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2020年10月10日
【霊界物語スーパーメルマガ】世界大家族制とベーシックインカム(13) 飯塚弘明(霊界物語スーパーメルマガ)
╋━╋━╋━╋━╋━╋━╋━╋━╋
霊界物語スーパーメールマガジン
2020.10.12
出口王仁三郎・著『霊界物語』を
飯塚弘明がやさしく解説します
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【ブログ更新】
●三鏡解説039まで載せました。
↓目次はこちら
https://iizukahiroaki.com/?p=1477
★.。:・.。:*・★.。:・.。:*・★.。:・.。:*★
╋ 世界大家族制とベーシックインカム(13) ╋
土地為本、御稜威為本について、前回の続きです。
日本全国の土地の総額は、大正8年(1919年)の時点で約331億円だと、前回書きました。
https://blog.goo.ne.jp/my-encyclopedia/e/c4dffb694d5cef2415089ee23e6129f4
大正13年(1924年)の時点でも約332億円です。(内地だけで、朝鮮・台湾等は含まない)
https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kokufu/pdf/0306_1.pdf
土地総額は年々上昇しているはずです。
もっと後年の、昭和前半のデータが欲しいのですが、ちょっと見つかりませんでした。
↓こちらのページには、明治から平成までの、政府の歳入・歳出の金額がまとめられています。
https://www.petitmonte.com/politics_economy_life/revenue_and_expenditure.html
それを見ると、大正8年(1919年)から昭和10年(1935年)まで、歳入は約20億円前後で推移しています。
大正8年の時点で考えると、土地総額は、歳入の16年分くらいの額になります。
王仁三郎は土地を天皇に返還して、その土地をもとにして、1000億円とか1200億円とかの紙幣を発行せよと唱えていました。
その金額の出所は何なのかは分かりませんが、土地総額そのものではないようです。
「日本を徹底的に建直すにおいては、一千億円の金が要ると思う」
●『惟神の道』(昭和10年発行)所収「神政運動について」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B123900c081#a259
と述べているように、経済的困窮に陥った日本社会を立て直すために必要だと思う金額のようです。
仮に1000億円必要だとするなら、歳入の50年分もの額になります。
それだけのお金があれば、税金を0円にしても大丈夫でしょう。
しかし、そもそも土地をもとにして紙幣を発行するということは、どういうことなのでしょうか?
前回引用した部分から再び引用してみると、
/=====
●出口王仁三郎氏に物を訊く座談会
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B108500c25
その土地が一千二百億円のものやったら、それだけの財産が皇室のものになる。皇室からは一千二百億円の札をお下げになるから、国民にそれだけの金が廻って来る。土地本位
やから、国民がその土地を借りるのや。ワシは昔から、そう言っている。
=====/
/=====
●『惟神の道』所収「皇道経済我観」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B123900c080#a112
その土地が一千億円のものであったら、それだけの財産が皇室のものになる。皇室からは御稜威により五百億円でも一千億円でも紙幣をお下げになるから、国民にそれだけのお金
が回って来るわけである。
=====/
などと王仁三郎は述べていますが、あまりにも大ざっぱで、具体的にどういうことなのかよく分かりません。
金本位制というのは、金という金銭的価値があるモノを金庫に保管し、持ち運びしやすいように紙幣を発行します。その紙幣は金と交換可能(兌換)なので、金の引換券とか預か
り証のようなものです。
それと同じように土地本位制というものを考えてみると、土地と交換可能な紙幣を発行するということになります。
しかし、金というものは、あの金もこの金も、みな同じ価値ですが、土地というものは、この土地とあの土地とでは価値が異なります。また場所によって価格の変動も激しいです
。
実際に紙幣と交換してくれと申し出たら、一体どこの土地と交換してくれるのか???
土地と交換可能な紙幣というものは、仕組みが全くよく分かりません。
そもそも土地を国有化することで、そんな大量のお金を生み出すことが出来るのであれば、共産主義国家はどこも経済が潤っているはずです。しかしそんな話は聞いたことがあり
ません。
前々回で、80年代のバブル期に造語された「土地本位制」という言葉があるということを書きましたが、さらに調べて行くと、土地をもとに紙幣を発行するという考えがかなり
昔からあることが分かりました。
主なものが2つあります。
まず、フランスの「アッシニア」という紙幣です。
18世紀末のフランス革命の最中に発行された紙幣です。
これはひょっとしたら、ヨーロッパの近代史に詳しい方なら誰でもご存じなのかも知れません。
フランス革命を語るのにアッシニアは重要なキーワードの一つのようです。
アッシニアは、革命政府によって国有化された教会の財産を担保として発行された紙幣です。
土地を証券化したもので、紙幣と言うよりは、土地債券です。
仮にアッシニア紙幣と土地を交換することがあるのなら、それは土地の売買と同じことになります。
全国の土地の中のほんの一部分、しかも教会の土地だけを担保としているので、これは理屈としては理解できます。
しかし全国の土地を担保とするのであれば、なかなか理解が難しいです。
人が住んでいる土地を売買したり、利用価値のない原野を売買するのはなかなか難しいので、全国の土地を一律に証券化するのは難しいでしょう。
アッシニアは恒久的な紙幣ではなく、革命政府が財政難のために臨時にとった策です。
結局、インフレを引き起こして廃止されました。これは失敗例です。
詳しいことはご自分で調べて下さい。
(参考)
https://kotobank.jp/word/-2128155
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%8B%E3%82%A2
2つ目は、ドイツの「レンテンマルク」です。
1920年代に、第一次大戦後のインフレを立て直すため臨時に発行された紙幣です。
レンテン(Renten)とは、土地の所有者がその土地から得られる収入(地代など)のことです。
こちらはアッシニアと異なり、土地自体を担保にするのではなく、地代を担保に紙幣を発行するシステムです。
ドイツ国内の土地(全ての土地ではなく、農地や、商工業者が持つ土地)に「土地債務」というものを設定します。
これは言うなれば地代です。
この地代を担保として、紙幣を発行するのです。
これによってドイツのインフレは収束しました。これは成功例です。
詳しいことはご自分で調べて下さい。
(参考)
https://kotobank.jp/word/-152215
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%8
3%AB%E3%82%AF
『レンテンマルクの奇跡』(昭和21年刊)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1459487
王仁三郎が皇道経済論を提唱したのとほぼ同時期に、ドイツで実施されたレンテンマルクが、王仁三郎が説く土地為本(土地本位)を理解するのに、一番役立ちそうです。
国民が土地を天皇(国)に返還し、大地主となった天皇が、土地の地代(土地の使用料)を担保に紙幣を発行するということであれば、王仁三郎が説く土地為本は理解できます。
実際にドイツで成功例があるのです。
しかしいずれにせよ、経済的困窮を打開するための、一時的な施策に過ぎません。
それに、土地総額(約332億円)の3倍もの額(1000億円)の地代を設定するというのは、常識外れです。この方法では1000億円の調達は無理で、せいぜい1年の歳入
と同じくらいの額(約20億円)しか調達できないのではないでしょうか。
王仁三郎も、土地為本は一時的な策だと考えていたようです。
「金銀為本を廃(や)め、土地為本の制度にするが最も平易にして簡単で、効力の多い御稜威為本としたならば、必要な金はいくらでも出すことで出来る」
●『惟神の道』(昭和10年発行)所収「神政運動について」
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B123900c081#a259
と説いており、土地為本は「平易にして簡単」だが、御稜威為本の方が「効力の多い」やり方だと言っています。
では、この御稜威為本とは何か?ということになりますが、これもまた王仁三郎は具体的なことは説いていません。
推測するしかないのですが、既存の概念で言うと、管理通貨制度と政府紙幣を同時に実行するようなものになると思います。
(続く)
★‥…―━―…‥・‥…―━―…‥★
お読みいただきありがとうございました。
次回もお楽しみに!
+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+
『霊界物語スーパーメールマガジン』
■発行日 令和2年(2020年)10月12日 (毎週月曜、木曜発行)
■発行所 オニド(王仁三郎ドット・ジェイピー)
https://www.onisavulo.jp/
■発行人 飯塚弘明
■連絡先 oni_do@ybb.ne.jp
■メルマガの公式ページ(登録)
https://www.onisavulo.jp/ond.php?id=4
■バックナンバー
http://oni.big.ph/mailmg/backnumber.cgi
■総集編
https://www.onisavulo.jp/ond.php?id=4#sousyuuhen
◆登録解除
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メールアドレスの変更は、古いメアドの登録を解除して
新しいメアドを登録し直して下さい。
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(C) 2020 IIZUKA HIROAKI
注:出典を明記していただければ自由に転載してもらっても構いません。
たとえば、「霊界物語スーパーメールマガジンから引用」などと
どこかに書いておいてもらえればOKです。
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土地為本、御稜威為本について、前回の続きです。
日本全国の土地の総額は、大正8年(1919年)の時点で約331億円だと、前回書きました。
https://blog.goo.ne.jp/my-encyclopedia/e/c4dffb694d5cef2415089ee23e6129f4
大正13年(1924年)の時点でも約332億円です。(内地だけで、朝鮮・台湾等は含まない)
https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kokufu/pdf/0306_1.pdf
土地総額は年々上昇しているはずです。
もっと後年の、昭和前半のデータが欲しいのですが、ちょっと見つかりませんでした。
↓こちらのページには、明治から平成までの、政府の歳入・歳出の金額がまとめられています。
https://www.petitmonte.com/politics_economy_life/revenue_and_expenditure.html
それを見ると、大正8年(1919年)から昭和10年(1935年)まで、歳入は約20億円前後で推移しています。
大正8年の時点で考えると、土地総額は、歳入の16年分くらいの額になります。
王仁三郎は土地を天皇に返還して、その土地をもとにして、1000億円とか1200億円とかの紙幣を発行せよと唱えていました。
その金額の出所は何なのかは分かりませんが、土地総額そのものではないようです。
「日本を徹底的に建直すにおいては、一千億円の金が要ると思う」
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と述べているように、経済的困窮に陥った日本社会を立て直すために必要だと思う金額のようです。
仮に1000億円必要だとするなら、歳入の50年分もの額になります。
それだけのお金があれば、税金を0円にしても大丈夫でしょう。
しかし、そもそも土地をもとにして紙幣を発行するということは、どういうことなのでしょうか?
前回引用した部分から再び引用してみると、
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●出口王仁三郎氏に物を訊く座談会
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その土地が一千二百億円のものやったら、それだけの財産が皇室のものになる。皇室からは一千二百億円の札をお下げになるから、国民にそれだけの金が廻って来る。土地本位
やから、国民がその土地を借りるのや。ワシは昔から、そう言っている。
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金本位制というのは、金という金銭的価値があるモノを金庫に保管し、持ち運びしやすいように紙幣を発行します。その紙幣は金と交換可能(兌換)なので、金の引換券とか預か
り証のようなものです。
それと同じように土地本位制というものを考えてみると、土地と交換可能な紙幣を発行するということになります。
しかし、金というものは、あの金もこの金も、みな同じ価値ですが、土地というものは、この土地とあの土地とでは価値が異なります。また場所によって価格の変動も激しいです
。
実際に紙幣と交換してくれと申し出たら、一体どこの土地と交換してくれるのか???
土地と交換可能な紙幣というものは、仕組みが全くよく分かりません。
そもそも土地を国有化することで、そんな大量のお金を生み出すことが出来るのであれば、共産主義国家はどこも経済が潤っているはずです。しかしそんな話は聞いたことがあり
ません。
前々回で、80年代のバブル期に造語された「土地本位制」という言葉があるということを書きましたが、さらに調べて行くと、土地をもとに紙幣を発行するという考えがかなり
昔からあることが分かりました。
主なものが2つあります。
まず、フランスの「アッシニア」という紙幣です。
18世紀末のフランス革命の最中に発行された紙幣です。
これはひょっとしたら、ヨーロッパの近代史に詳しい方なら誰でもご存じなのかも知れません。
フランス革命を語るのにアッシニアは重要なキーワードの一つのようです。
アッシニアは、革命政府によって国有化された教会の財産を担保として発行された紙幣です。
土地を証券化したもので、紙幣と言うよりは、土地債券です。
仮にアッシニア紙幣と土地を交換することがあるのなら、それは土地の売買と同じことになります。
全国の土地の中のほんの一部分、しかも教会の土地だけを担保としているので、これは理屈としては理解できます。
しかし全国の土地を担保とするのであれば、なかなか理解が難しいです。
人が住んでいる土地を売買したり、利用価値のない原野を売買するのはなかなか難しいので、全国の土地を一律に証券化するのは難しいでしょう。
アッシニアは恒久的な紙幣ではなく、革命政府が財政難のために臨時にとった策です。
結局、インフレを引き起こして廃止されました。これは失敗例です。
詳しいことはご自分で調べて下さい。
(参考)
https://kotobank.jp/word/-2128155
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%8B%E3%82%A2
2つ目は、ドイツの「レンテンマルク」です。
1920年代に、第一次大戦後のインフレを立て直すため臨時に発行された紙幣です。
レンテン(Renten)とは、土地の所有者がその土地から得られる収入(地代など)のことです。
こちらはアッシニアと異なり、土地自体を担保にするのではなく、地代を担保に紙幣を発行するシステムです。
ドイツ国内の土地(全ての土地ではなく、農地や、商工業者が持つ土地)に「土地債務」というものを設定します。
これは言うなれば地代です。
この地代を担保として、紙幣を発行するのです。
これによってドイツのインフレは収束しました。これは成功例です。
詳しいことはご自分で調べて下さい。
(参考)
https://kotobank.jp/word/-152215
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%8
3%AB%E3%82%AF
『レンテンマルクの奇跡』(昭和21年刊)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1459487
王仁三郎が皇道経済論を提唱したのとほぼ同時期に、ドイツで実施されたレンテンマルクが、王仁三郎が説く土地為本(土地本位)を理解するのに、一番役立ちそうです。
国民が土地を天皇(国)に返還し、大地主となった天皇が、土地の地代(土地の使用料)を担保に紙幣を発行するということであれば、王仁三郎が説く土地為本は理解できます。
実際にドイツで成功例があるのです。
しかしいずれにせよ、経済的困窮を打開するための、一時的な施策に過ぎません。
それに、土地総額(約332億円)の3倍もの額(1000億円)の地代を設定するというのは、常識外れです。この方法では1000億円の調達は無理で、せいぜい1年の歳入
と同じくらいの額(約20億円)しか調達できないのではないでしょうか。
王仁三郎も、土地為本は一時的な策だと考えていたようです。
「金銀為本を廃(や)め、土地為本の制度にするが最も平易にして簡単で、効力の多い御稜威為本としたならば、必要な金はいくらでも出すことで出来る」
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と説いており、土地為本は「平易にして簡単」だが、御稜威為本の方が「効力の多い」やり方だと言っています。
では、この御稜威為本とは何か?ということになりますが、これもまた王仁三郎は具体的なことは説いていません。
推測するしかないのですが、既存の概念で言うと、管理通貨制度と政府紙幣を同時に実行するようなものになると思います。
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posted by unhadou at 18:32| 【霊界物語スーパーメルマガ】世界大家族制とベーシ
2020年09月11日
【霊界物語スーパーメルマガ】世界大家族制とベーシックインカム(6)
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霊界物語スーパーメールマガジン
2020.9.10
出口王仁三郎・著『霊界物語』を
飯塚弘明がやさしく解説します
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【ブログ更新】
●三鏡解説011から013まで載せました。
↓目次はこちら
https://iizukahiroaki.com/?p=1477
★.。:・.。:*・★.。:・.。:*・★.。:・.。:*★
「三鏡」の解説を連載中ですが、しばらくお休みして、
時事の話題をお送りしています。
╋ 世界大家族制とベーシックインカム(6) ╋
税金というはあって当たり前だと私たちは思っています。
税率など、税金の取り方について議論はありますが、税金そのものを否定する人はあまりいないと思います。
王仁三郎は「皇道維新について」〔第13章〕の中で、税金というものを次のように否定しています。
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195502c21061
/=====
皇道維新の要点は皇道経済の実施であり、租税制度の廃絶である。
元来租税制度なるものは御国体(おんこくたい)(注・天皇の意)の経綸的本義で無い事は、御遺訓の明白に的確に証明し給うところである。租税徴収は実に蛮制の遺風(注・
外国のやり方という意)であって、また金銀為本を以て富国の要目と為し、生存競争を似て最終の目的と為す大個人主義制度である。
しかるに皇国の経綸制度なるものは、実に世界万民の幸福を目的とし給える国家和楽の国家家族制度である。
故に昭和の御代は、古今の汚らわしき租税徴収の悪制を根本より廃絶する事が神聖なる大日本天皇の御天職に坐します所の、済世安民の経綸を始めさせ給い、皇道経済を施行し
給う第一歩たるべきものである。
=====/
また、「世界の経綸」の中でも、
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195502c21062
「租税制度は本来外国模倣の制度にして他国を奪略征服して建国せる猟獲的国体の悪制なり」〔第5章〕
「財政経綸は租税によりて衣食する寄生虫的人物を生ずるの不経済を招来し、この種類の人物はいわゆる富国強兵の充実を期せむがため、租税増加を追求するに汲々として、遂に
国民をして財力窮乏を訴えしむるに至り、国家存立上の危機に到達せしむるに至るなり」〔第8章〕
というように、手厳しく租税制度を批判しています。
分かりやすくまとめると──租税徴収は略奪であって、そこに群がって利権を吸い取る輩が増え、軍事費など国民生活に直接関係のないことで増税して、そのため国民の生活力が
低下して、ついには国家存亡の危機に陥るのだ──と訴えているのです。
しかし、それは税金の使い道が問題なのであって、たとえ税金が高くても、北欧のように高福祉ならば、高負担でも人々の理解は得やすいのでないでしょうか?
ところが王仁三郎は、そういう税金の使い道がどうのこうのではなく、税金そのものを悪制だと批判しているのです。
王仁三郎は租税制度と共に、私有財産制の廃絶も訴えています。
税金というものは、私有財産制を前提としています。
個人・法人の私有財産の中から、政府運営の費用を徴収するのが、税金です。
縄文人など原始共産制の社会では、私有という概念はあまりありません。共有という概念もありません。この世の中にあるものは、誰のものでもないのです。
それを『これはオレのものだ』と言って独占し、私物化するようになったのは、基本的には自分の生存のためでしょう。天候不順や人口増加などによって食糧が足りなくなると、
生きるための生存競争が始まります。『みんなで分かち合う』ということはとても美しいですが、ひもじい貧しい思いをすると、そんな美しい気持ちではいられなくなるのです。
前回紹介した王仁三郎の文章の中に、次の一文がありました。〔「皇道維新について」第11章〕
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195502c21061
/=====
畏くも崇神天皇が、和光同塵の政策を施し給いたる御神慮は、実に実に高遠甚深(じんしん)なる御理想に由(よ)らせられたのである。
そもそもこの時代には人文未だ幼稚なりしゆえに、生欲の発達のみ最も隆盛を極め、弱肉強食の蛮風(ばんふう)を以て人生自然の常事となし、いわゆる日本書紀の、
『ついに邑(いふ)に君(きみ)有り、村に長(をさ)あらしめ、おのおの自ら疆(さかひ)を分(わか)ち以て相凌轢(りょうれき)す』(注・日本書紀の巻第三(神武天皇)
の最初の方に書いてある。村々にはそれぞれ長がいて境界を作って互いに争っている、という意味)
実に生存競争の激烈を極めた世態であった。
=====/
これは領地争いです。狩猟でも農耕でも遊牧でも、食糧を求めるということは、それに適した優良な土地を求めることになります。
誰かに使われないようにするためには、これは自分のものだという線引きをしなくてはいけません。
このような、生きるための生存競争の中から私有財産という概念が生まれたのです。
霊界物語第6巻第30章「罔象神(みづはのかみ)」には、大洪水後の地上で人間が誕生し(それ以前は「神人」の時代)、「自己保護上」土地を独占する者が出て来た、という
ことが記されています。
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0630
/=====
ここに人間なるもの地上に星のごとく生れ出で、増加するによって、自然に自己保護上、体主霊従の悪風日に月に吹き荒(すさ)み、山を独占する神現れ、一小区画を独占する
ものも出で来(きた)り、野も海も川も、大にしては国、洲(しま)などを独占せんとする神人や人間が現れたのである。(略)勢い強きものは大をなし、力弱きものはついに生
存の自由さえ得られなくなって来たのである。
人間の心はますます荒み、いかにして自己の生活を安全にせんかと日夜色食(しきしょく)の道にのみ孜々(しし)として(注・励むという意)身心を労し、ついには他を滅ぼ
し、その目的を達せんために人工をもって天の磐船を造り、あるいは鳥船を造り、敵を斃(たお)すために、各地の銅鉄の山を穿(うが)ちて種々の武器を製造し、働かずして物
資を得むがために又もや山を掘り、金銀を掘り出してこれを宝となし、物質との交換に便じ、あるいは火を利用して敵の山野家屋を焼き、暗夜の危険を恐れて燈火を点じ、種々の
攻防の利器を製造して互いに雌雄を争うようになって来た。
=====/
最初は「自己保護上」つまり自分の生命を守るために始まった私有制も、次第に増長して行きます。人間に欲というものがあり、この欲が拡大して行くのです。
単に自分が生きるためだけではなく、より豊かになるため、より欲望を満たすために、他人を侵害し、略奪するようになって行ったのです。
支配者が贅沢な暮らしをするために、被支配者から金品を納めさせたのが税金の始まりです。
江戸時代の武士のように、自分は働かず、領民に働かせて年貢を納めさせるのです。
国民が主権を持つ現在の国々では、税金は国家を運営するために国民が払う会費というような側面が強くなったと思いますが、もともとは支配者が贅沢な暮らしをするために上納
させたのが租税制度です。
しかし支配者は、自分が贅沢な生活をするだけではなく、上納させた金品で道路などのインフラを整えたり、学問や芸術に勤(いそ)しんだりすることで、文物を発達させて行き
ました。
皮肉なことですが、原始共産制のままであったら、人類の文明は発達しなかったことでしょう。
人間の欲望の拡大が、人類の文明を発達させたのであり、収奪して富を集約させたので、贅沢が可能になったのです。
そして特権階級が贅沢な暮らしをしているのを庶民が見て、自分もあんな生活がしたいと思い、それで文明が発達して、誰もが贅沢な暮らしが出来るようになって行ったのです。
租税制度が和光同塵の政策であったというのは、そういう意味合いもあると思います。
文明を発達させるためには、やむを得ない方法であったのです。
租税制度は、各人が財産を持つ私有財産制を前提としますが、王仁三郎はこの私有財産制をも否定しています。
土地を始めとする全ての財産は天皇のものであって、国民は全財産を天皇に奉還(返還)せよというのです。
〔大正維新論〕
https://onidb.info/bview.php?obc=B121801c43
/=====
元来総ての財産は上御一人(かみごいちにん)(注・天皇のこと)の御物であって、一個人の私有するを許されない事は、これ祖宗の御遺訓と、開祖帰神の神諭に炳々(へいへい
)として(注・明らかの意)垂示し給う所である。
(略)
挙国一致、私有財産の制度を根本的に撤去して、世界の絶対的主師親(しゅししん)(注・仏教用語。衆生が尊敬すべき三つの者。三徳。諸説あり)の三大天権を享有し給う万世
一系の天皇に奉還し、以て国家財産の統一整理を敢行し、
(略)
されば今後の経済的社会の制度においては、 絶対的に土地や財産の私有を許さざる事
(略)
時代の推移は、いやここに大正維新、神政復古の機運を醸成し、大国主神なる世界的国土奉還のやむを得ざる時運に達したのである。しかしてその第一着手としては、日本臣民の
私有財産全部の奉還に始まるのである。
=====/
このように、大正維新は私有財産全てを天皇に奉還することから始まるのだと訴えています。wwこの、天皇に奉還するということは、実質的に国有・公有と同じような意味にな
ります。
たとえばこういうことです。戦前の大本は政府に公認されていなかったため、法人扱いされていませんでした。そのため綾部・亀岡の土地建物は、王仁三郎や澄子夫人など、出口
家の個人名義になっていたのです。
個人名義だからと言って、王仁三郎が私物化していたわけではありません。家族が住むプライベートエリアはあったでしょうが(つまり自宅)、そのほとんどは宗教活動のために
使用していたのであって(神苑)、パブリックなものです。もちろん王仁三郎にとっては一日24時間すべて御神業ですから、プライベートもパブリックもみな一緒でしょう。
天皇もそれと同様です。神が定めた天皇の天職は、地上を統治することです。統治者としての天皇の財産は全て、地球人類のために使われるべきものです。
つまり天皇に一切の財産を奉還するということは、一切の財産を国有・公有にするというのと同じ意味になります。
法人としての国家に返還せよというのではなく、わざわざ天皇に返還せよと王仁三郎が唱えたのは、次のような理由が考えられます。
私有財産を国有化せよと言ってしまうと、共産主義と同類に思われてしまう可能性があります。
当時は、共産主義は暴力革命を主導するテロリズムと思われていたので(実際、暴力革命を世界各地で繰り広げて来ましたが)、大本もテロ集団だと思われないように、表面的な
言葉を変えたのではないでしょうか。当局や世間から受けのいいように、「国家に」ではなく「天皇に」奉還せよと唱えたのではないかと私は推測します。
大本神諭の「立替え立直し」という言葉も、霊界物語の三五神諭では「天の岩戸開き」に言い換えていますし、社会からバッシングを受けないように、いろいろ言葉遣いに配慮し
ているわけです。
あるいはまた、「国家に」と「天皇に」では意味合いが異なるのかも知れませんが、ここではあまり深く追求しないでおきます。
王仁三郎は共産主義と同類に思われないよう配慮して「天皇に」と言ったのかも知れませんが、私有財産を否定していることには違いはないため、やはり当局やマスコミなどから
バッシングを受けたようです。
王仁三郎は大正9年8月に行った古事記の言霊解の講演の中で、次のように説明しています。〔『出口王仁三郎全集』【皇典と現代〔一〇〕天若日子之段〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B121805c111
/=====
(略)皇道大本が精神的大家族制度を唱えると、新聞紙や社会主義者やその他官憲がこれを共産主義と看做(みな)したり財産平均論(注・明治15年に原田潜が唱えた思想)と
考え違いをしておるのであります。皇道大本で唱うるところは、決して財産平均論ではない。本(もと)を索(たず)ねて行くと一つであるから、互いに助けて行かなければなら
ぬ。みな親子兄弟であるから君臣一致、あるいは四海同胞、みなその志を等しうして行くという大家族制度であります。この大家族制度を共産主義と見たり、あるいは財産平均論
と看做(みな)すのは、みな物質に固まっておるからである。
(略)
また私有財産云々ということについては、その筋(注・警察等)から注意がありましたが、これも世間の誤解からであります。決して私有財産を云々するのではない。現在はあ
まりに彼我(ひが)の程度に差異がある。一方には無茶苦茶に贅沢をして、妾宅(しょうたく)(注・妾の家)を構え、栄耀栄華をたくましうしているのに、一方では一碗の飯も
満足に得られない者さえある。祖先は一つでみな兄弟であるのに、かくの如くであっては、精神的大家族制度とはいわれない。自分の衣食住にさえ差し支えなければそれでよいの
である。
=====/
私有財産制そのものを問題にしているのではなく、貧富の格差とか、富の独占ということを問題にしていますが、それは結局、私有財産制から生じるわけです。
(続く)
「霊界物語スーパーメールマガジンから引用」
霊界物語スーパーメールマガジン
2020.9.10
出口王仁三郎・著『霊界物語』を
飯塚弘明がやさしく解説します
╋━╋━╋━╋━╋━╋━╋━╋━╋
【ブログ更新】
●三鏡解説011から013まで載せました。
↓目次はこちら
https://iizukahiroaki.com/?p=1477
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「三鏡」の解説を連載中ですが、しばらくお休みして、
時事の話題をお送りしています。
╋ 世界大家族制とベーシックインカム(6) ╋
税金というはあって当たり前だと私たちは思っています。
税率など、税金の取り方について議論はありますが、税金そのものを否定する人はあまりいないと思います。
王仁三郎は「皇道維新について」〔第13章〕の中で、税金というものを次のように否定しています。
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195502c21061
/=====
皇道維新の要点は皇道経済の実施であり、租税制度の廃絶である。
元来租税制度なるものは御国体(おんこくたい)(注・天皇の意)の経綸的本義で無い事は、御遺訓の明白に的確に証明し給うところである。租税徴収は実に蛮制の遺風(注・
外国のやり方という意)であって、また金銀為本を以て富国の要目と為し、生存競争を似て最終の目的と為す大個人主義制度である。
しかるに皇国の経綸制度なるものは、実に世界万民の幸福を目的とし給える国家和楽の国家家族制度である。
故に昭和の御代は、古今の汚らわしき租税徴収の悪制を根本より廃絶する事が神聖なる大日本天皇の御天職に坐します所の、済世安民の経綸を始めさせ給い、皇道経済を施行し
給う第一歩たるべきものである。
=====/
また、「世界の経綸」の中でも、
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195502c21062
「租税制度は本来外国模倣の制度にして他国を奪略征服して建国せる猟獲的国体の悪制なり」〔第5章〕
「財政経綸は租税によりて衣食する寄生虫的人物を生ずるの不経済を招来し、この種類の人物はいわゆる富国強兵の充実を期せむがため、租税増加を追求するに汲々として、遂に
国民をして財力窮乏を訴えしむるに至り、国家存立上の危機に到達せしむるに至るなり」〔第8章〕
というように、手厳しく租税制度を批判しています。
分かりやすくまとめると──租税徴収は略奪であって、そこに群がって利権を吸い取る輩が増え、軍事費など国民生活に直接関係のないことで増税して、そのため国民の生活力が
低下して、ついには国家存亡の危機に陥るのだ──と訴えているのです。
しかし、それは税金の使い道が問題なのであって、たとえ税金が高くても、北欧のように高福祉ならば、高負担でも人々の理解は得やすいのでないでしょうか?
ところが王仁三郎は、そういう税金の使い道がどうのこうのではなく、税金そのものを悪制だと批判しているのです。
王仁三郎は租税制度と共に、私有財産制の廃絶も訴えています。
税金というものは、私有財産制を前提としています。
個人・法人の私有財産の中から、政府運営の費用を徴収するのが、税金です。
縄文人など原始共産制の社会では、私有という概念はあまりありません。共有という概念もありません。この世の中にあるものは、誰のものでもないのです。
それを『これはオレのものだ』と言って独占し、私物化するようになったのは、基本的には自分の生存のためでしょう。天候不順や人口増加などによって食糧が足りなくなると、
生きるための生存競争が始まります。『みんなで分かち合う』ということはとても美しいですが、ひもじい貧しい思いをすると、そんな美しい気持ちではいられなくなるのです。
前回紹介した王仁三郎の文章の中に、次の一文がありました。〔「皇道維新について」第11章〕
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195502c21061
/=====
畏くも崇神天皇が、和光同塵の政策を施し給いたる御神慮は、実に実に高遠甚深(じんしん)なる御理想に由(よ)らせられたのである。
そもそもこの時代には人文未だ幼稚なりしゆえに、生欲の発達のみ最も隆盛を極め、弱肉強食の蛮風(ばんふう)を以て人生自然の常事となし、いわゆる日本書紀の、
『ついに邑(いふ)に君(きみ)有り、村に長(をさ)あらしめ、おのおの自ら疆(さかひ)を分(わか)ち以て相凌轢(りょうれき)す』(注・日本書紀の巻第三(神武天皇)
の最初の方に書いてある。村々にはそれぞれ長がいて境界を作って互いに争っている、という意味)
実に生存競争の激烈を極めた世態であった。
=====/
これは領地争いです。狩猟でも農耕でも遊牧でも、食糧を求めるということは、それに適した優良な土地を求めることになります。
誰かに使われないようにするためには、これは自分のものだという線引きをしなくてはいけません。
このような、生きるための生存競争の中から私有財産という概念が生まれたのです。
霊界物語第6巻第30章「罔象神(みづはのかみ)」には、大洪水後の地上で人間が誕生し(それ以前は「神人」の時代)、「自己保護上」土地を独占する者が出て来た、という
ことが記されています。
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0630
/=====
ここに人間なるもの地上に星のごとく生れ出で、増加するによって、自然に自己保護上、体主霊従の悪風日に月に吹き荒(すさ)み、山を独占する神現れ、一小区画を独占する
ものも出で来(きた)り、野も海も川も、大にしては国、洲(しま)などを独占せんとする神人や人間が現れたのである。(略)勢い強きものは大をなし、力弱きものはついに生
存の自由さえ得られなくなって来たのである。
人間の心はますます荒み、いかにして自己の生活を安全にせんかと日夜色食(しきしょく)の道にのみ孜々(しし)として(注・励むという意)身心を労し、ついには他を滅ぼ
し、その目的を達せんために人工をもって天の磐船を造り、あるいは鳥船を造り、敵を斃(たお)すために、各地の銅鉄の山を穿(うが)ちて種々の武器を製造し、働かずして物
資を得むがために又もや山を掘り、金銀を掘り出してこれを宝となし、物質との交換に便じ、あるいは火を利用して敵の山野家屋を焼き、暗夜の危険を恐れて燈火を点じ、種々の
攻防の利器を製造して互いに雌雄を争うようになって来た。
=====/
最初は「自己保護上」つまり自分の生命を守るために始まった私有制も、次第に増長して行きます。人間に欲というものがあり、この欲が拡大して行くのです。
単に自分が生きるためだけではなく、より豊かになるため、より欲望を満たすために、他人を侵害し、略奪するようになって行ったのです。
支配者が贅沢な暮らしをするために、被支配者から金品を納めさせたのが税金の始まりです。
江戸時代の武士のように、自分は働かず、領民に働かせて年貢を納めさせるのです。
国民が主権を持つ現在の国々では、税金は国家を運営するために国民が払う会費というような側面が強くなったと思いますが、もともとは支配者が贅沢な暮らしをするために上納
させたのが租税制度です。
しかし支配者は、自分が贅沢な生活をするだけではなく、上納させた金品で道路などのインフラを整えたり、学問や芸術に勤(いそ)しんだりすることで、文物を発達させて行き
ました。
皮肉なことですが、原始共産制のままであったら、人類の文明は発達しなかったことでしょう。
人間の欲望の拡大が、人類の文明を発達させたのであり、収奪して富を集約させたので、贅沢が可能になったのです。
そして特権階級が贅沢な暮らしをしているのを庶民が見て、自分もあんな生活がしたいと思い、それで文明が発達して、誰もが贅沢な暮らしが出来るようになって行ったのです。
租税制度が和光同塵の政策であったというのは、そういう意味合いもあると思います。
文明を発達させるためには、やむを得ない方法であったのです。
租税制度は、各人が財産を持つ私有財産制を前提としますが、王仁三郎はこの私有財産制をも否定しています。
土地を始めとする全ての財産は天皇のものであって、国民は全財産を天皇に奉還(返還)せよというのです。
〔大正維新論〕
https://onidb.info/bview.php?obc=B121801c43
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元来総ての財産は上御一人(かみごいちにん)(注・天皇のこと)の御物であって、一個人の私有するを許されない事は、これ祖宗の御遺訓と、開祖帰神の神諭に炳々(へいへい
)として(注・明らかの意)垂示し給う所である。
(略)
挙国一致、私有財産の制度を根本的に撤去して、世界の絶対的主師親(しゅししん)(注・仏教用語。衆生が尊敬すべき三つの者。三徳。諸説あり)の三大天権を享有し給う万世
一系の天皇に奉還し、以て国家財産の統一整理を敢行し、
(略)
されば今後の経済的社会の制度においては、 絶対的に土地や財産の私有を許さざる事
(略)
時代の推移は、いやここに大正維新、神政復古の機運を醸成し、大国主神なる世界的国土奉還のやむを得ざる時運に達したのである。しかしてその第一着手としては、日本臣民の
私有財産全部の奉還に始まるのである。
=====/
このように、大正維新は私有財産全てを天皇に奉還することから始まるのだと訴えています。wwこの、天皇に奉還するということは、実質的に国有・公有と同じような意味にな
ります。
たとえばこういうことです。戦前の大本は政府に公認されていなかったため、法人扱いされていませんでした。そのため綾部・亀岡の土地建物は、王仁三郎や澄子夫人など、出口
家の個人名義になっていたのです。
個人名義だからと言って、王仁三郎が私物化していたわけではありません。家族が住むプライベートエリアはあったでしょうが(つまり自宅)、そのほとんどは宗教活動のために
使用していたのであって(神苑)、パブリックなものです。もちろん王仁三郎にとっては一日24時間すべて御神業ですから、プライベートもパブリックもみな一緒でしょう。
天皇もそれと同様です。神が定めた天皇の天職は、地上を統治することです。統治者としての天皇の財産は全て、地球人類のために使われるべきものです。
つまり天皇に一切の財産を奉還するということは、一切の財産を国有・公有にするというのと同じ意味になります。
法人としての国家に返還せよというのではなく、わざわざ天皇に返還せよと王仁三郎が唱えたのは、次のような理由が考えられます。
私有財産を国有化せよと言ってしまうと、共産主義と同類に思われてしまう可能性があります。
当時は、共産主義は暴力革命を主導するテロリズムと思われていたので(実際、暴力革命を世界各地で繰り広げて来ましたが)、大本もテロ集団だと思われないように、表面的な
言葉を変えたのではないでしょうか。当局や世間から受けのいいように、「国家に」ではなく「天皇に」奉還せよと唱えたのではないかと私は推測します。
大本神諭の「立替え立直し」という言葉も、霊界物語の三五神諭では「天の岩戸開き」に言い換えていますし、社会からバッシングを受けないように、いろいろ言葉遣いに配慮し
ているわけです。
あるいはまた、「国家に」と「天皇に」では意味合いが異なるのかも知れませんが、ここではあまり深く追求しないでおきます。
王仁三郎は共産主義と同類に思われないよう配慮して「天皇に」と言ったのかも知れませんが、私有財産を否定していることには違いはないため、やはり当局やマスコミなどから
バッシングを受けたようです。
王仁三郎は大正9年8月に行った古事記の言霊解の講演の中で、次のように説明しています。〔『出口王仁三郎全集』【皇典と現代〔一〇〕天若日子之段〕
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B121805c111
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(略)皇道大本が精神的大家族制度を唱えると、新聞紙や社会主義者やその他官憲がこれを共産主義と看做(みな)したり財産平均論(注・明治15年に原田潜が唱えた思想)と
考え違いをしておるのであります。皇道大本で唱うるところは、決して財産平均論ではない。本(もと)を索(たず)ねて行くと一つであるから、互いに助けて行かなければなら
ぬ。みな親子兄弟であるから君臣一致、あるいは四海同胞、みなその志を等しうして行くという大家族制度であります。この大家族制度を共産主義と見たり、あるいは財産平均論
と看做(みな)すのは、みな物質に固まっておるからである。
(略)
また私有財産云々ということについては、その筋(注・警察等)から注意がありましたが、これも世間の誤解からであります。決して私有財産を云々するのではない。現在はあ
まりに彼我(ひが)の程度に差異がある。一方には無茶苦茶に贅沢をして、妾宅(しょうたく)(注・妾の家)を構え、栄耀栄華をたくましうしているのに、一方では一碗の飯も
満足に得られない者さえある。祖先は一つでみな兄弟であるのに、かくの如くであっては、精神的大家族制度とはいわれない。自分の衣食住にさえ差し支えなければそれでよいの
である。
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私有財産制そのものを問題にしているのではなく、貧富の格差とか、富の独占ということを問題にしていますが、それは結局、私有財産制から生じるわけです。
(続く)
「霊界物語スーパーメールマガジンから引用」
posted by unhadou at 16:13| 【霊界物語スーパーメルマガ】世界大家族制とベーシ
2020年09月10日
【霊界物語スーパーメルマガ】世界大家族制とベーシックインカム(5)
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霊界物語スーパーメールマガジン
2020.9.7
出口王仁三郎・著『霊界物語』を
飯塚弘明がやさしく解説します
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【ブログ更新】
●三鏡解説004から010まで載せました。
↓目次はこちら
https://iizukahiroaki.com/?p=1477
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「三鏡」の解説を連載中ですが、しばらくお休みして、
時事の話題をお送りしています。
╋ 世界大家族制とベーシックインカム(5) ╋
前回は、崇神天皇が和光同塵の政策として、同殿同床の廃止と、租税制度の導入という、二つの改革を実施したことを書きました。
今回は、その二つの改革がなぜ和光同塵の政策なのかについて書きます。
その二つが和光同塵の政策だとして大きく取り上げるのは王仁三郎の見解であって、一般的な見解ではありません。
一般的にも、記紀に記された崇神天皇の事跡から、大和朝廷の基礎を築いた天皇なのではないかと解されていますが、この二つだけが特別にクローズアップされてはいません。崇
神天皇の事跡は他に、四道将軍を派遣して北陸道、東海道、西海道、丹波を平定したとか、疫病が流行って民の半分が死んでしまい、神託によって大物主神を祭った、などがあり
ます。
↓詳細はこちらを見て下さい。
●コトバンク「崇神天皇」
https://kotobank.jp/word/-83807
●ウィキペディア「崇神天皇」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E7%A5%9E%E5%A4%A9%E7%9A%87
第二代・綏靖天皇から第九代・開化天皇までの八代は、記紀に事跡が記されておらず、「闕史八代(けっしはちだい)」と呼ばれています。(闕史は欠史とも書く)
王仁三郎的には、穴太の小幡神社の祭神である開化天皇が一番重要です。──開化天皇の名前「稚日本根子彦大日日命(わかやまとねこひこおおひひのみこと)」は「若き日本の
根本の神様」ということで、「世界を統一される神様」である。自分は開化天皇の御神業をやっているのだ──と王仁三郎は語っていたほどです。〔『新月の光』「開化天皇の御
神業」〕
しかし事跡が不明なため、記紀の物語の上では重要な存在ではありません。
記紀の物語上は、初代・神武天皇の次に重要な天皇となるのが、この第十代・崇神天皇です。
崇神天皇の名前は古事記によると「御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにえのみこと)」です。
王仁三郎は、この「ミマキイリヒコイニエ」を言霊学で解釈すると「国体の精華を隠伏して、和光同塵の政策を始め給う」という意義になり、「これによりてこの御代(みよ)に
、八咫(やあた)の神鏡を別殿に祭らせられたのである」と教えています。〔「皇道維新について」第11章〕
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195502c21061
天照大神の御神体である八咫鏡を皇居の外に出したのは、「国体の精華を隠伏して、和光同塵の政策を始め」ることを意味していたのです。「国体の精華」とは、つまり天皇の御
神徳・御威光ということです。本来あるべき光を隠して、塵と同化する(俗世間に交わる)ことが和光同塵です。神から与えられた天皇の本来の姿、本来の使命を隠すために、天
皇の証である八咫鏡を皇居の外に出したのだと王仁三郎は説くのです。
天皇の証とされる三種の神器は、天孫降臨の際に天照大神が天孫ニニギに授けたものです。
八咫鏡(やたのかがみ)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、別名・草薙剣)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の三つあり、歴代の天皇がこれを代々継承して来ました。
しかし現在、皇居内で祭っているのは八尺瓊勾玉だけで、八咫鏡は伊勢神宮で、天叢雲剣は熱田神宮で祭っています。
一体いつから皇居の外で祭るようになったのか? 「古語拾遺(こごしゅうい)」(807年に編纂された歴史書)によると、鏡も剣も第10代・崇神天皇の御代からです。
このことは記紀には書いてありません。
鏡は、日本書紀には天照大神を笠縫邑(かさぬいむら)に祭ったと書いてあるだけで、鏡を祭ったとは書いてありません。
古事記には、そもそも笠縫邑の話が書いてありません。
剣の方は、第12代・景行天皇の皇子である日本武尊が東征の際に、伊勢神宮で倭姫命(第11代・垂仁天皇の皇女。日本武尊の叔母に当たる)から草薙剣を授けられたと、記紀
両方に記されており、この時点では剣はすでに伊勢にあったことになりますが、いつ皇居の外に出たのかは書いてありません。
次の文は加藤玄智・校訂『古語拾遺』(昭和4年、岩波文庫、p40)からの引用です。
●国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1170418/22
「倭の国 笠縫の邑に、殊に磯城(しき)神籬(ひもろぎ)を立て、天照大神御像の鏡と草薙宝剣とを遷しまいらせて、皇女 豊鍬入姫命をして、斎き祭らしめられた」
このように、八咫鏡と草薙剣を皇居から出して笠縫邑に祭ったことが記されています。
王仁三郎は鏡にしか言及していませんが、剣も天照大神の御神体とされているので、鏡と同様に、「国体の精華を隠伏」するという意味で宮中の外に出されたと考えていいのでは
ないかと思います。
では勾玉だけは何故宮中に残されたのかという疑問が残りますが、本題とは関係ないので深く考えないことにします。(~_~;)
余談ですが、日本武尊は東征の帰途、尾張で宮簀媛(みやすひめ)を娶り、その家にしばらく滞在した後、草薙剣をそこに置いたまま、伊吹山の荒ぶる神を征しに向かいます。そ
こで傷ついた日本武尊は、伊勢の「能褒野(のぼの)」という地で亡くなりました。宮簀媛のもとに残された草薙剣を祭ったのが、熱田神宮の起源です。
いろいろ調べながら書いているので長くなってすみません。(m_m)
調べたことをどこかに書いておかないと忘れてしまうので。
さて、同殿同床の廃止が、なぜ和光同塵の政策なのかを、ここまでで説明しました。
次に、租税制度の導入がなぜ和光同塵の政策なのかです。
王仁三郎は崇神天皇が和光同塵の政策を導入した理由について、次のように述べています。〔「皇道維新について」第11章〕
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195502c21061
/=====
畏くも崇神天皇が、和光同塵の政策を施し給いたる御神慮は、実に実に高遠甚深(じんしん)なる御理想に由(よ)らせられたのである。
そもそもこの時代には人文未だ幼稚なりしゆえに、生欲の発達のみ最も隆盛を極め、弱肉強食の蛮風(ばんふう)を以て人生自然の常事となし、いわゆる日本書紀の、
『ついに邑(いふ)に君(きみ)有り、村に長(をさ)あらしめ、おのおの自ら疆(さかひ)を分(わか)ち以て相凌轢(りょうれき)す』(注・日本書紀の巻第三(神武天皇)
の最初の方に書いてある。村々にはそれぞれ長がいて境界を作って互いに争っている、という意味)
実に生存競争の激烈を極めた世態であった。
しかるに御国体(おんこくたい)(注・天皇のこと)の天職として、この世界を平和ならしめんとするには、ぜひとも彼ら外人(ぐわいじん)に相接触して以てその人文の開発
を移入せしめ、その窮極(きゅうきょく)せる時機において根本より変革し、神聖なる皇国経綸の精華を発揚せしめ給わんとの宏遠なる御神策によれる事は、畏(かしこ)くも天
皇の御名の意義によりて(注・前出の「ミマキイリヒコイニエ」の言霊解が「国体の精華を隠伏して、和光同塵の政策を始め給う」という意義)、明らかな事実である。
然り而(しこ)うしてその政策として、第一に世界の人文的大勢に応ずべき用意として、この御代から調貢(ちょうこう)の制(注・弭調と手末調のこと)を布かせ給うた。こ
れぞ我が国における租税制度の初めである。
=====/
分かりやすくまとめると──当時の日本列島に住む人々の社会は未発達で、生存競争が激しく、弱肉強食で、領地を争っている状態であった。それは皇国の本来のやり方ではなく
、外国のやり方である。なのでやむを得ず外国の諸制度を導入して社会を治め、時節を待つことになった──というようなことです。
租税の導入だけでなく、儒教や仏教の導入などもその一環だと説いています。〔「皇道維新について」第12章〕
その和光同塵が「窮極(注・極まったの意)せる時機」が到来したら日本社会を「根本より変革し、神聖なる皇国経綸の精華を発揚せしめ」ようという計画です。
その時期が到来したので、王仁三郎は皇道維新(大正維新)を唱えたのです。
次の文章は「世界の経綸」第5章からの引用です。
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195502c21062
/=====
要するに二千有余年以前、御皇宗 崇神天皇が御計画あらせられし和光同塵摂取の御神策の目的は明治天皇の御一代の鴻業(こうぎょう)(注・大きな事業の意)において全く
その御計画の本旨を達し給えるなり。(略)
国光発揚、国運発展の時期は現代今上陛下の昭代(注・御代の美称)なり。(略)
そもそも神聖なる皇祖の御遺訓を闡顕(せんけん?)し奉り御国体の精華を発揚する事は世界平和の根本基礎なり。しかして世界平和の第一着たるべき事業は財政経済の根本変
革をもって第一の要件と為すにあり。
=====/
和光同塵の神策は明治天皇において完了したというのです。
「現代今上陛下」という言葉は、大正7年(1918年)に機関誌上で「世界の経綸」を最初に発表した時には「現代大正天皇陛下」になっています。(『神霊界』大正7年10
月1日号p14)
しかし大正天皇はずっと病弱で、大正10年(1921年)11月には皇太子の裕仁親王が摂政に就任しています。ですから和光同塵の神策を廃して皇国の精華を発揚するのは実
質的に昭和天皇以降ということになります。
その第一着が「財政経済の根本変革」です。これは租税や金本位制を廃止することです。
(続く)
★‥…―━―…‥・‥…―━―…‥★
お読みいただきありがとうございました。
次回もお楽しみに!
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『霊界物語スーパーメールマガジン』
■発行日 令和2年(2020年)9月7日 (毎週月曜、木曜発行)
■発行所 オニド(王仁三郎ドット・ジェイピー)
http://www.onisavulo.jp/
■発行人 飯塚弘明
■連絡先 oni_do@ybb.ne.jp
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(C) 2020 IIZUKA HIROAKI
注:出典を明記していただければ自由に転載してもらっても構いません。
たとえば、「霊界物語スーパーメールマガジンから引用」などと
どこかに書いておいてもらえればOKです。
〜〜〜霊界物語スーパーメールマガジンから引用〜〜〜
童仏 阿弥陀如来(戌亥) 四十八の請願のもとあまねく衆生を救い、極楽浄土へと導きます。
霊界物語スーパーメールマガジン
2020.9.7
出口王仁三郎・著『霊界物語』を
飯塚弘明がやさしく解説します
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【ブログ更新】
●三鏡解説004から010まで載せました。
↓目次はこちら
https://iizukahiroaki.com/?p=1477
★.。:・.。:*・★.。:・.。:*・★.。:・.。:*★
「三鏡」の解説を連載中ですが、しばらくお休みして、
時事の話題をお送りしています。
╋ 世界大家族制とベーシックインカム(5) ╋
前回は、崇神天皇が和光同塵の政策として、同殿同床の廃止と、租税制度の導入という、二つの改革を実施したことを書きました。
今回は、その二つの改革がなぜ和光同塵の政策なのかについて書きます。
その二つが和光同塵の政策だとして大きく取り上げるのは王仁三郎の見解であって、一般的な見解ではありません。
一般的にも、記紀に記された崇神天皇の事跡から、大和朝廷の基礎を築いた天皇なのではないかと解されていますが、この二つだけが特別にクローズアップされてはいません。崇
神天皇の事跡は他に、四道将軍を派遣して北陸道、東海道、西海道、丹波を平定したとか、疫病が流行って民の半分が死んでしまい、神託によって大物主神を祭った、などがあり
ます。
↓詳細はこちらを見て下さい。
●コトバンク「崇神天皇」
https://kotobank.jp/word/-83807
●ウィキペディア「崇神天皇」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E7%A5%9E%E5%A4%A9%E7%9A%87
第二代・綏靖天皇から第九代・開化天皇までの八代は、記紀に事跡が記されておらず、「闕史八代(けっしはちだい)」と呼ばれています。(闕史は欠史とも書く)
王仁三郎的には、穴太の小幡神社の祭神である開化天皇が一番重要です。──開化天皇の名前「稚日本根子彦大日日命(わかやまとねこひこおおひひのみこと)」は「若き日本の
根本の神様」ということで、「世界を統一される神様」である。自分は開化天皇の御神業をやっているのだ──と王仁三郎は語っていたほどです。〔『新月の光』「開化天皇の御
神業」〕
しかし事跡が不明なため、記紀の物語の上では重要な存在ではありません。
記紀の物語上は、初代・神武天皇の次に重要な天皇となるのが、この第十代・崇神天皇です。
崇神天皇の名前は古事記によると「御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにえのみこと)」です。
王仁三郎は、この「ミマキイリヒコイニエ」を言霊学で解釈すると「国体の精華を隠伏して、和光同塵の政策を始め給う」という意義になり、「これによりてこの御代(みよ)に
、八咫(やあた)の神鏡を別殿に祭らせられたのである」と教えています。〔「皇道維新について」第11章〕
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195502c21061
天照大神の御神体である八咫鏡を皇居の外に出したのは、「国体の精華を隠伏して、和光同塵の政策を始め」ることを意味していたのです。「国体の精華」とは、つまり天皇の御
神徳・御威光ということです。本来あるべき光を隠して、塵と同化する(俗世間に交わる)ことが和光同塵です。神から与えられた天皇の本来の姿、本来の使命を隠すために、天
皇の証である八咫鏡を皇居の外に出したのだと王仁三郎は説くのです。
天皇の証とされる三種の神器は、天孫降臨の際に天照大神が天孫ニニギに授けたものです。
八咫鏡(やたのかがみ)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、別名・草薙剣)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の三つあり、歴代の天皇がこれを代々継承して来ました。
しかし現在、皇居内で祭っているのは八尺瓊勾玉だけで、八咫鏡は伊勢神宮で、天叢雲剣は熱田神宮で祭っています。
一体いつから皇居の外で祭るようになったのか? 「古語拾遺(こごしゅうい)」(807年に編纂された歴史書)によると、鏡も剣も第10代・崇神天皇の御代からです。
このことは記紀には書いてありません。
鏡は、日本書紀には天照大神を笠縫邑(かさぬいむら)に祭ったと書いてあるだけで、鏡を祭ったとは書いてありません。
古事記には、そもそも笠縫邑の話が書いてありません。
剣の方は、第12代・景行天皇の皇子である日本武尊が東征の際に、伊勢神宮で倭姫命(第11代・垂仁天皇の皇女。日本武尊の叔母に当たる)から草薙剣を授けられたと、記紀
両方に記されており、この時点では剣はすでに伊勢にあったことになりますが、いつ皇居の外に出たのかは書いてありません。
次の文は加藤玄智・校訂『古語拾遺』(昭和4年、岩波文庫、p40)からの引用です。
●国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1170418/22
「倭の国 笠縫の邑に、殊に磯城(しき)神籬(ひもろぎ)を立て、天照大神御像の鏡と草薙宝剣とを遷しまいらせて、皇女 豊鍬入姫命をして、斎き祭らしめられた」
このように、八咫鏡と草薙剣を皇居から出して笠縫邑に祭ったことが記されています。
王仁三郎は鏡にしか言及していませんが、剣も天照大神の御神体とされているので、鏡と同様に、「国体の精華を隠伏」するという意味で宮中の外に出されたと考えていいのでは
ないかと思います。
では勾玉だけは何故宮中に残されたのかという疑問が残りますが、本題とは関係ないので深く考えないことにします。(~_~;)
余談ですが、日本武尊は東征の帰途、尾張で宮簀媛(みやすひめ)を娶り、その家にしばらく滞在した後、草薙剣をそこに置いたまま、伊吹山の荒ぶる神を征しに向かいます。そ
こで傷ついた日本武尊は、伊勢の「能褒野(のぼの)」という地で亡くなりました。宮簀媛のもとに残された草薙剣を祭ったのが、熱田神宮の起源です。
いろいろ調べながら書いているので長くなってすみません。(m_m)
調べたことをどこかに書いておかないと忘れてしまうので。
さて、同殿同床の廃止が、なぜ和光同塵の政策なのかを、ここまでで説明しました。
次に、租税制度の導入がなぜ和光同塵の政策なのかです。
王仁三郎は崇神天皇が和光同塵の政策を導入した理由について、次のように述べています。〔「皇道維新について」第11章〕
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195502c21061
/=====
畏くも崇神天皇が、和光同塵の政策を施し給いたる御神慮は、実に実に高遠甚深(じんしん)なる御理想に由(よ)らせられたのである。
そもそもこの時代には人文未だ幼稚なりしゆえに、生欲の発達のみ最も隆盛を極め、弱肉強食の蛮風(ばんふう)を以て人生自然の常事となし、いわゆる日本書紀の、
『ついに邑(いふ)に君(きみ)有り、村に長(をさ)あらしめ、おのおの自ら疆(さかひ)を分(わか)ち以て相凌轢(りょうれき)す』(注・日本書紀の巻第三(神武天皇)
の最初の方に書いてある。村々にはそれぞれ長がいて境界を作って互いに争っている、という意味)
実に生存競争の激烈を極めた世態であった。
しかるに御国体(おんこくたい)(注・天皇のこと)の天職として、この世界を平和ならしめんとするには、ぜひとも彼ら外人(ぐわいじん)に相接触して以てその人文の開発
を移入せしめ、その窮極(きゅうきょく)せる時機において根本より変革し、神聖なる皇国経綸の精華を発揚せしめ給わんとの宏遠なる御神策によれる事は、畏(かしこ)くも天
皇の御名の意義によりて(注・前出の「ミマキイリヒコイニエ」の言霊解が「国体の精華を隠伏して、和光同塵の政策を始め給う」という意義)、明らかな事実である。
然り而(しこ)うしてその政策として、第一に世界の人文的大勢に応ずべき用意として、この御代から調貢(ちょうこう)の制(注・弭調と手末調のこと)を布かせ給うた。こ
れぞ我が国における租税制度の初めである。
=====/
分かりやすくまとめると──当時の日本列島に住む人々の社会は未発達で、生存競争が激しく、弱肉強食で、領地を争っている状態であった。それは皇国の本来のやり方ではなく
、外国のやり方である。なのでやむを得ず外国の諸制度を導入して社会を治め、時節を待つことになった──というようなことです。
租税の導入だけでなく、儒教や仏教の導入などもその一環だと説いています。〔「皇道維新について」第12章〕
その和光同塵が「窮極(注・極まったの意)せる時機」が到来したら日本社会を「根本より変革し、神聖なる皇国経綸の精華を発揚せしめ」ようという計画です。
その時期が到来したので、王仁三郎は皇道維新(大正維新)を唱えたのです。
次の文章は「世界の経綸」第5章からの引用です。
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195502c21062
/=====
要するに二千有余年以前、御皇宗 崇神天皇が御計画あらせられし和光同塵摂取の御神策の目的は明治天皇の御一代の鴻業(こうぎょう)(注・大きな事業の意)において全く
その御計画の本旨を達し給えるなり。(略)
国光発揚、国運発展の時期は現代今上陛下の昭代(注・御代の美称)なり。(略)
そもそも神聖なる皇祖の御遺訓を闡顕(せんけん?)し奉り御国体の精華を発揚する事は世界平和の根本基礎なり。しかして世界平和の第一着たるべき事業は財政経済の根本変
革をもって第一の要件と為すにあり。
=====/
和光同塵の神策は明治天皇において完了したというのです。
「現代今上陛下」という言葉は、大正7年(1918年)に機関誌上で「世界の経綸」を最初に発表した時には「現代大正天皇陛下」になっています。(『神霊界』大正7年10
月1日号p14)
しかし大正天皇はずっと病弱で、大正10年(1921年)11月には皇太子の裕仁親王が摂政に就任しています。ですから和光同塵の神策を廃して皇国の精華を発揚するのは実
質的に昭和天皇以降ということになります。
その第一着が「財政経済の根本変革」です。これは租税や金本位制を廃止することです。
(続く)
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お読みいただきありがとうございました。
次回もお楽しみに!
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posted by unhadou at 19:11| 【霊界物語スーパーメルマガ】世界大家族制とベーシ