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2018年01月31日
1/30 記録だけですが
【朝食】09:05 血糖値:179 アピドラ:10単位
【昼食】14:00 血糖値:96 アピドラ:8単位
【夕食】19:55 血糖値:87 アピドラ:13単位
ハンバーグ ナスのガーリックソテー添え
クリームシチュー
ご飯 お茶碗7分目
疲れも段々取れてきて、何とか日常生活に戻ってきました。
6日にはまた父のもとに戻りますが、四十九日を終えたら又こちらに戻ります。
1月23日が糖尿の定期健診日だったのですが、HbA1Cは5.5でした。
順調に下がってきてたのですが今回の検査の結果(次の診察日に判明)はおそらく悪化しています。
先生も看護師さんにも 「落ち着いたらまたコントロール頑張ればよいよ。」と言っていただきました。
歯の治療も途中で放り出して父のもとに駆け付けた状態でしたが、仮の詰め物が外れることもなく、無事治療再開となりました。
こちらに戻り、通院や雑事を済ませた今、やっと少しいつもの日常が戻ってきています。
例え一週間でもこちらにいる間はコントロール頑張ろうと思います。
・・・と言っても 相も変わらず高め推移なんですけどね。
あちらに行ったら、どうしても糖質コントロールはかなり困難。
今回、ラカント持参するつもりです(爆)
【就寝前】 血糖値: トレシーバー:6単位
2018年01月22日
寂しいですが・・・
長らくブログ放置してしまいました。
留守の間に、突然更新を止めた私の事をご心配くださり
温かいメッセージを残してくださった方々に改めてお詫びとお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。
実は・・・
父が、1月5日に永眠いたしました。
そのため、年末から故郷に戻り、父の側で見守り、旅立ちを見送ることができました。
私の通院や薬剤の不足のことや雑事があり、一旦東京に戻りましたが、こちらで所要を済ませたら
また、父のところに戻る予定です。
せめて、父の魂が49日を過ぎて本当に旅立つまで、側にいたいと思っています。
また、更新が滞ると思いますが、落ち着いたら再び、治療や運動に頑張ろうと思います。
最後まで意識があり、胃ろうを自分の意志で拒否した父
点滴が入らず、余りの痛みに、我慢強い父が「助けてくれ。止めてくれ」と
私にしがみついて意思表示をした父
一時間余り注射針を体中に刺される父
余りの苦しみ方に、見ていられず、同じく悩んだ弟と相談し、
父を苦しめるだけだと判断して、点滴を止めていただく苦渋の決断をしました。
点滴を中止した後、父は苦しむこともなくなり、本当に穏やかに最後を迎えました。
父の意志を尊重した決断は間違っていなかったと思っています。
駆け付けた私がそっと重ねた手に、モゾモゾと自分で指を動かし
指を絡めてきてしっかりと握り返した父。
おとうさん、良い人生だったね、しっかり生き切ったね。
神様がもうすぐお迎えに来るけど、安心して天国に行ってね。
と父に話しかけたら、うんうんと頷いた父でした、
父の立てた家、かなり広いのですが、掃除が行き届いていなかったので、
葬儀が終わってから必死に掃除していました。
旅立つ時綺麗な家から旅立たせてあげたい。
安心して旅立ってほしいの一念で、掃除しまくりました。
お父さんお父さんと毎日父に心の中で話しかけています。
ありがとな。でも、あまり無理するなよと言う父の声が聞こえるような気がします。
事務所経営で、83歳まで現役だった父
経済的にも恵まれていて、子供たちにも孫たちにも十分な事をしてくれた父
お父さん。
今迄本当にありがとうございました。
私は良い娘でしたか?
貴方の娘に生まれて、私は本当に良かったと思っています。
昭和2年3月8日生まれ
90歳。
人生しっかりと生き抜いた。
私寂しいけれど、悲しくはないよ。
自分に与えられた人生、しっかり生き切ったんだものね。
寂しいけれど、悲しいことじゃないんだよね。
でも、寂しいよ。本当に寂しいよ。
いくつになっても、親を亡くすって辛いです。
留守の間に、突然更新を止めた私の事をご心配くださり
温かいメッセージを残してくださった方々に改めてお詫びとお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。
実は・・・
父が、1月5日に永眠いたしました。
そのため、年末から故郷に戻り、父の側で見守り、旅立ちを見送ることができました。
私の通院や薬剤の不足のことや雑事があり、一旦東京に戻りましたが、こちらで所要を済ませたら
また、父のところに戻る予定です。
せめて、父の魂が49日を過ぎて本当に旅立つまで、側にいたいと思っています。
また、更新が滞ると思いますが、落ち着いたら再び、治療や運動に頑張ろうと思います。
最後まで意識があり、胃ろうを自分の意志で拒否した父
点滴が入らず、余りの痛みに、我慢強い父が「助けてくれ。止めてくれ」と
私にしがみついて意思表示をした父
一時間余り注射針を体中に刺される父
余りの苦しみ方に、見ていられず、同じく悩んだ弟と相談し、
父を苦しめるだけだと判断して、点滴を止めていただく苦渋の決断をしました。
点滴を中止した後、父は苦しむこともなくなり、本当に穏やかに最後を迎えました。
父の意志を尊重した決断は間違っていなかったと思っています。
駆け付けた私がそっと重ねた手に、モゾモゾと自分で指を動かし
指を絡めてきてしっかりと握り返した父。
おとうさん、良い人生だったね、しっかり生き切ったね。
神様がもうすぐお迎えに来るけど、安心して天国に行ってね。
と父に話しかけたら、うんうんと頷いた父でした、
父の立てた家、かなり広いのですが、掃除が行き届いていなかったので、
葬儀が終わってから必死に掃除していました。
旅立つ時綺麗な家から旅立たせてあげたい。
安心して旅立ってほしいの一念で、掃除しまくりました。
お父さんお父さんと毎日父に心の中で話しかけています。
ありがとな。でも、あまり無理するなよと言う父の声が聞こえるような気がします。
事務所経営で、83歳まで現役だった父
経済的にも恵まれていて、子供たちにも孫たちにも十分な事をしてくれた父
お父さん。
今迄本当にありがとうございました。
私は良い娘でしたか?
貴方の娘に生まれて、私は本当に良かったと思っています。
昭和2年3月8日生まれ
90歳。
人生しっかりと生き抜いた。
私寂しいけれど、悲しくはないよ。
自分に与えられた人生、しっかり生き切ったんだものね。
寂しいけれど、悲しいことじゃないんだよね。
でも、寂しいよ。本当に寂しいよ。
いくつになっても、親を亡くすって辛いです。