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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
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2021年08月29日

コール


玉置浩二『あこがれ』六曲目、「コール」です。先行シングルで、カップリングは「大切な時間」でした。

さて、以前コメント欄に書いたことがあったのですが、89年発売の「行かないで」をほぼリアルタイムで聴いたわたくし、なんのつもりでこんな大仰な曲を?と不思議に思っておりました。めいっぱい切ないアレンジを施したストリングスで「行かないで……行かないで……」などと切々と訴えるタイプのボーカルに驚いたものです。なんというか、それまでの玉置さんの歌って「じれったい」「好きさ」と、切々と繰り返すタイプの歌でも、こんな圧倒的に弱い立場から発せられる歌ではなかったように思うのです。行かないでって思うなら立ちはだかって止めればいいじゃん、とハッキリ思ったわけでなかったのですが、当時のわたくしにはその立ち位置と精神性がよくわかりませんでした。その後『夢の都』『太陽』と安全地帯が復活しますから、「行かないで」は、あれはいったい何だったんだろう?くらいの違和感と不思議さを残すことになったのです。

それから三年と少したってこの「コール」を聴いたとき、「ああ!」とハッとさせられました。こ、これは、「行かないで」の系譜だ!そうか、こういうことがやりたかったんだけど、あのあとバンドが復活したから途切れていたんだ……そして、この『あこがれ』が「長年録りためていたバラード集」であったと『幸せになるために生まれてきたんだから』で知り、おそらくは「行かないで」もその中の一曲であったのだろうけども、何らかの理由で(たぶん李香蘭関係)あのタイミングで一曲だけ松井さんに歌詞を書いてもらってリリースされたのだろう、と思うに至ったのです。

さてさて、この曲は映画『ナースコール』のテーマであったと記されているのですが、面目ないことにわたくし『ナースコール』観てないんですよ……君のあたたかい手が必要さという感じのせつない病院ドラマだとは思うんですが……『プルシアンブルーの肖像』のときのように知っていて妄想を書きまくるというわけにはまいりません。そして、その『ナースコール』主人公を演じた薬師丸ひろ子さんが当時の奥さんで、後年「コール」をお歌いになったという情報を寄せていただいたこともありまして、ますます興味が尽きません。わたくし薬師丸さんのアルバムは結構持っているんで薬師丸さんの歌に関しても結構語れるつもりではあるんですが、いかんせん『ナースコール』観てませんので、準備が整っていないのです。

そんなわけで、音楽のみの文章になります。や、本来そういうブログのつもりで始めたんですが、『プルシアンブルーの肖像』以降、方針がブレまくってていけません(笑)。

曲は金子飛鳥グループの重厚なストリングスで始まり、それが途切れるころにキラキラキラ……と、これはポール・エリスさんのシンセでしょう、つなぎが入りまして、玉置さんがまるで弾き語りしたかのように、玉置さんのガットギターにのせたボーカルが始まります。

なんと生々しいギターと歌声……ギターなんて、玉置さんの指の弾力がそのまま感じられるような音です。どうやって録ったの!とレコーディングエンジニアを問い詰めたくなるくらいリアルなガットギターの音です。この曲があるから、わたしは決してガットギターでレコーディングに臨まないといっても過言ではありません。いや過言か(笑)。たんに自分のギターが下手で聴くに堪えないだけでした!それにしてもこんな音だされちゃどうやったって満足できる音が録れるわけがないよってくらい生々しいです。

歌はいつものとおりとんでもないので、そろそろ語る言葉もなくなってくるくらいですね。「ひとりぼっちの虹」や「Time」でかつて通った夜明けタイミングの歌です。さらに後年「プレゼント」でもこの系譜は受け継がれます。わたくしうっかり寝そこなった日など、窓の外を見ながらこれらの曲を小声で歌う習性があります。たんなる不気味なおじさんですが、かつては少年〜若者だったんですよ!なぜ扱いが変わる?趣味は同じなのに!不公平だ!とか何とかいったって扱いが変わるわけはありませんので、黙っておけばよかったのです。

夜明けのタイミングで歌うおじさんもブキミですが、ひとりぼっちで名前を呼び続ける青年もなかなかどうして、変わった青年だと言わなくてはなりません。もちろんこれは声に出して呼んでいるんじゃないんですね。心の中で呼び続けているんです。心の中ですから、もちろん来ません(笑)。来ないから呼び続けるんですね。玉置さんの歌も、この段階では心の中で呼び続けていることを暗示させる、情熱的ながらも静かなトーンです。

金子飛鳥グループのストリングスが薄ーく入ってきて、陽が昇ります。すっかり青空です。星も闇も消える、つまり夜中の気分はなくなっていきます。それはドロドロしていたりヌタヌタしていたりギトギトしていたりして、つまり直接「君」にぶつけたら「君」が所轄署に被害届を出しかねないようなものなんですが(笑)、生まれたての青空はそうした心の闇をすっかりクリーンにしてくれるほどさわやかで、さあこれで「君」に伝えられるぞ!という前向きな気持ちを与えられるのです。ここでシンセサイザーの鍵盤の音が入ってきて、一気に曲をサビに向けて盛り上げます。さあ叫ぶ準備はできた!

いま声に出して叫ぶよ、だから、聞こえるだろう、聞こえたらすぐに来てほしいんだ、ここに!

玉置さんが大きな声で「叫ぶよ!」と歌います。つまりまだ叫んでないんです。これから叫ぶよ、という予告を、大きな大きな声で歌います。それは実際に叫ぶよりも、待ちかねたその決心をするほうが精神的には大きい動きだからなんだとは思いますが、実際には叫んだとわかる描写はありません。もちろん歌詞の中に「おーい」とか入れるような野暮なことは決してしません。最後の「いーまー」だけが叫んだ「かのように」歌われていますが、それでもまだ叫んでいません。ですから、ほんとうに決心してから叫ぶ前までの一瞬の心の動きをとらえた歌なのです。

歌は二番に入りまして、またガットギターがよく聴こえます。そして音量の控えめなストリングスで玉置さんの歌が彩られます。

微笑みしか贈るものはないんだ、それしかないんだ、つまり君にとってはたいした利益はない、あくまで僕が一方的に君に会いたいんだ、きみが必要なんだ、それだけなんだ……という、弱すぎる立場から発せられる強い思い……この切実さ、痛み、愛おしさが、「行かないで」を聴いて止まっていたわたしの時計を動かしてくれたのです。こういうことか……!あ、いや、なにが「こういうこと」なのかは今でもさっぱりわからないんですけども(笑)、なんと申しましょうか、ギブアンドテイクとかそういうしゃらくさいことを言っているうちはまだまだなんだと思い知らされたんですね。もちろんギブアンドテイクですよ、ええ。ですが、それは結果としてギブアンドテイクになってましたってくらいであって、ねらってするようなものじゃないなー、と思うわけです。ましてや、女の子にもてるテクニック的なもの、最近恋人とうまくいかないんですけどどうしたらいいんでしょうかTIPS的なものを読んだり友達に相談してみたり真似したりする程度のことをやっているうちは、まだ波打ち際なんだと思わされたんです、「行かないで」とこの歌によって、18歳とかで(笑)。だって、箸の使い方をいちいち考えながら飯を食う日本人はいないでしょう。箸の使い方と同じくらい気にせず自然にギブアンドテイクは成り立っていて、そのうえでこれらの曲にあるような激しさ熱さがあるべきなんじゃないでしょうか。若いころからそんなことを思っていたからもちろんそんなにうまくできるわけはなくて、いろんな人に迷惑や心のダメージを与えてしまった気がしなくもありません(笑)。やっぱり波打ち際からチャプチャプと始めるほうがいいですよ!わたくしみたいに突然沖でダイビングしたら死にかねません。

君の手じゃないとダメなんだ、ほかの誰の手でもダメなんだ、どんなに白くてどんなに暖かくても他人の手じゃダメなんだ!

半音上がりまして、さらに気持ちはヒートアップします。

涙をぬぐうのはもちろんハンカチとかでいいんだけど(笑)、そういうことでなくて、心の涙をぬぐうためには君の暖かい「手」つまり君の存在そのものが必要なんだ、だから叫ぶよ、すぐ来て、いま来て!

もちろん看護師さんにこんなことを求めてナースコールをバンバンしまくったら、来るのは看護師さんでなくてガードマン的な人にそのうち変わると思いますんで『ナースコール』はそういう話ではないのでしょう。これは心に深い傷を負った青年が、それを唯一癒してくれる恋人を精神というか霊的なレベルで求める歌なのです。

「君」は癒す人です。それ以外の存在としては描かれていません。手塚治虫の重要女性キャラがことごとく慈母的であるのに似て、一方的に求められ、慈愛を与える存在です。ですから、実際の生活においてずっと成立する現象ではおそらくありません。成立したらマリア様です、というかマリア様だってずっとはやってられないでしょう(笑)。ですから、人にはごく限られた局面において、あくまで瞬間的に、このように一方的な関係を求めてしまい、それが受け入れられるということも心理的事実としてありうる、くらいのことなんですけども、だからこそ、その姿はこの歌のように激しくも儚く、そして一種独特の美しさをもって輝いてみえる瞬間があるのだと思います。

曲は激しくも壮麗なストリングスが一分も続いて、フェードアウトしていきます。このストリングスエンディングにもわたくしすっかり影響を受けて、このパターンの曲を書いたこともあります。こんないいメロディーはそうそう作れませんのでだんだん自信がなくなり、20秒くらいで終わるんですけども(笑)。星さん玉置さんの形だけマネしてもダメですねー。

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2021年08月22日

アリア

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玉置浩二『あこがれ』五曲目、「アリア」です。

清水一登さんのピアノ重ね録り、金子飛鳥Groupのストリングスによる演奏で歌われる、シットリ曲だらけのこのアルバム中においても際立つシットリ曲です。

清水さんのピアノは基本エレピで、サビに混じる鋭い音がアコースティックピアノ……だと思うんですが、なにせわたくしの耳ですからあてにはなりません。そして、二番サビ以降にストリングスが入るという、まことにシンプルな編曲です。あ、いや、わたくしがPC上でやればシンプルってだけで、実際には何パートもの人たちが何度も試行錯誤しながらレコーディングしてるんですから、軽々しくシンプルなんて言えるようなものではないんですけども。でもまあ、シンプルですね。で、玉置さんの歌がいっそう凄みをダイレクトに響かせるわけです。

まずこの「アリア」というタイトルですが、わたくしの理解では抒情的な独唱曲をさします。つまり、玉置さんの歌はほとんどぜんぶアリアなわけでして(笑)、わざわざタイトルを「アリア」にしたのはなぜだろうと余計なことを考えさせられます。玉置さんが「アリア」を歌うとこうなるんだぜ!という意味ではおそらくなく、ひとりで歌う、つまり精神的に孤独を抱え、その孤独を歌い上げる……やっぱりいつものことじゃんという気がしなくもないんですが(笑)、この歌の歌詞は明らかに失われた恋人をしのんでいる物語であるだけでなく、バンドが崩壊したあとで、いや、おそらくは崩壊しつつあるなかで収録されたこの歌は、玉置さんだけがひとりそこに立ち、ただ歌うことから始めなければならなかった運命を示唆しているように思えるのです。

……ですから、安全地帯を忘れようとした、崩壊を受け止めて、未練なく前に進もうとした……それでもあきらめず、いつかまたバンドをみんなでできるんだと信じていた……一人で活動を続ける中、ふとスタジオを覗くとそこに安全地帯とスタッフのみんながいるんじゃないか……そんな悲しい幻を無人のスタジオにみてしまう……こんなふうにも聴こえるんです。これは病気です(笑)。ふつうに、失われた恋人を歌う歌だと思いますよ!

この三回ある「忘れようとした」の「ーんわ!すれー」、絶品ですよね。ひらがなで書くとマヌケですが。そして「必ず」と「悲しい」の「かな」も絶品です。どうしてこんな歌い方ができるのか……泣いているってわかるじゃないですか。もちろん泣きながら歌ってなどいないんでしょうけども、そういう心情を表現している、というか、表現しようとしているんじゃなくてそのまま泣いてるんだ!としか聴こえない、ものすごいリアルさです。ここはもっと泣いている感を出して!とかわけのわからない指示を出す音楽インストラクターをひとふしで黙らせるほどの、ほとんど暴力に近いレベルの表現力です。

曲はサビに入りまして、というかもう前後メチャクチャに語ってますんでいまさらなんですが、「あなたはいる」「あなたを見る」「あなたはいる」って、どれも切なすぎます。だっていないんですよ、見えないんです。ですが、いますし、見るんです。日常の風景であった朝陽や夕暮れの街角にあなたがいること、それが浮かんで仕方がないのです。そして金子飛鳥Groupのストリングスが混じり、わたしたちの思惟は日常生活を離れ、「空港」「谷間」「浜辺」へと跳びます。ちょっと旅行に行った空港や谷間、浜辺にもあなたは記憶の中に染みついていて、その光景と不可分のものとなっていて、だからいるし、みえるのです。ですから、どこに行っても行かなくてもあなたはいるのです。この描写だけで、いかに愛が深かったかわかるという、とんでもない仕掛けの詞の世界なのです。イマニュエル・カントの『純粋理性批判』を持ち出すまでもなく、ひとは認識の際にかならず自分のフィルターを通しているわけですから、そのフィルターの仕組み以外のものは認識できないのです。人間という生き物がみんなもつフィルター(というか認識システム)というものがあって、神がいるかどうかはわかりようがない、人間以外の生き物が世界をどのように認識しているかも知りようがない、もっというと世界がフィルターなしだとどのようなものであるのかも知りようがない、等々の、まあ現代でいえば当たり前すぎることをこの本は延々と解説してくれるわけですが、このほかに、個人にこびりついた認識フィルターというものがあるとすれば、そこに「あなた」が「いる」「見る」ようにそのフィルターがチューニングされてしまうということが起こるのかもしれません。あーあるある、わかるーわたしもしばらく息子が独立した後もよくうっかり食事三人分作ってたわ!あと、風呂沸かしたら「お風呂よー」って言っちゃうのよね、二階に誰もいないのに……ってくらい切実に、人はこのフィルターのチューニングによって悲しみを味わいます。わたくしも、かつて住んでいた部屋や、かつてみんなが集まっていたスタジオ、かつて彼女が……やめておきましょう、泣きそうです(笑)。ですが、人はこれから起こるであろう別れの後に、きっとそれに悩まされると知りつつ、自らの認識フィルターを調整しつつ生きるしかないのです……。

人は誰もが、自分だけのフィルターを抱えて日々それをチューニングしながら、ひとり生きていきます。それは玉置さんもそうなのであって、玉置さんのその様子こそが「アリア」なのだろうと、思えるのです。

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2021年08月19日

終わらない夏

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玉置浩二『あこがれ』四曲目、「終わらない夏」です。

セミが鳴いています。でも気温はすっかり下がりました。ついこの前まで暑かったのにいやますっかり夏の終りを感じる季節です。さてこの時期にこの曲のレビューを書けたらいいなあと思っていたタイミングにうまくはまりました。夏とはすなわち恋の季節……この曲では、暦の上では夏は終わっていても、恋のほうが終わらないまま続いてしまったというか、終わらないならハッピーじゃんと思いつつそんなにハッピーじゃない感じで続いてしまった苦しさが歌われます。なんだとこの贅沢な!わたくしなんかこの夏も何もなかったぞ!(何かあったらおじさん困るんですが)。「もうそろそろ終わりにしようか、夏も終わるし」「え?それってどういうこと?」「夏の恋には夏でお別れするのさ。それがルールだろ?」「……」これは、昭和末期〜平成初期にマンガとかドラマとかで行われていたナウなヤングのやりとりですが、実際にこんなことが起こっていたのかどうかはあいにくわかりません。いや、マンガとかドラマのマネをしようとしても気持ちが割り切れず、刺されるか結婚するかを選ぶことになった御仁はそこそこの割合でいらしたのではないでしょうか。あれから四半世紀以上が過ぎ、そうした(元)恋人たちが現在いまどうなっているのかはわたくし寡聞にして知りません。わたくしですか?わたくし、「風雲たけし城」とか「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」とかをみてゲラゲラ笑っていたお年頃でしたから、もちろんよくわかりません。なんというか、「あすなろ白書」とか「ロングバケーション」とかの平成トレンディー世界に生きようとする人と、「ビートたけしのスポーツ大将」とか「巨泉のクイズダービー」とかの昭和ゴールデン世界にとどまろうとする人が混然一体とまじりあっていて、カオスな時代だったように思います。だから、わたしにとって基本的に「あっち側」の世界の話なんですねー。

さてイントロ、イントロでのポール・エリスさんのシンセサイザー、すごく思い切った音作りに思えます。アタックとかベロシティー設定とかあまり考えなくても、この音ができた時点で勝ち!な凄まじい音色です。シンセサイザーはわたくしも最近さわるようになったんですが、音作りの自由度が高すぎてついついプリセットに頼りがちです。や、これいいですよ、ラクだし。そんなものに頼っているから、30年近く前のこのポール・エリスさんのような音を作れる気はまったくしません。

キラキラキラ……ボワーホワワワーと重ねてきたシンセの音が弱くなり「ホワー」だけになって、玉置さんの「丘の上……」がはじまります。一瞬アグネスか!と思わせる歌詞ですが、そんなほのぼのしたものじゃありませんでした。いや、あれも「涙がこぼれそう」ではあるんですが、玉置さんのほうはそれどころじゃありませんでした。何やら大変な運命に巻き込まれようとしています。大変なっていったって、まあ、色恋沙汰なんですけども。

キラキラ音のアルペジオとともに再度「丘の上……」これは、実際に丘の上にいたのかどうかまではわかりませんが、心象風景としてそうなのでしょう。蝉時雨ばかりが聴こえて、松尾芭蕉の「最上川」のようにひどく静かです。緑の丘に白い歯のコントラストも鮮やかな美しい瞳をもつ女性と恋に落ち、そしてあっさりと想いを遂げます。これは仕組まれています(笑)。傍からみれば明らかなんですが夢中になっていると気がつかないものでして、家で扇風機浴びながらアイス食って「お笑い漫画道場」でゲラゲラ笑っていたほうが平和なんですが、人によってはそうはいかないんですね。どうしてもこういう愛の罠に堕ちてゆく果報者がいるわけです。仕組まれていたとあとから気がついて「僕を汚した」という、一瞬ドキッとするような被害者モードのことばを用いるのです。

仕組まれていたとして、そしてそれをあとから知ったとして、気持ちがすっかりダウン、ドン引きモードに入る人があってもいいでしょう。その一方で、べつに出会いは何でもいいや、そのあとどのようなプロセスをたどったか、そこで何を感じたかが全てだ、という割り切る御仁もあってよいでしょう。この歌での玉置さんは、その中間だったと考えられます。

「まだ」と声が大きく響き歌は最初のサビに入ります。ピアノ的な音がアオリに入り(なんていい音だ……生ピアノでない音にこんなに惹かれるとは不覚……)、終わらない夏、すなわち、出会いの美しさと甘さに溺れた夏の後で、その裏に隠された思惑の間で揺れる季節が訪れたわけです。夏には「君が一番美しかった」のですから、いまは一番ではないわけですね、少なくとも。二番でしょうか(笑)。

曲は二番に入りまして、シンセの音が厚くなり、揺れ動く季節は続きます。場面はまた「丘の上」、「甘くかすれた声」が「僕を突き刺」します。これは何を意味するのか?ちょっと考えれば「終わりにしましょ」的な内容ですよね(太陽も凍ってますから)。でも、そのあとの展開がドロドロ感がありますので、ここでかなり粘ってしまったのでしょう。いや、そりゃ粘ると思いますけど、ストーカー的な粘りはぜひ避けたいところです(笑)。そういやこの当時はまだストーカーとか付きまといとか、そういう事例はもちろんかなりあったものと思われますが、とりたてて大問題扱いはされてなかったように思います。テキトーでおおらかな時代だったというべきか、むき出しのサバイバルで怖い時代だったというべきか、なんとも判断に困るところではあるのですが、それが日常でしたのでそういうものだと思って暮らしていました。「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」の探偵コントでは、しばしば何者かに付きまとわれている女性のボディガードを二人が引き受けて、女性の家に寝泊まりし、二人がスケベ根性を出してすべてがメチャクチャになるという筋書きがあったものですが、まあ、探偵が活躍する領域ですから逆にいうと警察は動かない領域だったわけでして、「怖いよねー」くらいの扱いでした。

サビに入りまして、打楽器系の音がズシン!ズシン!と胸をうちます。叫ばれた「まだ終わらない」ものはここでは「夢」で、「夏」ではありません。その「夢」とは、突如終わりを告げられると「色をなく」すようなもので、しかもその色が愛を彩っていたようで、色がなくなったために愛の形がぼやけてしまうのです。きっと愛の輪郭さえも形どるほどの夢だったのでしょう……気の毒に……「ヤイ、なにを軽口叩いたんだか知らないけど、いや想像はつくけど(笑)、彼は真剣だったんだぞ!」「あら、そう?(しょうがないじゃない、気が変わったんだもの)」、という不毛なクレームとその対応は想像するだに野暮でムダです。ですが一方的にダメージをくらっただけですので、落とし前をつけてもらいたい気持ちはよくわかります。わかりますが、ダメでしょうねえ。

そして間奏……ズシン!……カシ!という音数の少ない打楽器、シンセベースがドーン!ドンドンドーン!と老獪に響き、フワーキュワー(シュワワワとディレイ成分多いリバーブを利かせていますね)という高音部シンセが、これまた音数少なく組み合わされ、言ってみればおそろしくシンプルに、愛の季節とその終りの季節の狭間をさまよう情景を描写します。なんでしょう、わたくし、徹底的に「こっち側」、つまりこういう悲しみとは無縁な世界の人間、車だん吉とかで大笑いしてるだけの平和な人間のつもりなんですが、泣けてきそうです、こんなシンプルなアレンジで……ひとえに玉置さんの作曲能力と須藤さんの物語の強さとポール・エリスさんの手腕によるものなのですが、「こっち側」の人間さえ「あっち側」にトリップさせるんじゃないかってくらい強烈なパワーをもって胸に迫ってきます。ありもしない夏の思い出をムリヤリつなぎ合わせてひとつの悲恋物語を紡ぎだしたくなるほどです。

そしてサビが二回繰り返されます。「終わらない夏」と「終わらない夢」、どちらもその無念さに心を打たれます。愛の鎖を巻きつける情念の深さと強さ、そして、何も見えなくなり、「愛の運命」に倒れる……具体的に何があったのかを想像して語ると、たぶんメチャクチャな野暮さとヤバさでしょう(笑)。これは、当たり前のように修羅場と、その果ての徹底的な消耗があったのです。しかし、陶酔させる力が最高度の須藤さんの筆力と玉置さんの歌により、なんだかとても美しいことが起こったんじゃないかと思えてくるのですから、これはとんでもない曲だといわなければならないでしょう。

余談ですが、サビの末尾に入れられているピアノの低音アルペジオ、これ、わたくしにこびりついておりまして、編曲の際に気がつくとこのようなフレーズを入れてしまっています。今回この曲をレビューするにあたって聴きなおし、気がつきました。ああ!これだったのか!元ネタ(パクリ元)は!イヤハヤ……若い時代に聴いた音楽はこういうふうに、よく言えば血や肉になっている、悪くいえばパクリのネタ帳になっているものです。最後に「シュワー!」と終わるパターンまで使っていました(笑)。

そして松井さんの信奉者であったわたくし、須藤さんをもともと知りませんでしたので警戒していたわけですが、この曲の歌詞を覚えたい!と強烈に思い、「夏」と「夢」をしばしば間違いながら覚えました。そして須藤さんによる物語世界のトリコになっていったのです。こうやって人はいろいろなものに惹かれながら成長してゆくのでしょう。いまもって歌詞は全然書けませんので、血や肉にはなっておりませんが、もし歌詞を書いていたら松井ネタ須藤ネタをメチャクチャに使いまくったとんでもないパクリ歌詞を書くものと思われます。

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2021年08月14日

砂の街

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玉置浩二『あこがれ』二曲目、「砂の街」です。

あちこちの方向から聴こえるパーカッション(クレジットをみると玉置さんによるもの)、軽快なピアノのコードストロークと口笛ではじまり、前曲「ロマン」の雰囲気から一変、川島さんのシンセベース(コントラバスみたいな音です)でジャズっぽいリズムを心地よく感じられる曲になっています。

軽快で心地よい……と思っていたら、歌がやけに深刻で、聴くとだんだん寂しい気持ちになってきます。そんなこと言ったらこのアルバム全部そうでして、基本ボーカルと歌詞の力で無暗ヤタラにさみしいのです。

歌はAメロ、ささやくように歌われる星空と三日月で、夜空を想起させます。

続けてAメロ、はやくもタイトル「砂の街」の謎を解く「人波の海」という都会を暗示させる言葉が登場します。街ゆく群衆を「人波」と表現する手法はごくごく一般的なのですが、そこでふたりで「砂に溺れ」てゆく感覚というのは新しい角度から都会をとらえた表現であるように思われます。普通に考えればコンクリートジャングルを「砂の街」と言い換えたものでしょう。コンクリートは砂ですから、都会は巨大な砂細工の集合体なのです。そもそもコンクリート「ジャングル」の中を人「波」が行き交うって、森と海が混ざっていて変な表現といや変な表現なのですから、ここは須藤さんの表現こそが正しい!と、いま歌詞を見ていて気付いただけで、玉置さんのササヤキ唱法の説得力に圧倒されていままで全く気付いておりませんでした。

ストリングスが入って、曲はBメロ、このストリングスがもう、砂の街に吹いた風、下手すれば次元を超越させて時間的にも空間的にも恋人を遠くへ連れ去るような旋律で、突然ひとを強烈な寂しさに閉じ込めてきます。玉置さんは囁きから朗々とした歌唱に徐々に切り替え、自分が取り残され消えた恋人を探すという、これまた強烈に寂しい歌を聴かせてくれます。この急転直下な落差が演出する緩急たるや!さっきまですがりあっていたのに!

すぐさま二番に入って、今度会えたら「暖かい街」で暮らしたいなどと、いまは別れたまま会えていない状況を示唆します。濡れた肩をかばう夏とか、マロニエが凍る冬とか、なんだそれ!切なすぎるだろう、いま「ぼく」がいる、三日月を抱いた砂の街というアラビアのロレンスを思わせるような殺風景でドライなロケーションで思いだすには、しっとりしすぎなのです。自分の肩を犠牲にして濡らしながら恋人のほうに傘を傾けて雨や汗で濡れてしまった肩をこれ以上濡らさないように歩いたとか、生命力あふれるマロニエが実を落とし冬を耐える森林を散策したとか……たった二行でどれだけ愛おしかったかがわかる、凄まじい歌詞と歌唱です。それが厚めのストリングスで記憶をよぎったり離れたりと、もう翻弄しまくりなのです。

Bメロ、誓いだと思っていた誓いは、実は風の気まぐれで誓いの形をしていただけだった、また風でほどけるようなものだった……それに気がついて、それ以来ぼくの時間は止まったまま……こりゃ、フラれて逃げられましたね(笑)、簡単にいうと。こういうことは割と起こるのですが、逃げようとする力のほうがそれを留めようとする力よりも圧倒的に強いですから、人はほぼ無力と知りつつも誓いを立てるのでしょう。その誓いさえも一陣の風で無効になる、「ほどけて」しまうような、中途半端な結い方でしかなかったわけです。もう、半田付けでもしておけばよかったのに(笑)。でも、そんなきつい結着は望まなかったふたりでしたから、仕方がないのです。

そしてイントロのフレーズを繰り返し……正確には玉置さんによるボイスパーカッション的な歌ともいえぬ歌が加えられているんですけども、これが言葉にならぬ寂しさもどかしさを表現しているように思えます。そしてトロンボーンのソロが入りましてワンフレーズだけのサビというか大サビというかを挟んで、すぐさまトロンボーンと玉置さんの慟哭シャウト連発の競演で曲は閉じられていきます。失われた恋人を求めていつまでも探すその胸中を示す玉置さんの言葉にならぬ声と、その声が響く夜の街、それは実は砂漠同然の、虚飾に満ちた楼閣なんですけども、それをみつめる砂の星である月の光のような暖かくもどこか冷たい、不思議な透明感あるトロンボーンが響き渡ります。

前曲「ロマン」ですっかり圧倒されていたわたくし、この曲は箸休め程度の小曲かなと最初は受け流す態勢に入っていたんですが、そうはさせてくれないとんでもない歌でした。何だいまの!って感じです。当時のわたくし、こういう一発KO級の切ないソング二連発というのはくらった経験があまりなく、っていまもあんまりないんですが、呆然としたままさらに「終わらない夏」に突入せざるを得ませんでした。寿司でいうとトロ、ヒラメ、アワビと出された感じです。ちょっと待ていまガリ食って茶を飲むから!そうとんでもないネタを連続で出されちゃ舌も追いつかないし第一フトコロが心配でいけねえよ!縁あってススキノの高級寿司店のカウンターに座っておまかせ一人前を食べたときの旨さと肝の冷える思いを思いだします(笑)。

こういう曲がほんとうの意味で沁みるお年頃ではまだまだなかったのですが、そんな気分で街を歩きたくなってしまうお年頃ではありました。いまでも、帰り道に三日月が浮かんでいるとこの曲がアタマに流れてしまい自分がすこし可笑しくなりますね。

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