アフィリエイト広告を利用しています
ファン
検索
<< 2021年07月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
FIRST LOVE TWICE by トバ (04/14)
FIRST LOVE TWICE by せぼね (04/13)
△(三角)の月 by トバ (03/29)
△(三角)の月 by よし (03/29)
夢のつづき by トバ (03/28)
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
toba2016さんの画像
toba2016
安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
プロフィール

2021年07月31日

ロマン


玉置浩二『あこがれ』二曲目、「ロマン」です。

卑怯すぎるスローバラードです。これ、この一曲のためだけにこのアルバム買っても損したと思う人はかなり少ないでしょうね。それくらいのとんでもないメロメロソングです。いやまいった、後半に収録されている先行シングル「コール」をまつ意味がないくらい、最初のほうでいきなり来たよキラーチューン!と気分をいきなり最高潮に盛り上げてくれる名曲です。

リバーブたっぷりなのになぜか澄んだ音色のピアノで曲ははじまります。そのうちベースが入ってドラムが入ってと来るかと思いきや、ずっとピアノで突っ走ります。

なんとこの曲、二番の終りでようやくストリングスが入るのですが、それまではピアノとボーカルの、見事すぎる緩急・強弱だけですべてを表現するのです。これは「Time」以来でしょう。安全地帯にも「記憶の森」、ライブで「瞳を閉じて」や「ほゝえみ」をピアノ一本で歌いきるということもないではなかったのですが、それにしたって珍しいことです。しかも、こんなアルバムのしょっぱなから炸裂させるような技ではありません。このアルバムをご愛聴のかたはもちろんご存知でしょうけども、このアルバム、ずっとこんな感じです。でも初聴時はそれがわからないものですから、この曲でこのアルバム全体の基調を知らされるという形になります。当然に、聴き終わってから、ああ、あの曲ですでに知らされていたんだ……と思うわけですが。

『安全地帯VIII 太陽』で泣けるバラードが少なめだったような気がしてなんとなく欲求不満だった当時のわたくし、玉置さんはもうそういう曲が書けないか、何らかの事情で書かないことにしているのではないかと思っておりましたから、この曲には正面からドスコイ!とぶちかましをくらいました。もちろんこのアルバムの前に「あの頃へ」とか「ひとりぼっちのエール」とかの直撃をくらっておりますので、バラードが書けないと怪しんでいたわけではありません。「こういう」泣けるバラード……何が「こういう」なのかはわかりませんが、こういう脳天にドカンと薬物を注入してくるような陶酔バラードは久しぶりだ……いや、もしかして初めてだったのかもしれません。思いだしてみても、これほどのド正面からの強烈な張り手は過去になかったように思えるのです。比較的近いのは「あなたに」とか「夢のつづき」とか「Friend」とかですが、まさかピアノ一本で、終盤にストリングスを入れるとはいえ、こんなシンプルで美しいアレンジで、歌の力をこれほどまでに直接押し出してきたことはありませんでした。玉置さんの歌はいつだって歌の力がものすごかったのですが、それを極限までに突き詰めたような音像に、ただただ、呆然としました。

音数の少ない、そして音量を抑えたピアノによる前奏〜Aメロに、リバーブの効いたボーカル、玉置さんはもうあまりリバーブお使いにならないんですけども、このときはまだバシバシ使っています。これが、欧州の神殿か何かでピアノ一台と管弦楽団だけの無観客コンサートでもやってるんじゃないかと思われるほどの異世界感を感じさせます。Bメロというかサビも、ストロークが増える感じではありますけども、抑制的なピアノに乗せて玉置さんの声が響きます。

二番、ややピアノ大きくなったかな?くらいで、基本的には一番と変わらないバランスを保ち曲は進みます。いまはPCのプレーヤーで簡単に一番のサビと二番のサビを連続で聴くなんてことができますからやってみるんですけども、そうすると二番のサビがずいぶん一番のサビに比べて音量が大きいことに気がつきます。三番はストリングス入ってますからさらに大きいです。これは、ボーカルと、ピアノと、ストリングスの皆さんが意識的にそうしたのでしょう。オートメーションであとから音量調整したって可能性もなくはないんですけども、玉置さん、なんとなくそういうの嫌がりそうじゃないですか。だから、ボーカルがどんどん盛り上がっていき、それに呼応してピアノがきもち強く鍵盤を叩き、ストリングスを入れたぶんさらに玉置さんも声を張り上げ……と、自然に生まれた音量変化であると信じたいのです。

さて須藤さんの歌詞ですが……なんですかこれ、ロマンチックすぎて卑怯ですよ(笑)。たったひとつの愛って、そんなわけないじゃないですか、とくに玉置さんは。だけど、本当にたったひとつに聴こえちゃうんですよ!玉置さんの恋愛歴にツッコミを入れる入れないはともかく、誤解の余地のない超ストレートな始まりです。「夜空が〜目覚めないうち」っていうのは要するに朝になるまでにってことなんですけども、その間夜空が「届かぬ夢」を追い続けるっていうのは多少わかりにくいというか、わからないですね。ムリヤリ考えますと、夜は頭狂ってますので(笑)、夜に色々考えだすとダメなんですよ。あれこれ思惟がほとばしって、自動的に「届かぬ夢」が量産されてしまいます。ですから、夜に手紙を書いてはいけないというのは古人の知恵なのですが、夜に書いた手紙は決して封を閉じず、朝になってからもう一度読み直して、投函するべきかするべきでないかを考えなくてはなりません。ほぼ100パーセント没になります(笑)。当時はE-mailとかなかったですから、何度もこれで難を逃れたものです。ありがとう郵便局!ですから、夜は恋人とリモートで語るのも好ましくありません。LINEなどもってのほかです。うっかり送信ボタンを押し、「取り消し」が間に合うタイミングを逃してからでは取り返しがつかないのです。ですから直接会って、そしてただ、朝まで抱きしめあうのがいいでしょう……。いや、ロマンチックなことを言っているわけではありません。純粋に、それが人生の失敗や損失を過度に大きくしないコツなのだとおじさん世代が忠告しているのです。うん!言葉少なめに、ただロマンチックなことを言っている体裁にしておけばよかった!(笑)

二番も卑怯ですね、宇宙の果てで命が消えて小さな灯になるって!ふつうに病院とかで死ぬと思いますけど、それは熱く熱く愛し合う若者にとってはそれこそ宇宙の果てにあるくらい遠いことなのです。わたくしもそう思っておりました。みんな宇宙船地球号(レイジー)に乗っているんだから、病院で死んでも宇宙のはてて死んだことには違いないのですが、そういうことじゃないんですよね。「生」のいちばん熱いとき、いちばん盛り上がっているときですから、「死」が果てしなく遠くにある感覚はよくわかるのです。ですから、「宇宙の果て」はかなり共感度の高いことばなんです。実際には次の瞬間に脳溢血とかで死ぬかもしれないんですけども、やはりそういうことでもないのです。ひとは、恋とか愛とか子育てとか、そういうことをしていると先が見えない感覚を味わいます。それが、いずれ必ず来る「死」を遠く感じさせるのです。実際に寿命が延びるとかそういうことは起こるのかどうかはわかりませんが、感覚的・心理的に「死」を遠く感じるんですね。こればかりは、人間のアタマとか認識能力とかの仕様でしょうから、それ以外に説明できません。ただ、充実していると、終わったときに「あっという間だったなあ!」となるんじゃないかという気はしなくもないんですが、それはそれでもう、仕方ないじゃないですか、そう生きちゃったんだから。

「遠く離れてた」というのも、実はえらく近くにいたのかもしれませんが、物理的距離ではなく感覚的・心理的に遠かったんですね。めぐり会えてないってことはいないと同じですから。実は僕たちは、すでに出会っていたことにこの瞬間気がついたのだった……なんてことは起こったとしてももちろん偶然ですから、最近出会ってつきあうようになった恋人というのは、もちろん遠かったのです。出会えたよろこびは、もちろん最初のうちは大きいもので、それまでの人生がすべて「悲しみばかり拾って彷徨ってた」ように感じられるものです。非常にというか、異常に共感度の高い表現です。もうほんとに悲しみばかり拾ってましたよ!前の恋人とは当然お別れしてるんですから「悲しみ」には違いないんですけども、そんなリアルな悲しみでなくとも、タンスの角に足の小指をぶつけたとか自動車学校で卒検に寝坊して落ちたとか(笑)そんなつまらぬことでさえ、恋人に出会うための序曲であったかのように感じられるのです。これも人間の性というやつなのでしょう……ひとはストーリーに酔います。というか、ストーリーがあると思わないとやってられませんよ。実際にはすべてがバラバラに起こっており、そこでわたしたちの知覚がその都度反応して因果性というストーリーを脳内で作り出しているのだ、などという夢も希望もストーリーもない話は300年も前から論じられてはいますけども、それをまともに受け止めたらそこで終わるものが大きすぎて(笑)、とても耐えられないのです。ですから、酔おうじゃありませんか。めぐり会えたことを奇跡だと思って、糸がつながれたのだと信じて、指を絡め、そして眠ろうじゃありませんか……あ、いや、わたくし、なんででしょう、寝込みたくなってきましたよ(笑)。

そして「君の胸」「僕の胸」「君の指」「僕の指」と、なんと見事な視点の変化!なぜ指から行かないでいきなり胸から!いや、よくわかる順序なんですけど。だってくっついてたら暑いですし(笑)。歌詞でこのよくわかる順序をやられたら、もう共感度マックスです。「指」の箇所が、ストリングスで一番盛り上がるところなんですよね。ふとしたときに愛しさがあふれる(80年代ふう)、なんて言いかたを今でもするのかわかりませんが、そういうとき、手を握る、指を絡める、といった行動を人は取るのかもしれません。やや、これはいささか感傷的に過ぎたかもしれません。トシもとってますが、それ以前になんだかわたくし、日々の生活に疲れているようです。

と、このように、このとんでもない名曲「ロマン」を語ってみました。夏がちょうど終わるころに「終わらない夏」を扱いたいなあ、なんて思ってますから、ちょうどいいペースかもしれません。このアルバムが発売されたのは春でしたが、このアルバムを夏まで聴きまくっていたのですから、「終わらない夏」はかなりキました。1993年……あの年は梅雨が終わらず、「終わらない夏」もなにも、夏が来なかったのです(笑)。秋からはタイ米食べて暮らしてた未曽有の凶作の年でした。

そんな一年を支えてくれたアルバムの、冒頭キラーチューン「ロマン」のご紹介でした!

あこがれ [ 玉置浩二 ]

価格:2,401円
(2021/7/31 12:30時点)
感想(0件)


Listen on Apple Music
posted by toba2016 at 12:30| Comment(2) | TrackBack(0) | あこがれ

2021年07月23日

あこがれ


玉置浩二『あこがれ』一曲目、「あこがれ」です。

一分ほどのインストゥルメンタルなんですけどもね、ピアノとストリングスでしっとりと、それでいて情熱的に胸に迫ってきます。一分経ったら終わりますんで、え?もう?という気持ちになるんですが、ちゃんと意味というか仕掛けがあるんです。

第一に、二曲目「ロマン」の導入になっているということです。「ロマン」が同じようにピアノとストリングスで泣かせに来ますから、あーなるほど、この曲で本泣きさせる作戦で早く退いたか……と納得できます。

第二に、十曲目「大切な時間」の後半部がこの「あこがれ」のストリングスバージョンとなっており、しかもかなり重厚なアレンジ・音圧でこのアルバムを超弩級感動モノとして締めくくりますから、う!こうきたか!ここで「あこがれ」を思い出させて終わるのか……不覚にも「ロマン」の導入とだけ位置付けちまったぜ……と自分の不明に恥じ入ることになります。もちろん、エスパーじゃないんですからそんなの予想できるわけないですし、予想できたところでたまたま当たった以上の意味はないです。そうですね、しいて言えば『安全地帯IV』がこういう作りになってましたけども、阪神の試合で川藤が代打に出てくるよりも頻度は少ないですので(笑)、まあ、こういうパターンもなかったわけじゃないってくらいです。

さて、この曲、AメロBメロ、そして転調してAメロを繰り返して終わります。この転調、わたくし気づくまでかなりかかりました(笑)。相変わらず耳がポンコツでいけません。ニ長調(D)からヘ長調(F)ですね。実に一音半、歌ならいきなり上げると結構戸惑うジャンプになりますが、玉置さんきっとガットギターで歌いながら作ったんだと思いますから、なんなくこのジャンプをこなしたのでしょう。そして、星さんにテープ渡して、これでピアノとストリングスのインスト作りたいんだよね!と注文なさったのでしょう。星さんはもちろん「お、浩二のやつ、ずいぶん跳んだな、でもそんな唐突感がなく自然に聴こえるな〜じゃあこっちもそんなに違和感なく組み立ててみせるぜ!」なんて感じで、ゴールデンコンビの作曲チームワークが発揮されたものと思います。

そう、このアルバム、もう松井さんはいないのです。作詞は須藤さんが入るにしても、まだ共同制作者って感じではないです。ほぼすべての曲を玉置さんと星さんでアレンジして(ポール・エリスが二曲)いるのです。演奏者はピアノは奥さん清水さんが交代で、シンセもポール・エリスと川島さんが交代で、その他ハープ、トロンボーンがたまに入るくらいで、入れ代わり立ち代わりって感じです。ほとんどすべての曲で金子飛鳥Groupがストリングスを担当しているにしても、それにしたって基本的にスタジオミュージシャンですから、一緒に作ったって感じではないでしょう。このアルバムは事実上、玉置さんと星さんが作ったのです。『All I Do』と比べると、なんと贅沢なところのないアルバムでしょうか。ですが、このときの玉置さんにとって、誰よりも信頼できたであろう星さんと二人三脚のようにこのアルバムを作れたことは、きっと幸せなことだったのです、というか、安全地帯に、そして自分に疲れて、それしかできなかったのだと思います。

この曲を「あこがれ」と名付けたのはおそらく玉置さんでしょう。「情熱」の歌詞で「いつか追いかけた」と松井さんが評した「あこがれ」、それは、玉置さんにとって「夢」とは違うものであったことが、ブックレットの最終ページに掲載された玉置さんの詩に記されています。

「夢」とは、バンドの仲間とロックスターになること……それはもう果たしてしまいました。いまはもう、その「夢」は見失い、ホントに好きだった音楽をやることを模索し、あの『太陽』を完成させますが、バブルの崩壊とともに安全地帯そのものが社会のひずみに飲み込まれていきます。

あこがれだったロックスターと同じように、大きなコンサートホールで脚光を浴びること、それ自体は大したことじゃなかったとわかってしまい、ほんとうの「あこがれ」が、自分から見える、自分の外側にあるロックスターになることでなくて、自分のなかに、自分が作る音楽のなかにあったんだと……気づいたのでしょう。

こうなると、もういけません。ひたすら曲を作り続けるしかありません。「夢」なら叶っておしまいにすればよかっただけですよね。ですが、「あこがれ」はそうじゃありません。ベートーヴェンが聴力を失っても自分のなかにある真実を求め歯ブラシくわえて音の振動を拾い拾い曲を作り上げていったことに似て、はてしない精神世界への旅を続けなくてはならないのです。だからこそ、玉置さんは「僕はこんなはずじゃなかったのに」と、「夢」でなく「あこがれ」を追い求めた自分を表現したのでしょう。

や、もちろんぜんぶわたくしの妄想ですけれども!(笑)

ですが、この寂しげで、それでいてやさしさにあふれた旋律が、安全地帯の大成功から活動休止、ソロ、安全地帯の復活と崩壊といったこれまでの「夢」の世界での彷徨の果てに「記憶の森」という精神世界への第一歩を踏み入れたことを示すものであるように思えてならないのです。

最後にハープで視界が開ける感覚の箇所がありますよね。あれがわたくしには、北海道の森で、樹々の間からみえた湖の光景であるように感じられるのです。これは完全にわたくしの想像であって、なんの根拠もないですけども。でも、本州の森にはない感覚なんです、これ。

あこがれ [ 玉置浩二 ]

価格:2,401円
(2021/7/23 16:19時点)
感想(0件)


Listen on Apple Music
posted by toba2016 at 16:18| Comment(2) | TrackBack(0) | あこがれ

2021年07月17日

『あこがれ』

あこがれ [ 玉置浩二 ]

価格:2,427円
(2021/7/17 10:43時点)
感想(0件)



玉置浩二ソロアルバム第二弾『あこがれ』です。

全曲バラード!安全地帯バラードに飢えていたファンにとっては久しぶりに注ぎまくられる慈愛の雨!もう気のすむまで浴びちゃってください!

……なんですけど、なんというか、ちょっと聴いていくと安全地帯のバラードとはだいぶん趣が違うことに気がつきます。須藤晃さんの詞がかなりの力を持っていることもさることながら、サウンドが安全地帯とは根本から違うのです。なにせ、ふつうのロックバンドの編成で演奏できそうな曲が一曲もありません。シンセ、ストリングス、アコースティックピアノ、ガットギター、ハープ等々、安全地帯ではそもそも演奏できないというか、演奏する筋合いがないといったほうが正確な曲ばかりなのです。『All I Do』の「Only You」「Time」等の路線を発展拡大させたものといえるかもしれません。

すでにWikipediaにも引用されているようなことではあるのですが、『幸せになるために生まれてきたんだから』によると、このアルバムは玉置さんが長年録りためてきたバラードで、仕上がりが遅れているから星さん金子さんが須藤さんを送り込んだ、といういきさつで完成させたものだそうです。長年ってどれくらいなんだろう……何年も経ってたら曲の雰囲気がだいぶ変わってしまうんじゃないかと思いますんでせいぜい『安全地帯V』の後の時期、つまり六から七年くらいじゃないのかな……と思いますが、それにしたってそんな期間を感じさせない見事な統一感あるアルバムとなっています。

松井さんはもうこのころ、一種の「同族嫌悪」に陥っていたそうですから(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)、このバラード集に自分の思うクオリティの詞をつけられそうもなくて手を付けられなかったのだとすれば、玉置浩二ソロアルバムを出すべきタイミングに間に合わせるべく須藤さんが起用されたのはよくわかります。ですが、当時のわたしは「須藤晃ってだれ!」です。「ひとりぼっちのエール」で書いた人なんですけど、わたしにとっては突然登場した人です。なにせ尾崎豊よく知りませんでしたし。

余談なんですが、この『あこがれ』リリースの一年近く前に尾崎豊は亡くなっています。毎朝毎朝、ワイドショーは尾崎のことばかりでした。その歌は私の世代の少年たちを熱狂・陶酔させ、多くの少年少女の心を支えていたのでした。わたくしはといえば、なんと「十五の夜」すら知らないありさまで(笑)、へー、尾崎豊ってこういう歌うたうひとだったんだ、と、ワイドショーで知ったのでした。だってハードロック馬鹿なんだもん!そんな馬鹿が想像できることではなかったのですが、尾崎の死によってKlaxonのメンバーはそれぞれの道を歩むことになり、須藤さんもまた心に大きな穴を抱え、そして安全地帯を失った玉置さんと出会うことになったのでした。いいとか悪いとかではなく、人と人とがこのようにして出会ったのです。

ブックレットには、玉置さんの詩がいくつかおさめられ、モノクロの美しい写真たちと見事なコンビネーションで、感動的な芸術性を醸し出しています。そしてなにより玉置さん、なにやら飾り気のない服を着て、髪もセットしたのかしてないのか、自転車などこいで、一気に普段着って感じの玉置さんを思い切り前面に出しています。「精神性を求めた」(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)以上、よそ行きの恰好などいらぬ!という潔さが感じられます。

さて、恒例の、一曲ずつの短いご紹介を。

1.「あこがれ」:ピアノとストリングスによる壮大なインストゥルメンタルです。
2.「ロマン」:アツアツの愛を究極ロマンチックに歌い上げます。
3.「砂の街」:軽快なコードストロークのピアノを伴奏に失われた恋を歌います。
4.「終わらない夏」:シンセの伴奏で歌われる…夏で終わらなかった恋ですね、先が思いやられます(笑)。
5.「アリア」:失われた愛をどうしても振り切れない切なさをピアノの伴奏で歌います。
6.「コール」:映画「ナースコール」テーマとなったシングル曲です。スケールはアルバム中随一でしょう。
7.「遠泳」:ピアノとストリングスの伴奏で……説明するのも憚られる生々しさアツアツさです(笑)。
8.「瞳の中の虹」:シンセとガットギターの伴奏による望郷バラードです。
9.「僕は泣いてる」:ピアノとストリングスの伴奏で、男の愛の嘆きが歌われます。
10.「大切な時間」:玉置さん作詞の短い弾き語りと、それに続く「あこがれ」のテーマをさらに厚いストリングスでリプライズさせアルバムを閉じます。

なんか「ピアノ」とか「ストリングス」とか「愛」とか「恋」とかばっかなんですけど!ああ、せめて三十代のときにこのアルバムを紹介しておくべきだった!もちろんあとのカーニバル!書いていてやや気恥ずかしくなること請け合いのアルバムなのですが、もちろんそんなことは事前にわかっておりましたし、ある意味得意技でもありますので(笑)、張り切っていきたいと思います!もちろんこのアルバム初聴時は十代の少年だったわけですから、なんだかずいぶん背伸びをしていたんだなーと思わなくもありません。ですが、わたくしの心にいちばんこのアルバムが響いたのも十代〜二十代前半だったのです。一時期もう、こればっか聴いてました。いま思っても当時のわたくしに似合ってなどおりません。相変わらずギターだのベースだのでヘビメタを練習してスタジオに通う日々でしたが、就寝時にはこの『あこがれ』を聴いてしまうのです。そうやって心のバランスを保っていたのかもしれません。もちろん、このアルバムが似合うようなドラマチック大恋愛をしていてリアルタイムで共感しまくっていたとかそういうことでは全然ありません、このアルバムを聴きながら一人で寝るのです(笑)。

さて、次回から曲を一つずつ語ってまいります。『太陽』を書き上げてしばらく休もうかと思わなくもなかったのですが、それで年単位で休んだ前科がありますから、なるべく休まないでいこうと思う次第であります!

あこがれ [ 玉置浩二 ]

価格:2,427円
(2021/7/17 10:43時点)
感想(0件)


2021年07月11日

黄昏はまだ遠く


安全地帯VIII 太陽』十曲目、「黄昏はまだ遠く」です。

とうとうこの曲までたどり着きました……短い活動休止期間はあったものの、このアルバムを最後にもう安全地帯はなくなるんじゃないかと思わされた「あの」十年間を控えた『太陽』の、最後の曲です。実際にはこの後シングル「あの頃へ」「ひとりぼっちのエール」がリリースされてますし、アルバムも『アナザー・コレクション』や『ベスト2』のリリースがありましたから、しばらくは安全地帯がなくなったという感覚はなかったんですけど、長い活動休止期間中に、振り返るとあそこが終わりだったんだ……とわたくしが思える地点が、この「黄昏はまだ遠く」なのでした。それほど終わり感が高い曲で、その点ではあの「To me」ですら及ばないんじゃないかと思っております。

その「終わり感」は、おそらく、歌詞に表された様々な感情、たとえば、注ぐあてが見つからないのにまだ燃えたぎる情熱を心身のうちに抱えている感覚、夢や幸福を探し求め迷い続ける感覚、その中で、消えてゆく憧憬、手元には愛だけが残されたからそれをけっして失うまいと思う感覚、こうしたものを、歌う玉置さんだけでなく、メンバー全員が曲にたたきつけたような演奏によって生まれているのだと思います。

ビートルズの「The Long and Winding Road」は、厳密にはビートルズ最後の曲ではありませんが、あの曲に込められた思いがビートルズが終わったことを示していたと信じるわたくし、「黄昏はまだ遠く」は安全地帯の「The Long and Winding Road」だと思っております。なおその後ビートルズは『アビー・ロード』で本当に終わっちゃいますけど、安全地帯は戻ってきましたので、めでたしめでたしです。余談ではありますが、「The Long and Winding Road」にストリングスを付け加えられたとポールが不満だったというのは意外でした。めちゃくちゃ合ってるじゃないですか、ストリングス。『LET IT BE naked』で聴くことのできるストリングスなしバージョンは、わたくしにはどうもしっくりきません。まあ、こういうふうに作りたかったんならポールが不満だったのもわかるんだけどねえ、という感じです。

さて、曲はエレクトリックピアノのソロで、サビのフレーズを奏でるところから始まります。そのまま玉置さんのボーカル、六土さんのベースが入り、そして「ドス!」という田中さんのバスドラから、Bメロにはいるときにスネアが「バシ!」とリバーブたっぷりに響き、ギターのアルペジオで一気に盛り上げ、ストリングスをまじえたサビに入ります。サビはあっさり終わり、二番もだいたい一番と同じ……今度は最初からスネア、途中から薄いストリングスを入れて進みます。二度目のサビはあっさり終わらず二回繰り返し、そのまま間奏に向かいます。

この間奏ですが……わたくしこれ、安全地帯史上最高のギターソロだと思っております。とくに難しいことはしていないのですが、泣けて仕方ありません。「泣きのギターソロ」とはよくいいますけど、これほど泣けるソロは安全地帯史上どころかほかのアーティストまで入れてもお目にかかったことがないかもしれません。ときおりバックに響き渡る「シャリーン……」という武沢トーンも、安全地帯史上最高の悲しい響きです。この二人以外の音は基本的にごくごくシンプルです。「ドッ……ドドッ……ダン!」と響く田中さんのドラム、そのリズムにピッタリと合わせる六土さん、星さんのストリングスもごく薄く、ギターの二人を前に出そうとする意図が感じられます。矢萩さんの、ハーモニクスを入れたまるで嗚咽のようなとぎれとぎれのフレーズが、終盤に向かうにつれ旋律の形を成して最後におそらくディレイによる繰り返しフレーズまで、とてもなめらかとはいえない全体像を構築し整理のつかない感情を見事に表現してゆくのです……これは参ります。どうしてこういうソロを思いつくのでしょうか。もしかしてですが、こういう効果をはじめからねらって何回もアドリブで録り重ねてゆき、後からつなぎ合わせる……いや、それはごく普通の手法といや手法なんですが、安全地帯はフレーズを決定してからパーフェクトになるまでリハをして、ほぼ一発オーケーのレコーディングができるようにしているというわたくしの思い込みがあるものですから、こういう偶然に出来上がったのではないかと思われるソロに出会うと、(わたくしのもつ)安全地帯のイメージが混乱に陥るわけです。そのくらい、このソロはリアルな感情の動きに迫っています。この後玉置さんソロ時代でも矢萩さんはよくソロをお弾きになり、これと似た設計思想だと思われるソロもいくつか思いだされるわけですが、わたくしの思う矢萩さんのソロはどの曲よりも第一にこの「『黄昏はまだ遠く」なのです。逆にいうと、わたくしこのソロをもって矢萩さんのソロのノリというものを同定できるようになった(気がしている)といっても過言ではありません。

そしてソロは終わり、チェロっぽい低音の入るストリングスだけを伴奏にした玉置さんの多声レコーディングによるアカペラから、一気にフル構成のサビを一回だけ繰り返し、曲はアウトロに入っていきます。

このアウトロもハモリのツインギターで泣かせに来ます。間奏と違い、フル構成の伴奏に、歪んだ音でツインギターのハモリです。泣かないわけがありません。レコーディングではソロ担当バッキング担当で分業し、ソロ担当がツインのフレーズを両方レコーディングするという手法があって、そのほうが手間や時間を節約できることが多いのですが、このツインギターは矢萩さん武沢さんがお二人ともお弾きになったのではないかと思います。音で分かるとかそういう玄人っぽい判別をしたわけではなく……ただ、そうなんじゃないかと思ったのです。安全地帯というバンド、矢萩武沢というコンビならば、そういう効率を優先した手法を採るだろうか、効率を優先せざるを得なかった怒涛の『安全地帯V』を乗り越え、一度目の活動休止を経て再開した安全地帯が『夢の都』『太陽』のレコーディングで、そういう手法を採用するとはちょっと思えないのです。これはもう「ちょっと思えない」以上のことではないですし、多くの人にとってはどうでもいいことですので(笑)、わたくし強くそう思います!というだけの記述ですが、書かずにいられないわけなのです。ツインギターのハモリって難しいんですよ、レコーディングでキレイに合わせるのが。でもこの二人ならあっさりできるんじゃないか、と思うんですね。

歌詞に関しては上でもうある程度語っちゃったんですが、すこし書き足しておこうと思います。このとき安全地帯にとっては、バンドが終わるとき、そして「若者」である時期が終わるときが、重なってしまったのです。「黄昏」とは昼間の終りであり一日の終りを強くイメージさせますが、じつは24時まで「一日」はまだ続きます。あくまで、デイタイムの終りにすぎないといえばそうなんですが、それ以降を「晩」と呼びますから、人生でいえば晩年に入る直前ということになります。いや、そりゃまだ遠いでしょう、と思うんですが、これだけの全力疾走でデイタイムを突っ走ってきた安全地帯が終わるのですから、このあと爆睡していつのまにか24時を過ぎていたなんてことになりかねません。現場ではバンドの終りを誰もが感じていたこの時期に、松井さんは「黄昏まではまだまだだよ!」とメンバーに訴えかけたのではないかと思うのです。メンバーたちも、ここでバンドは終わることはわかっていたことでしょう。ですが、同時に「まだまだこれからだ」と気づかされ、自分を奮い立たせることになったのではないかと思います。

そして、若者である時代が終わる寂しさは、なにもメンバーでなくともわかります。これは、わたしたちリスナーに向けて作られた人生の応援歌でもあるのでしょう。わたくし当時の安全地帯リスナーの中ではかなり若輩でしたが、メインリスナー層はやはりメンバーたちとだいたい同時に若者時代の終わりを迎えていたのです。

「憧憬が消える」「信じてたもの」を泣きながら捜す、生きることに痛みを感じるようになる……ああ、こういうとき人は生命保険に入るのでしょう(笑)。生命保険が役に立つときっていうのは、究極死ぬ時ですから自分には役に立たないんです。誰かを残して死ななければならないリスクを受け容れられない立場になったとき、そのリスクを回避できるよう人は自分の命をカタに入れるのです。「めぐり逢うひとのあたたかさ」に感謝し、「愛」が与えてくれる人生の意味を確信しつつも、「終わらない夢」「駈けぬけるあこがれ」のような、もう一つの意味が消えてゆく感覚に苦しめられ、それを追いかけたくなる衝動さえ覚えるのです。ひらたくいえば生命保険は解約して家庭を放棄し、趣味人として生きることを決心する……しまったひらたくいい過ぎた!(笑)もちろん多くの人はそんなことしないんですけども、それでもすこし胸の痛みを覚えながら生きているんだと思うんです……あ、あれ、そんなの、わたくしだけです?しまった、わたくし友人とこういう人生の肝心なことを腹を割って語りながら酒を飲むとかそういう習慣がございませんもので、よくよく考えたら知らないで想像でしゃべっておりました。うーむ、わたくし、もしかしてものすごく寂しい人生を送っているんじゃないかと、我がことながらちょっと心配になってきました(笑)。

とうとうこの曲まで語ってしまいました……。弊ブログを始めたとき、全曲語るという気持ちではもちろんいたのですが、きっとこの曲まで語ったら満足するんだろうなあ、とはうすうす自分でも思っていたのです。もちろんここでブログをやめるということではなく全曲目指して今後も書き続ける所存ではありますが、それくらい、ここの区切りはわたくしにとって大きいものだったのです。十代の少年だったわたしは、この十年間で二十代後半になり、その間に多くの出会いと別れを繰り返し、大人に染まっていったのです。その間、安全地帯の音楽はつねに人生の教科書であり、支えであったのですから……。なお、約十年の時を経てリリースされた『安全地帯IX』の一曲目「スタートライン」を聴くその瞬間まで、この曲がわたくしにとって安全地帯ラストの曲でありましたから、この曲はいまだにわたくしの時をちょっと止めます。安全地帯が終わる瞬間を何度も何度も味わい、そしてしばし呆然とするのです。完全な後遺症です。この曲はいまだにいちアルバムのラスト曲ではないのです。

次は、アルバムリリースの順番でいえば玉置さんソロの『あこがれ』になります。もちろん「あの頃へ」や「ひとりぼっちのエール」のほうがリリースが早いんですけど、それらが収録されたアルバム『安全地帯ベスト2 〜ひとりぼっちのエール〜』は若干後になりますので、アルバムリリース時優先という弊ブログの方針上、後になります。この方針でいうと、「萠黄色のスナップ」とか「置き手紙」とかが「あの頃へ」「ひとりぼっちのエール」と同じ時期になるという怪奇現象が起こるんですけど(笑)、まあ、それも一興でしょう。

それではまた!

安全地帯8〜太陽 [ 安全地帯 ]

価格:1,509円
(2021/7/5 10:10時点)
感想(0件)


Listen on Apple Music

2021年07月04日

朝の陽ざしに君がいて


安全地帯VIII 太陽』九曲目、「朝の陽ざしに君がいて」です。

素晴らしいバラードです……わたくし、勝手にこれを「夢のつづき」大人バージョンだと認定しております。「だれも」とボーカルから入るところ、アコギが伴奏の大きい部分を占めるアレンジであること、テンポが似通っていること、等々、似た箇所はいくらも挙げられるんですが、何より似ているのは、歌詞の世界です。夕暮れと朝の違いは、まあこの際おいておくとして(笑)。

曲はサビから入ります。「夢のつづき」よりも明るめの、ブライトなアコギの音で玉置さんの歌を支え、そして一番へと向かう間奏でドラム、ベース、明るめのシンセが入ります。

一番でも最初はアコギ一本、そしてかなり控えめなドラムとベース、そしてBメロ…とでも言うべき箇所でギターが二本になります。サビに入り、シンセが加わりドラムとベースの音数が増える……増えるといってもそんなに多くないですから、終始控えめな演奏になります。

二番のサビ前から、何か弦楽器……わたくしこれも詳しくないのですが、たぶんバイオリンだと思います、が入りますね。このあとずっと美しい音色と旋律を響かせてくれます。間奏では二本かそれ以上重ねられて、思わずうっとりしてしまいます。星さんのストリングスアレンジが美しすぎて、わたくし安全地帯活動休止期間中に他のどんなストリングスでもあまり満足できなくなってしまいました。どうしてくれるんです星さん!(笑)これは安全地帯の後遺症のひとつといっていいでしょう。

曲はサビを一回だけ繰り返した後、アウトロに向かっていきます。アウトロではエレキギターが主導し、美しいストリングスに支えられつつ、フェイドアウトしていきます。ふう美しい曲だった……と余韻に浸っているとすぐさま「黄昏はまだ遠く」の凛としたピアノに全神経を刺激され、まったく油断も隙もあったもんじゃないと思わされます。まったく、このアルバムはあまりの緊張感の連続で、こんな穏やかな歌を聴いていてさえ五秒後にはどうなるのかわからないという一抹の不安をぬぐえないという、とんでもない力作になっています。だからこそ、この後10年ほども安全地帯が活動していなくても、わたくしはずっと安全地帯を楽しんでいられたのだといってもいいくらいです。

さて歌詞です。愛しい人、これは恋人でもご夫人でもいいんですけども、そういう人の存在そのものが過去のいろいろを癒し、現在と未来を生きる勇気、そして幸福を与えてくれているということに気づき、そして感謝する歌であるというところが、「夢のつづき」と似ているのです。もちろん似ていて構いません、わたくし大好物ですから(笑)。前回の記事でヘビメタ野郎だった過去を大暴露しておきながら、こういう曲が好きでたまらないんだぜという白々しい記事を書くのもいかがなものかと思いますけども。

「ひとは一人で生きられない」と、若い人が言うと、きみ本当にわかってるの?と訊きたくなります。大人にそう言わされているんじゃないの?きみがそれを本当の意味で知るのはきっと、もっと後のことなんだよ……とお節介にも言いたくなります。しかし、おじさんがそういう気分になっているとき、おじさんは忘れているのです。自分もそれを本当にはまだわかっていないんじゃないかということを。

恋人ができ、そして恋人と別れ、しばらく一人でいることに慣れ、そしてまた恋人と出逢う……いつしか恋人は伴侶となり、子どもができ家を構え、もう一人で生きていくということがあんまり現実感のないイメージになった歳になっても、まだ本当の意味では「誰もひとりでいられない」ということをわかっていないのかもしれません。だって子どもはいずれ出ていくし(出ていかないと逆に困りますからいいんですけども)、夫婦だってどちらかが必ず先に死にますから。さすがに松井さんもそこまでは想定して書いていないでしょうから、きりのない話はこれくらいにするとしても、自分がほんとうにはわかっていないのかもしれないという心がけは必要でしょう。だから、この「誰もひとりでいられない」は、「ほんとにそういえる」にしても、「心からそう思っている」というより、「心からそうだと信じてる、信じられるんだ、君といると」という意思表明に近いものだとわたくし考えております。「出会ってまだ半年なのに、君といないともう寂しくってたまらないよ、ぼくたち結婚できないかい」とかいう段階はとっくの昔(『安全地帯V』とか)に何度も経験したであろう玉置さん世代の、オトナの歌ですからね。

「愛」はそっとやさしく「ふれてくる」という、なんという秀逸な表現!もう、あからさまなことばや行動は要らないのです。そんなの演技できるじゃないですか。ふとした瞬間にわかる、そうした感触があることに気がつく。ことばはいつだって記憶され、どんなとんでもないことばでも保存され、スナップ写真のように場面場面が蓄積されていきます。でも、こういう「ふれてくる」愛は、いつでも動的でうつろうものです。もちろん、ことばがあったっていいんです。無言のほうがブキミですから。ことばは添え物程度ってことでいいんじゃないですかね。旅行に行った思い出に添えるスナップ写真があるように。スナップ写真だけ撮りに行ったアリバイ旅行みたいなのだって同じ写真は撮れてしまいますけど、そんな旅行の思い出は面白くもなんともないものでしょう。だから、愛のことばに酔うのは程々にしておくのが無難ってもんです。「君」といる時間もまた、「好きな香り」を放つ花に似ていて、いつか消耗し消え去るものかもしれません。ですが、その記憶はことばによってではなく、「微笑み」というビジュアルの記憶によって場面場面の記憶とともに保存されている(刻まれている)のです。

「なんとなく呼ぶ」だけで「振り向いた君の瞳」には、そうしたことばでは語りつくせない、幸福になる、幸福にするということへの希望がつまっているのです……そう、とても自然に!年収600万はないとダメとか長男はイヤとか、そういうことでなくて、いやそういうことももちろん大事なんですけど(笑)、それはもうクリアしたか後で考えればいいことにしたとして。仕事が忙しいとか金がなくて困ってるとか見た目が派手だとか貧相だとか過去に騙されたとかいま警戒モードだとか、いろいろなことがそういう自然な性質を覆い隠し見えにくくしているだけで、人には自然にそういう幸福に向かう性質があって、それを見せてくれる、見せあえる人が現れた、そう気づいたときにこそ、ひとは一人でいられないとわかるのかもしれません。

「心に」花が咲く、いっけんこれは巧みな表現ではないかもしれません。えー安全地帯ってもっとこう、「鏡の疲れた背中」とか「手紙がいまだにあなた宛てにとどく」とか、そういう普通の人が気がつかない現象を鮮やかに切り取る系の歌詞じゃないの?と思うわけです。ですが、人間の幸福を求める性質が自然なものであればあるほど、「花が咲く」という自然現象によってしか喩えようがないものであるような気がしてきて、ここに松井さんの凄みを感じるのです。さらっとこういうシンプルな、だがおそろしく的確なことばを選んだ……これはもう、神業といってもいいかもしれません。「手のひらに春風が吹いてくる」のもシンプルでありながら、春風という自然現象でしか表現できない、わたしたちの心身の「自然」を表している、しかもそれが「いつか」なんです。「いつか」はいつなのかわかりません。真冬かもしれません。でも、「君」さえいれば、いつだって「春風」は吹いてくるのです。

日本語だとうまくなじむ言葉がありませんが、natureを辞書で引くと「自然」とか「性質」とか出てきます。自然と、その性質というものをあまり区別しないんですね。最初はこれがピンときません。日本語だと「自然」を森とか川とか山とか海とかそういう「もの」だとみなしているからです。試験管の中で起こっていることだって、大都会のビル風だって、みんな自然の仕組みに従って起こっていることなのに、わたしたちは「自然が失われた」とか言います。自然を「もの」だと思っているから、それがなくなったときに失われたと思うんですね。いい悪いではありません。西洋と日本とでは「自然」のとらえ方が違うというだけのことです。あ、いや、べつに英語の講釈をしたいわけではなく、この歌における松井さんの歌詞は、愛しい気持ちという人間の「自然」を、「花が咲く」とか「春風が吹いてくる」とか、そういう自然現象で比喩している、ということを言いたかっただけなのです。

ひとりでいられないことも、愛がそっとふれてくることも、それでさみしさが消されてゆくことも、すべては自然の仕組みに従っており、ひとは自然の仕組みに素直であればあるほど、それはムリをしないということでもあるのですが、穏やかな気持ちでいられるのでしょう。ムリをしまくり、肩に力をいれまくり、つま先立ちをしまくりやってきた20代は終わり、ひとは大人になることを受け容れていきます。そうしたときに巡りあえたおなじ波長の人をおだやかに「自然に」愛そうと思えた……「夢のつづき」の「つづき」とは、そんな大人の愛だったと、わたくしは思うのです。

安全地帯8〜太陽 [ 安全地帯 ]

価格:1,509円
(2021/7/3 14:10時点)
感想(0件)


Listen on Apple Music