼女は悟郎を望む。
何もかもを否定して、ただ“彼”だけを望む。
「トウ、ハ・・・君は・・・」
立ち竦む悟郎。
そんな彼に向かって、トウハは近づく。
ユラユラと揺らめきながら。
幽鬼の様に。
ゆっくりと。
しかし、確実に。
「ご主人様・・・」
白い、けれど朱い両手が、差し伸べられる。
求める様に。
すがる様に。
捕える様に。
「あなたは、わたしのもの・・・」
薄い唇が、言の葉を紡ぐ。
「一緒にいよう・・・」
囁く様に。
「共に在ろう・・・」
呟く様に。
「在り続けよう・・・」
呪う様に。
「この世の全ての命が絶え果てても・・・星の礎が朽ち消えても・・・神の御霊が薄れても・・・。永久の時を・・・わたしと一緒に・・・」
悟郎は動かない。
動けない。
その想いに魅入られた様に、ただ、ただ、立ち竦むだけ―
トウハはもうすぐ目の前。
差し伸べられた手が、頬に触れようと近づいてくる。
「ご主人様―」
血染めの指。
それが、もう少しで顔に触れる。
もう、1cm。
もう、5mm。
「大好きだよ―」
そして、最後の瞬間は、酷くゆっくりと―
「ご主人様、駄目ぇええええっ!!」
ドンッ
叫びとともに響く衝撃音。
「グッ!?」
「――!!」
我に帰った悟郎の目の前で、叫びの主―アユミがトウハと絡まりあって地面に倒れていた。
「アユミ!?トウハ!!」
「来ては駄目です!!」
咄嗟に駆け寄ろうとした悟郎を、アユミの声が制する。
「アカネちゃんが言っていました!!この娘の・・・トウハの血は、ご主人様をご主人様でないものに変えてしまいます!!」
「――!?」
その言葉に、悟郎は戸惑う様に足を止める。
「だから、来ては駄目!!この娘に、触れては駄目です!!」
叫ぶアユミの身体にも、トウハの血は染みていく。
シュウシュウと上がる霧。
ドライアイスを直に抱いた様な、強烈な冷熱感。
魔性の血との拒絶反応か。皮膚が罅割れた様に裂けていく。
その苦痛に喘ぎながら、それでもアユミはトウハの身体を離さない。
「アユミ!!」
「駄目!!」
その様を見とめた悟郎が、二人を引き離す為に近づこうとするも、再びアユミの声に阻まれる。
―と、
「五月蝿い!!黙れ!!」
アユミの下から上がる、もう一つの声。
次の瞬間、
ドスッ
「ウッ!?」
腹部を強烈な衝撃が襲い、アユミはくぐもった悲鳴を上げた。
アユミに組み敷かれたトウハが、その膝で彼女の腹を蹴り上げたのだ。
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!余計な事言うな!!この馬鹿亀!!」
ドスッ ドスッ ドスッ ドスッ
ようやく漕ぎ付けた機会。
それを邪魔された怒りに、トウハは半ば我を忘れてアユミの腹を蹴り続ける。
しかし、アユミは頑として彼女を放さない。
「くっ・・・ご主人・・・様、は、はぐっ・・・渡し、ません・・・!!」
口の中に込み上げる鉄錆の味を飲み下しながら、懸命にトウハを押さえる腕に力を込める。
「五月蝿い五月蝿い五月蝿い!!ご主人様はわたしのなんだ!!わたしだけのものになるんだ!!ここまで来たんだ!!やっと来たんだ!!邪魔するな!!」
もはや悲鳴にも近い叫びを上げながら、トウハも蹴り上げる足に力を込める。
怒りでたがが外れたそれは、さっきまでの衰弱が嘘の様な力でアユミの身体を跳ね上げた。
「もういい!!もう止めてくれ!!」
ついに耐え切れなくなった悟郎が、二人に駆け寄ろうとしたその時―
「いけません。聖者殿。」
「――!!」
背後からかけられた声に思わず振り返った悟郎は、驚きにその目を見開く。
「それをしては、あの娘の思う壺です。それは、今そこで懸命に貴方を守っているアユミさんへの裏切りになります。」
「君は・・・!?」
茫然と呟く悟郎に向かって、“彼”が手をかざす。
途端―
ポゥ・・・
黒い光のドームがあらわれ、悟郎を包み込んだ。
「これは!?」
「結界です。貴方は、ここにいてください。」
そう言うと、“彼”は結界の中で茫然と佇む悟郎を追い越し、ツカツカとトウハとアユミの元へ近づいていった。
ドスッ
「カハッ!!」
何度目かも分からない蹴りに、ついにアユミは地に転がった。
「あ・・・く・・・」
腹を押さえて身を丸め、激痛に身体を震わせる。
その口からは喘ぐ度に、赤いものが溢れ出た。
その傍らで、ユラリと身を起こすトウハ。
朱く燃える目で、アユミを睨みつける。
「・・・こいつ、よくも・・・よくも・・・!!」
血塗れの手がガシリとアユミの襟首を掴み、持ち上げる。
抵抗する力は、最早アユミにはない。
「許さない・・・絶対に、許さない・・・!!」
荒い息をつくトウハの爪が、ギシシッと伸びる。
「アンタなんか、アンタなんか・・・」
月光に鋭く光るそれが向けられるのは、アユミの首筋。
「消えちゃえ!!」
細い首を切り裂こうと、手を振りかざす。
しかし、
ガシッ
それが振り下ろされる寸前、何者かがその手を掴んだ。
「・・・え?」
「消えるのは、貴女の方ですよ。」
ハッと振り仰いだトウハにかけられる、冷ややかな言葉。
と、同時に―
バシンッ
「キャアウッ!!」
高く響く悲鳴。
トウハが事態を理解する前に飛んできた手刀が、彼女の身体をしたたかに打ち据えた。
軽い身体が、軽々と弾き飛ばされて転がる。
「あ・・・」
グラリ
支えを失い、崩れ落ちかけるアユミの身体。
それを、誰かが受け止め支える。
「?・・・ご主人、様・・・?」
霞む視界で、自分を抱き支える者を見上げるアユミ。
「ふふ。この状況で“それ”は、些か傷つきますね。」
苦笑混じりにかけられた声。
「!!」
その声に、アユミの意識は一気に覚醒する。
焦点のあった眼差しに映るのは、常に心で想い描いていた顔。
時に夢にまで見たそれが、アユミに向かって微笑みかけていた。
「間に合いましたね。大丈夫ですか?アユミさん。」
驚きと波打つ鼓動に戦慄きながら、アユミは“彼”の名を呼ぶ。
「シン・・・様・・・?」
その言葉に優しく頷くと、玄武のシンはその指でアユミの口元の血を拭った。
続く
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