アフィリエイト広告を利用しています
ファン
検索
<< 2022年02月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28          
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
FIRST LOVE TWICE by トバ (04/14)
FIRST LOVE TWICE by せぼね (04/13)
△(三角)の月 by トバ (03/29)
△(三角)の月 by よし (03/29)
夢のつづき by トバ (03/28)
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
toba2016さんの画像
toba2016
安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
プロフィール

2022年02月26日

チャイナ・ドレスでおいで


安全地帯 アナザー・コレクション』八曲目、「チャイナ・ドレスでおいで」です。「プルシアンブルーの肖像」カップリングでした。

80年代、中国はとても縁の遠い国でした。メイドインチャイナの品物もほとんどありませんでした。NIESとかいって、韓国香港台湾シンガポールの製品が激安ショップ(いまでいう100円ショップ)に並んでおり、ネタで50円の電卓買ったら次の日はもう壊れていたなんて話をしているくらいでした。当時小学生〜中学生だったわたしの感覚からすれば、中国ってラーメンマンの国だろ、ついでにいうとインドはレインボーマンの国って認識でした。時代は変わるものです。

ところがそういう古い認識というのは昭和後期特有のもので、日本と中国の交流というのはおそらく有史以前から連綿と続いており、第二次世界大戦を機にほぼ断絶状態となった時期のほうが歴史のごく一部、ほんの一瞬にすぎないのです。わたしの祖父のように中国に出征した日本人もいれば、戦前から続く中華街で飲食店を営む中国人もいました。二国間の往来は有史以来活発であって祖父の世代のほうがよほどグローバル感覚を備えており、田中角栄による友好条約で日中間の行き来が再開したばかりのわたしの少年時代のほうが国際性に乏しい、それが当時の状況だったわけです。

そんな国際性乏しい昭和ヤングのわたしたちにとって、ヨコハマは身近に外国を感じることのできる異国情緒あふれる街でした。あ、いや、わたくし北海道ですから、横浜と函館や長崎の区別があんまりついてないんですけども。「あぶない刑事」を観ていても函館の街をいつでも思いだす、中華街のおいしいもの中継番組を観ていると家族で旅行した長崎の中華街のことを思いだす、そんな横浜素人のわたくしですが、思い切ってこの曲を語ってみようと思います。

いかにも「中国でござい、中華街でござい、今日は香港のお正月」って感じのリフがシンセサイザーで流れてきます。そうそう、春麗ちゃんが「スピン・ターン・キック!」とかいってくるくる回ってそうな音楽、これが当時の中国のイメージです。リズム隊は……「ドゴゴゴゴ!ドゴゴゴゴ!」と、シンセベースですかね?なんか六土さんのベースはたまにこういう音を出しそうで油断ならないんですが、まあふつうにシンセベースでしょう。このシンセベースの低音とシンセサイザーの高音がチャイナ的な演出の根幹を成していますね。ドラムはふつうに田中さんが叩いていると思います。二番に入る間奏で半径の短い……エフェクトシンバルですかね?ブシュ!って高い音を交えて叩いているんですが、これがこの曲におけるチャイナ感をいや増しています。

玉置さんの歌は、松井さんが「彼の好きなことばの遊び」をふんだんに入れて、「男女関係を茶化した」ものです(『Friend』より)。横浜の夜にチャイナドレスを着て赤い靴を履いた令嬢、うん、この時点でもうありえないんですが(笑)、この「ことばの遊び」が全てを浮つかせ、異国情緒と非日常感が絶妙にブレンドし、玉置さんなら、まあ、あるのかもな……?くらいにはリアリティが感じられるわけです。でもまあ、実際には起こりませんよ。驚いちゃうじゃないですか、横浜のホテルで玉置さんとチャイナドレスの女性が「潮風がしみるわね」とか言ってダンスしてたら。中国時代劇で殺し合いの関係として出逢った男女が梅満開の谷間で殺陣やってる間にくるくる回りながらスローモーションになって目が合い、いつのまにか惹かれ合い抱き合っていたなみのバカっぽさです。このあとパーティー組んで荒野を彷徨ってたら洞窟に迷い込んで、洞窟の中で三十年くらい修行している白髪の爺さんに出会いすべての謎、すべての因業を教えられ、すんごい必殺技を伝授してもらってふたりは真の敵を倒しに行く……うん、やっぱりバカだ(笑)。つまり、これはファンタジーなんでしょう。玉置さんならこんなことがあっても不思議じゃない、しかもバカっぽくなくてロマンチックだという、そんなファンタジーの光景を垣間見せる曲になっています。

「いいでしょう」「いるでしょう」「薄化粧」はもちろん、「とまらない(nai)しかたない(nai)愛(ai)」(類似パターンこのほか三例あり)、さらに「さむすぎる」「かみしめる」、どれも韻とリズムがバッチリハマってますね。とりわけファルセットと低音のボーカルが組み合わされたスピードあるサビの急転直下ぶりはスリル満点です。さらに、曲が違うことも無視していいとするなら、A面の「プルシアンブルーの肖像」で「はなせない」「はなさない」ってやってましたから、また「〜ない」かよ!と一枚で二度おいしいシングルとなっています。

それまで余裕こいて「カタカナ気分」とか糸井重里「じぶん、新発見。」なみのわけのわからないことを言っていたのに「もうとまらない!」と一気にヒートアップします。サビのギターがカッティングと小節終りの「チュクチュン!」で切迫感を演出しますね。これ、ワウ使っているんじゃないかな、と思います。クライベイビーでクワ〜!って感じでなく、軽ーくチャカポコやってる感じですね。

ギターの見せ場はソロです。シンセで四小節ばかり不穏な間をとってから最初のオクターバーとオーバードライブでチャイナ的なフレーズを弾くのが矢萩さん、それを受けてクリーンな音、これまたオクターバーかけた感じの音で返すのが武沢さんで、『安全地帯IV』の「デリカシー」に似たツインギターの掛け合いになっています。

そしてまたファルセットのチャカポコサビ「すぐさわらない」です。焦らすなって(笑)。なにせ「あなたひとりをかみしめる」ですから、チャイナドレスの女性はかなーり慎重にゆっくり迫られることと思います。「異人」がその薄化粧にざわめくという描写があるのですが、これは難しいですね。ナチュラルメイクすぎて外国人の方が驚くとか、そんなベタな話ではないと思うんですけども、というかそんなの驚く要素がないです。これは「薄化粧」の女性が美しすぎるとか妖艶すぎるとか、そんな意味でしょう。だから彼女はチャイナタウンのヒロイン、注目の的なのです。チャイナドレスからこぼれる脚線美が揺れるたびいちいち周囲の空気が動きます。そんな彼女が、玉置さんの前でだけ生まれたままの姿をさらけ出します。そして「いイィ〜よお〜」とささやくように歌う玉置さんの腕の中で、「想い出の抱きかた」に泣く……なんてこった、もはや国際性関係ない!わたくし落語でいうところの枕を間違ったようです(笑)。横浜だろうが中華街だろうが、日本だろうが中国だろうが、昭和だろうが令和だろうが男女ってのはあんまり変わらないねってオチにしようかと思ったんですが、書いてみるとバランス悪いことこの上ないです。

「Hong Kong」の記事で書いたのですが、安全地帯は中国、とりわけ香港では大人気でして、札幌のホームセンターで安全地帯BESTのカセットテープ香港版が逆輸入で売られていたくらいです(日本のとは違って「夢のつづき」が収録されていたのを覚えています)。なにも音楽にチャイナ感を出さずとも安全地帯の音楽はチャイナで大人気だったのですが、この「チャイナ・ドレスでおいで」は中国のファンにはどんなふうに聴こえていたんだろう?とちょっと興味ありますね。2000年ころだったでしょうか、香港のファンとメール交換していたこともあったんですが、もうメールもアドレスも失われてしまいましたから訊きようがないんですけども……。私の予想では、BON JOVIの「TOKYO ROAD」みたいに聴こえていたんじゃないかと思います。あのさあジョン、「さくらさくら」は確かに日本っぽいけどさあ!これじゃ小学生の音楽教科書だよとツッコミ入れたくなりますよね、あれ。アメリカ人にとっての日本の「ゲイシャ、ハラキリ」みたいなもので、日本人にとっての中国ってのはよくわからない国でした。知っている特徴を挙げてみたらラーメンとギョーザと清服といったように、興味があんまりないせいで認識がズレていたのです。それが悪いことであるわけでないんですが、平成後期以降の中国という工業大国を見る目、一種独特の威力を体感している目とはまるで違う、なんだか呑気な目で見ていられた平和な時代だったなあ、とこの曲を聴くと懐かしく思えてくるのです。
Listen on Apple Music

2022年02月12日

ノーコメント


安全地帯 アナザー・コレクション』七曲目、「ノーコメント」です。「悲しみにさよなら」カップリングですから、安全地帯カップリング界の王者「We're alive」に次ぐ有名度を誇る曲……のはず……なんですが、これがぜんぜん有名でないですね(笑)。

玉置さんが石原さんとの正念場を迎えていたころ、週刊誌やワイドショーは現代における報道態度と同じく、過度に煽情的で無責任極まりない態度で二人の関係をはやし立てていました。松井さんは、「ふたりはついていなかった」と書き残していらっしゃいます(『Friend』より)。どんな恋人たちにだって、ふたりだけで静かに愛を育む時間と空間が必要なのに、それが全く与えられなかったわけですから。そんなのそこらの高校生だってある程度はわきまえているものなんですが、わきまえていない人の小銭を広く浅くねらった商売が成り立つ時代だったわけです。そのうすーい悪意と興味本位の関心が日本中から集中し、ふたりは疲弊していきます。

そんなふたりの関係を詮索する目に対抗してるんだ!という玉置さんの態度すら歌にしてしまう玉置・松井コンビおそるべしといわなくてはなりません。曲はダン!ツツダンダンダン!ダン!ツツダンダンダン!というリズムにあわせ、ギターのカッティング、トーンチェンジしまくりのキメの応酬、ベース主導のショートブレイクの連続、と、音を追うだけでも非常に疲れます。これは「一度だけ」「FIEST LOVE TWICE」などでみられる、おそらくは安全地帯ビッグバンド時代からの伝統であるギターアンサンブル路線と軌道を一にしています。それなのに玉置さんのボーカルとコーラスだけが「悲しみにさよなら」時代の安全地帯ですので、一種独特の緊張感で張り詰めています。

思えば『安全地帯IV』に収録されている「デリカシー」「合言葉」「こしゃくなTEL」「彼女は何かを知っている」といったようなギターバンド完成!といった曲たちとテンションは酷似しているんですが、この曲がアルバム入りしなかったのはまあ仕方ないですね。歌詞の趣が違いすぎて、アルバムのストーリー性が歪んでしまいます。ですから、マスコミがうるさいから特別に作った曲的な孤高のポジションを持っている曲です。

そんなマスコミ対策曲、というか、逆にマスコミを茶化していて遊んでるんじゃないのかという余裕すら見せるかのようなこの曲なんですが、その後の顛末を知っていればふたりはもうギリギリ、崩壊の瀬戸際に立たされていたことは明らかでした。ですから、松井さんとしては、マスコミってしょうがねえよな、ノーコメントだ!で押し通しちゃいなよ!という励ましの気持ちで書かれた歌詞なのではないのかと思われます。

曲はリズムで緊張感たっぷりのイントロから、歌に入ります。好奇心は「金と銀」、ふたりは「白と黒」、モノクロームの恋人たちには金銀の視線は痛すぎます。ギターの「ベペレッペー!」というフレーズに切り取られた鮮やかな対比だけを印象に残し、Aメロはすぐに終わり、ものすごい展開の速さでBメロ、サビに突入します。

噂なんてどうでもいい、本当のことは風にでも聞いてみればいい。俺には訊くな、という突き放しにも思えますが必ずしもそうではないでしょう。じつは本当のことを知っているのは風だけなのかもしれない、本人たちにだってちゃんとした言葉でわかるように説明できるとは限らないし、そういう義理もないんだから、という、松井さん一流のアイロニーとロマンティシズムあふれる表現であるように思えるのです。「風」は落語の世界では芸「風」という意味でもあるのですから、玉置さんと石原さんのパフォーマンスをよく見ていれば、本人たちの口からきくより(そんなの「みんなノーコメント」にきまってるわけです)正確に分かるかもしれないよ、という「風」流なアイロニーを利かせてすらいるのかもしれません。

曲は二番に入りまして、「罪と罰」「光と影」という対比をギターで切り取る手法は一番と同じ、Bメロに聞き捨てならない「ことばでうなずければ泣いたりはしない」というセリフが登場します。ことばはあまりに不完全で、ことばがふたりの傷をいやすことはなさそうなのに、ステージを降りたふたりはことばでお互いを励ましあうしかなかったのです。

サビはまたノーコメント、つまり自分たちにもわからないよ、わかっていたって答えるとは限らないよ、という、はやしたてられるふたりの心境をファルセットで絞り出すように吐露します。曲は一瞬止まり、田中さんのフィルインに、矢萩さんがギターのアーミングで出したのかなにやら突風のような音とともに間奏が始まります。ギターの掛け合いなんですが、あんまりちゃんとしたメロディーを奏でる気が感じられず、冒頭のトリル以外は基本バッキングプラスアルファの咆哮だけです。「ノーコメント」ですから、ギターで雄弁に「みなさんこんにちは〜ぼくたちラブラブですよ〜」とか語るのも変ですので(笑)、これで正しいように思います。

間奏のあと、Bメロからサビを二回繰り返し、曲はまた一瞬止まってアウトロ、真相を知らせないまま去ってゆくかのようにフェイドアウトしていきます。愛しているのか愛されているのか、何をしたのか何処へ行くのか、そんなことどうでもいいじゃないですか。だけども人は知りたがるのです。わたくしも多少は知りたいけども訊きません。週刊誌も買いません、床屋や定食屋でみるだけです(笑)。ネットで検索もしませんって、当時はそんなものなかったですから、知りたいことはみんな文字ベース紙ベース音声ベースです。だからラジオをかけっぱなしにしているし、コンビニやキヨスクにはスポーツ新聞や週刊誌がこれでもかと並んでいたのです。全部立ち読みすれば何かは引っ掛かります。

なお『ONE NIGHT THEATER』には、サングラスの男たちに追いかけられマイクを向けられる玉置さんが「ノーコメント!」というそぶりをするというマンガみたいな映像が収められています。きみたちそんな仕事していて虚しくならないの?と思わされる映像なんですが、彼らにも生活があり、その生活を成り立たせるだけの需要もあったのです。ですから、ふたりを追い詰めたのは彼らでもあったのですが、彼らを支えていたのは「みんな」なのだということは、わたしたちはよくよく心得ていなくてはならないでしょう。
Listen on Apple Music

2022年02月04日

一秒一夜


安全地帯 アナザー・コレクション』六曲目、「一秒一夜」です。「熱視線」カップリングですね。

矢萩さんの作曲・ボーカルという、レア度が高いにもほどがある曲です。矢萩さんのボーカルは『冒険者』や『喜びの歌』で堪能することができますが、聴いてるとなんかクセになるんですよね。そんなわけで、安全地帯もう一人のボーカリストといってもいいでしょう。シャドウボーカリスト、ふだんは二列目で司令塔としてパスを供給しているけど、いざというときは自分がゴール前に突進していって自らゴールを決める、そんなファンタジスタであるといえます。

さて、能力的にはボーカリストがつとまるとはいえ、なんでまた玉置さんを差し置いてまで歌ったのか?これはバンド内の事情ってやつなんだと思います。アマチュアでも、オリジナルをやるバンドなら、曲作った人が歌ったほうがいいよねって感覚があるのです。おそらくですが、アマチュア時期の安全地帯にも似たような感覚があって、矢萩さん、俊也さん、玉置さんがそれぞれ歌うってことがあったんじゃないかと思います。たんに玉置さんの曲がとにかく多くて玉置さんばっかり歌っていたから傍からは不動のボーカリストに見えていただけで、本人たちは別の思惑、活動方針で動いているということがあるものです。俺の曲なんだからこれは俺のものだ、俺が歌うんだからおまえら手を出すな!みたいな縄張り意識とはちょっと違ってですね、作った人がいちばんこの曲をどういうふうに歌として形にしたいかわかっているから、作った人が歌ったほうがしっくりくるってことなんです。バンドとして、曲として、完成度が高いほうを選択するわけですから、結果としてそうなるんですね。

玉置さんは、曲を陽水さんに作ってもらうという会社からの案を断って、自分で歌う曲は自分で作る、そうでなければ北海道に帰るといって「ワインレッドの心」を生み出したわけですから(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)、自分の曲でないものは歌わない、くらいのこだわりがあったのだと思います。ですから、この曲も自分では歌わない、矢萩さんの作った曲は矢萩さんが歌う、という、おそらくはアマチュア時代から持ちつづけてきた方針に従ってそうしたものと思われます。

イングウェイさんみたいに、曲は自分で作るけれども自分では歌わず、自分の思った通りに歌えるボーカリストに出会うべく次々とボーカリストをクビにしては新しい人を試すという人もいれば、YOSHIKIさんみたいに、ボーカリストは決まっているんだけどそのボーカリストが自分の思った通りに歌えるまで年単位で歌い直しさせる人もいます。いずれの場合もボーカリストは「そこまでいうなら自分で歌えよ!」と思うことでしょう。ですから、歌は曲を作った人が歌うという方針はバンドとしてごく合理的なのです。まあー、逆にいえば、自分で曲を作らないボーカリストってのはものすごく立場が弱いんですよ。傍からはバンドの看板に見えると思いますけど、携帯ショップのカウンター店員みたいなもので、接客ぜんぶやるんだけど使われてる感がハンパないわけです。

さて曲は、手で叩く系のパーカッションのリズムに乗せてアコギともエレキともつかぬ鮮やかなクリーントーンのアルペジオで始まり、矢萩さんのボーカルがワンフレーズあってからすぐにズシイーンとベース、ボワボワ系のシンセが重ねられてBメロ、そしてドラムが入ってサビへと行きます。サビでは、印象的な加工アルペジオのギターが響きます。総じて、陰鬱なイメージです。

二番でもドラムとベースがアタマから入っていますが陰鬱さは当たり前に変わらず、ズシ……ズシ……と重ーい歩みの黒い影を霧の向こうで眺めるような、矢萩さん独特の雰囲気全開に曲は進みます。

そう、矢萩さんの曲ってこんなイメージなんですよ。ですからのちに「冒険者」聴いたときに、大丈夫ですか暗さがちょっと隠しきれてませんがムリしてませんか矢萩さん!とちょっと心配になったほどです(笑)。

間奏では武沢さんかなと思われるカッティングに乗せてギターとシンセをユニゾンさせたような前フリメロディーがあってから矢萩さんの十八番メロウでヘビーなギターソロに突入します。この様子はまるっきりいつもの安全地帯ですから、この雰囲気は矢萩さんが作り出していたのだとハッキリわかりますね。そしてサビを繰り返し、ドコドコドコドコ!と左右に振ったドラムで曲は終わり、イントロのアルペジオでフェイドアウトです。いやーこれはコアな安全地帯ファンが楽しめる曲であることは間違いないのですが、およそA面の「熱視線」目当てに買った人を喜ばせるようなコマーシャルなところのない曲であるといえるでしょう。渋すぎます。

歌詞ですが、松井さんはのちの矢萩さんソロにも歌詞を提供していますから、そんなに違和感ある組み合わせでもなくなっています、後から考えれば。このときも、矢萩さんの声と曲調にうまーく合わせた遠い霞の向こうでうごめく影のような世界を描いていますね。「ふたりは砂になる」って、溶け合っているのに乾いてるじゃん!「12色の絵具箱」って最小セットじゃん、どれも極彩色に近いよ、それが「あなたに似あえば」って、ぜんぜん打ち解けてないよもう!と、かなり肩ひじ張ってギクシャクした関係を表現しているんですが、矢萩さんの曲調と歌でおそろしく淡々としているのです。影のようだからこそ、アクションがハッキリしていないと何をしているのかわからない(笑)。

「消えてゆくいとしさ」ですから、冷めてゆく関係なのです。それだからこそ、よその「誘惑にもうこわれた」わけです。ああダメじゃんもう。それでも、「永遠にふるえている一秒が不思議」……これが難しい……というかわからない……いまはすっかりダメになったけど、心を通わせ震わせたかつての一瞬一秒は、永遠にぼくの胸に刻み付けられているんだ的なことなのかしらと、平凡な感想しか浮かんできません。うーむもっと深い情念的なものを描いているような気がしないでもないんですが……。まあ、仮にそのとらえ方でよかったとしてですが、そういう一瞬って結構マジで刻み付けられているんだと思います。それはそうなる前には決してなかった思考・行動へと人を駆り立てるようになります。心理学の用語でいえば「学習」したわけです。80年代歌謡曲の世界でいえば一歩だけ「大人に染められた」のでしょう。だからこそ「絵具箱」というイメージが生きてきます。最初は極彩色みたいなはっきりした色しかなかった12色ですが、だんだん混じり合い、水で薄められ、画用紙のうえで乾き、どんどんなんとも言いようのない色に染まってゆきます。ですから、もうあなたに似あう色は12色の中にはなくなってしまっていた……ああいかん、なんだか泣けてきましたよ(笑)。そんな絵具のパレットに筆の先から水が滴る一瞬一瞬が、実は始まりから終わりまで続けられていた「学習」「染めあげ」の過程そのものであって、それを積み重ねた結果として一本に見えていたふたりの人生の道は二つに分かれていくことが決定的になってしまったのでしょう。絵具セットをいろいろこねくり回して取り返しがつかなくなる前にこりゃダメだと気づくことができないのが若さなのでしょう。苦い苦い、でも美しい一瞬として人の記憶に残り続けるのです。わたくし?もちろん、霞の中に見えていた影絵として拝見していただけですとも!
Listen on Apple Music