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2012年03月22日

十三月の翼・11(天使のしっぽ・二次創作作品)







 木曜日。2001年・2003年製作アニメ、「天使のしっぽ」の二次創作掲載の日です。(当作品の事を良く知りたい方はリンクのWikiへ)。
 ヤンデレ、厨二病、メアリー・スー注意



イラスト提供=M/Y/D/S動物のイラスト集。転載不可。

ドラマCD 天使のしっぽ 第1巻

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                     ―迷い闇―


 件の少女が使う「結界」は、よくアニメや漫画等で表現される様に敵が接触した途端、現出した光の壁や電撃で吹っ飛ばされるといった、某研究所の使う光〇バリアーの様な類のものではない。
 人が何処かしらに行こうとする時、その目的地への到達を成すのに、絶対的に必要な要素。
 それは、「意識」。
 その場所へ、「行こうとする意識」。
 その場所への行き筋を「理解する意識」。
 その場所を、目的地として「認識する意識」。
 これら多々の「意識」が影響し合って、初めて人は目的地へと到達する術を得られる。
 少女の結界は、これらの「意識」を、あらぬ方向へ逸らす結界。
 人の意識の流れを対象の場所から逸らし、その場所を人の意識の及ばない、一種の「異界」として現世から隔離する。
 例えば、歩きなれない山の中を歩いていると、何時の間にか元来た場所に戻って来てしまう。何度やっても同じ道程を繰り返し、いつまでたっても先に進めない。
 ほんの一歩、違う方向へ足を踏み出せばその繰り返しから抜け出せるのに、その「一歩」が意識に上らず、結局延々と繰り返す。
 そんな状況を、任意自在に作り出す結界。
 この結界に、普通の方向感覚を持った者が影響を受ければ、
 「・・・家はすぐそこに見えてて、いつもの道を通ってる筈なのに、全然たどり着けなくってさぁ・・・。皆して、ずっとグルグル回ってたんだよね・・・。」(byツバサ)
 と、なる。
 では、普通の方向感覚ではない、例えば、方向音痴などと呼ばれる類の者が影響されたら、どうなるか。
 「・・・うぅ〜〜〜、お家、どこ行ったの〜〜〜???」
 これが、答え。


 普段、ナナは終業時間の重なるモモやルルと一緒に下校するのが常。
 けれど、この日に限って、一人のクラスメートが放課後、鉄棒を教えて欲しいと頼み込んできた。
 ナナ達のクラスでは、この週末に鉄棒のテストが予定されており、件のクラスメートは鉄棒が苦手だった。それで、運動神経抜群で、尚且つクラス内でも人望の厚いナナに白羽の矢が立てられたというわけである。
 元より、友達思いのナナの事。この願いは快く承諾される運びとなった。
 けれど、この選択が結果としてナナに災難を招くことになる。
 いつもの通学路であった。
 通いなれた、その気になれば目をつぶってでも通る自信のある、日常の道。
 「あやや〜。遅くなっちゃった。」
 そんなことを言いながら、ナナはその道を駆け足で急いでいた。
 「う〜。急がないと、お日さま沈んじゃうよ。」
 この歳の子供にとって、全てを包み込む夜闇は無条件で怖いもの。
 ゆっくり、だけど確実に。昼の光を追いやりながら忍び寄る夜に追いつかれまいと、ナナはタッタタッタと家路を急いでいた。
 馴染みの駄菓子屋の前を横切り、夕焼けに染まる横断歩道を渡り、近道の公園を駆け抜けて、その先の角を曲がれば、そこにはもう、皆の待つ家が見える。
 自然と、足並みが早くなる。
 タッタタッタ。
 ラストスパート。
 けれど。
 「・・・あや?」
 その足が、ピタリと止まる。
 丸い瞳が戸惑った様に周囲を見まわし、小さな鼻が不安げにクンクンと辺りのにおいを確かめる。奇妙な違和感を孕んだ風が、藍色のツインテールをパタパタと嬲り、小さな身体がゾクリと震える。
 そこはもう、「いつもの」場所ではなかった。


 ハァ・・ハァ・・ハァ・・・
 息を切らせて曲がった先に見えたのは、全然見当違いの場所。
 「う〜〜!!なんでぇ〜〜?」
 半ばパニックになりかけながら、ナナは家に通じる道を求めて走り回る。
 けれど、どの方向へ向かおうと、どの角を曲がろうと、やっぱり結果は同じ。
 やがて、時間の経過と共にもう一つの敵がナナを追い詰める。
 ゆっくりと、暗がりに沈んでいく周囲の光景。
 夜が、追いついてきていた。
 「うぅ〜〜〜っっ!!!」
 歪んだ道に苛まれ、迫る夜闇に追い立てられ、ナナは涙ぐみながらガムシャラに走り回る。
 そして―
 「ハァ、ハァ・・・。ここ、どこぉ・・・?」
 いつしかナナは、本格的に見覚えのない路地へと迷い込んでしまっていた。
 走り回った足が痛い。ヘナヘナと近くにあった外灯の支柱にもたれかかる。
 「・・・お家、どこ行ったの〜〜〜???」
 そう言って、とうとうナナは外灯の光の中に座り込んでしまった。


 ナナは気づかない。
 そんな自分を、夜闇の満ちる高場からじっと見下す琥珀色の光のことを。


 「・・・お家どこに行ったって、あのアパート、足でもついてんの?」
 眼下で座り込むナナの呟きを耳にした少女が、思わずそう突っ込みを入れた。
 「あれって確か、「犬」だよね。ご主人様の所の。何やってんの?こんな所で・・・」
 電柱の頭に腰掛け、プラプラと足を揺らしながら見下ろす。
 彼の娘の現状と、先刻の言葉。収拾しうるファクターを頭の中で理論構築、至る結論は単純明快。
 「・・・迷子?」
 呆れ半分、猜疑半分の目で、改めて眼下の少女を見下ろす。
 「器用な娘だこと・・・。どうやったら、いつもの生活空間の中で迷子になぞなれる?」
 自分のやったことなど、綺麗さっぱり棚に上げてそんな感想を述べる。と、そんな彼女の耳に聞こえてきたのは細く、寂しげな泣き声。
 「う・・・うぇ・・・ひっく・・・」
 見れば、眼下で膝を抱えてうずくまる少女が、そのか細い肩を、薄寒い外灯の光の中で悲しげに震わせていた。
 「やれやれ、泣けばどうにかなるってもんじゃないでしょうが。ま、わたしの知ったこっちゃないけど・・・。」
 冷淡にそう言うと、ヒョイと立ち上がる。
 「勝手に泣くなり、へこむなりしててよ。どうせ、しばらくすりゃ、お人よしのお姉様方の誰かが探しに来てくれるから。」
 そして、そのまま夜の闇に溶け込もうと宙に一歩踏み出したその時―
 「・・・ご主人さま・・・。」
 「・・・・・・!!」
 不意に聞こえたその言葉に、半ば闇に溶け込んだ足がピタリと止まる。
 「う・・ひくっ・・・ご主人さまぁ・・・ラン姉ちゃん・・・アカネ姉ちゃん、ルルぅ・・・みんなぁ・・・」
 「・・・・・・。」
 視線は戻さぬまま。けれど、身体は動かない。
 「暗いよ・・・えくっ・・・うっ・・・怖いよぉ・・・」

 (・・・暗いよ・・・)

 「うっ・・・ひっく・・・」

 (寒いよ・・・怖いよ・・・ここは、嫌だ・・・誰か、誰か・・・)

 「・・・寂しいよぉ・・・」

 (嫌だ・・・助けて・・・寒い・・・怖い・・・何も、見えない・・・助けて・・・助けて・・・)

 「ご主人さまぁ・・・」

 (ご主人様―――・・・・・・)

 「・・・・・・。」

 サァ・・・

 「うっ・・・ふぇ?」
 涼やかな空気の動きとともに、突然周囲に満ちた冷気にナナは涙でグシャグシャになった顔を上げた。
 その潤んだ瞳に映ったのは、中空に輝く白い半月と、それを背にしてキラキラとさざめく白銀の髪と、そして自分を見下ろす、冷たくて深い琥珀の瞳。
 初め、ナナは突然目の前に現れた見知らぬ少女が、本当にそこに“在る”のだということを理解しかね、ただただ、キョトンとして濡れた目を瞬かせるだけだった。
 白月を受け、キラキラと銀色に光る髪。夜の空気の中で、より一層濃く浮かび上がる、漆黒の衣装。それからのぞく、触れる事が出来るのか、不安になる程に白く透き通った肌。    
 見下ろしてくる、冷たさを感じるまでに暗く、深く澄んだ瞳。
 その風貌の全てが、幼いナナの瞳には酷く現実離れしたものに映る。
 (うわぁ・・・。)
 まるで夢を見るかの様に、ナナは目の前の少女に見入っていた。
 「・・・おいで。」
 「・・・え?」
 一瞬、その言葉が誰にかけられたものか分からず、ナナは思わず辺りをキョロキョロと見回して、その後おずおずと自分を指差す。
 「・・・他に誰かいる?いいから、早くおいで。」
 見下ろす目が、少しだけ苛立たしげに細まった。
 一人ぼっちの寂しさから解放された安堵から、思わずその言葉に飛びつきそうになるナナ。
 しかし、ふとその脳裏に常日頃から悟郎や姉達に言われている言葉が甦った。
 ―知らない人について行っちゃ、いけません―
 「・・・・・・!!」
 先走ろうとする心を押さえ込み、目の前の少女を改めてしげしげと見つめる。
 どう見ても、「知らない人」。
 「・・・・・・。」
 「・・・何?」
 急に警戒し始めたナナに、少女は訝しげにそう尋ねる。
 そしてその問いに対し、ナナは、
 「・・・お姉ちゃん、ひょっとして、人さらい・・・?」
 と、えらくダイレクトな応答をした。
 「・・・・・・。」
 少女が酷く呆れた顔をする。
 「何処の世界に、そう訊かれて「はい」って言う誘拐犯がいるのさ・・・?ま、嫌なら、無理して来なくてもいいよ?」
 そう言うと、少女はクルリときびすを返し、さっさと歩き出した。
 「え・・・え!?」
 酷くあっさりと見捨てられ、ナナは狼狽する。
 行動の選択に困り、オロオロするが、そうするうちにも少女は見る見る遠ざかって行く。
 「あ・・・ま、待ってよ〜〜。」
 結局、警戒心よりも心細さが勝ってしまった。
 夜闇の中で、再び一人になるのを恐れ、慌てて立ち上がるとナナは訳も分からず少女の後を追った。


 「ねぇ、おいでって、どこに行くの?」
 なんとか追いついて、少女の隣に並ぶとナナはそう尋ねた。
 「あんた、迷子でしょ?」
 そう言いながら、少女は瞳だけを動かして、ナナを一瞥する。
 「あなた、ご主・・・睦さんとこの娘でしょ。家、知ってるから、分かるとこまで送ってあげる。」
 「!?、お姉ちゃん、ご主・・・あやや、パパのこと、知ってるの?」
 少女は答えず、ただ頷いて肯定した。
 トテ トテ トテ トテ・・・
 月明かりに照らされる夜の道を、小柄な少女と、それに輪をかけて幼い少女が連れ立って歩く。
 トテ トテ トテ トテ・・・
 少女の方は例の如く、音を立てない滑る様な足運び。ナナの足音だけがやたらと大きく空気に響く。
 「「・・・・・・。」」
 初対面の二人。話す話題があるはずもない。
 ただ、黙って歩く。
 訪れの遅い夏の夜も、一旦落ちてしまえば、その足は速い。
 一歩一歩、少女達が足を進める毎に夜は深まり、周囲を染める闇もその濃さを増して行く。
 空の半月も、道端の外灯の光も、今はもう、満ちる夜の色を際立たせるためのアクセントにしかならない。
 ブゥン・・・
 「ひゃっ・・・!!」
 外灯の光に誘われた一匹の甲虫が、鈍い羽音とともに頬をかすめ、ナナは思わずビクリと肩をすくめた。
 「・・・お姉ちゃん・・・」
 その声に、少女は鬱陶しげな目を向ける。
 「何?」
 「手、つないでいい?」
 「・・・え?」
 答えを返す前に、伸びてきた小さな手が無防備に垂らしていた手を掴んだ。
 「・・・っ!?」
 「ひゃっ!!」
 急に手を包みこんできた柔らかい温もりに、少女は思わず息を飲む。同時に、驚いた様なナナの声が耳に飛び込んできた。
 「お姉ちゃんの手、冷た〜い!!氷みたい。」
 二つのお下げをプルプルと震わせ、大きな目を丸くしながら、それでもつないだ手は離さない。
 「え・・あ、う・・その、それはあの、わたし、“冷え性”だから・・・」
 肌に感じるその温かさに戦慄きながら、少女は辛うじて言葉を紡ぐ。
 「あや?ひえしょう?」
 「いや・・あの、だからその・・何て言うか・・・」
 「・・・お姉ちゃん、どうしたの?」
 滑稽な程に狼狽する少女を、ナナは不思議そうな顔で見つめる。
 「あ・・う、えと・・その、手、離せば?」
 言いながらナナの手を離そうとするが、ガッシリと掴んだ手は離れない。
 「あ、あのねぇ・・・。冷たいんでしょ・・・?」
 「うん、冷たい。」
 「だから、手、離しなさいって・・・」
 「やだ。」
 「やだって・・・」
 「や――だっ!!」
 そう言って、ナナはますます握る手に力を込めて、しがみつく。少女は「あぅ・・・」と小さくうめいた。

 
 結局、少女はナナと手をつないだまま、その後の道程を歩く事になった。
 右手に絡むナナの感触に、訳も分からずドギマギしながら少女は横目でさりげなく手にぶら下がるナナを見る。
 すると、少女の細腕にしがみ付きながら、ナナはしきりにキョロキョロしている。不安の色の濃いその視線の先にあるのは、世界を染める、夜の色。
 そんなナナの様子に、少女は得心して尋ねる。
 「闇が・・・暗いのは、怖い?」
 不意にかけられたその言葉に、ナナは一瞬「え?」と驚いた後、少し恥ずかしそうにコクリと頷いた。
 「何故?」
 「だって・・・」
 ナナはうつむく様にして、ポツポツと話す。
 「暗くなると、お友達もみんな帰っちゃうし、何にも見えなくなっちゃうし・・・。アユミお姉ちゃんも、言ってたよ。暗いのは寂しいって。とってもとっても、寂しくて怖いって。」
 ナナの言葉に、少女の目が細まる。
 「・・・ふぅん。そんなもん?でも、おかしいね・・・」
 何かを思い描く様に、琥珀の瞳が暗い虚空に泳ぐ。
 「・・・命ってのは、暗い中で生まれて、暗い中に帰るものなのに。何で、皆闇が怖いんだろう?」
 その言葉に、ナナが「?」と顔を上げる。
 独り言でも呟く様に、少女の瞳は夜を仰いだまま。
 「生を受けるのは温かく暗い母の胎内(なか)。果てて帰るのは冷たく暗い大地(ほし)の胎内(なか)。どちらも真っ暗。生きるものは皆、闇の中で生まれて、闇の中に帰る。それが運命(さだめ)。」
 不意に吹いた夜風が、純白の髪をザアアと撫ぜる。
 「日はいずれ沈み、夜がくる。夏はいつか去り、冬がくる。太陽も、星も、いつかは消える。残るのは、暗い、暗い、虚無の闇だけ。いつまでも、温かい光の中にはいられない。むしろそここそが、魂にとっての仮の宿。まどろみの中で見る、夢みたいなものなのに・・・。」
 黙って聞いていたナナが、そこで難しい顔をしてこめかみに人差し指を当てる。
 「・・・よくわかんない。」
 困った様に首を捻るナナに、少女は肩をすくめる。
 「今は分からなくてもいいよ。どうせそのうち、嫌でも分からなきゃいけなくなる時がくるんだから・・・。」
 「?」
 その時見上げた少女の顔が何故か酷く儚くて、ナナは思わずつなぐ手に力を込めた。

 
 「・・・お姉ちゃんは、怖くないの?」
 「?」
 振られた言葉に、少女はナナの方を向く。
 「お姉ちゃんは、えと・・怖くないの?暗いとこ。」
 その問いに、少女の瞳がキュウと細まる。
 「怖い・・・?わたしが、闇を・・・?」
 長い白髪が、ひねる頭に合わせてサラリと流れる。
 「・・・どうなの・・かな・・・?」
 「・・・へ?」
 質問を疑問で返され、反応に困るナナに、少女ふと冷たい、月の様な笑みを向ける。
 「あなたは、大事な人って、いる・・・?」
 「大事な、人?」
 ナナの頭の中に浮かぶ、幾人もの顔。
 大家さんや学校のクラスメイト。大事な友達。
 ランやルル。ユキにモモ。想いをともにする、仲間達。温かい、家族。
 そして、優しく微笑む悟郎の顔。
 幼い心にして、この身に代えても守ると誓った、あの笑顔。
 その顔の一つ一つを思い描き、そして、「うん!!」と大きく、頷く。
 そんなナナを見て、少女は「そう。」と言って、少しだけ目を細めた。
 「わたしも、いるの。とってもとっても、想っても想っても足りないくらい、大事な人・・・。」
 少女の目が、その姿を思い描く様に再び虚空にさ迷う。
 「・・・でもね、その人は、わたしのそばにいてはくれなかったの・・・。」
 「え・・・何で?」
 驚いた様なナナの言葉に、少女の瞳が一瞬だけユラリと揺れる。
 「・・・さぁ、何でだろうね・・・。」
 「・・・・・・。」
 誤魔化す様に、濁す言葉。
 その様子に、ナナは何かを察する様に口を紡ぐ。
 「それで、ずっと、ずっと一人で、暗いところにいたの。知ってる?一人だと、闇ってうんと深くなるの・・・。その中で、ずっと。だからもう、怖いのかどうかなんて、とっくに分からなくなっちゃった・・・。」
 そして自嘲するかの様に、少女はその唇を少しだけ三日月に歪めた。
 「寂しく、ないの・・・?」
 おずおずと、ナナが訊く。
 「・・・寂しい。」
 答える、少女の声。
 「胸の真中に、大きな穴があるみたい・・・。中がいつも空っぽで、ヒュウヒュウ、ヒュウヒュウ、風が抜けてる・・・。」
 言いながら、ナナとつないでいるのとは反対側の手を、胸にそっと当てる。
 「・・・その人のこと、怒ってる?」
 二つ目の問い。少女はゆっくり、首を振る。
 「・・・怒ってない。あれは、きっと仕方のないことだったから。でも・・・」
 琥珀の瞳が、ユラユラと揺れる。
 「わたしがあの人を望むのは、本当は筋違いなのかもしれないって、思う事はある・・・。あの時も、今も・・・。」
 胸に当てられた手が、爪を立てる様に胸元をグシャッと握り締める。
 「あの人がいるのは、とても遠いところ。あんまり遠くて、指の先すら届かない。今まで何とか、足掻いてきたけど。それでもひょっとしたら、いくら手を伸ばしても無駄なんじゃないかって・・・。・・・結局、わたしはまた、たった一人であの闇の中に戻らなきゃいけないんじゃないかって・・・。」
 叫ぶでなく。
 泣くでもなく。
 淡々と。ただ淡々と綴る言葉。
 「それを思うと、酷く、怖い・・・。」
 言って、目を伏せた。
 その途端、ナナとつないでいた右手が、より一層強く握り締められた。
 「!?」
 驚いて目を向けると、大きな瞳が潤みながら、それでも真っ直ぐにこちらを見つめていた。
 「そんなこと・・・ない!!」
 少女の手を力いっぱい握り締めながら、ナナは言う。
 「そんなことないよ。だって、お姉ちゃん、ナナを助けてくれたもん。優しい人だもん。優しい人が、一人ぼっちになるなんて、あるわけないよ!!」
 その言葉に、少女は目を丸くする。
 「・・・わたしが、優しい・・・?」
 戸惑う様な口調に、ナナが頷く。
 「それでね、優しい人には、いつかその優しさが幸せになって、帰って来るの。優しくした分だけ、いっぱいの幸せが帰って来るんだって、ご主人様が、言ってた。」
 「・・・睦さんが?」
 「うん!!だからね、お姉ちゃんも安心していいんだよ?ご主人様の言うことって、絶対間違いないんだから!!お姉ちゃんにも、帰って来るんだよ、幸せ!!絶対に!!」
 「・・・絶対?」
 「そう、絶対のぜ〜〜ったい!!」
 そう言ってグイッと目頭を拭うと、まるで少女を元気付けるかの様に、ナナはニパッと微笑んで見せた。

 
 酷く、甘い理屈だと思った。
 優しさが全てに通じるなら、この世界はもっと清くありえる筈。
 優しさが全てに認められるなら、この世界はもっと喜びに溢れ得る筈。
 だけど、そんなことは決して有り得ない。
 世界はただひたすらに、歪み、澱み、冷酷で残酷。
 ちっぽけな光すら、容易に認めぬほどに。

 
 そもそも、前提が間違っている。
 自分は、優しくなどない。
 自分は、悪魔なのだから。
 優しさなどというものとは、はなから対極の存在なのだから。
 告げてやりたい。
 この愚かなほどに、忌まわしいまでに純粋な心に。
 そんなものは全て、幼稚さ故の幻想なのだと。
 この歪んだ世界で、優しさなど踏み躙られるだけのもの。
 そんなものを信じたところで、帰ってくるのは悪意の嘲笑だけなのだと。
 ―だけど―
 無意識に伸びた左手が、ナナの藍色の髪を優しく梳る様に撫ぜていた。
 髪を通る指の冷たさに、ナナが冷水のシャワーでも浴びたみたいに、プルプルと小さな身を震わせる。
 そんな彼女を見つめながらその顔に浮かぶのは、見たら多分、本人が一番驚くであろう、澄んだ笑み。
 そして、出た一言は、
 「・・・ありがとう、“ナナ”。」
 「!」
 ナナがもう一度、今度は心から嬉しそうに、ニパッと笑った。


                                                           
                                         続く
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