はい、皆様方、おはこんばんちわ。土斑猫です。さて、新年の第一陣を勤めるのはライトノベル・「半分の月がのぼる空」です。原作を知りたい方はリンクの方へ。
それでは、どうぞ。:
半分の月がのぼる空〈4〉 grabbing at the half-moon (電撃文庫) 新品価格 |
―6―
あたしは「白」の中にいた。
上も、下も。右も左もない「白」の中。
何も考えられない。思考も白。
気だるい。意識も、深い白の中へと沈んでいく。
このまま、全てを委ねてしまおうか。
そう思ったその時―
・・・て
何かが、聞こえた様な気がした。
・・・きて
それが、人の声だと理解するのに、数秒の間を要した。
・・・起きて
誰の声だろう。聞き覚えのない、女の子の声。
・・・起きて。
幼いのに、妙に大人びた、不思議な声。呼びかけている。あたしに。
起きて。
ああ、うるさいな。あたしは眠いのに。
起きて。じゃないと―
煩わしい。放って置いてほしい。そう思ったその時、
――リン
鋭く響く、鈴の音。
―――!!
それに耳を打たれ、白に溶けかけていた意識が引き戻される。
我に返るその瞬間、風に踊るまっ白い衣が見えた気がした。
「・・・・・・あ・・れ・・・?」
気付けば、そこには誰もいない。
「う・・・。」
半ば雪に埋もれていた身体を起こす。
夢だったのだろうか。そのわりには、頭に響いた声や鈴の音は、妙にはっきりと耳に残っているのだけれど。
ビュウゥウ―――ッ
「――っ!!」
突然背後から吹き付けた、氷雪混じりの風。その痛い程の冷感に、思わず身体がすくみ上がる。
何で自分がここにいるのか。どうしてこんな事になっているのか。
寒さで鈍る思考を叱咤して考える。
そうか、あたしは雪崩に―
自分の身体をかき抱いて、叩きつける雪に目を細めながら上を見上げると、大きくせり出した岩が見えた。
運が良かったのだろう。雪崩に巻き込まれるのではなく、弾き飛ばされた事。落ちたその先が深く雪の積もった場所であった事。せり出した岩が雪崩落ちてくる雪を防いでくれた事。そして何より、こんな非常事態に、この継ぎ接ぎの心臓がもってくれた事。
どれか一つでも欠ければ、恐らくあたしの命はなかった筈だ。
死ぬ筈の場所で生き残った。それなら、あたしはまだ生きられる。
かじかみかける身体を、無理無理に雪の中から起き上がらせた。こんな場所にいれば、どの道凍死しかない。そうなる前に、せめて雪風をしのげる場所を探さなければ。
何とか立ち上がった時、左足首に鈍い痛みが走った。どうやら、挫いているらしい。でも、それが何だというのだろう。あんな事に巻き込まれて、これだけで済んだのだから、むしろ幸運というものだ。出来るだけ考えをポジティブに保ちながら、痛む足を引きずって歩き出す。
そういえば、加奈と千恵はどうなっただろう。ふとそんな事を思って空を見た。鈍く響く音を響かせながら、無数の雪を吐き出している、厚い、厚い、くすんだ闇色の雲。
「裕、一」。
無意識にその名を口にしていた。一筋だけ流れた涙は、風にさらわれ、あっという間に闇にきえた。
月は、見えなかった。
その時―
――リン
「!?」
重い風音を裂いて突然響いた鈴の音。
思わず目を向ける。
今度は夢なんかじゃない。
いつの間にか、目の前に一匹の黒猫がいた。
鈴の音は、その黒猫の首輪についている大きな鈴から鳴っていた。
「こんな・・所に・・・何で?」
黒猫はチョコンと座って、しばらくジッとあたしの方を見ていたけど、やがてきびすを返すと吹雪の中を歩き出した。
その時、確かに猫があたしを一瞥した。そして、真っ直ぐに立てた尻尾をパタパタと動かす。
「・・・ついて来いって、いうの?」
黒猫は「そうだ」とでも言う様に尻尾を一度、大きく振って吹雪の中を歩き出した。
強い風にビクともしないその足取りに導かれる様に、あたしもゆっくりと歩き出した。
―7―
消灯時間が過ぎて館内が静まりかえるのを待つと、僕はガサゴソと動き出した。
防寒着を着込み、その中に入るだけの懐炉を詰め込む。リュックの中に旅館のマッチや懐中電灯、それにお菓子をありったけ放り込む。
それを背負うと、同室の連中が起きない様にそっと部屋の戸を開け、足音を忍ばせて廊下に出る。階段の下り口にさしかかると、階下でガヤガヤと人の声がしていた。多分先生や救助隊の人がまだ起きているのだろう。僕はそのまま階段を通り過ぎると、廊下の端にある非常口に向かった。
僕が非常口の戸に手をかけた時―
「裕一・・・。」
突然かけられた声に顔を青くして振り返ると、そこに立っていたのは司だった。
とりあえずホッとしていると、司が声をかけてきた。
「・・・行くんだね。」
「ああ・・・。」
司は黙って、僕の手を取ると、その大きな手を僕の掌に乗せた。その手が退けられた後、僕の掌の上にはカロリーメイトの箱が二つ、乗せられていた。
「気をつけて・・・。」
「おぅ。」
それだけで良かった。
司は行けない。司が来れば、当然みゆきも行くと言うに決まっている。そんな事をしても、死ぬかもしれない人間が増えるだけだ。里香は僕が守ると誓った。だから、僕だけでいい。
ありがとな。
僕は泣きそうな顔をしている司に、出来るだけ明るい顔でそう言って非常口の戸を開けた。途端―
ビユゥゴォオオオッ
物凄い雪嵐に顔を打たれて、僕は思わず目を瞑った。手探りで戸を閉めると、目を薄目に明けた。
―真っ黒い闇の中に、叩きつける様な風雪が狂った様に渦巻いていた。
あいかわらず、月は見えない。
「・・・里香・・・。」
僕は一言だけ彼女の名前を呼び、そして闇の中に足を踏み出した―
続く