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2018年11月20日
衝撃のコウノトリの巣事件、もしくは笑劇の……3(十一月十五日)
バビシュ首相の息子のインタビューが公開された後、チェコの政界は一部を除いて蜂の巣をつついたような大騒ぎになり、野党側は現在の国会の会期を延長して内閣不信任案を提出するという記者会見を開いた。それ自体には文句はないのだが、国会議員の昇給を20パーセントにしない法案だけは通しておけよと言っておきたい。予算案は通らなくても何とかなるかな。
その記者会見に臨んだのは、市民民主党、海賊党、キリスト教民主同盟、市長無所属連合、TOP09とオカムラ党の党首だった。どうなのかね。バビシュ氏の息子の証言の信憑性も確認されていない時点で、ここまで鬼の首を取ったような大騒ぎをするのは。日本の野党の批判と同じで尻すぼみに終わらないことを願うのみである。今のチェコの最大の問題は、政権交代があったからといってバビシュ政権よりマシになると言い切れないところなんだけどね。
閣外支持という形でバビシュ政権を支えている共産党は、この動きには同調せず、バビシュ支持かどうかはともかく、現時点では内閣不信任案の審議をする前に、予算案の審議を進めて、来年度予算を成立させることが最優先だという主張を繰り返している。意外とまともな反応というよりは、ビロード革命以来最も政権に近づいた現在の立ち位置を失いたくないと考えていると言ったほうがいいだろうか。ANO下しに加担しないことで、今回の件でANOを見限る可能性のあるかつての共産党支持者を取り戻そうという考えもあるのかもしれない。共産党も前回の選挙でかなり多くの支持者をANOとオカムラ党に奪われたのだ。
与党側の社会民主党は、バビシュ首相に事情の説明を求めると同時に、一部の所属議員や党員たちからは、ANOとの連立を解消して下野すべきだという声も上がっているようである。今回はバビシュ氏に勝ち目はないと見て勝ち馬に乗ろうというのだろうか。この迷走振りが社会民主党の低迷を象徴している。国会で新任された政府が存在しないのは、バビシュ氏を首相にするよりも大きな問題だとして連立に加わることを決めたのだから、最終的にどんな結論を出すのかは知らないが、せめて予算などの来年度の国家運営に必要な法案を通してから解散総選挙ぐらいのことは主張してほしいものである。
これが社会民主党の政権離脱で、再度バビシュ氏による組閣なんてことでは話にならないし、野党側と手を組んで不信任案への賛成というのでも全く足りない。社会民主党の裏切りがはっきりした時点で、バビシュ氏は、保険として確保してあるオカムラカードを切るに決まっているのだから。オカムラ氏は不信任案を提出すると息巻く野党の党首の一員でありながら、バビシュ氏に呼び出されて、今後の政局について会談したらしいのである。バビシュ政権がどうなるかのカギは、社会民主党が握っていると言ってもいい。ただ、その決定次第では、バビシュ政権だけでなく社会民主党も倒れることになりかねない。
ゼマン大統領は、この誘拐事件については、メディアによるでっちあげだという立場をとって、バビシュ首相を擁護している。全体的にチェコのマスコミと対立し、その件でつねに野党の批判にさらされているゼマン大統領にしてみれば、当然のコメントなのだろうけど、これが更なる批判を呼んでいるという面もある。今、政権が倒れるのは避けたいということなのか、現時点では盟友というべきバビシュ氏を本気で擁護しているのかはわからない。
わからないと言えば、不信任案を提出しようとしている政党に所属する議員たちは、バビシュ氏の息子の証言をどこまで信用しているのだろうか。その信憑性などどうでもよく、バビシュ政権を倒すチャンスにとびついただけのようにも見えなくはない。単に不信任案を成立させて内閣総辞職に追い込んだとしても、ゼマン大統領は下院の第一党の党首であるバビシュ氏に再度組閣の命令を出すに決まっている。そうなれば去年の選挙後の混沌とした状態が繰り返すだけである。だから、本気でここでバビシュ政権を倒そうと考えているのなら、不信任案を可決させるだけではなく、下院の解散総選挙に持ち込む必要がある。
しかし、残念ながら現在の野党勢力の多くは、総選挙に持ち込むための戦略も、勝てるとは限らない選挙を戦うだけの覚悟も持ち合わせているようには見えない。そうなると、社会民主党が政府から離反しバビシュ政権が倒れた場合、悪夢としか言えない事態が発生することになる。それはANOの政権を共産党とオカムラ党が支える体制の誕生である。社会民主党が数ヶ月前にANOと連立を組むことに決めた理由の一番大きなものがこの内閣の成立を阻止するためだったはずである。
言葉を飾れば右から左まで幅広い勢力を集結した内閣ということになるが、その実態は極右と極左を取り込んだ中道内閣という意味不明な物になる。極右と極左を平均すれば中道になるからちょうどいいなんて冗談を言いたくなるほどである。前回は閣外協力を選んだ共産党も、現時点でバビシュ内閣を支持することを求められれば、連立与党に加わることを求めるだろう。ビロード革命以来、30年のときを経て共産党が政権復帰しかねないのである。
オカムラ党も、去年の選挙の直後の時点からANOとの連立政権に色気たっぷりだったから、バビシュ政権を支持するとなると、最低でも党首のオカムラ氏の入閣を求めるだろう。副総理とか、内務大臣とかになっちまうのかなあ。細かい事情を知らない日本のマスコミが、売込みを受けてチェコに日系大臣誕生とかで大騒ぎして、くそみたいな提灯記事があふれるのが目に見えて、目の前が真っ暗になってしまう。こういうどうしようもない記事を確実に書くという点では日本のマスコミは信頼を裏切らない。
社会民主党が、連立内閣を離脱して、第二次バビシュ内閣が倒れ、第三次バビシュ内閣が成立することは、チェコ人以上に、チェコに住む日本人にとっての悪夢なのである。社会民主党には自重を求めたいところである。知人に頼んで息子を外国に連れて行ったというだけなんだから、息子の意志は無視していたかもしれないけど、政治問題じゃなくて家庭の問題として理解できるじゃないか。政治家には自分に嘘をつく能力だって必要だし、今まで散々やってきたことじゃないか。今回も同じようにして、オカムラ大臣の誕生だけは阻止してくれよ。そうしたら、選挙権はないけど、次の選挙では支援するからさ。
2018年11月15日23時40分。
2018年11月19日
衝撃のコウノトリの巣事件、もしくは笑劇の……2(十一月十四日)
この辺り、チェコ、スロバキアで、政治家の息子が誘拐されたというと、1990年代のスロバキアで起こったコバーチ大統領の息子の事件が真っ先に思い浮かぶ。あの事件は、結局真相は完全には明らかになっていないが、メチアル首相が、対立するコバーチ大統領に圧力をかけるために、軍の情報部を使って誘拐させたというのが定説になっており、実行犯が自供したという話もある。メチアル首相が大統領職を兼任していた時期に、この事件に関しては恩赦の決定が出されているため、真相が解明されて裁判が開かれることはあるまい。
振り返って、今回のチェコ首相の息子の誘拐事件の何ともスケールの小さいことよ。誘拐担当者はアグロフェルト社の実は運転手に過ぎないと言うし、誘拐されたからと言って命の危険があったわけでもなく、その後自宅でのうのうと過ごしているところを記者に訪問されて、運転手のおっちゃんが怖いと泣きつく35歳の元パイロットのおっさん。うーん絵にならんぜ。メチアル首相のやらかした誘拐事件はアクションフィルムさながらの劇的な物だったというだけに、今回の誘拐事件のしょぼさが際立ってしまう。
そのしょぼさがバビシュ氏の言う精神を病んだ息子の戯言にふさわしいようにも見えなくはないけど、これまでのバビシュ氏のさまざまな言い訳から感じられるせこさに妙に似合っているように思えるのも否定できない。どちらも単なる素人の印象に過ぎないのだけど、バビシュ首相に軍の情報部や秘密警察を抱き込んで誘拐事件を起すなんてのはまったく似合わない。
この事件に関して真相が明らかになるかどうかはわからないが、どちらが真相だったとしても、笑いようのないできの悪い喜劇にしかならないところが最悪である。息子を知り合いの運転手に頼んで誘拐してもらう総理大臣と、父親の部下に頼んで旅行に連れて行ってもらいながら誘拐だと主張する総理大臣の息子、どちらがましかと言われても選びようがない。
バビシュ氏の息子について、ボーイング737の操縦免許を有効な状態で所持しているから、精神的な問題があるというのはおかしいと主張する人がいる。パイロットのライセンスを更新する際には、肉体的な健康だけでなく精神的な健康についても検査されるはずだというのだけど、どうなのだろう。スイスの報道でも元パイロットになっているし、どこの航空会社で仕事をしていたという情報も出てきていない。むしろパイロットの資格を取った後、仕事がうまくいかなくて父親になきついてアグロフェルト社関連の仕事でお金をもらっていたというストーリーのほうに整合性を感じてしまう。
そうなのだ。バビシュ氏が最初からそういうストーリーに基づいて話をしていれば、コウノトリの巣事件から受ける印象は大きく変わっていたはずだ。つまり、ごくつぶしの子供たちを自立させるために、コウノトリの巣社を独立させて任せていたのに、精神を病んでしまって経営できなくなったから、親の自分が責任を取ってアグロフェルトに吸収したとか何とか。それを自分とは何の関係もないなどと嘘をつくから、弱みになって苦しい言い逃れを繰り返すことになるのだ。言い訳にすら使われなかったということは、この仮説のストーリーは事実ではないと言いうことなのかもしれないが。
今回のセズナムの報道について、野党はよくやったと大喜びなのだけど、問題はそんなに単純ではない。かつてバールタ氏が率いたVV党が所属議員の内部告発というか、造反にあって解体の憂き目を見たときも、最初はどこかのマスコミの特ダネという形で始まったのではなかったか。バールタ氏のやり口も褒められたものではなかったが、その後の急速な解体の過程には明確な誰かの意思が介在しているように感じられた。
当時バールタ氏追い落としに熱心で最も貢献したのは「ムラダー・フロンタ」だったと記憶する。実際に記事を書いたのは現場の記者であっても、指示を出したのは社主であったバビシュ氏であろう。バビシュ氏が儲けにならないことを指示するわけはないから、市民民主党辺りの既存政党の政治家から要請を受けてのことだったというのが関の山である。ネチャス内閣が崩壊したのも、きっかけは新聞の報道だった。こちらは政界進出を計画していた本人の仕掛だろうか。
バビシュ氏は所有する二つの大手新聞「ムラダー・フロンタ」と「リドベー・ノビニ」に対して、オーナーとして書くべきことについて指示をしたことはないと主張しているが、買収した際には、自分について正しくないことばかり書かれるから、正しいことを書かせるために買収したとか何とか語っていたはすである。ならば、バビシュ氏にとって「正しいこと」を書くように指示を出していたとしても全く不思議はない。だから、今回の件が、バビシュ氏が主張するように、メディアによるデッチ上げだったとしても、自業自得というか、天に唾した結果だとしか言いようがない。
既存政党は、バビシュ氏が新聞社を所有したままであることを批判してきたが、この件に関する最大の問題は新聞社を所有していることではなく、「ムラダー・フロンタ」と「リドベー・ノビニ」というチェコの二大新聞を両方所有していることである。親会社のアグロフェルトは形式上はバビシュ氏の手を離れていることになっているが、実態は変わっていないはずである。
チェコにも公正取引委員会や独占禁止法と同じようなものは存在するから、普通であれば一つの会社が、「ムラダー・フロンタ」と「リドベー・ノビニ」という同業種の二大企業を買収することは禁止されるはずである。それなのに許可が出たのは、その辺の経緯を明らかにしてほしいと思うのだが、政治家が暗躍したからだというのは想像に難くない。バビシュ氏ももともとはチェコの政界にはびこるクライアント主義のクライアントだったのである。バビシュ氏をあれこれ批判する既存政党に同調しきれないのは、この辺の自らの所業を検証も反省もしていないからである。
この問題がチェコの政治にどんな影響をもたらすかについては、また明日。
2018年11月15日9時15分。
2018年11月18日
衝撃のコウノトリの巣事件、もしくは笑劇の……1(十一月十三日)
バビシュ首相のEUの助成金を巡るスキャンダルについてはこれまで何度か書いてきた。中小企業対象の助成金を獲得するために、大企業だったバビシュ氏の所有するアグロフェルト社は使えないので、ダミー企業を設立して助成金を獲得し、その助成金に関する財政的な処理がすべて終わった時点で、アグロフェルト社に合併吸収させるという手口は、それこそどこにでも転がっているもので、バビシュ氏が政界に進出していなかったら、国会議員の誰も問題にすることはなかっただろう。この点ではバビシュ氏は正しい。だからといってバビシュ氏に罪がないと言うことではないのだが、この事件に関して驚くべきニュースが流れた。ただし事実かどうかは、わからない。
最近日本でも既存のマスコミに加えて、ネット発のメディアが誕生して活躍しているようだが、チェコでも、チェコ最大の(多分)ポータルサイトであるセズナムが力を入れ始めており、サイトで独自のニュースやドラマを配信するだけでなく、テレビ放送にまで手を出している。そんなセズナムのニュースサイトに、テレビでの報道もあったのかもしれないが、バビシュ首相の息子のインタビューが登場した。
そのインタビューで息子が語ったのは、去年コウノトリの巣事件が政治問題化して、警察の捜査が進んでいた時期に、バビシュ首相の関係者によってロシアがウクライナから奪還し占領中のクリミア半島に連れ出され、そこで軟禁されていたということだった。同時に関係者が自分を誘拐監禁したことについては、父親のバビシュ首相は知らないかもしれないと付け加えていた。
息子の、というよりはセズナムのレポーターの考えるシナリオによれば、EUの助成金を獲得した時期の農場「コウノトリの巣」はバビシュ首相の子供たちの名義になっていたから、この息子も事件に関係していて、あれこれバビシュ氏のよからぬ行動について知っている。それを警察に証言されると不利になると考えたバビシュ氏、もしくは側近が指示を出して、警察に事情聴取されないようにクリミア半島にまで連れて行って軟禁したということになるのだろう。それに対して、警察は当時バビシュ氏の息子がどこに滞在しているかは把握していたと言っているから、必要があってその気にさえなっていれば、事情聴取は不可能ではなかったようだ。
それにしてもである。なぜにクリミア半島だったのだろうか。そもそも外国人がそんなに簡単に入れるのだろうか。入れるにしても、ヨーロッパからそれほど離れていない、そんな厄介な場所を選ぶ理由はあるのか。その理由になりそうなのが、誘拐したとされる関係者がロシア人らしいという事実である。ただそのロシア系と思しき人物は、バビシュ氏の息子にクリミア半島のことを「ウクライナ」と言っていたようで、ロシア人がそんなこと言うかという疑問も感じなくはない。それに、本気で警察の事情聴取を防ぎたいんだったら、アジアのタイとかインドネシアなんかの人口も多く、距離的にも遠い観光地にもぐりこんだ方がよさそうな気もする。ロシアでもシベリアまで行ってしまったほうがましである。
そのロシア系の人物のチェコ人の奥さんが、精神科医で、バビシュ氏の息子が精神を病んでいるという診断書を出しているらしい。さらにバビシュ氏が財務大臣を務めていた時期には、財務省での仕事にありつき、この前の地方選挙ではプラハの何区かで区会議員にANOから立候補して当選したという。夫のロシア人はバビシュ氏の会社アグロフェルトの関係者だというから、知り合いの知り合いにお願いすれば何でもできる的な人間関係である。これって、市民民主党とか社会民主党などの既存政党がやってきたことと大差ないんだよなあ。既存の政党とは違うところを売りにしていたANOも馬脚を現し始めたというところなのかねえ。
話を戻そう。インタビューでチェコの政界に激震をもたらしたバビシュ氏の息子は、一人目の奥さんとの間の息子で、スイスの国籍を獲得して母親と共にスイスに住んでいるらしい。別れたとはいえお金持ちの御父ちゃんでよかったねというところである。セズナムの記者はそのスイス在住のバビシュ息子を訪問して、取材の意図も告げずにメガネに仕込んだ隠しカメラでインタビューを撮影したのだとかバビシュ首相は批判していた。その手法の良し悪しはともかく、チェコの警察の捜査を避けるために、スイスからクリミア半島に移る必要はあるのかねえ。スイスという国には、よその国に対してあまり協力的ではないというイメージがあるんだけど。
バビシュ首相は、自分の息子について、精神的に病んでいて分裂症の気があるから証言能力はないと主張している。精神の病については母親も認めているらしい。これについてインタビューを見る限り精神を病んでいるようには見えないと主張する人もいるが、心の問題が外見だけで判別がつくのであれば、誰も苦労はしないし、世界は今よりはるかに安全であるはずだ。問題はそこではなく、バビシュ氏の息子を診察して、病気だと診断した医者がバビシュ氏に近いANOの関係者だというところにある。
前妻との間のもう一人の子供である娘についても、精神的な問題で警察の事情聴取には堪えられないという診断書が提出されているらしいが、息子のほうとは違って、こちらは警察の事情聴取は受けたらしい。警察ではバビシュ氏の子供たちに対する精神を病んでいるという診断書の信憑性を疑っているというから、中立だと考えられる医者を選んで、子供たちの診察をさせることになるだろう。今回のインタビューで語られたことの正当性を判断するのは、その結果が出てからでも遅くはない。
バビシュ氏の側も、コウノトリの巣事件に関しては、これまでさんざんメディアが作り出した人工的な事件だとか言ってきたのだから、自らの発言の正当性を証明するためにも、子供たちの専門医による診察には合意するべきであろう。拒否した場合には、誘拐事件がでっちあげではなく、事実だったのだと間接的に認めることになる。
以下次号。
2018年11月14日20時35分。
2018年11月17日
目的を示す「aby」(十一月十二日)
仮定法で使う「kdyby」と「by」と同じような人称変化をする言葉がもう一つあった。それがここで取り上げる「aby」である。人称変化も、動詞の過去形と組み合わせるのも、文頭もしくは節の頭に置かなければならない点も、「kdyby」と同じだが、仮定ではなく目的を表す連体修飾節を作る。日本語の「〜するために」というと同じように使う。気を付けなければいけないのは、日本語の「ために」と完全に使い方が重なるというわけではないことで、原因、理由を示す「ために」には使えず、あくまでも目的としての行為を示すのに使う表現だということである。
復習のために人称変化と動詞「být」の過去形を組み合わせて示しておく。過去形の語尾については以前の過去形のところを参照されたい。
1単 abych byl/byla
2単 abys/abyste byl/byla
3単 aby byl/byla/bylo
1複 abychom byli/byly
2複 abyste byli/byli
3複 aby byli/byly/byla
二人称単数は、丁寧に話す時には複数「abyste」と動詞過去の単数男性形もしくは女性形の組み合わせになる。このことは仮定法のところには書き忘れてしまったけど、普通の過去形で丁寧に表現するときと同じである。三人称複数の「byly」は主語が男性名詞不活動体と女性名詞の場合に使用することも念のために指摘しておく。
ここで、いくつか例を挙げてみよう。
Půjčil jsem si peníze, abych si koupil nové auto.
新しい車を買うためにお金を借りた。
Zastavil jsem se v knihovně, abych vrátil knihu.
本を返すために図書館に寄った。
気を付けなければならないのは、日本語では「ために」ではなく、「ように」を使うような場合にも、チェコ語で「aby」が使われることがあることである。日本語に訳す場合には、日本語の中で自然になるように調整するから問題ないが、日本語からチェコ語に訳すときに、「aby」は「ために」だという思い込みが強すぎると、「ように」が使われている文をどう訳すかで悩むことになりかねない。
以前、日本語ができるチェコ人が、「ように」を使うべき場面で「ために」を連発していて、なぜだろうと不思議に思ったことがあるのだが、それはどちらもチェコ語では「aby」で済ませてしまうからだったのである。これに気づくまでは、日本語の「ために」と「ように」に類似性があるとは全く思っていなかったので、目からうろこが落ちたような気がしたものだ。チェコ語を通して日本語の勉強をしたわけである。まあ、日本人の中にも「ために」と「ように」の使い分けが怪しい人もいるのは確かだけど、チェコ語で問題に気づくまでは、完全に意識の外にあった。
ということで「ように」と訳すべき例文である。
Spěchal jsem, abych nepřišel pozdě.
遅れないように急いで行った。
Půjčil jsem si peníze, abych si mohl koupit nové auto.
新しい車が買えるように借金した。
Řekl jsem mu, aby přišel včas.
時間通りに来るようにあの人に言った。
Psali mi rodiče mail, abych se vrátil domů.
両親からうちに帰ってくるようにというメールが来た。
日本語の「ために」と「ように」の使い分けについては、ここで説明する必要はないだろうが、チェコ語の「aby」には、もう一つ重要な用法がある。それは、動詞の「chtít」と結びついた用法で、「〜してほしい」「〜してもらいたい」という相手、もしくは第三者に対して行動を望むときに使う表現である。「chtít」の主語は一人称とは限らないので、二人称、三人称の場合には、必要に応じて日本語の訳を工夫しなければならない。
Chci, abyste mi půjčil peníze.
お金を貸してほしいんですが。
Chcete, abych zavřel okno?
窓を開けましょうか。
Pavel chce, abychom s ním šli na pivo,
パベルが、私たちに一緒にお酒を飲みに行ってほしいってよ。
まあ、「chtít」を「ほしい」ではなく、「望む」「願う」なんて言葉で訳したら、二つの動詞の主語が異なっているから「aby」は「ように」、もしくは「ことを」を使って訳せなくはないけど、不自然な日本語になってしまう。「お金を貸してくださるように望みます」とか、「私が窓を開けることを望みますか」、「パベルは、私たちが一緒にビールを飲みに行くように願っているようだ」なんて、誰がどこで使うんだというお話である。丁寧な婉曲表現の「by」と組み合わせて。「Chtěl bych, abyste mi půjčil peníze.」としてもかまわない。
こうでなければならないと組み合わせが完全に決まっているわけではないので、仮定法や婉曲表現なども含めていろいろな組み合わせを試してみるのもいいだろう。チェコ人の先生が変な顔をしたやりすぎだと判断すればいいのだしさ。語学というものは、教科書に書かれている基礎的な事項を演繹して、あれこれ実際に使ってみて、その結果を帰納して自分なりの使い方、ルールを見出すのが醍醐味なのだから。
2018年11月13日23時55分。
2018年11月16日
フェドカップ決勝(十一月十一日)
今週末のフェドカップ決勝では、チェコがアメリカを3−0で破り優勝を遂げた。これはチェコスロバキア時代を含めれば11回目の優勝で、チェコ単独では、2011年の初優勝から数えて6回目の優勝ということになる。何よりも凄いのは、ここ8年で6回決勝に進出し、一度も負けていないことである。今回の対戦相手のアメリカには昨年準決勝で負けており、フェドカップではチェコ独立以来一度も勝ったことがないということで心配する声もあったのだが、ふたを開けてみたら3−0と決勝では初めての全勝で優勝を決めてしまった。
2012年と2014年の決勝では、それぞれセルビア、ドイツが相手だったのだが、実はこの二回もチェコが三連勝で優勝を決めている。ただ当時はルールでどちらかのチームの勝利が決定してもダブルスの試合は行なわれることになっており、優勝を決めた後の試合で負けて最終的なスコアは3−1になっている。それが今年から決勝のルールが変更され優勝が決定した時点で、以後の試合は行なわれず、表彰式が始まるという形に変更されたらしい。決勝の結果が決まった後、消化試合を挟んで表彰式というのは興ざめなところがあるから、この変更は悪くなさそうである。
フェドカップには国別のランキングが存在しており、チェコは2014年以来ずっと1位の座をキープし続けている。その間2位はフランスやスペインなどが何度も入れ替わり、現在は昨年優勝したアメリカだが、決勝前の時点で5000ポイントほどの差が付いていて、決勝後はその差が10000ポイントほどになっているから、来年チェコが優勝できなかったとしても1位の座は安泰である。
チェコのフェドカップのチームがこれだけの好成績を挙げ続けられている理由を考えると、チェコ人全体がこのチームスポーツが好きで、選手たちも怪我などの特別な事情がない限りは出場を辞退しないという事実が挙げられる。その選手たちの出場を辞退しない状況をうまく作り出しているのが、初優勝以来ずっと監督を務め続けているパーラの存在である。
よその国は、女子スポーツの監督は女性にという大義名分の下に、フェドカップの監督を女性が努めていることが増えているが、チェコはそんな見かけの正しさにごまかされることなく、最もいい結果を残せる監督、つまり男性のパーラを起用し続けている。チェコにもテニスの女性の指導者がいないわけではないが、これまでの業績を考えると、今後も本人が辞任すると言い出さない限りは監督の交代はなさそうだ。チェコ語で「試合に出ないキャプテン」と呼ばれる監督に求められる資質は、一般の指導者とは異なるものだろうし、やっと見つけた適任者を交代させるのはもったいないことである。
男子のデビスカップのナブラーティルもシュテパーネクとベルディフを活用して、デビスカップを二度制した優秀な監督だが、選手の扱いのうまさ、選手たちとの関係のよさという観点からいうとパーラの方が上を行く。今回体調に問題のあったクビトバーに無理をさせずに、試合に出さなかったのもそうだし、引退を発表したシャファージョバーが登録メンバーに入っていなかったのに、登録選手たちと行動を共にしていたのもパーラの配慮だろう。
そんなパーラのもとだからこそ、ベテランのストリーツォバーだけでなく、若手でフェドカップの経験がほとんどなかったシニアコバーも、活躍することができたのだろう。チームのナンバー1に指名されたシニアコバーは、土曜日、日曜日と2連勝を飾り、決勝に関しては最大の貢献者となったのである。ダブルスが行なわれなかったことでクレイチーコバーとのペアのプレーは見ることができなかったが、代表を引退するストリーツォバーの代役を十分以上に務められそうな期待は感じさせてくれた。問題はクビトバー以上に不安定なプレー振りだろうか。そのせいで特に日曜日のチェコの勝利を決めた試合では、延々と終わらないゲームが続き、最初ははらはら、とちゅうからいらいらしながら見ることになってしまった。3セットとも7−5のスコアのゲームで、3時間45分もかかったらしい。
そのシニアコバーだが、サーブのときの腕の振りがなんとも独特だった。試合の終盤では、疲れからかサーブを大きく外すことが増えていたから、もともとサーブが苦手で、何とかコントロールをつけるために探し出したのが今のフォームということなのかもしれない。それだけじゃなくインタビューのときに聞いた声も、非常に独特なもので、以前も聞いたことがあるはずなのにびっくりしてしまった。
来年のフェドカップの一回戦は、2月にルーマニアを相手にオストラバで行われることが決まっている。その会場に「TORAY」のロゴが掲げられることを期待しておこう。
2018年11月12日23時10分。
タグ:テニス
2018年11月15日
フェドカップ決勝と東レ(十一月十日)
フェドカップやデビスカップの試合がチェコで行なわれる場合には、以前はプラハではなくオストラバやブルノで行われることも多かったのだが。今年のアメリカとの決勝はプラハで行なわれる。ムハの「スラブ叙事詩」と同じで人気が出ると、それまで地方が支えてきたものを、プラハが金に飽かせて掻っ攫うと言うと言いすぎだろうか。こういうのは適当な会場が確保できるかという問題もあるから、プラハだけを悪者にするのはよくないかも知れん。
昨年優勝したアメリカチームが、ウィリアムス姉妹を筆頭に有力選手をノミネートしなかった時点で、チェコの優勝はほぼ決まりかとも思われた。チェコはクビトバー、プリーシュコバーというランキングトップ10に入る二枚看板に、若手のシニアコバー、ベテランのストリーツォバーというシングルスのランキングで上から四人を全員ノミネートしていたし、シニアコバーはクレイチーコバーと組んでのダブルスでも結果を残しており、ダブルスの世界ランキング一位の座についている。
それが、長いシーズンの最後ということで、チェコ側も当初のメンバーどおりにはならなかった。まずWTAファイナルズで準決勝まで進んだプリーシュコバーの負傷が発覚して出場を辞退。代役にはダブルスでの起用を見越してか、クレイチーコバーが選ばれた。その後、こちらもファイナルズに出ていたクビトバーが風邪で発熱して、練習に参加しなかったというニュースが流れ、出場は快復次第ということだった。結局快復せずに、土曜日の試合には出場しなかった。
クビトバーは、前日だったかに、これまでのフェドカップでの活躍を讃えられて特別な表彰を受けて賞金をもらっていた。その賞金は、一昨年の12月に強盗に負わされた選手生命にもかかわるような大怪我の治療に当たった病院に全額寄付するという。チェコの病院は資金難にあえいでいるところが多いから、病院にとってはありがたいことだろう。
そして、土曜日になって残念なニュースが二つ。発表されたのは金曜日かもしれないけど、一つ目はチェコチーム第三の選手として長年チームを支え、時に勝利の立役者となったストリーツォバーが、フェドカップの代表を引退すると発表したこと。選手生活の晩年とも言える時期に入って、代表を引退するのはデビスカップのベルディフと同じである。男子と違って、女子は下の世代が順調に成長して成績を上げているのも決断の後押しをしたことだろう。
もう一つは、ルツィエ・シャファージョバーが、代表ではなくテニス選手としての引退を発表したこと。こちらの方が当然衝撃は大きかったが、来年の全豪オープンを最後の試合にするのだという。病気で長期欠場した後、シングルスの成績はなかなか上がらなかったが、ダブルスではアメリカの選手と組んで結構好成績を残していたから、かつてのナブラーティロバーや、今も現役を続ける超ベテランのペシュケオバーのように、ダブルスに専念すればまだまだいけるんじゃないかと思っていただけに残念である。でも最近もまた怪我か病気かで欠場が続いていたから仕方がないのかな。
今後については、テニスからは離れられないだろうとは語っていたけど、同時に昔からの夢である喫茶店を開くことも考えているのだとか。最近講習を受けてバリスタの資格を取ったらしい。気になるのはその喫茶店がどこにできるかだけど、出身地のブルノか、国内での活動の拠点にしていたプロスチェヨフか、できればプロスチェヨフがいいなあ。
ということで表題の東レである。東レの工場がオロモウツの近くのプロスチェヨフにあることはよく知られているが、日本の本社かプロスチェヨフの支社か、とにかくその東レが、フェドカップの決勝のスポンサーになったらしく、「TORAY」のロゴ(前と後に付いているチョンが再現できなかった)が、サーブをする選手の後ろの観客席の前の緑色のフェンスに白で大きく印刷されていた。真ん中にはフェドカップ全体のスポンサーの「BNP Paribas」のロゴがあって、左に東レ、右にチェコの国営石油会社「Mero」という配置だった。
東レのロゴの上にはピンク色の線で縁取りされた出場国を示す「CZECH REPUBLIC」があり、対戦相手の「USA」は反対側のMeroの上にあり、Meroがテレビにひんぱんに映る側にしか広告を出していないのに対して、東レの広告は両面にあったから、この決勝限定のローカルスポンサーとしては、一番ということかもしれない。
東レの工場のあるプロスチェヨフは、チェコの中でも一番のテニスの街で、テニスを中心にしたオリンピック委員会の強化拠点も置かれている。またフェドカップの応援団の中にも、プロスチェヨフやその周辺の町や村から駆けつける人たちは多い。チェコのテニスの街にある日系企業が、こんな形でチェコのチームが出場するフェドカップ決勝のスポンサーを務めるというのは、地域貢献の観点から見ても素晴らしいことで、チェコに住む日本人としても嬉しく、そして誇りに思える。来年以降も継続してくれるといいのだけど。
今年の夏は、プロスチェヨフで行なわれるジュニアの世界大会のメインスポンサーを東レが務めたという話だから、その縁でフェドカップの決勝のスポンサーになるという話も出てきたのだろう。今後も東レがチェコのテニスとの縁を深めてくれると、日本の東レがスポンサーになっているテニス大会にチェコ人選手が大挙して参加するなんてことになるんじゃないかと期待している。逆にチェコで行なわれているテニス大会、ATP、WTAではなく、ランクが下の大会が多いけど、いくつかある大会に日本からの出場も増えるかもしれない。オロモウツでも女子の大会やってるしさ。
2018年11月11日22時15分。
2018年11月14日
仮定法3(十一月九日)
チェコ語を勉強していて、最初に出てくる「jestli」の意味は、二つのうちどちらだっただろうか。直接仮定法とは関係のないほうから説明すると、「vědět(わかる)」「přemýšlet(考える)」「říct(言う)」などの動詞と結びついて、日本語の「かどうか」と同じような使い方をする。
Nevíš, jestli Pavel přijde?
パベルが来るかどうか知らない?
なんて感じなのだが、日本人がやりがちな間違いは、「来るかどうか」と「来るか来ないか」を混ぜてしまって、「Nevíš, jestli Pavel přijde, nebo nepřijde?」としてしまうものである。昔チェコ語を教えていた我が弟子がよくやっていたのだけど、考えてみたら弟子がやるということは、教えていたこちらの間違いが移った可能性も高い。いやあ申し訳ないことをしてしまった。
もう一つの使い方が、仮定法になる。その仮定法の「jestli」を語源的に考えてみると、「jest」は「být」の三人称単数「je」の古い形で、それに仮定表現の「li」が付いたものだと考えられる。本当かどうかは知らないけど、師匠がそんなことを言っていたような気がする。違ったとしても、こう考えておけば、「jestli」が仮定表現に使われるのも納得できる。学習者にとって有用なのは、言語学的に正しい理論ではなく、言語学的には間違いであってもそれに従えば正しく使える理論もどきである。
チェコ語学習者の中には、チェコ語では頻繁に使われる仮定の「jestli」を使った表現を聞いて、何か気に入らないと感じたことがある人が居るかもしれない。日本語だと「〜がほしければ」とか、「〜したければ」とか、相手の意思を「ほしい」「たい」を使って直接仮定法にするのは、かなり失礼な言い方で、よほど親しい間でもなければ、使うと相手を怒らせることになる。しかし、チェコ語では、「chtít」を使って相手の意思を直接確認するような質問もできるし、三人称でも何の問題もなく使えるのである。
Jestli chcete, můžete se mnou přijít.
この文を直訳すると、「もし来たかったら、私と一緒に来てもいいですよ」と誰に対してなら使えるかなと考えなければならない文になるのだが、チェコ人としては「よければ一緒に行きましょうか」ぐらいの感覚で使っているのだと思う。以前は親しい人ならともかく、よく知らない人に「Jestli chcete」と言われるたびに、一瞬むっとしていたのだが、最近は気にならなくなったし、自分でも使うようになってしまった。以前は使うのも避けていたんだけどね。
この「jestli」は、文頭、もしくは仮定の節の頭に置くだけで、あとは動詞の時制も人称変化もそのまま使えるから使い勝手がいい。人を誘うときにも「時間があれば」とか気軽に使えるし。「kdyby」を使うと硬すぎというか構えすぎの感じがするので、軽く誘うときには使いにくいんだよね。この感覚がチェコ人と同じかどうかは知らない。苦労して覚えたことはできるだけたくさん使いたいと思うのと同時に、軽いどうでもいいことよりも何か重要な話をするときに使いたいとも考えてしまうのも学習者の性だろうか。
もう一つ「jestli」と同様に使えて、同様に使い勝手がいいものに「pokud」がある。音の響きのせいか「pokud」が硬く強く響くように感じられるけれども、これもチェコ人がどう感じているかは知らない。使い分けは特に何かの基準に基づいているというわけではなく、感覚的に適当にやっている。決まり文句的にどちらかとしか使わない表現、使えない表現もある。
二つほど「pokud」としか使わない例を挙げておく。
Pokud možno, pošlete tento dopis do Japonska letecky.
できればこの手紙を日本に航空便で送ってください。
他の表現を使うと長くなるところを、「Pokud možno」だけで「可能ならば」という意味を表せるので、結構重宝する。しかもちょっと特殊な文法になるので、きれいに使えるとチェコ人を驚かせることもできる。こんなにチェコ語ができるんだよというハッタリ用の表現はいくつも確保してあるが、これもそのうちの一つ。他はほとんど口語的過ぎる表現や方言で使いどころが難しいけど、これはどこでも使えるし。
もう一つは日本語で「確か〜だと思う」というような状況で使う表現。
Pokud se nemýlím, měl by být Pavel v Japonsku.
確かパベルは日本に行っているはずだと思うけど。
直訳すると、「Pokud se nemýlím」は「私が間違っていなければ」となるのだが、そんな外国語をそのまま日本語にしたような表現は、翻訳以外では使うものではない。「確か」ではたりないと言うなら、「私の知る限り」とでも訳そうか。この表現、チェコ語では、個人的にもよく使う表現なので、自然な日本語の訳を当てておく必要があるのだ。
改めて、「jestli」と「pokud」の使い分けについて考えてみると、無意識に使い分けしているから、本当にこんな使い分けをしているという確信はないけど、主語が二人称の場合には軟らかく感じられる「jestli」を使って、一人称の場合には「pokud」を使っているような気もする。多少変でも勢いで押し切ってしまえというのがこちらのチェコ語だからなあ。
とまれ、日本語と同様に、チェコ語にもいくつかの仮定表現があって、日本語と同様にそれぞれ意味するところや使い方が微妙に違う。その違いは、これも日本語と同様に個人差が大きいようにも見受けられる。ならば、開き直って、間違いだと訂正されない限りは、自分なりの使い分けをしてもいいのではなかろうか。訂正されないということは、多少変でも許容範囲にはあるということだろうし。
許容範囲を超えるたら、間違いだと指摘してくれる人がいるというのはありがたいことである。その結果、使うのを諦めた言葉があるとしてもである。ちょっと皮肉に響いただろうか。実は「pokud」に似た「dokud」という言葉を、使用するのをあきらめたのである。
以前は「お金がある限り」というのを、この言葉を使って表現しようとがんばったのだけど、何回やってもうまくいかないので、ひよって「お金がある間はずっと」とか「お金がなくなるまでは」なんて言うようになってしまった。師匠の訂正も説明も毎回違っていたような気がするんだよなあ。だからチェコ語で使い方が一番難しいのは「dokud」だと断言しておく。
これでチェコ語の仮定法についてはひとまずおしまいということにする。
2018年11月10日23時55分。
2018年11月13日
仮定法2(十一月八日)
承前
一応念のために反実仮想的な仮定法について説明しておこう。これは本動詞の過去形に加えて、動詞「být」、もしくはその繰り返しを表す動詞である「bývat」の過去形を一緒に使うというものである。問題はどちらを使うのがいいのかよくわからないのと、両方一緒に使ってもいいのかどうか、使っているのもあるような記がするのだけど、よくわからないことである。これやろうとすると、必要以上にこの二つの動詞を使ってしまうので、必要ない限り使うのは避けている。チェコ人の中にも使えないと言う人はいるから、外国人ができなくても仕方はないのだけど、ちょっと悔しいので、機会があれば復習しておきたいところである。
以下の例は、これまでの例も十分以上に怪しいけれども、いつも以上に怪しい例である。わかりやすいように昨日の分に使った例文を加工してみた。
Kdybych byl čekal o trochu déle, byl bych se mohl setkat s Petrem.
Kdybych býval čekal o trochu déle, býval bych se mohl setkat s Petrem.
Kdybych byl býval čekal o trochu déle, byl bych se býval mohl setkat s Petrem.
もう少し長く待っていればペトルに会えていたのに。
正直、この三つのうちどれが正しいのかわからん。後半の部分は「se」があるせいで語順が怪しく感じられるし、最後の文はこんなに動詞を並べていいのか不安である。
Kdyby se mi byla nelíbila Olomouc, byl bych tam nebydlel.
Kdyby se mi býval a nelíbila Olomouc, býval bych tam nebydlel.
Kdyby se mi byla bývala nelíbila Olomouc, byl bych tam býval nebydlel.
オロモウツが気に入っていなかったら住んでいません。
こちらはさらに語順がややこしいのに加えて、否定の「ne」をつけるのは本動詞だけでよかったと思うのだけど、確信が持てないという問題もある。サマースクールでやってくれるとよかったのだけどてんてん。この文も、仮定法でチェコ語にできるなあ。
日本語同様チェコ語にも、「〜すれば」という順接の仮定法だけでなく、「〜しても」という逆接の仮定法も存在する。日本語の場合には大きく形が変わるが、チェコ語の場合には、順接の仮定法に「i」を付け加えてやれば完成する。人称変化や動詞の過去形との組み合わせ方などは順接の仮定法の場合と全く同じである。
I kdybych měl hodně peněz, nekoupil bych si toto auto.
お金がたくさんあっても、この車は買いません。
I kdybych měl o 10 bodů víc, neudělal bych tuto zkoušku.
十点多く取っていても、この試験には落ちていました。
仮定法の「i kdyby」の代わりに本来「〜とき」を意味する「když」を使って、「i když」という表現で日本語の「〜しても」をあらわすことができる場合もあるが、チェコ語の「i když」は、日本語では「〜けれども」とか「〜が」という単純な逆説の接続表現を使った方がいいような場合にも使われるので、気をつける必要がある。日本語的に考えると、「ale」「přesto」なんていう逆接の接続詞を使いたくなるようなところにまで、「i když」を使うのである。
例えば、「Pavel nepřišel, i když jsem na něho čekal dlouho」という文を日本語に訳す場合、普通は「私はパベルを長時間待ちましたが来ませんでした」となるだろう。どうしても「〜ても」を使いたいというなら、「私がいくら待っても、パベルは来ませんでした」とするしかない。これはチェコ語ができる日本人よりも、日本語ができるチェコ人にとっての問題になるかな。
チェコ語には、動詞の現在人称変化ができれば、問題なく使える簡単な仮定法もある。それは動詞の人称変化の末尾に「-li」をつけてやれば出来上がりである。発音するときには切れ目は入れないが、書くときには「-」を「li」の前に入れることになっている。スロバキア人がこれ難しいと言っていたような記憶があるから、スロバキア語にはないのかもしれないけど、そんなに難しいかなあ。問題は、形を作るの自体は簡単だけど、それが使うのが簡単であることを保証しないことか。
Máte-li nový tácek, můžete mi ho dát?
新しいコースターがあったらもらえないでしょうか。
なんてお願いもしていたわけだ。習ったばかりのころは、「kdyby」とちがって新しいことを覚える必要もなかったので喜んで使っていたのだが、「マーテリ」とかちょっと発音しにくい感じがしたのと、丁寧さに欠けるような印象を持ってしまったので、最近はあまり使っていない。そこに難しいのが使えたほうがうれしいという学習して言葉を身につけた人間に特有に心理が働いているのは否めない。
もう一つこれの問題点を挙げておくなら、例の二番目にくるものの優先順位をある程度身につけてから学んだ方法なので、「se」や「si」が必要な動詞が出てきたときに、うまく整合性が取れないと言うか、「-li」を一語として認識してしまうのか、変なところにつけてしまうことだ。書くときは問題ないのだが、話すときについつい変な語順にしてしまって変な顔をされることがある。この形を使うときには、人称変化した動詞を文頭に持ってくることになっているので、その次、二番目にくるものが問題になるのである。いや、もちろん、そこで素直に「-li」をつければ何の問題もないんだけどね。
例えば、「元気です」なんていうときの「Mám se dobře」に「-li」をつけたら「Mám-li se dobře」になるのは重々わかっているのだけど、頭の中で「Mám se」のつながりが余りに強いせいか、ついつい「マーム・セ・リ・ドブジェ」と言ってしまうのだ。「バディー・バーム・リ・ト」とか、「コウピーメ・シ・リ・トゥト・クニフ」とか、自分でもなんでそうなるのかわからない間違いを繰り返してきた。結局それで面倒くさくなって使うのをやめてしまったというのが落ちかもしれない。
最後に、普通の動詞の現在人称変化と「být」の未来変化にしか使えないというのも、使わなくなった理由だろうか。過去でも現在でも何でも使えて、語順の混乱の起こらない仮定法的な接続詞を使った方が楽だということに気づいたのである。ということでこの件もう一回。
2018年11月9日23時50分。
2018年11月12日
仮定法1(十一月七日)
前回チェコ語について書いたときに、次は仮定法だと書いた記憶がある。ちょっと一本になりそうなネタもないので、久しぶりにチェコ語について、つまり仮定法について書くことにする。仮定表現は、日本語では、「すれば」「したら」「するなら」などいくつかの形があって、それぞれ微妙に意味、使い方が違うのだが、チェコ語にもいくつかあるのだが、仮定法と言った場合には、一般に「kdyby」「by」と動詞の過去形を組み合わせたものをさすことが多い。
「kdyby」は文頭、もしくは節の最初に来て、仮定の意味、つまり「〜すれば」という意味を表す。それに対して仮定を受ける側の「by」は、節の二番目の位置に来る。「by」はまた単独で婉曲表現としても使われる。婉曲というよりは、表現を和らげて丁寧にするのに使われると考えたほうがいいかもしれない。とまれ先ずは形から入ろう。
人称変化は一人称単数から三人称複数まで以下のようになる。変化する部分は変わらないので「kdy」は括弧に入れておく。
1単 (kdy)bych
2単 (kdy)bys
3単 (kdy)by
1複 (kdy)bychom
2複 (kdy)byste
3複 (kdy)by
三人称は単数と複数で形が同じだが、一緒に使う動詞の過去形で単数か複数化区別できる。単数であれば「-l / -la / -lo」と主語が男性、女性、中性の場合で変わるが、複数であれば、「-l i / -ly / -ly / -la」と男性名詞が活動体と不活動体で語尾が変わるので、四つの語尾を使い分けなければならない。一人称、二人称の場合には必ず男性か女性が主語になるので、中性の語尾を取ることはないが、主語となる人物が男性か、女性か、単数か複数かで動詞の過去形の語尾を変えなければならない点は変わらない。
また、口語では「být」の現在変化につられて、一人称単数を「(kdy)bysem」、複数を「(kdy)bysme」という形で使う人も増えているが、これはまだ正しいチェコ語としては認められていないので、知り合いにそんなチェコ語を使う人がいたら悪影響を受けないように注意しなければならない。
実際に文を作ってみよう。
Kdybych neuměl(a) česky, nemohl(a) bych žít v České republice.
チェコ語ができなかったら、チェコに住めないだろう。
動詞の末尾に「(a)」をつけたのは、女性の発言だった場合には「a」が付くことを示している。この文の「kdybych」のあとに、例えば「tehdy(あのとき)」を入れると、「あのとき日本語ができていなかったら、チェコに住めていなかったろう」と古典文法では反実仮想と呼ばれるタイプの仮定を示すこともできる。チェコ語にも反実仮想用の文法は存在するのだが、動詞の過去形を二つ並べるなどややこしく、現在では普通の仮定法で代用してしまうことが多い。
もちろん両方の節の主語が一致しなければならないということはない。いくつか組み合わせてみよう。できるだけ単純な短い文にする。訳を普通の仮定にするか反実仮想にするかは気分で決めた。
Kdyby nemělo letadlo zpoždění, stihl bych poslední vlak do Olomouce.
飛行機が遅れなければオロモウツ行きの最終に間に合うでしょう。
Kdyby se mi nelíbila Olomouc, nebydlel bych tam.
オロモウツが気に入っていなかったら住んでいません。
Kdybych čekal trochu déle, mohl bych se setkat s Petrem.
もう少し長く待っていればペトルに会えていたのに。
Kdyby vám to nevadilo, jel bych do Prahy.
よろしければ、私がプラハに行きます。
Bylo by dobré, kdybyste přišel o hodinu dříve.
一時間早く来てもらえるとありがたいんですが。
Bylo by špatné, kdybych neudělal toto zkoušku.
この試験に合格できなかったらやばいんだよなあ。
ところで「by」のある部分だけを使った丁寧な婉曲表現も、もともとは前半部分が存在していて、省略されるようになったと考えてもいい。例えば、
Kdybyste měl čas, mohl bych se vás na něco zeptat?
お時間があるようでしたら、質問させてもらっていいでしょうか。
いきなり、「質問してもいいですか」と聞くよりも、「時間があれば」と仮定したり、最初に時間があるかどうか質問したりした方が、丁寧な表現になるのは日本語もチェコ語も変わらない。だから「by」を使うことによって、「Kdybyste měl čas」や「Kdyby vám to nevadilo」のような仮定法が省略されていることが示唆され、丁寧に響くのではないかと考えられる。いや、本当かどうかは知らんけど、このように考えれば、納得して使えるというだけの話である。
実際には、「Dám si kávu」と言っても、「Dal bych si kávu」と言っても大差はないんだろうけど、「by」を使った仮定法で注文したりお願いしたりできるようになると、チェコ語がものすごくできるようになった気分になれたものだ。
ちなみに、かつてチェコ語を勉強していたころは、毎晩仮定法の勉強のために、いや実践のために飲み屋に出かけていたものだ。お金を払ったあとに、お店の人にお願いしたのだ。
Kdybyste měli nový tácek, nemohl byste mi ho dát?
新しいコースターがあったらもらえないでしょうか。
Kdybyste měli jiné tácky, chtěl bych si je vzít.
これとは違うコースターがあれば、ほしいんですけど。
とか「kdyby」以外の方法も交えて、さまざまなバリエーションを駆使して毎晩できるだけ違う表現を使うようにしていたのだ。その結果、仮定法がある程度使えるようになり、コースターのコレクションも増えていった。つまり、我が仮定法は飲み屋で、ビールとコースターによって鍛えられたのである。
2018年11月8日23時55分。
2018年11月11日
ミラン・ラスティスラフ・シュテファーニク(十一月六日)
チェコで、チェコスロバキアの独立に最も貢献した人物を三人挙げろと言われたら、初代大統領のマサリク、その後継者となったベネシュと共に挙げられるのが、スロバキア出身のシュテファーニクの名前である。この人、スロバキア出身の人物だというから、マサリクがアメリカに渡りスロバキアからの移民たちと、チェコスロバキアの独立に関して結んだ、いわゆるピッツバーグ協定の締結に貢献したものだと思っていた。しかし、実際にはマサリクが独立運動の理念的な柱で、ベネシュが外交の柱だったとするなら、シュテファーニクは軍事面での柱であり、この三人のうち誰が欠けても独立は実現しなかったと言ってもよさそうである。
特に、フランスをチェコスロバキア独立の支持者の側につけることができたのは、シュテファーニクの功績らしい。チェコスロバキア第一共和国がフランスと近しい関係を結んでいたのは、マサリク大統領夫人の出自がフランス系だというのが原因だと思い込んでいたが、実は、独立運動にかかわっていたシュテファーニクが第一次世界大戦勃発後にフランス軍にパイロットとして入隊し、軍の高官の知遇を得たのがきっかけになっているようである。その人脈をベネシュやマサリクが生かしたということだろうか。
そして、チェコスロバキアが第一次世界大戦で連合国側の一員として扱われた理由の一つであるチェコスロバキア軍団の創設もシュテファーニクの功績で、特にフランスでは、チェコスロバキア軍団は例の外人部隊の一翼を担って活躍したらしい。フランスだけではなく、イタリアやセルビア、ルーマニアなどでもチェコスロバキア軍団の組織化を行い、軍団が戦果を挙げることで戦後の独立のための交渉が楽になったというから、独立直後のチェコスロバキア政府で軍事大臣に任命されたのは当然だったのだ。ただし、ロシアやフランスなどでチェコスロバキア軍団の後始末をしていたため、独立したチェコスロバキアに戻ってきたのは死の直前ということになる。
1919年になってから、フランス、イタリアでの交渉を終えて独立した祖国に飛行機で戻ってこようとしていたシュテファーニクは、着陸寸前の滑走路上で起こった事故で亡くなってしまう。一説にはシュテファーニク自身が操縦していたとも言う。これが単なる事故だったのかについてもいろいろ説があって、フランスとイタリアの独立チェコスロバキアを巡る争いとか、ベネシュとの対立とかが原因となって暗殺されたんだとも言う。極端なのになると自殺説まであるらしい。
ただ、シュテファーニクが乗っていたイタリア製の飛行機が性能面で問題のある物で、交渉相手だったイタリア軍の高官たちも飛行機を使わず陸路で帰国することを勧めたという話もあるから、偶然がいくつか重なった結果の不幸な事故というのが一番蓋然性が高そうなのだが、この事故が第一共和国のチェコ人とスロバキア人の関係に大きな影を落としたことは否定できない。
シュテファーニクは、もともと西スロバキアのプロテスタントの教会関係者の息子として生まれ、建築技師になるために進学したプラハの大学でマサリクの知遇を得たのが独立運動にかかわるきっかけになったらしい。プラハではなぜか天文学を勉強し一時はフランスの天文台で仕事をしていたというから、フランス軍に入隊する前からフランスとは縁があったのだ。その後、第一次世界大戦が始まるまでは世界中を飛び回っていたらしい。もとより活動的で行動の人で、各地で多くの女性と浮名を流したプレーボーイとしても知られていたという雑誌(日本の「歴史読本」みたいな奴ね)の記事を見かけたこともある。
チェコスロバキアの独立に大きな貢献をしたシュテファーニクだが、チェコではスロバキア人で独立直後に亡くなったということもあって、あまり重要視されていないように感じられる。スロバキアでは、チェコスロバキア第一共和国自体を否定的に捕らえる考え方が主流だったため、シュテファーニクに対する評価もあまり高くなかったようだ。分離独立から四半世紀チェコに対する感情が改善された近年は変わりつつあるようだけれども、その功績が正等に評価されていない人物と言えそうである。
マサリク大統領の出自の謎とシュテファーニクの事故死の謎を絡めた国際謀略小説なんて存在しないかなあ。シュテファーニクを主人公にして、マサリクの出生の謎を解きつつ、その秘密をソ連やオーストリアの秘密警察の手から守るなんてストーリーはどうだろう。誰か書いてくれんかなあ。
ちなみに「ミラン・ラ」まで聞いた時点で、スロバキアの俳優ミラン・ラシツァを思い浮かべてしまうのもシュテファーニクがあまり話題に上がらないことの証明になっている。
2018年11月7日23時25分。