水曜日、学校の怪談SS再開です。
学怪が終わった直後に書いた話で、学怪の最終話をしってる前提で書いてますので、知らない方には分かりにくい展開だと思うのでご承知ください。
よく知りたいと思う方は例の如くリンクの方へ。
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その10・対価
―薄暗い部屋の中、わたし達はただ呆然と座り込んでいた。
わたしの腕の中には、“そいつ”がいる。
確かに感じる、その存在。
だけど、紙の様に軽い身体は身動き一つしない。
ただ昏々と、眠り続けるだけ。
黒い毛皮を撫でながら、わたしは語りかける。
「あんた・・・馬鹿だね。何でそんな無理したのよ・・・。」
黒い耳に口を寄せ、囁く様に呟く。
「いつも言ってたじゃない。わたし達は敵だって・・・。こんな身体に押し込めた、憎い連中だって・・・。なのに、なんでこんな無理したのよ・・・?」
囁く言葉は、だけど受け取られる事なく、闇の中へと溶けていく。
「考えてみりゃあ、あんた、いつもそうだったよね・・・。あたし達に何か起きる度に、身体はって、怪我をして・・・。」
黒い毛皮の上に、雫が一つ落ちる。
「訳分かんないよ・・・。あんた、どうして・・・訳分かんないよ・・・。」
堪えきれない。わたしは天邪鬼の身体に顔を埋めて、泣いた。
冷たい、夜の匂いの中で、声も殺さずに泣いた。
傍らでは敬一郎はやっぱり、膝に顔を埋めて泣いていた。
薄暗い闇の中に、わたし達の泣き声だけが、響いては消えていった。
「・・・何を泣いておる・・・?」
不意に響いてきた声。だけど、わたしは驚かない。わたし達の常識が通じないこの世界で、この程度驚くような事じゃない。わたしの感覚は、もうとっくに麻痺していた。
いつの間にか、わたし達の傍らには澎侯が座っていた。
「・・・何を泣いておる?」
もう一度、優しい声で澎侯が訊いて来る。
わたしは天邪鬼の身体に顔を埋めたまま、呟く様に答えた。
「あのね、こいつ・・・もう目を覚まさないんだって・・・。」
「・・・。」
「さっき、目玉のお化けが教えてくれたの・・・。こいつ、わたし達を助けるために妖気使っちゃって、空っぽになっちゃったんだって・・・。」
言いながら、天邪鬼の身体を撫ぜる。黒く艶やかな毛が、サラサラと音を立てながら指の間を流れていった。
「どうしてかな・・・?」
わたしは誰ともなく尋ねる。
「どうしてこいつ、そんな事をしたのかな・・・?」
澎侯は何も答えずに、ただわたしの言葉に耳を傾けている。
「わたしね、こいつの事、ずっと邪魔にしてたんだ・・・。大事なカーヤの事、乗っ取ったって言って・・・。逢魔の時だって・・・こいつ、自分が自由になるためにカーヤをって・・・」
「・・・。」
「最低だよね。わたし、信じてなかったんだよ・・・。こいつの事・・・信じてなかったんだ・・・。」
わたしはもう一度、天邪鬼をギュッと抱き締める。
「なのに・・・何で・・・何でこいつ・・・」
「・・・覚えておるか?」
「・・・え?」
急にかけられた言葉に、わたしは戸惑う。
「こやつが最後に遺した言葉よ。覚えておるか?」
あの時、あの瞬間、天邪鬼が遺した言葉・・・。
「ありがと・・・よ?」
わたしの答えに、澎侯が頷く。
「では、その言葉の意味は、分かっておいでか?」
「意味・・・?」
「ええ。意味です。」
訳が分からないわたしに、今度は別の方向から声がかかる。
その声にも覚えがある。
振り返れば、古椿の少女が立っていた。
「・・・どういう事?」
わたしが問うと、少女はスルスルと近づいてきて、天邪鬼の頭を撫でた。
「この方がこうなったのは、確かにあなた方を守ったが故ですが、その事、この方は決して後悔はしてはおりませんよ。」
「・・・どうして?」
「この方は対価を払ったのです。あなた方から頂いたものに対する対価を・・・。」
思いがけない言葉に、ぽかんとする。
対価?何の事だろう?
訳が分からない。
「妖(私達)の時間は、人間(あなた方)のそれと違って、酷く長いものです。数百年、数千年・・・中には、人間(あなた方)が時を刻み始める遥か前から存在する者すらあります。でも・・・」
少女が天邪鬼を撫でていた手を上げる。細い、白魚の様な指がわたしの涙を、そっと拭った。
「空っぽなのですよ・・・。妖(私達)の時間は・・・」
「空っ・・・ぽ?」
「はい。」
言葉を続ける少女の声は、どこか空虚で寂しげだった。
「先に言いましたが、妖(私達)は人間(あなた方)より遥かに長い時を生きます。けれどそれだけ・・・。人間(あなた方)の様に、何かを産み出す事も無ければ、何かを作り出す事もありません・・・。」
わたしの涙を拭った指を、少女は口元に運ぶ。細く小さな舌が、それをぺロリと拭った。
「確かに、人間(あなた方)の恐怖や畏怖を糧として求める者も事実おりますが、所詮それは些細な理由。そもそも永劫に誓い年月を約束された存在。何もせずにだらだらと過ごせば、それだけで幾らでも永らえます。けれど・・・」
長い髪が、サヤサヤと揺れる。微かに、甘い椿の香が香った。
「何を成す事もなく、ただ延々と流れるだけの時の、なんと空虚な事か・・・。妖(私達)の中で、その事を疎まぬ者はおりません。故に妖(私達)は人間(あなた方)に干渉し、脅かし、時に襲うのです。」
「嫉妬なのかもしれません。」と、少女は自嘲する様に微笑んだ。
「ダケド ネ」
「ソウ ダケド ネ」
また違う声。
気付けば、キジムナー達が畳の上を跳ね回っている。
「天邪鬼 違ウ」
「ソイツ 違ウ」
「ソイツ 貰ッタ」
「オ前タチ カラ 貰ッタ」
「わたし達・・・から?」
わたしの言葉に、キジムナー達は一斉に頷く。
わたし達が天邪鬼に上げたもの?
分からない。
「オ前達 天邪鬼二 “時” クレタ」
「一人 ジャナイ“時” クレタ」
「一人じゃない、“時”・・・?」
「ソウ」
「ソウ」
「天邪鬼 オ前達 ト 暮ラシテ 知ッタ」
「誰カ ト 遊ブ 楽シサ 知ッタ」
「誰カ ニ 抱カレル 温モリ 知ッタ」
「誰カ ト 眠ル 安ラギ 知ッタ」
「一人 ジャナイ 喜ビ 知ッタ」
キジムナー達が、わたしと敬一郎を見つめる。
黒く澄んだ、大きな瞳にわたし達が映っていた。
「ソレ ガ オ前達 ガ 天邪鬼 ニ アゲタ モノ」
「天邪鬼 ガ オ前達 カラ 貰ッタ モノ」
「大事ナ モノ」
「トテモ トテモ 大事 ナ モノ」
「ダカラ 天邪鬼 オ前達 守ッタ」
「大事ナ モノ クレタ カラ」
「大事ナ 大事ナ モノ ダカラ」
「ダカラ オ前達 守ッタ」
「ソレガ 対価 ダカラ」
わたし達を守る事が、対価・・・?
その言葉を噛み締める様に、わたしはもう一度、“そいつ”の身体を抱き締めた。
続く