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2016年02月01日

嘘つきの世界――戦前のチェコ映画(一月廿九日)


 チェコのテレビでは、公共放送、民放を問わず、戦前のモノクロ映画がしばしば、いや頻繁に放送される。放映権料などの問題で、新しい作品を放送するよりも安上がりだとか、自局でドラマを制作する余裕がないなどの財政上の理由もあるだろうし、視聴者が見たがっているという視聴率獲得上の理由もあるのかもしれない。とまれ、古い映画が繰り返し放映されることは、われわれチェコ語を学ぶ外国人にとっては非常にありがたいことである。
 それは、まずチェコ語そのものの問題である。現在の映画やドラマの登場人物が使う、標準チェコ語(この呼称にも大いに異議があるのだが今はおく)と呼ばれるチェコ語での会話は、外国人にはきれいな正しいチェコ語で話そうとしてくれるやさしい人の多いオロモウツで育った私の耳には、聞くに堪えないことも多い。それに対して戦前の映画の俳優たちのしゃべりは、まだ形が壊れていく前の美しいチェコが使われている。それに一部の例外を除いて、声も発音も聞き取りやすいので、非常に耳に心地いい。現在の俳優たちの発音が聞き取りにくいというわけではないが。

 戦前の白黒映画に一番よく登場する俳優は、喜劇王とも言われるブラスタ・ブリアンである。この長身で痩身の俳優は、運動能力にも長け、サッカーでスパルタ・プラハのゴールキーパーとして、また自転車の選手としても活躍したらしい。ナチスドイツによるチェコスロバキアの解体以後は、自らの経営する劇場を守るために、ナチスへの抵抗ではなく、ナチスの監視の下で娯楽映画の撮影をする道を選び、それが戦後共産主義政権の時代における冷遇につながるのだが、これはまた別の話である。ブリアンは、ドイツ語にも堪能であったため、ナチス時代には、同じ作品のチェコ語版と、ドイツ語版を同時に撮影するという荒業もこなしていたらしい。ただ、即興の台詞が連発してブリアンの本領が発揮されるのはやはりチェコ語版なのだという。
 そのブリアンと、「ほら吹きブリアン」(仮訳)で競演しているのが、もう一人の戦前の大喜劇役者オルドジフ・ノビーである。この作品でも、身の上話をさまざまにでっち上げ、ブリアン演じる男爵の隠し子、男爵夫人の結婚前の不義の子などと思われて、周囲を混乱に陥れるのだが、一体に、このノビーの演じる役は嘘つきが多い。そんな作品だけしか印象に残っていないのかもしれないが、大抵はナタシャ・ゴロバーと組んで、嘘とでたらめで混乱を引き起こすことになる。
 「エバ、馬鹿ばかり」(仮訳)では、ろくに英語もできないのに、片言の英語とチェコ語を混ぜて使ってイギリスから来た伯爵のふりをするし、「クリスティアン」では、偽名を使って二重生活を送る男を演じる。どちらも嘘をついている間、他人のふりをしている間は、堂々として頼もしいのに、現実の自分に戻ると小心者の情けなさが出てくるあたりも、ノビーの役に共通している。
 ノビーとゴロバーという組み合わせで忘れてならないのが「かわいらしい人」(仮訳)である。これも「トルハーク」と同じでストーリーなんてどうでもいいといえばいいのであるが、簡単にまとめると、嘘を通じて知り合い惹かれあった二人が、嘘をつき合うことで親しくなり、本当に結婚することになって、嘘はつかないと約束するというものである。わけがわからないかもしれないがそれでいい。大切なのは、この二人のほら話を楽しむことである。
 二人がそれぞれ嘘やでたらめを並べ立てるシーンや、打ち合わせもなしに二人で嘘を積み上げて、有りもしない過去の出会いをでっち上げていくシーンなどを堪能している間に、気がついたら、結婚式に大量に招待状を出したのに、二人が混乱に陥れた一家の「かわいらしい人ねえ」が口癖のおばあちゃんしか来ていないという最後の場面にたどり着いてしまう。日付を間違えたのかなと言う二人に、にっこり笑って、「誰も本当だと思わなかったのよ」と言うおばあちゃんこそが、本当の「かわいらしい人」なのだろう。
 この映画は、一度見始めたら途中でやめられないと言う意味では「トルハーク」と並び立ち、話を聞いてうっとりしている間に何を言っているのかわからなくなることがあるという点では、チェコ語の師匠の電話に匹敵するのである。かつて師匠が授業中にかかって来た電話に、ものすごい早口で対応するのを聞いたときには、早口でありながら一つ一つの母音、子音をそれぞれきっちり聞き取れるように完璧に発音するという職人芸に、聞きほれているうちに何を話しているのかに意識が向かず、電話が終わった師匠に、聞き取れたかと聞かれて、聞き取れたけど意味はわからなかったと答えて苦笑させることになったのだった。そういえば、もう何年も師匠のチェコ語を聞いていない。それが最近、私のチェコ語の発音が怪しい原因かもしれない。

1月29日23時



 この本では、オルドジフ・ノビーのクリスティアンが取り上げられていて、ストーリーもちゃんと説明されている。でも私は、「かわいらしい人」のほうが好きだなあ。1月31日追記。


チェコ語の隙間 [ 黒田竜之助 ]



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