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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
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2021年09月26日

あの頃へ


安全地帯ベスト2 ひとりぼっちのエール』十四曲目、「あの頃へ」です。

「雪が降る遠いふるさと」はわたしのふるさとも同様でして、本州(のとある地域)に住んでいるとたまにしか降りませんけども、冬の北海道はいつでも降っているのです。降っていないときでも降り積もった雪の塊が常に身の周りを埋めていますから、雪の存在をいつでも感じながら暮らしているのです。

もちろん雪は日常の風景に溶け込んでいますから、いちいち意識するわけではありません。学校の行き帰り、ギター担いでスタジオに歩くとき、街をぶらつきに行くとき、いつでも雪はそこら中にありました。だけれども、夏にはすっかりなくなっているわけですから、全く何もないのと同じというわけではないのです。夏が緑の季節であるのと同じ感覚で、冬は白い季節なんだという感覚です。そういう感覚がまだ生々しい頃には、本州、つまり温帯気候の冬は何もなくてちょっと違和感がありました。無色の季節とでもいいましょうか。

本州の冬に慣れてきますと、ああいまごろ北海道は雪が降っているなと思うことがあります。無色の季節の中で、真っ白に染まった街をなつかしく思い出すのです。

さて曲はカツカツと響くパーカッション、ボキボキしたベースにバスドラをズシズシと合わせ、それをバックにシンセのメインテーマとキラキラ音が流れます。ずいぶんスキマの多いシンプルな作りですが、それが白く染まった街を思わせます。

Aメロもチラチラと降る雪を思わせるキラキラ音とギターのアルペジオが流れ、根雪に響く足音のようなドラムとベースが足元を支えるなか玉置さんが歌います。そうこの感覚……雪に閉じ込められた冬を幾年も過ごした経験がないと出せない感覚……のように思えます。北海道人のわたくしが勝手にシンクロしているだけの気がしなくもありませんが(笑)、スパイクのついた雪靴でガシガシと家路を歩いた感触がよみがえります。わたくしの家路はつねに南向きでしたので、かつて冬季オリンピックを行った山に陽が沈み、青紫に染まってゆく雪景色の上に一番星が見えてくるあの夕暮れを歩いた日々を、いつでも思いだすことができるのです。

そしてオリオン座ともそろそろお別れだな、と思う頃に春はやってきます。肌で感じる気温はだいぶ上がってきています。気がつくと頬が痛くなくなっているんです。「春を待つ想い」は比較的気候が温暖な札幌にいるとやや感じにくいですが、旭川のような苛烈な冬を送る地域では格別のものがあるのでしょう。特急列車が旭川駅のホームについて扉が開くと、一気に客室内の温度が下がり、そしてディーセルの音と臭いが飛び込んできます。うわーなんだこれ寒いぞ!と道内の人間が思うくらい旭川の冬は寒いのです。もちろん、その中に住んでいるとあんまりわからないんだと思うんですけどね。でも、ほんの少しだけ、「春を待つ想い」は誰かを幸せにする力がよその地域に比べて強いんじゃないかと思います。

ドラムのフィルインが響き曲はサビに入ります。ズッタズズッタ・ズッタズズッタ……とリズム隊のお二人が重いリズムを刻みます。ギターのお二人は「いつも君のそばに」で聴かせた細かいアルペジオや刻み、ストロークを組み合わせた渋い仕事をなさいます。武沢トーン「シャリーン」も響き、もう安全地帯色満点です。そしてストリングスとキラキラ音をわずかに流し、「パンパンラーン」的ななにやら鍵盤の音がオブリガートに入ります。

そしてコーラスもなくただ、玉置さんの独唱が響きます。そうですね……コーラスないほうがいいとは思うんですけども、それはこの出来上がりを聴いたからであって、コーラスアリバージョンを聴いたらそっちがいいやと思うかもわかりません。歌詞的には「みんなで歌おう」的な歌詞でなく、ただ一人の「ぼく」がただ一人の「君」をあの頃へつれていけたらいいなあって内容ですので、コーラスなしのほうがハマるとは思います。

「あの空」はまだ冠雪の旭岳を臨む広い広い上川盆地の空、「あの風」は、「あたたかい」といっても頬が痛くなくなったという程度ですが、そういう季節の季節を感じる風、私たち北海道人は冠雪の山と冷たい風の中で三月四月を迎えますから、別れも出会いもすべて「あの頃」なのです。

松井さんはきっと、「もう故郷に帰りたくなっちゃった」(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)玉置さんの心情を最大限に汲みとり、このような歌詞をお書きになられたんだと思います。「もう一回北海道でいちからやり直して本当のオリジナルを作ろうぜ」(同上)と毎日のようにメンバーに言っていた玉置さんですが、松井さんは帰るも何も北海道のときからのメンバーでないですから、松井さんのことは、言いかたは悪いですが視界に入っていなかった、もっと悪くすれば離れたかったんじゃないかと思います。デビュー直後からつねに安全地帯の作詞をメインで担い、チームの重要な一員であり続け、うれしいときも辛い時も玉置さんと安全地帯を支え続け絶頂期をともに作り上げた松井さん、一度解散の危機を乗り越え『夢の都』『太陽』の力作を作りあげたそのタイミングでバブルが崩壊しバンドもまた崩壊してゆくその過程をもっとも間近でみつめてきたのが松井さんなのです。ですから、玉置さんの松井さんぬきで帰りたいという思いを想像しこの歌詞をお書きになったときの心境はいかばかりのものであったか、考えるだに胸がつぶれそうになるのです。なにしろ「あたたかいあの頃」に松井さんはいないのです……。

うん、五郎ちゃんの思い、受け取ったよ、とでもいわんばかりに玉置さんは熱唱します。美しく激しく、たった一人で。カップリングの「地平線を見て育ちました」がどこか開き直り気味にさえ聴こえる合唱ふうだったのに対比して、なんと悲しい歌でしょう。

歌は二番に入りまして、ストリングスがすこし存在感を増しますが、基本的には一番とアレンジは変わりません。しいて言えばここからきもちリズム隊が大きくミックスされているようにも感じます。

「街の灯」は、雪が降っているとボワッとその周りが反射光で包まれてみえる街路灯のことなのか、はてまた夜景のような遠景のことなのか……どちらもありそうな感じではありますが、わたくしの生活感覚では前者です。だって寒い季節に藻岩山ロープウェイとかにわざわざ乗って夜景観に行かないですから。ナイタースキー場からみえる夜景……スキーやって楽しんでいるのに夜景に「神様の願い」とかいちいち見ません。ここは、雪に包まれる街路灯だと思いたいです。その灯りに、雪が次々と一瞬だけ照らされながら落ちて消えてゆくその流れが見えているのだと。「神様の願い」は、無為に無限に思えるほど降りゆく雪の一つひとつにこそ現れています。人間のつくった灯りで照らされなければその存在はわかりません。見えている箇所は街路灯の周辺だけで、同じことはとんでもない範囲で起こっているのです。その美しさ儚さは圧倒的で、人間の思惑などあっさり超えている力の存在を思わずにはいられない……まあたかが雪なんですが(笑)。大袈裟に書くとそういうことなのです。そんな神の存在を感じますと、自分の人生であといくつのことに取り組めるのだろうか……などと来し方行く末を知っている神様に尋ねたい気持ちにも少しだけなるのですね。

安全地帯という「夢」が実現したチームのみなさんにとって、同じレベルの「夢」を叶える機会はどれだけあるのでしょうか。キャロルが終わってプリーズを結成したジョニーとウッチャンは、キャロルと同じくらいの夢を実現することができたのでしょうか。バンドというのは多くの人にとってメインは一つであり、二つ以上のバンドで商業的に成功した人があまりいないということを私たちは知っています。バンドに限らず、他業種まで考慮に入れたとしても、二つ以上の夢を叶える人というのは稀です。鳥山明はメガトン級の作品を二発も飛ばしていますが、それだって二発なのです。多い人でも、高橋留美子が四発五発くらいで奇跡的ですが、それ以上は基本ムリでしょう。

さて曲は再びサビに入ります。今度はあの「星」「雲」ですね。うーん、これは当時の東京にいると見えにくかったことでしょう。なにしろビルが多いし空気も汚かったのです。「傷だらけの天使」に出てくるようなビルがウジャウジャと空をふさいでいるような感覚で、「おれをここから出してくれ!」という気分になるんです。もちろん札幌にも旭川にもそういう地域はありますが、しばらく歩けば視界は開けます。ところが東京はどこまで行っても閉塞感なのです。勘弁しろよずっと創成川の向こう側みたいじゃん!って感じです。星や雲がワッと広がる空に見える場所は、雪がやんだ「遠いふるさと」、天地が広い北海道なのです。

「君」とは北海道でないどこか、それこそ東京などで出会います。「君」はあの広い北海道の空を知りません。いやど田舎の出身ですから知ってますよって思うかもわかりませんけど、それは北海道を知らないからそう思うのです。北海道人にとって本州の田舎など田舎ではありません。だってどこまで行っても田んぼはあるし、人の手が入っているのがわかるじゃないですか。北海道は人の手が入っていない箇所が結構あるのです。両側が田んぼの道路など自然ではなく人工的です。自然とは、利用されていない荒れ地のことなのです。石狩平野や上川盆地、十勝平野といった広大な平地では、その荒涼たる雰囲気が全天下の八割くらいを占めている感覚を味わうことができます。本州の田舎など、どこまで行っても人の気配だらけでぜんぜんそんな感覚はありませんとも。ですから、自然というか野生というかの美しさあふれる「美しいあの頃」へ「君をいつかつれて行けたら」、あの開放的な感覚を味わわせてあげたい、これが「ぼく」が育ったところの開放感、解放されている、自由だって感覚なんだよ!と教えたくなるのです。「君」がそれを味わいたいかどうかはともかく(笑)。

曲は間奏に入ります。静謐な音色のメインテーマに続けて玉置さんが「あの頃へ」とだけ歌い、続けて矢萩さんが弾いたと思われるメロウな短いギターソロが流れます。ひどくあっさりした間奏ですが……長々とやる意味もそんなにないのでしょう。早々に最後のサビへと向かいます。

「あの」ではなく、「やさしさ」「さみしさ」であることには、何か意味がありそうです。「あの」ではないのですから、これは東京のやさしさやさみしさだったのかもしれません。東京のさみしさは尋常ではありません。何しろ隣人の顔もろくに知らないのです。電車に乗る顔ぶれはいつも違っていて覚えきれません。だから無関心にならざるを得ないわけですが、無関心だからってわざとイヤなことをする人もまたいません。だから最低限に「やさしい」し、交流の多い人とは田舎と変わらぬ「やさしさ」で交流します。人間の性質なんて都会にいようと田舎にいようとそんなに変わるものでもありませんから、「いつも愛を知っていた」と知るのです。星さんも金子さんも、そして松井さんも、そうした「さみしさ」や「やさしさ」を安全地帯のメンバーよりも少し早く知っていたのです。まあ、旭川はよそだと県庁所在地クラスの道北随一といえる都市ですから、出身地でいえば東京にいる人々の中でも都会人に属するほうだとは思うんですが、人は東京に何年か住み慣れたら自分を都会人だと思い込むフシがあるようで、北海道人の「キャラメル」とか「コーヒー」の発音を鼻で笑うような人や、電車のことを「汽車」といったら「汽車ってなんだよ電車だろどこから来たのお前」とか言ってくるような人もいまして、そんなときに「さみしさ」を感じることがないわけではありません(笑)。北海道は雪の重みで架線が切れるとメンテできないくらい広いところを走るからディーゼルがけっこうまだ走ってるんだよ!(怒)

そんなさみしさを感じつつ、何度目かの春を迎えてもう「汽車」とか言わなくなったころ、無色の冬が終わりああだいぶ暖かくなってきたな、北海道だと雪が解けてくる季節だな、真っ白な山がだんだんと緑に染まってゆく季節だな……ディーゼルの「汽車」に乗って「キャラメル」食って「コーヒー」飲んで……「あの頃」へ「君」をいつかつれて行きたいなと、本州の春はそんなことをふっと思わせる季節なのです。

曲はアウトロ、メインテーマが鳴り響き、六土さんのベースが「ボキボキッ!ボキボキッ!」と音を短く切ってアクセントを入れてきます。もしかしたら「あの頃へ」の思いを一番わかっていたのはこの人かもしれません。なにしろ六土さんは稚内の人ですから、冬の寒さも春の喜びも旭川とは一味違うでしょうし、旭川という「都会」で活動したのちさらに東京という「都会」に移っていった人ですから、「やさしさ」も「さみしさ」も二段構えで他の安全地帯メンバーよりも経験豊富なのです。

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2021年09月20日

萠黄色のスナップ


安全地帯ベスト2 ひとりぼっちのエール』一曲目、「萠黄色のスナップ」です。安全地帯デビューシングルになります。カップリングは「一度だけ」でした。

いまでこそ『ONE NIGHT THEATER』のライブCDがありますから、アルバムのみのコレクターでも聴くことのできる曲といえなくもないんですけども、当時はまだ『ONE NIGHT THEATER』はVHSかLDしかなかったんですよ。ですから、一部の人にとっては伝説上の曲だったわけです。

がんばればYouTUBEで観ることができますが、クリスタル・キングが初の北海道コンサートを札幌の厚生年金会館で終えた次の日、稚内に向かって車を走らせるというドキュメンタリー的な映像が放送されたことがあります。その旅の途中、まだアマチュアだった安全地帯の合宿所に立ち寄るというとんでもない貴重映像が収められています。そこで演奏されクリスタルキングが感想を述べていたのがこの「萠黄色のスナップ」だったのです。

札幌の厚生年金会館は当時札幌で一番大きいホールで、ほぼすべてのメジャーアーティストが使っていました。せいぜい二千席で、音もたいしてよくなかった記憶があります。でも当時はそこしかないからそこでやるんですよ。東西線西11丁目の駅で降りて、北一条通をワクワクしながら歩くんです……この映像はクリスタルキングが出発する前の入口しか映ってませんでしたが、当時の地元民としてはちょっと涙モノです。ここから、安全地帯がいたところまで、車で行けたんだ……。なんだか、いますぐ地元に戻って北一条から旭川まで車を飛ばしたくなります。ちなみに、このホールは昨年(2020年)解体されちゃってます(涙)。さらばだ、思い出のホールよ。

映像では、クリスタルキングのメンバーが、おれたち九州の人間だと絶対思いつかないよね、萠黄色とか雪解けの水とかって話していました。そりゃそうでしょう。そして、べつに東京に行く気はない、ここを拠点にしてやっていくんだ的なことを玉置さんが話していました。北海道的な曲を北海道でやっていくんだという決意で活動をしていたことがうかがえます。のちに金子さんや星さん、陽水さんがそんな彼らを東京に呼んでくれなかったら、たぶん私たちは安全地帯も玉置さんも知らないままだったことでしょう。だって、当時旭川に出入りしていたわたしだって知りませんでしたよ、安全地帯なんて。ローカルバンドはいくらローカルで有名でも一部のシーン内のことなんです。旭川という比較的大きな都市にあってさえ、ごくごく一部のムーブメントにすぎません。同じ道内の札幌に住み、旭川に年に数回出入りしていたわたくしが知らなかったんですから。

さてさて、わたしたちよりも先にクリスタル・キングが聴いた「萠黄色のスナップ」ですが、レコーディング当時大平さんがドラムを担当されてまして、田中さんは車の整備工場で働いてらっしゃったそうです。曲はそんな大平さんのドラムで「ズッ!パン!ズッ!パン!」と始まります。そして玉置さんが「どこか〜」と歌い始め、ギター、ベース、キーボードが重なっていきます。

Aメロというかサビの伴奏はこの「ズッ!パン!ズッ!パン!」なドラムにすこしオカズを混ぜたフレーズのベース、ひたすらカッティングのギターの上にキーボードが大きな音で「ジャージャジャージャ・ジャッジャージャー」を繰り返すという、ごくシンプルな作りになっています。玉置さんのボーカルと多声コーラスが伸びやかに広がって聴こえる、アマチュアらしからぬアレンジです。

Bメロ、単音弾きのなにやら不穏なシンセ(オルガン?)に続けて、歪みを効かせたギターがこれまた単音で重なりそのあとリフ弾き、繰り返しでシンセ(オルガン)、ギターとかけあいまして、「それがこの今さ」でジャーン!と全音弾き、ドラムがダダダダと響いて二番へ行く、という構成になっています。

二番に入りまして、Aメロ(サビ)が二声・三声ボーカルによって歌われていきます。ひそかにシンセにもアオリが入って(もしかして武沢さんのギターシンセじゃないかと思います。映像で見る限り『ONE NIGHT THEATER』ではそうだったのですが、デビュー当時がそうだったかはちょっとわかりません)、曲を盛り上げます。それなのにBメロは一番とだいたい同じですから、一気に静かになった感触を受けますね。

曲は間奏に入ります。武沢さんのギターシンセ説が正しいとすれば、武沢さんがホワホワした音でソロを弾いています。途中で「ペッペレレ!ペッペレレ!ペッペ!」とキメを入れるところが印象的ですね。これは安全地帯のノリだと思います。正確にいうと、矢萩さん武沢さんツインギタリストのノリなんだと思います。『ONE NIGHT THEATER』で聴くことのできるインスト(のちに『ツインギター2』で「ヴァリアント」と命名されていたことがわかります)での武沢さんソロのノリと一致するようにわたくしには思えます。

さて曲は終盤です。ドラムのパターンがやや複雑で忙しくなり、歌はAメロ(サビ)を繰り返すんですが、歌詞カードに書かれている範囲を超えて玉置さんは歌います。「きらめく歌が聴こえてくる」とはまったく歌詞カードには書かれていませんね。もしかしてものすごい小さい字で書かれているのかとか、実はロウで書かれていて炙ったら出てくるのかとかいろいろ考えましたが、これは玉置さんが付け加えた、もしくは安全地帯で最初に作ったときにあった歌詞だけど崎南海子さんから帰ってきた原稿ではカットされていた、でもいざレコーディングになったら歌うことにした、等と考えるほうが自然でしょう。

そして最後にシンセの音でなくギターの音でソロが弾かれ、曲はフェイドアウトしていきます。これは矢萩さんだろうな、と思います。当てずっぽうではなく、『ONE NIGHT THEATER』での映像もちゃんとチェックしておりますのでご安心ください(笑)。いやこれ、レスポールの音なんですよ。例によってわたくしの耳はポンコツなのであてにはならないんですが、先ほど書いたクリスタル・キングの映像で、矢萩さんがレスポール弾いているのをわたくし見逃しておりませんので、ああこりゃ矢萩さんがあのギターで弾いたな、と思ったわけです。

で、五分を超える大曲であるこの曲は終わったわけですが……

うん、こりゃ売れないですね……。

すみません、売れないです。ムリです。玉置さんの歌は当時から最高に巧いですし、メンバーの演奏も文句なしです。ですが、これが売れるためには、聴衆がこの手のロックに慣れているか、もしくは安全地帯というバンドの知名度かが必要なのですが、当時はどちらもありませんでした、絶望的に。武沢さんの親戚伝いに当時のテープを聴いた金子さんは、当時の安全地帯の音を「天地が高い」星さんは「広い感じ」、そして金子さんはさらに「純粋な美しさ」「原石の輝き」等々と安全地帯の素質を評価しています(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)。すてきな評価ばかりなんですが、二人ともすごいとか売れるとかは言ってません。志田さんは当時の安全地帯がドゥービー・ブラザーズの影響を受けていたということをさまざまな証言を用いて述べていますが、もちろんそれは日本でメンバーが食べていけるほど当時の若者に売れる音楽じゃないと言っているに等しいわけです。星さんが「ドゥービーよりも土臭い」ってハッキリ言っていることからもわかるように、軽薄短小ブームの80年代日本でこれが売れると思うほうが間違っています。ようするに、金子さん星さんは、安全地帯はこのままでは売れない、思い切った変革が必要だ、変革さえ成功すれば化ける、それだけの素質を持っている、と判断したわけです。ともかく陽水さんのバックバンドをしながら、アマチュア時代の総決算ともいえるこの曲をレコーディングしデビューだけは果たしますが、もちろん売れません。それならばと思い切りハードロック寄りにした「オン・マイ・ウェイ」と『リメンバー・トゥ・リメンバー』で勝負に出ますが、これもうまくいかない、玉置さんは自殺まで考えるほど追い詰められます。当然といや当然でしょう、自信を持っていた自分たちの音楽では売れないという現実を突きつけられたわけですから。

ですが、安全地帯はその後売れて、知名度を得ます。そして『ONE NIGHT THEATER』でぽつりと「しばらくやってなかったんですけど、ぼくらのデビュー曲を」というMCにつづけてこの曲は演奏されました。横浜スタジアムいっぱいのお客さんの前でこの曲はのびやかに広がって、クリスタル・キングが訪れたあの合宿所につづく空へと響いていったのでした。

いつかやさしさや心をわけあう人に逢える……いまあった君が、あなたが、その人なんだとお互いに祈りながら信じながら、川が雪解け水でキラキラしながら流れてゆく五月の北海道で、いっぱいの新緑の中で、たがいの命が愛しいと感じるこの日を迎えたんだと、玉置さんは歌うのです。玉置さん!北海道人のわたくしにはわかります、その情景!この歌を、どんな気持ちで夜の横浜スタジアムでお歌いになったのかも、もしかしたらわかるんじゃないかって気さえするのです。

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2021年09月17日

『安全地帯ベスト2 ひとりぼっちのエール』

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『安全地帯ベスト2 ひとりぼっちのエール』です。1993年8月25日発売ですから、前回ベストから五年くらい経過していることになりますね。その間隔だけをみればまあそろそろもうひとつベストを出してもいい頃合いだといえるかもしれません。しかし、ですよ。前回ベストを出してからスタジオアルバムはまだ二枚しか出ていないのです。前回ベストはスタジオアルバムが六枚(『オリジナルサウンドトラック プルシアンブルーの肖像』を入れれば七枚)も存在しているなかでのベストというかシングル集でしたから、選りすぐり感が非常に高かったのです。どうするんだよ今回は!シングルだけだと何枚あるんですかね?前回ベストに入っていなかったものをあわせてシングルだけを書き出してみますと、

「萠黄色のスナップ」「オン・マイ・ウェイ」「ラスベガス・タイフーン」「真夜中すぎの恋」「マスカレード」「Juliet」「月に濡れたふたり」「情熱」「いつも君のそばに」「あの頃へ」「ひとりぼっちのエール」全十一曲!なんだ、これでいいじゃないか、曲数的には(笑)。でもこれだといまいちウリがないと判断したんでしょうかね、上の十一曲から「オン・マイ・ウェイ」「ラスベガス・タイフーン」の二曲を除き、「あなたに」や「銀色のピストル」、「あの夏を追いかけて」といったアルバム曲を入れるという戦略でこのベストアルバムは編集されたようです。

そしてそして、こうした編集方針にそぐわない曲が一曲!そう、「悲しみにさよなら」です。なぜこれを入れる!いまひとつ分かりません。あと一曲ぶん容量に余裕があるんですけど「ワインレッドの心」か「悲しみにさよなら」入れませんか、このアルバム大ヒット曲が少なすぎてこのままじゃそんなに売れないですよ、とかなんとか、そういうセールス的な意味合いで収録したのか、もしくは、時期的に空白となる期間を短くするために収録したか……『安全地帯II』からは三曲も入っているし、このうえ「ワインレッドの心」まで入れたら『安全地帯II』買ってくれた人に申し訳ないよね的な配慮だったか……それを言うなら『安全地帯III〜抱きしめたい〜』からは一曲も入ってないんですけど!なんだか、よくわかりません。「風」とか「ブルーに泣いてる」入れるよりは「悲しみにさよなら」入れたほうがセールス的には期待できるのはわからなくもないんですけども、昔からのファンを納得させるためには「風」とかのほうがよかったと思います。昔からのファンを納得させる必要なんてぜんぜんないといえばないんですけども。だって、安全地帯のアルバムを初めて買う人が「悲しみにさよなら」入っているからこれ買おうって思うかもしれないじゃないですか。そして、アルバム曲のよさに目覚めて『安全地帯II』とかも買うかもしれないじゃないですか。ファーストアルバムは完全になかったことになっているっぽいのがとても気になりますが(笑)、まあ、セールス的には仕方ないのかもしれません。なにせバブルはとっくに弾けていて、活動再開以来シングルが一曲もベストテン入りませんでしたし、『太陽』のセールスもコケて……それに、もしかしたらまだ残っていたのかもしれません、安全地帯として出さなければならないアルバム枚数の契約が。あるいは、安全地帯の音源である程度のセールスが見込めるうちに出さなければならないとレコード会社が判断したのかもしれません。いずれにせよ意思決定が必要なんですが、バンドはすっかり機能不全に陥っていました。ですから、おそらくはレコード会社主導で出さざるを得なかったのだとは思います。

そんなわけでして、当時のわたくし的には、あまり大きな意味を見いだすことのできないベストアルバムでした。アルバムだけ買っていますがシングルまでは手を出していません的なリスナーには、初収録の「萠黄色のスナップ」「あの頃へ」「ひとりぼっちのエール」三曲が初お目見えです。三曲で3000円か……買っちゃうかもな、それでも。わたくしのようにシングルもあるけどなぜかアルバムも買っちゃう人もいるわけですし。

さて、一曲ずつ短くご紹介していきます。例によって、すでにご紹介した曲はここでリンクを貼ることにしまして、一曲ずつのご紹介は重ねて行いません。ですから、次回以降一曲ずつのご紹介は「萠黄色のスナップ」「あの頃へ」「ひとりぼっちのエール」のみとなります。

1.萠黄色のスナップ:安全地帯デビューシングル、ギターポップです。
2.真夜中すぎの恋:『安全地帯II』収録のシングル曲、スピードあるロック曲です。
3.あなたに:『安全地帯II』収録、至高のバラード曲です。
4.マスカレード:『安全地帯II』収録のシングル曲、テクニカルギターポップです。
5.悲しみにさよなら:『安全地帯IV』収録のシングル曲、安全地帯第二の大ヒット曲です。
6.銀色のピストル:『安全地帯V』収録、ビッグバンド編成時代を代表するロック曲です。
7.Juliet:『安全地帯VI 月に濡れたふたり』収録のシングル曲、転調の多いこれまたテクニカル曲です。
8.月に濡れたふたり:『安全地帯VI 月に濡れたふたり』収録のシングル曲、ボサノバ調ポップです。
9.Too Late Too Late:『安全地帯VI 月に濡れたふたり』収録のシングルカップリング曲、バラードです。
10.あの夏を追いかけて:『安全地帯VII 夢の都』収録の爽快なギターロックです。
11.情熱:『安全地帯VII 夢の都』収録のシングル曲、重厚なギターロックです。
12.いつも君のそばに:『安全地帯VIII 太陽』収録のシングル曲、バラード的ギターポップです。
13.朝の陽ざしに君がいて:『安全地帯VIII 太陽』収録のアコギバラードです。
14.あの頃へ:シングル曲、胸が詰まりそうな望郷・回想バラード曲です。
15.ひとりぼっちのエール:活動休止前ラストシングル曲、これも胸の詰まるバラード的ギターポップです。

……全15曲、こうしてみると、セールスが優先された企画盤に近いものとばかりも言えないように思えます。もし完全にセールスを優先するなら「ワインレッドの心」は多少文句が出ても入れるべきだったでしょう。「銀色のピストル」や「あの夏を追いかけて」は入れずに、「Friend」や「好きさ」を入れるほうが得策だったでしょう。「あなたに」が入っているのも見過ごせません。この曲はいまでこそ有名曲ですが、当時はいちアルバム曲にすぎず、アルバムを買い集めるようなファンしか知らなかったような曲なのです。これが、はじめて安全地帯のアルバムを買うようなリスナーさんに与える衝撃は大きかったことと思います。いつか来るかもしれない安全地帯の復活を願ってその活動の下地となるファン層を拡大しておく(結果的にセールスもついてくるわけですが)にはうってつけの曲といえるでしょう。そのためにこそ、『I Love Youからはじめよう―安全地帯BEST』と併せて安全地帯の核となる要素を後世に残しておくという意味があったように思えてきました。

だからこそ、安全地帯がここでいったん終わるという事実を知っていた人たちが、安全地帯を愛すれば愛するほどに、涙ながらにその足跡を残しておこうとしたものであったのかもしれません。いつまでたっても安全地帯が再開する気配のなかった90年代中盤、わたしはこのアルバムのそうした意味をじわじわと理解していきます。それはつらい受容と理解の日々でした。

次回以降、未紹介の曲をご紹介してまいります。

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2021年09月11日

大切な時間


玉置浩二『あこがれ』十曲目、すなわちラストチューン、「大切な時間」(「時間」と書いて「とき」と読みます)です。

お気づきの方も多いかと思いますが、この曲は売られている曲の中で初めて玉置さんが詞をお書きになった曲です。なぜ!ここまで須藤ワールド全開で来て、なぜここで玉置さんの詞を出す?作詞の手練れである須藤さんがありとあらゆる天才的なワザをここまで繰り広げてきたのに、ここで初作詞の玉置さんが、かなりの素朴な歌詞を付け加えたのはなぜだ?ちょっと混乱します。

まったくの推測なのですが、これは玉置さんが「付け加えた」のではなく、最初からあったのではないかと思うのです。というのは、この曲(弾き語り部分)が最初にあって、それを星さんがインスト化・オーケストレーションにしたのが後半部分、その過程で三拍子になり、それをあっさりめのピアノ曲にリアレンジしたのが一曲目の「あこがれ」、ああ、じゃあこの二曲で最初と最後にして、この間に色々な曲を入れていこう、さいわいバラードたくさんできてるし……作詞はこの調子で書いていたら間に合わないよな……誰に頼もうか……須藤さんって人がいるんだけどどうかな?じゃあお願いしてみようか、わあ須藤さんの歌詞最高だ!もう残り全部お願いしちゃおう!という順番でできたのがこのアルバムなんじゃないかと思えるのです。まるっきりの推測なんですが。須藤さんの歌詞を先にみて、じゃあおれも一曲アマチュア以来ひさしぶりに書いてみようかな、という気持ちにはなりにくいんじゃないかなと思います、さすがに。つまり、この「大切な時間」プラスアルファを作った時点で、アルバムの設計思想はほぼ完成していた、そこに後から加わった須藤さんが残りの曲に最高の歌詞を書いたという推測です。

玉置さんの歌詞が拙いというわけではありません。むしろ、素朴で心に響くことばたちであり、そして当然といや当然ですが曲にピタリと合っています。私の推測が正しければですが、もしかして須藤さんもこの詞をみて玉置さんの曲にドンピシャに合うことばを探していったのではないかと思うくらいです。

安全地帯には決してない、つまり松井さんにはなかった、玉置さんの素朴な素朴な心そのままの歌詞であるように思えるのです。松井さんだとどうしても美しすぎるのです。いや、松井さんは玉置さんのこころをより鋭くより繊細にとらえていたというべきでしょうか。玉置さんの、心の中にあるワンシーンをより的確に表現していたのは松井さんだったのかもしれません。その集大成となる『太陽』では信じがたいまでにそのシンクロ度は高まっていて、玉置さんも「参ったな……五郎ちゃんには見事に見破られちゃってるよ……そうそう、こうなんだよな……」という気持ちだったのかもしれません。ですが、玉置さんはこの時期、そういう心的シーン的意味でのリアルなことばではなく、別な方面、瞬間瞬間の精神状態的なリアルさ、つまり一つひとつはとても素朴な心情の表現、それらを紡いでいくとシーンになるけれども、そうなる前の心情を歌うための歌詞を求めて、自分でこの「大切な時間」をお書きになったのではないかと思うのです。

「痒いところに手が届いていながら、かえって癪に触ったりするみたいな、ちょっと近親憎悪的な関係」と松井さんが表現なさったように(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)、松井さんの歌詞がパーフェクトであったからこそ、玉置さんはそれに耐えられなくなってきた、だから自分で歌詞を書いてみた、その意図をくみ取った星さんによって須藤さんが呼ばれ、玉置さんの詞を見た須藤さんがその詞に現れた傾向を読み取り残りの曲に詞を書いていった……なんてこった、自分で書いておきながらけっこうそれらしい推測に自分でビックリです(笑)。例によってなんの確証もありませんので、どうかこれを真相だなどとお思いにならないようにご注意ください!

さて曲は、オルゴールのようなベル音で始まり、すぐに玉置さんのガットギターによる弾き語りへと続いていきます。曲と歌詞が一体化した、素晴らしい弾き語りです。「うれしくて」の裏でギターがそのメロディーをなぞるところなんて背筋がゾクゾクします。時折混ざる弦をはじく音、これは場合によってはノイズとして処理されてしまう音だと思うんですが、それすら玉置さんの歌とのあわせ技によって必然性ある音であるように聴こえてくるのです。

「うれしくて泣いてた」きみに出会えたあの時は、今ではぼくにとっても大切な時間なんだ……なんで「きみ」が泣くほどうれしかったのかはまったくわかりませんが、ひとには、欠けていたピースが奇跡的に見つかったと思える出会いというものがあるものです。いままで息継ぎしないで泳いでいたような感覚を覚えていた「きみ」は、やっとみつけたセーブポイントのような「ぼく」に、わたしを見つけてくれてありがとう!と、最高の笑顔と泣き顔を見せるのです。

曲は金子飛鳥Groupのストリングスをまじえて二番に入ります。そんなふうに出会いを喜んでくれた「きみ」に、「ぼく」はできることを何でもしてあげたいと願います。ひとは、自分が誰かの役に立っていると思うと、心の底から奮い立ち、力を尽くそうと思う生き物であるのかもしれません。そんな出会いは「ぼく」にとっても喜びであって、楽しくて、やさしい気持ちになって、その出会いの日の気持ちをいつまでも持続させたいと願うのです。

もちろん、そんな気持ちが長続きするわけはありません(笑)、いや笑いごとでないですね、でも長続きはしません。「ぼく」も「きみ」も人ですから、出会いの瞬間だけに生きているわけではありません。腹は減るし金は必要だし仕事の締め切りはあるしで、さまざまな制約の只中にあってはじめてその出会いがあったのに、今度はそれらの制約がふたりの時間を変質させてゆくのです。仕方ありません。これはどうしたってそうなのです。よほど強靭な精神力をもって努力すればある程度のテンションを維持できるかもしれませんが、それだっていつかは疲れてしまいます。せいぜい一年か二年でしょう。

ですが、この歌詞は、そんな人の悲しさを感じさせません。いや、示唆はしているのです。なぜなら、「泣いてた」「楽しかった」「やさしかった」「抱きしめたかった」と、すべてが過去形だからです。これらはすべて過ぎ去ったことであり、もう泣いてもいないし、楽しくもないしやさしくもない、そして抱きしめたくもない……のかもしれません。現在はそうでなないんだ、とは一切書いていませんから、すべてがポジティブのまま保たれているのです。過ぎ去った出会いの喜びと、それを保てなかった寂しさ・悲しさはもちろん表裏一体のものですが、この歌はあえて喜びのみを歌うのです。

だんだん大きくなるストリングスをバックに、「抱きしめたかった もう少しだけ」と、いまはすでに叶わない願いをつぶやいて、歌は口笛にバトンタッチ、美麗なストリングスとガットギターの伴奏で、曲はいったん終わります。

そして、「Bye Byeマーチからエンディング」のように、曲は「あこがれ」のオーケストレーションバージョンとでもいうべきストリングスによる後半インスト部に入ります。この美しさといったら……息をのみます。とりわけ最低音部の動きには、わたくし腰を抜かすんじゃないかと思うくらい胸を揺さぶられました。例によって自分の曲でいつも真似しようとして失敗しています(笑)。最近作った曲でちょっとだけうまくいきましたけど、この記事を書くにあたって凄まじいこの曲を聴き直し、あーまだまだだったと頭を抱えています。

歌詞カードには、この曲からページをめくったところに、玉置さんの「勇気」という詩が掲載されています。わたくしには、この「勇気」が「大切な時間」後半インスト部の歌詞にあたる……いや、歌でないから歌詞というのは変なのですが、歌詞のように曲の精神性を表す言葉であるように思えるのです。

出会いがあって、とびきりの笑顔を見せてくれた「きみ」の夢を叶えたいと思った、うれしくて楽しかったあの日をいつまでも続けたいと願った、だけど人の制約は容赦なくそんな願いを削ってゆく、だけどそんな悲しき変化の中にあっても、悲しませたくない、だから変わらない強さがほしい、変わらずに「きみ」をいつでもあたたかい気持ちにさせる「ぼく」でいられるよう、強い気持ちをもちつづける決心をしつづけたい、それはきっと「勇気」と呼ぶべきものなのだと思うからなのです。

さて、このアルバムもとうとう終わりました。この年、1993年はコメは大凶作でしたがアルバム的には豊作の年でして、八月に『安全地帯ベスト2 〜ひとりぼっちのエール〜』、そのわずか一か月後に『カリント工場の煙突の上に』がリリースされます。ですから、当ブログでは先に『安全地帯ベスト2 〜ひとりぼっちのエール〜』の未レビュー曲を三曲扱ってから、『カリント工場の煙突の上に』に入りたいと思います。どうかひきつづきご愛顧ください。

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僕は泣いてる

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玉置浩二『あこがれ』九曲目「僕は泣いてる」です。

シンセサイザーのクレジットはなく、清水さんのピアノ(生ピアノとエレピ)、金子飛鳥Groupのストリングスによる伴奏となっています。

サビ以外ではおおむねエレピによるホワホワした伴奏が強め、その裏側にシン!と響く生ピアノが聴こえますね。その逆にサビでは生ピアノが強めでエレピが裏側に回っているように聴こえます(逆だったらすみません、わたくし耳が悪いんです)。そして金子飛鳥グループのストリングスが高音でこのピアノの位置交代を違和感なく結び付けているようです。

曲はゆったりと、穏やかに始まります。玉置さんの歌もひとこと一言途切れるかのように歌います。曲名でありかつ歌いだしの歌詞が「僕は」「泣いてる」と主語述語の二文節なんですが、玉置さんは一文節ずつ噛みしめるように歌います。そういう気持ちで歌ってもいるのでしょうけども、そもそも作曲の時点からこういう譜割なのでしょうから、須藤さんが曲想からインスピレーションを得てこのように仕組んだのです。偶然そうなったわけではないでしょう。ひとこと一言絞り出すかのように歌う、だから題名も一文を分けて歌うようにする、「〜て」「〜し」と連用つなぎで区切るようにする、という全体のイメージを統一させるというコンセプトを貫徹したのでしょう。歌・アレンジもそれに呼応するかのようにだんだんペースと音量を上げて、しくしく泣きから号泣まで盛り上がっていきます。ちょっとプロフェッショナルすぎて過程を想像するだけでも鳥肌モノです。

かつて松井さんが、自分の名前が見えなくなって、歌手本人がそう言っているんじゃないか、そう思っているんじゃないかというリアルな歌詞を書くという方針を示していた、ということを弊ブログで何度かご紹介したのですが(もちろん元ネタは毎度の『幸せになるために生まれてきたんだから』、そしてインタビュー記事等でも読むことができます)、須藤さんによるこの「僕は泣いてる」は、松井さんの方針を極限まで追究したかのような凄みがあります。安全地帯時代や、『All I Do』時代の玉置さんの歌は、どこか周囲に遠慮したかのような、バンドでの、ビッグソロプロジェクトでの、「みんなでやる」音楽、「みんなに届ける」音楽的なものだったと思えるのです。それはもちろん松井さんも意識されたでしょうから、「ひとりぼっちの虹」「時計」「Time」といったような、目立たない位置にあって、かつ少人数で録音されたような曲ではこうした玉置さんのパーソナルな感情的なものを前面に押し立てた歌詞をお書きになられていたのだと思います。松井さんは安全地帯チームのありとあらゆる機微をご存知の超重要メンバーですからそうした視点の使い分けすらなさっていたのですけども、須藤さんにははじめからそんなこと関係ありません。眼中にないんです。「安全地帯には興味がない」と言ってしまうひとですし、忖度というものがありません。ガンガンと玉置さんの超個人的な感情をこれでもか、えいこれでもかと演出します。えっここはチャンピオンベルト奪回のために盛り上がるというストーリーを演出するためにクリンチだろ、肩で息をして睨み合ってちょっとニヤッとして十四ラウンド終了のゴングが鳴るところだろ、とか、関係なくバシーンとアッパーカットをクリーンヒットさせドカドカとラッシュを決めてきます。わたくしすっかりグロッキー、ノックアウトです。十五回戦なのに第九ラウンドですでにテンカウント、タオルを投げる余裕もなくリングに沈みます。

ところで、その須藤さんの詞ですが、「強く 神を 信じ」に、最初ずいぶん驚いたものです。安全地帯や玉置さんの歌で、これまで神仏が登場したことがあったでしょうか。少なくともパッと思いだせる範囲ではなかったように思うのです。ピストルズの「God save the Queen」とかテンプターズの「神様お願い!」等の(どっちも古いなー)歌に登場する「神」やそれに対する信仰的なものは、なんというか、ちょっと甘え過ぎでないですかと思わせるような現世利益的なものだったり、まったく神なんて眼中にないぜ勝手にしやがれ的なアナーキーさを演出するようなものだったりしました(そもそも神は関係なくて「女王陛下バンザイ」ですかね、意味的には)。ところが、ここで登場する「神」は、U2ですかってくらい現世利益的なものでなく、突き放す対象でもなく、ただ敬虔に、ひたすらに信じるだけの対象となる神であるように思えるのです。

僕は泣いてる、というのは、人を愛し、その愛が報われないときに泣いているのでもあるのでしょう。だから現世利益的な意味でいえば神様あんた何の役にも立ってないでしょとか、いまは試練を与えてくださっているわけですねわたしの愛をお試しになられているけど、最後には報われるようにしてくれてるわけでしょ、よーしそれなら信仰しちゃうぞ的な意味かと一瞬思うのですが、どうもそうではありません。報われなくても、うっかり報われても、それはこの信仰とは関係ないんだという強い決意が感じられるのです。「この想い届けたい」ならば、ひざまずき祈っている場合ではありません。さっさと会いに行くか電話かけるか手紙書くかすればいいんです。でも、ひざまずき祈るのです。それは、話したり書いたりすることでは決して通じない想いであることを知っているからなのではないでしょうか。

「なし寄りのあり」「あり寄りのなし」というバカっぽいことばをご存知でしょうか。どっちかはっきりしろい!甘えるな!とオトナなら一蹴するでしょうし、それで正しいと思います(笑)。ですが、人間の心理的事実として、ありとなしの間にそういう段階があるのだとすれば、それを的確に表現したことばであるのかもしれません。使う側は配慮してほしいから甘えていっているだけでしょうから真に受けなくていいと思いますけども、モノのたとえとして、通常のことばでは表現しにくい、あるいはできない心理的状況というものがあるかも、ということなんです。この歌ではそれは深い愛なんですが、人類のもつ言語能力・もしくは非言語的表現能力の限界によって、どうしても相手にわかるように言葉に直して説明できず、こんなときひとは絶望します。そして、人を超えた力の存在を願うのです。それが神だということなんですね。

玉置さんほどの音楽家・歌手であれば、音楽で伝えきれない想いなんて存在するのって訝しく思いたくなるんですが、玉置さんでさえ伝えきれない想いというものがあるとすれば、それはもう、伝えられるとすれば神しかいないんじゃないかと思えてきます。「せつなくて せつなくて」「さみしくて さみしくて」と同じ言葉を繰り返すのは、そのもどかしさを表している、だから客観的に観察してわかる状態として僕は泣いてるというしかないんだと、ひとの抱える限界を表現したかのように思えてきます。まったくすごい歌であり、歌詞です。機動戦士ガンダムの世界ならニュータイプ同士で感じられるかもわかりませんが、あれだって認識能力が拡大しただけであって表現能力が拡大したってわけではなかったはずですから(うろ覚え)、ピキーン!僕は……泣いてる……?って伝わるだけです(笑)。

さて、余談になるかもですが、わたくしこの曲の「面影を追い掛け」と「ひざまずき祈って」の裏、生ピアノで「ズチャッチャッチャー!」というリズムを刻むところが好きで好きで、そこだけ切り取って百回くらいリピート再生したいくらいなのです。しかし、自分の曲にもこういうアレンジを使いまくった……かというと、実はそうでもないのです。似合わないんですよ、絶望的に。わたくしのピアノアレンジ力や演奏力がヘボいということはさておくとしても、このピアノアレンジはこういう極限の表現力を尽くした曲でなければ使えないんじゃないかというくらい、わたくしの曲程度にはとても似合いません。シルクハットにタキシードの紳士が屋台のおでん屋に入るくらい変です。旧ドイツ軍の将校が保育士やってるくらい違和感ありまくりです。そのくらい、玉置さん、須藤さん、星さん、清水さん、金子飛鳥Groupさんの凄まじさをこれでもかと痛感しまくって、もう神に祈って泣きたくなるくらいなのです。

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2021年09月05日

瞳の中の虹

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玉置浩二『あこがれ』八曲目、「瞳の中の虹」です。

「風の谷のナウシカ」「崖の上のポニョ」みたいな「の」二連発のタイトルです。個人的なこだわりですが、わたくしなるべく意味がハッキリしない「の」を使わない、「の」二連発などもってのほかである、という大変不自由なこだわりをもっておりますもので、こういう「の」をみると別の言いかたに言い換えようとしてしまいます。「風がよく吹いている谷に住んでいるナウシカ」とか「崖上部に居座ったポニョ」とか。「気がつくと隣にいるトトロ」「魔女がやっている宅急便」「天空に浮かんでいる城ラピュタ」くらいまでならなんとか対応できますが、ハウルとかそういうロクに観てないやつは困ってしまいます。むむ!あの城はハウルがオーナーなのか?それとも不法占拠しているのか?仮暮らしなのか?関係性がわからないと言い換えようがありません。紅で豚なやつもあんまり観たことないんですが、あれはどのあたりが紅なんでしょう……。

さて「瞳の中の虹」なんですが、これは「の」二連発でもハッキリ意味がわかります。いや、ハッキリはわからないんですが、なんとなく情景が浮かびますね。ずっと昔、夏の日、きみと二人で歩いた街で、夕立の後にふたりで虹を見たね、そんなきみの瞳を覗いてみると、そこに虹が映っていたんだ……い、いかん、この手の話、わたくし超弱いのです。こういう望郷系の話全般に弱いのであって、こういう恋人と夕立の街を歩いたとかそういう経験を思いだして泣けてくるとかではないのが残念ではありますが!(バリバリ夜型ロケンロール)

夕立も、入道雲も、靴の裏が貼りつきそうなアスファルトも日焼けした肩も、その向こうに流れてゆく切り妻屋根の家たちも、みんなみんな、あの時だけの光景です。川島さんのシンセによる蝉時雨、そして「行かないで」で用いられた「シュワー」という音……そこに玉置さんのガットギターで印象的なアルペジオ・リフが入ります。そこに清水さんのエレピが重なり……そこに玉置さんのボーカルで散文詩のように須藤さんが厳選した懐かしワードが……泣かせに来てます!いもしなかった恋人と故郷の街を夏の夕方に歩いたような気がしてなりません!ありもしない思い出を気合で記憶に注入してくるかのようなものすごい威力の歌です。

歌はサビに入り、玉置さんのアルペジオ・リフが下降パターンを主にしたものになります。わたくし初聴時にすっかり参ってしまい、しばらくこればかりコピーしていました。いまでもガットギターがあると最初に弾いてしまうのはこのフレーズです。「ずっと……昔のこと」という、年を重ねれば重ねるほどその意味が深くなる歌詞とともに、脳髄に叩き込まれてしまいました。当時は18歳とか19歳とかですから、ずっと昔っていったって最大で18年とか19年ですけども、現実的には中学生高校生くらいの時ですから4-5年前ですよね。そんなの昔でも何でもないです。もちろん当時の玉置さんならば上京したてのころから10年くらい、旭川時代からは15年とかの重みがあります。それくらいのオトナでなければこの歌はすこしも説得力を持ちません。僕の町は二人の町で、輝いていたんだ、あのころはわからなかったけども、いまならわかるよ……くうー(笑)。

歌は二番に入りまして、また散文詩です。ガラスに貼り付けられた紙の花ってわかりますか。わたくし、近所に一か所だけそういう家がありました。あれは住宅だったのかなんらかの施設だったのか記憶は定かではありませんが……もしかしたら託児所とかだったのかもしれません。ピンクの紙を花形に切り取って窓の向こう側から貼り付けられていました。それ以降見たことがありませんから、ここで強烈に地元の街を思いだします。ねじれた時計台はよくわかりません。何度も同じことを申し上げてくどいですが、わたくしの地元は札幌なので時計台といったらあの時計台なんです。もちろんべつに歪んではいませんでした。ですから、ああいう大仕掛けの時計台のことでなく、風雨雪に耐えてすこし歪んでしまった公園の時計塔くらいのことなんじゃないかなーと思うのです。あれ、悪ガキがドロップキックとかするんでよくへこんだり曲がったりしてるんですよ(笑)。もしかしたらそういう物理的な意味でなくて、記憶の中で何時とかのはっきりした映像はないからハッキリとその形を思い出せないとかそんな意味かもしれませんね。もしくは雨上がりの陽炎的なもので曲がって見えているとか……あ、きっとこれだ(笑)。だって「陽炎坂」ですもの。夕立がやんで陽炎たつ坂を登るとき、アスファルトから立ち上る蒸気と自分たちの汗ばみによる湯気的なもので時計台が曲がって見えて、そんな中でみたガラスに貼り付けられた紙の花の色と、髪飾りの赤と黒のことははっきり覚えている……形は歪むけれど色ははっきり見えて記憶に残っているという、人間の感覚や認識に起こるギャップとかその印象付けの強さとかを見事に切り出して描写しています。なんという表現力!

そして歌は必殺のアルペジオでサビに入ります。歌詞は一番の「僕」を「君」に、「輝いてた」を「きらめいてた」に変えただけです。よくある手法ですが、これは陳腐なのではなく、わざとでしょう。僕の町なら君の町でもある、それが「二人の町」に込められた思いなんだ、ということがこれによりハッキリするのですから。いま僕がその町に行っても、もうそこに「二人の町」はないのです。「君」がいないからです。「君」がいたとしても、いまの君と僕はあのころの君と僕とは違うのですから、もうそこはあの町ではありません。ですから、「ずっと見つからない」んです。人は変わります。「ずっと昔」がどれくらい昔なのかにもよるんですが、どうしても同じではいられません。べつに同じでいたいわけでもないですからいいんですけど、それでも後から振り返ってみると、あのときは、あの町は、楽しかったなあ、ずっとあの頃のままでいたらよかったのになあ、でもそうはいかないもんなあ、と叶うはずもなかった願いをちょっとだけ抱いてしまうのです。

曲は間奏に入ります。サビの歌メロをシンセでなぞるのですが、「シュワー」音とエレピ、そしてガットギターの伴奏と混然一体となった見事な間奏です。ベースにあたる音域の音がないのがまったくすごい!わたくしだったら思いきれずに絶対に隙間を埋めようとしてベースか低音ストリングスを入れるでしょう。要らないのに!こういうところを思い切れるというか、そもそも思いつかないのが天才的なんです。

そしてサビを繰り返します。歌詞カードには「忘れないよ 歌があふれ」と記されているのですが、そこに歌は入っていません。玉置さんのごくごく小さい声で「ずっと…ずっと…」とささやきが入っているのです。録音ミスとかミックスミスってことはないでしょうから、もちろんワザとなのでしょう。もし、ここに歌が入っているバージョンをご存知の方がいらしたら教えてください!ないとは思いますけども、わたくし、『リメンバー・トゥ・リメンバー』でプレスミスというか曲順ミスのバージョンを持っておりますもので(笑)、全くあり得ない話でもないのです。

でもまあ、これは、歌ってみたらしっくりこなかったから「ずっと」とささやいてみたらすごくいい感じにハマったんでこれでいこう!という話になったんだと思います。歌詞的には「ずっと……優しかった二人の町」になって意味は通りますし、ここで言葉にならなくて歌が途切れたという心理的出来事の描写にもなるし、なんだ?と思って歌詞カードを見たら、そうか……歌があふれ、か……これ、つらかったか思いが溢れたかで歌えなかったんだ……と思わせる効果もあります。そんな計算高かったのでなくて、たんにいい感じだと思っただけかもわかりません。なんせ天才ですから。

そして曲は最後のサビです。最後だけ「二人の町」でなく「真夏の夢」です。これも卑怯なくらい心をかき乱してくれます。こういうところで手を抜かない、適当に済ませない、最後の最後まで手を入れる、そんな須藤さんのこだわりぬいた姿勢が胸をうちます。二人の町は、真夏に、夕立のあと陽炎の中にだけ出現した夢だったんじゃないか……それくらい奇跡的で、もう望むべくもない、楽しくて愛おしい瞬間だったんだと思わせてきます。むうー!泣かせるじゃないですか……。

こういう歌を聴いた後で、わたくし昔のことを思いだそうとすると、夏の日のことばかり思いだされます。もちろん春夏秋冬ぜんぶに思い出はあるんだと思うんですが、「夕立」とか「陽炎」とか強力なワード、強力な玉置さんの歌唱によって、夏限定の回想モードに強制突入させられてしまいます。暑くて暑くて外に出たくなくて、それでも恋人にひもじい思いをさせるのがイヤで意を決して部屋を飛び出し、汗だくで買ってきた冷やし麺を二人で食べたとか、夜になってやっと涼しくなってから部屋を出てみると、非常階段の柵ごしに花火が見えて、ああ、今日祭りだったね、今からでも行こうか?いい、ここで花火みようよ、と非常階段に腰かけたとか、そこそこスイート(笑)な思い出がよみがえってきます。陽炎坂?そんな暑い時間に出歩くわけがないじゃないですか(笑)。わたくし北海道人ですから、本州の夏など殺人的です。同じ北海道人の玉置さんがこんな素敵な歌を歌っているというのに、わたくしはからっきしダメなのでした。

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2021年09月04日

遠泳

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玉置浩二『あこがれ』七曲目、「遠泳」です。

ポール・エリスさんのシンセサイザーによる演奏と、玉置さんのガットギターによる間奏ソロの組み合わせです。なんか、もう玉置さんのソロはこれだけでいいんじゃないですかってくらい完璧にハマっていますね。ちなみにアレンジもポール・エリスさんです。うっとりしますね。わたしもシンセでこんなアレンジができるようになりたいものです。

わたくし、シンガーの気持ちというものをよくわかっておりませんが、どうやらシンガーにはこういうシンプルな、シンプルといったってこの曲のそれは幾重にも重ね録りしたすごい音源ですけども、ともかく編成的にはシンプルな伴奏で歌いたいときや歌いたい曲というものもあれば、仲間とバンドでジャーン!とやりながら歌いたいときもあり、さらには大編成のビッグバンドやオーケストラで歌いたい場合というものもあるようです。つねにディストーションのヘビメタ野郎にはピンとはきませんが、表現のバリエーションが豊かでよろしいかと思います。

さて、低音で「ズーン……」と始まった曲はとつぜん「ピヨロロロ〜」と高音の笛的な音色で静寂を破られた感覚を与え、ストリングスをまじえてピアノを中心にした伴奏へと移行していきます。笛とかピアノとか、ぜんぶシンセ(のはず)なんですけども、妙にリアルに聴こえます。このころのシンセってこんなに音よかったんだとちょっと驚きます。だからビンテージシンセってものがあって、それが妙に高値で売られているのかと思わされます。

玉置さんの歌が始まり、このアルバム随一のエロ場が展開されます(笑)。これ、真顔で説明できないですよ!松井さんよりも比喩が直接的で、解釈の余地がほとんどありません。隠喩なのに直喩!どう考えてもわざとです。玉置さんの囁くような声が、どう聴いてもアノときのテンションを高めているようにしか聴こえません。「針が重なる真夜中」って、ようするに時計の短針と長針が同じところを指しているんだから、正午か零時しかありません。解釈は二通りしかないのに直後に「真夜中」って言っちゃってますから、二通りかと思ったら一通りだった!絞首刑か銃殺刑かどっちか選ばせてやる喜べ!ってくらい余地がありません。もう、アナログ時計の機械音がカツーン!と聴こえてくるかのようなすごい緊張感です。ストリングス音で繰り返される短いフレーズも、もはや高鳴る胸の音か荒くなった呼吸にしか聴こえません。

そしてストリングス系の音が大きくなって、歌はBメロ・サビに……ひとことひとこと大切に、語尾をすこし裏返して玉置さんは歌います。もう!(笑)笑い声が風になって髪をとかすとかって!卑怯なくらい近いです、描写が。近さをこれだけ意識させる表現もそうあったものじゃありません。揺れる島って!昔の漫画であった臨海学校最終日の遠泳大会でみる小島のこと……なわけないです。わたくしも臨海学校や遠泳の経験があるわけではないですから身をもって知っているわけではないのですが、おそらくは犬かきでゆっくりゆっくり、体力や肺活量の限界に縛られつつ進む「遠泳」っていうタイトル自体が、もう比喩として秀逸すぎます。

歌は二番に入りまして、パーカッションがカシャ…ポコポコ…ピコン!(ドスン!)といった具合に上に下にといい具合に意識を分散させつつ、玉置さんの歌とストリングス系の音が中心の存在感を失わず進みます。

「蜜がきらめく斜面」「ひとつの小舟」って!とかいちいち驚いていると進まないので、というか気恥ずかしいですので(笑)、さらっと流すことにしますけども、これはいい感じにシンクロしてうまいこと盛り上がったということなんでしょう。こう書くとまったくロマンチックさが失われて大したことじゃないような感じですが、いやいやどうして、脳内麻薬というものはすごい威力をもつものでして、「消えない夜」とか「シルエット」のような陶酔感をドカーンと味わわせてくれます。陶酔の演出として宇宙を感じさせたそれらの曲に対して、この曲は青い海を感じさせるのです。どちらも息ができないことは共通していますね。「息もできない」という直接的なレトリックはしばしば歌詞に用いられますが、表現力があまりにレベル違いだというのは明らかでしょう。

落ちてゆくめまい……朝起きてタバコを吸ったらヤニでクラクラしましたってことなわけはありませんから、もちろん別なことでクラクラきたのです。その様子を「渦になって二人つないだ」と表現するんですから、ほんとうにクラクラと渦に巻き込まれてゆき、その先で愛しい人のもとに行き着くような気分にさせてくれます。その先でって、はじめから近いんですけど(笑)、それは物理的に近いのであって、精神的にも近さと、その前提となる少し離れていたという距離感を描写することが可能となっています。うーむ、ツインカム・エンジンのコンセプトすら彷彿とさせる緻密さです(やけくそなよくわからないたとえ)。

曲は間奏に入り、玉置さんのガットギター・ソロが流れます。……もう!なんでこんな悲鳴みたいな音を出せるんですか!ガットギターってポロンポロンと柔らかい音を出すギターなんですが(弦がガットですから)、使いこなしによってはこんな人間の精神的肉体的限界を思わせるような音も出せるんだから……玉置さんは弾き語り用にいつもガットギターをお使いになっていたそうなのですが、もはや手足のように操れるんでしょう……。こう押さえてこう弾くとこんな音が出るって、ギターと一体化しているほどに把握しているとしか思えません。さらにすごいのは、シンセサイザーのような電子音楽器と生楽器のガットギターって、わたくしの経験上相性があんまりよろしくなくて、こんなふうに違和感なくミックスするのは至難の業だと思うのですが、ここではこれがベストな組み合わせとしか思えない見事なミックスになっています。これはコンプレッサーでつぶしたとかイコライザーでスキマを作ったとかリバーブでぼやかしたとかでなくて、はじめから音の相性がいいのでしょう。しかも楽器同時の相性が良かったのでなくて、玉置さんの演奏によって相性よくなっているとしか思えないのです。

そして派手なストリングスの上昇フレーズとともに、曲は最後のBメロ・サビに入ります。「手繰り寄せてた」のところで下降フレーズを入れることによって、上がったり下がったり、気分の高揚・興奮とちょっとした絶望・落胆といった振幅が見事に表現されます。このように上下することによって人は時間の感覚を失い、視界すらも失い、ただ二人だけの世界に入りこみます。それは、まるで遠泳のように……って、それ説明になってませんね(笑)。これもそれもあれも大自然の営みには違いないのですからこうした比喩が成立するのはある意味当然といや当然なんですが、これまでは誰も気づかなかった類似性・共通性をみごとに浮かび上がらせた須藤さんには敬服するほかありません。よりによって玉置さんが歌うときにこんなエロ系の偉業を成してくださりありがとうございますと言いたいです。いや冗談でなく。玉置さん以上にこういう歌を巧く歌うシンガーなんていません。

砕けて漂う時間、それをたぐりよせる理性と肉体のせめぎ合い、その中で海の底に飲み込まれてゆこうとする影……影は海底に映っていますから、それが飲み込まれてゆくということはすなわち深く暗い海に溺れてゆくわけなんですが……野暮な説明は避けて、遠泳の果てに力尽きて海に沈んでゆくかのような限界状況を想像し、この抽象画のもつ説得力のような芸術の粋を、美術館で思わず足を留めてしまったような気分でずっと味わっていたいものです。

あこがれ [ 玉置浩二 ]

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