判っていても、それに乗ってしまうサガ。
私もこの類の中に入る単純さが余りある。
長女が「〇〇ちゃんはうまいよねぇー。お父さんは凄い。偉い。お母さんが喜んじゃうねぇーと、良くまぁ言えるもんだよね、私は恥ずかしくあそこまでは言えないなぁ」と、先日遊びに来た時言っていた。
確かに次女はよいしょが上手で、のせられてしまう。
判っていてもうれしくなり、頼まれれば依頼ごとをしてしまう。
無論、誰彼でなく人を見て言っているのだがこれは良い事であると思っている。
妻に「あの子は自分の旦那にもヨイショしているのかね」と言ったら「そうでもないみたいだよ」との事だから私は豚もおだてりゃ木に登る部類とみなされていることが判明。
古今亭志ん朝師匠の落語の中で「こんぺいには気を付けろ。と云われているんですよ、あいつは既に二人殺しているんですよ。今あいつは私を狙っているんですよ。最初は〇〇という落語家、二番目は三遊亭小圓游で、あいつは気が良く直ぐ乗ってしまうからこんぺいに、いよっ兄さん!、飲みっぷりがいいねぇーと褒められると、もう一度見たい?と、また飲んじゃうんだよね。それで死んじゃった。次は私らしい」と話しているのであるが、実に笑える部分である。
芸人はヨイショが上手であるが故に芸人たりえる処でもあるが、一般人の中にも太鼓持ちみたいな人はいるのである。
褒めて伸ばすという言葉があるが、それも同義語みたいなものであろう。
これはこれで、人の中で生き抜くうえで一つの芸でもあるのだから良いのではないかな。
ギスギスした関係よりも笑いがある方が人間関係上手く行くものである。
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