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2017年02月08日

命令と禁止の話(二月五日)



 チェコ語のややこしさの話だったらいくらでもできる。英語やドイツ語の場合には、いちゃもんを付けることはできるけれども、ちゃんと理解していないから説明を加えた文章にすることはできない。そう考えると、わがチェコ語もなかなかなものである。こんなチェコ語についての、重箱の隅をつつくような話を読みたいという人がいるかどうかはわからないが、ネタもないし、行ってしまう。

 多少繰り返しになるけれども、前提となる話からということで、チェコ語の動詞は、動作が完了することを意識する完了態と、完了することではなく動作が行われることを意識する不完了態という二つの種類に分けられる。不完了態は、継続を意識する形と言われることもあるのだが、それだけでは説明しきれないところがあるような気がする。日本語使用者に限ってのことかも知れないけど。
 重要なのは、基本となる動詞は、原則として不完了態の動詞で、その動詞に接頭辞を付けることで、完了態の動詞が作られるということだ。そして、接頭辞によって微妙に意味が異なる完了態が出来上がるため、完全に意味の対応する不完了態が完了態から作り出される。

 例えば、先日も取り上げた「jet」の場合には、「při」「do」「od」「vy」「v」などの接頭辞をつけて、完了態の動詞が作られる。「přijet」は、「来る」だという人もいるが、「行く」「来る」どちらでも使える。ある人のところに、またはある場所まで行くことを表している。だから場合によっては「到着する」なんて訳した方が日本語として自然になる場合もある。これに対応する不完了態の動詞は、「přijíždět」であるが、使い分けについては、駅に行って構内放送を聴くといい。
 電車が駅に近づいていることを告げる放送では、「přijet」を使って、もうすぐ到着する、もしくはホームに入ってくることを告げ、電車がすでに構内に入って停車しようとしている状態では、「přijíždět」ですでに到着しようとしていることを告げるのである。なので、「přijede」なら、まだ少し余裕があってホームに走る必要はないが、「přijíždí」の場合には急いだほうがいい。同様に「odjede」はこれから出発することを、「odjíždí」は出発しようとしてすでに動き出そうとしていることを示すのである。

 この完了態と不完了態の違いは、命令形にも反映される。同じ動詞だとあれなので、別の動詞を使うと、食べる「jíst」には、「sníst」「dojíst」「najíst se」などの完了態が存在する。お客さんに食べ物を出して、「食べてください」という場合には、食べてしまうことを意識しない「jíst」の命令形を使わなければならない。全部食べずに残してもいいわけだから。
 「sníst」を使うと「全部食べてください」という意味になり、「dojíst」だと「残っているものを全部食べてください」になってしまって客に言うには不適切になってしまう。親が子供に言うのであれば問題ないのだろうけど。「najíst se」の場合には「おなかが一杯になるまで食べる」だから、使える状況はありそうだ。

 では、逆に禁止する場合を考えると、「sníst」は「全部は食べるな」で、「dojíst」は「残りは食べないでおけ」となり、食べてしまうことを禁止することになる。「najíst se」の場合には「おなかが一杯になるまでは食べるな」だから、まだ次の料理が出てくるときに、ほどほどにしておけよという場合に使えるかな。いずれにしても。完了態を使った場合には、食べること自体を禁止するのではなく、食べることが完了することを禁止することになる。
 だから、毒が入っているから食べるなとか、俺のものを食うんじゃねえとか言いたい場合には、不完了態の「jíst」の禁止形を使って食べること自体を禁止しなければならないのである。一般的に禁止の場合には、不完了態を使うことが多いといわれるのは、動作そのものを禁止することになるからである。

 さて、以上のような、肯定の命令形、否定の命令形(つまりは禁止)と完了態、不完了態の関係をある程度(完全にとは口が裂けてもいえない)理解した上で、なお理解できない命令形の使い方がある。それは、寝ている人を起こそうとして「起きろ」という場合である。目を覚ましてベッドから出て起き上がることで、起きるという動作を完了させる必要があるから、完了態の「vstát」の命令形を使うのが正しいと思うのだけど、なぜか不完了態「vstávat」が使われるのである。
 納得がいかないので、いつものように、なぜ、なぜと訊いて回ったけれども、納得の行く答えは誰からも返ってこなかった。日本語でも、「待ってください」と「待っていてください」の使い分けはできても、その理由を説明できるかと言われると困ってしまうから、チェコ語ばかりを責めるわけにはいかないのである。
2月5日22時30分。




2017年02月07日

反バビシュ法(二月四日)



 2013年の下院選挙から既に四年近く、再び下院の総選挙が行なわれる年がやってきた。だからというわけでもないのだろうが、連立与党内で、第一党である社会民主党と第二党のANOの間の主導権争い、つまりは目くそ鼻くその罵りあいが激しくなっている。第三のキリスト教民主同盟も選挙に向けて、市長無所属連合との選挙協力の話し合いを始めたようである。

 現在、与党内での対立の原因となっている主要なテーマは二つある。一つ目は反バビシュ法とも呼ばれる法律が制定されたことと関係する。この法律は、閣僚の経済活動を規制するもので、政治家一般でも、国会議員でもなく閣僚だけであるところがチェコ的なのだが、新聞社や雑誌社、テレビ局などのマスメディアを所有することが禁じられた。マスコミのオーナーとして自分に都合の悪いニュースや記事をもみ消したり、矮小化したりするのを防ぐ意味があるらしい。
 以前、バビシュ氏のEUの助成金を巡るスキャンダルが勃発したときに、バビシュ氏が所有する新聞二紙、「ムラダー・フロンタ・ドネス」と「リドベー・ノビニ」だけが報道しなかったという件もあって(批判を受けてから記事にしたけれども)、与野党を問わずほとんどの国会議員が賛成して、法案が成立したようだ。閣僚でマスコミの経営にかかわっているのは、バビシュ氏だけなので、反バビシュ法などと呼ばれてしまうわけだ。他にも共産党の元党首の国会議員が小さな新聞を経営していたはずだけど、話題にもなっていない。
 しかし、問題はそんなところにあるのではなく、「ムラダー・フロンタ・ドネス」と「リドベー・ノビニ」といういわばチェコの二大新聞を一つの会社が買収してしまうことを許してしまったことにある。既に2000年代の初頭には、この二つの新聞が一つの会社によって所有されていることを知って驚愕した記憶があるから、当時はEU加盟前で独占禁止法がまともに機能していなかったのかもしれない。いや、まともに機能していれば、どちらか片方の新聞を手放すような決定が出てもおかしくないはずだから、今でも機能不全ということか。

 この法律でもう一つ規制されたのが、閣僚が経営に参画している企業は、国やEUからの助成金を申請することと、公共事業への入札ができなくなるという点である。ようは、助成金を出す側、仕事を発注する側と、申請、受注する側に同じ人物がいるのは好ましくないと言うことのようなのだけど、むしろ、今まで野放しであったことに驚かされる。
 助成金に関しては、以前、中央ボヘミア地方の村の村長が、補助金を出す側の地方政府の高官となって、村は申請する補助金をことごとく獲得しているという事実がニュースとなったけれども、批判しているのは助成金がもらえなかった他の自治体の首長たちだけで、特に大きな問題にはなっていなかった。
 このあたりの不正ぎりぎりのやり方の洗練のされていなさが、チェコがヨーロッパにおける汚職のランキングで下位に低迷している理由であろう。EU加盟歴の長い西欧諸国では、やり口が洗練されていて、こんな法律上ぎりぎりであっても問題にならなければいいという見え見えのやり方はしないはずである。

 公共事業では、国会議員が設立した会社が、国民健康保険のカルテなどのデータのデジタル化のプロジェクトを請け負って、ほとんど何の成果も出さないままプロジェクトは失敗に終わり、国会議員はその会社を外国の企業に売却して、その企業がプロジェクトの打ち切りにたいする賠償金を求めて裁判を起こすなんてこともあったし、国家議員の会社が、国から環境調査の仕事を請け負って出した報告書が手抜き過ぎて全く使えず詐欺罪で逮捕されて国外逃亡したなんて事例もある。政治家の経営する会社が公共事業を食い物にするなんてのは、枚挙に暇がないのだ。

 この法律、見え見えの抜け穴があって、本人名義でなく家族の名義であれば問題ないようなのである。バビシュ氏は、直接家族の手に託すのではなく、経営のための基金のようなものを作ってそこに所有するアグロフェルト社以下の経営を任せることにしたようだ。その基金の理事に奥さんをすえたことで、批判を受けているのだけど、これは法律に反しなければ、モラル上の問題はどうでもいいという政治風土のチェコで穴だらけの法律を作ってしまった方が悪いとしか言いようがない。
 こんな中途半端な法律はない方がましだし、規制をするなら国会議員の兼業を、地方議会議員や地方公共団体の首長も含めて禁止する法律を作るべきなのだ。その上で、家業の場合にだけは制限付きで例外とするなどの処置をとればいい。そんなことをしないで、バビシュ氏とそのアグロフェルト社を狙い撃ちにするような法律を、既存の大政党が手を結んで制定するもんだから、バビシュ氏の人気が上がってしまうのだ。
 最近見かけた世論調査の結果によれば、もっとも支持率の高い政治家がバビシュ氏で、二番目が同じANOのストロプニツキー防衛大臣だという。この結果に最も貢献しているのが、有権者達に愛想を付かされかけている既得権益を守ろうとして汲々としている既存の政治家連中の行動なのである。バビシュ氏の人気を落としたければ、余計なことをしないのが一番である。どこかでぼろを出すに決まっているのだから。ぼろを出しかけたところで、大喜びで余計なことをするから、うやむやになってしまうのである。
2月5日16時。



2017年02月06日

困ったチェコ語(二月三日)



 日本語とチェコ語の相違点の中には、日本語を深く考えるのには全く役に立たないものも、もちろんある。そしてそういうのに限って、間違えてしまうというか、なかなか正確に使えるようにならないので困り者なのである。

 日本語では、自分の足で歩こうが、車に乗ろうが、電車を使おうが、「行く」という動詞一つで済ますことができるが、チェコ語の場合には歩いていく場合は「jít」で、乗り物を使う場合には「jet」と、使用する動詞が違う。今でこそ、意識して使い分けできるようになっているが、チェコ語を使い始めた当初は、トラムやバスで移動する場合にも、「jít」ばかり使って、うちのの顔をしかめさせていたものだ。
 問題になるのは、乗り物の範疇である。自動車や電車がそこに含まれるのはいい。馬車も自転車もタイヤがあるから乗り物と考えてよかろう。馬に乗る場合も自分の足ではないから、「jet」のはずである。では、馬が自分の脚で歩いていく場合には、うーん、これも人間じゃないから「jet」かなあ。いや、でもペットの犬が歩いてくるのには、「jít」を使っていたような気もする。
 人間が足に特別なものをつけて移動する場合、つまりスキー、スケートの場合には、自分の足を使うので、「jít」だろうと思っていたら、実は「jet」が正しかった。歩くときの足の上げ下げがないからだろうか。ただし、同じ上げ下げがない状態でもすり足で歩く場合には、「jít」を使うはずである。でも、立っているときに足が滑っていくのにも、歩いていてついた足が滑って前にずれていくのにも「jet」を使うことを考えると、すり足も「jet」かな。いや自分の意思で足を動かしているから、やはり「jít」かなどと、いくら考えても結論が出ないし、質問して答をもらってもすぐに忘れてしまうのである。

 もう一つ、この「行く」を表すチェコ語で困るのは、これから行くと言いたいときに、特別な形を使わなければならないことだ。歩いて行く「jít」の場合には一人称単数で「půjdu」、乗り物を使う「jet」は同じく「pojedu」となる。前に付く接頭辞が違うのも厄介なのだが、変化形しか存在せず、「půjít」「pojet」という原形を想定しないというのが納得できない。実際に使用するしないはともかく、設定はしてもかまわないと思うのだけど。
 ちなみに、「jít」の接頭辞を間違えて、「pojít」にしてしまうと、原形は存在するけれども、意味が全く違ったものになってしまう。この動詞、死ぬという意味になるのだけど、人間ではなくて動物があの世に行くという意味で使われる。行くという言葉の一つの展開と言えば言えなくもないのかな。

 日本語の「行く」に相当する「jít」には、日本語の「行ける」と同じような使い方もある。日本語に訳すときは、「これでいい」とか「これで大丈夫」と訳したほうが自然かもしれないが、例えば、チェコ語であれこれ文を考えて、正しいかどうか確認したいときに、「jít」の三人称単数を使って、「Jde to?」なんて聞いてしまうわけである。「この表現行ける?」ということである。
 それから、「元気?」とか聞かれて、元気とは言いたくないけど、死ぬほど状態が悪いわけでもないと答えたいときに使う「ujde to」も「jít」の派生表現である。強いて日本語に訳せば、「何とか行けてる」となるだろうか。この辺は、日本人には比較的わかりやすくて使いやすいのではないかと思う。

 自分の足で運ぶ場合と、乗り物を使う場合の区別で、さらに困るのは、「行く」だけではなく、「運ぶ」にも、があることなのだが、こちらに関してはもう完全に諦めて、「nést」しか使わない。車で運ぶにせよ、電車を使うにせよ、交通機関に乗り込むまで、降りてからは自分の足で運ぶわけだから、あながち間違いとは言えないじゃないかと開き直るのである。外国語で話すのは、ただでさえ大変なんだから、そこまで気を遣ってなんかいられない。こんな適当さだから、最近、チェコ語の能力が落ち気味なんだな。昔は真面目に勉強していたのに……。
2月4日23時。



2017年02月05日

チェコ語を学ぶということは(二月二日)



 以前も軽く書いたことがあるが、チェコ語を勉強することで、母語である日本語について深く考えさせられることになった。日本語とチェコ語で違っている部分を理解することが、チェコ語の能力を向上させようと考えたときに不可欠だったのである。
 一番最初に意識したのは、チェコ語の先生(チェコ人)に、日本語では、チェコ語と違って、「しませんか?」と聞かれたら、「はい、しません」か「いいえ、します」と答えるんですよねと言われたときのことだ。このときは、チェコ語と同じように「はい、します」「いいえ、しません」と答えると答えたのだが、どうして先生が、日本語とチェコ語で比定疑問文への答え方が違うと思っていたのかが不思議だった。

 チェコに来てから、チェコ語を使う中で、変な間違いを繰り返すことによって、日本語でチェコ語と違う答え方をする場合が二つあることに気づいた。一つは、「気にならない?」と聞かれたときで、「うん、気にならない」と答えてしまう。もう一つは、同じ部屋で仕事をしている同僚が不在のときに、人が尋ねてきた場合である。部屋の中に入ってきて、「あの人いないの?」と質問されたら、見ればわかるというか、いないのはわかった上での、ある意味確認のための質問だから、「うん、いない」と答えてしまう。
 電話で聞かれた場合には、どうだろう。職場や家庭の共用の電話なら、「あの人いませんか」と聞かれたら、「はい、いますよ」と答えるような気がする。「はい、いません」と答えるのは、やむを得ず、他人の携帯に出たときぐらいだろうか。日本では、自分のも他人のも携帯を使ったことがないので、実際にやってみないと何とも言えないのだけど、チェコ語でやり取りするときに、間違いをやらかす状況と、やらかさない状況を考えると、大きく違ってはいないはずだ。母語というのは、普段は無意識に使っているだけに、いざ頭で考えようとすると難しく感じてしまう。


 チェコ語は、英語とは違って、ややこしい時制がないので、日本人には使いやすいのだが、それでも日本語とチェコ語とで使用する時制が違う場面がいくつかある。一番最初に気づいて、一番理解しやすかったのは、日本語では、「まだしていない」という場面で、チェコ語では「まだしていなかった」と言わなければならないことである。
 これは、日本語では「していない」という状態が現時点からも継続するととらえるのに対して、チェコ語では現時点で一度時間を切ってしまって、現時点までは「していなかった」ととらえるという違いなのだろう。日本語で「していなかった」という形を使うのは、過去の一時点を指定してその時点では「していなかった」けれども、すでに現時点ではしてしまったという場合、もしくは今してしまうまでは、「していなかった」という場合である。つまり日本語で、「していなかった」というのは、すでにしてしまったことの裏返しなのである。
 これについて、日本語の時間は継続し、チェコ語の時間は断絶すると、カッコつけて言ってみたことがあるのだけど、自分でもこれで理解できるのか不安になってしまった。言語学者や哲学者のふりは無理だな。

 時制に関して、難しいと言われる完了態と不完了態の区別には、それほど苦労した記憶はない。苦労はしたけど、英語の難解極まる意味不明な時制に比べればはるかに楽なものである(英語を使っていたのは昔のことであまり覚えていないのだが、時制に苦しんだ記憶だけはいつまでたっても消えない)。「やる」とこれからのことを言いたいときには、完了態を使って、今「やっている」の場合には、不完了態を使うという区別で大体乗り切ることができる。
 問題は、これからのことを指す時に完了態を使うのか、不完了態を使った未来形という日本人にとってはないほうが幸せな形を使うかなのだが、これも動作の完成を意識するときだけ完了態を使うようにすることで、何とかしている。ただ、日本語で、今から「手紙を書く」なんて言う場合に、手紙を書き上げることを意識しているのか、書くこと自体を意識しているのか、自分でも区別がつかないことが多いので、間違って使っていることも多いはずである。そこはほら、多少の間違いは、外国人なんだから目をつぶってねというのが、楽しくチェコ語を使うコツである。

 あれ、これで終わっちゃっていいのかな? チェコ語を学ぶということは、日本語を学ぶということでもあるという結論にしたかったのだけど……。文章を書くってのはやっぱり難しいねえ。
2月3日21時。


2017年02月04日

チェコハンドボールの危機(ってほどでもないか)(二月一日)



 現在エクストラリーガとして開催されているチェコのハンドボールの一部リーグは、今年の九月から発展解消して、スロバキアと共同の二カ国によるインテルリーガに改組されるはずだった。この共同のリーグ戦は、十年以上前にも一時期行なわれていて、女子とは違って男子のリーグは、メリットが少ないということで、個別のリーグに戻っていた。
 それを、また復活させようということになったのは、毎年一チームずつ降格と昇格があるとはいえ、上位チームには大きな変動はなく、つまりは対戦相手が毎年変わらずマンネリ化していたという事情があるようだ。それから、毎年ハンドボール版のチャンピオンズリーグに参戦しているスロバキアの強豪チームのプレショウと対戦できるのも大きなプラスとなるはずだった。

 デメリットとしては、もちろん、スロバキアまで試合をしに出かけるための経費が一番大きい。以前の共同リーグがすぐに中止になったのも、それが原因のひとつだったと聞いている。それから、プレショウを除くスロバキアのチームが対戦相手として魅力に欠けることもあげられる。つまりは弱すぎて相手にならないということなのだが、プレショウのチームはその問題を、オーストリアのトップチームなどと国際的なリーグ戦を開催することで解消していたようである。
 このデメリットは、インテルリーガが継続して開催されている女子の場合も全く同じなのだが、女子の場合には、個別のリーグを開催するには、特にスロバキア側でチーム数を確保するのが難しくなったという事情と、スロバキア側に、ミハロフツェとシャリャという二つのチェコのトップチームを上回る強豪チームが存在したことで、メリットの方が大きかったのだろう。今でこそ状況は多少変わっているが、スロバキアのチームは一時四か五チームまで減り、順位表の一番上と一番下に固まっていたのだ。

 それで、男子のインテルリーガの今年の九月から始まるシーズンの参戦申し込みが、一月末日に締め切られたのだが、申請をしたのは二チームだけだった。しかも現在エクストラリーガで首位に立つズブジーは、無条件に参加を申請したらしいが、もう一チームのドゥクラ・プラハは、条件付の申請で、その条件の一つはチェコから最低でも六チームが参戦することだという。当初の、昨年の秋の時点では、チェコから十チーム、スロバキアから六チームの計十六チームでの開幕となるはずだったのだけど、このままではチェコ側からはズブジーだけということになりかねない。

 参加を申請しなかったチーム側の話によると、シーズン開幕まで八ヶ月という時点で、協会側の準備がほとんど進んでいないことが一番の問題らしい。新リーグのメインスポンサーも決まっておらず、リーグの規約や、参加チームに課される義務なども、まだ出来上がっていないため、新リーグに参加した場合にどのぐらい予算が必要になるのか、運営体制がいまのままでいいのかなど、はっきりしないことが多すぎて、参戦できるかどうか決めるに決められないということらしい。予算的には、どう転んでも問題のないチームであっても、協会の怠慢に抗議する意味もあって、ボイコットしているという面もあるようだ。
 協会側は、スポンサーとは直接言っていないが、戦略的パートナーとなる企業と交渉中だとか、具体的な名前はあげないまま、鉄道会社かバス会社かと提携して、選手たちの移動にかかる運賃を割引する契約をしたとか言っているのだが、具体的な名前が出てこないので、どこまで信用していいのかはっきりしない。
 まあ、この辺の協会の対応というのは、日本のハンドボール協会も似たようなもので、マイナースポーツの悲哀を感じさせる。協会としてもどうしようもない、現時点では発表したくてもできないような状態なのだろう。立場弱いからさ。

 スロバキアのハンドボール協会との間で、すでにインテルリーガに関する協定にサインしたという話もあるので、チェコ側の問題でインテルリーガが開始されなかったら、違約金云々なんて話になるかもしれない。女子のリーグでスロバキアのチームが減ったときに、チェコ側が数を増やすことで対応したこともあるから、大事にはならないかな。
 現時点では、男子のインテルリーガが予定通りに開幕するのは難しそうに見える。でも、ここはチェコである。何だかんだで期限の延長、延長を繰り返して、本当に開幕ぎりぎりで、参加する十チームが決まるのだろう。そして、今回のチームの抗議行動が、何かをもたらすということもなく、今後も同じようなことを繰り返していくのだ。それが、チェコでなくてもマイナースポーツの協会というものである。偏見丸出しだけど、所詮そんなものなのさ。
2月2日23時。




 チェコとスロバキアの二カ国共同で開催される新リーグの名称は、インテルリーガではなく、チェコ・スロバキア・エクストラリーガになるらしい。インテルリーガは一度失敗しているから嫌われたようだ。略称はCSEリーガなんだだとか。2月6日追記。

2017年02月03日

雪の高尾山(正月卅一日)



 九州の田舎を出てから、十年以上東京、及び東京近郊に住んでいたのだが、東京の名所めぐりをした記憶はあまりない。東京に出た当初は、せっかくだからとあちこち先輩の案内などで出かけ、新宿新都心のビルに登ったり、東京タワーの下まで行ったり、浅草の辺りをぶらついたりしたが、大学が始まると、いつでも行けるだろうというので、積極的に出歩かなくなり、行ってみたいと思いつつ行き残したところは非常に多い。

 大藪春彦の小説で存在を知り、東京の世田谷なんてところにもそんなものがあるんだと感動した等々力渓谷には出かけた。これは、研究会の集まりで世田谷区の史跡めぐりをしたときに、ついでに地元の人に案内してもらったんだったか、近くの美術館に出かけたときに、ついでだからと足を伸ばしたんだったか、明確には覚えていないのだけど、これで渓谷と呼んでいいのかと微妙な気分になったのは覚えている。谷にはなっていたし、川も流れていたし、木も生えていたんだけど……、当時は川の水が臭ったような記憶がある。まあ、九州の山奥の渓谷と比べちゃいけないということなのだろう。とまれ、渓谷に階段で降りていくというのは、なかなかに衝撃的であった。

 東京の自然の名所では、奥多摩の鍾乳洞に行こうという計画もあった。ただし、直前に、当日の朝だったかもしれないが、ディズニーランドに行き先を変更されて地団太踏んだのだけど。あのときも、雪で寒いからとか、帰ってこられるかどうかわからないからという理由だったかなあ。誰に連れられていったんだろう? ディズニーランドなんて自分から行きたがるはずはないから、誰か逆らえない人に連れられていったはずである。そして、こんなところ二度と来るまいと、既にして中に入る前に決意したのだった。

 実際に出かけた、もう一つの自然名所は、高尾山である。ここに出かけたのは、大学時代にお世話になった先輩が、仕事を辞めて田舎に帰ることになったとき、まだ行ったことがないから行ってみたいと言い出したせいである。一人で行くのは嫌だと仰るので、お世話になったお礼もかねて、後輩三人でお供したのだった。
 最悪だったのは、決行日前の天気で、二三日前に大雪が降った。当日には、平地では雪は完全に姿を消し、電車の運行もダイヤどおりだったのだが、高尾山に近づくにつれて、線路の周囲に残っている雪の量が増えていき、山登りなんて、ハイキングレベルでも何年もやっていなかったので、大丈夫かと不安になってしまった。

 高尾山口の駅について、周りを見渡すと、本格的なトレッキングというか山登りというかの格好をしている人たちが多かったのも、不安を増幅した。いっそのこと、ケーブルカーで登ろうよと提案したのだけど、若さと健脚を誇りたがっていた先輩に却下され、自分の足で登ることになってしまった。同行した同輩と一緒にため息をつくしかなかった。
 行きは、コンクリートで舗装された普通なら一番楽な道を登って行ったのだが、この日は普通ではなかったので、なかなか前に進めなかった。降り積もった雪が、昼間一度融け、夜間の気温の低下で凍結してコンクリートの路面を覆い隠していたのだ。履いていたのは冬用の滑りにくい靴でも、登山用の靴でもなく、足を滑らせながらゆっくりと時間をかけて、体力を消耗して、翌日の筋肉痛を確信しながら登って行くしかなかった。

 帰りは、行きとは違う道がいいと言い出した先輩の鶴の一声で、西日の当たる尾根伝いの道を降りていくことになった。登りと同じ道で下るのはすべるのが怖いというのもあったから、悪い選択ではないと思ったのだけどね。今度は雪が融けてその下の地面がどろどろになっていて、ところどころ滑りやすくなっていた。行きがつるつるなら、帰りはずるずるで滑りやすさの質は違ったのだけど、危険であることには変わりなかった。
 予想通りというか何というか、まず先輩が足を滑らせて尻餅をついて、滑り降りていった。崖から落ちるなんてことはなかったが、ズボンも靴も背中にしょっていたリュックも、上着の袖も、泥まみれになってしまった。これを皮ぎりに、みんなでこけたり、こけかけたりを繰り返し、ふもとに降り立ったときには、目も当てられないぐらい上から下まで汚れていた。

 これで、バスに乗ったりお店に入ったりしたら、営業妨害だよなということで、見つけた水場で洗える限りの場所を洗って、できる限り泥を落としたのだった。水の冷たさに、冷たい水に濡れたズボンや上着の袖の不快さに、雪なんざいらねえと叫んでしまった。
 八王子に向かうために乗り込んだバスの運転手さんにも、時間調整のために入った喫茶店の人にも、迷惑そうな顔をされてしまった。最後に入った飲み屋だけは、外がすでに暗くなっていたのと、地下で店自体が薄暗かったのとで、特にとがめるような視線で見られることはなかったが、ある程度酔っ払うまではお店の人に対して申し訳なく思う気持ちは消えなかったのだった。

 件の先輩が帰郷するまでには、さらに二、三回会う機会はあったが、今生の別れと一番密接に結びついているのは、この日の雪に覆われた高尾山なのである。やはり、雪なんてものは、ろくでもないものなのだ。そんな雪嫌いが、チェコなんて国に来て、雪に降られて泣き言をこぼしているのは、どういういうことなのだろう。これもまた、わが人生を、道を踏み外し続けていると形容する所以である。
2月1日22時。



 最近、スポーツネタと、回想ねたが多いのは、ネタ切れゆえである。2月2日追記。

2017年02月02日

シクロクロス(正月卅日)



 この奇妙な、と言ったら失礼だが、最初に見たときにはそう思ってしまった、自転車競技の存在を知ったのはチェコに来てから、チェコテレビがスポーツ専門チャンネルを設けてスポーツ中継の時間を増やしてからだ。それ以前はサッカー、アイスホッケー以外のスポーツは、オリンピックなんかの大イベントがない限り放送されなかったのだから。
 日本にいるときには自転車競技というと、ツールドフランスに代表されるロードレースしか知らなかった。競輪の存在は知っていたけれども、あれを純粋にスポーツと言っていいのかどうかには疑念が残る。そのロードレースしか知らない人間の目から見たシクロクロスは、雪の上、砂の上、泥の中を走り、時には自転車を降りて担いだり押したりするという、何ともバーバラスなというか、ワイルドなというか、とにかくロードレースの洗練性を全く感じさせない野蛮なものに見えた。
 しかし、見る側から考えると、集団での走行が中心で、個人スポーツというよりは団体スポーツになってしまい数時間に及ぶレースの内、開始直後のアタック合戦と、ゴール間際のスプリント合戦さえ見ておけば問題のないレースの増えてしまったロードレースよりも、はるかに面白かった。上から下まで泥まみれになってゴールするから、食事時なんかに見るのはちょっと勘弁してほしいと思うけれども、レース時間も一時間ちょっとで長すぎないし。

 毎年行われるツールドフランスの中継は、ついついチャンネルを合わせてしまうけれども、あれは仕事をしているときのBGMのようななものだし、映像もフランス各地観光案内みたいな部分のほうに見入ってしまう。チェコ選手権のような周回コースでのレースだと、大半は退屈なレース展開と何度も同じ景色を見せられることになる。
 その点、シクロクロスはちょっとしたミスで順位が入れ替わることが多いし、パンクなどの機材のトラブルが起こると、デポまで自力で自転車を持っていって交換しなければならないから、首位を独走していても安心することはできない。コンディションによっては転倒が多いのも結果が読みにくくなる原因になっている。だから、応援している選手が、正確にはチェコ人の有力選手が出ていると、目が離せないのである。ちょっとトイレにたった間に、さっきまでトップを走っていたのになんてことになる。

 チェコでは、数年前にロードレースに転向してしまったズデニェク・シュティバルが、ワールドカップや世界選手権で優勝争いを繰り返していたこともあって、シクロクロスのレースがチェコテレビで放送される機会は多い。かつてのフス派の本拠地ターボルでワールドカップのレースや世界選手権が行なわれたことがあるのも世界的にも有数の選手がいるからだろう。
 シュティバルは、日本では比較的チェコ人の人名表記が正確なシクロワイアードでも、「ゼネク・スティバル」と書かれていて、その名前で覚えている人もいるかもしれないが、「ズデニェク・シュティバル」というのがチェコ語での発音に最も近いのである。

 そのシュティバルがロードに転向した後、チェコのトップ選手になっていたツィンクも、今年からロードに転向して、新設のバーレーンかどこかのアラブの国のチームに加入してしまった。その結果、週末にルクセンブルクで行われた世界選手権で、優勝争いができそうなチェコ人選手は、男子のカテゴリーではいなくなってしまった。結局一人予想外の大活躍で十位以内に入っていたけど、以前は二人、三人なんてこともあって、ベルギー、オランダに次ぐシクロクロス大国はチェコだったのに。
 その代わりに今回は、三十台も後半に入って年々少しずつ成績を上げているような印象のある女子のカテジナ・ナッシュが、最大の期待で、その期待に応えて三位に入って、表彰台に上っていた。先頭争いをしていて、中盤でパンクか何かで姿を消したときには、駄目かと思ったのだが、終盤挽回したようだ。もう一人の選手は一週目の集団転倒に巻き込まれて自転車のフレームが壊れてしまって、即座に棄権ということになっていた。残念。

 とまれ、このテーマで一番書きたかったのは、シクロクロスそのものでも、世界選手権の結果でもないのだ。「カテジナ・ナッシュ」、この名前の表記を見て、あれっと思った人はいないだろうか。いたらチェコ語ができるか、チェコ語はできなくてもチェコにどっぷり浸かっている人だろう。女性の名字なのに「オバー」が付いていないのである。
 チェコでは、外国人であっても女性の名字には、かたくなに「オバー」をつける。以前、スキーのクロスカントリーの女子のレースの解説をしていた元選手が、外国人の名字は「オバー」を付けずに、原語のままに呼んでいたら、次のレースの解説の担当を外されたなんてこともあったぐらいである。だから、チェコに住んでいると、今のドイツの首相を「メルケル」と言われても、イギリスの首相を「メイ」と言われてもぴんとこない。チェコに来てから登場してきた政治家なので、チェコ語のメルクロバー、メヨバーが頭にこびりついてしまっているのだ。
 それなのに、チェコ人選手の「ナッシュ」には、「オバー」が付いていない。これは、最近、と言っても十年以上前になるだろうか、制定された名字に関する法律のせいである。チェコ人が外国人と結婚する際に、男性の名字を夫婦の名字として選んだ場合、妥当な理由があれば女性の名字に、女性形の「オバー」をつけなくても構わないことになったのだ。ナッシュもアメリカ人と結婚してアメリカを拠点にトレーニングを積んでいるので、英語の名字に「オバー」を付けない形で、正式に登録されているのだろう。
 こういう例外規定ができた以上、外国人女性の名字にも「オバー」を付けるのはやめたほうがいいと思うのだけど。チェコ人の女性が、名字で「ナッシュ」とか、「エモンズ」とか呼ばれるのに、日本人女性が、「イシダオバー」とか、「タカナシオバー」なんて呼ばれているのには、違和感以外の何物も感じられない。

 以前、いわゆる名字の代わりに父称を使っているアイスランドの選手を呼ぶときにどうするかで、女性形の父称にさらに女性形の「オバー」をつけるのかどうかで、チェコテレビでも混乱していたなんてこともあったし、中国人や韓国人の名前と同じで、現地の呼び方を優先する方向に行くかと思っていたら、そんなこともなかった。ちなみに中国人や韓国人の名前は、どっちが名前で名字なのか判別できなかったので、現地語のままになったものと推測している。チェコだし。
2月1日14時。


2017年02月01日

フィギュアスケート(正月廿九日)



 今から十年近く前になるだろうか、大学時代の友人から突如連絡があって、大ファンのロシアのフィギュアスケートの選手のアイスショーがチェコで行われるから、それを見るためにチェコに来るという連絡があった。会場がオストラバなので、プラハからオストラバに行く途中でオロモウツに寄るというのだ。
 ホテルもチェコ国内を移動する電車のチケットも、もちろんアイスショーのチケットもすべて準備は済んで後は出発するだけだったらしいのだが、友人との十年ぶりぐらいの再会は実現しなかった。こっちもモリツを予約して待っていたんだけど……。
 アイスランドの火山が大爆発を起こし、噴煙が飛行機が巡航する高度にまで達したことから、飛行機に悪影響があるのではないかということで、日本からヨーロッパに飛ぶ飛行機が軒並み欠航してしまったのだ。飛行場に行くまでは飛ぶという情報だったらしいのだけど、最後の最後に欠航が決まって、友人は無駄な希望を持たせる航空会社のやり口に憤慨していた。あのときは、日本に帰ろうとしてヨーロッパで足止めを食った人も結構いたなあ。

 それはともかく、そのロシアのプルシュチェンコがアイスショーを行ったオストラバで、フィギュアスケートのヨーロッパ選手権が行われている。競技自体は昨日で終わったから、行われていたの方が正しいか。
 若手選手を中心にチェコ人選手も各カテゴリーに出場していたので、観客の集まりも悪くなかった。いや、観客を集めるためにチェコ人選手が出場できるようになっていたというのが正しいのかもしれない。フィギュアスケートのことはよくわからないので、気になったことだけ指摘しておくと、チェコ人選手のときだけ大騒ぎをする観衆と、演技前のウォーミングアップをしているグループにチェコ人選手がいると他の選手を無視してチェコ人選手の姿だけを追い続けるチェコテレビの映像には、地元びいきもやりすぎだろうという批判を禁じえなかった。
 ヨーロッパ各地から応援のために観客が集まってきているのはともかく、日本人の姿も結構あって、ニュースに取り上げられていた。言葉の問題があったのかインタビューは受けていなかったけど。インフルエンザが流行っているからか、こちらでは医者が手術などのときに使っているの以外には見かけることのないマスクをかけた人もいたので、まだドイツあたりで放射能云々というあほなニュースが流れたりしないかと期待してしまった。

 ヨーロッパ選手権なのにスポンサーとしても日本企業が二つ名を連ねていて、そのうちシチズンはヨーロッパにも輸出しているのだろう。もう一つのコーセー(たぶん化粧品の会社)は、こちらでは商品を見かけたことがないのだけどヨーロッパに輸出しているのだろうか。いずれにしても日本人というのは、フィギュアスケート好きだよなあと思わされる事実であった。
 1980年代にオリンピックを追いかけ始め、90年代の初めにやめてしまった人間にとって、フィギュアスケートというと、渡辺えみ選手と伊藤みどり選手ぐらいしか記憶になく、男子なんて誰かいたっけ状態である。だから日本でフィギュアスケートがここまで人気があるというのがいまいちぴんと来ない。

 チェコテレビの中継を見るともなく見ていたら懐かしい名前が聞こえてきた。ノルウェーの選手の演技の後にノルウェーのフィギュアスケートの話になって、アクセル・パウルゼンなんて選手もいたよという話が出てきたのだ。日本でも「トリプル・アクセル」なんて言葉は九十年代の初頭には普通に使われていたと思うが、そのアクセルが人名であることを知ったのは、何によってであっただろうか。テレビの中継でも言っていたかもしれないが、フィギュアスケートよりもスピードスケートのほうを熱心に見ていたから、全く記憶に残っていない。となるとあれだ。

 川原泉という漫画家がいる。一風変わった恋愛の熱を感じさせない恋愛漫画? で一部に熱狂的なファンがいたはずだが、この人が、一風も二風も変わったスポーツ漫画を何作か描いている。佐藤史生の存在を教えてくれた先輩は、野球漫画の『甲子園の空に笑え!』が一番好きだといっていた。ただこの漫画に関しては、野球のことはある程度知っていたので、面白いと思わなかったわけではないが、あまりの非現実的な物語にちょっとなあという感想を持つしかなかった。
 しかし、ろくに知識のないフィギュアスケートを題材にした『銀のロマンティック…わはは』には、文句のつけようがなかった。その中でアクセル・パウルゼンという人物が、スピードスケート用のスケート靴で成功したのが、アクセルと呼ばれるジャンプで、他のジャンプも初めて成功した人の名前で呼ばれているなんてことが書いてあった。トリプルアクセルを世界で初めて成功させたのがチェコの選手だなんて情報も出ていたかな。この辺のストーリーとは直接関係のない薀蓄情報が、ときに大量に放り込まれるのも川原泉の漫画の特徴だったかもしれない。その代わり順位の決め方の説明は読んでも全く理解できない、いい加減なものだった。順位点って、結局なんだったんだろ。

 とまれ、我がフィギュアスケートは、ある意味でこの『銀のロマンティック…わはは』がすべてで、オリンピックなんかでも、チェコ人選手が出場していたとしても熱心に見ることはないのである。このマンガ、久しぶりに読みたくなったのだけどこちらには持ってきていないのだった。残念。
1月29日22時。




甲子園の空に笑え!【電子書籍】[ 川原泉 ]



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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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