2019年05月10日
語り継ぐべきこと 北海道を救った戦い その2
池田連隊長はシャツ姿になり、
つまり、階級章等を付けず、
日の丸の手ぬぐいで鉢巻をし戦車から半身を乗り出し、
「上陸軍を一人残らず海にたたき落とすまで奮闘せよ」
と日章旗を振って突撃の合図をする。
この戦いに参加していた部下の一人は
この時の池田の姿を見て「連隊長、こりゃ、死ぬ気だな」
と思ったと語っている。
この時の戦いで、士魂部隊は戦車27両が撃破され、
池田連隊長はじめ96名が戦死した。
その後、第五方面軍からの停戦と自衛戦闘への移行命令が届き、
ソ連軍に停戦の軍使を派遣するも、
ソ連軍はこの軍使を射殺すしたため、
停戦交渉が成立したのは8月21日、
現地の日ソ両軍間で堤師団長とソ連軍司令官グネチコ少将が
会同して降伏文書の正式調印が行われた。
このとき守備隊将兵は納得のいかない思いでいた。
「なぜ勝った方が、負けた連中に武装解除されるのか」
もう一つ、この占守島の戦いにおいて忘れてならないのは、
400名からの若いニチロ漁業の缶詰工場の
女子工員を無事、北海道まで逃がしていることだ。
参謀長とこれら工員の世話役の大尉は
「このままでは必ずソ連軍に陵辱される被害者が出る。
何としてもあの娘たちを北海道へ送り返そう」と相談し、
当時島にあった独航船二十数隻に約400人を分乗させ、
霧に覆われた港から北海道に向けて出港させた。
自分達は内地に帰れる宛のないなか、
ソ連軍の爆撃機に高射砲を浴びせながら、
出港させたのだ。
「全員、無事に北海道に着いた」
との電報が島に届いたのは、それから5日後だった。
中国大陸での悲惨さを思えば、
見事な配慮だったといわざるを得ない。
池田大佐は剛毅果断で明朗闊達だが
、部下思いで人間味に満ちた温和な性格で信望を集めていた。
当番兵を差し置いて洗濯は自分でしていた。
申し訳なさそうにしている部下に連隊長は
「お前は誰に仕えているのだ。
俺に仕えているのではない。
国に仕えているのだろう」と言っている。
占守島に連隊長として赴任したとき、
荷物は柳行李ひとつだったという。
清廉潔白な見事な軍人であると同時に、
出撃前の部下への見事な激。
陸軍幼年学校から陸軍士官学校で学んだ、
まさに文武両道の人だった。
戦時、日本軍の将校たちの人間的レベルの高さには、
驚嘆する。
むろん、士官学校は他の大学を圧倒して
レベルが高かったということは聞いている。
同じように硫黄島で玉砕した市丸利之助海軍中将が、
ルーズベルト大統領に宛てた手紙など、
いかに彼らが世界をみていたか、
読む度に驚かずにはいられない。
つまり、階級章等を付けず、
日の丸の手ぬぐいで鉢巻をし戦車から半身を乗り出し、
「上陸軍を一人残らず海にたたき落とすまで奮闘せよ」
と日章旗を振って突撃の合図をする。
この戦いに参加していた部下の一人は
この時の池田の姿を見て「連隊長、こりゃ、死ぬ気だな」
と思ったと語っている。
この時の戦いで、士魂部隊は戦車27両が撃破され、
池田連隊長はじめ96名が戦死した。
その後、第五方面軍からの停戦と自衛戦闘への移行命令が届き、
ソ連軍に停戦の軍使を派遣するも、
ソ連軍はこの軍使を射殺すしたため、
停戦交渉が成立したのは8月21日、
現地の日ソ両軍間で堤師団長とソ連軍司令官グネチコ少将が
会同して降伏文書の正式調印が行われた。
このとき守備隊将兵は納得のいかない思いでいた。
「なぜ勝った方が、負けた連中に武装解除されるのか」
もう一つ、この占守島の戦いにおいて忘れてならないのは、
400名からの若いニチロ漁業の缶詰工場の
女子工員を無事、北海道まで逃がしていることだ。
参謀長とこれら工員の世話役の大尉は
「このままでは必ずソ連軍に陵辱される被害者が出る。
何としてもあの娘たちを北海道へ送り返そう」と相談し、
当時島にあった独航船二十数隻に約400人を分乗させ、
霧に覆われた港から北海道に向けて出港させた。
自分達は内地に帰れる宛のないなか、
ソ連軍の爆撃機に高射砲を浴びせながら、
出港させたのだ。
「全員、無事に北海道に着いた」
との電報が島に届いたのは、それから5日後だった。
中国大陸での悲惨さを思えば、
見事な配慮だったといわざるを得ない。
池田大佐は剛毅果断で明朗闊達だが
、部下思いで人間味に満ちた温和な性格で信望を集めていた。
当番兵を差し置いて洗濯は自分でしていた。
申し訳なさそうにしている部下に連隊長は
「お前は誰に仕えているのだ。
俺に仕えているのではない。
国に仕えているのだろう」と言っている。
占守島に連隊長として赴任したとき、
荷物は柳行李ひとつだったという。
清廉潔白な見事な軍人であると同時に、
出撃前の部下への見事な激。
陸軍幼年学校から陸軍士官学校で学んだ、
まさに文武両道の人だった。
戦時、日本軍の将校たちの人間的レベルの高さには、
驚嘆する。
むろん、士官学校は他の大学を圧倒して
レベルが高かったということは聞いている。
同じように硫黄島で玉砕した市丸利之助海軍中将が、
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