さて、月曜日。ライトノベル・「半分の月がのぼる空・二次創作作品掲載の日です。原作を知りたい方はリンクの方へ。
それでは、どうぞ。:
半分の月がのぼる空〈5〉 long long walking under the half-moon (電撃文庫) 新品価格 |
―8―
―リン リン リン―
優しく、力強い鈴の音が、風雪の囁く絶望を散り飛ばしていく様だった。
あたしはただひたすら、目の前を進んでいく黒猫についていった。
その小さな黒い姿は、白一色の世界の中でもよく目立って、激しい風雪の中でも見失わずにすんだ。時折、挫いた左足のせいであたしがもたつくと、黒猫は足を止めてあたしが身体を立て直すのを待ってくれていた。
この時、何だかんだ言ってあたしは冷静さを欠いていたのだろう。いつもなら、気付かない筈はないのに。
前をトコトコと歩く黒猫の小さな身体が、この強い雪嵐の中で微塵とも揺るがない事に。
歩くその足元に、全く足跡が残っていかないことに。黒い身体が黒いまま、ほんの少しの雪も付かない事に。そして何より、目の前にいる黒猫の、あまりにも不自然な在り方に。
たくさんの不自然に気付かないまま・・・ひょっとしたら無意識のうちに気付かない様にしていたのかもしれないけれど・・・あたしはただ黒猫の後をついて行くだけだった。
「う・・く・・・こ・・んの!!」
旅館を威勢よく飛び出したはいいが、そこから幾ばくも進まない内に、僕は雪嵐の猛渦に巻き込まれていた。
叩きつける風雪に目を開けることもままならず、深く積もった雪に足をとられて思う様に進む事も出来ない。微かな後悔が頭を過ぎるが、それを顔にまとわり付く雪と一緒に振り払い、僕はがむしゃらに突き進んだ。
奮闘する事数十分、やっと半ば雪に埋もれかけた立ち入り禁止のロープが見えてきた。
この先に、里香達が雪崩にあった場所がある。僕はロープを乗り越え、その奥へと分け入る。
そして、絶句した。
・・・酷い有様だった。つい数時間前まで、たくさんの木々があった筈のその場所は、今はもう、ただの雪の丘と化していた。所々突き出している木の枝が、辛うじてその場所がかつては林であった名残を残していた。
こんな所に、里香は・・・。
一瞬で脳内を満たした絶望感に、軽い目眩すら覚えた。
あの里香の小さな身体が、こんな馬鹿げた猛威に巻き込まれて耐えられる筈がない。よしんば、巻き込まれるのを免れていたとしても、その衝撃に里香の心臓は耐えられるだろうか。それに・・・
「う・・うわぁあああああ!!」
脳裏を駆け巡る幾つもの不吉な考えを振り払う様に、僕は大声を上げて雪丘へと飛び込んだ。
「里香!!何処だ!!里香!!返事しろー!!!」
胸まで埋まる雪を掻き分けながら、僕は夢中で雪をかき分けまくった。
白だった。どれだけ掘っても、何処まで掘っても、ただ延々と白い色だけが目に飛び込んでくるばかりだった。
里香の濡れ羽の様な綺麗な黒髪も、可愛いピンク色のダウンジャケットも、見つからなかった。
「里香!!里香!!里香―!!!」
ぼくは、半狂乱になって雪の中を探り回った。
―ねぇ。
低く唸る吹雪の音も、自分が掻き分ける雪の音も、聞こえなかった。
―ねぇってば。
止まれば、心の底から染み出す絶望に沈んでしまう。僕はただ、喚き散らしながら雪を掻きまくった。
―あのね、
雪を掻く手がかじかんで動かなくなってきた。それでも掻いた。寒気がジャケットに滲みこみ、振るえが止まらなくなってきた。それでも掘った。
―それ以上行くと、
いつの間にか僕は泣いていた。鼻水が出て、歯がガチガチなって、顔が強張ってきた。酷い顔だ。きっと、里香が見たら笑うだろう。それでも良かった。嘲笑でも、呆れ声でも良かった。
(そんな顔して、何やってんの?馬鹿裕一。)
聞きたかった。里香の声が聞きたかった。だから、それを邪魔する雪の音も、風の音も、掻き消そうと喚いた。夢中で喚きまくった。
だから―
―落ちるんだけど―
自分の足が踏み抜いた雪の下に、地面がない事に気がついたのは、身体が宙に舞った後だった。
「小屋・・だ・・・!!」
どれだけの距離を歩いたのだろう。
酷く長く歩いたような気もすれば、あっという間だったような気もする。
とにかく、黒猫の後を追い続けたあたしの前に現れたのは、半分雪に埋もれた、板張りの掘っ建て小屋だった。
―リン―
黒猫が小屋の戸の前で促す。あたしは最後の力を振り絞って戸の取っ手に手をかける。だけど、凍りついたそれはなかなか開かない。
「開け、この馬鹿!!」
悪態をつきながら、渾身の力を込めると、バリッという音を立てて戸が開いた。
「やっ・・た!!」
あたしはそのまま、倒れ込むようにして小屋の中に転がり込んだ。
「はぁ、はぁ、は・・・ぁ・・・」
小屋の床に背倒れたまま、乱れた息を整える。少し、左胸の辺りが疼いた様な気がしたけど、気付かないふりをした。
バタン
突然そんな音が響いて、吹き込む風が止んだ。
首だけを動かして見ると、黒猫が自分の身体で戸を押して閉めた所だった。
「あなた・・・変な・・猫・・・だね・・・。まるで・・にん・・げ・・・ん、み、たい・・・。」
黒猫がゆっくりと近寄ってくるのを視界の端に見止めながら、あたしの意識は深い闇に落ちていった。
―気が付くと、僕は大の字で雪の中に埋まっていた。どうやら崖から落ちたらしい。下が雪で助かった。ホッとすると同時に、情けなさが込み上げてきた。
司にあんなにかっこつけて出てきたくせに、いざとなったらこの有様だ。
知らずの内に、また涙があふれてきた。こんな事じゃ、里香を助けるなんて出来っこない。・・・いや、こんな嵐と雪崩の中で、里香が生きてる筈だってありゃしない。必死に押さえつけていた絶望が、ついにあふれ出した。
何時しか、僕は声を上げて泣いていた。もう終わりだ。お終いだ。いっそこのまま、雪に埋まって、里香の所へ行こう。僕がそう思ったその時―
「諦めるの?」
不意に響いたその声が、僕の嗚咽をさえぎった。
続く