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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
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2022年08月19日

フラッグ


玉置浩二『CAFE JAPAN』七曲目「フラッグ」です。

JUNK LAND』に「我が愛しのフラッグ」という曲がありまして、なんで旗なんか愛してるんだよと不思議に思ったものですが、例によって『幸せになるために生まれてきたんだから』によりますとフラッグとは玉置さんの愛猫の名前なんだそうです。へえー、じゃあ『CAFE JAPAN』の「フラッグ」も猫なのかなと一瞬思いましたが、作詞は須藤さんですし、太陽の光にきらめいたりしていますんでふつうに旗なんででしょう。

ガシャン!ガシャン!ザワザワ……と、工作機械の音、うごめく人々の気配、これは工場でしょう。いまの世の中ではどこに行ったのか、あまり聞かなくなった工場の音です。たんにわたしが住んでいたのが工場地帯だっただけなのか、産業構造が変化してそういう工場が減っただけなのかちょっと判じかねますが、ともあれ懐かしい子ども時代に一気に戻されるようなあの頃の音です。

アコギの音がなりはじめます。右から左から中央から……あまり聴いたことないですがカントリーミュージックの臭い、バンジョーの響きにも似たギターオーケストレーションです。玉置さんがスキャットを始め、パーカッションがズシンズシンとプレス機を思わせる重い音でリズムを取ります。

ベース、ドラムと同時に歌が始まります。どちらも玉置さんが演奏していますが、エレキギターによるアルペジオが……鈴木さんがクレジットされていまして、おそらくこのアルペジオが鈴木さんなんだと思います。相変わらず柔らかくてスーパーナイスなトーンを……。前作『LOVE SONG BLUE』ではほとんどメインギタリストでしたが、この『CAFE JAPAN』では「フラッグ」一曲のみの参加になっています。この曲にはどうしても鈴木さんの音が欲しくて急遽頼んだんじゃないんでしょうか。

ドラム缶に腰かけて飲み干すのは、ペットボトルの水じゃありません。当時そんなものありません。あるとしたらビンなんですが……水なんてそもそもその時代に売っていたかな?おそらくはビンでなくてヤカンです。ヤカンの水を穴をふさいでフタに注いで飲むんです。もちろん共用ですが、感染症など誰も気にしません、というか現代人とは免疫が違いますし、みんな似たような行動範囲で似たような生活してましたんで、もっている菌なりウイルスなりもかなり共通していたのでしょう、そもそも念頭にも浮かばないのです。ある意味開放的ではあるんですが、もちろん同じ場所で同じことの繰り返しの日々、気づいてしまえば閉塞感がハンパでないです。だから袋小路な気分ですし、ダイスを投げてみたくもなります。投げたってなんにも変わらないんですが……投げるのです。6が出たら何か運命が開けるかも?などと思いながら。そんな悲しさと工場の煙が目にしみて涙が流れ出します。排ガスに関する規制が強くなったのか、産業構造が変化したのか、現代は空気がきれいです。タバコの煙すら閉め出そうと躍起になる現代人などは、昭和の工場地帯の臭いは目にしみるどころか鼻が曲がってひっくり返るに違いありません。

そんな臭いの中、おそらく鈴木さんのスーパーナイスなカッティングが響き、曲はBメロというかサビに展開してゆきます。おかしくなりそう、悲しくなりそうと、閉塞感極まった町を捨ててもよいと叫びます。汗とアブラは、その地域に深く根ざし内部に入り込んだ人でなければ触れることものないものなのですが、見えてしまうんですねえ、ふるさとだから。でも、きっと捨てないんです。見えなくなるとさみしくなりそうだから。ふるさとの地べたにはいつくばって、ガソリンの臭いを嗅ぎながら、工作機械の排熱をでかい扇風機でかき回した風を浴びながら、暮らしていくんです。

さてドンドン!とフロアタムが響き歌は二番、「組合」「サイレン」と相変わらず重めのワードが歌われます。19世紀、労使関係は暴発寸前、ある国は共産主義に移行、多くの国は修正資本主義に舵を切ります。その過程で生まれた組合とは、結局は妥協の産物にすぎません。はじめから「喧嘩もしない」状態であればいいんです。その喧嘩が労使間のものか、それともたんなる痴話喧嘩なのかはわかりませんが、いずれにしろ穏やかではありません。経営者が最大限に労働者の生活を尊重し配慮していれば、争いごとの半分はこの世からなくなるといっても過言ではないでしょう。サン=シモン派やロバート・オウエンのいう理想的・空想的な社会がそこにはできる……かもしれません。でもまあ、そんな世の中は文字通り空想にすぎないのでしょう。ロバート・オウエンの街ニューラナアックはいい感じに運営されていたと伝えられていますが、当時は繊維関係がメチャクチャな成長産業であったことを考えれば、まあそういうことも一時的にならあるかもねってくらいです。作業場のトラブルで爪は剥げるし(何かの比喩かも……「能ある鷹は爪を隠す」みたいに能力とか強さを表すものであれば、粋がっていたけども日々に疲れてそんな気すらなくなってしまった、くらいの意味かもしれません)、終業を告げるサイレン後にシャワーを浴びなければならないほどドロンコ、恋人と待ち合わせするカフェまではいつくばってゆくほど体は疲労困憊、さんざんです。ちなみに三交代制とかは当時あんまり聞いたことがありませんでしたので、普通に17時に機械はストップでしょう。みんな定時に帰れます。恋人と夕食もとれます。もしかして現代のほうが辛いんじゃないのかってくらいユートピアな感じがしますが……それは現代がキツすぎるだけで、当時はそれが「ああ今日も大変だったな……」と繰り返しの毎日に疲れた労働者の日々だったのです。

さて歌はふたたびサビ、はるばるきた、ここまできた……はるばるいくよ、そこまでいくよ……これは町を離れて新天地に来たとかそういう意味ではないように思われます。繰り返しの毎日にあっても、一歩一歩進んでいると信じている青年が、ここまではるばるやってきた、きっと自由な日々にたどり着けるんだ……とそうした明日への希望を歌っているように感じられるのです。どんな夢、希望があるのか、自分は何を守っているのか判然とはしないけれども、昭和という時代は明日は今日よりもっとよくなると、信じられた時代でもあったのです。自分の声でハモリをいれた玉置さんのボーカル、切々と、それでいて悲愴感が感じられないように聴こえるのはこうした未来への希望(その象徴がフラッグ)がにじみ出ているからではないでしょうか。玉置さんのボーカルにも須藤さんの歌詞にも、辛い労働の日々のなかにも信じて生きて行ける希望、というストーリーを、わたくしはっきり感じてしまうのです。疲れているのかもしれません(笑)。

曲は玉置さんの情熱たっぷりなギターソロに入ります。うーむ見事!あらかじめ考えておいたソロではないでしょう。おそらくはアドリブに近いです。指先の力を振り絞った大きめのチョーキング、目いっぱい伸ばしたビブラート、魂のリフレイン、これは前もって作ろうとするともうちょっと細かくいろいろやろうとしてしまいます。ギタリストの性なのです。ですから、アドリブのほうが案外いい感じになることはままあります。

曲は一番と二番のサビを一回ずつ繰り返して最後は「自由のフラッグYEAH…(ah!)…YEAH…(ah!)…YEAH…(ah!)(ah!)…」とテンションアップして終わります。楽器の音が終わる瞬間にうすーくストリングスらしき音が入っていたことがわかり、あ、クレジットされていた安藤さんの演奏はこれか、とやっと腑に落ちました。そしてまた工場の喧騒……また繰り返しの毎日へと、いつか自由になれるんだと希望を求めて帰ってゆきます。

思うに、繰り返しの毎日は人間にとって不自由を感じるものなのだと思います。なにも束縛されているわけじゃないのに、自由になりたいと思ってしまうのです。いつ起きるか寝るか、起きている何をするのか、何を食うか食わないか、何もかもがほんとうは自由なのに、生活の糧を得るために繰り返しのスケジュールを採用してしまったそのときから不自由を感じるようになってしまいます。どこにでも行けるのにどこにも行けない、いつまで寝ててもいいのに起きなくちゃならなくて、いつまで起きててもいいのに寝なくちゃならなくてと……ああしまった、急に自分がとてつもなく不自由なんじゃないかと思えてきて胸が苦しくなりました(笑)。

自由を求めて歌われた団塊世代のフォークは、自由のほかに不戦とかなんだかイデオロギー臭さがつきまとっていて下の世代からすると正直食傷気味なんですけども、玉置さんのこの曲は力強くも美しいメロディーに、イデオロギーのかわりに汗やアブラ、誰かがよこしまな気持ちで支配しているとかそういう悪玉を設定して恨むような気持ちは露ほどもなく純粋な気持ちで自由とかフラッグとかへの憧れを歌う気持ち、こうしたものが心を何ともいえずさわやかにしてくれます。

カントリーミュージックって、ほんとの昔はこんな感じだったんじゃないですかねえ……カントリー大全集的なやつをちょっと聴いたくらいしか知らないですが。わたしが中高生の頃はもうメアリー・チェイピン・カーペンターとかがいてAORと区別がつきにくくなっていましたし、いまなんて……テイラー・スイフト?ふつうのポップスと何が違うのかわたくしにはもうわかりません。そんなわけで、この曲がお好きな方は60-70年代くらいのカントリーをお聴きになるとより幸せになれるかもしれません。ともあれ、この曲は玉置さん流のカントリーなんだとわたくしは思っております。

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2022年08月13日

SPECIAL


玉置浩二『CAFE JAPAN』六曲目「SPECIAL」です。

玉置さんがパーカッション、アコギ、エレキを演奏しているほかは藤井さんの打ち込みとキーボードになっています。それにしてもこのアルバムでの藤井さんはかつての川島さんなみの活躍ですね。

というわけで、多くの音は打ち込みということになります。玉置さんのお弾きになったギターの音もあんまり聴こえてきません。それにしても……このストリングスの音はさすがにわかります。抑揚がだいぶん少ないというか不自然な感じがします。玉置さんや藤井さんがそんなこと気づかないわけありませんから、わざとでしょう。何らかの狙いがあって人工的な感覚をあえて出しているのだと思います。ドラムやベースは正直よくわかりません。ドラムの音がちょっと単調かな?くらいです。これだって玉置さんの歌があんまり強いので最初に気がつくようなものでなく、クレジット見てああそうだったんだと後だしジャンケン的にそう解釈するだけのことです。

さて、なにやらハープをかき鳴らしたような音がなったかと思えば、ドラムス、ベースの音、パーカッション、ベルの音が絡み、ダッダッダー!ダ!ダッダダー!ダッダッダー!ダ!ダッダダー!というこの曲メインのリズムが奏でられます。この曲のメインはこのリズムなんだと思います。歌は当たり前にいいし、平面的なストリングスもいいです(これが金子飛鳥グループのリアルな演奏だったら、はっきりとはわかりませんがおそらく合わないと思います)。ですが、この曲でもっとも強く印象に残るのはこのリズムでしょう。ねえ須藤さん、このリズムで曲作ろうよ歌詞書いて書いて、というが早いか、玉置さんがギターに合わせて即興の歌詞で歌い始めて、須藤さんが慌ててメモ用紙を取り出す、そして何度か歌っているうちに「スペシャル」「きっと」「もっと」という言葉が決まってくる……「きっとスペシャル」は浩二が作った歌詞だからといってクレジットは共作にすることにして、それに合わせて「射的場」とか「メリーゴーランド」という雰囲気を須藤さんが示し、玉置さんがそれを組み込んだ仮歌を作り、AメロBメロが固まったところでカセットに録音(当時はMDか?)、須藤さんがそれを持ち帰ってウンウン唸って次の日にできあがった歌詞を玉置さんに見せたら玉置さんは喜んでギターで弾き始める、そして「須藤さん、これだよ!」と二カッと笑う……こんな光景を想像していまいます。うわあ、いいなあいいなあ!それこそ作曲だよ!バンドだよチームだよ!松井さんはこういう仕事の仕方はせずに、カセットだけ受け取って自室にこもって出来上がったものを見せてくるタイプだそうですけど、須藤さんはもう曲が生まれる第一歩目のところから一緒にいて一緒に作っているわけです。それこそどこをどっちが作っているんだかわからなくなるくらいに、融合しています。

当時のわたくし、ドラマーとよく部屋で曲作りをしていたものです。まずはわたくしギターをシャリシャリとアンプを通さず弾いていまして、ドラマーはその横で「信長の野望」です(笑)。姉小路とかそういうきわめて天下統一の難しい大名を選んでいますので悪戦苦闘しています。しばらくたってわたくし「こんなリフどうかな?じゃあこんなのは?」ドラマーはその間鉛筆を片手に五線譜にリズム譜をさらさらとメモしています。「よーし、じゃあドラム作るから待ってて」とドラムマシンをピコピコ打ち込むドラマーをよそにこんどはわたしが「ストリートファイター2」とかやっています。サガットは強いので何回か敗れたりベガに全然勝てなかったりしてイライラしています。そんなことしているうちに「できたよー」「おーし」と交代、今度はわたくしMTRにドラムを録音して、ギターを重ねていきます。アンプは使いません、アパートだから。MTRにメタルゾーン直差ししてヘッドホンです。ドラマーは姉小路再開していますが何しろとなりの斎藤が強いので北陸から攻めていき、そのスキに斎藤から攻められています。デモにはベースも入れないといけないんですが、何しろゲームの状況によってベースはドラマーが弾いたり私が弾いたりになります。二人ともあまりベースのことは考えていませんでした。ドラムとギターが決まればその間を縫うようにフレーズを作るしかないのは当然なので、私が弾いてもドラマーが弾いても同じなのです。ちなみにベースも直差しです。そうして歌のないデモが出来上がります……不思議だ、やってることは玉置さん須藤さんと同じなのになぜこんなに違うんだ。きっとわたしたちはお互いの待ち時間にそれぞれ勝手なことをやってるからでしょう。玉置須藤コンビのような一体となった曲作りとは非常に遠いわけなのです。

以上の玉置須藤コネクションはわたくしの妄想なのですが、『幸せになるために生まれてきたんだから』によりますと「24時間体制」で一緒に風呂入りながら曲作りしていたようですし、『カリント工場の煙突の上に』をふたりが一緒に作る様子を読むにつけても、当たらずといえども遠からずだろうと推測できます。

さて話は曲に戻りまして、「Ah!」と威勢のいい玉置さんのシャウト、「Oh〜」と朗々とした唸り、にぎやかなアレンジでメインリズムが響き続けます。これは曲のイメージである遊園地を演出する効果があります、というかあるように聴こえてきます、後だしジャンケンで!(笑)。後だしなんですが、歌の強さですべての要因が互いに融和してゆくのです。

さて、歌に入りまして、ベースがボンボンボンボンと小気味のよい下降を繰り返すなか、玉置さんが遊園地の施設で遊ぶ様子を歌います。楽しく、そして懐かしい感じです。Bメロ、「コインポケットにジャラジャラ」なんてお祭りの夜を思いだしますねえ。ひたすらセピア色な気分です。「夢」でいっぱいで、でもそれは一日で終わってしまう「夢」だとわかっているわけですからこそ、愉しもうとするのです。

サビは「スペシャル」の連呼、ときめく、はじける、「ハレ」の日です。ずっとは続かないけどもずっと続いてほしい、でもずっと続いていたらスペシャルっていわないので、これはスペシャルなことなんだと連呼する、そんな矛盾をはらんだ気持ちを……意図的にか非意図的にか、この曲は表現しているようです。この時点ではわたくしそう思っておりました。

二番では輪投げしたりサンドバッグを殴ったりしています。楽しそうですねえ。ちょっとわたくしの記憶内では、遊園地にはそういうものはなかった気がするのですが(あまり行ったことないですけど)……さきほど申しましたように、そういうものはお祭りにある気がします。この歌、遊園地と祭りが混じってませんかね?そんな場所があるわけが……歌は「スペシャル」連呼のサビを何事もなかったかのように通過し(わたしが疑問に思っているだけで実際には何事も起こっていない)、大サビに入ります。

「人生は遊びさ」……これは遊園地や祭りの歌などではなかった!逆にいうと遊園地でも祭りでもないのだから、それらが混ざっていても別に問題がなかったのです。つまり、比喩だったのでしょう。射的場や観覧車、ピンボール、パントマイム……「のように」特別なイベント、スペシャルなイベントがそこにある「ように」生きていこうぜ、いつでもそんな浮き立つような、どこでもそんな楽しい気分でいようぜ、一度きりだし、しかも一通りしかないのがこの人生だもの、と玉置さんは歌うのです。なんという勇気のわきでる歌でしょうか。SMAPが「世界に一つだけの花」で「オンリーワン」と共感を買いまくったのは2002⁻2003のことです。いやいや玉置さんがもっと前に……なんていうだけ野暮というものでしょう。なにせむりに特別でなくていい、もともと特別なんだからと肩の力を抜きまくった詞を歌うSMAP(作詞作曲は槇原敬之)と、がんばらないとスペシャルじゃないぜ!いつでもがんばってスペシャル!もっと楽しまないと!と非常に積極的な玉置さんの歌とではその心構えが違い過ぎるのです。

なんということでしょうか。遊園地の楽しい歌だと思っていたら、これはほんの数年前にどん底を経験した玉置さんが、その精神を奮い立たせ、人生を楽しもう!と高らかに歌い上げる歌だったのです。そのために、遊園地とも祭りともつかぬ「ときめく」「はじける」ハレの装置を数多く次々に歌うのでした……。

「スペーシャール……」と最後に歌声を伸ばし、アウトロも終わらずにフェードアウト、きっといつまでもスペシャルなんだろうと暗示するのにはこの上ない終わり方です。玉置さんはその通り、この後も紆余曲折ありつつもスペシャルな人生を送って26年後の現在に至っています。その活躍ぶりはみなさんもご存知の通りです。

そういや今夜は玉置さんのシンフォニックコンサートが放送される日です。これはうちのテレビでも観られますので録画決定(チャンネル決定権はない)!うーむ楽しみ(明日の早朝が)!。

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2022年08月11日

STAR


玉置浩二『CAFE JAPAN』五曲目、「STAR」です。先行シングルで一番初めに出たシングルです。カップリングは前アルバム「正義の味方」でした。かわいらしいイラスト(バジャ一家?東京電力コマーシャルだったようですが詳細が全然わかりません)のジャケットで、曲調もアコギのアルペジオ主体の可愛らしい曲になっています。

アルバムより一年以上前に出ていまして、テレビでも何回か流れたのを聴いてはいました。あら玉置さんの声だ、きれいな曲だねえ、と思っていました。ですが、それだけでした。わたしがそれまで「玉置さんらしい」と思っていた音楽の要素から外れていましたので、何か事情があったのだろう、くらいに思っていたのです。だって!玉置さんが!「ベイベー」とか歌うなんて思ってなかったんですもん!(笑)まさかのちにアルバムに収録されるとは……しかも、アルバムにはスパッとおさまる「らしい曲」になっているとは……わからんもんです。95年はアルバムのリリースはありませんでしたが、前作『LOVE SONG BLUE』から今作『CAFE JAPAN』へと進化するために必要な期間だったのでしょう。その、いわばサナギの状態にあってポロッと漏れ出てきたこの「STAR」に面くらったというのが事の次第だったのだと思います。

ポロロロ〜とガットギターがアルペジオで響き、ほどなく玉置さんが「ベイビー」と歌い始めます。このギター、低音がずいぶん効いてますし、途中でパートが二つに分かれますから、二本か、もしかしたら三本重ねているのでしょう。星がきらめくようにハーモニクスの音がキラーンキラーンと……その間もストロークやアルペジオは聴こえてきますし、かなり試し試し重ね方を工夫したのだと思います。ボーカルは……これまた二回か三回重ねて録音しているように聴こえますが、玉置さんのことですから油断はなりません。一回か二回か、ちょっと判別つけかねる箇所もいくつかあります。ひとりクイーンやってるんじゃないかってくらい重厚なので、薄いところ厚いところの感覚が狂ってきます。

一番のサビ以降、ポコポコとパーカッションが聴こえます。かなり控えめなので、ギターとボーカルの重厚さに埋もれていますし、それくらいの味付けでいいとお思いになったのでしょう。

そして間奏ではポロロポロロロ〜と流麗なエレキギターによるソロが入ります。「矢萩が弾いても俺が弾いても同じだから」と豪語する玉置さん、さすがの腕前です。トーンづくり、フィンガリング、ピッキング、フレージング、どこをとっても本職ギタリストと遜色ないソロです。カキくんと同じかどうかはともかく。

で、この曲、すべてが玉置さんの演奏によるものなのです。安藤さんも藤井さんも入っていません。『カリント工場の煙突の上に』以来の完全にオール玉置です。『カリント工場』もパーフェクトにオール玉置って曲はあったかなかったか……?ともあれ、ここまで徹底的にほかの人の音を入れないというのは珍しいことだったのです。しかもシングルですし。

前作『LOVE SONG BLUE』はかなりゴージャスにミュージシャンを起用したアルバムであることはすでにご紹介しました。わたくし思いますに、これは、玉置さん一回イヤになっちゃったんじゃないかと思うのです。安全地帯時代にもサポートメンバーが十人を数えるくらい豪勢だったのを、ほぼ削って極力五人だけでレコーディングに臨んだ『夢の都』のように、そしてその五人すら削ってほとんど一人で作り上げた『カリント工場』のように、原点回帰といいますか、玉置さんは息詰まるといったんすべてをリセットして、最小構成(へたすると自分一人)でリスタートする癖があるのではないかと思うのです。この癖はのちに『ニセモノ』を全部ひとりで録りなおしたという事件や、『雨のち晴れ』後に安全地帯を休止させたことにも表れているように思われます。

精神的支柱として須藤さんと二人三脚、音楽的支柱として安藤さんと二人三脚と、玉置さんを支える超強力サポーターたるお二人がいたからこそできたのでしょう。この二人さえいれば、ほかはいざとなればぜんぶ俺がやればいいんだ、悩まなくていいんだ自由でいいんだと、バンドボーカルなりソロ歌手なりが背負いがちな束縛をいっさい捨てることができた、そんな喜びがこの曲、そしてアルバム『CAFE JAPAN』にはみなぎっているかのようです。おい浩二「べイべー」とか言って、そんなキャラじゃないだろ大丈夫かお前、なんていう人はいません、自由なのです。だから「ベイベー」なのです。

そして自由に歌う玉置さん、これは安藤さんとの間に芽生えた愛を歌っているのか、いやたぶんそうなんだと思いますけども、それにしても空とか星とかいうことがデカいんですけど!(笑)。超ラブラブのときには、世界中がぜんぶ自分たちを祝福しているような気分になるのもわからないでもないんですが、もしこのラブラブ説が正しいのであれば、あからさますぎです。作詞には須藤さんも参加しているわけなんですが、あまり制約はかかっていないようです(笑)。当時のわたくし、まだまだ薬師丸さんとラブラブだとばかり思っておりましたから、まさかそんな心境になっていようだなど思いもよりません。な、なんだこの歌詞、仙人にでもなったか?穏やかすぎんぞ!と驚いたものです。いや、実は安藤さんうんぬんは全く関係なく、ほんとうに仙人的な心境になっていたのかもわかりませんが。

「この星と暮らそう」「この星で暮らそう」のスケールには、のちの「プレゼント」を思わせる大地と空の広さがグワーッと胸に迫ります。「愛はどこからきたんだ」、不思議ですね。それはもう星が自転公転するのと同じくらい自然なことなのでしょう。大地がどこまでも続き、緑が芽生え生き物たちがうごめき、空はすべてをおおい宇宙と境を接している……そのメカニズムのうちに、わたしたちの愛もあるのでしょう。ですから、どこから来たんだと問われたら星から来たんだというしかありません。そして、星の一部たるわたしたちにも「聞こえる」はずなのです。「作用する」とか「機能する」ってことなんでしょうけど、それを聴覚で表すセンスには驚きです。すげえ自然な感じ!

この理屈が正しいのであれば、生きとし生けるもの皆すべて、べたすると非生物にすら愛は聞こえるはずです。ですから、「いつの日か争うこともなく」すべては丸く収まってもよさそうなものなのです。ですが、それは世界が結局調和的にできているはずだという幻想にすぎないことを私たちは知っています。だって争いまくってるじゃないですか私たち。へたすると隣人でさえ知ったことかで切り捨てます。な、なぜ!ほんとうはみんな争わずラブ&ピースで暮らしたいと思っているんじゃないのー?

たぶん、そうなんです。私たちは争わずに済むならそれに越したことはないとそれなりに思っているのです。だって皆兄弟だから(星的なスケールでいうと)。でもですねー、そういうラブ&ピースな気持ちってのは、たぶん濃淡がかなりあるんだと思います。昆虫とか貝類とかはほとんど感じてなさそうですよね。人間だってけっこう人による、心境によるんじゃないでしょうか。オランウータンはメチャクチャ感じていそうですけども。この濃淡があるから、きっと私たちは一致団結などせずにそれぞれのテンションでラブ&ピースを星から受信しているのでしょう。

きっと、だからこそ、私たちは運命の人ともいえるような、似た波長の人とめぐり逢うことがあるんじゃないかなー、なんて思うわけです。で、そんな人とラブラブになったらすっげえ鷹揚な気持ちになって、世界のすべてが許せる!世界のすべてが自分たちを祝福している!ような気にもなれるんじゃないかな、なんて思うわけです。それはふつうには舞い上がっているというんですけども。

と、まあ、ラブラブ説をどっちかというと推したいわたくしなのですが、まあ例によっていつもの妄想ですから、今作から参加していない星さんを思って書いた曲なんですとかあとから判明してしまいとんだ赤っ恥といういつものパターンが見えて仕方ありません。

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2022年08月06日

ヘイ!ヘイ!


玉置浩二『CAFE JAPAN』四曲目「ヘイ!ヘイ!」です。

「ヘヘイのヘイ!」と威勢のいい掛け声と、ギターやベース、ドラムの試し弾きのような音、セッションの準備ができたことを意味する「オーケイ」に応じる「オーケイ」(全員玉置さん)、ひとりバンドなのにずいぶん臨場感あります、クレジットにはキーボードに安藤さん、コーラスにThe Asiansがあるほかは全員玉置さんなのです(The Asiansが何者なのかは不明です。おそらくは即席のグループでしょう)。

「ジャーン!ジャッ!ジャーン!」と重めのリズムで、しかし軽快に、ストラトキャスターのスプリング音が聴こえるくらいにおそらくは腕の力で強く弦を叩いたギターが二本絡み、ロックの王道……AC/DCかと思うくらい王道のバンドサウンドで曲は進んでいきます。いや、あんなに重くないですね。これまた玉置さんが弾いたベースのせいか、足取りが軽やかです。玉置さんはベースが得意なんだそうですが、決して王道のベースではありません。ベースという楽器を、曲のボトムを支えるとかバスドラに合わせるとかそういう定石をほとんど気にしない自由な発想で弾いたとしか思えません。もちろんドラムも上手なんですが、これも前曲「田園」や前々曲「CAFE JAPAN」と同じく、ドラマーの定石うんぬんはほとんど気にせず、玉置さんという全身楽器みたいな人の肉体そのものから発信されるリズムを自由な発想で叩いたように聴こえます。そんなにシンバル叩かないっす!スネア連打そんなにためないっす!これはまさにオール玉置バンドでなければ再現が難しい演奏だといえるでしょう。

さて歌が始まり「いらんでしょ」「いいでしょ」のように語尾が「〜しょう」でなく「しょ」なのは、実は北海道弁なのです。かつてハウス食品が出していた「北のラーメン屋さんうまいっしょ」が島殿下(小野寺昭:太陽にほえろ)と雪子さん(篠ひろ子:キツイ奴ら)のCMで「うまいっしょ」とニコニコお客さんに話しかけていたのを覚えている方は、確実に40代後半以上でしょう。他地方の人にもまるで問題なく通じる言葉ですからあまり北海道弁って感じはしないかもしれませんが、道産子にはすぐわかります。ドイツ人が外国で同朋と思しき人とのすれ違いざまに「カルトッフェル(ジャガイモ)」とつぶやいて相手が振り返るかどうかを確かめるのにも似た、すぐに分かる合言葉のようなものです。北海道人にはすぐわかります。この曲は、傷つき倒れた玉置さんが自らを癒した旭川が舞台なのです(全部このパターン)。

誰かひさしぶりの友達とサシで呑みます。「あの娘とはどうなった?」なんて話に及びます。

曲はダンダカダンダン!と唐突にサビに入り、ヘイヘイ〜ヘイヘイ〜とコーラス入りで豪勢に歌います。基本、あの娘とはうまくいってないんです。そんな悲しさを嘆きながらも笑い飛ばす、そんな切ないヘイヘイです。なんもわかってない……ちゃんと愛してない……そんな不満をいわれてどうしようもないんだ……なんとありがちな……でも、どうしようもないのです。人間の注意力には限界ってものがありますから、「あの娘」も底なしに愛されたいのであれば人選を誤ったとしかいいようがないのです。

ドンドン!とフロアタムが響き、玉置さんのミドルの効いたギターソロが……暑い夜に近々のビールを飲んだ時の「くうううー」にも似たトーンで奏でられます。これに合の手を入れるベースが「トゥルル!」などとベーシストが思いつくとは思えないフレーズを入れてきます。

歌は二番、わかりあうっていいでしょ、でも何にも問題は解決してないんだけどね、結局は自分でなんとかしないといけないよ、と突き放すような話に聞こえるかもしれません。でもいいんです。解決なんかするわけありません。これは非指示的カウンセリング(ロジャース)なのです。あ、いや、吞んでるんですけど(笑)。当店カフェ・ジャパンは束の間の癒しをこのような形でご提供しております、解決はどうぞご自分で、というスタイルなのです。というか、カフェとか呑み屋ってそういう場所ですよね、昔から。「よろこんでー」とか声だけ喜んでるバイトさんが忙しく歩き回っているようなデフレチェーン居酒屋ばかりになった現代の若い人は理解しにくいかもしれません。それじゃおれたちの悲しみは癒せねえね(笑)。あるんですよ、立ち入ってこないけど気心知れてるんだ今夜はVERY GOODって距離感が。優先順位がおかしいって殴られたよ参っちゃうよなあ、ああそりゃ災難でしたねえ大根煮えてますけど喰います?いいねこの大根……すげえしみてる……くう〜酒ちょーだい酒!いいんですよたまには殴らせてあげればいいじゃないですか、ほら熱くなってますよ、みたいな!わかるかな〜わっかんねえだろうなあ〜(千とせ)。

玉置さんがダンダカダンダカものすごいタムワークとシンバル連打で雨のち雨のち晴れという、なんだか大変な境遇を歌います。ですが、最後に晴れている、「いいことある」のでこれでいいんだという気分になれます。夢のち夢のち……覚醒?いや、雨の間は寝て夢を見て、晴れた明日にはいいことがあると信じよう!という意味でしょう。辛くたってそれはいずれ時が解決する、時は心を癒し、状況を動かし、全く違った地平へとわたしたちを誘う……これは、安全地帯の時代によくみられた、恋人たちがもうこのまま時間よとまれ、季節よあの人を連れ去らないでくれと願っていた境地とはまったく違っています。正確には「ひとりぼっちのエール」ですでに須藤さんが示していた境地でもあるのですが、この歌も須藤さんが作詞に玉置さんとの共作という形で参加されていて、今度は玉置さんがそのバトンを受け継いでいるような恰好になっているのはとてもドラマチックです。

曲は最後のサビ、なんもなくなってない、ぜんぶわかってない、また殴られてしまいそうですが(笑)、でもいいんです。明日は晴れるから、今夜はロックンロールな夢を見ればいいんです。そしてベリーグッド!ベリグーベリグー!と掛け合って曲は終わります。なんとも、明日への根拠のない希望が湧いてくる歌じゃありませんか。

時は96年秋、わたしは悩んでいました。なんもわかってないって殴られて悩んでいたわけではなく(笑)、将来のことです。音楽を続けるのか?しかもメタルでいいのか?インペリテリの「Future is Black」みたいにお先真っ暗だぞ?メタリカの「Blackened」みたいに真っ暗で終了だぞ?でもいきなり玉置さんみたいな音楽できるわけないしなあ……それともいまからでも髪を切って背広着て企業を巡るか?それまでありとあらゆる企業勤めの機会をスルーし続けてきたわたくし、いまさらそんなことをするのもウルトラヘビーな気分でした。何しろ、氷河期真っただ中、いいニュースなど一つも聞かない時代です。派遣法も改正され、いよいよ若者使い捨ての気配が濃厚になってきていたのです。街はいつも灰色、「いちご白書をもう一度」のような未来が明るい時代では全然ありませんでした。そんななか危機感なく秋から動き始めるやつなんか相手にされるハズがありません。ですがいずれは何とかしなければならないのは明白です。ようするにわたくし、時代のせいにして甘ったれていたのでした。まあーなんとかなるっしょ!飛行機を降りたわたくし、「どーにかしなきゃな、ひとりで」と足取りも軽やかに札幌行きの電車に乗り込んだのでした。たぶん、なんも、ぜんぶわかってません(笑)、

いまふとエディット画面の表示を見て気づいたのですが、これで200の記事を書いたことになるようです(最初の「このブログの説明」を除く)。おお!100は何だったのかな?調べるとどうも「Holiday」のようです。うーむだいぶ前の気がするな……。ともあれ、節目です。気持ちを新たにしなければなりません。前の節目は気づきませんでしたが。このまま300まで行ったとすると……このペースだとあと二年くらいですかね、はっきりとはわかりませんがおそらく『安全地帯IX』か『安全地帯X 雨のち晴れ』のどこかだと思います。まだ20年遅れだよ!どんだけ曲あるんだすげえーなあー(笑)。ともあれさしあたり300目指して頑張りたいと思います。

CAFE JAPAN [ 玉置浩二 ]

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2022年07月30日

田園


玉置浩二『CAFE JAPAN』三曲目、「田園」です。先行シングルで、玉置さんソロだけでなく安全地帯までも含めても最大のヒット曲です。あの「ワインレッドの心」すら凌ぐとは……いやまったくそんなことが起こるとは思っておらず、当時とても驚きました。オリコン最高二位だったそうで、一位ではなかった?じゃあ何が一位なのよ?調べてみると、どうもスピッツさんの「渚」のようです。知らんな……。でもスピッツさんは何枚かあったはず……と思ってラックを見てみますと、ああ、これか、『インディゴ地平線』の四曲目ですね。ありゃいい声だな、こんな曲初めて聴いたよ(笑)。いつだったか「チェリー」歌いたいからギター弾いてっていわれて買っただけなんで、ほかの曲は一回も聴いた記憶がありません。そんなわけで、当時人気全盛だったスピッツさんに週間売り上げで一歩及ばなかったようです(累計売上では「田園」がやや上まわります)。

さて曲はタムの細かい連打とシンセのリード、玉置さんのハミングで始まります。「ダッタカダッタカダッタカダッタカ……」アイアンメイデンか!というくらい攻めたリズムですが、玉置さんの声で雰囲気はむしろ柔らかく、それでいてひとを駆り立てるような不思議な感覚に襲われます。このソフトな急き立て感がこの時代にマッチしたのかもしれません。アコギのアルペシオが聴こえてきたかと思うと曲は急に「ダンダン!」とドラム、ギター、ベースが一気に入り「イッサーオーオーオオオー」「ウンバーアーアアアーアアアー」という謎の歌が高音コーラスとともに始まります。これがまた、魂の叫びとでもいうべきものすごい歌です。これで魅入られないほうが難しいでしょう。耳をわしづかみにされます。かつて「ワインレッドの心」でご婦人の心をとらえて離さなかったあの声が、今度は平成不況の中でもがく人々みんなの背中を押し、そして背中から入り込んだ手が冷え込んだハートを直接温めるような声となって帰って来てくれたのでした。

ベースがグイングイン!とうなり、歌が始まります。それにしてもこのベース、例によってクレジットがないんですが、ほんとに打ち込みなのか……当時まだMIDIを使っていたわたしなどが知らないやり方があったのかもしれません。「石コロけとばし……」と、いきなりリズムのとりづらい譜割!これがまた、ムリヤリことばを当てはめたのではなく、この後すべてが同じ譜割ですので、意図的であることがわかります。玉置さんの伝えたいメッセージは言葉でもあるけども、リズムでもあったのです。詞中「僕」「君」「あいつ」「あの娘」はいろいろなことをしています。この群像劇とでもいうべき描写はドラマ「コーチ」の面々がそれぞれバラバラに行っていたことを表現したようにも聴こえますが、これは玉置さんが「一番グチャグチャになっていたときのことをまとめた」(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)わけですから、もちろん「コーチ」の登場人物たちなどであるはずがありません。これは、多少ムリヤリな想像ではありますが、ぜんぶ玉置さん自身なのだと思います。あるいは、玉置さん、メンバー、スタッフをふくむチーム安全地帯みんなのことを、それぞれ明確なモデルがあったりなかったりはするでしょうけども、この四人の所作にまとめたものではないか、と思います。なにしろ「いちばんグチャグチャ」だったのは安全地帯の崩壊時とその後であるのは傍からみて明らかだからです。基本、困ってますよね。夕陽に泣いたりほおづえついたり……これは自分のこともチームのことも何もかもうまくいっていません。うまくいっていないことそのものを描くのではなく、早口でうまくいっていないときの人々の様子を速い譜割で一気に描くことで、背景にある超ダークでスーパーデンジャラスな状況はソフトに示唆することにとどめています。そうすることによって、玉置さんや安全地帯のことだけでなくて、広く誰にでも起こりうる辛いことと、それに困ってしまう私たちのことを思わせ、多くの人が共感できる曲になっているのでしょう。

かつて安全地帯が崩壊する中で、松井さんは多くのことばを玉置さんやメンバーに贈り続け、ときに励まし、鼓舞し、ときに慰め、癒していました。その思いは当時実らず、安全地帯は崩壊し、玉置さんは壊れてしまったのです。ですが、玉置さんは須藤さんと出逢い、金子さんと再会し、安藤さんと出逢い、少しずつ輝きを取り戻していきます。その中で放たれた「生きていくんだ それでいいんだ」というこの曲は、「五郎ちゃん、俺やっとわかったよ!」という玉置さんから松井さんへの、五年ごしくらいのアンサーソングであるように私には思えるのです。

スネアが重く高速で連打されベースがブインブイン高鳴り、歌はBメロ、ますます早口でおれにはなにもできない……という無念な内容が歌われます。できないことをやろうとしていた日々、できないことだから当然できません。できないことを嘆くのではなく、「やれることだけ」で頑張ればいい……これは多くの人が中学校とか高校で気づく処世法というか、ある意味開き直りなんですけど、玉置さんは天才であったがゆえにこのときまで気がつかなかったのかもしれません。少なくとも、音楽の世界ではぜんぜん限界なんて見えなかったに違いなかったことでしょう。だからこそデビュー前後には自殺を考えるほど思い詰めてしまい、安全地帯の崩壊時にはとんでもなく大きなジレンマを感じていたわけなのです。もっとできるはずなのに!実際できるんだと思います。残念なことに、そのとき日本社会はその「できること」を支えるだけの余裕をなくしていました。安全地帯はどんどん進化してゆき、『太陽』という大傑作を作り上げましたが、最悪のタイミングでリリースされたそれは、結果として安全地帯をどん底に叩き落してしまいます。バブルの崩壊も国際情勢の不安定さもあったのですが、なにより当時の人々は(わたくし含め)その進化についていけなかったのです。挫折は大きく、玉置さんは再起不能かと思える暗闇に落ちてゆきました。

きらびやかなシンセがサビをなぞります。「生きてゆくんだ それでいいんだ」……ビルに飲み込まれているのに街にははじかれている……どうしろっていうんだよ!いいんです、愛があれば!さしのべられた手があって、それを固く握っていればいいんです。街は実体のないもの、「いる」のは、僕、みんなであって街ではありません。僕たちはハイデガーのいうin-der-Welt-Sein世界内存在、すなわち「ここ」にあって「ここ」を自らと不可分のものとしてそれを了解しつつ「ある」存在、それが「いる」ということなのだ、だから僕もみんなも「いる」んだ、君はどこにでも行けるけど「ここ」からはどこにも行けず「ここ」に「いる」のだ……すみません、何言っているのかわからなくなりました(久しぶりに使ったな、このネタ)。

そういやこの頃は『エヴァンゲリオン』の影響か、ちょっとした哲学ブームでした。キルケゴールとかショーペンハウアー、ニーチェとか、その手の、いま思えばたんなる不安神経症なんじゃないのって感じの暗い哲学にたまーにスポットが当たることがあるのですが、このときは大不況の勢いを駆ってか、とくに大きいブームだったように思われます。親世代がかつて喫茶店で一杯のコーヒーで何時間もアルベール・カミュとかサルトルを知った顔して語っていたのと同じ調子で、わたしたち世代はファミレスで呑み放題のドリンクバーを駆使して生兵法のキルケゴールやショーペンハウアーを語っていたのでした。進歩ねえなあ。だってカッコつけてるだけで基本興味ないし(笑)。「DAYONE〜」とか言ってる若者たち(いまでいう陽キャ)が席巻している街の片隅にそういう陰キャもいたというだけの話なんですが、それでも「田園」のヒットがあった時代の証人として、ここに当時の若者の姿を書き残しておこうと思います。

バスドラを連打し、軽快に曲は進みます。このドラム、異様にノリがいいんですけども玉置さんが叩いているんですよね……凄いな、これはわたくし叩けません。この勢いを維持することができません。ギターもベースも歌も自分でそのノリを出せるからこその、まさに力技です。聴き惚れるというか、肩や足が動きますね、このノリを共有したい!全編にわたってこの勢いのまま突っ走り切っているのです。ライブだとどうしても他の人に演奏してもらわないといけませんから、CD以上の一体感を出すことはできないでしょう。安全地帯ならあるいは……くらいで、ノリの一体感という意味では基本的にCDがベスト音源ということになります。

さて歌は二番、「僕」「君」「あいつ」「あの娘」がまたまたもがいています。平成不況の中苦しむ人々が目に見えるようです。実はそれがミュージカルファーマーズと安全地帯の皆さんのことだったとしても、そのように聴こえますし、それでいいのです。誰もがもっていた苦しみ、悲しみ、戸惑い、そういったものを想起させて、わたしたちはショーペンハウアーのいう共苦Mitleidenの境地に至る……ああいかんいかん、素人のダラしゃべりはいい加減にせねば(笑)。

Bメロ、玉置さんは苦しい胸中をまたまた早口で一気に表現します。何も奪わない、誰も傷つけないというのは何もしないということかもしれない、わたしたちは結局奪い合いをしているのにすぎないのかもしれない、そんなことしているうちに結局幸せも逃してしまって、何をしているんだ……と悩むかもしれない、でも、それはいわゆる現代病であって、急がずにいられない、あせらずにいられない私たちが被害妄想に陥っているだけなんじゃないのか?急がなくていいんだあせらなくていいんだ、だって僕も君も、みんなここにいるんだから。愛は消えはしない、だから人を傷つけるとか奪い合うとかはもうよして、自分のできることをこつこつと頑張っていこうよ……これは泣けます。あの時代を生きた人だから泣けるのかもしれません。ですが、これは令和の現代でも通じる、生きることの美しさなのではないでしょうか……なにせ早口で叩き込まれますから、あとからわかるんですけども……。

曲は最後のサビ、生きていくだけでいいんだ、生きているだけで他人を傷つけているなんてウソだ、他人を蹴落としているなんてウソだ、大波が来ても大風が来ても、よく目を見開いて周りを見るんだ、ほら僕も君もみんなもいるだろう?愛を信じていいんだよ!僕たちは身近な愛で結ばれ、そして身近な愛のために生きるんだ、ほかに何ができるというのさ……何でもできる気になっていたがために陥った闇から復活した玉置さんは、とうとうこの真理にたどり着き、力強く歌います。そして一番のサビを繰り返し、イントロとほぼ同じアウトロを奏で、そして唐突に終わります。……これはヒットせざるをえません。約四半世紀も前の曲をこうして振り返り、当時の世相を思いだし、玉置浩二という歌手がこの時代にいたことの奇蹟を噛みしめる、そんな曲です。

須藤さんが一般論として「ほとんど不可能」という復活劇を成し遂げた玉置さんも、この曲に関して「まさにやりたかったこと、歌いかたったこと」が大ヒットして「うれしかった、うれしかった」と語っています(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)。いやいや!あの時代にいてくれてありがとうございます、あの時代にこの曲を送り出してくれてありがとうございます、あなたがいることは、希望そのものなのです、願わくば、この希望がいつでも神の祝福とともにありますように……という感謝と祈りを捧げたくなるほどの見事な曲です。

ショーペンハウアーと同時代にヘーゲルという哲学者がいます。ヘーゲルは、簡単にいえば歴史のロマンチストです。ショーペンハウアーが「駄法螺」(西尾幹二訳)と呼ぶそのヘーゲルはどこまでも歴史の必然性を信じて、いつか最高のハッピーエンドが来ると説くのです。当然、90年代のダークでシリアスぶりたい不安神経症気味の若者に人気があったわけがないのですが(笑)、玉置さんの見事な復活劇を目撃したわたしは、ちょ、ちょっとだけヘーゲルの本を読んであげてもいいんだからね!べ、別に興味があるわけじゃないんだからね!という気分になります(笑)。

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2022年07月24日

CAFE JAPAN


玉置浩二『CAFE JAPAN』二曲目、「CAFE JAPAN」です。シングル曲ではありませんが、タイトルナンバーですね。

クレジットをみてみますと打ち込みが藤井さん、キーボードが安藤さんのほかはパーカッション、ドラム、アコギにエレキは玉置さん……カズ―?カズ―という楽器を玉置さんが演奏しています。音を聴く限り、最後のサビあたりでアオリに入っている「ビイイ〜」という笛の音がそれでしょう。また、ベースのクレジットがないですね……書き忘れでなければ打ち込みなんでしょうけど、なんか打ち込みって感じのしないベースです(打ち込みと生楽器の区別がつかないポンコツ耳)。

ベースがポーン……ギターがポロンポロン……その裏でシャシャシャシャ……とハイハットをハーフオープンで細かくたたくような音、エフェクトシンバルがカシャン!と響き、「ドゥンドゥーン……ドゥン」玉置さんのスキャットが始まります。「ヘイヘーイ」と声を重ねて、その二声が絡まりながらひとつのメロディーを紡いでいきます。バスドラがドスドスとはじまり期待感を徐々に高めたところで、スネアが「パアン!」と鳴り、エイトビートのドラミングとブンブン唸るベースが始まってボーカルも「パラパ−ラパーラパッパー」と無意味な声リフ、曲はいきなり最高潮に達します。なんだこりゃ、1950年代のアメリカか!なんという懐かしい感じと楽しげな雰囲気!玉置さんからこのような世界が提供されるとは、ほんの数年前のわたくしは予想すらしていませんでした。もちろん安全地帯時代からこのような曲がなかったわけでありませんでしたし、あのぶっ飛んだ『All I Do』、そして前作『LOVE SONG BLUE』を知っていますからまったく準備ができていなかったわけではありませんが、それにしても一皮むけたようなぶっ飛びぶりに少なからず驚きました。これが「碧い瞳のエリス」とか「Friend」とかのイメージしかなかった人が聴いたらそれこそオーディオの前でひっくり返るレベルの変貌ぶりでしょう。

楽器隊の音はズシズシと重く、それでいて華やかで、不思議な疾走感があります。テクニカルでは全然ありません。無骨です。安全地帯感は完全に払拭されています。玉置さんがメインボーカルもコーラスも掛け声もみんな、これライブでどうやってやるのってくらいモロに玉置さんの声でアオリのコーラスを入れます。自分の声で自分の声を盛り上げあうという多重録音の機能を活かしたやりたい放題です。ディズニーランドでいえばミッキーもドナルドもプルートも全部自分が入っているという無茶苦茶ぶりです。すみませんディズニーランド行ったことないのでよく知りませんけど(笑)。

さて歌詞のある歌が始まります。ジャーン!と全音符で伸ばした伴奏に、「〜しょう?」と、歌詞は確かにあるのですが……いまひとつ意味が分かりません……夢のつづきを話すことで闇を明るくする?ささやかな暮らしと未来をつなぐ?頑張って考えてみますと、面白いこともない日常に、ぱあっと光がさすような明るい夢の話、将来のビジョンを語るような前向きな会合、パーティーを開こう、という趣向なのでしょう。

スネアの連打が響き、ベースがブンブンいって有無を言わせぬ展開で曲が進みます。「なじみの顔ぶれ」と「ひいきのみなさん」って同じような意味なんじゃないかと思いますが……そんなことを考える暇もなく「星でも見ましょう」!って声も気分も高揚させてきます。ああそりゃ楽しいじゃん!

「お茶でもいれましょうか」ってカフェなら当たり前……ってここで気づくのです。こ、ここはカフェではない!これは傷ついた者たちが集い心を癒す場所……それを玉置さんと須藤さんがカフェになぞらえたのだ……!だからわざわざ「お茶でもいれましょうか」なのでしょう。

『幸せになるために生まれてきたんだから』にはアルバム『CAFE JAPAN』のコンセプトを玉置さんが語った箇所があります。こんな貴重な話を!志田さんあなた最高!歌詞カードに掲載されたいろいろな格好の人(ぜんぶ玉置さん)はカフェ・ジャパンのオーナーだったりマネージャーだったりお客だったりするんです。くわしくは本を読んでほしいのでここからはわたくしの推測が主になりますが……このカフェ・ジャパンとは人生に迷って苦しんで倒れた玉置さん本人がたどり着いた場所、つまり旭川なんですが、そこで玉置さんは一日中空を見て、旧友と語らって、傷ついた心を回復させてゆきます。そしてこわれた心のまま、欠けた心のまま作られていった大傑作が『カリント工場の煙突の上に』なわけですが、玉置さんはそのときのことを振り返ってこの曲「CAFE JAPAN」、このアルバム『CAFE JAPAN』をお作りになったのだと思います。事実、「田園」はいちばんグチャグチャになっていたときのことをそのまま歌にしたもの、と玉置さんはおっしゃっていますので、この推測はほぼ間違っていないでしょう。ですからカフェ・ジャパンとは玉置さんにとっては旭川の、家族・仲間との集う場のことを指すのでしょう。仮面をとって虹色の空を眺める男(玉置さん)は、新しい人生に踏み出す勇気を得てカフェ・ジャパンを後にします。そして作られたアルバムが『LOVE SONG BLUE』、そしてこの『CAFE JAPAN』、そして次作の『JUNK LAND』なのだ、というのがわたくしの現時点での考えです。ですから、この三枚のアルバムは、安全地帯で無理をしたことの音楽的な「落とし前」なのであり、わたしたちはその復活劇を音楽を通して垣間見て、魅せられてきたのだろう……と。む、むう、な、泣けるじゃないですか!(勝手に妄想して勝手に泣く芸風)

曲はドラムだけを残してブレイク、ギターともベースともつかぬナチュラルハーモニクスのフレーズを入れてすぐさま二番に入ります。

大きな(いちょうの)樹の下で君と出逢っていたなら……きっと東京で活動していたおれの運命も少しは違っていたのかもしれない……「つつましい言葉」やあせない「想い出」を共有しているんだから、いろんな意思決定のタイミングや方向が少しずつ変わっていて、運命はもしかして大きく違っていたのかもしれない……

なんだか玉置さんの辿ってきた足跡を悔やむとも肯定するともとれる歌詞なんですが、「いいんだい」「いいんだい」と全体の調子としては肯定に傾いてゆきます。それはそうです、事実そうなったのですから。

ちなみにこのBメロですが、わたくし初聴時から頭にこびりついて離れませんでした。なんというか、リズムと、言葉選びと描かれる世界、歌唱がすべてドンピシャで、新生玉置浩二節の完成系ともいえる見事な出来です。これはほかにどんな歌手がカバーしてもこの魅力は出せないでしょう。事実この時期の玉置さんの歌を誰もカバーしてません。みなさん自分の力量ってものを自覚しているのでしょう。これは玉置さん本人にしか歌えない!と聴いた瞬間にわかります。しかも演奏もほとんど玉置さんですから、もう一体感がハンパじゃありません。ノリノリです。

そして曲は間奏というか、不思議なアナウンスの箇所に入ります。ベースがポワーンと全音符、控えめな音量ながら手数の多いドラム、キラキラキラ……とシンセ、玉置さんの高音コーラスをバックに、玉置さんが「カフェジャパン……カフェジャパン……駆け込み乗車は危険ですけどご遠慮なさらずにどうぞ、ここはカフェジャパン」と、どこかから怒られそうなアナウンスを入れます。カフェジャパンは駅であって、ここで降りて傷を癒す人もいれば、癒し終わって「ご乗車」する人もいるのでしょう、中には「駆け込み乗車」するような人もいますが、この電車は傷の癒えた人を送り出すのがその使命ですから、駆け込み乗車させてでも送り出したい、そんなのこっちが対応してやるから心配せず飛び込んで来い!というフトコロの深さを感じさせます。

そしてドラムとボーカルだけでサビが歌われます。「恋して泣く」「しあわせ」がわからなくて悩む、「お金」が心配になる、「平和」の役に立てるか悩む……と、玉置さん自身が安全地帯時代に散々悩まされたヘビーな課題たちがここで提示されます。

そしてカズ―が響き、フル構成の演奏に合わせて最後のサビが始まります。恋がなんだ、お金がなんだ、いろいろあるだろうけども、それは置いといて、汗、涙、ともだち、笑い、そうした目の前にあるたしかなもののために音楽をやればいい、カフェがお茶を提供するように自然に、音楽を生めばいい、そうして愛されていればいいんだい……これは悟りです。菩提樹の下で仏陀が悟りを得て感じた法悦の心境に似た、音楽をしていく喜び、生きていく喜びを、玉置さんは知ったのでしょう。平和とかお金とか、そういう方面の課題を解決するという方面に真実はない……苦しい苦しい旅の末に、玉置さんはその心境に至ったのではないかとわたくし愚考いたします。

ボーカルだけの「いつでもそばにミュージック〜イエイ」で曲は唐突に終わり、次曲「田園」が間髪入れずにスタートします。これは、わたしたちに教えを説く気がないのかもしれません(笑)。釈迦の場合は悟りのあと水辺でスジャータが乳粥を布施して、梵天が釈迦に教えを説くように諭します、そんな穏やかな時間があったのだろうと思われますけども、玉置さんはそんな様子は全然見せません。これは先が読めません。ぜひ注視してまいりたいと思います。

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2022年07月16日

ファミリー


玉置浩二『CAFE JAPAN』一曲目、「ファミリー」です。

この三年前、玉置さんは「家族」という超ウルトラヘビー級チャンピオンな曲を放っています。それが心の弱っているときにうっかり聴くと寝込みかねないハードパンチを連続でぶち込んでくるものですから、この曲も(家族=ファミリー)ちょっと身構えて聴き始めますと……

なにやらカフェかバーでちょっと控えめに話している人たちが演奏が始まるのを待つような雰囲気、そしてはじまるピアノによるメインテーマ、そして絡められてゆくオカリナのような音……そんなクレジットはありませんから、例によってわたくしの耳がポンコツなだけでこれはギターなのでしょう。パーカッションがストト……と鳴りつつ「Thank you Everybody……KOJI! TAMAKI!」とアナウンスする玉置さんの声、これはもうショーの始まりです!アルバム『ソルトモデラートショー』やTV番組「玉置浩二ショー」で後年鮮明になりますが、玉置さんはこういうショー仕立ての演出を好む方のようで、とてもハマっています。

クレジットに「フランキー堺に捧ぐ」とありますので、これは96年夏にお亡くなりになったフランキー堺さんに、おそらくはもう曲が出来上がってから訃報に接してクレジットを入れたのだと思います。わたくしフランキー堺さんのことはよく存じ上げないのですが、こんな感じのショーをおやりになっていて、それをTVで観るのが玉置さんはお好きだった、そしてフランキー堺さんのことを思い浮かべながらこの曲を作ってレコーディングしたら、リリース直前期、もう歌詞カードの最終編集くらいしかできない時期になってお亡くなりになったから……なのかもしれません。

つまり、これは「家族」の世界とは全然違います!(遅い)

この曲……ほんとうに最初からフランキー堺さんみたいなショーマンのことを描いたんじゃないのって感じがします。夜汽車に乗って津々浦々でショーを行ってきたけども、帰るところは家族のところ……、いや、家族みんなで旅をしている一座みたいな感覚すらありますね。家に帰ったらゆっくり話そう、いろいろあったツアー中のことも、出会った人たちとのことも、満天の星のことも。この時期の玉置さんはすっかり調子を回復しており精力的にツアーを行っていましたから、一緒にツアーをしている矢萩さんや田中さん六土さんはもちろん、カルロスさんたち、そして安藤さんのことを「ファミリー」と認識するようになったんじゃないか、と思うのです。さあみんなお疲れさま、そろそろ家(東京)に帰ろうか……そして東京で打ち上げやって、ゆっくりいろいろ話そうよ!「家族」のときは自分を生み育ててくれた血族だけがこの世の頼りって感じでしたが、この「ファミリー」ではすっかり一緒に仕事をしてゆく仲間を心の支えとして生きて行ける状態を取り戻しているとわかります。

ホーンの音が鳴って曲を盛り上げていきますが。例によってクレジットがありません。こんなときはシンセで音を出していると考えるほうが普通なんですが……この曲は藤井さんもマニピュレーターに入ってないし……安藤さんがキーボードでやったんですかねえ……ちょっと謎です。わたくし鍵盤あまり弾きませんもので、ペダル使って抑揚をつけたのか、あとからミックスでどうにかしたのか……なんともわかりません。

さて曲は「ふたりの愛のこととか!」と非常に意味深なセリフで間奏に入ります。間奏は玉置さんのソロですね。歌詞カードに大きく写真の乗っているフェンダーのストラト、エリック・クラプトンモデル、これのフロントを使ったトーンだと思います。わたくしこの写真を見て、そしてこの音を聴いてクラプトンモデルを買いに行ったことは言うまでもありません(笑)。18万円もしたので見ただけで帰ってきましたが。なにせつい一年半前に『LOVE SONG BLUE』のために激寒の年末年始を過ごしたわたくしにそんな金があるわけないのでした。ふ、ふん!あんな電池の必要なオモチャギターなんかほしいもんか!(とれないブドウは酸っぱい理論)。ちなみに、いまでも持ってません。クラプトンモデル。ちょっとムリしてでも買っておけばよかった!結局違うハイエンドメーカーのストラトで同じ配色のギターを買ったのですが、それはそれでとても満足度が高いギターで、いまでも秘蔵のギターとしてここ一番に使っている一方で、どうしても玉置さんのあれじゃない、という気持ちがずっと引っかかって残っているのです。

そして「遠慮なくやろう これからは」とまた歌が始まるのです。これは、「ファミリー」のみんなに向けた言葉であるいっぽうで、自分に向けた言葉でもあるんじゃないでしょうか。なにせ安全地帯の頃はバンド運営にわがまま言い放題の玉置さんでしたが、音楽的には不本意な曲を作り続けてとうとう倒れてしまったのです。これからは、自分の好きな音楽を、自分の好きなようにやるんだ!須藤さんと金子さんがくれたもう一回の音楽人生、心ゆくまま思いのままにやらないと罰が当たるわ!その途中でいろんな出逢いも別れもあるだろうけども、それも含めてみんな精一杯楽しむんだ、それでいいんだ!とふっきれた玉置さん自身の宣言であるように聴こえたのです。ですからわたくし、一曲目のこの時点で、玉置さんの完全復活を確信したのでした。そう、あれだけの力作であった『LOVE SONG BLUE』ですら、わたくしにはまだひっかるものがあったのです。第15ラウンドまで倒れずにリングに立っていたボクサーを見るような気分で、明らかに実力は十分なのにどこかKOパンチを撃つのを怖がっているんじゃないのか……?かつては後先など一切考えずにバシバシと打ちまくっていたKOパンチでわたしたちを浅いラウンドで幾度も感動と涙のマットに沈めてきた超ハードパンチャーなのに、ある時とんだカウンターをくらってしまったばっかりにカムバックに時間を要したあげくに強打がすっかりなりを潜めた……ような感覚を味わっていたのです。「ファミリー」の曲名から「家族」を思いだしてビビっていたわたくし、もう大丈夫だ、「ありがとう さよならって」の歌い回しが「ふたりの愛のこととか」と自信たっぷりに変わっているところ、「明日からもLOVE」の凄まじい歌いっぷりを聴いて、そう確信したのでした。

もちろんこの曲はCAFE JAPANショーの序曲、まだまだ第一ラウンドにすぎません。次曲以降、怒涛のハードパンチがバシバシ決まりますので、わたくしのノックアウトされっぷりをどうぞお楽しみに!

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2022年07月10日

『CAFE JAPAN』


玉置浩二5thアルバム、『CAFE JAPAN』です。40万枚以上を売り上げた玉置浩二ソロ最大のヒット作となっています。

40万枚という数は、『安全地帯VI 月に濡れたふたり』『安全地帯BEST I LOVE YOUからはじめよう』クラスの数字であり、『安全地帯V』に迫るものです。そんな安全地帯全盛期以来の『CAFE JAPAN』がいかに大ヒット作であったか、想像がつこうというものです。

前作『LOVE SONG BLUE』は寂しい年末に寒い部屋で聴いたあげくに、音楽の変化についていけず二回目以降の聴き込みを必要としたわけですが、このアルバムは初聴時にすぐ「これは名盤だ」とわかりました。どこかでもらったCDウォークマンを使って飛行機の中で聴いたのですが、札幌千歳空港に着陸するころに聴き終わり(いまはわかりませんが、当時は飛行機の中でCDを聴いてよかったのか、逆に当時はダメでカセットに録音したものを聴いたのか……はっきり覚えていません)、これは久々の一発お気に入りだ!と興奮気味に空港内を歩き、市内への電車に乗り換えたところでもう一度聴こうとしたら涙の電池切れ!悶々としながら実家最寄り駅までほぼ立ちっぱなしの帰省ロード!フッいつだってJRエアポートは混みすぎだぜ(ギュウ)……。

珍しいことに95年は玉置さんのアルバム発表がなく(ライブアルバム『T』はあった)、玉置さんどうなってるのかな?と少し心配になっていたタイミングでもあります。わたしの知る限り、安全地帯も玉置さんソロも新作アルバムを出さなかった年というのはこれまで89年だけでしたので、さみしい一年でした。その間玉置さんはといえば、コンサートはもちろん、俳優業を頑張っていらしたようで、まったく音沙汰がなかったわけではなかったのですが、わたくしなにしろ当時からあまりドラマに興味がなく、足利義昭も見ませんでしたし、『コーチ』も何回か偶然観たに過ぎませんでした。いま思えば意地でも観るべきだった……。

ですから、「STAR」もいっぺん聴いたかどうかですし、「田園」の大ヒットも知ってはいましたがよその世界のことでした。ある夜中、筑紫哲也のニュース番組のエンディング「メロディー」がとつぜん部屋に流れました。クレジットを確認するまでもなく、それは玉置さんの曲でした。こ!これは!『カリント工場の煙突の上に』の世界だ!「田園」で快進撃している時期に、玉置さんはあの辛かった『カリント工場』の時代をもう一度振り返ったのです。

おそらく同じ時期にNHKで放映された『玉置浩二37歳のメロディー』で、この当時の玉置さんの状況を垣間見ることができました。お父さんと稚内まで歩いたこと、石川鷹彦さんとアコースティックツアーをやったこと、「元気な町」でお兄さんがドラムを叩き、仲間たちとステージに立ったこと……え!石川鷹彦?千春とか拓郎のギター弾いてる?それはまた……ずいぶん上世代の人と一緒にやるんだなあ……と驚いたものです。
志田さんの『幸せになるために生まれてきたんだから』は当時まだありませんでしたし、インターネット時代も始まったばかりでしたから、ほとんどのことをその番組で初めて知りました。2000年代以降とそれ以前とでは情報流通の絶対量が全然違います。その情報を知りたいか知りたくないか、知ったほうが豊かな音楽ライフが送れるのか送れなくなるのかはともかく、当時はアルバム自体が語ること以外の情報はほんとに少なかったのです。「安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ」なんて一曲ずつぜんぶ語ろうとしちゃうあげくに公開しようなんてするバカ(あちき)も当時いませんでしたし。

そんなわけで、前情報ほとんどなしに空の上で聴いた大ヒットアルバム『CAFE JAPAN』、一曲ずつ短いご紹介をいたします。

1.「ファミリー」カフェで行われているミニコンサートのような雰囲気で奏でられるジャズ的ナンバーです。
2.「CAFE JAPAN」前曲から一転、ズシズシと低音が響くロックナンバーです。
3.「田園」前曲に続くズシズシロック、ドラマ『コーチ』のテーマでほぼミリオンの大ヒットソングです。
4.「ヘイ!ヘイ!」音のすき間が効果的なリズムをもつロックナンバーです。
5.「STAR」一番最初の先行シングルで、東京電力のCMソングでした。アコギのバラードです。
6.「SPECIAL」前々曲と並ぶノリのよいロックナンバーです。お祭りに行きたくなります。
7.「フラッグ」アコースティックなロックです。工場労働者の日々を思わせます。
8.「Honeybee」このアルバム随一のエロティック・ロックです。『JUNK LAND』先取りの佳曲でしょう。
9.「愛を伝えて」アコギ主体のバラードです。私事ですがわたくしこれが本アルバム中一番好きです。
10.「あの時代に…」青春を振り返る悶絶ものの切ない歌詞とメロディーをもつバラードです。
11.「メロディー」筑紫哲也NEWS23エンディングのバラードで、玉置ソロで三本の指に入る有名曲でしょう。

一流ミュージシャンを多数起用した『LOVE SONG BLUE』から一転、このアルバムは『カリント工場の煙突の上に』のようにほとんどの演奏を玉置さん本人が行っています。プログラミングやキーボードに安藤さん藤井さんを起用したほかはギターもドラムもほとんどです。ただ一曲、最後の「メロディー」は田中さん六土さん矢萩さんが参加されていて、安全地帯復活の兆しを感じられました。わたくし呑気で、武沢さんが参加されてない理由など思いもよりませんでしたが……いずれ安全地帯は復活すると信じることができました。実際にはこれから五年ほど後になったわけですが……それでも、信じられたのです。

歌詞は須藤さんと玉置さんで、須藤さんの力にすっかりおそれいっていたわたくし、もちろん気分はウェルカム!こうして、秋の気配が濃くなってきた九月に発売された玉置さんの一年半ぶりのニューアルバムは、わたくしにとってひどく苦しかった90年代後半〜2000年ころを明るく生きてゆく勇気を与えてくれたのです。その当時はもちろんそんな予感すらありませんでしたが、「田園」や「フラッグ」はこれからつらい時代を生きてゆかなければならなかったひとりの氷河期世代の若者(わたくし)を長く救う歌になったのでした。

では次回以降、一曲ずつ語ってまいります!

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2022年07月02日

星になりたい


玉置浩二『LOVE SONG BLUE』十曲目、「星になりたい」です。

玉置さんのガットギターがつまびかれ、エレピがメインテーマを柔らかく奏でる裏で、玉置ソロ史上最高と思われる美麗なストリングスが入ってきます。Hiroyuki Yamaguchi……N響コンサートマスターの山口さんでしょうかね?どうやって録音したんでしょう、いくら山口さんといえどひとりではこの音は出せませんので、クレジットされていないプレイヤーがたくさんいるか、根性で重ね録りしたか、あるいはBON JOVIとかVAN HALENみたいにチーム名として自分の名前を使っていたか……このクレジットはちょっと謎が残ります。

ともあれ、このガットギター+ストリングスという編成は『あこがれ』『カリント工場の煙突の上に』を思わせるものであって、この後も玉置さんソロの折々に泣かせるバラードを聴かせてくれるナイスコンビネーションです。

そしてこの曲は、安全地帯を復活させるきっかけとなった涙のエピソードある曲でもあるのです。玉置さんが安全地帯をやりたくなったときにいつも最初に電話がかかってくる田中さんのところに贈られてきたデモテープ、その中に入っていたこの曲を車の中で聴いた田中さんが、玉置さんソロのコンサートに参加することを決意したことが、のちに安全地帯を復活させる第一歩となったのです(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)。もちろんこれは結果としてそうなったということで、玉置さんに安全地帯を復活させたいという明確な希望があったかどうかはわかりません。でもファンとしてはそうであってほしいと思わせるエピソードです。ギランがまだ喋っているのにギターを弾き始めるとか、ギランの奥さんが「ブラックモアにステージからバケツで水をかけられた」と苦情を言ったとかいう不仲エピソードがすでに芸風になっているようなバンドならともかく、たいていの場合バンドのファンというのは、バンドが末永く仲良く活動していてくれること、解散しても固い絆によってまた復活してくれることを願うものです。

さて、小節の頭にジャンとコード弾きするエレピのほかはガットギターのみをバックに玉置さんが語りかけるように歌います。「約束だったよね」と「約束してたよね」と。普通に聴けばちょっと仲がヤバくなった恋人同士が昔の話を思いだして絆を確かめあう歌です。ですが、田中さんの心をゆさぶってメンバーに入れてしまうんだからとんでもない威力をもっています。きっと、約束だったのでしょう。言葉はシンプル、だけども意味は莫大、これは長く苦楽を共にした者同士でなければ到底わからないものです。

そして少しずつ少しずつ、ストリングスの音が織り込まれて、Bメロ?サビ?に入ってゆきます。いつ「だっ」てどこ「だっ」てふたり「だっ」たよね……抱き「あっ」て抱き「あっ」てね「むっ」たよね……と、促音でリズムを取りつつその意味で泣かせにくるという高度なテクニックを駆使しています。もちろん歌詞ってみんなそうであるべきなんですが、物語を描くことに夢中になりすぎてこういう基本をスコッと無視している歌が当時の街には溢れすぎていましたし、今でも溢れています。「君の名前を呼びすぎ問題」です。「J-POPは工業製品」は実に言い得て妙です。そんな粗製乱造の量産ポップスの海にあって、職人による手作りの伝統工芸品のような輝きを放つ玉置さんの歌は、不景気不景気と大騒ぎしながらも現代に比べればまだまだ元気だったギラギラの時代の中で、次の「田園」の大ヒットまでの雌伏のときを過ごしていたのでした。

そして間奏、玉置さんがガットギターでソロを弾きます。このギターソロはぜひ音の強弱に注目してお聴きください!おそらく奏法とかあまり意識せずに指が動くまま、歌うように強弱緩急を表現したのでしょう。エレキギターよりも生々しく、精神の状態、その波動を表すもの凄いソロです。そして大きくストリングスが混ぜられてゆき、曲は最後の……いや、演奏時間でいえばまだ半ばですね。でもここでクライマックスに向かって一直線という感覚が強く感じられます。

僕は何ひとつ変われなかったけども、僕の周りが、世界が、何もかも変わってゆく、その背景・文脈の変化によって僕もまた違った意味をもつんだ、僕自身は何ひとつ変わってないんだけどね……

70年代の本格派ロックを演奏していた安全地帯は、80年代に路線変更、都会的なポップ・ロックで一世を風靡したものの我慢ならなくなってロック志向に回帰したところでバブルが崩壊し、世の中に思い切り翻弄されてしまいました。玉置さんも傷つき、倒れ、静養を経てやっと復活、音楽も激変したように私たちには思われました。たしかにCDとしてリリースされた音楽の音像はかなり変わっていましたし、この後も変わり続けているのです。ですが、田中さんにはわかったのでしょう。「浩二は変わっていないな」「約束してたよな」って。

ポール・ラングランが1965年に提唱した「生涯教育」(現代の生涯学習)には二つの意義がありました。ひとつは社会の変化に対応するために学ぶことです。そしてもう一つは、学ぶことによって本来の自分を発見し、磨いてゆくことだったのです。まるで岩の中に埋もれていた彫像を、一つひとつノミを入れて彫り出してゆくような、気の遠くなる作業です。玉置さんの中にあった彫像はその全体像を顕わしていませんでしたが、社会の変化と自分自身の音楽を作ってゆく過程によって、少しずつ少しずつ岩が削り取られ、その全貌が見えてきます。田中さんからすれば、まだ見たことないけどその彫像、玉置さんそのもの、はよく知っているのですから、変わっていない、これが浩二の音楽だ、とおわかりになったのだとわたくし愚考いたします。この時以降、もちろん現在この瞬間にだって玉置さんの彫塑作業、陶冶は続いているのですから、その過程を現代に生きるわたしたちはリアルタイムで観ることができる、もとい聴くことができるという僥倖に恵まれたといわなくてはなりません。

「君だけの星になるって」

その日はきっと来ないんです。来てしまったら、終わってしまうから。だから、「約束した」という事実だけが輝いて、わたしたちの将来に希望を与えます。わたしたちも、玉置さんや田中さんがくれた希望を胸に、自分たちを磨いて自分の人生を輝かせて、いつか誰か大事な人の星になるって約束して、永遠に来ない完成の日まで大事な人のために生きなくっちゃならないなと思わされる、そんな人生の喜びや哀しさまでをも感じさせてくれる曲なのです。

アウトロ、玉置さんの唸り、口笛に挟まれたこれまた美麗なストリングスのメロディーが流れる間に、若き日のわたくしは毛布をかぶってカップ焼きそばを食いながら、そんなことを考えたのでした。でも先立つモノがねえ……かねがねカネがねえ……とりあえずアルバイト情報誌でも読んでいよう……バイクのガソリンも何とかして入れないと面接にもいけないな……ガソリンスタンドってデシリットル単位でも売ってくれるかな?1994年末、きたるべき新年はもう少しマシな一年にしないと誰かの星になる前にお空の星になってしまうわ!
新たな決意を胸に人生を歩もうと強く思ったのでした。

さて、このアルバムも終わりました。感染症騒ぎが始まったころに更新を再開した弊ブログなのですが、まさかまだ騒ぎが終わっていないうちにこのアルバムまで終えるなんて予想もしておりませんでした。ある意味感無量です(ここまで来られたのはうれしいけど、世情はうれしくない)。この次はすこし間が開きまして翌々年96年の『CAFE JAPAN』になります。はやく皆様が不安なく音楽を楽しめる日が来ますように!

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2022年06月26日

LOVE SONG


玉置浩二『LOVE SONG BLUE』九曲目、「LOVE SONG」です。先行シングルで、カップリングは「星になりたい」でした。

わたくしシングルって買わないことがけっこうあって(ビンボーでしたからアルバム出るまで我慢せざるを得ないことがしばしば)、この曲もこのアルバムで聴いたのが初聴でした。とはいえ、シングルだからさぞかしパンチある超絶哀愁バラードが来るに違いないと期待していたのです。そして、なんじゃこのアダルティーな感じ!ムード歌謡か!と驚きました。

曲はシングルですからってのも変ですが、コマーシャルです。一番売れそうです。ですが、売る気はなさそうです(笑)。というのは、お聴きになられた方はわかると思いますけども、当時一番のボリューム層であった若者向けではないのです。「DAYONE〜」とかいって若者にウケればミリオン連発の時代に玉置さんはそんなことをまったく考えず、ひたすら自分の中から出てくる音楽を形にしていたかのようです。これは若者が背伸びできる限界を軽々と超えていました。当時の若者がなんとか届くのは、この数年前に流行ったブラコン(ブラザーのほうではなく)くらいが限界でしょう。四小節ごとの大仰なキメ、艶やかなアルトサックス(Bob Zung)、悲しげに響くガットギターのアルペジオ、エレピの音……これは若者に経験のないレベルの哀愁と激情以外の何も感じられません。わたくし、この曲とDAYONEだったら、下手するとDAYONEのほうに近いメンタリティーだったんじゃないか……そんなの誇りに賭けてもイヤというか切腹しても認める気はないんですが(笑)、そのくらいこの曲は大人向けに感じられたのです。

「抱きしめたかった」という歌詞は簡単な感情を表しているように見えて、その実重かった……だってお子ちゃまはそこで止まりませんもん。そこで「何も言わずに」という心境になる相手もいません。「あー、あるある!せつないよねー」という感想が出てくるはずがなかったのです。正直、この曲の哀愁を直撃されるようになったのは、奇しくもというべきか自然の理としてそうだというべきか、このときの玉置さんの年齢(30代前半)に達したころでした。ぬおー!そうだそうだ!「両手いっぱいに抱えたガレキを川に流」す気分だ!とか、傍からは決して理解できない何かが通じてしまったのです。それ以来、この曲はわたくし的玉置ベストの常に一角を為すようになります。

エレピのアルペジオをバックにサックスソロのイントロ、ひたすら重いベースとエレキギター、鋭いドラム(THE SQUAREの長谷部さん)、これはムード歌謡などではありません。このズシーン!ズシーン!と堂に入った曲の構えはまるでヘビーメタル的ですがメタルではもちろんありません。メタルが若者のシリアスな怒りを込めた音楽だとするなら、この「LOVE SONG」はひたすらな大人の男の愛を込めた音楽だといえるでしょう。覚えておくんだ、ホンモノの男が女を愛するってのはこういうことなんだ……!とガツンと示してくる……やっぱりムード歌謡かも!(笑)。演奏を聴くとすべてにわたってロックの香りがしてきますので、どんな曲でも作れる玉置さんがムード歌謡的なものをつくって、それを精鋭のミュージシャンたちがピカイチの腕で支えロック風味に作り上げたモノといえばいくぶん正確かもしれません。

さて玉置さんのボーカルが始まり、ベースとエレピ、そして小さな音でガットギターが響く中、「カシュ!カシュ!」とパーカッションでリズムを取っています。二回目のAメロ(A’)でガットギターのアルペジオが目立ち始め、長田さんのクランチトーンが響き始め、曲は一気サビに入ります。

サビは「ほらあんなに」「まだどんなに」「いまこんなに」とリズムとメロディが完全に一体となった強力な音・声の塊を連続でぶつけてきます。これが記憶回路に直接叩き込むなみの威力をもって脳髄に迫ってくるのです。この異常なまでの威力をもってシングル曲として選ばれたといっても過言ではないでしょう。戦艦大和の主砲など撃ったら甲板にいる乗員が衝撃波で死んでしまうから全員室内に退避してから撃たなくてはならなかったから実は実戦であんまり撃てなかったという逸話を思いだすほどの破壊力です。「LOVE SONG」という歌詞はそれら一斉射撃のあとに放たれており、この破壊力抜群のサビの中にあってけっして主役とは言えない位置にいますが、いやいやどうして、主砲ではなく、対空砲としても使えた副砲なみのニクさです(笑)。

さて、曲は二番に入りまして、A’メロを一回だけ(オブリのガットギターが効く!)、そして曲はすぐにサビの繰り返し、間奏、サビ、アウトロへと向かっていきます。

「両手いっぱいに抱えたガレキ」とは、今ふたりを苦しめるもの、それなのに抱えていなくてはならないものすべてなのでしょう。ありていにいうと仕事とか家族とかなんだと思うんですが(笑)、さすがにそこまでは当時のわたくし想像が及んでおりませんで、オトナは大変なんだなーくらいに思っておりました。いやー、若いうちはいいんですよ、体力勝負だから体を動かしてりゃいいんです、少なくとも当時はそれでよかったんです。ですが、年齢を重ねますと、出るわ出るわ、いろんな体面とか体裁とかアリバイとかを揃えなくてはならないというまことに非生産的な仕事の山が!どの組織もクレーム恐怖症ですから仕方ないといや仕方ないんですが、もうちょっとなんとかならねえのこのガレキ!あんたらが腹切る覚悟あればぜんぶ要らないんだよこんなの!この腰抜け!と思うようなどうでもいい仕事が雪崩をうって迫ってきます。まさにガレキ、まさに自由になりたい、ぜんぶ川に流してしまおうか、まああいつらは腹切ることになるかもだけどそんなの知らんわ!って重荷がこのヤワな両肩にのしかかってくるのです。玉置さんが歌ってる「ガレキ」はもうちょっとロマンチックなやつのことだと思うんですけど、それはそれで非常にまずい修羅場が待ってますので、ここは比喩で説明したってことにさせていただきたいところです。ああおそろしい。

「夢」は小さく、それなのにかなわぬ遠いもの、「傷」も小さく、それなのに癒しきれない痛みを保ちつづけるもの、それらに比べてこの「愛」は大きく、どんなつらさからも寒さからも君を守るもの、この「LOVE SONG」は迷いなく君に贈る、いちばんやさしかった日々にいつだって君をすぐに戻すもの……といったように、関連あるんだかないんだか自分でも判然としない「小さい」に対する「大きい」、「つらい」に対する「やさしい」のように、行ったり来たりしながら愛を語るという仕掛けになっています。うーむ、この理路整然としていないのに愛だけは確信をもっていそうなところがリアルです。

さて間奏、これまでもサビを盛り上げてきたサックスですが(なんか、同じフレーズを全然吹いていない気がします、もしかしてぜんぶアドリブ一発で録ったんじゃないのかってくらいライブ感あります)、セオリーどおりというかなんというか、ほぼサビの歌メロと同じメロディーを情感たっぷりに吹きます。これが、アウトロのアドリブ感あるゴージャスなサックスソロと見事な対比を為していて、なんともいえない寂しさを感じさせます。あくまでわたくしの感覚なんですが、異様なくらいサックスの音がいいです。アルトサックスというのは人間の歌に近い表現力をもつ楽器だとわたくしは認識しておりますが、この両サックスソロは玉置さんの歌にぜんぜん負けていないくらいの超絶演奏であるように思えてなりません。サックス吹く人からすればえ?こんなの普通じゃん、ってくらいなのかもわかりませんけども……。

さてそんな超絶悲哀を演出する歌とサックスをたっぷり聴くことのできるこの曲なんですが、わたくしのクレーム予防仕事ごときではとうてい比喩にならぬほどのエレジー、ギリシャ語でいうところのエレゲイア、哀悼歌、挽歌、いやそれじゃ人が死んでるな(笑)、相聞っていうんですかね、このアルバムでいうと「SACRED LOVE」、のちの歌でいうと「出逢い」のような、愛しくてたまんないんだけど決して報われない愛を歌っているように思われます。「正義の味方」や「田園」のような、人生を歌った歌、応援歌的な歌が目立っていて、そう言及されるようになってきた玉置さんですけども、どうしてどうして、ラブソングというか恋愛系の歌も大進化して、このようなロマンチックで繊細なばかりでない歌を歌うようになっていたことを如実に示す傑作ラブソングであるといえるでしょう。

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