2012年08月29日
考える、ということに対する考察
こんばんは!実家で働き始めてからはこの時間まで起きていることが少なくなり、めっちゃ眠いとりぃです( ´ ▽ ` )ノ
今回は真面目な日記!!
“考える”ってとても難しい。
日常を惰性で過ごしていないか。
慣例に振り回されていないか。
問題に対する対応に関してより適切な手段があったのではないか。
いつだって、どこでだって、何に対してだって、より良いものを目指す為に、考えること、思考することが大切。
最近、『考える時間』というものをとってるんだけれど、そしたら逆に、常々考えることが出来ているのか判断出来なくなってきた。
「いつもそんなに考えてはいないっしょ?(●⁰౪⁰●)」
と質問が来て、
「いや、こう見えて結構考えてっから!(●・̆⍛・̆●)」
とか即答出来るのは、もうその段階ですら考えることを放棄してる。日常的に“考えること”を習慣していたら、冷静に適切な応答をするべく日常的に考えているかどうかを考える。
てか、そもそもどこまでのレベルまで思考を落とし込む事が出来たら“考えている”ことになるのかすらわからない。
あーぁ、経営して。マジで。
ってか”考”って字が出てき過ぎてゲシュタルト崩壊したわ!!