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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
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2022年09月10日

あの時代に…


玉置浩二『CAFE JAPAN』十曲目、「あの時代に…」です。

このアルバムは多くの人がおそらく感じたことでしょうが、華やかで賑やかで、それでいて悲しいのです。その悲しさを担うのが「田園」に滲み出る苦労であったり「フラッグ」が醸し出す希望の切実さだったりする一方で、どストレートにこの「あの時代に…」や次曲「メロディー」が描く郷愁だったりもするのです。

スネアの音が小さくバシッ……バシッ……と遠くから聴こえてきて、次々と音が重ねられていきます。アコギのアルペジオ、ピアノ、シンバル、ベースとストリングス、そしてエレキギター……玉置さんの「……ン……ア〜……」とともに音がどんどん近くなってゆき、バシン!と一点音を揃え、歌が始まります。

伴奏の主力はピアノで、それを彩るようにギターが重ねられています。アコギの弦を鳴らす「ヴィ!ヴィ!ヴィーン!」というもはやパーカッションとして使っているんじゃないかという出音が効いています。ドラムは細かく、そして小さく入れられていて、リズムの主力はドラムではありません。リズムも旋律も伴奏も、歌とすべての楽器が一体となってともに進められてゆくような感覚です。ふつうのバンドサウンドのようにみんなドラムに合わせようぜという感じではありません。歌が先にあって、それにすべての楽器が合わせてゆくような作り方をしているようです。これは『カリント工場の煙突の上に』で玉置さんが試みた手法ですが、おそらくこの曲でも同じように作っていたんだと思われます。安藤さん以外はすべて自分が演奏するからこそできることであって、逆にいうと安藤さんにはこの域に入ることができたのだということです、これは相当シンクロしています。

詞は切々と、昔と今の思いを描きます。昔は夢いっぱいだったのに今の現実はどうだい、すっかり毎日に疲れ切ってしまってさ……と現在を嘆く歌にも聴こえなくもないのですが、全体のイメージはそんな悲愴じゃないんですよね。不思議な詞です。今からできることもいっぱいあるじゃないか、愛だってなくなったわけじゃない、それを越える想いだってまだあるんだ、泣いている君はきっとまだまだ夢があって情熱があって、だから泣くんだ、だから僕もそれを越える想いでもっとやさしくなれるんだ……ぜんぜんまとまっていない思考の流れがそのままに書かれたようなことばなんですが、だからこそリアルにわたしたちの胸を打ちます。いまあるものを、いまいてくれる人を、いまできることで大切にするんだ、という心がけを感じずにはいられません。その心がけはわたくしぜんぜん持っておりませんもので(笑)、ことさら尊く感じられます。そういうふうに生きないとなあ、と。

歌はBメロに入りまして、教えてほしい、きかせてほしい君の思いを、たぶん僕たちは同じことをずっとくりかえしてきたし、これからもくりかえすだろう。何度だって同じ話をするだろう、そして何度だって同じように笑ったり泣いたりするだろう。そして何度だって同じように心を通わせあい、確かめあうんだろう。それが一緒に生きるということだから。志村けんが「ワンパターンになれるということは素晴らしい」と生前に語っていたのを読んだ記憶があるのですが、それはお笑いに限らず、共同生活にも言えるのではないかと思うのです。心地よいパターンが何度も繰り返される、それが熟成され完成に近づいた安心というものだろう。わたしたちは年齢を重ね経験を積み、性格や行動があまり激変しなくなります。感情も安定し、あまり違った反応をしなくなっていきます。それを確かめ合えるのが人生を長くともにしてゆく伴侶だったり仲間だったりするのでしょう。「ずっと同じこと」をくりかえすふたり、というのはこのような過程を経て形成されてゆく現象なのです。

若いとピンときませんよね。それってロボットになってゆくってことじゃないの?と思うでしょう。うーん、ちょっと違うんですよね。挙動が安定しないロボットから挙動が安定したロボットに変わってゆくこと……やっぱロボットじゃん(笑)。いやまあ、成長するというか老化するというか、大人として年月を重ねるということは予想のつかないことや不安定なことを少しずつ排除してゆく過程なのです。それは若さゆえのダイナミックな変化を失ってゆくことでもあるのですが、経験してみると別にさみしくもないですし、それでいいんだと思わされます。だってそんなに変化してたら疲れるじゃん!中学校とか高校とかなんて三年間で生活環境が激変してたんですから、今となってはとてもとても、ついていけません。え?もう次のところ行くの?ってくらいです。自分の子どもがそういう激しい変化をしている間は、自分はどっしりと子どもの目からはほとんど変わらずにそこにいて支える側なんだと思わずにいられません。

でも、細かい変化はしてるんですよ、ロボットじゃないですから(笑)。だから、「涙がこぼれてくるんだ」なんです。とかなんとか話はもうサビに入ってますけども。「ふたりは」でジャイーン!と一瞬転調したかと思わせるほどのダイナミックなコード進行で曲は一気にサビに入ります。涙がこぼれてくるのはもちろん悲しいことがあった場合もそうなんですが、時間的にも空間的にも遠くなったふるさとの、まだまだ変化が激しかったころの、安定していなかった自分の記憶がどうにも泣けてくる、ということが起こる、ような気がします(笑)。やや、すみません!けして茶化しているわけじゃないんですが、なにせ自分がそういう瞬間を迎える前にこの曲に出会ってしまったもので(1996年はまだわたくしバリバリのヤング!)、この曲にそういう感情の動きを教えてもらったからそう感じるんじゃないかという疑惑が抜けきらないのです。こればかりはどうしようもありません。若いときにこの曲に出会ってしまったがゆえに、そういう思いを抱えて生きざるをえなくなっているのです。もちろん、きっと将来、こんな気持ちだったことを思いだして泣けてくることもあるんだろうなとは思いました。そしてまんまと泣きそうになることもあります。それ以上がわからないのがほんの少し残念ではあります。

「特別じゃない夢」と、いまとなっては言えます。当時は自分が特別だと信じて疑ってなかったですから、自分の夢は特別に決まってたんです。でもいま思えば、まあふつうにある夢、ありがちな夢だよな、なんですね。ミュージシャンになりたいというのも何百万もの若者が毎年思うことですし、累計だと数千万人いるでしょう。玉置さんもその一人だったわけですが、たんに天才すぎてそう見えないだけで夢自体は「特別じゃない」ものだったのです。人によってその夢は身に合わぬものだったり合うものだったりしたでしょうし、叶ったり叶わなかったりもしたことでしょう。そして「特別」なものだと思っていたものが、「特別じゃない」ものだとわかっていく過程をみな生きているのです。

「とくべつ〜じゃない〜ゆめをみてた〜」と高音から低音へなめらかに旋律を描くボーカル、ダーン、ダーン、ダーン、ダーンとコードを変えながら刻まれるリズム、ここに「あれは特別だったんだ!でもいまは特別じゃないとわかってしまったんだ」という、人生を一気に振り返り抜ける一抹の寂しさ、そして安心感を叩き込んでくる玉置さんの凄まじい表現力が凝縮されています。そして「あの時代に……」とタイトルを歌い上げてサビは終わります。気分はすっかりふるさとへ……あの時代、わたくしですと昭和末期から平成初期の北海道が強烈に思いだされるのです。

曲は間奏、Aメロと同じメロディーを……なんでしょうねこの音色?安藤さんがキーボードで出したんだと思うんですけど、オルガンっぽい、なんだかわからない、なんともいえない郷愁を誘う音色です。二番のサビの裏にも聴こえますね。エレキギターが絡んで粘っこく漂います。

歌は二番、春は渚の風、冬は枯葉の歌、これは北海道ではありません(笑)。渚はともかく雪に埋もれて冬に枯葉などありませんから。そんなことを生活感覚で知っている人は北海道人と豪雪地帯に住む人だけでしょうから、ここは本州の人にもわかる言葉で郷愁を表現したものと思われます。もちろん都会でも、大人になっても、渚には風が吹きますし冬は枯葉がカサカサいってるんですが、そんなものにあまり心動かされなくなっているのがオトナです。もちろん中高生の頃だって心動かされないフリしてましたけども(笑)、いまよりはずっと季節の情緒ってものを受信していたのは確かなのです。

倒れても、つまり失敗しても気にせずに好き勝手やってましたし、できたのです。当時は当時なりの制約を感じていて大人はわかってくれない的なことを思ってた気もしないではないのですが、いやいやいや何をおっしゃるうさぎさん、大人はさまざまな制約を課されていますし自分でも自分に課していますので、好き勝手などできたものではありません。少年時代は自由だったのです。これも大人になってからわかることで、「笑い転げた青春」が完璧に消え去ってからその意味を知るのです。ですから若い人は、笑い転げられるうちに笑い転げておくべきなのです。

さてBメロ、今度は「ずっとちがうこと」です。ですからこれはAメロに引き続き青春時代のことでしょう。同じことを繰り返していても感受性豊かでいろいろに感じることのできた時代です。だから、刺激に満ち溢れています。あれやりたいこれやりたいと、いろいろなことに興味が向きます。じっとなんかしていません。だから愛着を感じたり飽きたりする暇なんかないんですが、それでも、ふたりは別れが辛くなるほどに一緒にいてしまったのでしょう。これも尊いことです。友情、愛情、いろんな呼び方をしますが、なぜか人は一緒に行動する人を絞っていきます。当時はフィーリングが合うとか居心地がいいとか、そんな風にしか思いませんでしたが……きっと変わりゆくものごとのなかで、変わらない「その人」の何かを受信してしまったのでしょう。

歌は最後のサビ、サヨナラの日に、涙があふれて、手を振ります。花に埋もれていたふるさとで、南へと向かう列車に乗ったり空港へ行くバスに乗ったりします。少年は特別だった夢を叶えに旅立ち、そしてその夢は特別じゃない夢だったと気づいてゆく長い長い過程を経てゆきます。そう、特別じゃなかったんです、僕の夢も、僕の人生も……だからこそ「あの時代」は記憶の中で輝き続けています。もうすっかりその特別感を思いだすことは難しくなっていて、「特別だったんだ」と形容するしかほかに表現方法がわからないくらい、あの特別感は遠いものになっています。でも、それでいいんでしょう。わたしがいまだに特別感をバリバリ感じていて、「いつまで夢を見てるのいいかげん現実を見て」と子どもたちに言われるようになったら子どもたちがかわいそうです。特別感のバトンはとっくに若い人に渡したし、いまはそれが子どもたちに回ってこなくてはならないものなんですから……。でもたまに、子どもたちの見ていないところで、花に埋もれていたふるさとを思いだしてギターをつま弾くことくらいは許してもらってもいいと思います(笑)。もちろん思いだせはしないんですが、ふっと記憶をかすめる何かが蘇りそうになるのを感じて、そこでギターを置きます。そうして少しだけ気持ちを震わせて遊んでいるんです。

曲はアウトロ、ふたたびオルガン似の浮遊音、そしてオルゴールの音色に主旋律は引き継がれ、ギターのハーモニクスと一緒に曲は終わります。

このアルバムを最初に聴き終えたとき、この曲をもう一度聴きたくて仕方なくなりました。飛行機だったからか、カセットに録音したものだったからかは忘れましたが、この曲だけを聴き直すようなことはしませんでした。この感動は、アルバムの最初から物語が続いていたからこそあったのだと思ったからです。シングルとして輝く曲ではなく、アルバムのクライマックスだからこそ、このとんでもない感動があったのだとわたくし直感したのでした。だからいまでもこの曲だけ単体で聴くようなことはあまりしませんが、この曲は玉置ソロで三本の指に入る好きな曲なのです。

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posted by toba2016 at 10:51| Comment(0) | TrackBack(0) | CAFE JAPAN