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2013年04月05日

十三月の翼・35(天使のしっぽ・二次創作作品)







 はい。みなさん、こんばんは。
 「天使のしっぽ」の二次創作掲載の日です。
 例によってヤンデレ、厨二病、メアリー・スー注意。



イラスト提供=M/Y/D/S動物のイラスト集。転載不可。

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                    三上山の怪


 その昔、近江国瀬田の唐橋に大蛇が横たわるという怪異があった。
 人々は怖れて橋を渡れずにいたが、そこを通りかかった俵藤太なる武将が、臆することなく大蛇を踏みつけ橋を渡ってしまった。
 その夜、美しい娘が藤太を訪ねる。
 娘は、自分は琵琶湖に住む龍神の一族の者で、昼間貴殿が踏みつけた大蛇は自分が姿を変えたものであったと告げる。
 彼女は、訴える。
 三上山に住まう妖(あやかし)が、仲間の竜神を獲って喰らうので困っていると。
 そして、貴殿の勇猛さを見込んで頼みがあるという。
 それは、藤太の手で件の妖を討ってほしいとの懇願であった。



                      ―妖禍―


 カチカチ・・・カチカチカチカチカチ・・・
 昏い夜天。
 紅い月明かりの差し込む中に、無機質な音が響き渡る。
 広い公園いっぱいに伸びて、なお余るほどに長大な身体。
 それを覆うのは、鈍く輝く暗緑色の甲殻。
 幾つもの節に別れたそこからは、これまた無数の橙色の節足が伸び、カシャカシャと乾いた音を立てて蠢いている。
 太く、巨大な首が掲げる頭は鮮やかな朱色。そこから生えた2本の触角はヒュンヒュンと鞭の様に空を切り、鋭い切っ先を光らせる顎(あぎと)があのカチカチと言う音を上げて軋み合う。
 濁った金色に輝く双眼はその眼光を爛々と落とし、地に立ち竦む獲物達を値踏みするかの様に見回していた。
 「あ・・ああ・・・」
 モモが、脱力した様に腰からペタリと地面に崩れ落ちる。
 他の面々も、恐怖と畏怖に絶句しながら、竦み立つより他に術がない。
 「な・・・何よ・・・“これ”・・・」
 ミカの言葉は、皆の言葉。
 「む・・・百足・・・?」
 “それ”を茫然と見上げながら、ランが呟く。
 そう。
 それと言うにはあまりにも巨大で、それと認めるにはあまりにも禍々しくはあれど、其が姿はそれとしか言い様のないもの。
 正しくそれは、百の足を持つ毒虫の王。
 「じょ、冗談言わないでよ・・・!!こんな大きさの百足なんて・・・!!」
 震える声で否定の言葉を求めるツバサ。
 しかし、それに答えたのは甲高く響く笑い声。
 「アハハハハハハハハ、ハハ、ハハハハハ!!」
 そびえる鎌首の傍らで、声の主―トウハが嬌声を上げていた。
 「驚いてる驚いてる!!」
 皆の視線が集まる中、悪戯が成功した子供の様に笑い転げる。
 「知らないの!?知らないんだ!?アハハ、本当に何も知らないんだから!!あんた達ってば!!」
 少女達の無知を嘲笑いながら、彼女は大仰に両手を広げる。
 「いいよ!!知らないなら、教えてあげる!!」
 叫ぶ様に上げる声。
 広げた両手から血がしぶき、周囲に朱い華を咲かせた。
 
 「―さても皆様お立合い!!今宵この場に呼び出したるは、古事記、延喜式に詠われし、近江は三上の山の大百足!!其が山を七巻半に座しまして、琵琶の竜宮の龍神を、獲っては喰いたる大化生!!紛い謀り此に非ず、正真正銘本身なり!!御用とお急ぎのない向きは、とくと見ていらっしゃい!!」

 浪々と語られる口上。
 それを聞いたユキが、顔色を変える。
 「『三上山の大百足』・・・!?まさか!!」
 「アハハハハハ、そう!!そのまさか!!」
 そんなユキの動揺を酷く愉快げに眺めながら、トウハはケタケタと笑い転げる。
 「そんな・・・”それ”は既に討伐されている筈・・・!!」
 「そうだよ。」
 ケタケタ ケタケタ
 禍々しく響く、狂姫の声。
 それに踊る様に、百足がユラユラと頭を揺らす。
 「討伐されて、封印されてたよ。けどね・・・」
 ニヤリ
 壊れた笑みが、さらに歪に歪む。
 「起こしちゃった。」
 ペロリ
 そう言って、舌を出す。
 「・・・・・・!!」
 その様を、ユキは信じられない気持ちで見ていた。
 ―三上山の大百足―
 今、目の前にいるものが、その言葉通りの存在であるならば―
 それの封印を解くなど、あまりにも常軌を逸した所業。
 文字通り、”正気の沙汰ではない”と言える程に。
 どんな事にも、超えることの出来ない一線というものがある。
 大百足(これ)は、まさにその一線の向こうにあるモノ。
 それに、この娘は手を出したという。
 引かれた線を、あっさりと乗り越えて。
 それが何を意味するか。
 己の許容を逸した、力。
 手綱を握る事の敵わぬ、暴威。
 自分をも巻き込むやもしれない、災厄。
 それが、もたらす結果。
 賢しいこの娘が、理解しない筈はない。
 知った上で、手を出したのだ。
 悪寒が、背筋を走る。
 杖を持つ手が、汗でぬめる。
 ユキは、今更の様に思い知った。
 目の前の少女の、想いの強さを。
 それが孕む、闇の深さを。
 「アハハハハハ、その顔、最っ高!!」
 絶句するユキを見て、トウハはますます笑い声を高くする。
 「見て見て!!昔は山を七巻半するくらい大きかったのに。千年も封じられてたもんだから、すっかりサイズが小さくなっちゃって。」
 笑いながら、ペシャペシャと湿った音を立てて百足を叩く。 
 「まぁ、代わりに物分りは大分良くなってたけどさぁ。」
 「も・・・物分りって、何さ・・・?」
 震える唇で、ツバサが訊ねる。
 「何って・・・」
 その問いに、トウハは笑みを浮かべたまま小首を傾げる。
 「あんた達、何でわたしがこの子の事起こしたと思ってるの?」
 「な・・・何でって・・・」
 「そりゃ・・・」
 投げ返される問い。
 皆が、二の句に詰まる。
 「分かるよね?」
 「・・・・・・。」
 答える声はない。
 「決まってるよね。」
 それに構わず、トウハは続ける。
 「約束したの。封印(ここ)から出してあげる。だから・・・」
 トウハの手が、百足の身体に血を塗りたくる。
 まるで、契約の証印を刻む様に。
 ゴクリ
 誰かが飲み込んだ唾の音。
 それが、やたらと大きく響く。
 「わたしが頼んだら・・・」
 ジリ・・・
 皆が、無言で後ずさる。
 「邪魔者を・・・」
 ジリ・・・ジリ・・・
 一歩。
 また一歩。
 後ずさる。
 ツ・・・
 朱い糸を引いて、血染めの手が百足から離れる。
 そして―
 「掃除してって―」
 「皆さん、逃げて!!」
 重なる、トウハとユキの声。
 次の瞬間―
 ゴゥッ
 中空で、ユラユラと揺れていた百足の頭。
 それが、凄まじい勢いで動く。
 その巨体からは考えられない速度。
 皆は動かない。
 動けない。
 威圧。
 恐怖。
 混乱。
 その全てが、彼女達の足を縛り止める。
 「――くっ!!」
 それを察したユキが動く。
 「皆さん、私の後ろへ!!」
 杖の宝珠が輝き、光の壁を作る。
 防御結界。
 しかし―
 キィカァアアアアアアアアッ
 その光を厭うでもなく、その結界を煩わしがるでもなく、百足の顎(あぎと)は真っ直ぐにユキへと向かう。
 「――!!」
 ガシィイイイイイイイッ
 一瞬の後には、その牙は結界の半ばにまで易々と埋まっていた。
 驚きに目を見開くユキ。
 百足の複眼が、間近から彼女を映す。
 濁った金色。
 ユキの額を、冷たい汗が滑り落ちる。
 百足が見ていた。
 ユキを。
 彼女を。
 神としてではなく。
 まして女としてでもなく。
 ただの、“餌”として。
 ユキの肌を、再度冷たい汗が滑る。
 幾度となく身体を走る、例え様もない怖気と悪寒。
 その感覚に、彼女は覚えがあった。
 それは、メガミとして神位を得る前。
 守護天使として転生する、もっと前。
 彼女がまだ力ない、一匹の蛇であった頃の記憶。
 這いずる地から、空を飛ぶ鳶の視線を感じた時。
 丸まる寝床で、走る鼬の匂いを感じた時。
 その際に感じた、怖気と悪寒。
 そう。
 それは、“喰われる”事への恐怖。
 絶対的な、捕食者に対する畏怖。
 ―天敵―
 その言葉が、脳裏を過ぎる。
 喰う者。
 喰われる者。
 自然界における、単純明快にして絶対の摂理。
 それが今、メガミとなり、その理環から外れた筈の彼女を再び支配していた。
 キシィイイイ・・・
 濁った金色が瞬く。
 まるで、舌なめずりする様に。
 そして―
 ガキャァアアアンッ
 「アウッ!!」
 百足が頭を一閃。
 その一撃で、ユキの身体は結界ごと、木っ端の様に弾き飛ばされていた。
 「―ユキさん!?」
 その様を見た皆が、いっせいに叫びを上げる。
 ズザザザザザザザッ
 飛ばされ、地に落ちたユキを追って、百足の頭が走る。
 閃く牙。
 「くっ!!」
 一瞬の差で、ユキが再び結界を張る。
 しかし、結果は同じ。
 再び結界ごと跳ね上げられ、宙を舞う。
 「ユ、ユキさん!!」
 「そ、そんな!!」
 ズザザザッ
 叫ぶ皆の声を置き去りにして、暗緑色の身体がうねる。
 千切れ舞う神衣。
 響く悲鳴。
 嘲る様に軋る、牙の音。
 それに、皆は耐えられず耳を塞ぐ。
 ―信じられなかった。
 ユキが。
 メガミが。
 まるで無力な少女の様に弄ばれている。
 その事が、皆には信じられなかった。
 否、信じたくなかった。
 こんな事、あっていい筈がない。
 こんな事が― 
 「アハハハハハ、あんた達、また人の話聞いてなかったでしょう!?」
 そんな皆の茫然の態を破ったのは、トウハの声。
 「言ったじゃない?大百足(あの子)はね、龍を喰うんだよ!!」
 「龍を・・・」
 「喰う・・・?」
 何人かが、訳が分からぬままに繰り返す。
 龍とは鱗を持つ動物の王にして、最高位の霊獣にして神獣。
 生半可な力が及ぶ存在ではない。
 それを獲って食らうなど、元が動物の皆にはにわかには信じがたい話だった。
 しかし―
 「龍って・・・まさか・・・」
 不意に響いた声に、幾人かが振り返る。
 その視線の先にいたのはアユミ。
 彼女は目を見開き、血の気の失せた顔でわなわなと震えていた。
 「ユキさんは・・・ユキさんは・・・」
 戦慄く唇から漏れる声。
 「アハハハハハハハハ!!」
 皆がその意味を悟る前に響く、絹を裂く様な哄笑。 
 「そうだよ!!大当たり!!」
 トウハが満面の笑みを浮かべ、パチパチと手を叩いていた。
 「知ってるよ!!あいつは、メガミは龍の眷属なんだってねぇ!!当然、あの子の大好物って訳だ!!」
 「――!!」
 その言葉に、皆の顔からも血の気が下がる。 
 「あなた・・・あなた、その為に!?」
 「言ったでしょ!?“仕込み”は万全だって!!」
 アユミの叫びにそう答え、トウハはまたケタケタと笑った。
 

 ガギキキィンッ
 白銀の刃が、暗緑色の外殻に弾かれる。
 「クゥッ!!」 
 痺れる手から剣を落とし、アカネが呻く。
 「トウハ(この)身体でも歯が立たないのか!?」
 判断は一瞬。
 次の瞬間、彼女は相方に向かって叫ぶ。
 「ミドリ!!」 
 「は、はいれす!!」
 「もう一度変化だ!!」
 その言葉に、ミドリは仰天する。
 「む、無茶れすよ!!そんな難しい変化してる時に、もっと変化を重ねたりしたらアカネさんの身体が・・・!!」
 「構わない!!」
 アカネの手が、ミドリの手を握る。
 「頼む!!」
 「わ・・・分かったれす!!」
 頷くミドリ。
 そして、
 ドロンッ
 湧き立った煙の中から現れるのは、鈍色の砲台。
 それは、先刻トウハを吹き飛ばした大砲。
 ギリギリ・・・
 その砲口が、ユキを嬲る百足の頭へと向けられる。
 射程は充分。
 動く百足の頭に、照準が合わさる。
 次の瞬間―
 ドコンッ
 響く砲声。
 ドゴォンッ
 飛び出した砲弾は、過たず百足の頭部に命中する。
 「当たった!!」
 「やった!?」
 自分達の持ち札の中では、ほぼ最強の攻め手。
 それの炸裂。
 その事に、一瞬皆が沸き立つ。
 しかし―
 たなびく煙。
 その中から、ゆっくりと現れる百足の頭。
 鈍く光るその甲殻には、髪の毛一筋の傷すらついていない。
 「む・・・無傷・・・!?」
 「そんな・・・!!」
 皆の口から漏れる、絶望の声。
 それを他所に、百足は邪魔者に鬱陶しげな視線を向ける。
 キィイイイ・・・
 次の瞬間―
 ヒュンッ
 長大な鞭の様な二本の尾が一閃し、アカネとミドリの化けた大砲を薙ぎ払った。
 ゴガァッ
 大きな音と共に、大砲が弾き飛ばされる。
 「うみゃあーっ!!」
 「うぁっ!!」
 変化の解けたアカネとミドリの身体が、宙に舞う。
 「アカネちゃん!!ミドリちゃん!!」
 「アハハハ、無駄な事はやめたら?」
 叫ぶアユミの声に、トウハの嘲笑が被さる。
 「メガミが敵わないんだよ?守護天使(あんた達)の力なんか、通じる筈ないじゃん?」
 そう言って笑うトウハを、ギッとアユミが睨む。
 「あなたは、一体何を考えているんです!!あんなものをこのままにしていたら、わたくし達どころか、この町の、関係ない方々までただでは済まないではありませんか!!」
 いつもの彼女からは考えられない様な怒声が、その口を震わせた。
 ―そう。
 大百足の所業が、これだけで終わるとは限らなかった。
 ユキ一人を喰らった所で、アユミ達全員を呑み込んだ所で、千年もの飢えと乾きが満たされるとは思えない。
 ならば、次にかの者がその牙を向けるのは何か。
 答えは、明白だった。
 「あなたは、自分の・・・わたくし達の争いに、関係のない人間や動物達まで巻き込むつもりですか!?」
 その言葉に、トウハの顔から笑みが消える。
 「・・・もう、やめてください・・・!!」
 「・・・・・・。」
 懇願にも似たアユミの声に、しかしトウハは答えない。
 「あなたが望むなら、メガミ様には・・・ユキさんの力にはわたくし達も、もう頼りません!!」
 血の滲む覚悟で、アユミは言う。
 そう。
 巻き込む訳にはいかないのだ。
 たとえ、悟郎のためとはいえ。
 自分達の戦いに。
 この街の人々を。
 この街に住まう動物達を
 関係ない、無辜の命を。
 巻き込む事など、あってはいけないのだ。
 「・・・・・・。」
 「だから、早くあの化物を鎮めなさい!!そして、もう一度、正々堂々とわたくし達と勝負を!!」
 「・・・・・・。」
 「あなたもわたくし達も、もう満身創痍。条件は同じ筈です!!だから、だから―」 
 必死の思いで語りかけるアユミ。
 しかし―
 「それ、無理。」
 あっさりと返された答えに、アユミは言葉を失う。
 「わたしの事、良い様に曲解してない?わたしが関係ない人間に手を出さないってのは、単に興味がないってだけの話。人間自体がどうなろうかは、知ったこっちゃない。それと―」
 トウハはちらりと、暴れる百足を見る。
 「わたしはあの子と主従関係にある訳じゃない。ただ、契約を交わしあっただけの仲。同等なの。」
 表情の消えた顔で、トウハは淡々と語る。
 「わたしにはあの子を止める権限もなければ、力もない。まして―」
 そう言って、トウハはズタズタになった両の手を晒す。
 「こうなっちゃあ、なおさら。」
 その言葉に、アユミはワナワナと震える。
 「あなたは・・・それを分かってて・・・!!」
 怒りに燃えるアユミの視線に晒されながら、トウハは大きな溜息をつく。
 「あんた達のせいだよ・・・。」
 「え・・・?」 
 「・・・あの子は、”保険”・・・。ご主人様さえ首尾よく手に入れば、メガミさえ出し抜ければ、あの子の出番はそのままお流れにするつもりだった・・・。だけど・・・。」
 そう言って、トウハはその指をアユミに向ける。
 「それが、出来なかった・・・。」
 そして、もう一度大きな溜息。 
 「認めてあげるよ・・・。正しく、確かに、あんた達は手強かった・・・。」
 その声音に、少なからず悔しげな色が浮かぶ。
 「お陰でメガミを出し抜く事も、早々にご主人様を手にする事も出来なかった・・・。」
 アユミを指していた手が、ポトンと落ちる。
 まるで、そうしている事すらも、苦痛であると言わんばかりに。
 「正直に言おうか・・・?もうわたしに力はない・・・。術を使う魔力も、あんた達を捻る膂力も、ろくに残ってない・・・。」 
 そう。
 正しく、トウハは追い詰められていた。
 見る影もなくなった様相が。
 生気の抜け切った身体が。
 その事を如実に表していた。
 しかし、それでもトウハは言う。
 「でもね、それでもわたしは、ご主人様を諦めるなんて出来ないの・・・。ありえないの・・・。」
 力なく沈んでいた目に、再び朱い光が灯る。
 「だから、もう手段は選ばない・・・。選べない・・・。どんな事をしても、もう終わりにする・・・。“これ”は本当に、本当に最後の手・・・。」
 ボロボロの身体が、ゆっくりと立ち上がる。
 ポタポタと落ちる朱い滴が、白い霧を漂わせ、地面を黒く氷割れさせる。
 全てが輝きを失った中で、そこだけは爛々と輝く目が、アユミを、そして皆を見回す。
 「覚悟して。メガミの次はあなた達の番・・・。そしてあなた達がいなくなれば・・・」
 薄い唇が、荒い息をつきながら、ゆっくりと三日月の形に歪んでいく。
 そして―
 「今度こそ、ご主人様はわたしのもの―」
 トウハはその顔に、凄絶な笑みを浮かべた。


 ドサァッ
 「あぐっ!!」
 か細い身体が地面に叩きつけられ、ユキは何度目かも知れない苦痛の声を上げた。
 最初の一撃以降、大百足は延々とユキを嬲り続けていた。
 一思いに噛み砕くでもなく。
 緩々としゃぶり尽くすでもなく。
 いつまでも。いつまでも。
 口を付ける事なく、弄び続けていた。
 まるで獲物を捕えた猫が、それを玩具にする様に。
 その様は、千年振りに手中にした極上の獲物を、その苦しみ、絶望、悲しみに至るまで、余す事無く味わおうとしている様だった。
 「あ・・・くぅ・・・」
 地の上で身体を震わせながら、ユキは呻く。
 散々に弄ばれ、見るも痛ましくボロボロになった身体。
 シュル シュル シュル
 すでに身動きする事もままならなくなったその身を、百足の触角が撫で擦る。
 それが、料理の出来具合を確認する、最後の所作だったのだろう。
 キパァ・・・
 百足はその大顎を開くと、器用にユキの身体を摘み上げる。
 そしてそれを、皆に見せ付けるかのように空中高く掲げ上げた。
 大顎の奥に見えるのは、キチキチと左右に開閉する百足の口。
 それが、いよいよユキの身を噛み砕こうと、大きく開いてゆく。
 霞むユキの目に、為す術もなくこちらを見上げる皆の姿が映った。
 (御主人様・・・皆さん・・・ごめんなさい・・・)
 その瞳から、こぼれ落ちる涙。
 それを、ガパリと開いた百足の口が受ける。
 口内を満たす食前酒の馥郁たる美香に、百足はその身を震わせた。
 もはや待ち切れぬと言わんばかりに、ユキの身体を支える大顎の力が緩んでいく。
 そして、今にもその身体が百足の口内に落ちんとしたその時―
 カツン
 衝撃というにはあまりにも小さな音が、辺りに響いた。
 カツン
 カツン
 か細く、けれど続けて鳴り響くその音。
 それは―
 「このおばけー!!ユキねえたんいじめたら、だめなんらぉー!!」
 絶望の沈黙の中に響く、幼い声。
 「ルル(ちゃん)!?」
 皆の驚きの声が、その主の名を唱和する。
 いつの間に近づいたのだろう。
 百足の鎌首の下までたどり着いた彼女は、土埃に塗れた顔にいっぱいの涙を溜めながら、足元の小石を拾ってはそれを百足に投げ付けていた。
 カツン
 カツン
 幾つもの小石が、立て続けに百足に当たり、か細い音を立てる。
 当の百足にとって、そんなものは何の痛痒にもなり得ないに違いなかった。
 しかし、彼はその行為を自分の愉悦を邪魔する、不遜なるものととらえた。
 金色の目が、不機嫌そうに明滅する。
 それを見てとったユキが、最後の力を振り絞って叫ぶ。
 「いけません・・・!!逃げて・・・!!」
 しかし―
 ペッ
 百足の大顎が、ユキを放す。
 ドサッ
 「ウッ!!」
 そのまま地面に落下し、声を上げるユキ。
 そんな彼女を尻目に、百足はシュルシュルとその鎌首をルルに向かって下ろしていく。
 先ほどからの立て続けの横槍に、いい加減腹を据えかねたのかもしれない。
 己の楽しみを邪魔された怒りをそのままに、百足はその顎(あぎと)をルルへと向ける。
 「だ・・・駄目・・・!!」
 必死で呼びかけ、手を伸ばすユキ。
 しかし、その叫びは届かない。
 自分に向かって開かれた、巨大な顎(あぎと)。
 それを前に、ルルは動けない。
 「あ・・・あぅ・・・」
 目の前に迫る恐怖と戦うには、彼女はあまりにも幼すぎた。
 すくんだ足を叱咤する術もないまま、立ち尽くす。
 シャアッ
 鋭く響く、攻撃音。
 百足が、その大顎をルルに向かって突き放つ。
 響き渡る悲鳴。
 皆が、思わず目を瞑る。
 しかしその時―
 「ルルーッ!!」
 凛とした声が響き、誰かの腕がルルの小さな身体を抱き取った。
 皆がハッと目を上げる。
 「ツバサちゃん!?」
 そう。声の主はツバサ。
 彼女は持ち前の運動神経で行く手を阻む百足の身体を乗り越え、ルルの元へと駆けつけたのだ。
 ツバサはルルを抱き締め、身をかわそうと試みる。
 けれど、それもそこまで。
 百足の動きは、ツバサのそれを持ってしてもなお速かった。
 「うわぁあああああっ!?」
 グガガガガッ
 ツバサとルルの姿が、突っ込んでくる百足の頭に巻き込まれる。
 もうもうと立ち込める土煙。
 「――っ!!ツバサちゃん!!ルルちゃーん!!」
 ランの叫び声が、夜の空に虚しく響き渡った。



                                       続く                                    
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