2018年06月07日
Next is Best チャーリー・チャップリン
記者会見も終わりに近づいたころ
「チャプリンさん、ご自分の作品の中で、どれが一番だとおもいますか」
という記者の質問に、チャプリンは
「Next is Best」
次に作る映画が自分の代表作だ、と答えている。
いわば、自分の子どものような作品に順位などつけられるものか、
と言いたかったのかもしれないし、
常に最善を尽くしてきている自分としてはこれから作る作品は、
過去の作品をこえるものでなければ作る意味はない、
と言っているようにも思う。
凡人の記者さんには天才の芸術家の心中などとても推し量れず、
間抜けな質問になってしまったのだろう。
だが、この質問のおかげで「
Next is Best」という名言を引き出したのだから
非凡な記者だったのかもしれない。
後に「喜劇王」と呼ばれたチャールズ・スペンサー・チャップリンは
1889年4月16日ロンドンに生まれ、
1977年12月25日スイスの自宅で88才の生涯をとじている。
チャプリンの作品や生涯については、
ここでは多くを語る必要はないと思う。
チャプリンがなぜ日本を好きになってくれたのかについて、
少々書いてみたい。
1932年5月14日、
チャプリンはイギリスの植民地である
シンガポールにジャワ、バリ島を経て来日した。
4万人といわれる民衆が東京駅に彼を出迎え、
関東大震災時の避難民の喧騒と
怒号以上の混乱をきたしながら歓迎している。
ビートルズが初来日した時と同じような状況だったのだろうか。
ここで、歴史の質問。
1932年5月15日に事件が起きた。
何事件??? いわゆる5・15事件。
民衆も歓迎のため興奮状態だったが、
青年将校たちも何をトチクルッタか
チャプリン暗殺計画も作られたらしい。
間違えた、トチクルッタから事件を起こしたのだった。
チャプリンは「各国の文化水準は監獄を見れば解る」との持論から、
小菅刑務所(現・東京拘置所)を視察。
「恐らく設備、明るさの点からいって世界一」と太鼓判を押し、
日本の人道主義を目の当たりにし、
驚嘆している。
チャプリンの日本好きはここらあたりに遠因があるのだろう。
また、3回目の来日時には鵜飼を見学し
「鵜飼は一遍の詩であり、鵜匠は詩人である」
と言い残したが、大東亜戦争後に再度訪れた長良川では、
その鵜飼の寂れ方にガッカリしたようだ。
チャプリンは日本の古典芸能や生活様式から
大きな影響をうけているが、
日本の芸人・文化人はそれ以上の影響を受けたはずだ。
その中で一つだけ。
手塚治虫は、
生前「どうすれば、人々の記憶に残る漫画が描けるのですか?」
という質問に対して
「とにかくチャップリンの映画を観ろ。
あれにすべての答えがある」と決まって答えている。
また「私の漫画の手法はチャップリンなしに考えられない」とも語っている。
「ヒゲおやじ」はチャプリンだったのですネ。
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